白黒が練度の確認も兼ねての訓練教官を引き受けてくれた、と、そう聞いた直後に五人で集まって確認し話し合った結果は単純なものだった。
 まず前提として、これは対人戦闘を前提した訓練ではない事。故に勝敗が第一であるような、常の訓練や教えとは根本から異なる事。
 そして、それでなくとも最前線に立つ白黒を相手にして、勝つどころか傷をつける事すら難題であるという事は確定事項として扱っても良いというのは、五人の共通認識だった。
 だから、やるべき事はひとつだけだと、その為の『策定』をして、五人は可能な限りそれを崩してしまわないよう、崩されないようにと分担と割り切りと諦めを固めていた。
「じゃあ、話してた通りに、お願いね、ヤールもクライアも……」
「サシェルもな。シェラエとタヴィアも」
「任せて。調節もしておいたから」
「突破されない限り後ろは気にしないでくれ。こっちでなんとかする」
 素早く確認のそれだけを交わして、剣士の三人が魔法使い達の十歩前へと進み出て、止まる。先頭には緑の髪を括ったクライア、僅かに下がった位置にヤルジェウルが剣を抜く。その反対側にはタヴィアが同じように準備を整えて、そして白黒へとまっすぐに眼を向けた。
 何かを短く言い交わしていたらしい白黒が振り返って、進み出た白が剣を抜き払うのと同時に、臙脂が地面を蹴った。



 肩に乗ったコウには唇に指を当てて示す。一応あまり喋らないように、というのはそれで伝わったようで、きゅる、と鳴く音だけで返してくれる。先ほどは幾つかの幻体を作り出して学生達の動きを封じてもらったが、同じ事をしようという気はあまりない。思いながら、フェルはクロウィルを見上げる。
 噛み合った視線のそのすぐ後に、いつも通りに、と口の動きだけで伝えてくれるそれにはほんの少し首を傾げる。だが彼が視線を臙脂へと向けて剣を抜いた瞬間に動き出した五人を見て、即座に杖を握って杖先を下へと構えた。
「『”カルエス"、彼の剣へと』」
 途端冷たい風が渦巻いて白の背に向かう。眼を見張るほどの速度で肉薄した白が先頭の一人に白刃を振り落とそうとするのとその横合いから一人が斬り払おうとするのが同時、風が壁になって一人の剣を弾くのと白が振り下ろした剣の音と、残った一人の剣士が黒へと距離を詰めようとするまでの間が二瞬。距離は走って十五歩も無い短い距離。
 肩の上で竜が鳴く。空中に紡がれた氷の刃が白を向いているのを見て、そういう事かと少し前の白の言葉に合点が落ちた。杖を振るう、息を吸って握り直す、掌の感触が変わる。作り変えられた杖の先で鈴のように鳴り響く音。
「『秘蔵踏み入る姿無き片脚鳥、歌に響かせ詠じるは“ヴィール”冠し秘蹟の民寄す“ラルディア・バスト”!』」
 黒の足元に陣が刻まれ流れていた風が凪ぐ。次に現れたのは炎で描かれた巨大な円陣で、射出されるかのように鋭く噴きあがった幾つもの炎は白に迫ろうとした氷の矢を砕きそのまま後衛へと控えたまま詠唱を続ける二つの臙脂へと降りかかった。
 だがそれが轟音を立てて爆発するのを見れば僅かに眼を細める。詠唱の間にすぐの位置まで詰めていた臙脂が剣を振るう。迷いなく、首を狙って。
 次の瞬間には硬い音が高く響いた。振り抜こうとした剣を握る彼の眼は驚愕していて、それを横眼にした紅が、砕けた結界の一歩先のそこで踏み止まった剣士に左手に握った杖先を突き付ける。思わずなのか判別を経てなのか、剣士が身を引いて翻るよりも、魔導師の二言の方が速かった。
「『紫紺の十四、“セヴェア”』」
 浮かんだ陣は一瞬。焦点を失った碧の瞳が大きく揺れて、完全に閉じられる前に剣を握ったままの身体が傾いでいく。意識を奪われて倒れ込むそれを見ないままフェルは杖を右に持ち直した。
「コウ、巻き込まないように」
『分かった』
