フェルが扉をノックすると、すぐにヴァルディアの声が聞こえる。入れ、というそれに扉を開けると、クロウィルがそこに居た。
「あれ、クロウィル?」
「フェル。フィレンス大丈夫そうか?」
 それには頷き、ヴァルディアを見やる。ちょうど報告をしていた所らしい、長官の金の瞳が細められた。
「……フェル、これから地下牢の連中に色々聞き出しに行くが、どうする? 来るか?」
「私にあの連中ともう一度顔を合わせてしまって良いんですか? 間違って殺してしまっても私責任とれませんよ?」
 長官の問いにフェルは笑顔で答える。クロウィルは視線を外しただけで特に何も言わず、ヴァルディアは落ちて来た髪を払いながら眉根を寄せる。
「殺したら元も子もないだろうが……伝言は?」
「じゃあ、とりあえず死ねって伝えておいて下さい」
 結局行き着く所は同じである。
 しかしそれに対しては二人とも何も言わず、長官は息をついて立ち上がった。
「分かった。……渡すものがある、少し待っていろ」
 短くそう言って、そして廊下に出るのとはまた別の扉の奥へと長官は消えた。フェルが何かと首を傾げると同時に、クロウィルが口を開く。
「フェルは大丈夫か?」
「何がです?」
 聞き返す。クロウィルは苦笑して、そして唐突に灰色の身体を抱き寄せた。瞬間、唐突なそれに硬直したその耳元で、低く囁く。
「何か先を越されてないかって思ってな、一安心」
「――ッ!」
 フェルはとっさにその腕を振り払おうとするが、しかしその抵抗すらあっさり封じられる。そればかりか更に抱き寄せられた。
「な、何っ」
「いやな、フィレンスが言わなければ俺が買って出たのになーフェルの相方。残念」
「っ、願い下げです! 放して下さい!」
「絶対に嫌だ。最近こういう機会も減って来ただろ? みすみす好機を逃せるかって」
「好機って、何のですか!?」
「こういうのの」
「こっ、!? ああもう放して下さいってば!」
 混乱したまま、それでも言う。次に何を言えば良いのか分からずその腕を振り払おうとしながらもその翠の瞳を睨み付けると、クロウィルは見るからに楽しそうに笑った。
「また赤くなってるな、顔」
「誰の、せい、だとッ!」
「そういえばさっき不満そうな顔してたけど、どうしたんだ?」
 さらりと問いかけられたそれにフェルが一瞬言葉に詰まる。森の中、クロウィルに向けたあれ。
「っ、あれはっ!」
「俺がオーレンとずっと火花散らしててフェルに全く構わなかったからか? ごめんごめん」
 クロウィルは謝りながらも小さく笑う。くすくすと耳元で響くそれを遠ざけようとしながら、フェルは赤い顔をどうする事もできずにそれでもなんとか言い返した。
「違いますから! 勘違いしないで下さい!」
 すると、翡翠色の瞳が顔を覗き込んでくる。なぜか再び言葉に詰まったフェルに、クロウィルは試すような笑みを浮かべて口を開いた。
「じゃあ、何だ?」
「っ――!」
 その問いに何とか回転していた思考がとうとう止まる。クロウィルは尚も楽しげに笑ったまま、混乱のせいか抵抗すら忘れたフェルの、その顔にかかる銀の髪を指先で払いのけた。
「どうした、フェル?」
「っ、……が、学院のときは色々やらかしてたくせに……っ!」
 脈絡の全く無い事を、しかし何とか言い返そうとしてフェルは口走る。それにもクロウィルは笑って返した。
「そうそう、色々な人のお誘い断るの大変で大変で。協会に入って良かった、ここあんまり女性いないもんな」
「からかうんだったらそういう人達に……っ!」
「嫌だ」
 即答し、クロウィルは銀糸の髪を梳るように手を挿し入れる。上体をかがめて、頬に軽く唇をあてがった。
 眼を見開くフェルを見て、そして低く囁く。
「……からかってるんじゃ、ないからな」
 フェルは言葉を失ったまま、翡翠の瞳を見返す。しばらくの沈黙のうち、その視線が不意に外された、瞬間。
「……そういう事はどこか別の所でやってくれないか?」
