「そういやヴァルディア、帰りはどうすんだ? 寮だろ、送るか?」
「いや、隊商に乗せてもらう。こちらについた時に話はつけてあるからな」
「そうか?」
「紫旗が居ると数人が臨戦態勢になるからな……それを避けたい」
「お前んとこの班員な……嫌われてなければ引き抜き行ったんだけどなぁ」
「やめとけ……」
「おう……」
 ヴァルディアの出立の前にと、広間組だけ早めの夕食となった。日中姿の見えなかったラシエナは、どうやら母を手伝っていてくれたらしい。フェルリナードの今の着衣は有り合わせだから、しっかり体に合ったものを早く用意しないと、と意気込んでいる。
「私が戻る時まで居ても良いとは思いますがねぇ。隊商に乗ってなら、十日はかかるでしょう、紫樹までは」
「冬雪祭明けまでに着けば良いかと。王都から北上したこともありませんし」
「ふむ……実戦経験のために良いのはそうですが。無理はしないよう、レスティに私が殺されかねません」
「……本当にどうしてそこまで仲が悪いんですか。双子なのに」
「双子だからですよ」
 なんとなく療師の方を見れば、真反対ですからねと彼は笑う。遊んでるな、と確信できる笑みだった。兄か弟かはわからないが平穏であれ。
 夕食は挽肉がたっぷり入った冬野菜のスープと平パンという素朴なもので、テーブルの中央には果物を並べた大皿がある。なんで桃があるんだ、という疑問は、優雅な所作で食事を進めている母の存在で氷解した。納品物を絞っているわけではないだろうが。とりあえず梨を発見した幼馴染がとても嬉しそうにしていたのでよしとする。
 どうやら昼のあの場に居なかった父やラシエナ、紫旗の幹部である人員の中でも『紫銀』を知る数十人、加えて『グランツァ・フィメル』には、療師の語ったことについては完全に周知がされたらしい。だが目に見えて何かが変わった様子もなく、フェルリナード本人は熱いスープに苦戦しながらもしっかりとした手つきで料理を口に運んでいるし、それを甲斐甲斐しく世話して居るレティシャもラシエナもいたって普段通りに見える。団長がそんなことで変わることもなく、結果、自分だけが思い悩んで居る気配を隠しきれずにいた。
「……ああ、そうだ。クロウィル」
「え、なに?」
 様子の全く変わらない筆頭とも言えるヴァルディアから声がかかって、あからさまに過ぎたかと思いながら顔を向ける。彼はもう皿の上のものは片付け終えていて、サボラの薄くて硬い皮に果物ナイフで傷をつけているところだった。
「冬雪祭の前に、フェルリナードに神殿を見せてやれ。精霊に慣れる必要もそうだが、『隣人』が見えているなら付き合い方は神官に習った方が良いからな」
 どうやら自分の杞憂か、あるいは触れる気がないかのどちらかだろうと言われたそれにはそう思う。言葉の内容については、少し置いてから首を傾げた。
「……ずっと訊きそびれてたんだけど、『隣人』ってなに?」
「法力を持つ者だけに見える、『お伽話』の正体だ。法力は魔法とは全く違って、自然に訴えかける力のこと。神官に持つ者が多いな。死んでしまった土地を生き返らせる、あるいは森林を再生させる、汚染された川や海を浄化する、そういったことに長けている。魔法ではできないことばかりだな」
「ヴァルディアさんも、その『隣人』は見える?」
「一応、見ようと思えば。精霊眼のおかげで精霊の中に紛れてしまって、そうと気付かないことが大半だが」
「……精霊とはなにが違うんだ……?」
「『隣人』は人間やら動植物やら精霊やらに害を及ぼすことがある、だな」
 テーブルを挟んで向かい側から父の声。パンを飲み込んでからの続く声。
「精霊っていうのは、基本的には魂を持つものに対して協力的で親切だ。人間が精霊に害を与えればその人間は嫌われるがな。『隣人』は真逆だ、、あいつらは基本的に魂を持つものにたいして不親切で、主に害しか与えない」
「根拠のよくわからな言い伝えって色々あるだろ? 口笛を吹いてはいけない、小指で文字を書いてはいけない、命石は必ず持ち歩かなければならない、命石の交換には契約を介さなければならない。変わったやつだと、他人の髪を薬指だけに巻いてはいけない、とかな。長らく言い伝えとして残ってるのは、『隣人』の標的にならないようにするため、だ。例えば口笛を吹くと口と舌に『隣人』が憑いて嘘が多くなる。小指で文字を書けば手に憑いて物を壊すようになる」
