白い大地の上に燦然と陽が降り注いでいる。冬にしては珍しい、灰色の雲もなく透き通った快晴。窓の外のその風景を見下ろし、彼女はほう、と息をついた。
 今年の冬は雪が遅く冷え込みが激しい。昨日は思い出したかのように吹雪が吹き荒れ、それまで積もっていた雪の、その何倍も高く白いもので閉ざされてしまった。
「……影響はあったのかしら?」
 その呟きのような声に答えたのは、背後の机を隔て無言で控えていた青年。彼は眼鏡を押し上げ、手にした資料に視線を落としながら口を開いた。
「各地に使いをやらせましたが、雪への対策が遅れたもの以外は例年とは変わりありません。しかし国内を流れる川の上流には例年以上の積雪があるとの事」
「堤防の建設にいつも以上の人手がいるわね……いつも洪水ぎりぎりなんだもの。春が来る前に始められるようにしてちょうだい」
「確かに」
「それと、春華祭の準備は慣例どおり一切を神殿に任せるわ、その旨を大公に」
「承りました。……陛下、つかぬことをお聞きしますが」
「なあに?」
 女性が窓の外の風景から眼をそらし、青年を見る。若い宰相は視線を上げ、自らの主を見た。
「大公殿が協会に入られてから一か月、ご機嫌が宜しくないようにお見受けしますが、やはり彼女の協会所属には賛成しているわけではないのですね?」
「そうね」
「それならばすぐにでもこの王宮に呼び戻せば良いのではと、愚考いたしますが」
「……貴方は真っ向から反対派だものね。でも駄目よ、私たちにあの子の一生を決めつける権利は無いわ。彼女が望んでこの国に留まっているわけでもない。大公と言う役目と、簡単には捨てられない仲間がいるからここにいるだけだわ」
「同じ事では?」
「私たちがそうせざるを得ない状況を作っただけ。……何か取り返しのつかない事が起こる前に、ここに呼び戻す。でもそれは黒服の剥奪ではなく保護よ。大体今更ここに縛り付けようとしても、ユゼとヴァルディアが許すとでも思っているの?」
 その言葉に彼は眉根を寄せた。それを隠すかのようにずれてもいない眼鏡を押し上げ、しかし言い淀む。
「それは……思ってはいませんが、しかし」
「私の命令になら従うでしょうね、国王だもの。でも私は国の利だけを考える王にはなりたくない。確かに国の権威を高める事にはなるわ、大公としての紫銀が常にいるのなら。でもそれは捕縛と一緒だもの。他の国からそれに対する批判が来てもおかしくない……今までそれが無かった方がおかしいくらいよ」
 言って、彼女は再び窓の外を見やる。太陽の照り返しが眩しい。まるで地面そのものが光を発しているようだ。
「ヴァルディアの事もね。彼が望むのであれば私は何も言わないわ」
「彼も特例扱いに? 臣の反感を買います」
「勿論表では止めるわよ、それをヴァルディアが無視をする、そんな感じにする事になってるわ。彼はこの国の人間ではない、つまり私の権限が及ぶ所ではないわ」
 その言葉には何も言わず、かわりに彼は深く息を吐いた。女性は窓の硝子に手をつき、そして口を開く。
「いくら貴方が私の事を嫌いでも、私はこの国の王であり貴方はその宰相。貴方は、昏君はいくらでも裏切れるけれど、そうでないかぎり自分の感情は二の次に役目を果たすことができる人だわ。だから私は馬鹿にはなれないし貴方は私の意志を真っ向から否定する事ができない。……そういう知恵を私につけてくれたのは、貴方だものね」
「……悪知恵、ともいいますが」
「知恵には変わりないわ。じゃあ、お願いね」
「は」
 短く答えて彼は部屋から出ていく。硝子に映るそれを確認して、そして彼女は眼を伏した。



