最後の段から煉瓦の敷き詰められた床に降り立って、そうして長官と呼びかければ、上向けた掌の上に炎を舞わせていた彼はすぐにこちらに気がついたようだった。円を象り何かの模様を描いていたらしい炎が掻き消されこちらを一瞥した金の眼は、すぐに周囲の子供たちへ向けられる。
「そろそろ時間だ、続きは今度だな」
「えー長官さま来たばっかりなのに!」
「悪いな。また来る」
 手を伸ばして長官は言った子供の頭をぐしゃりと撫でて、それで肩を叩くように押して促せば、何人も彼の周囲に集まっていた子供達は名残惜しそうにしながらもぱたぱたと賑やかに駆け去って行く。見送った長官が壁から背を離したのを見て、エクサが小さく笑った。
「好かれてるな、相変わらず」
「何故か、そうらしい」
 どこかへと駆けていく子供達の方へと眼をやって彼は言う。その視線を追ったフェルは小さく首を傾けた。自分よりも小さな、恐らくは十歳も行かないくらいの子供達。どうしたのだろうと思っていると、その眼の先に気付いたのだろうヴァルディアが金をそちらに向けた。
「幼年学校で見かける事の多い子供達だ。顔を合わせる事が多くてな」
「幼年……って、読み書きとか、計算とかの、ですよね」
「そうなるな。本来は神殿の管轄だが、蒼樹の学院に場所も近い。学院の教師達を脅すついでに様子を見に行く事も多い」
 行くか、という声と共にヴァルディアが扉の外に足を向けたのを見やり、その後に続く。彼も馬車の昇降を見ていたのだろう、それについては一言も無い。
 塔の扉の外は高い天井のある、横幅も広い大通りのようになっていて、その真っ直ぐ進んだ先にはもう一つの門。開かれたその先が地下だというのにいやに明るいように見えるのには、ただ不思議だと眼を瞬くだけで視線を向けるだけ。そこに向かっているというのは解ったから、なら行けばわかるだろうと思って周囲へと目を向けた。
 広い廊下のような、ここに降りてくるまでの間に見たのと同じような雰囲気の道だ。両脇の壁が煉瓦とタイルで綺麗に飾られている様子を視界に収めながら、今度は意識して先導する彼の外套の袖の端を握ったが、やはりというか振り払われはしなかった。橙色の灯りがあちこちで灯って明るい中で、エクサが何度目かその様子を見て、そしてふむと小さく声を漏らす。
「……フェルは、ヴァルディアとはいつ会ったんだ?」
 言われて、フェルはすぐ横を歩いていた彼を見上げた。エクサは横目をくれた一人には敢えて何も言わずに、瞬いた紅には軽く首を傾げてみせる。
「協会に来てからではないだろう、初めて会ったのは」
「あ、と……」
 いつだったか、それは明確に記憶している。何故かこの長官と、当時は黒服だった彼と初めて顔を合わせた時の事はよく憶えているのだが、それを言ってしまって良いものか。確かに既知である事は隠しもしていなかったのだがと言葉に詰まって、それで結局金を見上げれば見上げた先で溜息の音。
「……そろそろ方便くらい自由に扱えるようになったらどうだ、フェル」
「え、……嘘ついて良いんだったらある事無い事色んな過去捏造しますけど、ヴァルディア様の」
 即座に手が振り払われた。そのまま早足に距離を開こうとするのに慌てて手を伸ばしてもう一度彼の外套の背を掴む。片腕は荷物を抱えたままだから良いとしても、もう片方が空だとどうしても落ち着かない。肩越しに振り返った眼にはわざとらしく視線を泳がせていると、後ろから慣れた声が降りかかった。
「なんか兄妹みたいだよなぁお前ら」
 思わず足が止まる。止まったのはヴァルディアも同じようで、揃って振り返った先に蒼と青。セオラスは何事も無かったかのように片手を上げて手を宙に泳がせながら歩を進めて、そして一様に振り返り動きを止めた金と銀を見て、何故か感心したような表情を作る。
「……すげえ顔してんな二人揃って」
 言われた刹那に眼を見張ったままのフェルと眉根をきつく寄せたヴァルディアとが揃って顔を見合わせる。次の瞬間には視界に何かが飛び込んで小気味良い音と共に額に衝撃が走り、フェルは思わず握り直したばかりの手を離してそこを押さえ背を丸めた。
「――ッ、にかいめ……っ!!」
「正確には一回と一回だ、最初のは殴った」
