陽は既に傾きはじめている。執務室の扉を叩くと、すぐに入れ、と声がして、中に入ると見慣れないものがいた。
「……鷹、ですか?」
「ああ。……途中、お前達に伝えたい事があったのだが、どうやら素晴らしい回避能力を見せつけられたようでな、意気消沈して帰って来た」
 フェルとフィレンスは顔を見合わせた。フェルは腕に抱えたコートを抱え直して、フィレンスが一歩先に彼の方へと歩み寄っていく。差し出されたものを受け取ると、地下に高位『異種』が生息している様子だから討伐または相応の処置を講じるように、と書いてあった。見慣れない字、官吏のいずれかだろうか。長官の手にそれを返すと、彼はそれを受け取りながらフェルに視線を向けた。
「まあ、お前達の事だから鷹は回避してもそのものは回避しなかっただろう。フェル、別に隠さなくても良い」
 言われてフェルは、何を言うつもりでもなかったのに言葉に詰まった。腕に抱えたコートをめくると、そこからひょこりと鋼色の生き物の頭が文字通り顔をのぞかせる。
「……なんでわかったんです?」
「街全体に常に結界を張っている、妙なものが通ればすぐに分かる」
 聞けば長官はさらりと言う。結界がある事にすら気付かなかったフェルは、むしろそれを常時維持できるこの人は何なんだと胸中にまた一つ疑問が落ちた。ヴァルディアに関して言えば、謎が降り積もるばかりで、何一つとして解消した試しは無い。
 彼はコートの中からフェルの肩へと移動したそれを見て、しばし考えたあとに口を開いた。
「……それは、『異種』か。それとも精霊か?」
 その彼の言葉に、フェルは肩のそれを見やる。小型犬より一回り大きい程度の大きさのそれは、器用にバランスを保ちながらも肩の上に顎を乗せ、どこか我関せずな様子で瞬いている。フェルは首を傾げた。
「多分その真ん中だと思うんですけど……こちらから仕掛けない限り、特に害はないので、どうしたものかと」
「どうしたもこうしたも……」
 ヴァルディアはそう呟いて、鋼色のそれを見やる。指先だけでこちらへ、と示唆して、フェルはその小さいのを机の上に降ろす。犬か猫のように座ったそれは、長い尾をぱたりと一度振ってヴァルディアを見上げた。
 しばし見合ったあと、不意に長官が溜め息をつく。掌で適当にその頭を撫でてから片手でそれを持ち上げてフェルに返した。
「元々竜に関して、上からの絶対討伐命令の対象には含まれていない。ついでに聞いた話ではあるが、竜を使い魔にしている魔導師も確かにいるようだな」
「……使い魔、ですか」
「ああ。……見た所、一人もいないようだが」
「……そう、なんですけども……」
 口ごもる。フィレンスが視線を向けて来るのを少しだけ見返して、それで視線を落とした。
「……二人、前に、いたんですけどね」
「……そうか」
「それで、ちょっと。……フィオーネも、言ってくれたんですけど」
 精霊から持ちかけられる事も多い、だがそれに応える意志がどうしても持てない。こういう事を思う度に、自分は魔法使いに向いていないのではないかという疑念すら浮かんでくる。普通魔法使いにとって使い魔は道具だ、たとえそれがどれだけ強固な意志を持っていようとも。__だからこそ、親しんだそれが消える事に耐えられない。
「……確かに、必須ではないからな。個々の趣味や方針の問題だろう、全ての魔法使いが使い魔を使役しているわけではない。精霊に近寄れない、近寄っても逃げられると言う輩がいるくらいだからな」
「え、いるのそんな人」
 少し考えるようにしていたヴァルディアの言葉に、横でずっと無言だったフィレンスが思わず声を上げる。彼はそれに頷き返した。
「黒服の中にもな。……悩むようなら本人に聞いてみたらどうだ。どうやらこちらの言葉は全て分かっているようだからな」
 え、と呟いたフェルがそれを見れば、今は小さな姿の竜はわざとらしく顎を開いて欠伸をする。僅かに眉根を寄せたフェルが指先でつつくと、片眼を眇めてどこか笑う風情だった。
