確保に時間はかからなかった。展開されたままの結界を保つ為に設置された魔法具に、何か特別な仕掛けをしているおかげだそうだが、聞いたクロウィルは眉根を寄せた。
「それって……」
「残念ながら製作にも設置にも維持にも、費用と労力がかかりすぎる。今はより簡単に作れて簡単に使えるものを開発中だ」
「ああ……村に置くわけにはいかないのか……」
「そうなるな。あと十年以内にとは思ってはいるが、中々な」
 周囲に向けていた眼を引き戻せば、副学長は、ふ、とどこか楽しげに笑ってみせた。すぐにさてと声をあげて立ち上がった彼の手には太い木の枝のような杖が現れる。
「感応陣を活性させる。少し離れていてくれ、半端に触ると妙なことが起こるからな」
「起こるってのが確定事項なのがなあ」
「何か起こるか何も起こらないかすらわからない、よりはずっとマシだろう?」
 言い合いながらも手で示された通りに数歩下がる。背後から雪の上にしては重い音が近づいてくるのに振り返れば、並走する一人に手綱を投げ渡した一人が馬上から飛び降りてその勢いを上手く落としながらも駆け寄ってきた。すぐに声を向ける。
「どうだった?」
「異常なし。『結花』くらいはいるけど、高位なんかは全く。何が起こるか察知して逃げたのか漁夫の利狙いで隠れてるかだねえ」
 言いながら剣帯とクロークの据わりを直して、胸元に垂れてきた新緑の髪紐は背に追いやる。そうしてから副学長の方を見たフィレンスはすぐに時計を取り出し、針の向きを確かめてからそちらへと駆け足を向ける。
「先生先生」
「うん? どうしたね」
「あと四十七秒」
 フィレンスの言うそれが時計を見ながらなのに気付いて、そういうことかとオルエは苦笑する。三十秒、と聞こえた頃に、雪の上に置かれていた数々の紙片がふわりと宙に浮き上がった。羊皮紙のようにも見えるが、触れたわけでもなく、それどころか近寄ることすらできなかった。魔城の準備をしている魔法使いの眼ほど怖いものもそうそう無い。
「……フィレンス、明るくなったわね」
「どうだかなぁ。でも、もう大丈夫だとは思うけど」
 後ろからのクラリスの声にはすぐに返して言う。数年前からつい最近までには本当に色々があったから、知るクラリスには新鮮に映るのだろう。自分にしてみればこの数年間の方が異様だったのだが。その会話も聞こえていないのだろう数える声が二十を下っていく。
「フェルが来たからかしら?」
「それもあるとは思うけど。最近ベラとかディナと居ること多いから、後は見てるだけでいいと思うぞ」
「そうね、そうするわ。……貴方も十九なのにねぇ」
「誰かとか誰かのおかげでなぁ。慣れてるんだよ」
「……貴方、いつから紫旗にいるの?」
「所属期間に関しては機密扱いで。そういう情報って色々に使えちゃうからな」
「成る程」
 クラリスの声に少し遅れて、零、という声が聞こえる。繋がった、と副学長が言う、そのすぐ後に陣から強い光が放たれる。振り返った先には少し高さを減じたように見える塔。実際にはこちらの地面が雪の上に変わって高くなっているだけだ。雪の厚みが一階部分と二階の半分程度で落ち着いているのは幸運だろう。西の土地は他に比べて高地にあたるから、降雪の量は北に次ぐか同等とも言われる時もある。都市である蒼樹から離れれば当然度を越した雪の量になるのが常だが、今は空も晴れているのは僥倖だろう。魔法といえど天候には左右される。
「……陣は通したままにするのか?」
「いえ、移動ごとの活性。重症者の手当てにはエルシャリスがいるし、学生には苦しんでもらわないといけないから、簡単には帰せないわ」
「……協会ぐるみで学生虐めんのやめねぇか……?」
「じゃないと保護者たちが動かないんだもの。やっぱり貴方、学院行ったりとか、世話好きね?」
 そっちこそ保護者の代表格だろ、とは思いながら溜息に代える。術者であるオルエがその場を離れて、後はあちら次第だと言う声には頷いた。雪を踏む音は二方向からで、ひとまず前から近づいてくる緑紅は措いて振り返れば、フィオナとシェリンが揃って歩いてくるところだった。シェリンが時計を手にして言う。
「時間みたいだね」