「暴力で解決しようとするのやめませんか!?」
「それが仕事だろうが。魔導師に何言ってる」
 やはり涙眼になっても見上げて睨みつけようとしたフェルにヴァルディアはにべもない。すぐ後ろに立ったエクサがそのフェルの背中を宥めるように軽く叩いて、そしてセオラスは深く息を吐き出したヴァルディアに眼を向けた。
「そんなに嫌か、フェルと兄妹」
「……あっちの反応を見てればわかるだろうが」
「私お兄さんならリア先生とかが良い……」
 いつの間にかエクサに抱きつくように縋ったフェルの小さい声が落ちる。ヴァルディアはそれに隠しもせずに眼を細めて、そして剣呑な色さえ浮かべてセオラスを見やった。
「……セオル」
「……お前の口からそう呼ばれると鳥肌立つな」
「お前に自殺願望があるとは知らなかった」
「そりゃそうだ、言ってねえもん」
 金と青の間に沈黙が落ちる。雪にも増して吹雪のようだとエクサがそれに息をついて、それでも何も言わないまま外套を握った青銀を撫でた。胸元で俯いたそれに小さく笑う。
「そんなに痛かったのか?」
 宛てがった手に燐光を灯す。軽い、治癒とも言えない小さな魔法を施せば、青いその中でようやく額から手を離したフェルが気まずそうな表情を浮かべているのが少し乱れた髪の隙間に垣間見えた。疑念を浮かべれば、すぐに気付いてか頭を振る。どこかせわしなく前髪を整えるのには少しだけそれに手を貸して、そうしてからまだにらみ合いながら低い声で何事かを言い合う二人に眼を向けた。
「ヴァルディア、あまり待たせるものでもないだろう、行かなくていいのか」
 途端に舌打ちが響く。そのまま即座に踵を返した金が通路の先へと向かうのを見て、青銀が慌ててその後を追った。少し距離を置いてその後ろから二色を見ながら足を踏み出し、エクサは隣の青と蒼に横目を向ける。
「……何をしてるんだ、お前は」
「いやー若人見てると時々遊びたくなるんだよ。あいついちいち反応良いしな」
「人で遊ばないでくれ、一応年功も気にしているらしいから、何かあったらその分が全部俺とかもっと若いのに行くんだ。やめてくれ」
「それ本人に言わねぇ?」
「言って直るか? お前の方がまだ望みがある」
「諦めるなよ若人」
 息をつく。それで断ち切ってしまって、そうしてから先に行く二人へと眼を向けた。青銀は金を見上げていて、何かを言い交わしている様子に見える。金は珍しくそれを無視もせずに応えているようで、その様子にはふむと声を落とした。セオラスもすぐに気付いて面白そうに口元に笑みを浮かべる。
「へえ……飼い馴らしてるなぁ」
「どっちがだ?」
「両方。あの状態で普通に会話の相手してるし、もう片方も迷わずくっついてったみたいだし」
 どこで知り合ったんだか、と蒼は小さく零した。結局先程の問いは流れてしまったかとそれで思い出して、エクサはもう一度二人の背を見やる。その向こう側には、長い回廊の終わり、大きな扉がようやく見えた。気付いて見上げたらしい一人がその扉の先の風景にか声を上げるのが聞こえて、そのすぐ隣の金が同じように回廊の屋根の先、高い地下の天井を見上げてああ、と声を零した。
「今日は下は晴れか……」
「えっはれ、え、」
 疑問の色すら抜け落ちた声をあげてフェルはまたそれを見上げた。地下のはずのそこは灯り等必要がない程明るく、低い建物の屋根の上には天井があるはずなのに、見えるのは青い空と雲だけで、土や岩の色などそこには一つもない。陽が見え地面には影が落ちる、冬の空、晴天。
 これはと長官を見上げれば、ヴァルディアはよく見てみろとその青を視線で示した。
「幻術の一種だ、作り出した風景を壁を天井に投影している。灯りに火を使えば燃料や空気の問題もあるから、その代わりでもあるが」
 言われて改めて眼を向ける。よくよく注視すれば、確かに彼の言う通り所々に構築陣が見えたが、それも全体が視認できるわけではなくごくごく一部、線の幾つかと文字が幾つか見えるだけ。地下の規模がどれほどのものかは分からないが、冬には家畜も下ろすと言っていた事を考えればかなりの広さのはずだ。そんなに大きな場所を覆いきるような、しかも時間や日で形を変えるような幻術を生み出す魔法があるのかと思う間に、長官に軽く手を引かれて、煉瓦の敷かれた道に踏み出した。
