「お、戻ってきたか」
「解析結果は?」
「ほいさ」
最初に気付いたのは総長で、すぐに問いを向けたヴァルディアに対してはスフェリウスが布で包んだ紫水晶を差し出す。それから黄金がフェルリナードの抱えたカンテラに気付いて、ああ、と小さく呟いた。
「適性は通過か」
「ってか、普通に魔道師級の精度と純度。修練通過できれば、だな、あれが一番きついだろ」
「魔道師にするかどうかはまだわからないがな」
受け取ったヴァルディアが言って、こちらには座るように示される。それでソファに腰を下ろして、カンテラを抱えたフェルリナードは母に手招かれて丁寧にその膝の上に抱き上げられていた。目元を撫でるように乱れた髪を整えて、寝かしつけようとしているのか、身体を凭れさせるようにして肩をゆっくりと撫でている。母にもだいぶ慣れているから大丈夫だろうと、カンテラをじっと見つめている紫青から眼を離してヴァルディアとスフェリウスの方を見れば、ヴァルディアが受け取った包みの上には何重にも重なった数字が空中に浮かんでいて、黄金の眼はそれを注視している。まだ声をかけてはいけない気がする、と黙ったままでいれば、総長の顔がこちらを向いた。
「スフェは支援型の魔導師でな」
「お、おう……?」
「支援型っつか、魔道師選定特化型魔道師。戦えはするけど最低限だし工学師ほど工作に長けてるわけでもない。同族探しと育成が上手いって言われてる、まあ器用貧乏だな」
「そんなのが」
「あるんだよ」
肯定は総長からあった。なおざりに息子を示して肘掛に頬杖をつく。
「んでまあ、うちじゃスフェが舎弟達の魔法適性なりなんなり見て配置決めしてる」
「ですから近年の魔法犯行が増加している、ということ。同盟者故に摘発出来ないのが悔やまれます」
「それ承知の上でって合意じゃねーか」
「ええ、ですから尚のこと。……如何ですか」
やっぱり破談になってたら完全に敵に回すつもりだったんだなこの人、と自分の母に向かって思っているうちに問いかけられていたのはヴァルディアだった。浮かぶ何かの文字を見ながらのその表情に僅かに険が浮かぶ。
「……確かに適性は高いが、どうやって?」
「本人の意思次第、だな。精霊たちが自分から寄ることはないが、フェルが呼びかければ喜んで協力する、って感じ。精霊に対しての姿勢を教えといた方がいい、精霊側で今度の紫銀は精霊に対して友好的だ、って風になるようにな」
「避けられている理由は?」
「双方に怖がってる、だな。たぶんだけど。それ作るのに協力した精霊何人か捕まえて話聞いた、一番具体的に出てきたのが『畏れ多い』だ。次に多かったのが『助けたいが自分には無理』で、少数が『怒りを買うのではないかと思った』だと」
「よく聴き出したな」
「それくらいしか得意ねーからな俺」
スフェリウスが言うそれの意味がわからないまま会話はそこで途切れてしまう。疑問はやはり晴れない、それから少しの間の沈黙があって、浮かんでいた文字が全て消え去ってからヴァルディアが持ち上げた布包が突如として消え去る。紫旗か、と思っている間にスフェリウスが総長を向いていた。
「で、話した通りだな?」
「ああ。こっちとしちゃ信用されてない証拠みたいなもんで、遺憾、なんだがな」
「ディアネルの全面の擁護を受けてもなお臣民にとってグラヴィエントが脅威である、ただそれだけのこと。たった三代のうちにそれほどまでの勢力の付けたことを喜びなさい」
「お前が言うかそれ。一代どころか二十年で世界でいちばんの商人職人団作っといて」
「夫の一族から望まれたことに応えただけ、勢力の強弱は瑣末なこと。スフェリウス殿、この子にはまだ味方が少ない。頼みました」
「おうよ。まあ俺も人質に取られる上にこき使われるだけじゃ割に合わねえからな、フェルと繋がりがちゃんと取れんのは歓迎」
え、と声を漏らした。スフェリウスはそれに肩をすくめて見せるだけ。すぐにその隣に藍色が姿を見せた。イースが総長に向けて口を開く。
