フェルリナードは、青く変じた髪を気にしながらも、誰から貰ったのか、朱色の髪紐を手にして広間に来るなり母に駆け寄っていった。
「おはようござい、ます、フィメル」
「おはようございます、フェルリナード。よく眠れましたか」
「レティシャ、が、いっしょに、してくれた、から、あったかかった」
「そう、なら良いこと。髪を結ってあげましょう、その髪紐もレティシャから?」
「うん、……おそろい? に、って。しゅいろ、って言ってた、……赤、とは、ちがう?」
「ええ、赤と朱色は似た色ですが別の色。貴女の髪にも良く映えて鮮やかになりましょう。こちらに」
 言いながら母が手を伸ばして、ソファに腰掛けた膝の上に抱え上げる。既に櫛を通してある髪を丁寧に編んでいくのを見て、なんとなくほっとした心地で盆をテーブルに置いた。今朝は母と自分、フェルリナードとレティシャとカルド、団長だけ。だから盆に載せられた食器の数はさほどでもなかった。
 ラシエナは、厨房では見なかった。彼女とその母の分は部屋に届ければ受け取ってくれた。まだ整理がついていないのだろう。――それは、自分も同じだが。思うところは全く別だ、彼女は銀を失わせるしかなかった事に悲哀している。自分は、ずっとこのままの方が良いのにと憤っている。たとえ『色』が変わっても、その人であることに変わりはないのにと。
「おはようクロウィル、今日は大丈夫だった?」
「あ、うん」
 急に聞こえてきた声に振り返れば、扉が開く音に気付かなかったのか、レティシャが駆け寄って来るところだった。皿を並べるのを手伝ってくれるのには礼を向けて、その間に母の声。
「さ、これで出来上がりました。可愛いですよ」
「かわいい……?」
「良いことです、とても」
 眼を向ければ、右耳の後ろあたりから後頭部を横断するように組紐も共に編み込みがされて、左耳のすぐ下で括られて朱色の髪紐は長く垂れて青に色を添えている。香油を使っているのだろう、艶のある髪は、後ろから見ればやはり湖面のように複雑に光を弾いていた。
 一夜明けて、本人、フェルリナードはともかく、周囲の紫旗たちは可能な限り妙な反応を見せないように腐心しているのが見て取れた。ディストなんかは一目見て珍しく満面の笑みを向けた瞬間団長の回し蹴りを食らって広間の隅から隅まで吹き飛んでいたが、あれは本当に確実に例外だ。理由はなんとなくわかる。即座に団長の殺気を察知してフェルリナードの視界を掌で覆い隠したカルドの機転をこそ褒め称えたい。その後傷を負った様子もないディストは仕事を押し付けられて姿を消した。魔導師とはそういうな生き物なのだろうか。カルドは物凄く常識的なのに。
 思いながら準備を進めている間に駆け寄って来る足音。振り返れば、脚の代わりに上着の端を掴んだ紫銀――紫青が、テーブルの上に視線を向けてから、こちらを見上げて来る。
「フィメルが、髪、するの、まだはやいって。……どうして?」
「小さいうちは髪は伸ばすだけ、切らないようにってだけするんだ。結ったりっていうのは、八歳頃からかな。フェルまだ六歳くらいだから、ちょっと早いな」
「……はやいと、だめ?」
「駄目ってことはないけど。髪はやってもらうの好きか?」
「すき……、うん、すき。きらいじゃない、から、すき……?」
「うん、だったら早いうちからでも大丈夫だ。好みだから、こういうのは」
「このみ?」
「好きならやっても大丈夫ってこと」
 言えば、表情は明るくなる。その様子を見ていたのか、レティシャが微笑ましげに笑って、そうしながら椅子を一つ運んで来る。この部屋のどの椅子とも違う、少し座面の高いもの。
「はい、特等席よ」
「とく……?」
「普通の椅子だと、ご飯食べづらいでしょう、テーブルが高くて。トーリャが融通してくれたの、子供ももう使わなくて大丈夫だからって」
「あれ、トーリャって子供いたんだ?」
「ええ。今年で十歳って言ってたかしら、あなたたちよりも年上ね。結構子持ち多いのよ、紫旗の女って」
「そうなんだ?」
「何が何でも無理やり産休取らせてるからな」
