眼が覚めた。気が付いてそう思った。
 気付けば寝台の片端が沈んだようにして白い布が傾いている。眼を向ければ、母が針を動かしているのが見えた。
「……母さん……」
「ええ。気分はどうですか」
「……すみません」
「謝るようなことではありません」
 それでもそれ以外に何を言えばいいのかわからなかった。背を見せたまま針を一旦止めた母は、振り返って枕元から銀色を持ち上げる。――腕輪。
「割れてしまっていました。どうやらお前の血はわたくしに増しても強いものと父様が仰っていました」
「……どう、……」
「先祖返りでしょう。わたくしの二代上までは純血の血を保っていた。わたくしも三種の血を持ちながらにしてこの力。お前は四種。それでも発現したのであれば、あとはお前に宿る血の強さが全てです。……わたくしの見立ても甘かった」
 手が伸びてくる。それをぼんやりと見上げれば、頭を撫でて、髪を指が梳いていって、それを何度も繰り返してから頬に触れる。暖かい、と、それだけを純粋に思った。
「……一門を頼ります。わたくしが話を付けましょう、お前はそれまであれを使ってはいけません。良いですね」
「……一門、って……?」
「わたくしたちの血の源流。それを司る一族です。あの方々ならば何事か手段も知っているかもわかりません。お前も時が来れば一門に引き合わせましょう、ですが今ではありません」
 よく、わからない。頭の動きがひどくゆったりとしている。腕輪をそのまま上着の中に入れてしまった母が立ち上がって、すぐそばの花瓶に挿してあった花束を慎重に持ち上げる。水気を払っているのを見ながら、珍しい、と思う。こんな季節なのに咲く花があるのか。思っているうちに母がそれを抱えて戻ってきて頭のすぐ横に花弁が来るようにゆっくりと据えてくれた。
「いつものようになさい。魔石を用意させるにも時間がかかります、ですから父様が作ってくださるとのこと。それまでは草花で凌ぐしかありません。これらは精霊たちにも許しを得て集めたもの、わたくしたちのこの血の為ならと差し出してくれたもの」
 息が漏れた。なら良かったと、心中に浮かぶ。嫌がる精霊達も多い、そう聞いている。母は精霊眼を持っていても、自分はそうでは無かった。
「だから嫌がらずに素直になさい。わたくしたちに神と精霊の好意を無碍にすることは許されません。良いですね」
 頷く。それから寝返りを打つように腕を伸ばして、花束の茎を抱き寄せる。茎に棘があるものは綺麗に取り払われている。上向いた耳元を撫でられて、それが促されるように感じられて眼を閉じた。
「フィズヴァが控えています。何かあれば、足りなくばすぐに伝えなさい。あの双子の血はわたくしたちには向かぬエリクスの血、フィズヴァではお前の飢えは癒せません」
 聞きながら、横になったままでもどこか餓えていた焦燥が穏やかに凪いでいくのがわかる。腕の中の瑞々しい感触が、比例して乾いていくのも袖越しでも判った。
「……母さん」
「ええ」
「大丈夫そう、なら、戻らなきゃ……『小さいの』置いて来た、から……」
「……そうですね、兄としてはあるまじきこと」
 撫でていた手が止まって、額が軽く指先で弾かれる。それから、ふふ、と笑う声が聞こえて来た。
「今朝からは晴れの陽の良い頃。あるいは妹をここに呼ぶのも良いかもしれませんね」
「……外、出して、良いのかな」
「いつかは出ることになりましょう。あれから団長殿とは折々にお会いしている身、話はしてみましょう。お前はまず万全になさい」
 かさりと音がして、腕の中から花束が引き抜かれていく。合間に乾いた音が何度もして、変わるように別の束を抱えさせられた。
「眠りなさい。わたくしたちにはそれが良い」
「……うん……」
