応接室から廊下に出れば、見える外の景色は白一色で、陽は少し傾き始めていた。いつのまにかずいぶん時間も経っていたらしい。案内にと先導してくれるスフェリウスが肩越しに振り返る。
「そういや昼食ったか?」
「……あ、食べてないな今日。朝は食べたけど、フェルお腹空いてないか?」
「……すこ、し?」
「なら何かしら用意させるか」
 手を繋いでの紫青が言えばあっさりとそう言って、すれ違う侍女を呼び止めて二言三言交わしてからまた進み始める。行き違いの間際に目礼を向ければ微笑みで返されて、前からは面白がるような声。
「慣れてないのか?」
「あんまり……ディアネルに行けば次期惣領だからって厚遇はされるけど、召使いとか、あんまり身近じゃなくて」
「へえ、意外だな。あの感じだと全部囲い込みしてるかと思ったけど」
「全然。わりと自由にやらせてもらってるかな、母さんがまだ現役から退く感じじゃないのもあるけど」
 この人は、あまり他人に垣根を作らない人だ。馴染むのが早い、そういうところは総長に似ている。こっち、と示してくれたのは階段の上で、フェルリナードのゆっくりとした調子に合わせながらの声。
「にしては教育行き届いてるっていうか。三年も行商連れられたってのは前にも聞いたけどマジか?」
「ほんと。五歳からかな、正直最初の頃のことはあんまり覚えてないんだけど」
「今八だっけ」
「だよ。そっち、今十七だっけ?」
「そ。去年成年式して家業の手伝い。八なあ、それで紫旗の子弟かー色んな世界があるもんだ」
「グラヴィエントには言われたくないなぁそれ」
「そうか? 八の子供なんて普通使わねえぜ俺ら」
「そう言われた。けどグラヴィエントの方が色々、……本当の意味で色々やってるからなあ」
「なんだそりゃ。そんなに器用なとこじゃねえけどなー」
 器用というか手広いというか。思う合間にこっち、と、階段を上がってすぐの扉を引き開く。中に、と促されて紫青の手を引きながら扉を潜れば、一番に目に入ったのは曲線を描く巨大なテーブルと併せの椅子、そしてテーブルの上に無数の本の山と散らばった紙の山。
「……凄惨……」
「修羅場とかにしとけよせめて……魔導師の工房なんて大概こんなもんだぞ?」
「工房って、何するんだ?
「研究と開発」
 聞きながら見渡せば、壁には本が詰め込まれた本棚、別のテーブルには実験器具。想像と違うのは窓にかけられたカーテンが大きく開かれていて、特別に灯りを点さなくとも十分な光が室内に射し込んでいることだった。扉を閉じたスフェリウスが紫青の頭に手を置く。かいぐる。
「いいの見せてやる。こっち来い」
 紫が手の下からこちらを見上げてくるのには頷いてから繋いでいた手を離して、それから背を押して促してやればスフェリウスの長衣の端を握りながらこちらを振り返りつつ白の背に付いていく。苦笑は押し込めてその後ろからついていけば、別の部屋へと繋がる扉。開かれた奥に緑が見えて疑問符を浮かべつつ二枚目の扉を潜れば、天井と壁が全て硝子でできた温室だった。足元には土、軽い驚愕とともに扉を閉じて見渡している間に、スフェリウスはフェルリナードを抱えて芝生の上に腰を下ろしていた。
「屋内に温室ってすごいな……」
「んにゃ、外のと扉で繋いでるだけだ。ほら、そこ」
 指し示された方に目を向ければ壁と同じような硝子の扉。その向こうに見えるのが屋敷で、地面は地続きになっている。こんなこともできるのか、と思いながら目を戻せば、スフェリウスは抱えたフェルリナードの前に片手を伸ばして、何かの球根を掌に乗せていた。
「これ見てろな」
「うん」
「魔法はちょっと違うけど、精霊とか、氣っていうのは普段から俺たちの周りにずっとある。精霊は見えるな?」
「うん、みえる」
「よし、じゃあその精霊のこともよく見てろ。たとえば、これは花の球根だ。これが育つと花になる。ラーレの花だな。でもこのままじゃ育たない。土の中に埋まって、水を浴びないと育たない。ここまではわかるか?」
