紫旗の面々は、やはり黄金のことは既に知っている団員の方が多いらしい。夕食の準備に向かった先では、ファリマがはしゃいでいた。
「まあまあ、ヴァルディアも? 知っていたら果物でも用意しておいたのに、明日の市場には必ず行かなくちゃだわ、香辛料も足したいし……ああ、なら野菜も肉も必要だわ、今のうちに品目挙げて……レティシャが何か欲しがってたような憶えもするけれど……」
「人手必要だったら手伝うよ。……ヴァルディアさんって、果物好きなの?」
「甘いものは苦手らしいのだけれど、林檎とか、梨とか。そういうのは好きみたい。カーシュが一番らしいわね、魔導師なのに生活も食事も質素でね。派手嫌い、というか、目立つのも嫌いらしいけれど」
 嫌いなものばかり、というより、だからこそ好きを用意してやりたい、といった風だった。この女性騎士は、なんというか、世話好きというよりは生粋の『母親』役だ。子供に対しては尚のことだし、団員たちに対してもこんな調子を通している。きっと性状がそうなのだろう。
 それにしても、と思う。あんなに目立った命色、白金の髪に黄金の瞳なんて生まれながらに持っていれば、そうにでもなるだろうか。思いながら我知らずに左耳に触れようとした手を寸前で押しとどめる。いや、開けるといったのは自分の方なのだが、あそこまで躊躇いがないとは思わなかった。団長に対して、だ。まさかあの黄金が消沈した様子の『小さいの』を連れて部屋を出たあと、即座に針を取り出すとは。まだ痛い、と手を下ろす仕草に気付いてか、ファリマが顔を覗き込んでくる。
「大丈夫? 一週間くらいは、ちゃんと毎日消毒するのよ」
「うん、大丈夫。レティシャに薬ももらったし、膿んだりしたりはないと思う」
 もう四回目だし。最初は三箇所を一気にだったからものすごく痛かったのだが。
「そう? じゃあ、もうそっちのお皿は食堂に運んでしまって頂戴な。ラシエナ、貴女はこっちをお願い」
「はーい!」
 鍋の中身をゆっくりと攪拌する地道な作業に熱心に取り組んでいた幼馴染の声を後ろに聞きながら、平皿の山を持ち上げる。盆に積み上げられたそれは三つの山で四十五個、食堂で食事を摂る団員は日によってまちまちだから、いつも多めに百は並べている。
 両手が塞がってしまったまま、背で扉を押して廊下を渡って食堂に向かう。もうこの時間になれば両開きの扉は大きく開かれたまま固定されていて、夕食を待つ団員たちが何人も集まって談笑している。そこに皿の音を立てながら足を入れれば、すぐ側の何人かがすぐに視線をこちらに向けた。
「お、クロウィル。鉄剣訓練始まったって?」
「うん、すこし前に。今は重さに慣れろ、って、型のおさらいしてるとこ」
「はは、お前コウハだから普通の子供に持たせるよりも重い方がいいんじゃないかってエディルドが悩んでたぞ。重い方にしたみたいだが、どうだ?」
「……そう、なんだ? 全然気になんなかったけど……」
「なら良かったな。もし軽く感じるようになったら都度あいつに相談しろよ、剣の訓練も段階があるかんな」
「わかった、ありがと。夕ご飯あとすこしだから、ちょっと待ってて」
「おうよ、楽しみにしてる」
 騎士の彼と言い合って、それで大きな空間の脇に寄せられた長テーブルの群れの端に盆を置く。何度かそれを繰り返して、その間に大皿に盛られた料理も運ばれていく。あらかたが運び出されてから、最後の方にはもうここ数日恒例の別の揃いが数人分揃えられていた。変ににこにこと嬉しそうな笑みを浮かべたファリマにラシエナと揃って大きな盆を持たされて広間に向かって厨房からの扉を出る。
「……なんか変じゃない? ファリマ」
「なんか……すごい嬉しそうだよな。なんでだろ」
 持たされた分もやけに多い。もしかして、と思いながら広間の方へと歩を進めていけば、両開きの扉の片方は開いているまま扉留めの金具で留められていた。首を傾げながらそこを覗き込めば、大きな丸テーブルを囲んで数人。あれ、と声を上げたのはラシエナの方だった。
「ディアさん?」