 答えながら、頭を撫でてくれる感触にはほっとする。何かがあっても大丈夫だ、この人がいる限り。そう思いながらゆらゆらと撫でる手の感触を受け入れているうちに再び眠りに落ちていた。



 疲れた、と絨毯の上に転がった。長い金の三つ編みはぐねぐねと曲線を描いて落ちていて、腰には剣帯と、そこからは鉄剣を吊っている。ユゼが苦笑する音。
「そりゃ疲れんだろあんだけやってりゃ。剣渡されたのか」
「うん……でももう休めって言われた……」
「もう昼飯作り始めてるからな、湯使っていいから身体洗って少しでも解して来い。相当巻いて訓練してるからな、お前上達早すぎんだろ」
 クロークを腕に抱えたままのエディルドが苦笑しながら言う。絨毯の上に横倒しの子供は、数拍置いてからぼそりと零した。
「立ち上がりたくない……」
「そんなこと言ってたらだめよ。その日のうちの疲れはすぐに抜く、訓練着もちゃんと洗わないといけないんだから、倒れるのはそれからの方が後々が楽になるわよ」
「うーー……」
「はい起きる」
 イースが横倒しの背中に近付いて来て、投げ出された腕を掴んで持ち上げられる。そこからも抵抗するような諦めきれないと言うような声を小さく何度か呻いて、それでも立ち上がる。髪の手入れもちゃんとしないと、というそれにも頷いて、それからあ、と声をあげた。
「『小さいの』、お風呂したことあるかな。外にも出てないから浴場行けないし、王宮にもあんまり行ってないんだよね?」
「あ、そうね……レティシャが毎朝世話してるはずだけれども。子供用の浴室着に余裕あったかしら。副長、レティシャは?」
「研究所か図書館だな、今日は半休取って弟弟子の様子見に行ってる。『小さいの』は上でクォルクとヴァルディアが見てるが、連れてくなら連れてくで良いだろ、夜だと湯疲れ引きずるし湯冷めで風邪引かれても厄介だし」
「じゃあちょっと拉致して来るわ。ラシエナは浴室着と香油用意しておいてくれる?」
「わかった。香油カザッラのでいい? 一応薔薇と百合のはあるんだけど」
「そうねぇ……『小さいの』は何が好きかしら。甘いの苦手ならカザッラが良いかしらね、涼しい香りだから」
「わかった!」
 答えて、扉を抜けて部屋に向かう道すがらに剣帯から剣を外して剣帯も外してしまう。鉄剣は、やはりクロウィルと同じように常に持ち歩いて離さないように、とだけ言われている。重さに慣れる為なんだろうな、と思いつつ自分用にと当てがわれた小さな部屋に滑り込んだ。
 暖房も何もないこと部屋はやはり寒い。寝てしまえば寝台の中なのだから問題ないのだが。思いながら剣帯は机の上に丁寧に据えて、剣も一旦そこに置いてから箪笥を開いた。浴室着を自分の分と、もう一つを取り出して広げてみる。やはり『小さいの』には大きすぎるように思う。少し悩んで、布を縫い合わせた平たい紐をひと組持ち上げて、着替えも揃えて畳んで大きな布で包んで持ち上げる。そのまま布包の上に机の上の小箱を乗せて、それから剣を右手に持って部屋から廊下に戻る。二階に階段を駆け上がって、二つある浴室の左側の扉を開けば、既に二人の姿がそこにあった。
「ごめん、遅れちゃった」
「いいのよ、気にしなくて。浴室着あった?」
「あったんだけど、やっぱり丈長くて」
 壁際に備え付けられた棚に布包と箱を置いて、少し迷ってから剣は邪魔にならない場所に立てかけておく。それから『小さいの』を見やれば、初めて来た部屋だからだろう、一歩も動かずに周りを見渡していた。小さく笑う。
「『小さいの』、やっぱりちょっと怖がり」
「……こわ……?」
「今まで来たことないものね。自由にしてて良いのよ?」
 編み込んだ髪をほどきながらのイースが言う。上品に飾り布の垂らされた帽子を外すのを見てか、『小さいの』は二回瞬く。これは気になっている時の癖だ。手招けば、軽い足音を立てながら駆け寄って来る。兎耳の肩掛けがひょこひょこ動いて可愛い。