「……つちのなかで、そだって、でてくる?」
「茎と葉と花が出てくる。でも、魔法使いがこうやって精霊に話しかけて、力を貸してもらうと、だ」
 魔導師が言ってから、一拍あった。一拍置いて球根の突き出た先端から見る間に緑が顔を出し背丈を伸ばし、蕾のふくらみが一気に弾けて鮮やかな赤い器のような花弁に変わる。五秒もかかっていないように見えた、距離を置いた場所から見ていただけのそれに目を見張って、そうしている間に彼の声が続く。
「こうやって成長を助けてくれる。花だけじゃない、樹もそうだし、弱った土に力付けてくれるのもそうだ。人間も精霊と氣がないと、生きていくのは難しいな。身体が自然に釣り合わなくなって、自然の方が勝っちまう。そうすると負けた人間は死んで、それで終わり」
「……つりあわない?」
「自然が元々力が強いから、人間にはいろんなことをしてくる。それに負けないように出来ると、釣り合ってるってことになるな。ちょっと難しいか」
「……せいれい、と、さわれないの、は、だめ?」
「駄目じゃないけど、なんていうか……お前みたいに、見えてるのに触れないのは、ちょっと問題だな」
「もんだい」
「考えなきゃいけないってことだ。そうだな、話はできるのか?」
 問いかけに、紫青は中空を見上げたようだった。その合間にスフェリウスは自身の眼を片手で覆ってそこに小さく陣が見える。彼は自然に見える人ではないのかと思いながらも様子を見守っていれば、紫青の手がゆっくりと伸びて、しかし視線は中空を見たままその手が降りていく。できないか、という魔導師の声。
「……精霊側が、やっぱなんか事情知ってるか、勘付いてるかだな……」
「……不穏、って感じか?」
「まあな。加護が見込めない。喘息があるならこの先普通の日常生活が行えるかどうかも、ってところだな。今は沈静化してるから大丈夫だろうけどこれから行動範囲は広がる、一回倒れた後がまずいな」
 わざとわからないだろう言葉に換えれば、スフェリウスも同じようにして返してくれた。紫青は疑問符を浮かべていたがそれには彼が頭をかいぐって、話せるようにならないとな、と言うので誤魔化す。花開いた球根は紫青の両手に渡されて、それからスフェリウスは立ち上がる。花を見つめている紫青を一旦置いて距離を詰めてくるのには素直に顔を向けた。
「精霊眼と精霊のことは聞いたか」
「聞いてる。俺も一回見せてもらった」
「ああ。おかしいってより異常だ、紫旗の連中は?」
「悩んでるように見える。ヴァルディアさんがいくつか魔法見せたり、属性の話をしてたりはし――」
「クロ、」
 唐突にフェルリナードの声が聞こえてそちらに顔を向ける。見えたのは変わらず芝生に座り込んでいる紫青と、その紫青の周囲に咲き乱れた花々だった。
「……え、」
「クロ、……つち、もどしたら、……」
「……うっわマジか」
「説明」
「穏当感応現象って呼ばれてる、魔宝具を適切に処理しなかったり魔法を適切に処理しなかったりで現れる致命的な害を及ぼさない周辺への強い影響。球根に木の精霊の力を借りたからその球根を土に戻せば感応現象は起こる、でもここは俺の工房でここにあるのも全部俺の魔宝具みたいなもんだ、普通魔法使いでもない人間の行為一つで、精霊の力が介在したとはいえ魔道具相手に感応現象は起こらない。起こったとしても反発起こして致命感応障害だ」
「……つまり?」
「異様に精霊に避けられてるくせに精霊の力を自然に還元する力が異様に強い。魔法型だ、間違いなく」
 言ってからスフェリウスが紫青に大股に近付いて行って、腕に抱え上げる。芝生はよくよく見ればまだ変化が続いている、フェルリナードが座っていた空白にも茎が伸び葉が広がって花が咲いていく、それを見下ろした紫が、どことなく怯えるような様子で魔導師を見上げれば、彼はすぐにその頭に手を置いてぐりぐりと撫で回す。
