フェルが眼を見開いたまま動かないのを見てか、オーレンは満足げに笑みを深める。そして低く囁いた。
「気に入った、あなたの魔力は心地良い……祝福を、紫銀殿」
「――ッ!!」
 フェルと同じく反応できずにいたクロウィルが、唐突に彼女とオーレンとを引き離すように間に割って入る。我に返ったフェルを背に、剣呑に眼を細めて黒衣のオーレンを睨みつけた。
「オーレン、お前……」
「何だ? ……手に入れたくば行動しなければならないだろう? 紫銀には既に決められた相手がいるという噂は耳にしているが、所詮政略結婚……私にも、多少は人としての一般的な感情は備わっている」
「大部分が一般的じゃない事は自覚してんのか。その大部分がどうでもいい要素で溢れてる頭でよく考えろ、俺が何を言いたいかくらい分かるだろ?」
 言われて、オーレンは黙り込む。答えに詰まったというよりは、適切な言葉を探すような間を経て、彼は一人頷いてから口を開く。
「とりあえず、お前に望みは無いという事だけは完璧に理解できるが」
「…………」
 それは主にとある人物の妨害のせいである。というかこの短期間でここまで知られているとはこれいかに。
 フェルは依然困惑した表情で、しかしここがそれほど人気のある所ではなくて良かったと一人安堵した。何だかよくわからないが、何故か微妙に殺気が見えるという事は、何かが原因で諍いに発展しそうだという事だろう。
 フェルが息をついてその二人から視線を外した、ちょうどそこに見知った顔が通りかかる。丁度良く――この場合はむしろ悪いのかもしれないが、フェルに気付いたロイは、逡巡しながらもゆっくりと歩み寄って来た。二人を刺激しないようにという配慮は正解だろう。
「……何してんだ、フェル」
 こそこそとした囁きに、フェルもこそこそと答えた。
「何だかよくわからないんですけど。このまま諍いに発展しそうで」
 ロイは対峙する二人の男を見て、そしてフェルを見る。納得して、そして遠い眼でその肩を叩いた。
「幸せだな、お前……」
「ええ?」
「俺なんてそんな兆し一向に見えないからな……大事にしろよ。ちゃんと見極めるの忘れずにな」
「え、何をですか?」
 フェルは更に困惑してロイを見て、そして低く何かを言い交わすクロウィルとオーレンを見る。少しの間考え、そして眉をひそめた。
「……とりあえず外にでも投げましょうか……」
「いや、何でそうなる?」
「屋内で暴れられたら大変でしょう? 私は早くヒセルス様に会いたいですし」
 それを聞いたロイが頭に手をやる。呆れと諦観のないまぜになった顔で溜め息をついて、そして呟きを漏らした。
「……なんっていうか、気付いてない……」
 ――無自覚と言うか無頓着と言うか、とことん鈍感。
 フェルはそのロイの呟きを聞いて首を傾げ、すぐに二人に視線を戻す。
 このまま放置してもいいだろうかとフェルは思った。



「……クロウィルは?」
 女性が左右を見渡して訊ねる。ソファに腰掛けた男性が口を開いた。
「またどこかほっつき歩いてるんだろ、放っとけ放っとけ」
「……遊んでるかはともかく、たぶんフェルの所だよ。それなら別にいい」
 フィレンスの声がそれらを諌めるように響き、そして彼女はその場を見渡した。――藍色の衣裳に身を包んだ男女、合わせて五人。
「さて……久々に収集かけたわけだけど。どういう事になってるか、大体の予想はついてるよね?」
「フェル絡み。しかも協会の中で」
 眠そうな声が上がる。フィレンスは軽く息をついた。
「それが私達の仕事だからね……協会内で、っていうのはさすがに初めてだろうけど。スフェ、結果」
「んー、騎士は別に。変な奴はいなかったぞ。魔法使いはジルファに任した」
 答えたのは先程の眠たそうな声。水を向けられた青年が、その男性を軽く睨みつけながら口を開いた。
