『失われた記憶の断章を探し求める。それが物語。
 失われた記憶の存在を探し求める。それが信念。
 失われた記憶の姿形を探し求める。それが目的。
 失われた記憶の総てを手に入れる。――それは、叶う事のない望み。

 伝承に彩られた世界。盲目的に縋る民衆。
 愚昧の魂が息づく世界。それに気付かない愚かしさ。
 だからこそ祈り願う。世界に救いがある事を。
 真実を知りながら。されど知るが故に空を見上げ讃歌を詠う。
 それが唯一許された自由。
 それが唯一強制された役目。
 それは唯一私が望まない存在意義。
 ――神の意から外れた世界。固執するのは人間のみ。』
          リヴァーディアより出土 無題作 著者不明



『魔法とは、世界の根源から力を得て行使する絶対的にして空虚な力の総称である。故に己から力を得て行使する相対的にして物質的な力である剣とは決して相容れないものだ。
 世界の根源は、即ち十二の要素から成り立つもの。生命の樹とも呼ばれるが、それは神学者の中での呼び名であり、魔法力学者や精霊学者はそのまま十二の要素、あるいは漆黒の宝玉と呼ぶ。その意は、魔法使いの頂点に立つとされる神『大賢者』が常に持ち歩く漆黒の玉が、即ち世界の根源の顕われだとされているからだ。
 魔法使いには世界で共通の階級が二つ、設けられている。頂点に座す『大賢者』、及びにその補佐である『賢者』の二つだ。この二つは神の座すものとして扱われ、人間の手の届く場所ではない。そこに至るまでの道のりは各国で定められている通りだが、『魔法の首都』である魔導統国キレナシシャスでは二、四、八、十、十二の数字と『法師』の称号が与えられる。ちなみに騎士の場合には一から十五の階級が定められている様子だが、その詳細についての記述は割愛する。
 キレナシシャスの魔法使い、特に戦闘を専門とする『魔導師』で最も該当者が多い階級は八法師とされている。十法師は八法師の約三割、十二法師に至っては現在三百名程度しかおらず、簡単に言ってしまえば急角度の三角構造になっていると言えるだろう。』
「で、です。十法師の階級試験に必ず出てくるのが古代語なんですが、これは基本しか問われないので慣れてしまえばいい話。ってことで頑張って下さいね」
 どん、と重い音を伴って机の上に鎮座したのは一冊の本とは思えない分厚さの本。それを数冊更に上に積み上げて、そしてロイは他人事ながらに遠い目をした。
 夜、蒼樹協会書庫塔。事実塔の姿をした図書館の中でその本を目の前に固まったのは五人の灰色の魔法使い。その前で平然と本を眺めているのは、フェルだった。
 このキレナシシャスという国での魔法使いの階級認定試験は、上を目指すごとに困難を極める事で有名だ。フェルはその十法師認定試験を踏まえて古代語を勉強しようと考えた五人に連行され、こうしてロイを本を運び出すためだけに巻き込み、そして五人を硬直させて、今に至る。
 何故フェルが講師として呼ばれたかと言えば、見習いの中で十法師の階級を持つ魔法使いがフェルだけだったからだ。年齢で言えば、この小さい魔法使いの二倍近い人生を送ってきた魔法使いもいるが、そんなのは二の次だった。年齢を気にするのであれば、さっさと身に付けるものを身に付けてしまった方が早い。
 そしてその十法師、フェルは目の前の山を見て、ふう、と息をつく。
「これが覚えられて、古代語で記述された創世記が読めて初めて最低限だと思って下さいね。読むのと書くのじゃ別ですし。必要な所だけ覚えればいいとか、そういう生半可な事すると絶対に落ちますから、とりあえず頑張って下さい」
「が、頑張れったって……」
「とにかく単語だけでも覚えて下さい。それをやる気力があるのなら構文は、まあ楽ですから」
 しかし単語を覚える事だけでも様々な制約が付きまとうのが古代語、正式にはアーヴァリィ・ロツェ=オフェシスと呼ばれる『第三世偽音発魔古語』の難しい所である。それを知っている五人は一様に溜め息をつき、そのうちの一人が口を開いた。
「……いくら魔法使いが総じて記憶力良いからって、これは反則だろ……」
「反則じゃありませんよ、まだ。普通の魔法でさえ自分で作ろうと思ったら、それこそこの書庫塔ごと全部暗記するくらいじゃないと逆に時間足らなくてやってられませんし」
 言いながら天井を指差すフェルに、さすがに書庫塔の天井を仰ごうとする人はいなかった。中心部が全て吹き抜けになっているここは天井までが燭台に照らされて良く見えるのだが、やる前からその気を削がれてはたまらないと思ったのだろう。