 突然聞こえて来たヴァルディアの声に我に返る。とっさにクロウィルの身体を押し返そうとするが彼は全く取り合わず、フェルの身体に腕を回したままクロウィルはヴァルディアに向かって眉根を寄せた。
「そうするとどこからともなくフィレンスが現れるんでね、あいつは勘が良すぎるんだ」
「だからってここでやるな、協会の外ででもやれ。フェル」
 呼びかけ、ヴァルディアは何か大きな包みを投げてよこす。クロウィルに捕まえられたまま慌てて腕を伸ばしてそれを受け取ると、紙に包まれたそれはどうやら何かしらの衣裳のようだった。長官は唐突に言う。
「明日から黒服だ、フィレンスと二人で仕事をこなしてもらう。それは一応黒服用に用意されている儀礼の為の正装だが、普段は黒い服なら何でも構わない。騎士は決められたものがあるが、魔導師にはないからな」
 フェルはそれを聞いて投げ渡された包みを見る。ついでヴァルディアを見て、そして盛大に眉をひそめた。
「……単なる勘ですけど、……絶対に裏ありますよね?」
「察しが良くて助かる。……協会に問題を持ち込んでもらっては困るからな」
「持ち込んだんじゃありません、向こうが勝手に湧いて出て来たんです」
 フェルは言って、ついで一気に苛ついた様子で呟いた。
「むしろ問題なのは仕事を放棄しまくる長官の方じゃ……」
「聞こえてるぞ。……最近はちゃんとやっているだろうが」
「新人が入る時期だけだって聞きましたけどね」
 言うとヴァルディアは小さく舌打ちして視線を外した。しかしそのままクロウィルに視線を向けると、その眼が僅かに剣呑な色をはらむ。
「……クロウィル、協会は要請が来るまで何もしないからな」
「分かってる、隊長もそのつもり」
 クロウィルはそう答える。さすがにフィレンスが護衛師団だという事を知っているヴァルディアは、それを聞いて眼を細めた。
「……その隊長にも、色々とあるようだがな」
「まだ根に持っている馬鹿がいる、それだけ。……協会の任務には支障はないと思いますけど?」
「……まあ良い。そういう事だ、フェル。さっさと解決できるよう、お前も尽力するように」
「わかってますよ、私もいつまでも引き摺りたくはありませんし」
 言って、フェルはクロウィルの腕を払いのける。ヴァルディアを見て、そして頭を下げた。
「よろしくお願いします、ヴァルディア長官」
「ああ。期待している」
 ヴァルディアは短く返す。フェルは顔を上げるなり踵を返し、クロウィルがそれに続いた。
 扉を開けて、廊下に出る。同時に、くす、と笑う声が聞こえた。
「おめでとう、フェル」
 色違いの瞳の騎士の、その口元が柔らかく笑む。フェルはそれを見て、そして破顔した。
 ――クロウィルが即座に逃げたのは、正しい判断だったと言えるだろう。



「フェル、黒服だって!?」
「うわあッ!?」
 協会、主棟の一室、談話室。突然扉が凄まじい勢いで開け放たれフェルは手に針を持ったまま文字どおり飛び上がった。視線を向ければ、立っていたのは息を切らせたロイ。
「……お、おどかさないで下さいよロイ……」
 フェルは一瞬にして早鐘を打つ心臓を宥めながら言う。対するロイはフェルのその驚き様を見てたじろいだ。
「す、すまん……、って、それよりも! 黒服って本当なのか!?」
「本当ですけど。……それが、どうかしましたか?」
 さらりと肯定し、フェルは首を傾げる。ロイは硬直した。なんだなんだと訓練休憩中の騎士や魔導師達が集まって来て、そしてフェルが手に持つ黒い服を見て次々に凍り付いた。
 ――蒼樹協会の見習いは、拝樹試験突破後およそ二十日間の訓練期間を過ごし、そしてようやく正式な所属である白服や黒服になる事が許される。それが、通常。
「二日間、で……」
 魔法使いの一人が呆然と呟く。フェルは黒いそれを見下ろして溜め息をついた。
「なんだかヴァルディア様も思う所があったようで、先程。それより、ロイ達には昨日、明日あたりにはって言ったと思うんですけど……」
