対面するように座った子供の口元を凝視する。動き出して耳に入る音の一つひとつを丁寧に拾い上げて頭の中に叩き込む。
 ――Fr-lenadia=Akshan.
「フェリィエイ……フィエリェイ……?」
 紫はそのままカルドを見上げて、カルドは柔らかく笑んでその頭を撫でていた。紫の眼の表情が、あからさまに「どうしよう……」と言いたげなのに気付いて頭を抱えたのは半時間ほど前の話で、今はもう失敗するたびにこちらが深い溜息と共に俯くだけ。子供の方は、どうやらこれは『難しい』のだと認識したようだった。
「くろうぃう」
 つたない呼びかけに顔を上げれば、子供が見えたと思った時には頭に柔らかいものが触れていた。目一杯伸ばされた手が髪に触れていて、不器用に撫でて離れていく。離れていった先でカルドを見上げるのにはああそこの入れ知恵かと思いつつも銀色を撫で返しておく。
 名前を呼べるようにしよう。まず最初に思い至ったのはそれで、子供が口にするその音をなんとか聞き取って音として再現する、に、挑戦しているのだが。
「これでは『小さいの』が全員の名前を覚える方が早そうだな、クロウィル?」
「くっ……!」
「……かる、――――?」
「――――――。不思議だそうだ、言葉が違うというのと同時に音韻が違う事にも気付いたらしい」
「……ついでに気になるんだけど、なんで俺「くろうぃう」なんだ……?」
「『Rr』の音は古代語ではあまりはっきりとは発音しない音だ、だからだな。私の名のカルドの『Dd』もそうだ、カル、になる。クォルク団長も古代語の発音ではクィオルクになるな。ユゼ副長はユジェイだ」
「…………?」
 子供が首を傾けるのには、カルドが苦笑しながら解説してくれる。どうやら理解する力は相当なもののようだ、と、綴じられた書類に何かの所見を書き入れながら言うのには、婉曲とはいえ会話は成り立ってるしなぁと同意を向けておく。
 どうやら子供は、一時間ほど前まで、『通じないけれど自分が使っているのと同じ言葉』を全員が使っているのだと思っていたらしい。カルドはその感覚には覚えが無いようだったが、古代語は聞けば解る言葉だと父は言っていた。それを素直に信じれば、聞いても分からない古代語と異国語の区別が付いていなくても不思議ではないかもしれない。どっちにしろ分からないのだから。
 そこに、今周りの人間が普通に使っているのはアルティア=オフェシスという、古代語とは別の言語で――という解説をカルドにしてもらい、子供の理解を得たのが一時間前。古代語が通じると分かったカルドに対しては口数も増えてきて、そして通訳を頼むという事も覚えたようだった。
「……おや、珍しく撃沈していますね少年」
「ディスト……おはよう……」
「おはようございます、クロウィル。陛下に御目通り頂いたとか」
「陛下直々のお召しでな」
「おや。これはこの先士官花道まっしぐらですねぇ。『小さいの』も、おはようございます」
 絨毯に膝をついて、銀を撫でながら彼は言う。仕官するのかなぁ俺、とは思いながら、嬉しそうに手の感触を受け入れているらしい子供をみやる。あまり表情は変わらないが、少し首を伸ばして手に頭を擦り付けるのは、おそらくは甘えている、のと同義なのだろう。ディストはそのまま銀を撫でながらカルドを見遣っていた。
「どうですか、調子は」
「好調、に類するだろうな。アルティアを教えるのにどうするべきかは悩むが」
「……かる」
「うん?」
 おや、とディストが呟くのと同時に、子供がディストのクロークを握ってカルドに何かを言うのは同時。そのまま何かを言い交わす。
 どうやら、『解る』のはその声の対象が自分に向けられているか、対象のない声だけらしい、とは、子供とカルドの会話を聞いている間にわかった。無軌道な訳ではないとわかって不安は薄れたが、意志が無理矢理ねじ込まれるような不快は中々消えるわけではない。それが子供の所為だというわけではない、とは理解しているが、条件反射を押し殺すのには苦労していた。
「……でぃすと……?」
「おや。ええ、そうですよ、よくできました。名前を?」
「ああ。教えている、というより、『小さいの』を呼べるように、が第一目標なんだがな」
