今回の襲撃は、街に被害は出なかったものの所属者、特に白服には多くの負傷者が出た。蒼樹に入って長いという騎士に言わせれば、今夜の敵は中位以上がほとんどで数も多く、いつもより手こずった方だそうだ。いつもなら長官が手を出すほど大規模ではないと。
それを聞いてフェルは眉根を寄せた。しかしすぐにそれを打ち消すと、目の前、椅子に腰掛けた白服に手をかざし回復魔法を展開する。談話室の中は、そうやって負傷者を癒す魔法の光が溢れていた。
「随分と無茶したみたいですね、こんな大怪我して」
「はは……流石に人が足りなくってな。協会は結界に覆われてはいないんだし、近寄らせるわけにも行かないだろ?」
騎士はそう言いながら青い顔で苦笑を浮かべる。左の脇腹を、おそらく鉤爪か何かでやられたのだろう、深く抉られている。そこに手をかざすと、ゆっくりと傷が塞がり、押さえていた布に滲み出ていた血が止まった。
回復魔法と言ってもその効力は治癒魔法に劣る、どんなに軽い傷であろうと止血程度で精一杯だ。戦闘による傷になれば数度に渡って回復魔法を重ね掛けするか、もっと他の治療をしなければ傷を塞ぐ事も出来るかどうか怪しい。傷や病は魂の領域、そこに魔法が立ち入る事はできない。
他の傷にも出血を抑える程度の回復魔法を施し、薬を塗り付けて手早く包帯で巻いていく。一人一人にかけられる時間はそうそうない、負傷者が多いのに比べその治療にあたれる魔法使いや医術師が少ないのだ。医務室は傷の程度が深い所属者の治療で手一杯、他は互いで手当てするしかない。
「……明日には、痛みは収まると思います。薬も使ってはいますが……万一悪化するようでしたら本格的に医術師の方に頼って治してもらって下さい、時間をかけるとその分厄介ですから」
「分かった。すまない」
「大丈夫ですよ。お疲れ様でした」
労りの言葉をかけ、彼が椅子から立ち上がるのに手を貸し談話室から出ていくのを見送る。周囲を見渡すとそこかしこに見えた光も収まり、負傷者はほとんどが治療を終えたようだ。
「……もう、他は居ないようだな」
突然背後から聞こえてきた声に、フェルは内心驚きながら振り返る。立っていたのは黒ずくめの男性。
「オーレンさん?」
「大丈夫か、紫銀殿」
言いながら手を伸ばし、彼はフェルの頭をゆっくりと撫でる。なんだか微妙な気分になりながらもフェルはようやく肩の力を抜き、それを見てオーレンが口を開いた。
「緊張したか」
「あ、いえ、『異種』と戦うのは初めてではありませんから。……でも、長官の魔法見て、ちょっと、驚いたと言うか……」
畏縮した、と言うのが一番妥当かもしれない。
蒼樹の街全体を覆いつくし、あの数の『異種』から守りきるだけの強度を持つ結界を保ちながら、加えてあの魔法を放つ事の出来る力。魔法自体の威力もそうだ、あれは彼以外には、ほとんど誰にも扱えないだろう。
協会の長官と、やっと黒服だと認められたばかりの新人では比べ物にならない事くらい分かっている。分かっていても、その光景に圧倒され負けた気分になったのは真実だ。
「……恐ろしいか」
「……ちょっと、思いましたけどね」
「大丈夫だ、あれは私たちを守ってくれる力だからな」
言うオーレンは手を止めず、フェルはその感触にくすぐったそうに笑う。つられて柔らかく和んだ藍色の瞳が、しかし次の瞬間冷たいものを孕んでフェルの背後へと滑った。すぐさま黒い手袋に包まれた手がフェルの腕を掴んで引き寄せ、フェルが目を瞬くのと同時に聞こえたのは声。
「……抜け駆けか、オーレン」
「騎士とはもっと俊敏なものだと思っていたのだがな、クロウィル」
フェルが振り返った先に立っていたのは、その顔を不機嫌一色で塗り固めたクロウィル。フェルはオーレンに掴まれた腕とオーレン、クロウィルを交互に見やり、そして近くの白服に声を潜めて問いかけた。
「……こういうのってどうすればいいんですか?」
「…………さあ」