 肩の上からの返答、間を空けずに倒れこんだ一人の周囲に青い炎が円を描いて小さな結界が築かれる。残るは四人、だが、一人が倒れた事の動揺はその四人からは感じられない。魔法使いの片方が軽い衝撃から身を守る為の小さな壁を剣士に纏わせている間に、もう一人の魔法使いが大きな円を描き出していた。応えるように陣を開く。剣士二人を白が横薙ぎの一閃で遠ざけて僅かに空間が開いた、その隙間に結界を滑り込ませるのと雷撃が降り注ぐのとではほぼ同時。フェルは、大きく息をついた。
 頭の先から全身を押し付けられているような感覚がある。魔法を使うごとにその重さが増していく。魔法行使を制限するこの訓練場を覆う結界だ、規模の大きな魔法を検知すれば、その使い手の力を制限しようとする。
 離れた場所から短い悲鳴、衝撃にか飛ばされた細身の剣士が茶色い地面に転がって、だがすぐに立ち上がる姿に負傷は見えない。ちらと黒の居場所を確認しても、こちらには駆けてはこなかった。代わりとばかりに迫るのは炎の矢。コウの青い炎が壁となって遮って阻んでくれた事を確認しながら、フェルは深く息を吐き出しながら杖を握り直した。
「『――静寂の狭間に座す仄暗きせせらぎに問う』」
 詠じる声は途切らせて、静かに魔力を練り上げる。普段にそう意識するよりも、密度を高く、かたく。詠唱を見てか魔法使い達の陣が広がる、白が剣士と距離を開いた一瞬に向けてきた視線には首肯、瞬きを挟めば騎士は既に身を翻して広がった陣へと向かっていた。追う剣士が一人、今度こそこちらへと駆けてくるもう一人は緑髪。
 静かに息を吸い込む。開いた陣が光を増す。
「『爾が在るは天か地か、風疾る空仰ぐ渓谷の奥深くに流る水かと』」
 肩の上で鋼が動きかけたのを左手で制して杖を握る。接近を許すそれに『妖精』が怪訝な色を示すのには何も返さずに臙脂に視線を向けたまま。
「『我は問う――』」
 魔法使いたちは陣を広げている。白を標的としたものだと瞬時に判断して指先で鋼の首元を軽く叩けば察して飛び降りて駆けていく。フェルはその行く先を確認しないまま、杖を振るった。
「『爾は名を成す者かと』」
 間合いまで迫った剣士が剣を振り抜く。陣が一際大きく展開したのと剣が迫るのと同時にその陣の曲線が、大きく歪んだ。
「え、」
 青い瞳が見開かれる。振るった刀身が黒を裂く司会の風景と軽すぎる感触に何がと剣士が視線を巡らせるよりも早く、その足首に実態を得た曲線が絡みついた。
「え、ちょっ、!?」
「魔導師の間合いは剣士よりも広いんだよな」
 聞きなれない声が間近、クライアと呼ぶ仲間の声が遠く。振り返るより先に剣を握る右の手が押さえつけられる感触と足首に絡みついた何かが急激に胸元まで這い上がって重心が落ちると同時に剣の塚が手のひらから抜け落ちていく。強制的に上向かされていく視界と全身に炎と熱が迫る。背に衝撃、両腕で顔を覆うのが精一杯でいるうちに熱は過ぎ去って、それからすぐに耳元で刃の突き立つ音がした。
「クライア大丈夫!?」
「ちょ、っと、何が起こったのかよく分かってないけど生きてる」
「ごめん私もよくは分からない」
 片手をあげればすぐに握り返して助け起こしてくれるそれに頼って、動かしにくい状態を地面から引き放せば、すぐそばに突き立った学友の剣は硝子のように透明な、地面から細長く伸びるものが脚から絡みついていて、それを断ち切ってくれているらしかった。それでサシェルには感謝しながら片膝を突いて顔を上げれば、離れた場所、到底剣の届かない位置に黒と白。
「何がどう」
「相手の構築陣がそのまま武器みたいに、」
 言いかけた彼女が息を詰めた瞬間に周囲に何かが張り巡らされる気配を感じ取って眉根を寄せる。慣れた予兆に身構えれば、思った通りに襲いかかってきた地揺れが眼前で不可視の障壁と衝突して土煙とともに硬い石の破片が降り注ぎ結界とぶつかるばらばらという音が立つ。その中でクライアはすぐ傍に転がっていた自身の剣を拾い上げて立ち上がった。
「ヤールは?」
