蒼樹はあまり、医務室が人気ではないらしい。
「行けば医術師はいるんだけど、中々なあ……」
「でもちゃんと直さないと、何日も響きますよ、それこそ任務にだって」
「それは解るんだけどな。相方が手当してくれるし、……あと薬苦いし」
「……飲ませますよ」
 上着から袖を抜いた左腕、そこに包帯を巻きながら目だけで見上げて睨みつけたフェルに、大人しくソファに座ってされるがままのロードは小さく呻いて視線を泳がせる。白い制服の腕には酸化して黒くなった血の跡が残っていた。彼は協会騎士の中では珍しい重騎士と呼ばれる部類で、鎧と盾を携えて仲間を守ることに特化した騎士だ。本来なら軍に多い種別の騎士、協会では『異種』相手の戦闘速度についていけないことがほとんどだ。クロウィルも重騎士に数えられるが、彼の場合は種族特性に起因するため特殊である。
 フェルはその彼の脇腹の傷の処置を終えて、巻き終えた包帯の端を丁寧に折り込んでから溜息と共にテーブルの上の書類束を持ち上げた。紐で括られて簡易な革表紙の付けられたそれは、医務室と共用している負傷、治療の記録簿だ。万年筆を拾い上げて日付と処置の種類、使った薬の種類を書き込んで、最近の記録を遡る。
「……負傷率上がってますね……」
「任務の質が上がってなぁ。アートゥスも疲れてるみたいだし、ちょっとここいらで休み貰うさ、流石に疲れもあるしな」
「そうしてください。……処置の治癒が的確だったみたいですから、全治三日ですね」
「そんなにか?」
「脇腹は出血が派手だっただけですけど、腕の方は筋まで切れてますから、三日で一応動いていい、って程度です。医務室の方から長官に情報回るでしょうからしばらくは出してもらえませんよ」
 ロードはそれには頭を掻いて大きく息を吐き出した。脇で見ていたベラが、ちらとそれを見遣ってすぐに目を逸らす。
 蒼樹は、年齢の話を表沙汰にはしない空気が強い。それはフェル自身にも降り掛かった事だからそうだとは知っていた、だが、本当の理由は別なのだともすぐに解った事だった。この協会には、適正と言われる年齢を大きく超えた所属者が多く在籍している。皆それをわかっているから、どうしようもないそれに関して何かを言い募るような事をしないだけだ。老いに対してのその態度が、若さに対してもそうなのだというだけの事。
「……アートゥスさんは?」
「あそこで寝てる、いつも通りだな。後ででも一応診てやってくれるか」
 ロードの指し示したのは彼の背の側の方向。離れた位置に据えられた一人掛けを見れば、屋内でも中々フードを外さない魔導師が珍しく頭頂から髪を晒して目を閉じているのが見えた。傷は無いらしいがというそれには、では道具は出して置いたままにしようと思いながら頷いて、それでフェルは書類を閉じる。分厚いとは思っても口には出さないで、テーブルの上に戻してしまう。
 任務から帰ってきたロードが医術師を探す時に、医務室ではなく談話室の面々に声をかけるのはいつもの事だ。だから大概はこの談話室の本棚の中に彼の治療歴は置いてあるし、医術師の資格を持つ黒服達もそれと知っている。フェルは書類の代わりの別の一枚を取り出して、書式に従って幾つかを書き付けながら口を開いた。
「お薬出しておきますねー」
「まじかああああ」
「これは医務室でもらってくださいね、好き嫌い言わずに。調合の人が上手なら苦くは無いですし、苦かったら牛乳とか味の濃いので飲んでも問題ありませんから。でもお酒は駄目です」
「了解……飲み薬って事は、表面はもう大丈夫か?」
「まだですよ。二日で塞がると思います、長引いたらもう一度見せてください。……無理に動いて開いたりだとか、中で出血とかになったら針と糸持ってきますからね」
「はい」
「はい、気を付けてください」