 尚、十法師の試験では、時に課題として魔法を作らなければならない事もあるが、あえてそれは言わないフェルだった。
「……で、質問。フェルは古代語全部覚えてんのか?」
 ロイが横から口を挟む。フェルは少し考えるような仕草をしてみせたが、すぐに返答を返した。
「知らない単語があれば別ですけど、通常会話も出来る程度には完璧です」
 沈黙。そしてかなり長い間を置いて、一人が目を細めた。
「……嘘だろ……」
 それを聞いてか、フェルは眉根を寄せる。椅子に腰掛けながら息をついた。
「嘘じゃありませんよ。嘘ついて、私に何か利がありますか?」
「でもなぁ……今の時代、古代語を使う種族もいないし、そうなると会話なんてどこで出来るようにしたんだ?」
「両親が魔法使いだったんです、それで。小さい頃は古代語で育ったんですよ、だから自然に出来るようになりました。……私としては、共通語覚える方が難しかったんですけどね」
 男性の問いに対してそう答えながら、何かに気付いたのかフェルは書庫塔の入り口の木の扉に視線を向ける。灰服の五人が諦めた様子でそれぞれ本を手に取るのとほぼ同時に、その扉が押し開かれた。
 現れた金色の髪と色違いの瞳に、気付いた五人が目を見交わす。ロイは驚いた様子で目を瞬き、その反応には何も言わずにフィレンスはフェルを見た。
「ここにいたのか、フェル」
「ここにいました。早かったですね、もう終わったんですか?」
 フェルが立ち上がり、そのフィレンスに駆け寄る。後ろ手に扉を閉めたフィレンスは軽く息をついた。
「終わらせてきたんだ、色々難癖つけられそうだったからな。……フェル、これ、借りていた本だ。随分助かった、ありがとう」
 フィレンスはそう言って、ずっと手に持っていたらしき古い本をフェルに手渡す。それを受け取ったフェルは、直接渡した方がいいだろうと思ったから、と言うフィレンスの言葉に、安堵したように微笑んだ。
「役に立ったみたいで良かったです。完成しましたか?」
 しかしそのフェルに、フィレンスは眉をひそめてみせた。その目が灰服を一瞥したのを見てロイが目を細める。それに気付いていないわけではないだろうが、フィレンスはやはり軽く息をつくだけ。
「なんとか、な。なんせまだ慣れてないからな、ずいぶんと煩雑になった。見直してくれると有り難いが……」
 その言葉に、フェルがロイを見る。慌てて何も分かっていない表情を取り繕った彼に、しかしフェルは意味ありげな視線を向ける。言葉に詰まった彼が何かと聞く前に、フェルはフィレンスに視線を戻した。
「今展開できるのであればすぐにできますよ。観衆はいますけど」
 観衆、つまりはロイの事だろう。あるいは五人も含まれているかもしれない。
 フィレンスはそのフェルの台詞に迷いもせず頷き、フェルの頭をくしゃりと撫でてほんの僅かに笑みを浮かべた。
「……気にしない。頼んだ」
 短くそう返した彼女は、巨大な真円を描く書庫塔の中心に向かって歩き出した。それを追おうとしたフェルは、しかし途中で足を止めて灰服五人を見る。そして何かを企むような笑みを浮かべて言った。
「古代語が使えるようになれば、こういう事も出来るんですよ」
「こういう……?」
「見ていれば分かります」
 フェルがそう言ううちに、既にフィレンスは塔の中心に立っている。板張りの床から石造りのアーチ状の天井までをゆっくりと見渡して、そして観衆たちに背を向けたまま、ゆっくりと目を閉じた。
 背に纏う白いクロークが、風もないのにはためく。紡がれた声は、力を持つ意志。
「『序説の一に定める第一の定理……』」
 白い姿の足元に突如として光が現れる瞬時に展開し形を成したそれは、大きな円を描き出した。
 ロイが目を見開く。灰色の魔法使いが息を呑む。緻密な紋様を描き出す円陣は、紛れもなく魔法の構築陣。騎士には許されない、そもそも行使自体を封じられた力の具現。
 叛する事の許されない禁忌――それは、剣と魔法を同時に扱う事を禁じる大綱。破れば即座に身の破滅を招く、騎士の魔法行使。
 しかしフェルはそれに動じもせず、空中にまで展開する構築陣に手を伸ばす。そこに描かれているのは、まるで何かの模様のように連なった古代語。フェルはそれを無造作に掴み取り、構築陣の中から引きずり出した。
 陣から引き離されたそれは即座に消え、同時に陣が揺れ動き形を変えていく。何度も繰り返し、時には書き加えていくそれを経るごとに、構築陣自体の構成すらも変わっていくのが分かった。
