「一時的、且つ突発的な霊化症の発現でした。回路が膨大な魔力に反応して成長し拡張してくれましたから、今のところは再発の可能性は低いですよ」
 血の色も臭いも落として、着替えてから広間に戻れば、手に包帯を巻いた紫青が出迎えてくれて、それを抱えて椅子に腰掛ければ療師が説明をと言ってくれた。大丈夫か、と続けて問われたのには、急にで驚いただけだから、と返しておく。意識がなかった間自分がどうしたのかわからなかったが、そうですか、と返す療師の様子に変なところは見えなかったから、ひとまずはそれで濁しておく。フェルリナードは、兎耳のフードが血で汚れて没収されてしまったからだろう、頭に手を置いていないと落ち着かない。
 何が起こったのか。知っていても知らなくとも変わらないが、だからと口を閉ざすような人ではないらしい。膝の上では、撫でる手にようやく安心したらしく『色と形』を広げたフェルリナードがいて、隣ではヴァルディアが時折様子を伺うように横目を向けているのがわかる。フィエリアルは正面に座っていて、その前には書類がいくつか広げられていた。
「霊化症?」
「魔法使いの最悪の終わり方の一つですね。体内に蓄えきれないほどの量の魔力が生成されてしまって、身体がその魔力を外に出してしまおうとする作用が特徴の、魔力中毒の症状の一つです。放っておくと失血死か、全身が魔力に汚染されて中毒死か、身体そのものが魔力に呑まれて氣に分解されることで死に至ります」
「え、」
「今回は魔力回路の経過時間を調べるために私の魔力を注いだことで、フェルリナード自身の魔力を作り出す機構が活性化……単純に効率が十倍ほどに跳ね上がったのが原因で、魔力回路の拡張が症状の進行よりも早く起こったために大事には至りませんでした。もともと体内の魔力の濃度はかなり低い方で、氣失由来の様々な兆候がありますが、それらに限っては来年の夏頃には自然に回復するでしょう」
「……門が急に活性化した理由は判りますか。俺も、その前にディストも門には触れています。門の大きさの割には生成量が少ないとしかその時は見て取れなかった、活性するようには……」
「ええ、私も触れた段階では妙だと思っても、こうして反発して肥大とも言えるほどに活性するようなとは感じませんでした。……もっと詳しい話は団長殿が戻られてからにしましょう、判明したこともいくつかありますから」
 そういえば団長たちの姿が見えない。出払っているのか、もともと団員たちが常に本部に詰めている方がおかしいのはそうなのだが。なんとなく自分たちの他に誰もいない広間を見渡していると膝の上の紫青が身動ぐ。眼を戻せば紫がこちらを見上げていた。疑問符を浮かべて首を傾げる、その首元、襟の中には白い包帯。傷は治癒したとはいえ皮膚は弱くなってしまっている、その保護のためのものらしい。血が滲んでいる様子は見えない、二重の意味で安堵する。その安堵は表情に出さないように気をつけて、紫青の疑問符に対して問いかけた。
「どうした?」
「クロは、かえらない?」
 問いかけにはすぐ問いの形で返ってくる。帰る、とは。紫はすぐ隣の黄金を見上げて、それで一拍おいて理解した。
「そうか、ヴァルディアさん今日の夜に出ちゃうんだっけ」
「そうなる。随分と話せるようになっているからあとは他者の会話を聞けば自然と語彙も身につくだろう。元々慣れていないはそうでも嫌いでも苦手でもないらしいからな」
「君は会話そのものが苦手な上に嫌いでしたからねえ」
「必要なだけは最低限話すようになったのでこれ以上は要らないでしょう」
「無口とは思いませんけれどね」
 フィエリアルがヴァルディアに向かって言う、それには意外に思う。苦手だったという割には口馴れているように見えるし聞こえるが。フェルリナードの目がまたこちらに向くのには、青銀をぽんぽんと撫でた。
「俺は紫旗の見習いだから、早々帰ったりはしないと思う。家遠いし」
「ずっといる?」
「ずっとかはわからないけど、しばらくは。来年になったら準備学校だから、俺は寮に入らないとだし、そうなると中々会えなくなるかもしれない」
「……あえない?