よく分からない、という顔をされた。フェルは無言で睨み合う二人に視線を戻す。なんで二人がこんな事をやっているのかは分からないが。
「……いがみ合いは外でやりましょうよ?」
「今ここで勝負を付けた方が、よほど早い」
言い放ったオーレンの腕輪が小さく輝く。クロウィルが背負った大剣の柄に手を伸ばす。一触即発、かな、とフェルは呑気に考え、周囲の視線が集まっているのを感じながらも全てを無視して口を開いた。
「今ここで私に魔法で気絶させられるのとフィレンスに頼んで半殺しにしてもらうのと自分達で場所を弁えて大人しくするの、どれが一番平和だと思います?」
二人の動きが止まる。硬直して三秒、二人は舌打ちをしながらも殺気を仕舞い込んだ。
フェルの魔法は人間相手だろうが容赦がない。フィレンスの半殺しはどちらかと言うと冷酷極まりなく九割殺し。大人しくするのが懸命だろうという判断だろう。その二人を見ていたフェルは、周囲の視線を改めて感じてそこでようやく振り向いた。
「……何ですか」
かすかに眉根を寄せる。すぐ近くにいた黒服の一人、セオラスが遠い目をしてクロウィルとオーレンを見た。
「クロウィル、オーレン、遠くから応援しておく」
「要らない気遣いありがとうなセオラス。本当に嬉しくて泣きそうだよ」
クロウィルが片手で目元を覆い、オーレンは短く鼻で笑って一蹴する。そのままフェルの頭を軽く叩くように撫でてから踵を返し、その姿が廊下に消えたのを見てか途端に談話室に安堵の空気が満ちた。
「良かった……あいつ暴走すると誰も止められなくなるからな……というかああいう事するんだなあいつ……」
その雰囲気に首を傾げたフェルが、誰とも知れないその呟きを耳にして更に疑問符を浮かべる。それとほぼ同時にもう一人が声を上げた。
「よくやったセオラス。お前がいると本当に心強い」
「はは、てめえら今度何か奢りやがれ」
答えたのは先ほどの黒服。あっけらかんと言ってみせた彼に、言われた白服は頭を掻いた。
「って言われてもなぁ……俺騎士だし、何かって言われても、魔導師何が要るんだ?」
「じゃあ普通に金寄越せ。俺今金欠なんだよ、調合の材料集めで散財して」
「うっわ生々しいな……そう言われると一気に嫌だ」
「いいだろ別に? 騎士なんて稼いだ金使うところに使ったら後は残してっての繰り返して一山積み上げてるくせにけちだなぁオイ」
「……えーと……セオラスさんセオラスさん、なんだか悪役ですよそれ」
白服に詰め寄り金を巻き上げようとしているようにしか見えない。フェルがそう言うと、彼はからりと笑ってフェルを見返した。
「だってなぁ。ちょうど触媒切らしてるんだ。魔法使いの消耗品はたっかいんだよなぁ。な、フェル」
「あははー……」
フェルは曖昧に笑うだけにとどめた。魔法使いの消耗品は一般人にとっての家宝に近い。セオラスの言う触媒は魔法薬調合に不可欠なもので、その多くは貴金属や鉱石。最上と言われるのは黄金で次点が白金。その他は銀や特別な鉱石だが、魔法使いがそれらを揃えるためにかかる額は、正確に把握しない方が幸せだ。とはいえ。
「私も今触媒ほとんどないんですよねー……」
「何使ってるんだ?」
「本当は白金が一番相性良いんですけど、さすがに高すぎるのでオルタナイト鉱石使ってます。最近玉泉がどんどん掘り尽くされてしまったみたいで、オルタナイトも高騰してるんですよね」
クロウィルが顔を上げ、セオラスとは別の黒服に視線を向ける。彼はわざとらしく視線を外した。その間にも会話は進行していく。
「最近普通の魔法具市場にも良い鉱石出回ってるぞ。ここら辺だとメディスィスかローモンか……蒼樹はもともと良い鉱山やら玉泉やらが大量にあるからな。それなりに良い質のをよく見かける」
「そうなんですか?」
「ああ。この街じゃ毎月新月の日にやってるな。今月はもう終わったから次は来月だけど。アミュレット派か?」
