「人は赤から生まれる」
 まるで語るかのような声音に変わっていた。吟じるような、詠じるような。自然と背が伸びる間にも言葉は続いていく。
「まずは母の中に、母の血の中に宿る。母の血に守られて育ち、外の世界に触れられるまで育ってからようやく生まれる」
「……?」
「まだわからなくて良い。お前も、持つ色は紫と銀だが、紫銀から生まれたのではない。赤があって初めて人も動物も生まれられる」
「赤がない、と、どうなる?」
「死んでしまう。血は見たか?」
 聞かれたそれに、紫がすぐにこちらに向き、追ってきた金色が胡乱になるのには口元を引き結んだ。この人は、アレだ。カルドと同じ人種だ。無茶を許さないし馬鹿も許さない。
「……見せたのか」
「鶏捌いてるの見せるよか良いと思、」
「クロの、手の。みた」
 追い討たれてそっと視線を外した。はあと溜息する声が聞こえる。
「お前は本当に八なのか?」
「ヴァルディアさんの見た目で蒼樹受験できる方が冗談じみてない?」
「魔導師に歳は関係無い」
「商人にも関係ないってことでひとつ」
「だからといって手を斬るか。……とにかく、血は、みなああだ。全て赤い。濃さに差があっても、赤である事は変わらない」
「うん。赤、から、うまれる」
「その対極、正反対が青だ」
 再び、小さい石が見開きの上に置かれる。青、属性に変えれば氷で、火である赤とは正反対の六時の方向。
「生まれたばかりの子供が無知、何も知らないのに対して、青は知識を示す。能く識り、能く学び、能く語る。その最大だ」
「……せんせい?」
「だろうな。そのうち俺のような紛い物ではない本物の『先生』を紹介してやる」
「……ディアせんせいも、せんせい」
「真似しているだけだ。教えてやれる範囲だから教えた、本物はそういう好き嫌いをしない」
「ほんもの……」
「そうだな、俺の先生がそうだと思えばいい」
「……せんせいにも、せんせいがいる?」
「ああ。そういうものだ、伝わり、変化し、発展していく。火の赤、氷の青の間には、木がある」
 次に見開きに置かれたのは濃い緑。深緑の葉の色、特に年月を経た常緑樹の色を木とする。置かれた場所は、火から三つ開けた八時の方向。
「木は火と氷の中間だ。光があって育つ、これは火の一種である熱の恩恵。また普段は一箇所から動くことがない、これは氷によく似ている」
「……木って、うごくの?」
「百年にこれくらい移動するものはあるが、稀だな。あまりない」
 これくらい、とは親指から人差し指程度の長さを指し示す。あるんだそんな種類、とは思いながら、あれ、と思う。いろんな記憶を探りながら、金色に向かって問いかける。
「火と氷の中間って水じゃ……」
「物理的にはな。魔法的にはこれが正しい、火と氷の正中はまた別になるが後回しだ。基本四属性は、一般には火水氷雷だが、魔法学では火氷木時の四属性だ」
「……お、おう……?」
「聞いていればわかる。フェルリナード、木は見たか?」
「……なかにわの、みどりの?」
「ああ。木は少しずつ大きくなる、育つには光と水が無くてはならない。光はここ、水はここだ」
 言いながら金色の、シトリンだろうか、それが十一時の方向に、薄い蒼の欠片は五時方向に置かれる。
「光がこの位置にあるのは、火とよく似て、また火が光を、光が火を生むからだ。氷は少しでも火に近づけば水に変わる。光と水は正反対の位置にあるな」
「うん」
「この二つが木を育てる。だからこの半分を更に半分に割った場所に木が出来る」
「……はんぶんの、はんたい、灰色……?」
「ああ、だが順番にな。火の隣に光。その次は、読めるか?」
「……あいいろ。……やみ?」
「そう。闇がここにくる」
  置かれた場所は光のすぐ隣、十時方向。やはり首をひねるしかない、だが聞いていればというその言葉を無視するわけにもいかずに、代わりに説明を求めるように目を向ける。ヴァルディアの手はすぐに動いて反対、四時方向に茶色、ダイガーアイに似た石が置かれる。