「ではグラヴィエント総長ディフィリア殿、……いえ、オルディナ当主ディフィリア子爵、民草に対する不当な行いの代償として、嫡男スフェリウス卿は紫旗の許に拘留致します。依存はございませんね」
「王家の糾弾任されといて代償っていい方にゃ一言二言あるが、そっちのやることには異論は無えよ」
「総ては国王陛下の意の儘に。……とはいえ、対外的な名目です。紫旗の情報を提供する約定に変わりはありません」
「それが口先三寸じゃなけりゃこっちに文句は無えな。仕方ねえからしばらくは義賊もそれなりにやるさ、それなら文句ねえんだろ国王サマも」
「そのように聞いております。では、スフェリウス殿」
「りょーかい。じゃあ今後共よろしくなフェル、クロウィルも」
「……ごめん全然理解できてないんだけど」
「交換条件なのよ。グラヴィエントが暴走しないようにスフェリウスを紫旗に預かる、スフェリウスが知り得た情報は紫旗の機密であろうとグラヴィエントに共有することを許す。つまりディアネルにも」
「……それってやばくない?」
「信頼と受け取ってちょうだいな。陛下も理解なされた上でのご決断よ、宰相閣下もね」
そこまで聞いたところで扉が開く音。全員の眼が向いた先で、広間に戻ってきたのは公爵ともうひとり、杖に体を預けてゆっくりと歩を進める女性。
「すまないね、遅れてしまったか」
「気にしやしないさ公爵殿。ミュリー、無理してねえか」
「義兄さんは心配性ですね、大丈夫ですよ。痛み止めもよく効いて、これならずっと遠くへにでも出かけられそう」
振り返ってその女性を見上げたフェルリナードが母の膝の上でカンテラを抱えたまま身体を縮こませる。すぐに降りてこちらに駆けてくるのには抱えてやりながら大丈夫だと頭を軽く撫でてやっているうちに、女性の方が声をあげるのが聞こえて目を向ける。ふわふわとした茶髪に青い瞳。帽子は藍色に白い糸で縫いとられた刺繍、夫を失った女性のそれ。
「まあ、その子が?」
「ああ。エフェレツィス、ってこの家の中では呼ぶ。フェルリナードだ、系譜上お前たちの娘ってことになる」
「子を残せなかった私たちでしたから、望外の幸福ね。『グランツァ・フィメル』様、『グランツァ・フィーヴァ』様、ご事情は聞いて把握しておりますわ。その子を娘と呼ぶ無礼はお許しくださいな」
「構いません。コウハは一族が一家、一人の子に母が多いことも常なこと。それに増しても帰る家に母が在るのはきっと安堵となりましょう、『エフェレツィス』のことはお任せ致します」
「ええ、至らないことも多いとは思うけれど、頑張ります」
杖に身体を預けながら、ゆっくりと近付いてきたその人が紫青を覗き込もうとするのに、フェルリナードは逃げるように身体を引きながらも杖に気付いてかそれをずっと見つめている。それに気付いてか、その人はああ、と声を落とした。
「これ? 左足が悪くてね、上手に動かせないから、足の代わりなの。初めまして、フェルリナード。あなたがエフェレツィスと名告る機会は少ないでしょうけれど、気が向いたら会いにきてくれると嬉しいわ」
言いながら差し出されたのは右手。フェルリナードがそれにも動かないのを見て、それでその人は苦笑した。
「握手、っていうのよ。挨拶のひとつ。仲良し同士じゃあまりしないかもしれないわ、でも最初はこうしてくれると嬉しいわ。右手同士で、握り合うの。ひとに触るのは、怖い?」
声にならない様子を見て、ちらと母を見やればかすかに頷くのが見えた。抱きかかえていた手で肩を軽く叩いてやれば紫青がこちらを見上げて、それから女性を見上げる。右手を見て、それからそろそろと右手が伸びた。女性の差し出された右の指先を小さく握ってすぐに放してしまう。女性は小さく笑って、よろしくね、とだけ言って、それを見送ってから総長が口を開いた。
