協会の長官すべて、国王軍の要職すべて、そしてそれらの諮問を行う神殿の長が集まり行う会議の日取りが確定した、という手紙は、翌日の早朝に鷹が運んでくれた。決まった、というよりは、例年通り、という確認に近い。王宮に向かったそれはたった一枚の書状だが、神殿の印が捺され紫銀の署名がされたそれは、王宮に着けばすぐにでも伝わるだろう。
 今日は二番目の月、灰の三番目の日。灰は時の色。クウェリスはあの後すぐに協会に移り、今日からしばらくは調整期間に入るのだという。それを伝えられたその場にはフィレンスもいたが、その前日にあった事をかいつまんで伝えてくれたのはありがたかった。記憶の本の事を言わなかったのは意図があっての事だろうかと思いながらも、それに倣っている。言い出せなかったという事もあるが、何故なのかという明確な理由は自分にも分からなかった。
「前の時は戻らなかったのにな」
 その夕方、クロウィルに言われてフェルは肩をすくめてみせる。神殿に対する請願の事だろう、膝の上に広げた本の文字を追いながら答えた。
「あのときは起こってる事そのものが例外でしたから。それにそんな頻繁に戻って、色んなとこから攻撃される材料増やすのは避けたかったので」
「戻らないのもそうだと思うけど」
「戻ってくるならそもそも出て行くな、が先に立つと思いますよ。言われた所でやめませんけど」
 今度のは神殿の外との兼ね合いもあるので戻らないとですけどね、と付け足すフェルのそれを聞いて、クロウィルが別の一人掛けに座っていたラカナクを見れば、彼は放っておけ、といったように乱雑に手を上下させる。珍しく藍色達が姿を現して部屋の中で勝手に何か作業をしている中で、部屋の主はそれを気にするでもなくいつものように何かに眼を通している。向かいに座ったクロウィルも今は数冊の本と羊皮紙を何枚も広げて、そこにいくつも数式を並べている所だった。手を止める事はせず、溜め息だけ吐き出す。
「……フェルそろそろ、王宮の面々に堂々と喧嘩売るの止めないか?」
「売ってませんよ、買ってるだけです」
「訂正する。喧嘩すんな」
「相手に言って下さいよ」
 短い言い合いにようやく翠の眼が少しこちらを向いたのを感じて、フェルは顔を上げてそれを見返した。息をつく。
「十六の紫銀が大公だって事が許せない連中がいるって事実だけは明確ですけど、そんなの私にはどうしようもありませんし、かといって自称大人の言いなりになるのは癪ですし、そうなると語彙を総動員して応戦するしかないんですよ」
「……二言三言が多いんだって、フェルは」
「教育が良かったんですね」
 そこでようやく脇で本棚を漁っていたスフェリウスが小さく笑った。迷惑そうな視線を投げた一人に、彼はに、と笑う。
「やめとけやめとけ、皮肉じゃお前は勝てねえよ」
「知ってるっつの……あーもうほんと世に知れたら失望の嵐だな……」
「そんな下手踏むと思います?」
 クロウィルがとうとうペンを持つ左手を額に当てたのを見てフェルは本に眼を戻した。イースがそこに振り返って、声をかける。
「不機嫌?」
 思わず顔を上げる。目が合った彼女が首を傾げるのを見て、フェルは首を振った。
「そういう事ではないです、最近は結構長く平和にほのぼのしてたので勘を取り戻さないとなって思って……」
「俺を練習台にすんな……」
 暗く呟かれたその声は黙殺される。魔法使い勢が全く何事も無かったかのように各々の作業や思考に沈んでいくのを遠目にしながら、ラカナクは再び文字を並べ始めた一人を見やた。
「それで、集合かけた張本人がいないんだけど、あいつどこいったんだ?」
「ああ、なんか数人の女子に連行されてた。神殿からの使者が来てたみたいだから……」