「難しいですねえ。アルティア母語話者にとって古代語の音は多すぎるってどころじゃないですからね」
「確かにな。オフェシスであれば多少は楽かもしれないが、ロツェは耳しか頼れない。そちらはどうだ?」
「やってみてますが、『小さいの』と話していた方が早そうですね。――――――?」
「……――――」
 ディストが何かを言うのには、子供はそこに両手を伸ばしながら言い返す。抱え上げた彼はそのままこちらに目を向けた。
「そういえば、そろそろ朝食が出来上がるようで。今日は手伝いには?」
「たまの休みだ、私が良いと言ったから、こちらに」
 そういえば、と目を向けた先でカルドが言ってくれるのには安堵が浮かぶ。なるほど、と笑ったディストは子供を抱えたまま立ち上がって、暖炉のすぐそばのソファにそれを据えてから何かを言い含めて、それから扉の外へと行ってしまった。苦笑したカルドが立ち上がる。
「絨毯に座るのでは行儀が悪いからな。座っていろ、今日の仕事は『妹』の世話だな」
「……わかった、けど、……俺が妹って言ったら不敬とかになんないかな……」
 なにしろ『紫銀』だと認められてしまっているのだ。王もあの様子ではこの子供が『紫銀』であることに異論を持っている様子はなかったし、いや妹と言い出したのはその王なのだが。王がああ言ったなら玉命だ、逆らえないし、逆らう気も起きなかった。
 立ち上がって子供のすぐ横のソファに移動して、剣の据わりを整えるのに苦心しながら腰を下せば、横から小さい手が伸びてくる。カルドがそこに何かを言うのに子供が返して、それでカルドが自身のクロークの留め金を外して頭の上から被せてやる。子供がそのクロークの端を掴んで身体に巻きつけているのを見て、ああ寒いのかと思い至る。カルドを見上げた。
「そろそろだっけ、ごはん」
「ああ。……そうだな、先に何か飲み物でも持ってきてくれるか。その間見ているから」
「わかった」
 すぐに答えて、クロークの重さに苦戦しているらしい子供の頭に手を伸ばす。怖じもせずに見上げてくる紫を見返して、藍色越しに銀を丁寧に撫でながら口を開いた。
「ちょっと行ってくるから、待っててな」
 すぐにカルドが訳して伝えてくれる。子供はそれを見上げて聞いて、そしてすぐにこちらを見上げて口を開いた。
 ――どこにいくの?
「厨房、……えっと、朝いたところ、ってわかるかな」
 子供に向けて言って、選んだ言葉が通じるかどうか――この子供が『厨房』というものをそう認識しているかがわからずに言葉の途中でカルドを見上げれば、カルドはすぐに言葉を変えてのやり取りをして、どうやら伝えてくれたらしかった。紫が一度瞬いて、それから手が伸びてくる。袖口を軽く掴まれた。
 ――いく。
 言って、止めるより早く一人掛けから滑り降りる。この子供はどうやら年相応以上には身が軽いらしいとは、息切れは早いものの椅子の登り下りや階段での様子を見て父達が言っていた事だが。
 どうしようかとカルドを見れば、苦笑が返ってくる。彼は子供の頭を撫でながら言った。
「連れて行ってやれ。何人か付いている、気にしなくていい」
「……わかった。じゃあ行こう、……気を付けてな」
 昨日に比べればドレスにも慣れたようだが、それでも足元が覚束ないようなと手を差し出しながら言う。子供は素直に右手を左手で握ってくれた。それにほっと息をつく。
 銀色に被せられた藍色のクロークが引き摺られてしまわないように半ば程を持ち上げて肩に掛けてやって、それから連れ立ってゆっくりと厨房に向かった。



 ――扉が閉まったのを目で確認して、息を吐く。背後に声を向けた。
「どうなっている?」
《わからないわ。ユゼ副長は、「あいつはそうなんだ」って言ってはいたけど……》
「だがな……古代語ができる人間でも一度聞いてわかると言うものでもない、言語よりも先に感情が伝播するものだろう、アーヴァリィは」
《そのはず、……なんだけれど》
 空気の揺れる微かな音。振り返れば、藍色の制服を崩しもしない一人、イースが立っていた。
「……クロウィル、ねぇ……元々歳なんて関係なしに色々と学んで吸収はしている子だけれど」