「……わざわざ古代語で話してたのに……もしかして喋れるんです?」
 それにはくぉん、と一声鳴くだけ。大きな鐘を遠くで響かせたようなそれに、フェルは大きく息をついた。
「……それで、本題だが」
 ヴァルディアが唐突にそう声を上げる。ああ、とフィレンスが苦笑して、そして口を開いた。
「結花は大体は散らす事が出来たかと。晶歌は討伐完了、周囲への被害はなし」
「周辺の浄化は、原因が古い結界魔法の汚染だったので、解除も含めて終えてます」
「よし……上々。ご苦労だった、まだ仕事は多々あるが……」
 言ってヴァルディアは積まれた書類を見やる。うわ、というフィレンスの呟きは聞こえなかった振りをして、しかし彼はそのまま二人に視線を戻した。
「さほど緊急度も高くない。あとは休め、明日の朝また来るように」
「了解」
「わかりました」
 長官のそれに軽く身構えていた二人は自嘲や苦笑に近い表情でそう答えて、深い色をしたそれを腕に抱えてから踵を返す。そのまま扉を潜って、回廊を部屋へ向かって歩きはじめた。
「……で、どうする?」
「どうするって、なにが……あ、寝たりとかってどうすれば良いんですかね」
「いやそういう意味じゃないんだけど……」
 問いに対して的外れな疑念を返して来たフェルに、小さく呟いたフィレンスの声は届かなかったらしい。見上げて首を傾げるそれに息をついた。
「……クッションかなにか改造すれば良いんじゃない? 一緒に寝ると潰しかねないよ、その大きさだと」
「……もうちょっとだけ大きくなりません?」
 言った途端そう竜に向けて言ったフェルを横目に、やっぱりね、と彼女は呟いた、



 ユゼは降り出したそれを見上げて、そして同色の煙を吐き出した。目の前には森が広がっている。そしてそれを覆い尽くす巨大な結界。指先に持つ煙草をくわえ直して、そして彼は傍らの一人に声を投げた。
「ラウル、どうだ」
 少々の気怠げな色を纏う、しかし芯の通った低音が手元に落ちる。杖を持った一人が彼を一度見上げて、そして息をついた。
「予想以上ですね。反応があるだけでも、二百か、三百か。どっかでお祭りでもやってんですかねぇ」
「はは、篝火焚いて太鼓叩いて踊り狂うやつか」
「それで意味分かんない呪文なんか叫んでるんですよぉ? やですねぇ駆逐しませんとねぇ」
 後ろで雪の上に座り込み、何かをかちかちと弄くっている一人が唐突に声を上げる。ラウルは肩をすくめて、ユゼは声を上げて笑った。そして煙草を指で掬い上げる。ふと視線を上げて一点を見つめた。煙を吐き出す。
 落ちる雪に穴だらけにされていく煙の行方を眼で追いつつ、彼は言った。
「……ラウル、これ終わったら蒼樹行くぞ。周知しといてくれ」
「蒼樹ですか? 俺、あそこの長官嫌いなんですけど」
「妬むな、あいつとお前じゃ次元が違う。感情の使い方間違えんなよ、執着するなら魔法だけにしとけ」
「……それだけじゃないですけど……どこまで連れて?」
「俺とお前、レスティ、ロー、ラーカンの五人。本隊は、このまま……そうだな、フィカに指揮を預ける。作戦は続行だ、多少の異常には持ちこたえろ、ってな」
「……あいつらが出て来たら?」
「そんときゃ呼べ、協会の連中借りて来るさ。……ユールがいりゃあ良かったんだが。あのあとすぐ東に向かわしちまったからなぁ」
「……何で蒼樹なんです?」
「ちょいと問い質したい事があるのと、あそこの白黒が今一番信用できるし、こっちの事もしてくれるからだ。北の御方はな、長官に信頼があり過ぎて外部を信用してくれん。東はごたごたが起こってるし、今一番『異種』の出現が多い……まあ、備蓄は全部向こうだからな、それ狙ってるんだろうが、それも守らんとだろ。南は長官が新任だ、逆に白黒が離れかねない。西が一番安定してんだよ」
「白黒が俺たちの事信用しますかね」
「するさ。蒼はそういう所だ」
 ラウルが不思議そうに見上げて来るのに、ユゼが視線だけ向けてやれば、彼は渋々といった様子で踵を返した。それを僅かの間だけ見送って、そしてユゼは儀式剣を握り締めた。
