轟音とともに吹き上がる爆炎。掲げられた長杖、魔法の力を高めるそれが炎の中で踊り煌めきを増す。炎の中、全く動じるふうもなく、そしてその少女は口を開いた。
「『――汝我を害する炎の王よ、我が名に於いて命じる、汝が主に立ち返れ』」
 赤い光の中、紛れ込んだのは相反するような青い燐光。高熱の大気を漂うそれは少女の周囲に集まりその光の強さを増し、そして彼女の足元を中心に巨大な円陣を刻み付けた。
 少女の紫の瞳は前を見据えたまま、そして宣告が下る。
「『我が名はフェルリナード=アイクス――紫銀の号を戴く者』」
 小さなその姿を覆った炎は、少女の見据える先に殺到する。



「……文句のつけようは、まああるが合格、だな。残念だが許可するしかなさそうだ」
 呆れをはらんだ金色の瞳がこちらを見るのを感じて、少女は振り返る。ほんの少し硬い表情で僅かに眉根を寄せて、紫色の瞳が言った青年を見返した。
「その真意を問い質したいところですが……」
「訊かなくとも分かるだろう、『紫銀』が協会所属になるなど前代未聞だからな」
「知ってます。それと、何かあるのであれば言って下さい、その方がすっきりするので」
「自覚しているのなら問題ない。制御の技術は時間をかけて成立させていく以外にないからな」
 言って、そしてその彼は手に持っていた書類を下し、意地の悪い薄笑いを浮かべた。
「何なら、その不完全な所だけを浮き彫りにしても良いが、フェル?」
 言われた少女、フェルは、その彼に対して即座に満面の笑みを閃かせた。
「そんなに部下をいじめて楽しいですかヴァルディア長官」
「問題の多そうな部下が放っておけないほど優しいだけだ。……任命状だ、フェルリナード=アイクス。二人組の相手はまだ未定だが、おそらくはフィレンス=アイラーンになるだろう」
 差し出された一枚のそれを受け取り、少女はようやく緊張をほどき安堵の表情を浮かべる。文面に眼を落とし、そしてすぐにヴァルディアを見上げた。
「分かりました、……よろしくお願いします」
「ああ、期待している」
 事務的なやり取りを経て息をつき、不意に少女は周囲に眼をやった。白い制服に剣を携えた人影が多くなっているのを見て、口元に手を当てた。
「……少し時期を外した方が良かったでしょうかね」
「どうだか。そうすれば今度は手の空いている奴が勢揃いで見物に来かねない。なんせ今までは遠目に見る事もできなかった『紫銀』だからな」
 長官が言うと、少女はあからさまに眉をひそめる。手に持っていた長杖が空気に解けて消え、彼女は灰色の袖に覆われた腕を組んだ。
「この蒼樹では実力主義、いくら紫銀でも特別扱いはしない、そういう条件でしょう?」
「少なくとも私はそれを覆す事はしない」
「だから、ここに来たんです」
 そして、今まさにそれを許された。
 魔法の大国、キレナシシャスに設けられた四つの協会、その協会にはその力を大衆に認められた力を持つ者が集まる――騎士、そして魔法使い。人を殺める異形を、その持てる力を以って退ける者。魔法使いは黒い衣裳を、騎士は白い制服を身に付ける事から『黒服』『白服』と呼ばれ畏怖と尊敬の対象となる、国家国民の守護者。
「で、だ。いくら合格とはいえ、正所属の黒服ではない。修練期間はまだ残っている、しっかりと見習いの本分を全うするように」
 その協会の一、蒼樹協会の長官ヴァルディアは言う。周囲に眼を向けたままの見習い魔法使いは視線を長官に戻した。
「了解です。……でも、相手をしてくれる人がいないんですけど、訓練」
「その時は私が相手をしてやる。光栄に思え」
「仕事から逃げる口実にしないで下さい……私にとっては大問題なんですから」
 溜め息をつきながら言う、その少女が纏うのは灰色のローブ。見習いの魔法使いである事を示すそれを寒風が僅かに揺らし、フェル――フェルリナードは、腰よりも長く流れる銀の髪を押さえた。



『―(前略)―その大乱の折に、銀の髪と紫の瞳を持つ神は我らの前にその姿を現した。後にも先にもその一度だけ、そしてその神は“我とこの証同一なるを求めよ”と告げたのだ。
 証は即ち命。我らに、その神と証を同じくする人間を捜し出す術は一つしか残されていない。髪、そして瞳には命の色が宿るという。ならば。
 ――既に狂ったこの世界を救い得るのは、『紫銀』でしかあり得ない。』
                    創世記 外伝『手記』 ヴァレント著