 この騎士は無茶をする、とも、医術師の中では知られていたらしかった。表皮が繋がったと思った途端に何をしたのか傷口を開いて帰ってきた時に、その様子を見たフェルが満面の笑みで煮沸済みの針を持って来た時からは、多少大人しくなってはいるが。もちろん無茶をしない患者にはそんな事はしないのだが、と、思い返したそれには溜息を吐き出して、それからフェルはロードを見やる。
「騎士は治癒の掛かりが難しくて、思った通りの効果を引き出せないんです。内側の事は薬と本人の治癒力に頼るしかなくて、だから絶対に飲む量ごまかしたりとかしないでくださいね?」
「わかってるよ。……騎士の治癒が云々ってのは、聞いた事はあるんだけどなあ。でも本人の治癒力ってどうしろって」
「食べて寝てください、ですね。騎士称号のおかげで、身体の再生能力は格段に上がってますから。一般人なら縫って閉じて一週間で塞がる傷が布当てて三日ですし」
「……それは、初耳だな……?」
 フェルは眼を瞬いた。自分が腰かけた三人掛けの向こう側、テーブルを挟んだ対岸の三人掛けに優雅に寝そべって手紙を広げていたらしいベラに眼を向ければ、彼女は指輪に飾られた手をひらりと泳がせる。
「たぶんそのあたり理解してる騎士なんか居ねえぞ」
「そうなんです……?」
「最古参がこの有り様だしな」
「有り様言うな。称号が名だけじゃないってのは知ってるけど、それ以上が説明される事がないんだよ、わざわざ調べたりもしないし」
「自分の事ですよ……?」
「いや、って言ってもな……」
「騎士の称号は呪いなんだよ」
 ベラが仰向けに体勢を入れ替えて口を挟む。通りかかったシェリンが注意の意味なのか額を突いていくのにはうめき声のような鳴き声のようなものをあげて、そうしてからようやく手紙を下ろして起き上がる。クッションに寄りかかるようにした黒い衣装には華美な装飾が施され、髪も細かく編み込みがされて結い上げられて、一見すればまさしくおとぎ話の『魔女』なのに、口調がこれだからとはいつだったかに誰かが漏らしていた。
「まあ、騎士見習いにそういう説明されてないんだろうな、してもあんまり関係ないのが大半だろうし。しなくても実害ないし」
「実害ないなら良いじゃねえの。呪いって言われると怖いけどな……」
「自覚してると少しは違うと思いますけど。騎士称号は人間が元来持つ魔力回路を完全に封じて、身体中に気が分散しないようにしてるんです」
 称号は名だけではない。でなければ全ての騎士にそれを与える意味がない。慣習としてでなく文化と制度として確立しているのは、そうする事に実利があると判断されているからだ。騎士としてある事に確実に利があるとされているからこそ、多くの場合には称号が与えられ、以って『叙任』としている。学院や学校の場合では卒業と同時の叙任式の場で、そうでない場合には従騎士からの昇格の儀式に於いて。
「人間の持てる魔力の総量って人によって上限が変わるんですけど、人体を構築している氣の総量は変わらないんです」
「へぇ……どんな?」
「六百」
 ベラがテーブルの上から白紙の便箋を探しながら言う。フェルが箱を開けて二枚程を差し出しながらその後を継いだ。
「頭、右腕、右脚、左脚、左腕、心臓に百ずつ、ですね。頭の……」
 言いながらフェルは右上の少し上、こめかみの少し後ろあたりに指先を当ててみせる。
「このあたりに、人体の構成を保つ期間があるんですけど、ここから血に溶け出して全身に巡るんです」
 人間の門、と呼ばれる。魔法が持つ門と同じように、生命の基底となる部分だ。氣は脳から、その氣を運ぶ血は心臓から送られる。
「頭から右腕に、って順に回るんだな。で、心臓に辿り着いた氣はそこで完全に減衰して消滅する。脳が損じて身体が動かなくなったりは、この門が損じて、それで作れる氣の勢いが減じてるんだな、だから心臓に辿りつく前に減衰する。あるいは血の流れが悪くなって届かなくなったりしてるわけだ」
「この氣の巡りが左腕からになったりすると利き手が左になるんです」