「帽子」
「……ぼうし。あたま、に?」
 言いながら自分の銀の上に乗っているフードを両手で押さえる。これと同じか、という問いかと思って可愛いとは思いながらも首を振った。
「『小さいの』のはフード。頭だけじゃなくて、背中も一緒のでくっついてるでしょ?」
「くっついてたら、ふーど?」
「そ。くっついてなかったら帽子」
「……くっつく」
 掌を眼の高さに垂直に示す。『小さいの』は迷わずにそこに片手を重ねて、それで目を瞬いた。気付いた、という表情だと見て取って笑う。イースの声。
「本当はラシエナも、もう必要な頃なのよ、帽子は」
「んー……母様にも言われてるけど、なんか、抵抗感が……」
「そう? 女騎士でも帽子なり布飾りなり、何かしらつけてる方が多いのよ。ファリマなんてそうでしょう」
「……そういえば」
 あの人は帽子に紗飾りと組紐を合わせて、飾り石を垂らした帽子を常に身につけている。最初から紫旗の制服と合わせたようなそれはすでに目に馴染んでしまっていてそうと意識していなかった。疑問符を浮かべている『小さいの』には、上着を脱いだイースがしゃがんでその頭を撫でてやっていた。
「八歳頃には女の子は帽子を被るようにするの」
 紫はぱちぱちと瞬いている。そのまましばらく声がない。こういう時は思い出そうとしている時だから待った方が良い、とディアさんが言っていた。あの人は人の癖よく見てるなあ、とぼんやり思っている間に兎耳がゆらりと揺れる。首が傾いたのだろう、そして幼い声。
「おんな、の、子?」
 の、の使い方は知っている。子、という意味も知っている。それはこちらも知っている。つまり。
「……イース、失念してたんだけど私たち性別のこと教えるの忘れてない?」
「……そうね、全くもって完全に完璧に忘れてたわね。社会的通念って恐ろしいわ……」
 本当にそう思う。常識が常識である以上、言葉にしたり説明したりする必要がほぼほぼ無い。そして常識だと思っていることを、わざわざ教えようというのは、かなり意識しながらでないとできないもので。
「ってゆっかどうやって教えよう……」
「……とりあえずお風呂入りましょ」
「……そだね」
 イースが『小さいの』に何かを話しかけて、まず肩掛けを外させようとしているのには苦笑した。『小さいの』はレティシャが作ったこれが随分と気に入っているようで、レティシャ以外が外そうとすると嫌がる。特に毛糸で編まれた兎耳の部分を触って許されるのは自分とクロウィル、イースとカルド、レティシャとディアさんだけだ。クォルク団長でさえ物凄く嫌がってレティシャのところに逃げて行った。一昨日の夜のことだ、そのあとしばらく流石の団長も心に傷を負ったらしい、悄然としていた。
 自分も準備しないとと、訓練着の留め金とボタンを外して脱ぎ去り、シャツと下穿きも脱いでから浴室着を体に巻きつけて紐を首の後ろで結ぶ。薄い麻の浴室着は濡れてしまえば肌に直接密着してしまうが、完全に一人で湯を満喫できる身分にない限り浴室は男女別か、街の公衆浴場になれば男女関係ない場合もある。だから念の為、というやつだ。幸い紫旗の本部には男女別の浴室が用意されているし、調理に際して火を多量に使う早朝、昼前、夕方にはそれぞれ時間のある間に湯に浸かる。浴室が使えない場合は湯に浸した布で全身を拭うなりするが、訓練続きではさすがに全身で湯に浸かりたい。
「ラシエナ、一つこっちに頂戴、あと紐か何かあれば良かったんだけど」
「抜かりなく!」
 浴室着一つと布の紐を差し出せば、さすが、と言って受け取ったイースはすでに髪も全て下ろして準備を終えていた。簡素なドレスを脱がされる『小さいの』も抵抗は見せず、脱がされ着せられるままになっている。やはり足元にわだかまってしまう長さの分は紐で緩く縛って留めて、それからよし、とイースが『小さいの』を持ち上げた。