 数人、の中の一人がそれで動いて振り返る。意外、というような表情を浮かべて椅子から彼が立ち上がった。
「……どうしてここに?」
 言う時には、既に淡々とした無表情に戻っていた。問われたのは幼馴染らしいとラシエナを見れば、あからさまに、取り繕う言葉を探すように狼狽えていた。
「う、えっ、そ、その……べ、勉強に……」
「……リアは本邸に手紙を送ってるぞ」
「えぇえっ!?」
 がちゃん、と皿同士がぶつかる音がした。仕方ない、と思って両手で持っていた盆を片腕で支えて、幼馴染の持っていたそれを空いた右腕でゆっくり奪ってさっさとテーブルの上に置いてしまう。その間に黄金の彼の声。
「ここにいるとは思わなかったな……クライシェ様も何も仰っていなかったから届いているとばかり。知っていればリアも呼んだんだが」
「えっ、え、に、兄さんは!? 元気、っていうか、試験は……」
「教官達に「やることが無い」とまで言わせているから問題ないだろう、緋樹に行くと言っていた」
「ほんと!?」
 苦笑している団長や父が手を貸してくれるのにはありがとうと声を向けつつ、横目で見やった先で幼馴染は、心の底から嬉しそうな顔をしている。腕組みしたクォルクが、やはり苦笑しながらそこに声をかける。
「おら、ラシエナ、こっち来てちゃんと手伝え」
「あっ、うん、ごめん!」
 人数が多いのは見ればわかった。広間で一番大きなテーブルに皿を並べていく。その合間に金色の手が大量の書付と数冊の本をまとめて別の天板に纏めていて、横の椅子に座っていた『小さいの』がじっと見つめている一枚の紙も、目の前にそれを支えている小さい手に軽く触れてから口を開く。
「休憩だ。食事が先だな」
「……さき?」
「食事の次が勉強だ。だからあちらが先、こちらが後」
 先、と言いながら皿を指差し、後、と言いながら『小さいの』の持つ紙片をつつく。紫は皿と紙とを行き来して、その間にこちらの目と鉢合わせた。あ、と、『小さいの』が声を小さくあげるのには手を止めて、首を傾げる。分かりやすく、待つ。『小さいの』は迷うように紙と側に立つ黄金とを見比べていて、小さく笑った黄金が紙の一部分を指差して、そこをじっと見つめてから、紫が再びこちらを向いた。
「こん、ばんは」
「、うん、こんばんは。すごいな、もう喋れるようになってる」
 思わず一度瞠目してから、そして笑ってしまった。ちゃんと声として聞こえている、言葉として伝わっている。まだ訛りは残っているようだがと思いながら黄金を見れば、ほっとしたような『小さいの』から丁寧に紙を取り上げていた。
「挨拶くらいなら楽なんだがな、どうやら名前を先に覚えたいらしい」
「え?」
「人と物の名前、その役割やら使い方やら……好奇心が強すぎる。ひとまず宥めておいたが少し慣れれば質問責めが始まるぞ」
「まあ質問責めは普通の子供でもやるからな」
 盆をまた別のテーブルに重ねて置いたエディルドが楽しそうに言う。手を伸ばして、『小さいの』の銀の頭をかいぐるのが見えた。
「うちは世話好き多いから大丈夫だろ、たぶん」
「筆頭が何か言ってるな。ところでエディルド、風邪を引かせたらしいが」
「なんでお前まで知ってんだよ畜生ッ」
 蹲って慟哭するエディルドには本人に聞いた、という黄金の無慈悲な声が降ってかかる。容赦ない、その認識を新たに加えながらなんとなくその魔導師に眼がいく。少しもしないうちに黄金が気付いてこちらに眼をくれる、浮かぶのは疑念。
「……何か?」
「いや、……ヴァルディアさんって、なんか、すごい大人びてるっていうか……何歳か、って訊いていいですか」
「秘匿事項だ」
「え」
「少なくとも学院に入って数年で卒業できる程度の年月は重ねている」
 なんの情報にもなってない、と思わず小さく呟いた。外見は、十五程度、だろうか、いやでも、と口元に手を当てて勘定しているうちに後ろから肩を叩かれる。振り返って見上げれば父。
「秘密主義なんだよ。俺も知らん」
「他人の個人情報でしか他人を殴れない輩が情報がないと喚いているさまを見るのは中々愉快だぞ」