「弟の嫁の、ミシュリア=オルディナだ。弟が亡くなったんで、家はオルディナに入ってここに住むことになったが、グラヴィエントじゃあない」
「ない、じゃなくて、手伝わせてくれないのはそちらじゃないですか、義兄さん。あの人とって決めた時にはその覚悟もちゃんとしていたのに、見てるだけなんて」
「あいつの遺言だからなあ。縁切ってから初めての会話がそれだ、守らせてくれや」
「もう。お世話になりっぱなしじゃ申し訳が立たないわ。その分ちゃんとあなたのお母さん役はしないとね」
杖に体重をかけ直して、彼女はフェルリナードに笑いかける。圧されたように視線を落とした紫青が、しかし何かに気付いたのか視線を揺らして、それから素直に彼女の青を見上げた。
「……いたくないの?」
「え?」
「そこに、精霊、じゃないの、いる、から……」
そこ、とは、女性の左足のあたりを指し示して、それですぐにヴァルディアの声が聞こえた。共通語ではない、分厚い音の塊のような流麗な音。その言葉でヴァルディアとフェルリナードの間に何度かやり取りがあって、ヴァルディアがイースを見上げた。
「『隣人』だ。紫旗にルクスリヴェーズは?」
「……ルクス……?」
「神官のことだろ。男はルクスリヴェス、女はルクスリヴェラ。男女合わせてルクスリヴェーズ、相当昔の頃はそう呼ばれてた」
思わず上げた疑問にはスフェリウスが即座に返してくれる。神官、と言われて首を傾げれば、すぐに母の声。
「息子は長らくキレナシシャスに在りませんでしたから、神殿と神官には疎いもの。知らぬも不思議ではありません」
「ああそっか行商出てたんだったか倅は……キレナシシャスには神殿があるだろ、あそこで働いてる……なんて言えばいいんだあれ」
「神々に仕えてる、……だと、語弊あるんだよな。でもそうとしか言えねえってか……」
「……神官が何をしてるのか、って、知らないのよね……神殿にはよく行くのだけれど、水とか、花とかを運んでるのを見るばかりで……」
「ふむ……『ラクト』の子にも神使生はいないからなあ。王宮の中で、たまに見かけることはあるが」
母、総長、スフェリウス、ミシュリアに公爵が順に言って沈黙してしまう。自分は訳も分からずに疑問符を浮かべているだけだった。見上げてくる紫青を見下ろして、分からないのか、と言わんばかりのそれにさらに圧されて助けを求めて視線を彷徨わせて入れば、不意に小さく溜息する音が聞こえた。
「祭祀、供儀、渡りを司る者が神官だ。祭祀とは神々と神殿にまつわる儀式の遂行を、供儀とは神殿に捧げられた品を神々の手に渡るように備えること。渡りとは、神殿を異界と看做して神殿を内界、神殿の外を外界として、祭祀を司る神官を外界に導く役目。神官が行なっているのは主にその三つだな。主人の見えない屋敷の管理をしているようなものだ」
言ったのはヴァルディアだった。更に古代語で黄金と紫青のやり取りがあって、最後にはイースに視線が向く。彼女も難しい顔をしていたが、視線の意味はわかったのかすぐに口を開いて言った。
「紫旗に神官は居ないわ、……というより、この王都の大神殿に今神官が何人いるのかも、はっきりは……」
「紫銀が居なくなって二千年経った、廃れもする。野のルクスリヴェーズを探した方が早いかもしれないが、……国王は、紫銀は王家に受け入れる、としか言っていないのか」
「決定しているのはそこまでよ。でも機会がいつになるかは措いても、神殿大公に叙されるのは確定事項として扱って良いはず。キレナシシャスの紫銀はその為だから……」
「国のためか」
「……陛下はそれだけにしないと仰っている、それを信じてちょうだい。……神官に引き合わせればいいのかしら」
「いや、もう『隣人』が見えてんなら必須ではないな。付き合い方は神官それぞれ、だ。フェル、そいつらと話せるか?」
「…………」