「闇の反対は土。木と氷の間には風が入り、反対には雷が。そろそろ分かってきたか?」
 フェルリナードはじっとそれを見つめている。空いているのは三時と九時。それに眉根を寄せているうちに、先に声を上げたのは紫青だった。
「そら」
「……空?」
 言いたいことの意味するところが分からないと金を見れば、彼は小さく、ほんの僅かに笑っていた。
「フェルリナードの方が早かったな」
「え? うん?」
「最後はこちらに聖、反対に邪が来ることになるが」
 こちら、と言いながら九時の場所を指差し、反対の三時をその次に指し示す。その次には、二時と三時の間から八時と九時の間を走るように、指先が走る。
「円環に見立てた場合は、ここが境になる。時計に見立てて三時から八時の、邪土水氷風木。九時から二時の聖闇光火雷時。何も言われずにこの二つの分類の共通点を見出せるのは古代語母語話者だからだろうな」
「今さらっとこの国の魔法使いの九割九分九厘以上を敵に回さなかった?」
「安心しろ、魔法使いなら一番最初に教えられることだ。単純に、天地だ。上は天にあるもの、下は地にあるもの」
「……えっ?」
 言われて置かれた色を見返す。天に火の赤と見て何故と黄金を見返せば、やはり何か面白がるような表情が見えた。
「何故最初に赤と青をあれほど丁寧に説明したと思う」
「……分かりやすくとかそういうのじゃなくて?」
「魔導師はそこまで他人に対して親切じゃないからな」
「少なくとも現在進行形で子供に言葉教えてる人が言うことかなそれ」
「なるほど。では解説は必要ないな」
「すみません全く分かりません」
 そういやこの人あの王女と同類だった。いや王女がこの人と同類と言うべきかどちらにするかは迷うところだがそれ以前に言うべきがあったので即座に言った。なんとなく悔しい気持ちになりながら素直に頭を下げたそこに、フェルリナードの左手が伸びてきて袖が引っ張られる。目を向ければ、右手が指差しているのは赤、火。頂点にある色。
「赤、クロウィル、みせてくれた」
「お、おう。だな……赤っていうか血っていうか」
「そのとき、言ってた、血がないと、って。血がなくなったら、って。それで、ディアせんせいも、赤からうまれるって」
 その二つになんの共通点があるのだろうかと更に混乱が起こる。思いっきり眉根が寄るのが自分でも分かって、それを見てか、ようやく黄金が口を開いた。
「魂だ」
「……うんっ!?」
「火は魂だ。人は火である赤から生まれ赤である火によってその魂が天に昇る。故に赤は魂と同義だ」
 ――火、と言われて一番に浮かんだのは、何故かコウハの村だった。長老が代々絶やすことの無い家の火を村の中央の焚火に移す。毎日毎朝家の女性たちがその日を家に持ち帰る。鍛治に使う火は鍛治頭の家から分け、彫金に使う水はそのための井戸がある。葬る時は、どうするのだろう。思う間にもヴァルディアの声は続いていく。
「魂は雷によって地に落ち実る。時によって寿命を与えられる。寿命という制限を与えられることで邪を、死があることを定められる。土に立ち水に寄る事で生き、氷を知る事で疑問を得て知識を得る。風のように放浪しあるいは木のようにどこかに定まり、聖、己にとっての最上に至る。最期には闇に落ち着き光に導かれ火によって天に還る。キレナシシャスはそうだろう、帯に刺繍して火で葬る。だからこの円環は、この国の魔法学に則った生死の円環図であり、天地の円環図でもある」
「……?」
「フィメルの選択に間違いはなかったということだ。この本も本来は魔法学の初級参考書だしな」