「出来るやつそんな居ないぞ、すげえな」
「……?」
「怒ってないから安心しろ、な」
 はっきりと言い切るのに、それでフェルリナードはほっとした様子をありありと見せて、足元に降ろしてもらってからすぐにこちらに駆けてくる。こほ、と小さく咳を吐き出すのは大丈夫だろうかと思いながら脚にしがみついてくるのは好きにさせて、その間にスフェリウスが花畑に膝をついて周囲、特に中空を見渡しているようだった。少しの間様子を伺っているうちに、上着を引っ張られる感触に眼を下せば、紫がこちらを見上げていた。見返せば、白を一度見て、それからもう一度こちらを見上げて小さく口を開く。
「……だいじょうぶ……?」
「大丈夫。怒ってないだろ?」
「……うん……」
 疑い深いのかもしれない。なんとなくそう思って、すぐに違うかと思い至った。元々フェルリナードが使っていた言葉は嘘が通用しない、その違いを既に認識しているのだろう。共通語でならなんとでも言える、それが不安なのかもしれない。自分も隠しているものがある身の上で何が言えるのだろうと悩んでいるうちにスフェリウスが立ち上がって、手にいくつかの花を摘んで扉の方に手招いてくれる。
「ちょっと調べる、簡易にはなるけどな」
「何か分かるのか?」
「んーまあ色々」
 教えてはくれないのか、と思いながらフェルリナードの手を取ってもう一度扉をくぐる。そこで、と指し示された先には端に追いやられたソファがあって、器具が所狭しに並んでいる前で何かを探しながらの魔導師がそれと、と声を続けた。
「とりあえず触って危険なものはないから、破いたりしなければ勝手に触っていいぞー。フェルもな」
「……?」
「気になるのとかないか?」
 よくわかっていない様子で見上げてくるのにはそう聞いてみる。きになる、と反復して呟いた紫青にはそれ以上の動きはなく、それに笑ったのはスフェリウスの方だった。
「ちょっと待ってな……っと」
 言いながらテーブルの下、大きな抽斗の中をごそごそと探って、片腕で抱えられる大きさの箱を取り出す。取り出す時に色々なものがばらばらと落ちていくのは、たぶん、この人の性格だろうと思って何も言わなかった。手招く仕草が見えてフェルリナードの背中を押してやれば今度は素直に小走りで駆け寄っていく。腕の中で箱の蓋を開けたスフェリウスが取り出したのは小ぶりのカンテラで、無造作に差し出されたそれをフェルリナードが両手で受け取る。わずかな沈黙。
「……これ、なに?」
「ここ持ち手な、こうやって吊る下げて、で、暗いところの灯りにする。火じゃつけられないんだけどな、精霊に力を借りるんだ。灯り付けられそうか?」
 自分はソファに腰掛けながら、その会話を見守る。フェルリナードは持ち手を握らされたそれをもう片方の手で持ち上げて、興味深そうにじっと見つめている。スフェリウスと目が合えばに、と笑うだけ。それからしばらくして、やおらそのカンテラの胴の部分を胸元に抱え込むのが見えた。一呼吸の間も空けずにその袖の間から光が漏れているのが見えて眼を瞬いているうちに、フェルリナードはいそいそと持ち手を握り直して、白い光の灯ったカンテラをスフェに向かって突き出した。
「できた」
「よーし。今どんな感じでやった?」
「ん、……さっき、スフェが、精霊のを、借りる? って、いってたから、おなじに、おねがい、した。ひかりが、ここにほしい、って」
 スフェリウスがわしゃわしゃと頭を撫でて、ああ髪が崩れる、と思えば丁寧に手櫛で整えてくれるまでしてくれていた。それから魔導師の手が宙を一振りして、その瞬間に全てのカーテンが窓を覆う。洩れるはずの光も無いのは魔法の効果だろうか、その暗闇の中で唯一光を発しているのはフェルリナードの持つカンテラだけで、迷うようにこちらとあちらを交互に見やるのには、今度はスフェリウスが背を押してくれてこちらに駆け寄ってくれる。膝の上に抱えたところで扉をノックする音が聞こえて、スフェリウスが何事か言い交わして銀盆を受け取る。それをこちらに持ってきてくれるのには素直に礼を向けた。