「いえ、紋章派です。アミュレットは効果が限定されるので、あまり使わないんですよ」
「やっぱりそうか。畜生、最近アミュレット派減ってきたな……確か紋章用の諸々もあったはずだ、やっぱそれなりに質が良い分高いけどな。実戦で使える魔法の教本とかが出てる事もある、探せば何でも出てくるぞ。長杖の宝珠もそのメンテナンスの技術者もいるしな」
「充実してるんですね……あ、そうだ宝珠と言えば。セオラスさんオーヴァルトゥス式の『零の八番』持ってませんか? ゴードバークの『地平線』担保に貸して欲しいんですけど」
「ゴードバークだと!?」
フェルの言葉に別の黒服が反応する。談話室にいた黒服のほとんどが二人の話まりにわらわらと集まり、残された白服が完全に会話から追い出された。一人が呟く。
「魔法使いの会話って、聞いてると酸欠になりそうになるよな」
「知らない単語に押し潰されそうになる。……なあアートゥス、あいつら何話してんだ?」
白服、ロードが離れた場所で本を読んでいる一人に声をかける。かけられた方は眼鏡を押し上げ、それでも本から視線を離さないまま淡々と解説した。
「宝珠の型についてだ。オーヴァルトゥスもゴードバークもとうの昔に他界した高名な宝珠調整技術者、その作品は既に骨董品だが実戦でもそれ以上ないほど威力を発揮する」
宝珠は魔法使いの命と言ってもいい、それほどに重要な部分を占める。宝珠があるからこそ戦闘で素早く魔法を構築、展開する事ができる。なければ魔法が使えないのかと問われればそれは否だが、宝珠は本来人間が自らの手でやらなくてはならない構築理論の組み立てや演算を行い、人それぞれ特徴のある魔力を行使する魔法ごとに最適な形に変換するためにある。それがなければ魔法を一つ発動するのにも数日を要するだろう。
宝珠には人それぞれの相性がある。万人が全ての宝珠を扱えるわけではないが、それでも万人が認める物は存在するのだろう。
そして魔法使いたちはそれらの研究に余念がなく、かつそれ以上なく熱心だった。魔法使いが二人いればそこで魔法の話が始まり、その時点で既に騎士は蚊帳の外に追いやられる。時折この談話室で行われている勉強会等の風景は歴戦の騎士をも近寄らせない何か独特で強烈な空気を纏っていた。関わりたくない、とも言う。
それを思ってクロウィルは溜め息をついた。彼等は魔法やその関連の話になると白熱し、そして周りが見えなくなるのが常だ。今ごうごうと何かを言い合っている黒服八人もそうだろう、白服がその場にいる事など既に頭から飛んでいるに違いない。
「勉強好きだよなぁ魔法使い……考えられないくらいに」
「大概がそんなもんだろ。俺も、机に向かって座ってられたのだっていつまでだったか」
クロウィルの呟きに一人が笑う。彼はもう初老に届きそうな年齢で、髪に白いものも混じっている。クロウィルはそれに気付いてこめかみをかいた。
四協会の所属者、特に戦闘要員である白服黒服はほとんどが熟練と呼ばれる実力を持つ騎士や魔法使いだ。年齢で言えばその多くが最盛期である三十代前後。クロウィルやフィレンス、ましてフェルのように十代後半の所属者など四協会で百人いるかいないかだろう。ヴァルディアも、年齢は不明だがあの外見からして二十代前半、多めに見積もっても二十五は下る。その年でも協会の中では若い部類に入る。長官などという重大な役職に就いて良いのかどうかも怪しい年齢ではあるが、しかし彼の場合は実力がその不信感をも撥ね除けていた。実力については、先の結界や魔法でもそうだ、誰もあの長官を疑う事は無い。
「それでなくとも騎士は元から脳筋族が揃ってる、座学ができなくて何が悪い」
彼が言うのにクロウィルは苦笑し、そして黒服たちを見やる。相変わらず良く分からない単度が飛び交ってるなーと他人事に思ったのと同時に談話室の扉が開かれ、現れたのは金の髪の騎士。