 ――フェルリナードの首を傾げる仕草に返す声音に、母の嬉しそうな笑顔が脳裏に浮かんだ。なんというか、あの人の見立てにはハズレというものが全く実装されていない気がする。というかいつ帰るんだあの人。フェルがいる限り帰らない上に次の行商はフィズカあたりに任せるとか言い出しかねない。あの人も相当な世話焼きではあるし。いや公爵夫人に一任して飛んでいきそうでもあるが。
「クロウィル」
「はい」
 そしてどうしてこの人はこう、機を逸するということすら知らないのだろうか――などと思いながら振り返れば、何故か腕にこんもりと外套やマフラーを抱えている。振り返れば、どうやらヴァルディアは自分の背中を見て発言したらしい、計算通りと言いたげな顔だった。そのまま腕の中のそれを示される。
「出掛けます。ついておいでなさい、フェルリナードも」
「フェルも?」
 問いかけながら黄金を見やれば、彼も紫青の様子に目をやっているようだった。『妹』は、今は十二色をまだ見つめているままで、ヴァルディアがフードの耳を軽く引っ張るとようやく顔を上げて、それからようやく母に気付いたらしかった。本の見開きと母をどうやら見比べているようで、なんだろうと思って待つ間に、どうやら疑問符を浮かべたらしい様子が見えて、母が距離を少し詰めて絨毯に膝を突く。
「どうしました、フェルリナード」
「……フィメルの、目」
「わたくしの瞳ですか?」
「……この、本と、ちがう、いろ?」
「ええ、少々ですが違いますね。同じ『赤』の仲間ではありますが、わたくしの眼は紅の赤。貴女の髪を結っている髪紐も同じ赤の仲間ですが、朱の赤です」
「色辞典が必要だな……古本なら融通できるんだが」
「魔導師から買い取る者など居りませんよ」
「だろうな、……ものすごいことになるからな」
「むしろ中古の美品をお譲りしましょうか」
「フェルリナードに遣ってくれ。ディアネルに恩を押し売りされたくはない」
「賢明ですねヴァルディア、商いは等価であるべきです」
 等価にしない商売をしているのがディアネルなのだが、とは内心に零すだけにしておいた。いや諸々含めたら等価だたぶん、諸事情を含める場合にディアネル側の利潤がとんでもないことになるだけであって損はさせていない、はずだ。たぶん。思い込みを固めている間にヴァルディアの声が聞こえた。
「出掛ける、とは?」
「訓練のようなものです。グラヴィエントとの顔合わせです、正確にはグラヴィエントの主宰家であるオルディナの当主に。フェルリナード、貴女の伯父となる人です」
「……おじ?」
「お父さんのお兄さんのこと。でもほんとの、じゃないな」
 紫が向いてきたのには正直に本当のことを言ってしまう。当然首が傾げられて、それには数枚の白紙が重ねられていたうちの一枚を拾い上げて、画板と万年筆を持ち上げる。手招けばすぐに隣に駆け寄ってきて、横長の中央、下の方をつついて蓋を開けた万年筆を渡す。名前をと促せば、まだ少しいびつな名前が書き込まれる。軽く頭を撫でてから万年筆を受け取って、書き込むより先に口を開いた。
「これから、フェルが覚えなきゃいけないことだな。でもこれは本当のことじゃない」
「……うそ? どうして?」
「お前を守るためだな。前にも伝えたが、お前の髪と瞳の色、『紫銀』というが、紫銀はほとんどいない。珍しい」
「めずらしいから、あぶないから、青くした、って」
「ああ。紫銀には身の危険が多い、だから見た目で分からないように髪を染めた。次にやらなければならないことは、お前の家族が見つかる前に、お前に家族を作ることだ。お前の本当の家族を守るために」
「かぞく」
「血の繋がりのこと、と覚えておけばいい。本来の意味はな。お前の場合、今言う家族はお前を守ってくれる人間たちのことだ」
「……フィメルと、クロウィル?」
「ユゼもだな。お前はそう思っていていいし、そう振る舞っていい。だが、これから作る『家族』は、多くの人に知られることになる。知られるための家族を作る。それもお前を守ることになる」