 ――キレナシシャス。『魔導統国』の異名を持ち、『偉大なる魔法の国』等と呼び名されるこの国は、その名の通り魔法に精通した大国だ。他国とは比べ物にならないほどの魔法的要素に恵まれ魔法使いも多く、魔法の首都とも呼ばれる。
 そのキレナシシャスには四つの協会が存在する。国内、時には国外の人民のため異形、『異種』の征伐を主な任務とするそれらの協会は、今はその区分を東西南北に定め、蒼を冠する蒼樹協会は西方、鉱石の地。蒼い宝玉を戴く大樹が象徴として知られている。
 その蒼樹協会の長官が背を向け、去るのを何の気なしにフェルは見送る。不意に誰かが近付いてくるのに気付いて振り返り、途端見えた姿に嬉しげに声を上げた。
「フィレンス」
 半端に長い金の髪に緑と紅の色違いの瞳。白い衣裳に二振りの剣を携え、特徴的な色を持つその女性は、柔らかく笑みを浮かべてすぐ近くまで歩み寄り、手を伸ばした。
「お疲れさま、フェル」
 ぱす、と軽く頭を撫でられフェルは眼を瞬く。しかしすぐに笑みを浮かべてその彼女を見上げ、そして任命状を突き付けてみせた。
「合格、です」
「うん、見てた。やけに丁寧だったのは、失敗しないため?」
「……何で白服がそういうの気付くんでしょうね」
 さらりと言い当てられたフェルが言うと、彼女、フィレンスは苦笑して踵を返す。その横に並んで歩き出し、フェルは彼女を見上げた。
「フィレンス、任務じゃないんですか?」
「ちょっと遅めに出発する事になってね。夜に動き回る奴だから、日が暮れた頃の方がやりやすいって、他の人たちが」
 フィレンスはこの蒼樹に所属する正式な騎士の一人だ。いつも二振りの剣を従え、協会有数の実力を持つ女騎士。フェルとは十年以上の付き合いになる親友でもある。
「それにしても盛況だねぇ、拝樹試験なんていつも誰も見向きしないのに」
 そのフィレンスは横目で辺りを見渡しながら言う。集まっていた視線がそれで散っていき、それを不思議に思いながらもフェルはフィレンスに問いかけた。
「協会の人たちってそんなに暇なんですか?」
「いや? 任務に次ぐ任務で遊んでる暇なんて無いよ? たぶん無理に時間ずらしてきてたんじゃないかな」
 言われて再び視線を巡らせると、集まっていた観衆たちはどことなく急いでいるように見える。走っているのも数人いて、フェルは小さく笑った。
「とんだ野次馬精神だよ、脱帽だね」
「でもフィレンスもそこに混じってたんですよね」
 言うと、フィレンスはフェルを見る。足は止める事無く、そして唐突ににっ、と笑った。
「冗談、屋根から見てた」
「う、わ……予想外な所から……」
「だってその方がよく見えるしさー」
 調練場の回りに集まって見物するよりも、見物するためだけにわざわざ屋根に登る方があれなんじゃないかと思いつつ、フェルは敢えて言わなかった。
 言ううちに調練場の端まで来て、フェルは屋内調練場の棟の壁際に積まれていた木箱に腰掛けた。フィレンスはその横の壁に背を預けるようにもたれかかる。
「で、余裕で合格、と」
 唐突にフィレンスが言う。フェルは膝の上に頬杖をついて、そして首を傾けた。
「余裕……なんでしょうけどね。いや、でも手加減されてましたって、絶対。試験官の人すっごく迷ってましたし」
 眉根を寄せながらフェルは言って、そしてフィレンスがくすくすと笑っているのに気付いて諦めの混じった溜め息をついた。
 理由は、言われなくとも分かっている。『紫銀』だからだ。この世界で唯一の権限を、生まれながらに持つ者の証。神と隔たれたこの世界の中で、唯一その神と触れあう事の許された人間、と。
「……いきなり払拭は無理だよ、フェル。まだ蒼樹の敷地に入って五日なんだから。フェルがここにいるのだって、一ヶ月経っても当然と思ってくれるかどうか」
「分かってます、もとより長期戦覚悟ですもん。それに、神殿か王宮かにずっといなきゃいけなかった頃に比べれば、ここは天国ですしね」
 その言葉にフィレンスは調練場を見渡す。白い人影が数組訓練をしている風景の中、彼女は呟いた。
「……天国ねぇ……」
 その諦観と皮肉の混じったような声にフェルがフィレンスを見る。フィレンスは気付かず、しかし投げ出した視線をフェルとは反対側へと滑らせた。
「あー、間に合わなかったか」
「残念、クロウィル。もうちょっと早く来れば見れたのに」