「秀才ではあるな、確実に。だがアーヴァリィまでこうも早くとは思わなかった……話せるまでには遠そうではあるが、聞き取りだけなら私やお前よりも余程『聞けて』いるかもしれん」
「ちょっと不気味よね正直」
 椅子を引く音。絨毯の側に別の木の椅子を引いての声にはこめかみを掻く。明け透けに隠しもしない言葉だが、同意できるのも事実だった。昨夜の様子がおかしいのは隠形していても見ていたから知っている、だがそれがなんなのかを即座に見抜いた副長にも、それに戸惑いはしても『何故そうなっているのか』を不思議に思わない本人の様子にも、疑念は湧いて失せることはない。
「……ユゼ副長はどこに?」
「急な休暇で理由は不明、団長が許可したからってさっさと出てったわ。少し出てくるってだけね、言ってたの」
「……コウハは保守的だからな。気を許していても、身内には入れない」
 この国では、あまり主流でない種族だ。そして国でほぼ唯一、騎士のための剣を鍛え、値を付けることを許可された一族。大地の種族と渾名されるそれに相応しく彼らは職人気質であって、そして一族とそれ以外の間にはいくら薄れても明確な一線を引く。紫旗に於いてもそうだ、『秘さず』の誓約に抵触しない限りコウハ達は己がコウハであることを曲げも折りもしない。
「流石に子供は気安いみたいだけど、それでも、それ込みで動くんだからやんなるわ、副長も、団長も」
「……ああ、クォルク団長にも訊いたのか?」
「ええ。でも教えてはくれなかったわ、やっぱり。……クロウィル、純血じゃないわよね?」
「そうとは聞いてはいるが」
 そこで一度声を切る。一応の確認として、部下達は全て『小さいの』のそばに控えていると見て、唯一自分と共に立ち止まった魔導師には息をついてみせた。
「……流石にそこまで詮索するのもな。第一副長のする事に、加えて本人がああとなれば、口止めの一つふたつもしているだろう。本人も言おうとはしないと思うが」
「そうなのよねぇ……もうちょっとこう、年相応ならなんとかなったのかもしれないけど」
「……どうやら気にしている部分は違うようだな、イース?」
「そりゃそうよ第四の分隊長。あたしが気にしてるのは超個人的な他人が知ろうとするのに無粋な部分が本当はどうなってるのかで、カルドが気にしてるのはどうしてそれを隠してるのかって理由だもの」
 そんなの公言できないって言われたら終わるじゃない、と、第三部隊の部隊長はのたまう。全くだと苦笑して返したところに扉の開く音がして、早いと思いながら眼を向ければ立っていたのは全くの別人だった。椅子に座ったままの隊長、イースが丸めていた背を起こして口を開く。
「あら団長。任務のない日にしては早起きね?」
「早起きは三文の徳、ってな。『小さいの』どこやった?」
「クロウィルと厨房に向かいましたがすぐに戻るでしょう。護衛は第四階層を使って、中隊を充てていますが、不十分でしょうか」
「いや、それで良い。本部だしな、『小さいの』にも識別は掛かってるから最悪爆破でもなんでもするさ、クロウィルは巻き込むハメになるから後で俺がユゼに殺されかねねえけど」
 確認の声にはそういう意図だろうと添えて返せば、首裏をがしがしと掻きながらの彼がすぐ近くのテーブルまで大股に足を進めて乱雑に引いた椅子に音を立てて座り込む。僅かに眠気の残った顔のと見て、そして眉根が勝手に寄るのが分かった。
「……もしや徹夜なさったのでは」
「あー……あー、まあ、多少な」
「眠られましたか」
「…………」
「団長」
「…………悪い、熱中してた。オフェシスってぱっと見色々としちめんどくさいけど分かったら分かったで楽し」
「団長」
 どこか早口に言い募るそれを割って呼べば再び沈黙に陥る。深く、溜息を吐き出した。
「……歳を考えてください」
「おうちょっと待ってな、俺今三六な?」
「だから考えてくださいと申し上げた。貴方はヒトです、微妙になんとなくノリだけで一〇〇生きるコウハやツェンでも確定で五〇〇生きるオルナルクでもありません」
「…………」
「本来であれば前線にある事すら危うい歳になってる事を自覚してくださいと申し上げているのです」