「……え?」
 本に集中していたフェルが思わず再び顔を上げて声を漏らすと、それにクロウィルはあれ、と呟いた。ラカナクが眉根を寄せてクロウィルを見、フェルを見やる。
「……聞いてないのか?」
「いえ、全く……もしかして何かまたあったとか……?」
「そんな深刻な感じではなかったけどな、あいつの言ってた感じでは。誰が来たのかは聞きそびれたけど」
 言いながら、クロウィルは不意に回廊に通じる扉の方を見やる。少し遅れてラカナクが立ち上がりすぐさまにその姿が掻き消える。スフェリウスの肩から背中を覆う長いクロークがひとりでに揺れ動き、それでようやく気付いた彼も姿を消したときにはクロウィル以外の他の姿も完全に見えなくなっている。フェルはわずかな魔力の残滓が空気に溶けていくのを見上げながら呟いた。
「……いつもながら見事ですよねぇ」
《団の魔法ってすごいよな、構築陣見ても意味分かんねえし》
 どこからかスフェリウスの声が響く。書き散らした羊皮紙を纏めながらクロウィルが虚空に視線をやった。
「スフェそれ意味無い」
《はいはーい》
 短い注意に少し拗ねたような声が返ってきて、その直後に完全にその気配も音も消え去る。フェルはとうに慣れたそれを感じながらも無意味に部屋を見渡す。隠形がそういうものだと分かってはいても、魔法名も知らない原理も到底想像のつかない魔法は手品にしか見えないものだ。姿を隠す、音を隠すという魔法はあるが、それは魔法だという事がすぐに分かる。それが一切外からは見えず、その上煉瓦や岩程度ならそのまますり抜ける事もできるとなれば、この魔法を作った人間にも詳しく理論を聞きたい所だが。
 数百年早ければ、と思いながら、かといって今の彼らにそれを聞く訳にもいかない。フェルは代わりに息を一つだけついて、そして本を閉じてペンの蓋を閉じたクロウィルに顔を向けた。
「誰か来たんです?」
「ちょっとな。フィレンスと、あと数人」
 言った彼は纏めた羊皮紙をフェルに差し出し、フェルはそれを受け取ってテーブルの上に転がっていた朱のインクのペンを取った。羊皮紙に書かれた通し番号の通り、一から眼を通していく。
「……中級の問題ですね」
「そう、初級は結局フィレンスに叩き込まれたし、初級の知識あればいけるみたいだったからな。……多分できてないけど」
 ペンをくるくると回しながらのそれには、フェルは無言のまま了承の意味で僅かに顎を引いた。しばらく沈黙が流れ、その中に扉の向こうからの会話が近づいてくるのが聞こえてきて、クロウィルは立ち上がってその扉へと向かった。
 取っ手を引き、開いたそこから回廊に顔を出すと数人の白黒。気付いたそのうちの一人が、悪い、と口だけで伝えてくるのはとりあえずそのままにして、クロウィルは少し考えてから口を開いた。
「……何やってんだ?」
「あらクロウィル。そっちこそ何してんのよ」
「何って、勉学に励んでる所だけど」
 言うとその集団が揃って意外そうな表情を浮かべて、一人だけが苦笑する。その一人は一歩先に踏み出してから振り返った。
「それじゃ」
「あ、根本聞いてないのに!」
「本人が来たら、またその時に」
 一人の訴えには困ったような声を返して、そしてフィレンスは早々にクロウィルがあけた扉の中へと滑り込む。クロウィルがどこか残念がるような声を扉で遮ると、フィレンスは大きく息を吐き出してから視線を向けた。
「ごめん、捕まってた」
「知ってる。逃げなかったのか?」
「逃げなかったっていうか逃げられなかったっていうか。黒服ってなんでこう、魔法使って事に躊躇いがないんだろうね」