「時間ぴったりに合わせてもらった」
 合流したフィレンスがなんとなく自慢げに言うのには思わず口元が笑ってしまうのを押さえて、だってさ、とだけクロウィルが言えばフィオナもシェリンも同じような表情をしていた。正午十二時、越えて一分程度だろうか。思う間に転移陣が放つ光が強く大きく広がって、その中に黒い影。緑紅が右目を庇いながらそれを見遣って、そうして声をあげた。
「フェル!」
 途端に黒い影、砂色のフードを被った後ろ姿が動いて振り返る。明るい陽の下でフードの奥に紅い眼と彩やかな髪紐が見えて、駆け寄ってくるそこに向けて声を向けた。
「髪やってもらった?」
「はい! ベラさんが色々やってくれました!」
 駆けて来たその黒服が手を伸ばして、普段よりもよほど重装備の白い外套を握るのには苦笑した。フィレンスがフードの上から撫でるのを見上げ、コウがクロウィルの肩に飛び乗って小声を落とす。
『ずっと落ち着かなかった』
「ああ……なんとなくわかるな。想像はしてたけど」
『大丈夫、だろうか?』
「ああ、素人じゃない。でもなにかあったら頼むな、俺らが動けるのかなり限られるから」
 きゅる、と鳴いて、コウはフェルの左肩に飛び戻る。フェルが気付いて腕に抱え直す間に、他の黒服たちも連れ立って合流した。セオラスの声。
「どうだった?」
「特別に問題もなく。他のは塔にいる、交代順で今は俺らだから、先行って休んでてくれ」
 相方はすぐに返して、それからクロウィルは他の黒服たちへと目を向けて行って背後の塔を指差す。それにはゼルフィアが軽く首を傾げた。
「いいのか?」
「一回こいつ殺してみたいし」
 指差した白服の指先が迷いなく動いてセオラスを指差すのには、訊いたゼルフィアは視線を遠くし、セオラスは弱々しく溜息を吐き出し、フィレンスの外套を握ったままそれを見上げていたフェルは首を傾げた。
「……フィレンス、セオラスさんってクロウィルに何したんです?」
「私でさえこういうこと言われたことないから、私よりもよほど酷いこと」
「お前一応上司だしな」
「あれ。そうじゃなかったら言う?」
「いや、寿命縮まってる奴殺してもな」
「だよねぇ……ん、あれ、殺すって自発的に?」
「いや、偶然を仕組んで偶発的に」
「あのさ、せめて殺意のあるなし時点でなんか別のこと言うべきじゃない紫旗ならさ?」
「え、だって紫旗の護衛対象じゃないしセオラス」
 セオラスはもう一度溜息に変えて、その後ろから頑張れ、と無責任にエーフェが肩をたたくのはうるさそうに振り払った。気にせずに、エーフェがフェルを見やる。
「コウ大丈夫そうか? 初めてだろ、そのかっこになってから転移陣通したの」
『問題ない、みたいだ。妙な心地、だが』
「変わったところとか、ありませんか?」
『無い、……と、思う。途中、陣の声、が、聞こえた程度で』
 陣の声、と、フェルはフードの下で目を瞬いた。コウはそのフードの中に入り込んで、銀を翼に絡めてしまわないように慎重に腰を据えながら声を続ける。
『不思議な感じ、だな。なんと言っていたか、も、よくはわからない、が』
「嫌な感じだったか?」
『そうではなかった。心配することはない、と、思う。……もしかしたら俺に文句、かもしれない……』
「大丈夫だろ。陣もそんなやわじゃねえしな」
 言うエーフェの視線が陣の方向を向いたのを見て、フェルは唇に軽く小指を立ててみせ、コウはきゅると鳴いてそれに応える。振り返れば、光の波が引いた陣の上には臙脂が見えて、そのうちの何人かが立ち上がってコートから雪を払っているところだった。慣れないと足元の感触に追いつかずに転んでしまうのだよな、と思いながらフードを押さえる。房飾りが二つ垂れて、風でも舞い上がることはないが、こうやって隠す姿勢を見せておくだけでも効果があるのだから視界の悪さには目を瞑るよりない。そうは思いながらもフィレンスを見上げた。
「……任務中は良いですよね?」
「うん?」
「隠さなくても」
「……あー、うん、まあ、領域侵犯する学生がいないってなれば良いかもしれないけど、どうしても邪魔って時以外はお願いね?」
「既にどうしても邪魔なんですけど……」