「押し付けたの間違いじゃないですかね。ともかく、……変な奴ばっかりですねこの協会。犯人はその変な奴らに上手い具合に隠れてるみたいです。魔法使いが犯人だろうというのは、一応ですが証拠も」
 言いながらジルファと呼ばれた彼はフィレンスに向かって何かを投げて寄越す。それを空中で捉え、見れば簡易構築陣を模した銀の装飾の一部だった。――銀は月の色。即ちこの世界に溢れる十二の要素の中でも最悪とされる、邪の色だ。
「黒服だろうから、恐らくこちらから居場所を特定するのは難があるかと。隠れてますよ、上手く」
 彼の言葉に、一番最初に声を上げた女性が頷く。フィレンスは証拠とやらをその彼女に投げた。
「イース、片鱗でいい。この魔力を探して」
「了解」
 答え、イースと呼ばれた彼女は投げ渡されたそれを受け取り、ついでその姿が薄れて消える。フィレンスはジルファに再び視線を向けた。
「ジルファは夜を見張っててくれるかな。何か歪みができればそこが怪しい。ただし第二調練場、……旧調練場の事だけど、そこは除外で」
「……なんで?」
「とある無害な魔法使いが夜な夜なそこで遊んでるから」
 その言葉に彼は不思議そうな顔をして、しかし何も言わずに立ち上がって踵を返す。その姿も空気に融けて消えた。
「で、ラルヴァールとラカナクはフェルの護衛から外れて、本部に向かって。こっちの関係で第一から情報流してもらいたい」
「了解。……また飛ばされんのか……」
 一人が項垂れる。その襟首を掴んで、もう一人が言った。
「若人の勤めだろ、行くぞラカナク」
「お前だって若人だろ二十五歳」
 その二人の姿も消える。残った一人に視線を向けて、そしてフィレンスは唸った。
「……で、毎回どうしようか悩むんだよね、お前……」
「フェルのとこ、いってくるかー?」
 ソファに寝そべったまま、やはり眠気を隠しもせずに彼は言う。フィレンスは軽く首を振った。
「いや、いい。今回はさっさと済ませたいし……フェルにも協力してもらうからね、負担は減らしたい」
「じゃあ、蒼樹の長官の所にでも行ってくる。もしかしたらちょっと力借りる事になるかもしれねえんだろ?」
「……そうだね。よろしく、スフェリウス」
「りょーかいー」
 起き上がったその姿もすぐに見えなくなり、フィレンスはその気配が完全に消えるのを待ってから溜め息を吐き出した。ソファに腰掛けて、机の上に置かれた一枚の羊皮紙、そこに書かれた簡素な一文を見下ろす。
 ――蒼樹に不穏。
「……ほんとに面倒……よくもまあこんなに馬鹿な事を考えついたよ、全く……」
 紫銀の力を狙う輩は絶えないが、それが協会の中で起こるなど。そもそも『紫銀の力』が何を指し示すのかも曖昧な中で、協会に所属する人間がと思うと嘆息が禁じ得ない。
 もう一つ息をついた所に、扉をノックする音が転がり込む。珍しい、と思うと同時に扉に歩み寄り、少しだけ引き開けた。
 見えたのは濃緑色の髪と瞳、白い服。
「フィレンス、少しいいか」
 す、と頭の芯から体中が冷めていく感覚。フィレンスは僅かに眼を細め、答えの分かりきった問いを投げかけた。
「何か?」
「聞きたい事がある」
 男はそう言って返答を待たずに歩き出す。フィレンスは常に肌身離さず持ち歩く二振りの剣を確認し、クロークを背負ってそれをゆっくりと追った。
 しばらく無言で歩き、居住棟から外へと出る。調練場の一郭、樹木に覆われた森の中に踏み込むのにも何も言わず、フィレンスは無言で白いそれの後について脚を動かした。
 不意に先を行く男が足を止め、フィレンスも十分に距離を取って立ち止まる。剣を鞘から引き抜く音、同時に隠れていた気配が現れた。
 やはりと思いつつ、フィレンスは溜め息をついた。
「たった一人に、七人掛かりか」
「十三階梯の騎士なら、余裕だろ?」
 察しがいい、と誰かが呟いた。聞いた事の無い声だと思い、内心面倒に思いながらも剣の柄に触れる。しかし抜きはしない。