 魔法使いなら誰しもが知っている事。構築陣にはその魔法の情報全てが詰め込まれている。あるものは図形に、あるものは古代語で記述する事によって力を増幅させ、『循環』の象徴である円形に仕立て上げる。時にはその円が幾つも重なり合う。魔法の陣が内包する情報量は、半端なものではない。
「『――終説の六に在る地平線の定義。我が命ある所現世、我が命あらざる所を常世とし、この力は形を得る――』」
「『ディラートの守護、新たなる力よ……』」
 フィレンスが口を閉じると同時にフェルの詠う声が響く。それを合図にしたかのように空中を舞っていた構築陣が明確な形をもって地面に吸い込まれていく。そうして重なりあった円の、その数は三つ。
 フィレンスは眼を開くと、足元に広がりゆっくりと回転するそれを見下ろした。少し思案する様な沈黙を経て、溜め息と同時に呟く。
「多いな、やはり……」
「多少は……本当は重複する部分がもっと減らせるといいんですが、五年でこれだけできれば充分通用すると思います」
 フェルがそう言って、フィレンスは頷く。次の瞬間には構築陣が消え失せ、彼女はフェルを見て苦笑した。
「そう言ってもらえると有り難い。……そうだ、フェル、訓練期間はどれくらいになる予定だ?」
「えへ、明日あたりには黒服です」
 さすがに驚いたらしい五人の視線が背中に突き刺さるのを感じながらフェルは笑ってみせる。やはり驚いた顔のフィレンスに、笑みは崩さず更に言葉を連ねた。
「長官捕まえて色々言ったら訓練期間短くしてくれたんですよ。明後日当たりには正式な引き継ぎとかがあると思いますけど」
「そうか。なら良かった……頑張れ」
 最後の一言は他に聞こえないように身体をかがめて囁き、そしてようやく彼女は灰服の魔法使いたちに視線を向ける。敵意にも近いものを感じながら、しかしフィレンスは何の反応も返さない。フェルはそれに気付いてフィレンスの袖を握るが、それに気付いた方は仄かに笑みを向けただけで、その笑みもすぐに打ち消した。
 扉へと足を踏み出し、そしてようやく口を開く。
「確かに禁忌の檻は固く鎖されている、だがそれを抜ける事も出来るという事だな」
 変わらない表情の中に自嘲が見え隠れする。誰かが呟いた。
「……禁忌破り……」
「そう呼びたいのなら呼べばいい、事実だからな」
 言いながら扉に手をかける。その姿が外に消える一瞬前、緑の瞳が垣間見えた。
「おやすみ、フェル」
「おやすみなさい、フィレンス」
 フェルはいつもと変わらない様子でそれを見送り、息をつく。
 数秒、物音が微かなだけの沈黙。耐えきれなくなったのは、ロイだった。
「……なあフェル、あれって……」
「魔法の構築校正です。魔法を構築し作り出した本人と、古代語が使える魔法使いがいて初めて成立する一番効率のいい『失敗しない魔法』を作る方法ですね」
「いや、じゃなくて……」
「禁忌破りの事なら、先に言っておきますけど、大綱には『禁忌を破らんとする者は破滅を迎える』、とだけ書いてあります。つまり破ってしまえば罪に問われる事はありません。問われるのは『破ろうとする行為』ですから」
「同じだろ? 何が違うんだ?」
 気に入らないとでも言わんばかりの言葉。フェルはそれを聞いて、そして何故かにやりと笑った。
「じゃあ逆に聞きますけど。フィレンスが何故禁忌を破るに至ったか、その理由が分かりますか?」
 その場の、フェル以外の全員が眉根を寄せた。それを見たフェルが肩をすくめる。
「それが分かれば答えは簡単ですよ。私はきっかけと代償しか知りませんけど、それでも充分ですし」
「そんなの――」
「はい分からないんだったら余計な事に頭まわす前に魔法使いとしての基礎知識ぐらい覚えて下さいね! ここにある分くらいは今日明日くらいには覚えないと次の試験間に合いませんからね!」
 かなり無理矢理話題を切りフェルは机の上の本をばしばし叩く。五人もそれ以上フェルに何を問いかけても無駄だと思ったのか、素直に本に視線を戻した。
「……ああ、あと、ロイ」
 急に声をかけられてロイは硬直する。それとなく自然に扉へと向かって足を踏み出した彼に、フェルはにっこりと笑ってみせた。
「まだ、本を戻す作業が残ってますからね?」
 結局は力仕事を押し付けられるために巻き込まれたのかと、ロイは歎息する。




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