「まだ先だけどな、来年の、夏のちょっと前あたりから」
「らいねん」
「時間の数え方。時計は読めるようになったんだっけ?」
「……わからない……」
すぐに向かいのフィエリアルが懐中時計を取り出して渡してくれる。礼と共に受け取って、蓋を開けば数字が二十四まで書かれた簡素な円盤。真下の十二を少し越えたところに時針が、十を越えたところに分針がいて、もうこんな時間になっていたかと思う。それを紫青に見せてやりながら説明のためにと口を開いた。
「時計、っていうのはこういうのな。今の時間がわかる道具。外側の一から二十四までで時と分を見る。真ん中の小さい円が秒。この、動きの早い秒針が一つ目盛りを進むと一秒。外側の長いのが分針で、この小さい目盛り一つで一分。短い方の針は数字から数字を移動してて、数字から数字までの目盛り五個で一時間。ここまでは分かるか?」
「ながいのが分で、短いのが時で、まんなかのが秒」
「よし。一時間は六十分で、一分は六十秒。真ん中の針が六十回回ると分針がひと目盛り進む。方向はこっちな、一番上から、右を通ってぐるっと一回り。数字と数字の間は目盛りが五つ、だから半分回ると一時間になって、時針が次の数字に進む」
「わかった。……二十四、の、つぎは、二十五、じゃない?」
「時計の数え方だと、時間は二十四時まで。零時から二十四時までしかない、だから一日は二十四時間。時針がぐるっと一回りで一日。一日が七回で一週間、一週間が五十三回で一年。今日は六二七〇年十二月二十四日だから、あと少しで六二七一年になる」
「十二がつ?」
「一年を十二個に分けて、その一つひとつを月、って読んでる。一月から十二月まで」
「……どうしてわけるの?」
「一年って三六五日もあるから、数えるの大変だろ? だから月ごとに、日の数え方を分けるんだ。十二月は一日から三十一日まであって、十二月三十一日の次の日は一月一日。一年は一月から始まるから、そこが年の分かれ目だな」
「月ごとに分けて数えるのは季節の仕事をわかりやすくするためでもあります。一月の一日からは冬のお祭りがあるから十二月の終わりにはその準備をしよう、四月にはそれまでに降った雪を払って土、地面を見えるようにする行事があるから畑仕事に必要なものは三月のうちに用意して備えておこう。月ごとに分けて日を数えていれば、そうやって日付を合図にできますからね」
 付け加えて言ってくれるフィエリアルのそれには、そういえば本業が教師の人がと浮かぶ。紫青は、しかし彼のそれにも疑問符を浮かべたようだった。すぐにまたこちらを見上げてくる。
「ゆき、は、外の、白いの」
「うん」
「ずっと、ふってる。けせる?」
「うん。雪は寒い間しか降らないから、外があったかくなれば雪は降らなくなる。代わりに雨が降るようになるな」
「あめ?」
「水の粒が降ってくるんだ。雪もあっためると溶けて水になるだろ? それと同じ」
「みずがふるのが、あめ。……あめと、ゆき、のほかには、何がふるの?」
「……何かあったっけ他に降るの……」
「雹なり、かなり稀だが光帯雨なり、だろうな。何かが降ってくる天気はあまり種類もない」
「ここ数十年の間キレナシシャスでは光帯雨はありませんから、どうでしょうね。天気に数えて良いものか」
 言うフィエリアルが視線を上げる。向いた先は自分の背の方向にある扉の方かと思って、礼と共に時計を返した。笑んで受け取ったフィエリアルがローブの中にそれを仕舞って、本を閉じたフェルリナードがそれを机の上に押し上げようとしているのを片手で手伝っていると扉の開く音、そして声。
「お待たせしました、療師。フェルリナードの様子は?」
「すっかり。痛みが残っている様子もありませんね。お疲れ様ですクォルシェイズ、王はどのように?」
「悩んでおられる、決定は先送りに」
「そうですか……早いうちが何かと良いものなのですが。幼かろうと『紫銀』です、自衛手段程度はできなければ」
「そう進言してあります、護衛隊の編成許可も求めていますが、元から慎重の度合いの強い方ですから、もう少し」
 言う間に、団長と、その後ろに続いていたエディルドとカルドが空いていた椅子に収まる。その全員が険しい眼でいるのには、無意識に紫青を抱きかかえる腕に力がこもった。その様子に触れたのも、最初に問いかけたフィエリアルだった。
「如何なされました」
「……政治の方が少々。年明けから紫旗に急務があるかもしれません、諜報部が南の協会に暗部が出来ているらしいと言ってきています」
「妙ですね。黄樹は穏やかに見えますが……しかし私に明かして宜しいのですか、協会長官という意味ではカルカズ殿も私も変わりませんが」