「やっぱりキレナシシャスの冬はこれですよねー」
 フェルが掌で雪玉を転がしながら言う。その視線の先に、二つの白。
 フィレンスの放った雪玉は標的を逃して雪原へと還り、逆に飛来した二周り以上大きな雪玉は、その白い服を掠めて白い大地に穴を開けた。
「っ、卑怯者! 馬鹿力が!」
「有利ってだけだ!」
 フィレンスが凄まじい速度で飛来する雪玉を避けつつ雪原を駆け回る。雪に埋まってしまわないのはおそらく魔法でそうしているからだろう。
 そのちょこまか動く的を狙っているのは、頭に雪の欠片がついたクロウィルだった。こちらは足の半ばまで雪に埋まり、しかし時折飛んでくる雪玉を掴んで逆に投げ返す。あるいは手近の雪を握り固めて投擲しているが、その狙いはかなり正確な上、雪玉自体が大きさからしてかなり異なっている。しかもかなり強く固められている為に速度共に凄まじい威力を発揮していた。当たったらかなり痛いだろう。
「お前、雪合戦だけは得意だよね!」
「誉めてくれてありがとうな!」
 フィレンスが大声を張り上げクロウィルが怒鳴り返す。連続で飛んでくるそれを炎で消さないだけまだフィレンスはフェアな方だが、対するクロウィルは自身の利点をうまく使っていた。一度握っただけなのに氷のように固いのは、おそらく彼がコウハ族の出だからだろう。
 端から見たら遊びに見えないこれも、しかし当人たちは真剣に遊んでいる、と認識するようにしているだけの話。微妙に殺気が見えかくれするのも、気のせいだ。フェルはそう割り切る事にして争い続ける二人を眺める。
 クロウィルは飛んできた雪玉を少し屈むだけで避けて、そして手にしたそれを思い切り良く投擲する。フィレンスはそれを避けて、そしてまた反撃を繰り返す。
「……何をやってるんだ?」
 背後から聞こえてきた声にフェルが振り向くと、そこにはコートを羽織ったヴァルディアが怪訝そうな表情を浮かべて立っていた。彼の視線を追って喧々囂々と騒ぎ続ける二人を見て、フェルは楽しそうに笑う。
「いやあ、楽しいですよね、雪遊び」
 言うフェルの服の所々にも、やはり雪がついたままになっている。ヴァルディアは息をついた。
「……別に片方には任務を終えた後だから何も言わないが……結構な人数に奇異の目で見られてるぞ?」
 フェルは再びヴァルディアを見上げる。そして手に持っている小さめの雪玉に目を落とし、それを彼に向かって軽く投げた。
 ヴァルディアはそれを見もせずに空中で掴み取り、フェルの頭の上に置く。ついでに少し屈んで雪を手に取り、それよりも小さな雪玉を作って更に積み上げた。小さな雪だるまが銀色の頭の上に立つ。
「今日、仕事始めだな」
「そう、ですね……実感湧かないんですけど」
「大丈夫か?」
 それには首を傾ける。その拍子に雪だるまが滑り落ち、雪のなかへと沈んだ。少しの沈黙の後に、口を開く。
「確証なんてありませんけど、それでいいなら大丈夫、と言っておきます」
「言えるなら良い、それで十分だ。何も一番最初から命を危険にさらすような任務を振り分けはしない、難度の低い任務を数度繰り返して勘を掴んでから、査定任務に入る」
「査定?」
 ヴァルディアを見上げると、彼は手の中で雪を何かの形に整えながら口を開いた。
「白黒一対になった二人組は、それ以降基本的にその二人で任務をこなす事になるが、二人組を組んだ時点ではその相性は分からない。お前たちは問題ないだろうが、その相性を確かめる為のテストだ。そのテストの結果で無事に二人組になれるかどうかが決まる」
 それを聞いてフェルが気まずそうに視線を外す。ヴァルディアは薄く笑った。
「実際に解体される奴らは少ないから安心しろ。……あと、査定の結果如何ではその後まかされる任務の基準点が変動する。完璧に近ければより難易度の高い任務をこなしてもらう事になるな」
「それって……個人の技量とかは加味するんですか?」
「ああ、勿論だ。いくら連携が良かろうと、個人の力が足りなければ高難度の任務には堪えられないからな」
 フェルが更に微妙な表情を浮かべた。どうしたのかと思って見れば、フェルは弱々しく呟く。
「……それって、基準点低かったら絶対私のせいですよね……」
 ヴァルディアが目を瞬く。そしてその言わんところを理解して、薄く笑みを浮かべた。
 フェルは確かに魔法の才に恵まれている。真実天賦の才だろう、しかしそれを完全に扱えているかと言えば否だ。自分の中に溢れているそれを纏め上げる、その方法をまだ分からないまま魔法を行使している。魔法を使えばすぐばててしまう方だが、それはそのせいだろう。
 逆に、今日から任務中行動を共にするフィレンスは、剣は言うまでもなく魔法も中々に制御できる。個人的な能力の高さは蒼樹の中でもトップレベルだ、それは今まで高難易度の任務を一人でこなし続けた事実が証明している。
 足を引っ張るとしたら、完全にフェルの方だ。能力も経験も、フィレンスには圧倒的に及ばない。
 ヴァルディアはひざを抱えて唸り出したフェルを見て息をつき、手を伸ばす。銀の頭をぱす、と撫でる感触に、フェルは軽い驚きと共にほぼ反射的に彼を見上げた。
「そうとも限らない。一人でやっていたときとは勝手が違うからな。あいつなら良く合わせられるだろうが、二人で行動をする……戦闘を行う以上、『合わせる』という意識があること自体が間違いだ」
 頭を撫でられたまま何かを差し出され、受け取る。小さなゆきうさぎを手渡されて、それとヴァルディアを交互に見交わし、フェルは眉根を寄せた。
「……それ、難しくないですか」
「難しいな。私も最初は全く分からなかった、よくレティアに怒られたものだ」
「……レティア?」
 聞いた事のない名前に眉根を寄せて聞き返すと、彼は手を離し、ごく薄く笑みを浮かべて口を開いた。
「私の元相棒で、前蒼樹長官のレティア=ウィレイだ」




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第二断章__開幕



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