 レティシャの後ろから声がして、覗き込むようにすれば団長ががしがしと頭を掻きながらテーブルに向かって歩いて来る。あからさまに眠そうな、と思っているうちに欠伸が見えて仕方ない人だと思ったそれは素直に表情に出ていた。
「団長、そろそろ徹夜無理なんじゃない?」
「あと何年かはいける。たぶんな。昨日は付き合わされたんだよ、フィメルと色々話し合いしなきゃでな」
「母さんと?」
「経歴作りです。その子について」
 立ち上がって近づいて来た母が、茶器を手にとって紅茶の準備を始めながら言う。見やれば、足元にいたフェルリナードは団長に気づいてそちらの方に駆け寄っていた。編み込みがされて髪紐で結ばれているのを見てか、それが崩れないように慎重に頭を撫でてやっている様子が見える。
「『グランツァ・フィメル』が告発した人身売買組織から紫旗に救出され、子弟ラシエナが親家にそれを話したところ貴族家に出自を発見した、というところに収まりました。実際の時系列と合わせる必要はありませんから」
「幸い『小さ……フェルリナードの記憶のことも人身売買組織でのあれこれで喪失したって言えば説明はつく。フェルリナード、上着作ってもらったのか?」
「フィメルが、くれた。いしいと……? が、はいってるから、あったかい、って」
「紅玉から紡いだ糸で織った布のものです。刺繍もしてありますから、飾り袖はまだ早いですが年相応に見えましょう」
「だな。……よし、手も冷えてないな。大丈夫そうか」
「あったかい」
「よし。さて、っと、お前の椅子はこれな」
 レティシャの据えた椅子に団長が引き上げて座らせてやれば、ちょうどの高さ。母にお前も座っていなさいと言われるのには頷いて、その横に腰掛ける。すぐに紅茶がそれぞれの手元に行き渡って、暖炉の火の調節をしていたカルドにも声がかかってそれぞれが席に着く。丸いパンが二つに鶏のスープ、米と、根菜の甘酢煮。ファリマはどうやら色々な味を用意しようと思っているらしい、毎日色々なものが出る。
「では頂きましょう」
 最後に椅子に腰掛けたその母の声で、各々がフォークに手を伸ばす。フェルリナードも、さすがにもう慣れたのだろう、新しく見かけるものも様子を見るようにフォークでつついて、口に運んでいる。いつもより人数が少ないからか、わりあい静かな中でカルドと団長の会話が聞こえ、フェルリナードは静かに食事を進めている。レティシャが教えていたから大丈夫だろう、と自分も皿に集中する。その中で不意に扉が開く音がして、目を向ければまだ見慣れない方の金色だった。振り返った団長がおお、と声を上げる。
「起きてたか」
「ああ、図書館の方に行っていた」
「論文は?」
「査読待ちだな、やはりそう簡単に通してはくれない」
「だろうなぁ」
 二人が言い合う間に母が立ち上がっていて、示された椅子にヴァルディアは素直に腰を下ろす。すぐに紅茶が運ばれてきて、礼を言って口に運んだ彼が、少し驚いたようにその茶色の水面を見やる。
「……紅茶にはあまり気は向けてなかったんだが、……美味しい」
「サディアナの茶葉ですから、香りも良くすっきりとしているでしょう。どうやら甘いものが苦手な子供が多いようですから」
「……ありがとうございます。砂糖が苦手で」
「ふふ。砂糖も、品種を選ばなければ単に甘いだけですからね」
 楽しそうだなあ、と、言う母の様子を見て思う。サディアナの紅茶は母の好みの上位だ、品も格もそれこそ別格だが、それだけで判断しないのは母らしい。口にするものなら味と風味を、道具であれば使い易さや管理の容易さ、それらを考えて敢えて一つに絞らずいくつかを選んでいる。相手を見てそれらの中から選ぶから、生真面目だ。食事は、という問いには済ませて来たとの答えがあった。珍しく紅茶を味わう様子が強い、そう思いながら口を動かしているうちに、そう言えば、とカルドの声がこちらを向いていた。
「エディルドが任務に出なければならなくなった。今のうちに体調を万全に、とのことだ」
「あ、うん。わかった。だから居ないんだ今日……」
「あちこちに分散させられているからな。団長は指揮系統の一番上だから本部に居座っていて問題ないんだが」