 時々ある事だ。『禁忌破り』だから優遇され、十三階梯の認定を受けられたのだと思い込んだ白服が、こうやって喧嘩を売りにくる。白服の階梯は襟元に施された刺繍、その模様で判断がつくが、彼らは九階梯、対しフィレンスは十三階梯。
「無謀だとは思わないのか?」
「思ったらやらないだろうな!」
 濃緑の騎士が剣を振り抜く。背後に立った気配、そのうちの二つが同時に動いた。
 フィレンスは呆れたように息をつく。襲いかかった三つの斬撃は、しかし掠りもしなかった。
「……騎士の私闘は重罪だと聞いているが……」
 やり過ごした三人、向かってくる四人を視界に納めて、フィレンスは眼を細めた。柄に触れた左手を握り締め、引き抜く。
「この場合なら、正当防衛の範疇だな」
 言い放つ。ほぼ同時に振り下ろされた力任せの剣を受け流し、刀身を絡ませて弾き飛ばす。あまり余ったその勢いで体勢を崩しかけた一人の背をそのまま後方へと押し出すようにして転倒させ、そこに襲いかかった刺突も容易に弾き返す。空いた首筋に手刀を振り落とし、その衝撃であっけなく意識を手放した一人が地面に倒れる。
 本当に、無謀としか言い様が無い。騎士の階梯が一つ違えばそこに歴然の差が生まれると言うのに、九階梯が七人集まった所で十三階梯に勝てるわけが無い、考えれば、否、考えなくとも分かる事だ。
 もっとも、その『十三階梯』を否定したい七人なのだから、こうやって行動に移してしまったのだろうが。
 濃緑の騎士は早くも倒れた一人を見て舌打ちを響かせる。そのまま、思うがままに叫んだ。
「良いご身分だな、禁忌破りって奴は!」
 フィレンスが色違いの瞳をその男に向ける。瞬間、その双眸に険が宿った。
「……どうやら、本格的に頭が足りないみたいだな」
 呟く。禁忌破りだからと言って優遇されるわけがない。逆に怪しまれ続けて、剣だけで証明したとしても信用されない事が常、目立つ容姿もあって人に紛れる事もできない。その中で贔屓をされる事も、人を見下すほど高い地位に立てるはずも無い。
 ――禁忌破りは異端だ、だからこそ排除され抹消されていく。その中で清きを保てるも保てないも、その汚名は一生消える事は無い。
 脳裏に蘇る言葉。フィレンスは意識しない間に地面を蹴っていた。
 金属同士のぶつかり合う甲高い音。眼を見開いた男の、そのがら空きの脇腹に膝を叩き込む。呻いたその側頭部に、握り締めた剣の柄を強かに打ち付けた。
 残り、五人。
 フィレンスは笑う。その凄惨な笑みを、手を出せないままでいる男たちに向けた。
「そんなに気になるのであれば存分に確かめれば良い。私は魔法を使わない……これで公平だろう?」
「――ッ、のやろ……!」
 軽い挑発に、いっそ清々しいほど簡単に食いついてくる。それだけでもたかが知れていた。こちらから挑発してしまえばもう正当防衛とは言えないが、どうでも良い。  飛びかかってくる剣を避け、隙だらけの構えを崩す。鋼同士がぶつかり合う音も長くは続かず、その合間にも二人の意識を奪い去る。
 残り三人。フィレンスはずっと左手に持っていた剣を右に握り直し、濃緑の騎士に視線を向けた。目が合って、笑ってみせる。
「自分は一番奥に立って、指揮官気取りか。あるいは出て来れないだけか?」
 言った瞬間、男の顔が怒気に満ちる。そのまま衝動に任せて放たれた剣をわざと正面から受け止め、フィレンスは更に言った。
「そろそろ確かめられたんじゃないか? 蒼樹で九階梯とはいえ、七人集まってもたかが女騎士一人にすら勝てないと」
「黙れ……!」
 男は唸る。力任せにフィレンスの剣を弾き返し、フィレンスはその力を受け流しそのまま更に剣を交わす。切り掛かってくるそれを防いだ瞬間、しかし不意に意識の端に何かが引っ掛った。僅かに意識が逸れる。