 他にも色々とあるのだが、しかし細かいことは措いて、とベラはフェルから受け取った白紙にさらさらと何かを書きながら、一度手を止めて目を上げる。右手と左手を見比べているロードにはその右手を指し示して見せた。
「騎士称号はその脳の門を閉じて、手足に巡る流れを遮断して心臓に新しい門を作る。氣は心臓で消えるけど、その時にどういう感じになってるか……まあ磨耗してる程度とかで、内臓の機能が変わるんだけどな、心臓で作って心臓で消化するから磨耗も何もないんだよ。氣の総量が変わるわけじゃないから手足の方まで動かすには不足ないし、しかも出血で失われる氣も少ない」
「……つまり死ににくくなる?」
「簡単に言えばそうなるな。あたしとか、フェルみたいな純製の魔導師だと逆。脳の門を活性させて四肢の回路を増幅させることで身体に溜め込める魔力の量を増やしたり、髪とかの本来回路を持たない部位に回路を作ったりする。瞑想とかする魔導師がいるのはその所為、回路広げるのって集中要るからな」
「だから出血、というか失血死の閾値が下がるんです。普通の人間よりもよっぽど死に易くなるんですね。騎士称号はそういうのを防ぐ目的があるんですけど、氣が生まれた瞬間に消えてしまうので、氣に訴えかける治癒魔法とか回復魔法の活動が抑制されちゃうんですね」
 医術師はそういった場合にも、魔法の力だけでなく薬草や、必要であれば外科的な療法も扱う。騎士の場合には称号の効果も相まって、結局は薬で心臓が行う氣の生成を援けたり、生まれた氣を一時的に患部に向かうようにしたりで対処するのが主となる。
「……それって結局害になってるんじゃ?」
「いや、治療する必要が減るんだよ。致命傷が治しにくいのは問題でも、そもそも白服が致命傷もらったらすぐ帰って来て本格的なところに叩き込まれるんだし。そのための帰還術式だろ」
「まあそう……なのかぁ? 帰還術式なんて使った事無いからな……」
「そういうところはさすがって事だよな、お前もアートゥスも」
「……私なんかはまだ術式の貸与もされてないからもうその時点でなんですけど」
 帰還術式は、移動に使う転移陣に行かなくともその魔法機構に割り込んで蒼樹に転移できるようにする為のものだ。見習いには、その術式が必要になるほどの任務は任されない。見習い、という肩書きはまだ外れていない。黒服の衣装を与えられ黒を名乗る事を許されても、熟練度に関しては別問題だ。それはもうまたの訓練の場と任務の成果で証明するしかない。
「どんな任務があるんです? 術式渡されてまで、って」
「……まあ、意味のない事だと理解をしていたとしてもそれでも剣を抜いて長官を斬りたい程度には殺意を覚えるような?」
「……想像力にも限界はあるんですけど、えーと、具体的には」
「だってお前『雷果』を騎士五人魔導師三人の八人で二体の討伐または撃退って言われたらどう思うよ」
 それは、と、フェルはゆっくりと視線を泳がせた。『雷果』は稀にしか出現しない、つまりはそう簡単には作られ得ない超高位『異種』の一つだ。交戦記録は乏しく、交戦を経験した者も少ない為に、未だに情報の集まらない種としても知られている。
「……あれ、というか、蒼樹で処理したんですか、二体」
「したなぁ。珍しく死人が出る寸前だったか、三回くらいは人を入れ替えて出直したりな」
「あれ本当死ぬかと思ったぞ?」
 後ろから別の声が聞こえて振り返れば、立っていたのはセオラスだった。腕に抱えている書類をすぐ後ろに来たところで差し出され、何かと思って受け取って見てみれば何かの名簿と報告書の束らしかった。フェルは書類と、ソファの背に両手をついて大きく溜息を吐き出したセオラスとを交互に見やる。何から訊こう、と思っている間に彼はよろよろと背を丸めたまま隣に腰を下ろして、そのまま流れるように黒い長衣の膝の上に青い頭が乗った。
「……んっ?」
「悪い限界寝る……」
「……えっ?」
「セオラスやめとけよ、殺されるぞ」
「えっ?」