 言いながらフィレンスは数式の校正に没頭しているフェルを一瞥し、そして虚空を見渡してその一郭に向かって手招く。それにやっぱり足止め食らってたのか、と呟いたクロウィルがフェルの手元を覗き込めば思っていた以上に羊皮紙の表が赤くなっていく様子が見えて、何とも言えない気持ちで視線を彷徨わせる。どこかにか手を伸ばしかけたフィレンスがそれに気付いて、首を傾げる。
「フェル、何かあったの?」
「ああ、いや、構築の数式の校正頼んでて、で、没頭してるだけ」
 見やった先では全くこちらに視線も何もくれないままの一人。クロウィルは肩をすくめて、フィレンスが呆れたようにそちらに手を伸ばした。
「フェル、起きて」
 丸い銀色を軽く叩くようにすると、その下から僅かに驚いたような声が聞こえて、そしてやっと紫が見えた。
「……あれ、おかえりなさい」
「ただいま。ちょっと話あるから戻ってきてくれる?」
 数式のそれを指差しながらフィレンスが言うと、フェルはあ、と言う顔をしてすぐにそれを纏め始める。できた分だけをまずクロウィルに渡すと、彼は少し笑った。
「そんなに必死にならなくても」
「いえ、なんというか、必死というか勝手にそうなっちゃうというか」
「それって必死って言うんじゃないのか?」
「……どうなんでしょう」
「あるいは集中しすぎ」
 フィレンスが口を挟む。そちらへと視線を向けると彼女は虚空から何かを引っ張りだしている所で、それが完全に見えた瞬間にフェルは立ち上がり瞠目した。ふぅ、と胸元を押さえたその人は自分の手を見下ろしてドレスのあちこちを押さえ、何かを確認するかのようにしてから、そこでようやく視線を上げた。
 桃色の髪を耳元の一房だけ残してふんわりと結い上げ、宝石の帯と飾り紐で飾った女性。うれしげに細められたのは鮮やかな水色で、首元には精緻な透かし彫りの施された金のチョーカーがある。
 そのチョーカーから提げられた国紋を胸元に揺らした彼女は、どこか鷹揚に部屋の中を見渡して、そしてフェルの姿を認めるなりうれしげに眼を細めた。
「新年の時には、その場にいても実際には会えなかったから、もう秋の収穫祭以来かしら」
 絶句するフェルに、彼女はにっこりと笑いかけた。



 頭痛がする、と言わんばかりに額を押さえた長官にクラリスは咳払いするだけで何も言わず、ユールはその様子を見てにやにやと笑いながら肩をすくめてみせた。
「いやぁ俺だって一応進言はしたんだぜ? でもさー、玉命にはさすがに逆らえないよなぁー」
「……ユゼは何をしている」
「爆笑してた」
 深い溜め息と同時に死ね、と微かな呟きが落とされる。ユールは床に立てた長刀に寄りかかるようにして腕を組み、そこに体重をかけながらその様子を楽しげに眺めていた。暫くして疲弊の表情で顔を上げた彼に、尚も楽しげな表情のままでいると、彼は明らかに嫌そうな眼で視線を向けてきた。
「……それで、何故ここにいる」
「だから護衛だってば」
「護衛なら護衛らしく張り付いてろ、あいつ……と、いうよりも、アレは眼を離した隙に隣国に脱出しているような人間だぞ?」
 ヴァルディアが言った瞬間、ユールはなぜか感心したような表情を浮かべる。なにかと眉根を寄せてみせれば、また女に扮したままの彼はしみじみと口を開く。
「……俺が言えた事じゃないけど、あんたも大概敬意ってもんに欠けてるよな」
 本当に頭痛がするのではないかと思って眉間に手を当てた。ユールはにししと少年っぽくわらって、一転どこかへと視線を投げて言う。
「一応フィレンスがついてるし、向こうには第二が全員いるだろ、俺一人がついてるよか安全だし、そもこの協会の敷地の中でそういう事が起こるのかよ?」
「起こった前例ならあるがな」
「ま、こっちは今んところそういう情報は掴んでない、と。そういう事だし、繰り返すけど俺は護衛なの。対象から離れられるかって」