「……魔導師め」
「だからです。……団長が調子を崩したとでもなれば士気に関わるどころではありません、あとできちんと休息を」
「わーったよ。……まぁ確かに前ほど体力保たねぇしな、そこんところは気をつける」
「そうなさってください」
 言い切って息を吐く。全くこの人はいつになっても保護者が必要だと内心に吐露して顔を上げれば、その当の本人はさっさと立ち直ってテーブルの上に一冊の本と書付を並べていた。紫の眼は開いた本の文面を追いながら、その声はこちらを向いている。
「お前ら古代語できるって事だけど、オフェシスも問題ないか?」
「私は、苦労はしない程度かと。イース?」
「あたしはロツェだけ。構築にアーヴァリィ使わないから詠唱だけなのよね、使うの」
 言いながらイースが椅子を引きずってそちらに距離を詰める。それに倣うようにテーブルの上に広げられた本と書付を覗き込めば、どうやら構文のほとんどは既に網羅したあとのようだった。相変わらずの様子だと閉口してしまう、この人の前では積年の努力も執着も達成感も塵と等しい。あの子供が見つかってから、まだ何日も経ってはいないのに。
「ロツェ特化ならそれはそれで有難いな。オフェシスがどうしてもロツェに読めない」
「ああ……どんな魔導師も詰まる部分ですね」
「そんなか」
「はい。慣れればそんなに苦でも無い部分でもありますが。頂いても?」
「ああ」
 白紙の紙の一枚を見つけて問いかければ、すぐにペンと共にテーブルの中央に二つが押しやられる。すぐに受けとってその中心に、図形のような模様のような、幾ら書いても描き慣れない文字列をゆっくりと象っていく。
『百華に歪みあれども濁り無し。』
 書き終えてからクォルクにそれを差し出せば、彼は難しい顔をして眉根をきつく寄せてみせる。それでもややあってその口が動いた。
「……限りなしの花……全ての花に、歪曲のあるものはあり、濁るものはない?」
「惜しいですね」
「あーくっそ! オフェシスをアルティアに正確に翻訳する方法なんてあんのか!?」
「無いわよそんなの」
 横からばっさりと割って入ったイースに、クォルクはテーブルに突いた腕で頭を抱える。苦笑して一枚をもう一度手元に引き寄せた。
「翻訳は難しい、行う人間によってやはり異なる。これは通説で『百華に歪みあれども濁りなし』とアルティアに訳せる文言の一部です」
「何の文章だ?」
「レティエルの残した魔法の詠唱文です。アルティア文字に変えるとこうなります」
 言いながら、今度は書き慣れた文字を象る。アルティアであっても正確にそれを描写できるわけではない、書き連ねたのは全く無意味な文字列だった。
「……これがよくわからん」
 団長の言うそれには苦笑する。自分も椅子を引いて腰を下ろした。
「オフェシスは完全に文字だけの言語です。読みは無い、というより、音に対応しない、と言った方が正しいか……ともあれ『オフェシスを読む』ことは不可能。そのように造られた言語です」
「それがな……これもしかして全部単語対応か?」
「単語対応って言い得て妙ね。私もオフェシスはできないけど説明はできるわ」
「頼む」
「オフェシスは文字だけ。ロツェは音だけ。だから文字を読みはしないのよ、文字を見て音を考える、ってこと」
「…………」
「丸の記号書いて『まる』って読むのと同じ」
「…………はあ?」
 顔を上げたクォルクが眉根を寄せて居るのには、魔導師二人は小さく笑う。アルティア・オフェシス――大陸語は、文字をそのまま読めば読める言語だ、その大陸語で育った人間には遠い感覚でもある。さてどう説明すべきか、と思い悩んで口元に手を上げたところで背後の扉が開く音がして、振り返れば扉を開いて押さえた少年と、大きめのポットを両腕に抱えた『小さいの』が見えた。子供が扉の範囲より内側に入ったのを確かめてから手を離して顔を上げた少年が、あ、と声を上げた。
「クォルク団長、イースも」
「おはようクロウィル、鉄剣の感触はどうかしら?」
「、……な、なんていうか……思ってたより重くない……?」