 聞こえてきたのは青年の声。体を乗り出してみると、フィレンスの陰に隠れていたその人が見える。青い髪と翠の瞳、フィレンスと同じような白い衣裳を身に付けた彼はフェルを見て、よ、と片手をあげた。
「その調子だと、無事合格みたいだな」
「ばっちりです」
 それを聞いて彼、クロウィルは手を伸ばし、フェルの頭をぽんぽんと叩く。フェルは彼とフィレンスを交互に見て、そして眉根を寄せた。
「……私が今何歳に思われているのかすごく疑問に思いますね、この一連の流れ」
「俺は十六だと認識してるけど?」
 さらりと返された即答にフェルは項垂れた。認識しているだけで、そうは思っていないと言われたも同然だ。暗に言われたのだろうが。
 フェルは一つ息をついて、軽い音を立てて木箱から飛び降りた。
「さて。じゃあ私は、ヴァルディア様に言われた通り見習いの本分果たして来ますね」
「そんな事言われたのか?」
「言われたんですよ。まるで何もやってないような言い方ですよね」
 フェルは長官が去った後の調練場に視線を向け、不満げに言う。クロウィルはその様子を見て苦笑した。
 蒼樹にいるには若すぎる、フェル自身それで戸惑っている部分もあるだろうし、相手もどうしたものかと思ってしまうのだろう。訓練をしようにも中々相手が見つからないのだ。
 それを知っているフィレンスは手を伸ばして、そして銀の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「頑張れ。見習いは訓練が仕事だからね」
「……そう言うフィレンスさん、白服まで何日かかりました?」
「ん? 三日だけど?」
 予想通りの返答に、見習いになるまでに既に五日かかっているフェルは項垂れた。その横でそれとなく視線を外したクロウィルは、フィレンスより一日多い四日。
 ――こいつら。
 その反応を楽しげに見ていたフィレンスが、不意に視線を外す。その視線の先に立っていたのは見た事の無い白い服の騎士で、彼はそのフィレンスに向かって素っ気なく口を開いた。
「そろそろだ、準備してくれ」
「わかった。すぐに行く」
 そう答えたフィレンスの陰からフェルが顔を出した瞬間、その白服は驚愕の表情を浮かべながら踵を返した。主棟に戻る間に何度も振り返り、その姿はすぐに建物の中へと消える。
 フェルは首を傾げた。
「……なんだか珍獣を見たって反応でしたね、今の」
「まあ珍獣に近い部分はあるよね」
 その言葉にフェルは眉根を寄せ、しかし何も言わない。フィレンスもそれ以上は何も言わず、じゃあ、と言って軽く手を振り、主棟の中へと入っていった。フェルはそれを見送ってからクロウィルを見上げた。
「クロウィルは、仕事無いんですか?」
「俺? 俺はさっき戻って来たばっかり。すぐに別の行くけど、ちょっと休憩な」
 それを聞いて、フェルは眼を細めた。主棟を見上げ、遠い眼で呟く。
「……ヴァルディア様、自分は仕事しないくせに部下にはやらせるんですね……」
「うーん……まあ、してるっちゃしてるんだがなぁ、あの人も」
 蒼樹の長官、ヴァルディアは、『仕事をしてくれない上司』として有名だ。ヴァルディアという名前以外、出自も年齢も何もかも、素性の全く知れない人物。しかもその名前すら本名かどうかも怪しい。何でそんな人が国防機関でもある協会の長官なんてやってるんだと言えば、単に実力の問題としか言い様が無かった。
 その彼の、仕事に対する姿勢は、いっつも逃げている、と言い表すのが一番妥当だろう。一日の半分執務室にいればましな方、ひどい時には日に三度仕事から抜け出しその度に誰かが捕まえにいく羽目になる。
 それでも蒼樹は四協会の中でも実力のある方なのだが、しかしそのために仕事量が増え、更には四協会のうち一番所属者が少ないここは、そろそろ内部破綻を起こしそうな勢いで仕事を消化している現状にある。しかも協会長官は各四協会が管轄する街町、村の治安維持、行政の統括も行う。勿論王都以外の大体の土地は有力氏族、貴族らが領主として治める形になっているが、協会長官はその元締めのような事もする。国と各領主との仲介の様な事もしなければならないが、それをやった分だけ別の方に皺寄せが来るので、所属者にとってはどっちもどっちな状況にある。