「その分団長業が増えてなぁ。勉強くらいなら見てやれそうではあるんだが、訓練はエディルドが戻って来てからだな。準備校の試験は座学が主になるからそっちもやんねえとな」
「だよなぁ……」
 ちら、と見た先では金色と眼が合うことはなかった。母も何も言わないで居てくれるのには安堵する。疑問符を浮かべたのは、スープの皿を持ち上げていたフェルリナードだった。
「……しけん、するの?」
「うん。学校に入るための準備をする学校に入るための試験」
「……?」
「学校に入るためには試験があります。これに合格しないと学校には入れません。その学校の試験に合格しやすくするための勉強の場が、準備学校と呼ばれる場所。その準備学校にも試験があります、その試験のための準備に勉強を、ということ」
「……がっこう、って、なに?」
 見上げて来た紫には、ああそこからか、と思う。口の中のものを飲み込んでから口を開いた。
「いろんな子供が集まって、勉強したり訓練するところ。その為だけの特別な、施設と仕組み、かな」
「……べんきょう、いま、してるのと、おなじ?」
「もっと難しいことを、ですね。史学、哲学、数学、生物学、魔法学、地理学。加えて、騎士になるのであれば剣の訓練。魔法使いになるのであれば魔法の訓練」
「むずかしい……べんきょう、いろいろ、ある?」
「ええ、たくさん。そうですね、フェルリナードが今やっているのは語学です。言語を学ぶということ。その次は、どうでしょうね。魔法学が先でしょうか」
「精霊学は教える必要があるかと。精霊眼を持っているのであれば付き合い方も学ばなければ疲弊する」
「そうですね。魔法か剣か、それ以外かは、自分な好きなものを選んで構いません」
「けん、は、クロウィルとラシエナの?」
「ええ」
「……まほう、って、なに?」
「ヴァルディアや父様……ユゼや、レティシャやイースの扱う力のこと。見たことはありませんか?」
「ない、……ない、と、おもう」
 ヴァルディアに視線が向いたのは母と同時だった。気付いたヴァルディアは、少し眉根を寄せて思案している風で、それでもすぐに口を開く。
「見せる分には構わないが……俺は魔導師だからな。見せると言って何を見せるのかによる。破壊専門だからな……」
 言いながらも思案しているようなのは変わらない。紅茶を口に運ぶ、それを置いてから彼はフェルリナードの方を見やった。
「食事を終えたら。暖炉の前で待っていろ、いくつか持ってくる」
「うん」
「残すなよ」
「……う、ん……」
 念押しの一言に、子供はぎこちなく頷いて返す。子供用にと、他に比べて盛り付けられた量は少ないが、少食のこの子供には少しつらい量だろう。青い頭をぽんぽんと撫でてやる。
「ゆっくりでもいいから全部な。ファリマが悲しい顔するから」
「……うん、わかった……」
 本当は鬼の形相になるのだが、好き嫌いをしているわけでもない、食べていないのではなく食べられないのだと知ってから、ファリマはあれこれ考え抜いて、総量を減らす方向に決めたらしい。無理やり食べさせるものでもないのだけれど、とは、悩ましくぶつぶつ呟いていたのを間近で聞いている。カルドやディストの言う限りでは、長期間少食にならざるを得なかった場合にはそれで身体が慣れてしまって、量を食べられるようにも苦労するようになってしまうらしい。
 なんだかなぁ、と、そう思っているうちに紅がこちらを向いているのに気付いた。なんだろうと母を見返せば、気付くのを待っていたのか、すぐに声。
「……そう、経歴のことですが、現状は『調査中』ですが結果的に『グラヴィエント総長の姪』に落ち着くことになりましょう」
「はあ!?」
 声を上げたのは団長だった。手早く食事を終えた母は紅茶を嗜みながらそれに言って返す。
「何か不都合が?」
「ふつご、おま、そこまで盛るのか……!?」