 その言葉にロイと例の五人は顔を見合わせる。そのうちの誰かが呟いた。
「……まさか本当だとは……」
「私は特別な状態にない限り嘘はつかない主義です。昨日のは憶測でしたけど……嘘をついて、それを固めるためにまた嘘をつくの、面倒ですから」
 言いながらフェルは机の上の裁縫道具に手を伸ばした。手にしていた金糸の通された針を針山に戻して、今度は銀糸の通った針を取り、ゆっくりと注意深く黒衣に通す。
「それに、拝樹の最終試験から二日とは言っても、それ以前に五日間の訓練期間ありましたしね、実質は七日間です。全部合わせて三日で終えた前例もいますから」
 言いながらも手は止めず、その手元を覗けば細い銀糸で細かな刺繍が施されて行く。しかしそれが黒衣の裏、表には見えない場所だと気付いてロイが声を上げた。
「……それ、何だ?」
「魔力強化の仕込みです。魔力を込めた金糸とか銀糸……普通の糸でも良いんですけど、それでこうやって常時発動の構築陣や古代語を縫い付けるんですよ。身につけてればそれだけで動いてくれる、小さい魔法です。アミュレットとかもあるんですけど、自分で自由にアレンジできる分、効果の限定されている既製品よりも扱いやすくて」
 言ううちにもするすると流れるように刺繍がされていく。それが一段落ついてからフェルは手を止め、そして集まって来た人々にようやく視線を向ける。その多さにちょっと驚きながらも、首を傾げた。
「それで、皆さんは……」
 その言葉の半ば、ロイがそれを手でとめた。
 更に首を傾げるフェルに手を伸ばし、銀の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。そして見上げて来たフェルに、彼は笑ってみせた。
「……おめでとう、な」
 フェルが眼を瞬く。その言葉を咀嚼する様に視線が流れて、間を開けずフェルは気恥ずかしそうに笑んだ。



 ――白服、そして騎士の称号の剥奪。
 それが七人に課せられた罰だった。
 協会の地下牢に捕えられた囚人は少ない。協会のそれは一時的なものに過ぎず、最低限の調査が済めばすぐさまに軍の監視下にある牢に送られる事になっているからだ。
 そこから出られたとしても、汚名は一生ついて回る。
「くそ……っ」
 低く呻く。背中で纏め上げられた腕を動かせば背後で重い鎖が鳴った。
 アイラーン。あの禁忌破りが。最も重い罪を負い、最も重い罰を受けて然るべきはずの。
 呻いても、口の中は鉄の味しかしない。少しでも暴れれば看守が鉄杖を手に飛んでくる。他の六人は、しかしそれとは別の理由から、意識を失ったまま。
 ――私達の眷属に手を出してもらっては、困るのでな……
 そう言った女の声が、耳の中で反響でもしているかの様に繰り返し繰り返し聞こえる。放たれたのは精神を屈服させる魔法。それに耐えても、この鎖が解けるわけでもここから出られるわけでもなかった。震える身体も止まらない。
 あの禁忌破りが全てを壊した。降って湧いたかのように現れ全てを攫い、平然と人の上を行く。地位も身分も知識も剣も、まるで不可能は無いとでも言わんばかりに。
 くそ、と呻く。口の端から零れた血が石畳に跳ねる音。
 それと同時に響いて来たのは、靴音だった。
「……あの禁忌破りが、何を一番に思っているか、お前は知っているか?」
 唐突に聞こえて来た声に、ディベアは眼を見開く。見えたのはローブを身に纏った、見た事もない男。
「相手が禁忌を破り、挑むなら……こちらもそれ相応の手を使って然るべきだろう」
 かつ、ともう一つ硬い音が牢に落ち、響く。そしてその男は騎士でなくなった男を見下ろし、口の端を釣り上げた。
「――あの紫銀を殺したら、どうなるだろうな?」
 軽い音。鉄格子の錠が、落ちる。




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