 興味無さげに窓の外の夜を眺めていたヴァルディアが、その最後の言葉に視線を向ければ、落ち着いた緑の長い前髪の間から藍色の瞳と噛み合う。思考を巡らす数瞬、ユールは唐突ににやりと笑う。
「残念だけど俺信頼はある方なんだ。仕事はやるし、口も堅いし、そこそこ強い」
「……そのようだな。それで、私に護衛をつけた理由は話せる内容なのか」
「言わなきゃ納得しないだろ、ってな。団長曰く、次に来るとしたら長官の所だそうだ、紫銀が蒼樹にいるってバレてるからな。こっち、護衛師団としてユーディスもリィシャも捕縛あるいは討伐の対象で、その上協会の長官は軍やら国防やらの重鎮だ、死なれたらこっちが困る。二人で来られたらどうなるか分からないけど、最悪あんたが逃げるだけの時間は稼げると思ってくれてかまわないけど?」
「……頼んでいない」
「あんたの頼みは知らないな。そっちはそっちで理由があるんだろうけど、こっちもこっちで理由がある。……最近協会も護衛師団も出ずっぱりだろ、おかげで中央に対する注意が散漫になりかけてる。現に王宮じゃ内通者が作られ始めてるし、師団の連中も十人以上が嵌められて前線から落とされてる。起こってる事の縄張り主張するよりも、終わらせた方が早いって判断しただけだ」
 少なくとも俺はな、とユールは付け足す。ヴァルディアは嘆息した。
「……指示をしたのは」
「団長、の名義で実際は陛下。あんたフィレンスになんか伝言頼んでただろ、それのすぐ後に二人で話し込んでてな」
「……」
「まあ、俺はその後必要な事についてだけ教えられただけで、全部知ってる訳じゃないんだけどな。本名も名乗らないなんてどこの古種族かと思ったら」
「……それで口が堅いと主張するつもりならいっそ喋れないようにした方がマシだな」
 ユールは少し驚いたような顔をして、しかしすぐに元のような笑みに戻る。寄りかかっていた長刀を背に戻して、太い織紐を結びながらそういえば、と声を上げた。
「後少しでやる会議な、気をつけた方が良い」
「何かあれば押し付ける、その為だろう」
「ま、そこは任してくれないと、俺のメンツに関わるし? ……じゃなくて、俺が手出せない方」
 ユールは封書を取り出すとそれをヴァルディアの手元に軽く投げる。開いた中を確認すると数十人分の名簿、その大部分には下線が引かれていた。
「相手方、魔法院に集中して手伸ばしてる、おかげで護衛師団じゃ手が出しにくい。魔法院のお偉方もまさか自分が傀儡魔法にかかってるとも思わないから解除もできなくてな……協会とその関連の至る所に被害が出る」
「……それは予想か」
「そうならざるを得ないだろうって予測。院の中ではもう何かが動き出してるだろ、あそこは例外的に軍やら何やらに命令できるからな、陛下も何が動いているのか調べさせてはいらっしゃるようだけど、なんせ時間がない」
「完全な後手か」
「そういうこと。だからせめてもの用心はしとけってさ」
「役に立てば良いがな」
「立たせる事はできるだろ? それじゃ、基本近くにはいるけど、何かあったら呼んでくれ」
 藍色の姿が一歩下がる、その最中にユールが何かを緩く投擲する。ヴァルディアがそれを空中で捕らえて見やれば、火の灯された明かりの光を受けて虹色に輝く水晶の首飾り。
「……長官」
 クラリスの呼びかけには頷く。それで彼女は軽く礼をして執務室から出て行った。それを見送ってから、細く息を吐き出す。
「……とりあえず一つ仕事が増えたな……」
 もし会議の期間中にユゼに会う事があれば、半殺しにしても気が済まない。




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