「構成魔法の事は?」
「……あんまり知らないです」
 ごくごく自然に手を繋がれて歩き出した事に驚きながらも、抵抗するでも無く問いにはそう答える。嫌な感じはしない、むしろ袖を握っているよりも落ち着くとは、流石にこの人を相手に口には出せないが。
 代わりに構成魔法、と、口の中で呟きを落とす。戦闘に関わるような魔法や、知る機会のあった傀儡式は詳しくとも、それ以外の魔法については熟知しているわけではないどころか知らない事の方が多い。
「都市構成魔法、ですよね」
「ああ。都市の構造そのものを構築陣に見立てて写し取って、技師がそれに書き加えていく事で組み上げる巨大な魔法だな。この街の雪を防ぐ結界も構成魔法の一部だ、この空もだな」
「そんなに色々出来るんです?」
 基本的には、どんな魔法であろうと一つの構築では一つの効果しか導く事は出来ない。せいぜいそれに付随する効果を持つかどうかといったところで、結界と幻術とといったように全く別の効果を引き出せるようなものではない。はずではと、疑念を浮かべれば、ヴァルディアは軽く肩をすくめてみせた。土埃の立たない程度に整えられた道を曲がる。人の姿は、地上に較べれば少ない。
「私もよくは知らない。技師に任せているからな」
「技師……」
「構成魔法に特化した魔法使いだな。錬金術死や工学師に近いらしいが、それも良くは知らない。構成魔法の構築の特殊性については伝え聞いているが、実際に目にした事も無い」
 眼を瞬く。その反応も分かっていたのか、ちらと横目をくれた彼は、道の先を示すようにしながら続けた。
「門外不出だそうだ」
 構築も技術も。そう続けるのを訊きながら示されたその先を見やれば、周りの背の低い建物の中では少しばかり見上げるような、綺麗な白壁の一つが見えた。



「お待ちしておりました」
 厚い木の扉の前に立った一人が敬礼とともに声を上げる。左に蒼の腕章、腰に剣があるのを見れば警備隊の一人だろうとは分かる。すぐに敬礼を解いた彼は中へと門を押し開いて見せて、それを見てセオラスがエクサの肩を軽く叩きながらヴァルディアを見やった。
「一応見てくる」
「分かった」
 会話にしては短すぎるそれを終えて、二人は来た道を引き返していく。どうしたのだろうと思っているうちに長官は門の中へと足を踏み入れて、繋いだ手に従ってそれに続いて門を潜れば丁寧に敷かれた石の道が真っ直ぐに延びている。その先には珍しく飾り彫りの施された扉と、そのすぐ前には少し前に見た一人。すぐに気付いたシュネリアもすぐに握った片手を方に当てた。
「お待ちしてました。隊長は部屋にいます、色々出払ってるので整頓は少し足りないんですが」
「気にしない、急だからな」
「有難うございます、と……あと、えーと」
 紺の眼が紅を窺うように見て、向けられたフェルは眼を瞬いた。ヴァルディアもそれに倣うように青銀を見下ろして、そして何故か視線をどこか別の方向に落としてああ、と呟く。何がと二人を交互に見上げているうちに、唐突にシュネリアの手が荷物を抱えていた片手を握った。驚いて見上げればにこりと笑んだ顔。
「地下来るの始めてなんだよね、色々知っておいた方が良いと思うし一緒に回ってみない?」
「……は、えっ?」
 唐突なそれに思わず間が空いた。そうしている間に促すように手を引かれる。ヴァルディアと繋いでいた手が離れて落ちそうになった荷物を抱え直して見やれば、彼女が向かうのは門の方向。
「私はもう今日は上がりだから、この時間に帰っても師匠にこき使われるだけだし」
「あ、え、あのっ」
 でも、とヴァルディアを見やる。気付いたシュネリアは一瞬止まって、すぐに何かに思いついたように長官を見上げて、そして言い放った。
「お借りします!」
「……あ、ああ……」
 そのどこか面食らったような返答を聞くや否やにシュネリアは身を翻していた。引かれた腕を振り払うという事も思いつかないのだろうフェルはそれに簡単に引き摺られていって、見送る間もなく門の外へと出た二人の姿は見えなくなる。声もすぐに聞こえなくなって、それでようやく眼を離した。