 『異種』討伐任務がその役目の大半を占める協会、結果として戦闘要員となる騎士や魔法使いたちは重労働を強いられる。実力主義の蒼樹だからこれで成り立っているのだろう。だからか、人民の蒼樹に対する信頼は厚い。勿論『蒼樹の長官』に対してのそれも、悲しい事に言わずもがな。
 これでヴァルディアも力、能力共に有り余っているのだから始末が悪い。今の所は新人が多い時期だからときちんと全てをこなしているようだが、いつそれが変貌するのかと所属者達は戦々恐々としている、らしい。そう言った細かい事は、まだフェルには分からないのだが。
 クロウィルは今までの経験を反芻する思考を断ち切り、諦めたように溜め息をつく。そして唐突に手を伸ばすと、何やら思案している様子のフェルの銀の頭を軽く引き寄せた。
 瞬間硬直したその耳元で、囁く。
「色々気を付けろよ、フェル」
「――ッ!」
 その言葉に、フェルは反射的にクロウィルの手を撥ね除けようとするが、しかし予想されていたのかすぐにその手を押さえられる。振り払おうと腕を突っ張って、そしてフェルは赤い顔で声を荒げた。
「あなたのが危険ですよ! 何しくさってるんですかこの常春騎士!」
「心外な、俺は俺の心に素直なだけだぞ? ってことで早く訓練期間終わらせてくれな、フェル。正所属にならないと中々会えないだろ?」
「会いたくもありません!」
「ははは、顔赤いな」
「うるさい!」
 クロウィルの手を無理矢理振り払い、彼の手が届かない所まで後退る。してやったりと笑みを浮かべる彼に、それでも可愛い程度の言葉で罵倒した。
「この馬鹿騎士が! そのまま死んで下さいと切に願います!」
「照れ隠しと受け取っておく。訓練頑張れよー」
 さらりと返し、クロウィルは颯爽と去る。フェルはそれを見送る事無くすぐに背を向けて調練場へと歩き出し、灰色のローブの袖で乱暴に顔を拭う。顔が赤いなんて事は無い。絶対に無い。クロウィルの冗談に決まってる。
 自分に言い聞かせるように何度も心の中で繰り返しながら歩いているうちに、見慣れた姿を見つける。相手は既にこちらに気付いていたのか、視線が合うなり声をかけてきた。
「フェル、協会に知り合いいるんだな」
 剣を携えた男性。今回、拝樹試験を通して知り合った同期で、ロイという名の騎士だ。フェルは背後を振り返り、クロウィルの存在は故意に無視して頷いた。
「ええ、ロイも知ってると思いますよ。フィレンスです」
 言うと、彼は視線を上空へと投じる。何かを考え込むような間を置いて、ああ、と口を開いた。
「フィレンスって……女騎士のか。知り合いだったんだな」
「友達です。小さいときからの」
「へぇ……」
 ロイは興味深そうにフェルの視線を追う。既にそこに彼女の姿は見えないが、そのまま彼はフェルに向かって問いを投げた。
「禁忌破りって聞いてるけど、それって本当なのか?」
「私は否定も肯定もしません。答えが聞きたければ自分で本人に聞いて下さい」
「それもそうだな。……じゃあ、やるか、訓練」
 ロイは特に追及もせず、一転暗い口調で後半を呟く。フェルはそれを聞いて目を瞬き、自身の魔力から直接作り出す長杖を手に握りながら首を傾げた。
「乗り気じゃありませんね、ロイ」
「そりゃ連続で負ければ嫌にでもなるってもんだろ……少しは手加減って言葉をだな?」
 言いながらも、訓練の相手にと言った言葉は撤回しない。それを聞いたフェルは笑みを浮かべて、そして言った。
「私、人間相手の訓練とか試合とかって苦手なんですよね、手加減の仕方が分からなくって」
 肩を落としたロイが、更に深い溜め息をつく。額を押さえて呟いた。
「……何で魔法使いってこう、自信家というかなんというか……」
「そうじゃなきゃ魔法使いなんてやってられませんよー、相手より弱いって自覚したら負けな仕事ばっかりですからね」
「物は言い様」
「言った者勝ちですから」
 言うフェルの笑みに、ロイはただ苦笑を返すだけに留める。一陣通り過ぎた風が銀色の髪を翻した。
 ――神と人間とが完全に隔たれた世界。唯一その理に囚われない存在。
 『紫銀』フェルリナード=アイクス。神々の寵愛を一身に享け、魔法を自在に操る少女。




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『宵月暁陽』――第一断章『Ovvin―夜明け』
人の地に住む天の愛し子。



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