目の前に並ぶそれらはできたばかりのものなのだろう。夏の早朝とはいえ、街々を巡る間に温かい食事には中々お目に掛かれない。今までには四つの街を巡って来たが、その四つの全てで騎士団は嫌われていた。だからこうして、立ち寄る村の、その場所のものが食べられるのも、それだけで嬉しい事のように思える。来訪したばかりで村の人間とそう親しく会話できるわけでは無いが、排他的でない空気は温かい。
肩身の狭いといった感覚とは程遠い雰囲気の中での食事を終えた頃に、その空気を作り出していた一人であろう村長に問い、尋ねられたのは、予想していた通りのものだった。
「最近、村の近くで妙なものを見かけます」
レイネルはそれに眼を向ける。ヒュテと名乗った村長は、それでも笑みは絶やさない。
「明確にこれと言って、被害があった訳ではないのですが」
「黒っぽい、影のような人のような、か?」
「ええ。……騎士団の方でも?」
「ああ。そういう報告がいくつも上がってるからって、今は分隊の俺たちの方にも伝令が来てる。昨日の夜も」
ちら、と横目を向けられて頷く。ヒュテの眼がこちらを向いたのを見て、カイアスはそこでようやく口を開いた。
「少し変なように思ったので、夜のうちに少し村の外を。近づいてくるような動きは無かったので、そのまま様子を見るだけにしていましたが」
「そうでしたか……ありがとうございます。ではファレアが言っていた通りか……」
後半の言葉は、ヒュテは傍らの一人に眼を向けて声を落とす。ファレア、という名にか傍らの男性が頷いて、カイアスはその様子に少しばかり首を傾けた。目敏くそれを見つけたのか、ヒュテは苦笑する。
「昨日に皆様を案内しました子供です。こんな中ですから、あまり、外には出歩くなとは言っているのですが」
「行動派らしいな、どうやら」
「お恥ずかしい限りです。おかげで村の中で一番、外の状況には詳しいのですが」
珍しいなと、声には出さないまま思う。どんな集落であろうと、子供はあまり囲いの外には出さないものだ。都市部であれば隣街にというのも不自然ではないが、道中の安全が確保されないままでとは不用意にも程がと、言うヒュテの言葉には不審に思う。
「……では、何か分かり次第、対応や報せがあると期待しても?」
「ああ。対応の方は、まあ、必要があればって形にはなるだろうが。何が起こってるかってのはしつこく調査してるからな」
「それが聞けて安心しました。長い事村の周りにいるだけで、気味が悪かったもので。……ああ、それと、もう一つ、こちらはお願い事になるのですが」
「なんでも。その為に来てるからな」
おそらくこちらの方が本題なのだろう、察したレイネルも薄く笑っている。ヒュテは快諾と受け取ったらしく、今度は明るく開いた表情を浮かべた。
「この村の事はご存知でしょうか。周辺にある資源やらを使って、村の家それぞれに色んなものを作っているのですが」
「ああ、聞いたよ。隊商に預けて、って」
「村の人間が外に出たがらないので、そうしてもらっています。ただ毎年夏前には来ていたものが、何やら問題があったとかで今も来ておらず、困り果てておりまして」
「長いですね……もう盛夏もって頃なのに」
「ええ。村の蓄えはある方ですが、このままずっとというのは難しく……騎士団の皆様に、その隊商を探して来て頂ければと思いまして」
「ルートから外れた、って事は無いのか?」
「ありません」
当然の疑問には即座に否定が返される。ヒュテは、やはり笑みを浮かべていた。自信か、あるいは。
「一つ前の村から出る、という時にはかならず報せが来ますし、今年も届いていますから。予告無くという事は無いでしょう、彼らにとっても私たちにとっても、互いに大事な商売相手です」
「……そうか。したら、その隊商が使う道を教えてくれないか、まずはその辺りを重点的に探そう」
村長の彼は、レイネルのそれには笑みを深くした。地図がありますからと言った彼の視線を受けて一人が立ち上がって、そして集会場の扉から外へと足早に去っていく。背後のテーブルの方はもう随分と静かになっていたが、視線の数は減ったようには感じなかった。
どうやら、と思いながら隣のレイネルに眼を向ければ、軽い頷きが返ってくる。それを受けてカイアスは椅子を引いた。
「先に隊に伝えて来ます。ヒュテさん、ごちそうさまでした」
「お願いする立場ですから、このくらいは」
言う彼の表情は崩れない。想像はついていたから、そのまま立ち上がり背を向けて扉へと向かう。途中に誰かと目が合う事は無かったが、背に向けられた視線の感触は剥がれない。座っている間はずっと背の方向にあったこの集会場の様子を見渡す気にもなれずに、そのまま足早に廊下へと出て、そのまま隊員たちのいる建物に戻るためにと足を向けた。
「ありゃあ、やり手だな」
「ですね」
隊員は、肩書きのある二人の他にはあと八人。そのうちの三人を村に待機させて、七人で村を背に見ながらのレイネルの言葉には、同じように手綱を握ってカイアスは応えた。それを合図にしたように馬の腹を蹴り、地図の示されている通りに並足に進む。