「せめて夜にね。……結構数多いなあ、こうやって見ると」
「ですねえ。……あ、そうだ、伝達事項あるので、後で改めて時間ください」
「了解。担当区分け?」
「です。結界が五層になってるみたいで、私達は四層目に入ります」
「わかった。結構高位居そうなところだねえ……」
「一、二層目は学生だそうで。たぶんわざと中心部に向けて高位が集まるようにしてると思います」
 結界にもいくつかある。仕組みは網に似ている、目の荒い結界であれば低位の『異種』はすり抜けてしまう。高位だけを分離したい時にはそうして目の荒い結界を据えることで、高位を忌避する低位だけを結界の外に、標的の『異種』だけを結界の中に封じ込めることができる。特に今回は、一番外側の結界は相当に細かい結界になっているはずだ。駆逐を目的にしているのなら。
「……触媒は持ってきてますけど、ちょっと面倒かもなんですよね」
「そうなの?」
「結界があると魔法の最大限度の抑制が掛かること多くて……」
 その辺りの確認を、と思っても、長官はどうやら学生達に何かしらの指示を伝えているようだった。そのまま視線を巡らせれば副学長が離れたところに立ってその様子を眺めているようで、フィレンスには一言断ってそちらへと足を向ける。雪の上をさくさくと音を立てて、距離を詰めればすぐに気づいてこちらを向いてくれる。フェルはそのまま軽く首を傾げた。
「結界の影響度って、どのくらいになってます?」
「最小には抑えているが、中央での値は推定五千だな。順に三千、千、四百、五十と下がる。奥での行動には、多少魔力を盛ってもらう必要があるな」
「結構大きいですね……」
「緩和しようにも、緩めれば『異種』が噴き出しかねないとあってはな。もし得意なら、三式領域との相性が良いように作ってある、それで回避が可能だ。苦手かね?」
 それには首を振る。奇数式の小規模結界は得意な部類だ、黒達には伝えておきますと言えば、オルエもうん、と頷く。それから彼の視線はエーフェに向いた。
「工学師が居るのだから、作らせても良いかとは思うがな」
「ん、と、……それは、ちょっと……」
「なに、工学師は魔導師に尽くす生き物だ。魔具にしても宝珠にしても、魔導師がいなければ意味のない物ばかりだからな」
 言いながら副学長は視線を滑らせていく。それに背後を振り返れば、すでに気付いていたらしいエーフェが、何故か思いっきり表情を歪めて見返している様子が目に入った。フェルが首を傾げている間にオルエが指先だけで手招いて、エーフェは渋々といった様子で距離を詰める。
「なーんすかせんぱーい」
「……先輩?」
 脚をぶらぶらと、わざと態度も悪く、それでも距離を詰める足取りに迷いや逃げは見えない。フェルが首を傾げて二人を交互に見、零した声には、呼ばれた方のオルエが応えた。
「うん、エィフィエは私の後輩だな。と、言っても、学年やらで言えば、エィフィエやヴァルディア、クウェリスの方が最終的には上だったが」
「……?」
「私は元々騎士課程だったのだよ。途中で魔導師課程に移ってな、それで、六年間のはずの学院に八年居た。騎士課程が四年、魔導師課程が四年だな」
「……すごい事じゃないです……?」
「さて、本物の天才が後輩にいたからな」
 にこにこと笑みながらのそれは、嫌味には聞こえなかった。元より魔導師と呼ばれるほどに魔法に親しんだ人間はそう簡単に他の魔法使いの才に羨望など向けないものだが、そういった類の意地にも見えない。不思議に思ったそれが仕草に出たのか、気付いたエーフェが少しばかり背を丸めて、それで目線を近付けてくれる。
「元々魔法関連の講義もちゃんとやってた稀有な剣士、ってな。知識があれば、そりゃ早いだろ」
「……そっか……」
 魔法は知識だ、と、魔導師たちは言う。知識だけで魔法であると言う者はないが、騎士のそれとは違いすぎるのは習得にかかる集中の向けられかたからしても別物だからこそだ。知識さえあれば、あとは才と感覚だ。才があったのなら、四年で学院の修了は易いだろう。オルエは妙に納得したらしいフェルを見やり、首をかしげる。
「君は、かかった方かね?」