「大丈夫、巻き込み対処はされてるみたい」
 救出は駄目だった、と付け加えるのには、では先に後衛たちが確かめてくれていたのだろうと頷き返す。意識を奪われて転がった時点で退場なのだ、実戦で死んでいないだけましと言うべきなのだろう。
「……で、すっごい様子見されてる」
「だよなぁコレ……」
 視線の先、眼が合ったらしい紅銀はにっこりと笑ってくれた。



 紅炎が舞い上がる中で風が渦巻くに任せたまま大きく後退し距離をとった白が、ふ、と軽く息を吐き出す。えいじる声も短く結界を築き上げて迫る火の粉のかけらも封じた黒をちらと見て、視線はすぐに園児に向け直しながら声だけはそのまま横へと向けた。
「で、どうだ?」
 残るは魔法の残滓だと見たところにもうひとつ、今度は氷の姿を見せた槍が降り注ごうとするのには炎を踊らせて排除する。どうするかと確かめる為の思考の間もなく魔法使いの一人が風を、もう一人が癒しを詠じるのを見て、フェルは不無理と口元に手を当てた。紅の瞳はそのまま、臙脂を注視している。
「……基本はそれなりだと思います。死者が出ないように立ち回っているのも好印象だとは。でも私、魔法使いの視点からしか見てないと思いますよ?」
「まあそれは分担で。俺魔法使いのことは利か害かでしか見てないしな」
「自己中心的な騎士ですね」
「固定砲台に徹してる魔導師が何か言ってるな」
「黒を走らせるのは非効率に過ぎますよ」
「だからだろ?」
「だからですよ」
 言い合う間に風が奔る音。眼に見えない壁が砕かれる甲高い音に杖を振るった黒の周囲に冷気が凝る。だがそれ以上の動きがないことに遠くの間書の魔法使いが二人、訝しむような色を浮かべたのを見て、その反応を確かめて、それでクロウィルは右手の剣を握り直した。
「もういいだろ、その気配無いしな」
「ですねぇ、ちょっと惜しいですけれど」
「追い追いな。短縮くれ」
「八秒」
「妥当」
 即座のそれに周囲の冷気も措いて全く新しい人が開かれる。淡い燐光が灯って消えうせると同時に白服の姿が、わずかに黒−0区が揺れるのを最後に空気に溶けて掻き消えた。
 即座に気付いたのは二人。剣士がすぐさま二手に分かれる。緑が背後、魔法使いたちに向かって地面を蹴り、白が消えたとみた茶が黒へと向かって剣を握って駆け出した。黒が杖を地面へと向ける。再び現れた白は臙脂の二人のすぐ近くにまで迫っていた。黒は自身へと向かう一人を見据えたまま。
「『――”フォード”』」
 小さく声を落とす。冷たい空気が渦巻く。人は開かない。ひとつに括られた茶色の髪が揺れ青瞳に浮かぶ色までがはっきりと見える距離にまで迫ってようやく、黒服が片足を引いた。
 真横になぎ払う剣が空を切る音。返して叩きつけるように白刃が振り落としたサシェルがその感触に眼を見開いた先、弾けるように空気に散った黒い靄、その中から剣士を見返したのは蒼い獣の眼だった。
「使い魔、――って、!!」
 気付いて体の向きを返した時には黒が遠くにあった。陣が無かったのはと思った時には白が魔法使いの一人に距離を詰め終えて首に白刃を突きつけているのが見えて、黒がもう一人の背後で人を広げているのが見えた。
 反射で足を止めたのはサシェルだけでは無かった。クライアが同じように白に向かう動きを押し留めたのを視界に認めて、遠くに立つ魔法使い達が動きを止めたのを見て、それと同時に二人の剣士の動きが重なった。
 柄の握りを逆手に返す。次いでなったのは乾いた土に刃の突き立つ音。
「……投了です」
 言ったのは白に急所を捉えられた魔法使いの方だった。その言葉を証明するかのように剣士二人が柄から手を離した事を見て取って、フェルは臙脂の制服の背に当てていた杖先を離して、その長い柄を自分の肩に当てた。




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