「……ヴァルディアさんってもしかして何かで王女殿下と同じところにいたりとかした?」
「ああ、紫樹学院で途中までは同じ班員だった」
 ――この人のことか……。
 脳裏に呟いて口元まで上がっていた手で額を押さえた。そりゃあの王女殿下と同じ場所どころか共に行動をしていて毒されていないはずもないか。思って、不意に眼を上げた。水差しから人数分をコップに注いで各自の場所にと配膳し終えていたラシエナの肩を叩いて囁く。
「エナ、ヴァルディアさんと知り合い?」
「ディアさん? うん、リア兄と同じ班の人で、仲良いからって、何度かうちに遊びに来てくれてたりしてたから。どしたの?」
「いや……いや、うん、なんでもない」
「そう? あ、そいえばクロはリア兄知らないんだよね、中々機会無くって」
「うん、フェスティさんともここで初めて会ったくらいだし」
 そういえばフェリスティエも最近は見かけない。任務だろうか、と思っているうちに準備が整って、丸テーブルに集まったのは団長、父、エディルドと『小さいの』、ラシエナとヴァルディアと自分。目で勘定して、あれ、と思う。皿の数と合わない。余分に一つ、と首を傾げているうちに肩を押されて椅子を引いて腰掛けて、各々がそうしている間に一人が駆け込んでくる音。
「ごめんなさい、研究所が中々言うこと聞いてくれなくて、長引いてしまって」
「ああ、お疲れレティシャ、ありがとうな。今準備終わったとこだよ」
「ああ、良かったわ。ヴァルディアもごめんなさいね、妙なことになってしまって」
「構わない。それよりエーフェは?」
「あの子も相当な跳ねっ返りね、本当に。大丈夫よ、いくつか宿題を出しておいたから。それよりごめんなさいね、手伝えなくて……」
 こちら側、子供に対して行ってくれるのには首を振る。やっぱり世話好きなんだよなあ、と思いながら、そのレティシャが『小さいの』を膝に抱え上げて椅子に腰掛ける。『小さいの』は普通に椅子に座ってもテーブルの天板の方が目線が高い。だからそうしてやって、じゃあ、と声を上げたのは団長だった。
「頂こうか。レティシャ、大丈夫か?」
「ええ、この子ももうカトラリーは使い慣れてるから。……やっぱり椅子、用意した方が良いかしら」
「卓袱台でってわけにもいかないしなぁ」
 エディルドのそれには『小さいの』を見やる。夕食はハンバーグだ、ナイフで小さくしてから口に運ぶ、咀嚼して飲み込む。その一連になんの支障もないように見えて、それで自分の手元に集中した。レティシャも器用に、子供を支えながら自分の分を口に運んでいる。
「……ああ、そうだ、クォルク、ユゼも」
 しばらくそうして、談笑を加えながらの食事の風景が流れていく。その中で不意に落ちた沈黙の、それを割ったヴァルディアの声に、向けられた二人は素直にそちらを見ていた。
「うん?」
「なんだ、なんかあったか?」
「行為と言葉が結び付いていない。「食べる」も「飲む」も「欲しい」になってる、そういうところから教えてやった方が良い」
 やはり口調は淡々としている。そうか、と難しい表情に変わったのは父の方で、団長は、予測はついていたらしい。そうだろうな、という呟き。ただそこに、黄金の眼が明確に動いて紫藍を捉えていた。
「共通語の話じゃない、ロツェもだ」
「……は?」
「行動、行為に関する……所謂動詞か。それが自然とは出てきていない。ここで何人かのロツェを聞いていて、その幾つかは知ったようだが」
「……名詞は?」
「そちらも大部分が欠けている。絶対名詞もだろうな。ロツェに関してはそちらに任せる、俺は共通語の世話しかやらないからな」
「……そんななの……?」
 信じられない、という顔で幼馴染がヴァルディアと団長を見やる。ああ、と思い付いたが言って良いものかと迷っているうちにレティシャがラシエナに顔を向けていた。
「記憶がね。無いみたいなの」
「……?」
「記憶喪失、しかも重度のやつだな。ほら、最初なんかものの食べ方もわかってなかった感じだったろ?」
 クォルクの言ったそれに、色違いは目を瞬かせて、そうして『小さいの』に目を向けて、そして伏せられていった。