 金の髪を軽く掻き混ぜる。息をついてから目の前の扉に手を掛けて把手を引き、人の気配のほとんどしない詰所の中へと足を踏み入れた。出払っているというのはそうらしいと、すぐ脇の広間が無人なのを横目にしながら廊下を進んで階段を上がり、幾つかの扉の前を素通りして、一番奥のそれを軽く叩く。
 ややあって低い声が聞こえて、それで押し開けば机に頬杖をついた一人と、そのすぐ近くにもう一人。顔が見えた瞬間にそのもう一人の方が思い切り苦い表情を浮かべた。
「……ぅげ」
「…………」
 ヴァルディアは沈黙で応える。藍色の制服を着崩してクロークも上着も取り払った格好のそれに、間を置いて溜息を吐き出した。
「……師団も暇だな」
「……俺はフェルにあんたが付いてるからって言われたんだけど」
「私は保護者か?」
「似たり寄ったりだろそんなん、教師も護衛も」
 藍色、第二部隊の七席のそれには再び溜息を吐き出す。面白そうに二人の様子を見ていた方、地下隊の隊長はそれににやりと笑った。
「なんだ、知り合いだったのか」
「不本意ながらな。好き好んで密売組織の次期総帥と友人であろうとは思わない」
 空いていた椅子に勝手に腰掛けながらヴァルディアは答える。スフェリウスの方は視線を彼方へと泳がせていた。泳がせながら、口は動く。
「国には協力してっし……」
「ここ数年はな。警備隊に物資が行き渡るのは有り難いが、横流しは困る」
「してないだろ最近は」
「出来ないだけだろう、この街ではな。おかげで国庫から報奨金が来た」
 やだもうと呻いた彼が完全に背を向けて椅子の上で丸くなる。大きく息を吐き出したヴァルディアには笑って、そして頬杖から体を起こしたもう一人がさて、と口を開いた。
「で、元気なのか、姫さんは」
「……その話をしに来たわけじゃない」
「似たような話だろ、丁度だしな」
 言いながら差し出された書類を受け取る。かなりの枚数、一枚ずつに名前と性別、年齢が記され、その下には詳細が書き連ねてあった。殆どが女性、年齢はばらばらでも、一定の枠に収まっているようにも見て取れる。
「……被害者か」
「の中でも、死亡した二十七人だ。実際はもっと多いだろうな、行方不明者は五十人を越えてる。街の外までは、流石に捜索できない。警備隊の権限を越える。商人達の荷は確認してるんだけどな」
「おい、犯罪者」
「俺が指示したのは『この街じゃ稼げないから他所でやれ』ってだけですぅー三ヶ月も前の話ですぅー」
 横に声を向ければすぐに返ってくる。眼を向ければ、地下隊長も肩をすくめる。
「ま、人身売買ってのも無いとは言えないがな。グラヴィエントの傘下は多くても、全部が全部ってわけじゃない。組織の体を成してないのの方が多いだろうし」
「最初の被害は、……先月か、年明けからすぐだな。目星はついてるのか」
「全然。魔法使いの隊員が少ないのと、調査の魔法を使える輩がいないのとで、殆ど情報も集められてない。『異種』に死体は荒らされるし、当然目撃者もいない。割と手詰まりだな、協会がやってくれんなら早いだろうが」
「……人による人への被害は権限の外だ」
「だろ。だからまあ、情報の共有ってか、何とか治安持ち直させてくれ、ってのが警備隊からの要求」
「……言われてもな」
「グラヴィエントとしても蒼樹が荒れんのは不本意だろ、なあ」
「おれはきよらかなおつきあいをきぼうします」
「分かった。レンド、捕縛しろ」
「自首じゃねえよ!?」
 背を丸めていたスフェリウスが跳ね起きる。書類を捲って一つ一つを確認していたヴァルディアはそれを見やって、は、と、息だけで笑った。眼を細め、睥睨する。
「犯罪者が罪も償わずに、それで善良な市民と同等だと?」
「……あんたのその顔どう見ても『善良』じゃねえよ」
「上等。舐められるよりは良い」
 書類に眼を戻す。少しの間考える。地下隊長、レンドは、その様子を見て何度目かにやりと笑った。
「……まだクラリスもロードも居るんだろ。地上も地下も、情報全部纏めて伝達する。それで良いな?」
 黄金の色をした眼がその言葉に上向く。視線が合って、そうしてからヴァルディアは、静かに息を吐き出した。




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