「一番離れた北の、ですから。それにこの程度で紫樹が揺れるとも思えない」
「買い被りますねえ君たちは。ともあれ、子供がいる場でする顔でもありませんから、それについては叱言致しましょうか」
「……申し訳ない」
 団長が難しい顔でぼそりと言い、エディルドとカルドもそれで少しは力が抜けたようだった。気の立った空気が薄れて小さく息が漏れて、紫青が慌てたように見上げてくるのは全身を軽く抱いて頭を撫ででやる。落ち着くまでそうしてやって、それで内心でほっと息をつく。頭を撫でるこれと、あの兎耳のフードは、どうやらフェルリナードの安心装置の一つになっているようだった。ヴァルディアとは逆隣、団長がそれに気づいて手を伸ばして頭を撫でていく。
「……判明したことがあるとか。お聞かせ願えますかフィエリアル様」
「そのつもりでお待ちしていましたから」
 カルドのいつも通りの声に、フィエリアルは苦笑で応えた。目の前に広げていた書類のうち、二枚をクォルクに、残りのほとんどをカルドに渡して口を開く。
「まず現状危惧するべきは、栄養失調と氣失由来の虚弱。まず栄養失調ですが、相当に根深く見えます。目先の食事の改善だけでは足りないでしょう、それに関しても留意すべき点がいくつか。カルド殿」
「伝えて指示いたします。栄養剤についてもこちらで用意させましょう、幸いディアネル商会が味方に近い位置まで来てくれていますから」
「頼もしい限りですね、彼女らは。……虚弱ですが、これは氣失によって悪化したものであり、生来です。呼吸器が弱く、おそらく心臓もそう強くはない。極度の興奮は控えるように、恐怖や緊張もいけません」
「喘息はどのような?」
「そちらも生来でしょう。今は身体が弱っているから運動そのものが続かずにいる、そのおかげで症状として出ることも少ない。氣失状態が解消されるにつれ激化するでしょう、体力もどの程度まで回復するかが現段階では不明ですが、体力が戻るとは即ち無理が出来るようになるということですから」
 カルドが訊きフィエリアルが答える間、団長は渡された書類に眼を落としたまま動かない。なんとなく気になって横目で見上げる間に療師の声が続いていた。
「また突発の霊化症が突発するほど門の機能の質が高く、それに耐え得る魔力回路にまで成長したことから、魔法を使う使わないに関わらず氣質の調整が必須になるでしょう。この点は私が教えます」
「どうしても必要ですか」
 言うクォルクがようやく顔を上げる。フィエリアルは、真っ直ぐにその紫を見たようだった。
「門を閉じ、回路を封印しない限り、不可欠です。門と回路の回転率と質は既に一般の魔法使いのそれに近い。魔法使いにせよと言っているのではありません、人間としての魂と思考と肉体を守るために、膨大な魔力との付き合い方を覚えさせなければならない、と言っているのです」
「魔力そのものを切り離すのでは足りませんか」
「足らないどころか……切除したところで門がその分を取り戻そうとしてまた霊化症を引き起こすだけ。それに魔力の切除自体、魔導師が互いに了承した上で行うことが前提となる行為です。切除される方も己の魔力について熟知し、その制御に長けていなければなりません。それを欠けば切除ではなく剥奪です、大の大人にとっても一回施すだけで生命の危険がある。医師としても『黒』を戴く魔導師としても、許可できません」
 団長はその返答に黙り込んでしまう。療師は軽く眼を伏せていた。
「貴方の信条と理想は理解しています、クォルシェイズ、同意も賛同もします。ですが他者への押し付けだけは看過できません。それは貴方の手で成すのではない」
「……ですが、まだ幼い」
「幼いならばなおの事。本人の意思決定の場により多くの選択肢を残すこと、我々にできるのはそれだけです。いくら良かれと思っても、魔法や剣の道を勝手に捨ててしまうのはただの傲慢です。ただ少し長く生きているのだから己の思うそれが正しいだろうと信じ込む、ただの驕りです。やめなさい」
 言い切られた紫藍が天井を仰いでしまう。正直さの欠片もないそれにフィエリアルが表情を崩して苦笑して、首をゆるくふるったカルドが療師に向き直った。
「現状については、理解しました。他には何か」
「あと一つ。おそらくはこれが本題になりましょうね。……紫旗の医療部の調書を確認した際に、妙な記述を見ました。『何かがいる、あるいは何かがある』、と」
「共有事項の一つとして把握しています。ですが医療部も私も、それがなんなのかは判らず」