「ええ、盛ります。ついでにですがグラヴィエントもこの策に乗り気で、実際にグラヴィエント以外の人身売買組織潰しに躍起になってくれています。曰く総長とその弟は絶縁しているとのこと、それでも血の繋がりはなによりも濃い。だからグラヴィエントも怒り狂う。疑念を挟む余地があるとすれば、唯一フェルリナード……偽名を挟むことにはなりましょうが、この子が幸運すぎるということ。事の起こりは拉致という不運でも、ディアネルの告発した中に被害者としてあり、紫旗に保護され生家に戻る。ですが必然そうなったであれば作為が見えても崩せは致しません、紫旗が拉致被害者を生家に送り届ける役を果たしたのも過去にいくらでも例があります」
「……母さん、それ……」
「退路を考えている暇はどうやら用意されていません、それだけのこと」
 言われてしまえばなんとも言えない。かわりにふつふつとゆったり立ち上るものの処理に集中しようとして、不意に懸念を覚えて覚えて眼を向ければ、想像もしていなかったものが見えて、眼を見張ったまま動けなくなってしまった。
「――フェルリナード、が、いなければ『大丈夫』だった?」
 ごくごく変わりなく、ただ不思議そうに問いかけるだけの、変わらない紫の瞳。



 暖炉の前の絨毯の上に、大きな紙が広げられている。描かれているのは魔法の構築陣。横に何冊も広げられているのは、少し持ち上げて題名を確認すれば『構築理論』の文字が見えた。黄金の説明する声は続いている。
「そうやって導き出した数字を、このような図式に変換して整えていく」
「……わかんねぇ……」
 青い髪が覗き込んだそこに影を落とすのも構わずにじっと計算式を見詰めている紫青の向かいで呟いた。それから少しして、紫青は上向く。
「……これがまほう?」
「魔法を使うための必要不可欠なもの、だ。こうしたものが必要ないものは、単に氣を使えばできる」
 言う彼の左手が持ち上がる。軽く上向けたそこに音もなく火が灯って、紫は目を瞬かせていた。
「……き?」
「魔力の基になるものだ。空気の中に混じって浮かんでいる。これは火の氣」
 言うと同時に掌の上の火がゆらりと蠢く。そのまま火の赤さが薄れていき透明になると同時に軽い、膨らませた紙袋を叩いて割った時のような音が鳴り響いて風が吹き抜ける。風には肩を寄せて身構えたフェルリナードは、それでもすぐに自分の両手を見下ろした。それを見たヴァルディアがすぐに言う。
「まだお前はだめだ」
「だめ……?」
「理解し、訓練し、そうしてやっと氣を感じ取ることが出来る。真似だけでは出来ない。やろうと思えば暴発して、お前もお前の周囲の者も物も、最悪消し去ってしまう」
「…………ん、」
 長く押し黙った後に、納得しきれていない声での頷きがあった。ヴァルディアを見れば、一瞥。すぐに彼は紫を見やった。
「フェルリナード、こちらを」
 子供は、疑問符を浮かべながらも言った彼を見上げた。同じ絨毯の上、並ぶように座っていたそれを向き合うようにして、ヴァルディアの指先が、どうやら右のこめかみに触れたようだった。
「氣はまずここで生まれる」
 フェルリナードは疑問符を浮かべたまま、突かれたそこを手で押さえた。魔導師の声は途切れない。
「普段、氣は氣のままだ。別の形にはなり得ない。十二色の水や石が生まれる、と、まずは覚えておくと良い」
「水、と、石?」
「俺が感じる氣は雲だ。お前が氣を感じられるようになった時、お前がどう感じるのかはわからない。水のような液体か、宝石のような石と感じる人間が多いが、大事なのは『十二色であること』だ」
 一瞬疑問に思って、すぐに属性のことかと理解した。口は挟まない方が良いかと思って静観していれば、フェルリナードは何度か首をひねった後、傍に閉じられたままの放置されていた本を引きずってきて、不器用にページを捲って、ある見開きを見つけてから金を見上げる。
「これ?」
「ああ。詳しく説明するが、今は全てを覚えなくて良い。だが『十二色』ということは覚えておけ、必ず必要になる」
「わかった」
 見開きには十二色が輪に描かれ、簡潔な説明書きが付されている。魔導師は左手を持ち上げて、その指先にいつの間にか紅い、透き通った宝石のような石を持っていた。それを見開きの上、赤の上に乗せる。
「まずは赤。人が最も強く、長く関わる色だ」




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