「香油は後でで良いわね、まずお湯に慣れないと」
「大丈夫かな、溺れたりしたらやだな……タイルよく滑るし……」
 言いながら引き戸を開ければ、途端に蒸気が全身にぶつかって来た。その中に何人かの姿、振り返った一人はトーリャだった。
「あ、イースにラシエナ。それと、噂の『小さいの』?」
「そ。『小さいの』、トーリャよ。私と同じく魔導師の」
 イースの腕の中で、声を向けられた『小さいの』は身を引いているようだった。それを見て、あれ、と思う。イースの首元に縋り付くようにした腕は、自分のそれよりはるかに細い。脚も、全身が痩せている。ドレスに隠されていて見えなかった、そう思うと同時にタイルに膝をついて髪を洗っていたトーリャが手招きしてくれていた。
「初めましてね、『小さいの』。お風呂初めかしら?」
「そうね、産湯みたいなものかしら」
「あらあら。おいで、髪を洗ってあげるから。お湯に入るのはその後ねー」
 尚も手招く仕草に、イースはタイルの上に『小さいの』を降ろす。見上げてくるのには背中を押してやれば、おどおどとした足つきでトーリャの方に近付いていく。貴女も、とイースに背を押されて頷いた。
 浴室は、中央に湯の溜められた円形の大きな湯船があって、まずはその湯を汲んで丁寧に髪と全身を洗う。最初に全身、頭頂から全身を湯で濡らして、備え付けられている箱の中から石鹸を取り出して、小さな布巾を湯で濡らしてそこに石鹸を塗り付けて丁寧に泡立てる。
 浴室着は胸元から太腿あたりまでしか隠せないし、濡れてしまえば肌色が透けて見える。この空間は熱い空気と蒸気で満ちているから、泡立てた布巾で腕と脚、爪先や浴室着の下の胸元を丁寧に洗っている間にも自然と汗が流れてくる。イースが背中を、と言ってくれるのには甘えて髪を除ければ、彼女の手が手の届かない所まで丁寧に拭ってくれた。ほう、と息をつく。
「うー……あー久々にすっきりする……」
「子弟だと中々時間もないし、なのに訓練続きだから気になるわよね、女は特に」
「ほんとそれ……」
 取っ手のついた手桶で泡を丁寧に洗い落として、その時にはもう心臓の鼓動が耳の奥に聞こえる程度には全身が温まっている。髪をと肩に長い髪をまとめている間にちらと見遣った先では、タイルの床にぺったりと座り込んだ『小さいの』が手桶の中の湯の水面をぺし、と叩いたところだった。思わず笑ってしまう。
「お湯がこんなにたくさんなの初めて見るんだもんね、『小さいの』は」
「そうみたいね。熱すぎないかしら。大丈夫?」
 トーリャは『小さいの』の湯遊びに付き合いながら、表情は楽しそうに問いかける。見上げたらしい紫は、後ろ姿でもわかりやすく首を傾けた。
「……ぽかぽか?」
「そう。でも、どくどくしてきたら教えてね」
「うん」
 もうトーリャには慣れたようだった。良かったかな、と思いながら、今度は石鹸の横の青い液体を片手の掌に丁寧に掬い取る。それを濡らした頭に掛けて、両手の掌で揉み込むようにして馴染ませる。若干ざりざりした感触が紛れているのは、たぶん地下訓練場の埃や何やらだろう。思いながらそういった汚れを浮かせるように馴染ませて指先で頭を揉んで、もう一度掬い上げた液体石鹸は流れ落ちる髪の方に馴染ませていく。根元から毛先までしっかりと馴染ませて揉み込むようにして、ぬるぬるとした感触が失せたところで湯を手桶で掬って丁寧に洗い落とす。何度か髪の根元から毛先までをそうしてお湯で洗い流してから、布巾の泡を丁寧に洗い落として、それから目の前の湯船に脚を入れた。
 一瞬の灼熱、薬草の束が投げ入れられて涼しいような香りのするそれはすぐに体温に馴染んだ。大きく息をつきながら肩までを湯に落としたところで、少し遅れて同じように湯に浸かったイースがそういえば、と声を上げた。