 ロードが言うのにはフェルは書類を両手に持ったまま思わず彼を振り仰ぐ。セオラスは完全にフェルの膝を枕にして動かなくなっていた。何か書いているらしいベラが顔を上げて、おお、と何か感心したような声を上げた。
「すげえ。命知らずが居る」
「え、あの、私そんなに凶暴では」
「あーいやお前はな? 別のがな?」
「……別」
「……え、何、解ってない子?」
「やめてやろうぜこどもがかわいそうだから……」
「まずお前はれっきとした女子の膝枕で寝ようとすんな大人」
 ごろ、とセオラスの頭が転がる。フェルはつられるようにしてなんとなく頭を撫でた。ごろごろと転がるのを何故だろうかと思っていると、片手に持ったままだった書類の束がロードに攫われていく。目を向けて首を傾げれば、中を確認した彼がうわ、と呻くのが聞こえた。
「これお前全員見てたのか……?」
「クロウィルとな……参考にしてくれ……それより寝かして……」
「クロウィルはどうしたんです?」
「死んだ……」
 思わず紫がロードとベラを見やれば揃って違うと手で示された。体力切れだろとロードが言うのには安堵して、そうして差し出された半分を受け取る。
「学院生の実戦訓練結果の報告書。一応みといてくれ、学生がどれだけ動けないかは多少判るからな」
「……動けるか、じゃないんです?」
 言えば受け取ったそれを示される。それで中に目を通せば、二種類の筆跡。片方は見慣れたクロウィルのもので、もう片方の綺麗な筆記体はセオラスのものなのだろう。描かれた内容は、言う通りの実戦訓練、対人戦闘の訓練内容とその評価。目を通していくうちに表情が険しくなっていくのを見てか、ベラが書き終わったらしい紙をひらひらと泳がせて乾かしながら視線を遠くに投げた。
「まー学生は学生なりに頑張ってるんだろうけどな」
「それは、疑いませんけど……」
 二人分の評価は大部分についてが辛辣だった。訓練の内容自体は、白黒からしてみれば単純なものばかりだが、学生には難解なのか、あるいは評価の眼が厳しいだけなのか。ちらと膝の上の蒼髪を見落せば、やはり疲労なのだろう、もう反応は無く、一定の拍子で肩が動いていた。寒くはないだろうかとは思うが、まさか毛布もあるわけもないしで結局そのままになる。
 もう一度書類に眼を戻して中を見ていけば、二十人分のその中で一言でも「使える」と書かれているのは片手の指にも満たない数しかない。
「……学生の班わけってどうなってましたっけ」
「課程別に分けて上から順に。実力差ある分け方だと生存率下がるからな、そうさせてるって聞いたぞ。一斑が五人、剣士三人に魔法使いが一人ないし二人」
「剣士複数の戦闘の方が、学院は慣れてるんですよね」
「だな。反面魔法使いとっていうのは苦手なのが多い」
「……じゃあ、」
「熱心なのは良い事だけれど」
 言いかけた時に声が割り込んで、こつ、と頭に何か当たる感触。振り仰げば、シェリンがマグカップを差し出してくれながら苦笑を浮かべていた。
「そんなじゃ休憩にならないだろうに」
 う、と、言葉に詰まる。マグカップを受け取るのと代わるように書類束がさらわれていってしまって、シェリンはその束でロードの頭を軽く叩いた。
「良い大人が疲れてるのをこき使うんじゃない」
「あー……」
 ロードは曖昧に眼を泳がせているうちに彼の手の中からも残りの半分をさらって、シェリンはそのまま空いている一人掛けに腰を下ろしてしまう。書類はその彼女の前、テーブルの端に積まれて、フェルは小さく苦味の混じった笑みを浮かべた。
「そんなに疲れてるわけでもないんですけど……」
「自己申告が信用ならないからねこの教会は。だから他人に言われた事には逆らわないんだよ、フェル」
「……はい……」
 信用ならないと言われてしまえば言い返せない。何故かこの騎士の言葉は時折重く感じられて、そんな時はどうにも何も言えなくなるのが常だった。どこかで似たような感覚を覚えたような気もするのだが、上手く思い出せないままでいる。
「それで、名前の話は終わったのかな?」