「ありがと。これから作業?」
「ちょっと時間かかるかもだけど、手間取らなきゃすぐだよ、食べてて待っててくれ。フェルも、その灯り消えないようにな?」
「うん」
 カンテラの光は白い。火の灯ではない。なんだろうと思っている間に差し出された銀盆を受け取れば、牛乳らしきものの入ったコップが一つ、もう片方は紅茶。皿の上には小さなサンドイッチが品良く整えて並べられている。見上げてきた紫にはいいよと言えば、青菜の挟まったそれを一つ持ち上げて、片手でカンテラを支えながら、片手で四角いそれを口に運ぶ手つきに不安定なところはない。そう見てスフェリウスの方へと目を向ければ、彼も手元に小さな灯りを灯しながら何かの作業をしている。いや、手元の作業で光が発しているのだろうか、紫がかったぼんやりとした光。何を調べているのか、とは疑問に思っても、魔導師にそこまで訊くのもどうなのだろうと思えてしまってなんとも言えないまま様子を眺めるだけに留まる。
 不意に光が揺らいでいるように見えてカンテラを見れば、紫青も気付いたのかもう一度胸に抱えるように抱き込む。すぐに弱っていた光が元のように輝き始めるのを見て疑念が湧いた。魔法を使っている様子もない、本人がどうやればいいのかわかっている様子でもある。だがフェルリナードが言っていた「精霊の力を借りる」というのと「精霊には触れない」というのでは、矛盾するのではないか。思いながら、紫がこちらを見上げるのには苦笑して、自分も銀盆の上からサンドイッチの一つを拾い上げる。口に運べば確かに美味しい。そうして大人しくしていると、しばらく経ってからよし、と声が聞こえる。カーテンが一気に引き上げられて差し込んできた白い光に思わず目を眇めて、それでも陽も傾いてきているようだった。スフェリウスの方に眼を向ければ、その手には試験管と、作業をしていたテーブルの上には紫水晶のクラスターが見えた。暗くなる前には見えなかったような、と思っているうちに、膝の上から飛び降りたフェルリナードがそこに駆け寄っていた。
「スフェ、これ」
「ん。ありがとな、ちゃんと点いたままだな、よしよし」
「しろいの、なんで?」
「光の精霊が手伝ってくれたからだな。属性は、まだわからないか、見ただけじゃ」
「……色、たくさんなのは、わかる。でも、どこでわけるの?」
「んんー難しいなーそれは。おいおいな、でも近くにいて話聞いてくれたの、金色だろ?」
「……うん、ディアせんせいとおなじ」
「金は光の第一だからな。でも金色の光ってあんま見ないからな、光の第二の白になるんだ」
 紫青は疑問符を浮かべている。ヴァルディアに教えてもらえ、と言われているのには頷いて、カンテラを返そうとするのにはスフェリウスは今度はその手を抑えた。
「持ってな、役に立つから」
「……でも、スフェの」
「俺が魔法習い始める前に使ってたやつだ、精霊と仲良くなるのに良い練習になる。お前の氣を知ってもらわないとだからな」
 言いながら彼はテーブルの上からクラスターを注意深く持ち上げて、見るからに柔らかい布で何重にも包んでその上に陣を刻む。それを終えてからよしともう一度呟いて、それから銀盆の方を窺ったようだった。
「食べたか?」
「すっかり。フェルも」
「よしよし。そのままでいいぞ、じゃあ広間戻るか」
 結果待ちしてるだろうし、とどこかを見て言うのには、フェルリナードも自分も揃って疑問符を浮かべた。




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