 その反応には笑ってしまう。手招けば子供に方向を示して、片腕で盆を支えたまま軽く肩を支えるように押してやっているのには、やはり意識すれば順応も早いのかともう一つ認識を組み込んだ。その間に団長が子供に向かって声を向ける。
『仕事の手伝いか、クロウィルに任せきりで良いんだぞ?』
 慎重に腕に抱えたものを見つめながら歩いていた紫が上向いた。驚いたような、そんな僅かな変化が表情に現れる。些細な表出、そして声。
『……しゃべれるの?』
『ずっとお前たちが話してるの聞いてたからな、でもまだちょっと”違う”だろ?』
 ――この人は、本当にどうやって。思ったそれを押し込めた、わかっていたことだ、音韻はともかく会話ができるようになるまでにそう長くはかからないと。子供の方を見れば、素直にこくんと頷く仕草。
『クィオウィラィル、のと、ちょっとにてる。……わたし、のも、ちがう?』
『こっちの音とはちょっとな。こっちの音はもっと単純だな。クィオラウィラィル、も、こっちだとクロウィル、だ』
 紫はそれを聞いて、そして横に立ったままの少年を見上げる。少しの間、翠が見返して疑問符を浮かべている間に、『小さいの』の口が動いた。
「くろうぃう」
 苦笑が三人分、それに困った要素を混ぜ込んだのが呼ばれた本人で、『小さいの』は自分の口元を指先でつついていた。違う、という事は伝わったらしい、それで改めて二人を手招く。
「まだ少し時間がかかりそうだな。朝食の準備もしよう、『――それは、そこのテーブルの上に。置けるか?』」
 腕に抱えられたポットを指差しながら言えば、『小さいの』は一度自分の頭よりも上の丸い板を見上げてから再びこくんと頷いた。抱えていたそれの中身が空というのは察していたから、そうして様子を見ていれば少年の手助けも得ながらなんとか自分で天板に陶器を押し上げられたようだ。
 団長がそれを見届けて紙片に目を戻すのに気付いて、説明が途中だったかと思い出した。そうだな、と一拍置く。
「……今団長がロツェを話していた、それをオフェシスにすることはできません」
「ああ。……ああ、それだ、ならなんで別個に成立しなかった? 不便すぎんだろ……」
「あのレティエルが作った言語ですからね、通説では力の強すぎる言語だからだそうですが」
「レティエル……レティエルねぇ……」
 とうとう団長の姿勢が頬杖に変わってしまう。『小さいの』が少年に伴われて暖炉のすぐ近くのソファに落ち着いたのは顔を向けて見届けて、それから見返せばクォルクの表情はあからさまに嫌悪に類するものだった。横のイースが口を挟む。
「子供に見せる顔してないわよ団長」
「そもそも子供がいること前提の場所じゃねえよここ……。レティエルが絡む話ってなんでこんなしちめんどくさいことに」
『……レーティ?』
 子供の声がして、一様に視線を向けた。少年の膝の上、抱えられた紫はクォルクを見ているようだった。
『かあさん、ここにいるの?』
「……イース、全隊に伝達、第三分隊まで使え」
 了解、と言い残した彼女が空気に溶けて消える。子供は不思議そうにそれを見て、そうして自分を抱えた少年を、のけぞるようにして見上げた。
『とうさんも、ここにいる?』
『母さんの名前、レーティ、っていうのか?』
 間を置かずにクォルクの声が割って入る。子供はそちらを向いて、僅かに首を傾けた。
『……レーティは、かあさん。でも、わたしのじゃない』
『誰の母さんだ?』
 返答はなかった。無いというよりは迷っているようだった。視線が下を向く、名を繰り返し呟く声だけが聞こえる。迷っているのは団長もそうらしかった、長い沈黙、思い出したかのように紫藍が『小さいの』を見た。
『”父さん”の名前はわからないのか?』
『……とうさんは、とうさん。でも、ずっといたのに、いまはいない』
『母さんの名前はレーティ、でいいんだな?』
『……うん、かあさんのことは、みんな、そうよぶ』
『皆?』
『うん。みんながよぶ』
『”皆”のことは、思い出せないか?』
 子供は、ただ首を傾げた。
『……”皆”は、しらない。みんな、そう、じゃないの?』




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