瞬間、白服のうち半数以上が目を細める中、フィレンスは黒服たちに埋もれたフェルを見つけて、そして怪訝そうに声をかけた。
「……何やってるんだ?」
「フィレンス! オーチュアルヴァーナの『短剣』持ってますよね!?」
声が聞こえてようやく気付いたフェルが、後ろ手に扉を閉めたフィレンスに向かって声を上げる。フィレンスは群がっている黒服たちをざっと見渡し、そして何かに納得したように頷き口を開いた。
「ああ、持ってる」
瞬間黒服たちが驚愕の声を上げる。白服たちは苦い顔で視線を彷徨わせた。
フィレンスは禁忌破りのそのせいか、魔法使いの知識もそれなりに揃えている人だ。魔法使いとも普通に会話が出来るごく稀な騎士とも言える。黒服はその彼女に対する不信感よりも知識に対する追求を優先し、先頭に立つセオラスがフィレンスに詰め寄った。
「どこで手に入れたんだ、五十年以上前に製造打ち切りになった骨董品だぞ!?」
「魔法の師から譲り受けたんだ。私が持っている宝珠は『短剣』とビレゼーレの『奇跡』、後は補助宝珠が幾つか……」
「そういえば最近、フィレンス魔法使わないですよね」
剣の柄、埋め込まれた『短剣』の宝珠を見ながら言うフィレンスに、そこを覗き込んだフェルが怪訝そうに言う。言われてフィレンスは溜め息をついた。
「調整に出したいんだが、時間がなくてな」
それを聞いたフェルがその場にいる黒服たちを見渡す。察した七人のうち一人が声を上げた。
「あー……程度によるが大概出来る、どうする?」
「……頼んで良いか、最近少し気になるんだ」
少し驚いたように言いながら、フィレンスは腰に吊った二振りの剣のうち片方を鞘ごと剣帯から外す。稀にしか使わない方の剣だ。声を上げた黒服、ファスタルはそれを鞘ごと受け取り無言で柄に触れ、少しだけ引き抜く。周りの黒服が横合いからそれを眺める中、彼はしばらくそうした後感嘆するように息をついた。
「よくここまで綺麗に適合したな……剣と宝珠は元々相性が最悪なのに」
「剣自体が魔力を込めて鍛えたものらしい、それでも最初は反発が凄かった。今では引き離そうとすると反発するが」
「魔法剣……か?」
意志を持つ剣、というものが稀に存在する。魔法剣と呼ばれるものは大概がそうだ、しかしそれを言われてフィレンスは苦笑を浮かべ、頭を振った。
「いや、なりかけだ。宝珠に意志はあっても剣には伝わらない。時間をかければどうなるか……でも、私が生きている間は何も変わらないだろうな」
「宝珠だけにすれば動いたりします?」
「一応、な。何を考えているのかはさっぱりだが」
フェルの問いにフィレンスが答える間もファスタルは剣と宝珠とに傷がないかを確認し、そして軽く柄を握った。燐光が立ち上り、すぐに消えるのを見て彼は眉根を寄せる。
「外傷もないし……構築式が磨耗してるのかもな。少し待っててくれ、すぐ終わる」
「ああ、任せる」
フィレンスが短く返し、それを聞いてファスタルは他の黒服たちを見た。にやりと笑い、そして唐突に声を上げる。
「よし、野郎共オーチュアルヴァーナの構築式だ! そうそう見れるもんでもないから今見とけ!」
「野郎だけじゃないですよ!」
フェルがそのファスタルに言い返し、しかし黒服の輪には入っていかずにフィレンスのすぐそばに留まる。フィレンスはそれを見て意外そうに目を瞬いた。
「見にいかないのか?」
「私、一回オーチュアルヴァーナの宝珠試してみた事があるんですけど、あんまり相性良くなくって。背反式の宝珠はことごとく駄目なんですよねー……」
「……背反式?」
「宝珠の演算法則の一つです。演算法則にはいくつか型があって、有名な三つが序列式、理論式、背反式って呼ばれてるんですが、オーチュアルヴァーナの宝珠は全部背反式で作られてるんですね。で、その背反式なんですが、元々魔法は空虚なもの、っていうのが大前提じゃないですか。空虚且つ絶対。だから魔法の力を、空虚なものを媒体とする力とするために、真実を矛盾させるような演算式を使うんです」