スフェリウスに言われて沈黙して先ほど指差した場所に再び目を落とした紫青が、しばらくそうした後に胸に抱いていたカンテラを持ち上げる。すとん、と膝から絨毯に降りた姿勢が振り返ってカンテラを差し出してくるのは意味がわからないまま反射で受け取って、まだ白い光を灯しているそれを手放してフェルリナードは彼女の足元に駆け寄って言ってしゃがみこむ。ミシュリアが目を瞬いてそれを見下ろしているうちに、不意に空中の何かに右手を伸ばして何かを掴んだらしい紫青が立ち上がった。そのまま黄金の方へと駆け寄って行く。古代語でのやり取りがあって、その後ヴァルディアが立ち上がって窓に近付き、取手に手を掛けて押し開ける。そこに追いついて、窓の外に何かを投げ捨てるようにしたフェルリナードがしばらくそこから下を覗き込んで、そうしてから駆け戻ってくる。冷たい空気を遮るように窓を閉めたヴァルディアは、ソファに戻る前にミシュリアに目を向けた。
「夫君の石を?」
その問いかけに息を詰める音が聞こえた。総長が眉根を寄せる。
「ミュリー、まさかまだ持ってるのか」
「……ごめんなさい、でも、まだ十日も……」
「命石は名のままの意味だ、持ち主を失った命石には悪意のある『隣人』が棲みつくに最上の場所になる。早く土に還した方がいい、棲み着いた『隣人』がこれ以上身体に害を与える前に」
――夫は亡くしたと聞いた、ディアネルとグラヴィエントが同盟を結んでからそう時間が経っていない、ましてオルディナと、というのがいつ決まったことなのか、自分は知らない。それでも一月は経っていないことはわかる、この人の夫というその故人は、フェルリナードのことも受け入れてくれたと、そう伝えてくれたのはこの人だ。しかし。
「『故人の石を持ったまま地下に入ってはいけない』。俗習でも迷信でもない、ルクスリヴェーズの言う言い伝えは真実そうしてはならない、という意味での口伝だ。だから本来その場で割ってしまう。石は本人ではない、酷に聞こえるかもしれないが」
「……いいえ、流儀に逆らっているのは私だから。痛みが出てきたのはその所為だったのね……ありがとうね、フェル」
本当は動かないだけだったのだけれど、と、彼女は眉尻を下げて笑う。自然とうつむいたような空気に陥り掛けたときに、さて、と公爵の声がして目を上げた。
「それぞれの面通しと、相談やら打ち合わせは終わったかな。こちらはただのお付きで、雑談ばかりで申し訳ないが」
「いいえ、色々と勉強になりました。ありがとうございます、オルヴィエス様」
「お役に立てたのなら幸いだよ。ディフィリア卿、そちらはどうかね」
「全くもって問題ナシ。紫旗はどうだ、撹乱上手く行ってるのか?」
「報告では想定通りと。この後は、またオルヴィエス様に先導をお任せすることになるかと思いますが」
「構わないさ。しかし、それなら日が暮れる前に移動してしまいたいね」
言われて、先ほど見たはずの窓の外に意識して視線を向ければ、随分と傾いた西陽に照らされた街並みが見える。もうそんな時間か、と思っている間に、では、と母が立ち上がった。
「今ひとまずはこちらで終えましょう。それと、紫旗方」
「心得ています。……グラヴィエント総長」
母の呼びかけにイースが応えて、総長に正対する。視線を受けた彼女は、はっきりと言い切った。
「『紫銀降臨』の噂を城下に流すよう。紫銀の生家が確定した以上両親の捜索はこれ以上行われない、これは紫旗団長からの依頼です」
「……国王サマじゃねえのか」
「異論が?」
「ねえよ」
目を見張っているうちに、総長はにやと笑って笑っていた。即答、そしてその眼が、わずかに鋭さが見えた。
「それに関してだけは国王サマが何言おうと従うわけには行かねえがな、あの団長殿の策なら乗ってやる。任せろ、新年までにかけてじわじわ噂流してやるよ」
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