「結構……そう、ですね。修練に一年かかったくらいなので」
「……それは。珍しいこともあるものだな、そこまでかかる子供は珍しい」
「ってよりそこまで我慢強くないってか。いくつん時だ、それ」
「八から九歳にかけてです。……その時はまだ剣のが好きだったなぁ……」
 言いながら、視線は白の方に向いていた。気づいたらしいフィレンスとクロウィルがすぐに目を向けてくれるのには何でもないと手を振って苦笑を返す。目敏いというか気敏いというか、と内心に呟いているうちに横から手が伸びて来ていて、エーフェが片腕を取って持ち上げるのには好きにさせる。
「剣使うような腕には見えないけどなぁ……というかお前ほんと食べたものどこ行ってんの。体小さいし腕細いし筋力なさそうだし」
「食べる量はあんまり関係ないんじゃ……長剣はさすがに重いので、細剣とか短剣ですね、やってたのは。短剣は今もたまに見てもらってます」
「……あいつらは何なの、暗殺者にでもしたいのお前のこと」
「短剣をって言ってくださったのシーナ様なので……」
 配慮の見える小声の問いかけには同じように小声に落として返す。シーナ、という愛称にはやはり心当たりがあるらしいエーフェがあいつ、と顔を覆って沈黙してしまうのに対して、首を傾げたのはオルエだった。
「シーナとは知り合いかね? あの子もエジャルエーレの後援を受けて紫樹に学びに来ていたが」
「あ、はい、そう聞いてます。姉弟子様みたいな感じ、なんですけど、私が小さい時から色んな面倒を見ていただいて」
「ほう。そうか、あの子は良く気付く子だった。彼女の薦めで剣を?」
「はい。同時に魔法も教えて頂いて、どうやら魔法の方がとなって、それでシーナ様が侯爵様に推薦してくださったんです」
 そうか、と笑むオルエは隠す所のない笑顔だった。フェルはそれに同じような笑みで返しながら、危なかった、と胸を撫で下ろす。スィナルが『シーナ』と名乗ってエーフェやヴァルディアと共に紫樹の学院に在学していた事は聞いていたが、そのエーフェの先輩のあるオルエは共に『シーナ』の先輩にあたるのだ、知られていておかしくないという事を失念していた。知られていないはずがないだろう、あの存在感の塊というべき、自然に他者を圧倒する空気を持つあの女王が。学院の頃は王女だったろうが、自分の記憶の中にある王女もやはり独特だったはずだ。
 何とか笑みで誤魔化しているうちに、学生への何かしらの伝達か訓示かを終えたらしい長官の声がかかる。それでオルエが一言断ってから臙脂色の方へと足を向けて、入れ替わるように黄金が彼のいた位置に納まった。すぐに声。
「休んでおけ。魔力の消費は避けていい、周囲警戒程度は学院にやらせる」
「よっし。時間までどうすんだ? 全員監視哨入れるのか?」
「ああ、広さは十分だろう。白黒は五階以上に居てくれ、何か起こった時にまとまっていてくれた方が楽だ。何事も起こらないだろうとは思うが」
 了解、と返すエーフェに対して、フェルはわずかに首を傾けた後、少し遅れてああと声を漏らした。見やれば、臙脂の表情に伺えるのは緊張、恐れ、必死に様々な思考を巡らせる様子に、少数には侮りが。そう見ているうちに長官の声が向けられる。
「まだ挑発はするなよ。領域の侵犯を見つけた時には何をしても良いが」
「……見捨てるのは駄目なんですよね?」
「出来ない事を訊くものではないな」
「……特に思い入れもないので……」
 どうでも、と言う前に手の甲で軽くフードの上から頭をはたかれる。痛くはなかった。形だけはたかれたそこをさすりつつ、フェルは長官を見上げる。
「結界の許容値とか、オルエさんに聞いたので黒達には伝えておきますね」
「ああ、任せる。定刻は二十時だ、それまでに査定基準にも目を通しておけ」
「……」
 忘れていた。と、言わんばかりの顔をしていた所為なのか、手の甲が再び頭をはたきに来る。それからため息とともに諦めたように肩を押されて、それで白達を拾って行こうと思い至って彼らの方に駆け足を向けた。




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