「訓練続きで怪我もしてるでしょう、痣になってたりしない?」
「んー……あんまり、とくには、かなぁ。筋肉痛がちょっとひどいけど、もうこれは慣れるしかないかなって」
「腕?」
「と、あと脚。たぶんまだ力の使い方間違ってるんだろうなぁ……」
「それなら、上がったら少し見てあげる」
 振り返れば、言ったトーリャは上向かせた『小さいの』の髪を丁寧に洗っているところだった。手櫛で液体石鹸をなじませながらのそれには、湯船の端の石の縁を辿りながらそこに身を寄せて彼女を見上げる。
「お願いしていい? 明日まで休めって言われてるんだけど」
「ええ。あとそう、柔軟体操も良いわよ。何をしたらどこの筋肉が動くのか、どういう風に連動しているのかは、座学よりも実践の方が良いだろうから」
「お願いします先生」
「ふふ、女騎士って男たちとはちょっと違うのよね。さて、『小さいの』、うー、って、上向いて」
「うー」
 顎を持ち上げる手には素直に真上を向いて、その間に間違っても額から下に湯が流れてしまわないようにと手で押さえを作りながら洗い流していく。銀の髪は『小さいの』の腰を越えるくらいにまで伸びていて、手桶に手を伸ばして、タイルに広がってしまっている銀を纏めて持ち上げて湯をかける。洗い落とせたかと思って手櫛で粗方の水気を払ってから、トーリャが抱えてまず湯船の縁に座らせる。
 『小さいの』は、どうやら湯船を嫌がる仕草は示していないようだった。すぐにゆっくりと縁から降りて、湯船の底に足を付ける。そのまま少しの間、湯の中の自分の手を見下ろし、水面を軽く叩いてみたりを繰り返して。
 そしていきなり、息を吸ったかと思ったその銀色がぽちゃん、と湯の中に潜り込んだ。思わず腰を浮かせる、眼を見開いた。
「えっちょっ待っ!?」
「ど、どうかしたの!?」
 声はイースと同時だった。トーリャの、あら、という呑気な声が聞こえた気がしたが流石に無視した。水に足を取られて転んだのか、だとしても息を吸い込んでからのように見えたしと思っているうちに、湯船のほとんど中央に、ぬ、と銀色が現れた。銀の髪が張り付いた顔がこちらを向いて、また沈む。少しもないうちに元の場所にまた銀が浮かび上がって、ぷは、と息をつく音と、そして声。
「……ぽかぽか」
「……えっ、いや、えっ!? 『小さいの』泳げるの!?」
 感嘆したような声音に、だが驚いて声を荒げてしまった。『小さいの』はすぐにこちらを見上げる。
 あ、と思った。なんとなく眼が輝いている。これはあれだ、ホットミルクを初めて与えた時と同じ反応だ。
 ――つまりはとても気に入っている。いやしかし。次の言葉が浮かばずに絶句している間にトーリャが頬に手をやっていた。
「珍しい、泳げるなんて」
「……およ、げ、る?」
「泳ぐ、ということ。水の中を移動するのに、身体全部を水に沈めてしまうの。凄いわ、この国泳げる人なんて稀なのに」
「まれ?」
「珍しいことよ。気に入った?」
「うん。……みず、……おゆ? の、なか、音しない、から、……おちつく?」
「そうなの。じゃあ今度から時間があったらここに来ると良いわ。さっきやった通りにやったら、くらくらしちゃう前までなら泳いでいても大丈夫だから」
「……くらくら?」
「なってみないとわからないかしらね。のぼせる、っていうの。お湯の熱さに、身体が負けちゃうのね」
「まける」
「そう。人間の体はいろんなものに負けてしまうから、気をつけないとね」
 トーリャが顔や肩に張り付いた銀色を丁寧に空いて整えながら言ったそれには、『小さいの』はまだ勝ち負けの事がわからないからか、ただ首を傾けた。




__________




back   main   next


Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.