「精霊も悪戯程度はするが、本棚の中身を少し入れ替えるなり、扉を見えなくするなり、致命的なことにはならない。少し付き合えば元通りにしてくれるしな」
「……そんなことあるんだ」
「たまにな。この国では、そういう伝承を破ってしまった時には神殿に行け、と言われる。神官の多くが『隣人』と語らえる、お祓いとは憑いた『隣人』を引き離すことだ、あまり知られてはいないがな」
 精霊すら縁遠い自分にとっては、そんなものが居ると知ったところでどうしようもないのでは、と、思わないでもない。だがフェルリナードが見えて居るのなら、確かに神殿には行き慣れておいた方がいいのかもしれない。しかし、と声をあげたのは団長。
「そうか、法力持ちか……なんか色々すごいな、お前は」
「?」
 パンを小さく千切ろうとしていた紫青が、向けられた声にクォルクを見上げて疑問符を浮かべる。平パンは焼きあがったばかりでも硬い、そのまま噛み付いていいぞと団長が言えば素直にそうしていた。口の横に粉が、と見つつその団長に問いかける。
「精霊眼と法力って、同時にってのは珍しい?」
「どうだろうなあ……こういうのは一つ持ってればイモヅルで二つ三つって重なるもんだしな。法力は訓練で身につくし、精霊眼も後天的に開くこともあるし、持ってるやつは実はそんなに少なくない。だからってここまで揃ってるのが多いかってなると、少ないだろうな」
「持ち物が多いのは大体の場面で良い方向に働きますから、幸運なのでしょうね。思えば紫旗に保護されたことも」
「どうだかなぁ。俺ら正直『いない方が良い』の筆頭だしな……」
「おや。そうですか?」
「存在意義のところがな。紫旗の仕事なんて発生しない方が、だろ?」
 父が言うそれに藍色たちが揃って視線をどこかに投げた。過去に何かあったんだな。思ううちに幼馴染の声がして、目を向ければラシエナは隣の紫青の頬を軽くつついていた。
「すごい、全部食べられたの初めて?」
「……なくなっちゃった」
「なくなっちゃって大丈夫、そっちのがいいからね。お腹いっぱい?」
「うん」
「よしよし」
 見れば話して居る通り、姿勢の前の皿は綺麗に空になっていた。おお、と思わず声に漏れる。盛られた量が他に較べれば少ないとはいえ、完食を見るのは初めてだ。様子を伺えばどことなくやりきったと言わんばかりの表情。眼が合ったので神妙にうなづいてやれば神妙に頷き返された。思わず笑ってしまうのを口元を押さえる。
「ファリマにも伝えとこうか、喜ぶだろうし」
「そだね。たくさん食べられるようになった方が良いもんね、フェルまだ全然軽いもん」
「抱える時とかちょっと拍子抜けするもんな……」
 今は袖とスカートに隠されて居るが、服の上からでも触れれば四肢も胴体も骨が浮くほど細いのがよくわかる。年相応よりも体格は良い方といっても八の自分が抱きかかえられてしまうのだ。ラシエナがするには少し大きいが、彼女にとっても重い範疇ではないらしい。ちゃんと体重が戻るまでまだ時間はかかるだろうから、気をつけておこう。そう脳裏に浮かばせてから、小さくあ、と呟いてヴァルディアの方に目を向け直した。
「神殿の他は、何かあった方が良いとか、ある?」
「そうだな……冬雪祭は見せた方が良いだろうな。あとは街を歩いて気になるものやら興味が出てきたら教える、程度でいいだろう」
「分かった。なら少しずつでも、散歩とか行った方が良いか……」
 問題は、本部から直接出入りするわけにはいかない、という一点だ。団長を見れば難しい顔をしている。護衛も考えなければならないのだから、紫旗を巻き込むことにはなるのだが。考え込んだまま声にならない様子を見てか、食後の紅茶に移っていた母が口を開いた。
「隠形でオルディナや、他の屋敷に運べばよろしいかと。あの総長も、己に姪があることは方々に宣伝したいでしょう、それも見込んでの縁付けのはず」