「ええ。加えてヴァルディアや使い魔たちからも聞きました、使い魔が近付き触れることに嫌悪を示すと。精霊についても忌避している様子であることは見ていればわかります。そのくせ本人から要請されれば十二分に協力を示す、と」
 本人、と言う黄の瞳がちらと紫青を一瞥するのには、青い後ろ頭を見下ろす。今は背をこちらに預けて、少し俯いているだろうか。あるいは眠ってしまっているのかもしれない、揺れを感じないまま整った呼吸を繰り返しているようだったから。
「霊化の瞬間と、急激な回路の成長を見て、判りました。そのような状況、つまりは生命が脅かされる状態に陥った時のみ現れるものです。精霊に畏怖を抱かせ、高位の精霊には嫌悪さえ与えるものです。門の活性も回路の拡張も、行ったのは「それ」でしょう」
「……生物ですか、と訊くべきでしょうか」
「話が早いのは助かりますね」
 エディルドが口を開き、療師が返す。そのフィエリアルの目の前に、一枚だけ取り残された紙があった。
「……順に説明します、その方が良いでしょうから。第一に、門の機能は活性後の今が本来の形です。非常に巧妙に隠されていたのでしょう、ですが霊化の瞬間に氣質を見ていた水晶が割れました。門の機構を封じていたものが消えたか崩れたか、その衝撃が伝わってのことでしょう、物理以外の力で水晶を割るのは困難です。唯一封呪式とその欠片のみが容易に割って見せる」
「呪い、ですか」
「ええ、珍しいことに。ありとあらゆる呪式は魔法院に蒐集され市井には残っていない。その呪式をもって門の力を制限させられていた、故に我々では勘付けなかった。第二に、門と回路の経年を調査しました、その結果です。本来の年齢がわかればと思い、計測を」
 ああ、と思う。嫌な予感がする。ここまでの話も不穏に過ぎたのに。きっと聞かされているのだ、だから逃げ出すことは叶わない。それでもかなしいような、苛立ちのような無力をこうも強く感じて、一言も漏らさないよう、話の邪魔をしないようにするだけで精一杯なのに。
 どうしてこの子供について新しいことが判るたび、こうも深刻な空気に変わってしまうのだろう。良い知らせなど一つも無いままで。
「結果は。三年と少し。……この子はそれだけしか生きていない」
「――そんな、身体所見では五から七歳程度と」
「生まれた瞬間から絶えず時を刻み続けている唯一の機関が人の門と回路です。封印されない限り変動のしようがない。フェルリナードは、門の力を制限されていたとはいえ封印の痕跡はありません、門が凍結されて時を数えることができなかったという可能性は無いに等しい。……紫銀と知られ、法外の、あるいは禁忌に類する処置を受けた可能性が非常に高い。言語能力は六歳程度、という域を大きく外れて高いのに、門が活動して来た期間は三年と少し。あるいはエルシャリスがするように他者の記憶を受け付けることで言語は習得できるでしょう、ですが肉体はそうはいかない。言語以外の記憶を持たないことも合わせるなら、もしくは人道に反する行いを受けた可能性も考えてしまう」
「……その想定なりは、ありますか」
 団長がようやく口を開く。フィエリアルは首を振った。
「未知、としか言えません。門と回路の時間を止めたまま肉体の時間のみ進める手段は無い。封印も、回路の時間は止められますが痕が非常に濃く残ります、痕を消す方法もない。門に至っては、たとえその全機能を停止したところで経年の蓄積は止まりません」
「ではどのように」
「わかりません」
 カルドの余裕のない声には即座に返答があって、それで魔導師も黙り込んでしまう。その目が紫青を見るのも、声を上げて止めさせたいほどで、それでも声が出ないのは自分もそうだった。
「……第三に、封呪が割れた原因です。構築の一部が採取できました、その一部から全体の復元も可能でしょうが、術式の検討よりも重要なことが一つ。術式には、摩耗や疲弊の痕がありませんでした。また私の魔力と触れて反発を起こしたのでもない、割れ方が違います、あの封呪式の破壊は、使役主による放棄が理由でしょう、それで力を失った。そうとしか考えられない。そしてそれが可能な者もひとりだけ。フェルリナードの存在そのものに埋め込まれた『何者か』が、封呪を施し、それを解除できる状況、つまり霊化に適切な処置が行える状況になった時に解除を行い、そして生成された魔力の量に応じてフェルリナードの回路を拡張させた。このいずれにもフェルリナード本人の意思は関わっていない。……『居る』のは、人か、精霊か、神かの、そのいずれかでしょう」




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