「商売人ってああいうもんなのかねぇ。舐められたらってのは、分からんでもないが」
「騎士団が信用されてないだけですよ。村全体がそんな感じでしたから」
「あからさまな方が開き直れるから楽なんだよ」
「分かります。でも何も出来ないまま帝都に戻るよりは良いじゃないですか、団長やら役員にも良い顔できますよ」
レイネルの眼が向くのを感じて、カイアスは笑みを作って軽くはは、と笑ってみせる。胡乱な眼。
「……スイッチ入ってんなお前」
「触発されやすいんです。相手が商人なら、タダ働きはさせられませんよ、やらせたら自分の評判が落ちますからね」
「そういうもんかねえ……」
「そういうもんです。騎士団なんてどこに貴族の子弟が紛れてるか分かりませんから、そういうのが帝都で言いふらしたら店も商売も維持出来なくなりすからね。相手も保身で頼んでるんですよ」
「そういうのどこで習ってんのお前」
「実家が病院なもので」
色々あるんですよ、と、笑みを崩さないまま言うカイアスにはレイネルは溜め息一つしか返さない。カイアスもそれを受けて苦笑に変えて、そして道の先を見やった。久々に自嘲めいた事をしてしまったと思いながら、後続の部下達に振り向いた。
「二手に。距離を取って周囲を確かめて来てくれ」
了解、と答えた五人が左右に手綱を打って分かれていく。レイネルを見やれば頷きが返って来て、それを確認してからカイアスは馬首を翻した。五人のうち二人が向かった先、左側。その先頭に立つ。
「この辺り草原ですよ副隊長。見通し良いし、簡単に見つかると思いますけど」
「念の為だよ、あちこち林もあるから、その中にだったら遠目じゃ分からないかもしれないし」
「そんなとこ行きますかね」
「何があるか分からないからな」
疾駆する馬上で上下に揺れながらでも、慣れた穏やかな気性の馬は素直に騎手を運んでくれる。喋れないほどの衝撃は無い。隊長は単騎だが、あの人なら何があっても大丈夫だろう。実力によって騎士団に引き上げられ、小さいとはいえ一つの隊を預かるまでに至った騎士だ。そうそうな事にはならない。
思いながら馬を駆る。安全区と聞いていたのはそうらしい、こうして開けた場所を移動していても魔物の姿どころか気配もしない。後ろで特有の音がして眼を向ければ、魔術師のその周囲に光帯が浮かんでいた。緑の光と文字列、数列。草原へと眼を戻しながら声だけ向けた。
「どうだ?」
「うーん、あんまり……精霊もそうですけど、野生生物が多いんですかね、シェシェスには反応が多すぎて」
「風で分からないとなるとな……土だと、近付かないとだし、やっぱりあちこち見てみるしか無いかな」
「ですかねえ」
ある程度距離を取れたと判断して、手綱を引く。並足にまで速度の緩んだその後ろに二人がついてくる音を耳に聞きながら、ぐるりと周囲を見渡す。腰に提げた剣の柄を軽く握る。緩やかに息をついて、そして耳の少し上のあたり、頭と、思考そのものに熱の籠る感覚。黄色い光帯が、騎乗したその馬の足元に大きく広がる。後ろからの声。
「ずっとだと、疲れますよ、魔術は」
「反応があればすぐに消すから、問題ないと思うよ」
一日休めば平気だし、とは付け足しておく。目尻は冴えて冷たい。それに、と肩に背負うような重さを感じながら手綱を握り直した。
「俺、魔法は使えないしなあ……」
「魔法は魔法で疲れますよー、魔術は考え過ぎの疲労ですけど魔法はそのまんま気力の疲労だし」
「副隊長考えるのは早いから魔術の方が性に合ってますよきっと」
「かな。……考えるのは、って、なんか含んでないか、トール」
「ほらほら変なこと考えると光帯揺れますよ、土の探知は安定性一番じゃないですか」
言われて渋々意識を前へと向ける。魔術は数式、術者の頭の中に無理矢理演算機構を作るものだ。訓練すればそれだけに専念せずともその光帯、効果の具現を維持する事が出来るが、やはり揺れが生じてしまうのは変わりない。あまりに揺れが激しすぎれば何重にも重なり合った数列にズレが生じて、演算そのものにバグが出る。そうなってしまった魔術は大抵が暴走する、そうすれば危険が及ぶのは自分も仲間もだ。人間が作った数式で操作しているとは言っても、利用しているのは世界の仕組みそのものだから、暴走させてしまえばどうなる事か。
不意に腕に違和感。左腕、肘よりも少し上。素直に眼を向けた先には緑が見えた。手綱を引いてその場に止まる。剣の柄を握ったままの右手はそのまま、左手をその方向に伸ばせば、押されるような疼くようなそれは手首を伝って掌、指先へと移動する。
「ありました?」
「たぶん。でも小さいな……まだ遠いのか」
右手に握っていた剣の柄を放す。同時に地面に浮かんでいた光帯も消え失せ、降ろした左手のそれも消え去る。カイアスがそれを確認してから眼をやれば部下二人からは了解と応える声が返って来て、そして三騎が馬首をそちらへと向けた。
Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.