「あー。まぁ多少は理解したと思う、んだが」
「……今でこそこの国の騎士制度も形になってきているとは思うけど、キレナシシャスはどうしてこう、特化したがるのかな。座学をやらなくてどうするんだ」
「いや、やってはいるんだよ。……忘れてるだけで」
「それはやっていないのと同義だと理解して言っているのだよね最古参」
「脅すなよ推定最年長……」
 フェルは首を傾げる事で疑念を形にした。それを見てか、ああ、とシェリンが声を漏らす。
「そうか、言ってなかったね。私はエルドグランドからの移民でね、ホルス=コドの血筋なんだ。直系ではないから傍系のリファン=コドだけれどね」
「エルドグランド……剣の大国の?」
「ここではそう言われているみたいだね」
 キレナシシャスとは大陸を別にする、海を越えて南西に位置する剣の大国がエルドグランドだ。魔法技術に傾倒していたキレナシシャスとは、古くは敵対関係にあったが、ここ数百年は強力関係にある。キレナシシャスの騎士という存在は本来はエルドグランドで生まれたもので、エルドグランドでの魔法使いも同じようにキレナシシャスから持ち込まれたものだ。
「あちらにも協会はある、とは聞いてますけど……」
「あるにはあるけれど、やはりこちらほど発達はしていなくてね。お祖父様がこちらに渡って長いから、こちらに来たんだよ」
「へぇ……」
 いろんな人がいる、と、何度となく思った事を繰り返す。移民とはいうが、そんな様子には見えないから、きっと渡ってきて長いのだろう。思考がそう辿るのをそのままにしながら、別の疑問は素直に声にしてしまった。
「ホルス=コドが森を離れる事は珍しい、って聞きますけど……」
「……あれ、聞いてないかい」
「何をです?」
 眼を瞬かせる。言葉の通りの仕草を示したフェルに、シェリンも同じように両の眼を瞬かせた。
「……北の長官が双子だって知ってるかな?」
「あ、はい。お二人ともお会いした事あります」
 北の長官、フィエリアルは双子の兄で、弟のレスティエルは王立図書館の本館館長として日々各地の魔法使いが作り上げた魔法の審査と統括に追われる人物だ。数年前に一度顔を合わせて少し話した程度だったが、あの好々爺としたフィエリアルと同じ顔なのに冷徹とした声音だったのを覚えている。
 思い返している間に、シェリンは何かを面白がるような表情へと色を変えていた。
「……時に、フェルは系譜とかは気にする方かな?」
「いえ、全く」
 気にしなければならない場合が多すぎる所為で若干嫌いになりつつある、とは正直に言い切った。親子関係ですら自分には遠い気がするのに家と家の繋がりやら歴史やらを見るのも嫌だったのが最初だとは声にはしなかったが、だがそれを問われた理由が分からない、とは疑念を浮かべた。
「……系譜が絡む事、です……?」
「いや? ただ、その紫樹長官の双子の弟のレスティエルが私のお祖父様で、この蒼樹の長官の後見をしているのがお祖父様だっていうのは知っていた方が楽しいかなと思って」
 にっこりと笑うシェリンに、聞いていたフェルは絶句した。
 後見とは、多くの場合には養子縁組を示す。貴族家でない場合には尚更だ、サーザジェイルがエジャルエーレの縁者であると名乗る事とはわけがちがう。――それに、それならば。
「そうなるとヴァルディアが義父になるんだけどねぇ私にとっては」
 はは、と笑う彼女のそれがわけもなく衝撃だった。マグカップをセオラスの頭に落としてしまわないように両手でしっかりと支えている事を何度か確認してから、硬直した思考をゆっくりと動かしていく。
 マグカップの中身はホットミルクだった。美味しい、小さい一口の後に思って、息を大きく吐き出した。
「……すっごく心臓に悪いですそれ……」
「はは。私も長命種族だから、養子の親子関係は気にしていないのだけれどね。それでも知っておいた方が良いよ?」
「なんでです……?」
「さて、なんでだろうね?」