「ああ、いや、それは良いんだが。フェルリナードが堂々と本部を出入りできるように、ってのは、王女殿下に相談してある。三日以内になんとかしてくださるみたいだからそれを待ってほしい。……問題なのはこっちの人員配備だな……」
「何か不穏が?」
「……まあ、この場の人間なら良いか。アイラーンの軍で再教育中の両王子に、いくつかの家が接触しててな。しかも片や色格主義片や貴族主義で、昔からいがみ合ってる連中がそれぞれ王太子と第二王子とを担ごうとしてるように見える。アイラーン公に一隊つけなきゃならんが、そこに精鋭を入れるとフェルリナードの護衛に不安が残る。かといってフェルリナードを守ることを優先すれば、事情を知らない連中には感づかれるかもしれん。南の協会も不穏だ。どうしたもんか……」
「フェルリナードの護衛にはグラヴィエントが付きましょう。ある程度はそれに任せれば良いこと。彼らでも肉壁以上にはなります」
「そうか……?」
「わたくしの護衛を正面からなぎ払いわたくしの首まであと五歩まで迫った組織はあれだけ。信用するには十分なこと」
「……母さんグラヴィエントに何したの」
「密輸船団を告発したら手違いでグラヴィエントの幹部が国軍に捕縛されてしまっただけのこと。十年は前のことです、が、十年前から今日に至るまで、グラヴィエントを『掃除』しようという企みが成功した試しがありましたか、貴方様」
「ございません……」
 視線を泳がせるしかなかった。そこの父も長らく団長として紫旗を率いていたか、と思い出すのと、その団長である父が、母の大義名分を楯にした傍若無人の成果を耳にするたびにどんな思いでいたのか。知りたくない。この父母のこの関係は、一体何なのか。喧嘩するほど仲が良いという言葉もあるが、忘れてはいけない、父は母に喧嘩すら受け取ってもらえないのだ。なのに母が淹れる紅茶の中でも一番手の込んだものは父のそれだけ。――もしかしたら父がそれに全く気付いていないからなのかもしれない。
 気をつけよう、女の相手をするときは。
「……確かにグラヴィエントが味方につくならとも思わんでも……それならスフェリウスをさっさと鍛えてフェルリナードに付かせた方が良いか。紫旗に入った、ってのがグラヴィエントの連中を逆撫でしなければ、だが」
「問題ありませんでしょう。彼らは破落戸ですが頭も使う。幹部の一人、しかも次に総長に立つ人間が藍を持つ意味はしかと伝わっている、フェルリナードにつけるのであればなおさらのこと」
「……どっちにしろ協議が必要だな。長引くかもしれん、その間は……フィメルは、支部だったか、今は」
「名目上は王女殿下のお召しでの仕立て業務の最中です。事情をお伝えして、王宮の中は闊歩出来るようにとして参ります」
「有り難い。王宮の敷地もバカ広いからな、散歩なら半月でも全部は回りきれんだろうし、識別結界の中なら外ほどの危険もない」
「身分は、対外の出しちゃって平気? 子供だけだと色々言われそうだけど……」
「お前は、商人の子、となさい。フィーヴァと知られては何かと面倒が多い、私も商人であり職人の一人として参っていますから」
「分かった、じゃあ、いつも通りで」
「ええ」
「……いつも通り……?」
 横の黄金の小さな疑問の声は聞こえなかったフリをした。この人にこれ以上の異常を認識されてはいけない、そんな気がする。母も聞き流してくれた。よかった。最後のパンを黙々と食んで居るうちにユゼが時計を取り出すのが見えて、ヴァルディアの意識がそちらに向く。
「そろそろか?」
「だな、早めに合流しといた方が良いだろ」
「ああ。フェルリナード」
 立ち上がる前に、じっと椅子の上で会話を聞いていた紫青に声が掛かる。フェルリナードは紫を瞬かせた。
「……かえるの?」
「ああ。しばらくは分からないが、落ち着いたらまた来る。それまでは教えたことを出来るように」
「わかった」
「何かわからないことがあればフィエル様に。俺の先生だ、ロツェも通じる」
「せんせいの、せんせい。まえ、に、いってた?」
「その人だ」
「わかった。がんばる」
 そういえばそんな話もしていたか。紫青がうなずくのに黄金も頷き返して、それで彼が立ち上がる。見送りにと言いかけた団長には手で留めて、すれ違いざまに青銀を撫でてから扉を抜けて、それであっけなく姿が見えなくなる。