 ほんの数瞬のその隙に、背後から無理矢理腕を掴まれる。予想以上に強い力で引かれて体勢を崩したフィレンスの両腕を、別の男が後ろから拘束しほぼ同時に白刃が突き付けられた。切っ先が首筋に触れる。
「馬鹿にしやがって……」
 濃緑の騎士が呟くように吐き捨てる。突き付けた剣をゆっくりと動かして、襟の中、白い首にその刀身を当てた。その白刃をフィレンスは無言で見下ろす。
 そして、唐突に声を上げた。
「ああ、そういえば……学院の時にもこういう事があったな、ディベア?」
「……思い出してくれて光栄だ、アイラーン」
 濃緑の騎士、ディベアがその顔を歪んだ笑みに象る。剣はそのまま首に突き付けて、そしてもう片方の腕を伸ばしてクロークを留める留め金に手をかける。
 軽い音がして、小さな装飾が地面に転がった。
「あのときは未遂に終わったからな……何だ、今度は喚かないのか」
 上着の留め金が弾かれる。フィレンスはそれを見て、ようやく視線を上げた。
 そして彼を見上げた瞳に浮かんだのは、明確な呆れと哀れみ。
「……ついぞ馬鹿だとは思っていたが」
 ディベアの手が止まる。フィレンスは眼を細め、言った。
「ここまで気付かないとなるといっそ哀れだな」
「なん――ッ」
 ディベアが言いかけた瞬間、その視界を閃光が灼き尽くした。
 眼を閉じてそれをやり過ごしたフィレンスは腕を押さえつけたままの男を振り払い、ディベアの剣を払い落とす。
 視線を向けると、呑気な声がそこに響いた。
「おやおや、これくらい耐えると思ったのだがの」
 枯れ枝を踏み、現れたのは青い髪と瞳の女性。そして灰色のローブを纏ったフェル。フィレンスは眉根を寄せてその二人を見た。
「……ヒセルス様、と、フェル。何やってんだ」
「そう睨むでない、緑紅。妾はただフェルと遊びたかっただけじゃ」
「で、遊びがてら散策していたらフィレンスが絡まれていたので助けてみたりしたわけで」
 フェルが言いながらその場を見渡す。眼をやられてまんまとフィレンスを解放してしまった三人が、なんとか立ち直って突然の乱入者を睨み付けた。しかしそれ以上に表情に現れているのは、驚愕と困惑。
 ヒセルス、と呼ばれた女性は、それを見てふむと唸った。
「フェル、妾はこの場合どうした方が良いかの」
「そうですねー……さすがに龍神様に手を出していただく程の大物でもありませんし、どちらかというとというか完全にものすっごく小さい小物ですから、ちょっと待ってて下さい」
 ディベアが眼を見開く。ヒセルスはそれに気付いてかにやりと笑い、フェルの言葉に頷いた。
「なればそうしようかの」
 言った、その姿が歪む。フェルの左腕にはめられた腕輪に吸い込まれ、その最中フェルは逆の腕を伸ばした。
 その手に現れる、長杖。
「手伝いますよ、フィレンス」
「ありがとう。でも後で何で召喚魔法なんて使ってるのか聞くからな」
「頼まれてたんです、風俊神を通して」
 フェルは肩をすくめる。フィレンスは取り落とした剣を拾い上げて、空中を一閃した。感覚を確かめるようにして、そして構える。――今までとは完全に違う、圧倒的な空気を纏って。
「……そういえば、二人で戦うの久しぶりだな」
「あ、そうですね。そろそろ私も黒服みたいですし、予行でもしておきましょうか」
 言うフェルの足元に構築陣が広がる。ディベアたちに向かって放たれたのは回復魔法だった。
 彼等の負った傷がゆっくりと塞がれていく。意識を失っていた男たちも立ち上がり、そしてフェルを見て眼を剥いた。
 疑念の表情を浮かべると同時に眼を見開いたディベアに、フェルはにっこりと、あくまでも笑みを浮かべて言う。
「親友を襲ってくれたお礼、お互いに万全な状態でしたいですからね?」
 そして大輪の花のように、構築陣が展開される。




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