「__おぉし、良くやった! もういいぞ、戻れ!」
 途端、周囲に轟と声が響いた。徐々にその範囲を狭めていた結界がぴたりとその場に留まり、そして森の中から藍色の衣装の数人が飛び出して来る。少し遅れてその倍、抜き身の剣を携えたその人影は追いかけて来る狼のような影を切り捨てて、そしてユゼの方へと駆けて来る。その数を確認して、そしてユゼは柄の宝珠を見やった。
「仕上げだ、手の空いてる奴は魔力貸せよぉ!!」
「ちょ、団長!?」
 唐突に背後から声が飛んで来る。振り返ったユゼは、声を上げたラウルを見返してにやりと笑った。
「何だラウル、聞いてただろ。さっさと行け。それとも代わりにやるか?」
「冗ッ談! そんな魔法使えんの団長ぐらい、……ってかそれやったら流石に死にますよ!?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、たかが三重だよ」
 言うユゼの足下に巨大な構築陣が広がる。更に同じものが続けて重なり合い、更に大きく複雑な形へと変貌していくのを見て、ラウルは眼を見開いた。
「団長、ほんとに__!」
「ラウルなぁ、お前いまいち俺の事舐めてんだろ」
「人間の域越えてるから言ってんだよ阿呆魔導師! もう良いそのまま死ねッ!」
「ははは、その意気だ、さっさと行け」
 ユゼが言うよりも早くラウルは背を向けている。それを今度は見る事無く、ユゼは逆手に握った剣を持ち上げる。もう一度宝珠を覗き込んだ。
「頼んだぞ、『彼方』」
『……無茶は私も同意する』
「使い手の事くらい信用してくれよ。……ディイ! 始める! 構築陣守ってくれ!」
 分隊長を呼び、続けて指示を飛ばせば返答とともに数人が動き始める。それを確認するより早く、紅色の光が雪原に現れ、瞬く間に炎となって渦巻いた。
「『幻火、されど触れずを許さず……』」
 乾いた風が舞い込み、更にその勢いが増していく。
 __その様子を、水鏡を通して見ていた彼は、溜め息をついて視線を北へと向けた。白い大地、その遥か向こうに魔力が見えた。冬は外気が澄んでいて良い、遠眼が利く。
「……あれ、親父だ」
 不意に声が聞こえて振り返ると、すぐ近くに立っていたのはクロウィルだ。目が合うと、肩をすくめる。
「流石にこんなとこにいるとは誰も思わないみたいだ」
「だろうな。だから気に入っている」
 ヴァルディアは素っ気なく答えて、水鏡に視線を戻す。放たれた魔法が結界に閉じ込められた『異種』の悉くを無に還していくのを見て、水鏡を消し去った。膝の上に頬杖を突き、視線をもう一度北へ向ける。
 不意に地鳴りのような揺れを感じて、クロウィルは足下の濃い青をした瓦を見下ろした。一瞬遅れて鐘が打ち鳴らされ、低いような高いような独特の音が鳴り響く。何度も間近から響くそれにクロウィルは軽く片耳を押さえて、そして不意に視界に燐光が掠めてヴァルディアの方へ視線を向けた。彼の腕に細長い帯のような構築陣が巻き付いて光を放っていて、長官の口が僅かに動いている。鐘の音に掻き消されるそれに、街に視線を向ければ、薄闇の中で小さい人影が様々な方向へ走っていく。更に遠く、街の辺境では一瞬何かが光を弾いたような気がした。珍しく空一面の雪の空ではなく、地平線と厚い雲との間に見えた夕日が沈みはじめる。
「……結界、誰かに任せたりはしないんですか、長官」
 鐘の音が消えて、手を離して家に帰っていくのだろう人の波を見下ろしながら尋ねる。ヴァルディアは変わらず北を見ながら答えた。
「自分でやった方が手っ取り早い。他人に任せればそれの伝達にロスが生まれる。それに、わざわざ基準域を高く設定した試験に合格した黒服を結界に付きっきりにさせるのは効率が悪い。付きっきりになれるとも思わんがな」
「え?」
「この街……国で王都、緋樹に次いで巨大な街全てを覆う結界だ、相当な魔力を持っていない限りは維持できない。今の黒服でこれができるのは、セオラスかオーレンか……その程度だ」