 この国では、別れはあっさりとするものらしい。二言三言かわせば長い方、多くは一言、「それじゃあ」と言って行ってしまう。見送りもあまりない、見かけるのは貴族が召使いたちに送られるそれくらいで、市民には浸透しない仕草らしかった。紫青は名残惜しいのか扉を向いたまま。気付いたラシエナがそこに向けて口を開いた。
「次会えるまでにもっと上手にならないとだね、フェル」
「……ん……」
 小さく短い声で頷く。今まであまり見たことのない、どこか何かに驚いたそれが抜けていないような様子にラシエナと目を見交わせば、少し遅れてフェルリナードの両手が持ち上がって自分の青銀の頭に乗る。そのまま動かなくなったのを見て、フィエリアルとレティシャが苦笑するのが見えた。
「……?」
「いえ、なんでもないわ。嬉しかったのね、フェルリナードは」
 疑問符を浮かべればレティシャが言って紫を覗き込む。それをちらと見上げた紫は、しかしすぐに外されて落ちて行ってしまった。小さく縮こまっていくのが見えて、さらに何事かと思っていれば今度はフィエリアルが言う。
「ヴァルディアは教える側に立つと完璧主義な上に褒め下手ですからねぇ。きっと初めて褒められて照れているのでしょう」
 それを聞いて、一拍遅れて理解した。そういえばあの人が良しと言うところは見ても、青銀を撫でているところに居合わせたことは一度きりなように思う。そうか、あれが褒めていることになるのか。素直だなと思うのとともに、出来る限り隙を見て撫でてやれるようにしよう、と思考を刻んだ。特別な手があるなら、特別の褒美はそれで賄えるだろう。フェルリナードの表情は変わらないままだが、おそらく嬉しさと照れに困惑も加わって処理が追いつかないのだろうな、とそっとしておく。代わりにラシエナに眼を向けた。
「エナ、散歩に行くときに、ちょっと頼むかも」
「え、いいよ。なに?」
 ――母を見る。眼を伏せている。何を言う気もないことを確認しほんの少し念を押してから紅と緑の色違いに向き直った。
「俺王宮の中に入ったことないから、軽く案内とか。あとちょっとした楯役」
「い、今の間なに?」
「こっちの事情だから気にしないで。こっちの事情だから」
「う、うん」
「ありがと」
 安請負に関する小言は本人の親に任せよう。そう強く自分に言い聞かせる。大丈夫なのだろうかこの幼馴染。色々と不安要素が見当たるのだが。今のところ致命的なことにはなっていないから、今のうちになんとかした方が良いように思うのだがいやしかし自分が言ってもしようがない。今度アイラーンの当主夫妻に会った時にそれとなく伝えるだけにとどめよう。そうしよう。
 眼を泳がせて脳裏を思考の納得に見せかけたもので満たしていると、不意に上着の腰辺りを引っ張られる感触がして目を向ける。思った通りのフェルリナードがいて、眼が合えば両腕がこちらに向かって伸ばされる。少し椅子を引いて膝の上に持ち上げてやれば、横座りした紫青が胸元に抱きついて顔を埋める。何故か額をぐりぐりと押し付けられている。なんだと母を見れば、そこはかとなく柔らかい表情と声音が返ってきた。
「発散しているだけのこと。抱えていてやりなさい」
「……なんの発散……?」
「抑えきれない情動の、です」
 わからない。レティシャを見れば微笑ましいと言わんばかり、団長も療師もラシエナまでもがそうで、とになく疑問符を量産しながらも抱きついてきたその背中を覆うように腕を回して抱きかかえる。変わらず頭を押し付けている青銀をなでれば、押し付ける力も抱きつく一方も増した方だった。混乱が浮かぶ。
「ど、どうした? 大丈夫か?」
 訊けば、むぇ、と呻く声がくぐもって聞こえた。大丈夫なのかこれは。混乱が強くなって来る、察したのかレティシャの手が肩を叩いていった。
「慣れないとね、お兄さん」
「えっ、え? 何に……!?」
「色々に」
 わけがわからない。




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