「……うん。でも、どうして?」
「紫銀だからだ。今はまだ分からなくていい。今は家族を作ることだ」
 言う声と目が最後にはこちらに向けられて、画板に目を戻す。いびつな名前の左横に、自分の名前を書き込み、その二つを上部の点線で結ぶ。
「王様が言ってくれたから、俺とフェルは、ほんとじゃないけど兄妹。だから点線な」
「うん」
「で、俺の母さんがフィメル、父さんがユゼ」
 自分の名前の上に線を伸ばして、二人ぶんの名前を直線で結び、繋げる。書いているのは系譜の一部だ。次に、と、『フェルリナード』の上に線を伸ばした。書き込むのは二人ぶんの空白と三人の名前。フェルリナードの真上には空白が二つ、空白の一つと枝分かれで繋がった場所に二人を直線で結び、その線から下にもう一人。そうやって線を結んでから見せてやれば、紫は指先で示したその三つを見詰めて口を噤んだ。少し待つ。
「……タスヴァチス=オルディナ。……ライラシュ、ク。……スフェリウス?」
「そう。フェルから一個上がったここが、フェルのお父さんとお母さん。分からないから空っぽだけど。で、そのお父さんのお兄さんにあたる人に、これから会いに行く」
「……お父さん、わからないから、ここ、てんせん?」
「そう。タスヴァチス、って人が伯父さん、ってことにしておく。伯父さんの奥さんがライラシュクさんで、息子がスフェリウスって人」
「むすこ」
 すぐに母と自分を交互に指差せば、画板を持ち上げた紫は納得を浮かべていた。やはり理解が早い、と思いながら母を見上げれば、当然お前もという意味でだろう、外套を渡されるのにはすぐに受け取って立ち上がる。母の紅は金に向いていた。
「貴方もいらっしゃいますか」
「……俺が?」
「会っておいて損はない人物です。随分と粗野ですが人を見る目も扱う手腕もある。協会へと思うのであれば、貴方にも得になる人脈でしょう」
 何と無く不思議に思いながら外套に袖を通す。こういう押し売りのようなことは、この人はあまりしないのだが。少し迷った風のヴァルディアは、だがわかったと返して見開きの上から石を掌に拾い上げる。そういえば、と立ち上がるその人に問いかけた。
「それ、なに?」
「魔石だ」
 即答されて瞠目した。持ち歩いてるのか、と思うと同時、彼の掌の中でその魔石が溶けていく。なんだろうとその様子を凝視していれば、声をあげたのは母だった。
「小さいとはいえ魔石を自ら作り出せるとは、クォルシェイズ殿の見立ても侮れませんね」
「少し、保有率がおかしいことになっているらしい。形にするのは得意な方だな、売りはしないが」
「残念ですね。魔導師が手ずから作り出した魔石は、たとえ欠片に見えたとしてもそれはもう上質なものですから」
「だからだな、売らない理由は」
「成る程、理に適ったこと」
 言いながら母は金色にも外套を手渡す。最初から連れていく気だったんだな、とそれで理解して、兎耳のフードを許可を得て外した母がフェルリナードに外套を着せているのに眼を向ければ、どうやら小さな身体は分厚い重さに揺らいだようだった。苦笑する。
「外に出るなら、慣れないとな」
「……?」
「中庭は結界の中ですから寒さも和らいでいるのです。これから街の中を歩きますから、比ではないということ。手は放さず、しっかりと握っていなさい」
「……? うん」
 言葉の全ては理解できなくとも、最後のそれは理解できたようだった。編んだ髪を丁寧に外套の中から引き摺り出して背に流し終えたところで蒼い頭が振り返って、駆け寄って伸ばされた右手がこちらの左手を握る。ふふ、と笑った母が、さあ、と声をあげた。
「流石に本部の正門から堂々と出るわけにはいきません。地下道を通って、アイラーンの別邸から向かいます」




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