「……お父さんとかお母さんがわからないの、それでなんだ……」
「そんなところ、だな。なに、紫銀の帰還が公布されるのは春華祭だ、それまでには噂の一つでも拾えるはずだろ。そうなれば先送りにできる。親族の一人でも見つかればそっちに預ける、って陛下は決めてるからな」
「……そうなんだ? なら、すこしは、良いのかな……家族と一緒じゃないの、やっぱり寂しいもん」
 寂しい、かと、横のその言葉を聞いて思う。あまり感じることのない感覚だ。母に村から連れ出されてから三年、その間に起こったことも体験したことも、振り返れば異常なことであったとしても、それに対する不安や不満は少しも湧かない。今でさえ。村に居る兄も姉も、覚えていなかったのもあるのだろう、会えないからといって寂しいとは思えない。母の所在が分からないのはいつもの事だし父と会ったのも数ヶ月前。
 思いながらも、手は動いていた。やはり紫旗の食事は美味しい。手伝いという名目で調理場のあちこちを覗き見していることもあるのだが、この美味しさの秘密はまだ解けそうにない。
 不意に『小さいの』の声が聞こえてそちらに眼をやれば、皿にはまだ半分程度だろうか、ハンバーグが取り残されている。付け合わせの野菜やサラダは消えているのを見て、レティシャがその頬をつついた。
「野菜の方が好みかしら。甘いのは苦手なのよね、果物なら大丈夫かしら?」
「……あ、そう、ファリマが作ってくれたミフュレ」
 視線が落ちながら少しずつを口に運んでいた幼馴染が唐突に上げた声に、無言の騎士達も含めて眼がそこに向かう。自分も倣えば、どこか考え込んでいるようだった。
「そんなに甘くしてないって言ってたし、私も貰って食べて、確かにそうだなって思ったの。でも、少し切ってあげたら、やっぱり、だめだったみたい」
 その話かと思って、その場にいた人間として首肯する。様子を思い出せば、飲み込みはしても口に残るものが嫌だった、そのように見えた。
「その後牛乳あげたら、すこし落ち着いたみたいだったんだけど……」
「その時には、嫌い、とは言っていたのか?」
 ヴァルディアの問いは自分に向けられていた。記憶を探る。一度目はなんとか飲み込んで、二度目フォークに乗せられたそれが向けられるのは全身で拒否を示していた、それはそうだが。
「……嫌い、とは、言ってなかったと思う。王子殿下のこと嫌いだって言ってたから、嫌い、ってのを知らないわけじゃないと思うけど」
「……そうか」
 言う彼も困惑しているようだった。思考に静まりかけた空間に、団長の声。
「ひとまず冷める前に食っちまえ全員、考えんのはその後でいい」
「……ま、だな。これで冷えただの残しただのになったらファリマがまた……」
 ぶつぶつと言う父には苦笑する。この人は案外、嫌いなものが多い。特に豆類が駄目らしい、風味が、と嘆きながらも水で流し込む理由は、食材を無駄にした他人を見たときのファリマの様子を垣間見た時に知った。
「ファリマには伝えておくわ、野菜が好きみたいって。あとは雑炊くらいかしら。好きなものを言えるようになったらとても助かるのだけれど」
 レティシャが言いながら膝の上の銀を撫でる。不思議そうに見上げた『小さいの』には団長が通訳していて、聞いた『小さいの』は首を傾げていた。本当に聞こえなくなってる、と垂れるピアスの存在を思い出しているうちに、ヴァルディアの小さく息をつく音。
「……『好き』も知らないらしい。嫌悪は本能だからだろうが、難儀するな、これは」
 ――何をしたら、そこまで失えるのだろう。どうしてそこまで失わせることが出来たのだろう。この子供の選択なのか、あるいは誰かが仕組んだことなのか。それなら何故、こんな。
 食卓の空気は次第にいつも通りのそれに戻っていく。それでも、諦観、だろうか。憤りだろうか。ほんの少しだけ芽を見せたその感情は消えなかった。




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