 問いかけには謎かけのように問い返されて、フェルは今度は唇を尖らせた。横で聞いてたロードがお前と呟くのにもシェリンは笑みしか返さない。それを見て、それで別の既視感に合点がいった。
 彼女はフィエリアルに似ている。どこか飄々とした風なのも、言葉の重さも。教師めいていて、嫌味がない。やはり血なのだろうか。
「……あ、れ」
「うん?」
「……フィエリアル様とレスティエル様ってホルス=コド……ですよね?」
「だよ。最近はそれが当然になってて忘れ去られてる、ってぼやいてらしたけれどね」
「も、申し訳ないです……」
「良いんだよ、長ければ千二百年を生きる種族が人の形してるのが化物じみてるんだから」
 お前だってやろうと思えば千年越えるだろ巨樹一族、とは横からロードが挟んだが見事に綺麗さっぱり無視されていた。緑に属する種族はやはり長命が多いのだろうなと考える事にする。そのまま、改めて口を開いた。
「ホルス=コドって、先祖返りはしないんです?」
「しないみたいだねえ。他の種族が混じると、樹がいくら強く出てもリファンが限度だね。私はホルス=コドにファフタとヒトが入っているから、実質五世くらいは薄まっているんだよ。他の種族の混血ともまたちょっと具合が違うみたいだから、そのあたりは大伯父様がよくご存知なのだけれど」
 種族の混血は複雑だ。種族特性を持たない事が種族特性のようなもののヒトが人間の大部分を占めている中で、有特性種族同士の混血というのは珍しい。ファフタは風と光に属する蝶の種族だから、彼女の髪が金なのはきっとファフタの特性を継いでいるからなのだろうが、瞳が茶ということは確かにリファンの証でもある。風と土が混血すれば頑健な身体を持ちながらにしてひどく短命だという事も起こり得る。
「……そういえば、フェルの生まれは? ……訊いていなかったかな、と思っての事だけれど、答え難いなら流してしまっても構わないよ」
「ん、と。……そしたら、ちょっと秘密、ということで」
 苦笑を作りながら、唇の前に指を立ててみせる。『紫銀』が王族である事は知られているのだ、そうなればもう誰も生家の事など気にしない。『紫銀』はそういうものなのだという認識が広まっているから、逆に訊いてくれる事は有り難かった。どう足掻いても答える事が出来ない問いであったとしても。
「でも、種族生まれではないです。特性もないですし、これは隠しようがないですね」
「なるほどね。ベラはトーレだったっけ」
「そー。燃やす以外に脳のない一族」
「お前のは燃やすってよりも爆発の方だけどな火力馬鹿」
「爆発は瞬間的な燃焼だろ」
「程度の話を言ってるんだっての。騎士が同時行動できないからって一人で動いてんのお前くらいだかんな?」
「どうかなあとは思ってんだよ」
「思ってんなら行動しろ」
「本当だよベラ。もうちょっとは抑えてくれないと、たまに一緒になるユーリィが可哀想じゃないか」
「……この前燃やしかけた。すげえ怒られた」
「なんで身内殺そうとしてんだお前」
「なんかこー、なんてえの? 癖じゃないんだけど、感覚なんだよ、一番効率いいって判断しちゃうとそうしちゃってるんだよな……そういうのないか、フェルとか」
「……えーと、ごめんなさい、私戦闘に関しては紫旗で育ったので単独行動ほとんどした事ないです」
 急に振られたそれにフェルが素直に返せば、どうやら手紙を書き終えて封までし終えたらしいベラは頬杖の上できつく眉根を寄せる。なんとなくそっと目を外した。
 外したところで、そういえばと思う。猫はどこに行ったのだろう。テーブルの上にも、他の場所にもあの箱が見当たらない。
「……何で紫銀が紫旗に戦闘訓練させられてんの」
「あ、いえ、させられた、というか……」
 どこから話したものか。ひどく迷いながら、視線をあちこちに泳がせた。




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