フィレンスが口元に手を当てる。少し考え込むような仕草をして、しかしすぐに眉根を寄せた。
「真実を枉げるのか?」
「枉げるわけじゃないんですよ、この世界が嘘だ、と断定する事で既に歪んだ真実を更に虚構として力を与える事で魔法を構築する演算を行って魔法自体を使役するんです。嘘だったら枉げようもないでしょう?」
「どうやるんだ?」
「解説しましょうか?」
フェルがフィレンスを見上げる。フィレンスはその紫色の瞳を見て、すぐに視線を逸らせた。
「やめておく。フェルがそう言うものは大概聞いても意味が分からない」
「良かったです。解説面倒ですし」
フェルが言う、それを聞きながらフィレンスは白い上着の中から一枚の紙を取り出すとそれをフェルの掌に投げた。受け取ったそれに軽く目を通して、そしてフェルは眉根を寄せる。小声で声を向けた。
「……唐突ですねフィレンスさん」
「相手の動きに合わせて動いているからな」
返答も小さく抑えられていた。視線も動かないまま彼女は続ける。
「……フェルがこの場から離れると同時に護衛を外す、囮になってくれ。一人きりになれば動くはずだ」
「さすがに罠だって気付かれません?」
「気付いていても動く。相手方にはその分の準備がしてあるようだからな……出来る限り私たちだけで片を付けたいんだが……」
「無理じゃないですかね、さすがに。素直に長官に頼りましょうよ」
フェルが言うとフィレンスは腕を組み、ほんの僅か眉をひそめた。そこにファスタルの声が響く。
「出来た! どうだこの野郎!」
珍しい宝珠の構築式を見る事が出来た嬉しさ故の喧嘩腰で彼はフィレンスに剣を突き返す。フィレンスはそれを受け取りながら目を瞬いた。
「本当に早いな」
「すぐって言っただろ? やけに反発されたけど俺が使い手じゃないからだなたぶん、好かれてるぞお前。で、やっぱり構築式の磨耗だった、使う魔法は属性のバランスを考えた方が良い。炎ばっかり使ってると氷と水、あと樹が余計に制御しづらくなる」
「そう、なのか?」
炎属性ばかりを使っているのは事実だ。図星を突かれたフィレンスが素直に聞き返すと、好奇心と充足感が前面に出たファスタルの顔が魔法使いのそれに戻った。
「属性の力関係だな、相反属性、加えて物理的な影響を受けやすい属性が反発するんだ。そのせいで炎の演算式の磨耗が早まりその他が凍結しやすくなる。試してみろ、不具合があれば微調整する」
言われて、フィレンスは鞘に納めたままのその柄を握る。目を伏して、そして静かに口を開いた。
「『嘗ての栄光たたえし者よ……』」
燐光が立ち上り、たちまち構築陣が展開される。一つ一つの動作を確認するように詠唱を続け、その半ばでフィレンスはそれを断ち切った。構築陣が光となって消え、しかし彼女は感嘆したように息を漏らした。
「すごいな……師が調整してくれた時と、ほとんど変わらない」
「何かおかしな所は?」
「いや、全くない」
フィレンスが自分の剣をまるで真新しいものでも見るかのように眺める。何度も感触を確かめるそれは念入りだが、純粋に喜ぶが故の行動だった。確実に良くなったと言う事がそれからも見て取れてファスタルも満足げに腕を組む。
最後に宝珠の埋め込まれたその場所に触れたフィレンスの、不意にその目元が和んだ。黒服や離れた場所で遠巻きに観察していた白服たちが目を見張るのにも気付かず、口元が綻び柔らかな声が響く。
「良かった、どうしようかと思ってたんだ……ありがとう」
フェルがフィレンスを見上げる。気付いたフィレンスがフェルを見返し、そしてゆっくりと口元を覆った。手に持ったそれを剣帯に戻しながら自嘲気味に笑う、それを見た黒服や白服たちは緩やかに静かに顔を見合わせた。
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