「……てっきり設置形かと」
「別にそれでも良いが、何かあった時にすぐ分かる方が良い。上空も覆っている、結界の中に入っていないのは協会だけだな、建物自体は別の物で守らせてはいるが」
「書庫塔はすごいって、フェルが言ってたけど」
「あそこは特別だ。禁書があるからな」
「……いいのか、それって」
「さあ? 監察官が見つけたら飛ぶかもな」
 冗談にもならない事を言って、その上首元に指先で真横に線を描いてみせる。クロウィルは溜め息をついた。
「なんでこう……」
「私に言うな、先代の時には既にあったんだ。おかげで蒼樹の黒服の水準が高くて助かっている」
 え、と呟いてクロウィルは彼を見やった。ヴァルディアは我関せずと言わんばかりの様子で、クロウィルは沈黙した。
 護衛師団は、要人の警護が主な任務だが、『主』であるだけであってもちろん他にも様々に役目を負っている。藍色が数人、立場を隠して、あるいは公にして協会に入るのは、白黒、特に黒服の条約違反を防ぎ、あるいは摘発する為だ。
 少し考える。
「……まさか読ませてたりとかしないよな、ちょっと立場的に無視できないんだけど禁書関係は」
「そんな事するか。『禁書があるから絶対に読むな』と伝えるようにしている」
 確信犯だった。クロウィルは更に項垂れた。
「……そんな事言われて読まない魔法使いいんのかよ……?」
「いるんじゃないか、稀には。……なんだ、条約に違反してはいないぞ。『禁書の所持に関しては認可を受け、また第三者にそれを貸与してはならず、盗難焼失その他の危険の無い場所に保管する事』……私は認可云々は知らないが、漁ればどこかの書類に埋もれているだろうし、第三者に貸与はしていない。貸与してはいけない事になっているから持っていくな、と伝えている。それにあの塔からは持ち出せないようにしている。責められる謂れは無いはずだが?」
「……そう言って監察官を追い返した事は?」
「ある。論破される方が悪い」
 言われて、クロウィルは視線を泳がせた。また一つ息をついて、そして時計塔の瓦の上に腰を下ろす。そうすると視界に入るのは、逆光に黒く染まった地平線と赤々とした太陽だけだ。徐々に雲が歪んだ円を喰い尽くそうとしている。振り返れば暗闇だろうか、今夜も吹雪だろう。
 雪の勢いが増して来る。
「……それで、長官、そろそろ戻っても良いんじゃないですかね」
「……一応仕事は片付けて来た。二時間や三時間で溢れる程でもないだろう、クラリスがいる」
「ものすごーく不機嫌なクラリスがダイアモンドダスト振り撒きながら任務の采配するのかー楽しみだなー」
「………………」
「いつもより長く逃げてたんだから良いじゃないですか長官。そろそろ俺以外も気が付くと思うし」
「…………分かった、戻る」
 言った長官が立ち上がり、それでクロウィルもやれやれと立ち上がる。久々に執務室から長官が脱走して、手の空いている白服が総出で捜索しているのだ。もちろんクロウィルもかり出されて、時計塔の屋根の上で長官を発見し今に至る。道理でいつも見つからないはずだ、黒服でない限りここに登るのは難しい。
「……そうだ、クロウィル、一つ伝える事がある」
「はい?」
「お前の父親、あと少しでここに来るぞ」
 がっ、と音を立ててクロウィルが長官の腕を掴んだ。何かと見返して来た彼に、クロウィルは低く訴える。
「……任務くれ」
 短いそれに真意を察したのか、ヴァルディアは少し考えるように視線を泳がせる。すぐにクロウィルを見返すと、そしてにやりと笑って言い放った。
「残念ながらお前に適するレベルの任務はそう発生しない。来た時に困るから待機していろ」
 そして雑に手を振り払って、風を喚んだ。




__________



back   main   next


Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.