一番に眼に入ったのは青い光に満ちた洞窟と、そこにひしめく『異種』だった。
「『異種』を使役できる人間っているのかー?」
「さあな」
 スフェリウスの間の抜けた問いにクロウィルはそうとだけ返し、真正面から向かって来た『異種』を大剣の一振りで両断した。白服でもそれほど苦戦する相手ではない、藍の紫旗師団として動ける以上、力を意図的に抑える必要も無い。協会所属者として動いているときは無意識に抑えてしまう全力も、今は出せるようになっていた。
「スフェ! フェルは!」
「今探してるって、ちょっと待……たなくてもいーや。奥の道入ってー、右の右の左の奥の左の奥の右」
「分っかりにくいないつもの事ながら!」
 フィレンスの声に答えたスフェリウスにラルヴァールが怒鳴る。スフェリウスは肩をすくめてみせ、そして進むべき道にたむろす『異種』を魔法で薙ぎ倒して行った。それを見て彼はにやりと笑ってみせる。
「ほーらな。俺、強い」
「言ってろ。クロウィル!」
「了解!」
 フィレンスが長剣で眼前の敵を薙ぎ払い、クロウィルが更に大剣で強引に道を作った。力技にも見えるそれは、しかし隙を見せない完全な騎士の剣だ。いくら『異種』を斬ってもくすみすらしない刀身に洞窟を流れる水が跳ね、留まる事も許されず滑り落ちる。クロウィルは敵にすら視線を向けず、ただ邪魔な『異種』だけを切り伏せ走った。その最中、刀身に絡み付く血糊を払う。藍色の服には返り血が跳ねていた。異形ですら紅く錆の臭い。
 良いものではない。しかし必要なものだ。そう思いながらも目の前の『異種』を斬り、そして前を見やる。眉根を寄せてクロウィルは怒鳴った。
「どんだけいるんだ、この雑魚共っ!」
 さながら振り回すように大剣を薙ぐ。刀身の根元から切っ先までに重圧がかかり、それでも振り払うと唐突にそれが消える。代わりに何かが降り注ぐ感触。
 走りながら頬にかかった血を拭うと、少し先を行くフィレンスが遠い眼をした。
「男って修羅場になると変わるもんだねーぇ……」
「うるさい」
 哀れみと揶揄いを含んだその声音に眼を細める。自覚はしている、しかし。
「修羅場まで発展させたのはお前だろうが、いちいちちょっかい出しやがって」
「ちょっかいじゃないよ? だって私、あの子の保護者だし、変な虫がついたら嫌だしさ?」
「……フェルを囮にしたのもお前だろうが」
 色違いの瞳が洞窟の先から外される。試すような緑の瞳が見えた。
「その方が頑張れるでしょ、クロウィル・ラウラス?」
 クロウィルが瞠目する。騎士としての名を呼ばれ、そして彼は笑ってみせた。口の端を吊り上げて、そして言い放つ。
「性格悪すぎるぞ」
「その方が面白い」
 言ったフィレンスの横顔に満足げな表情が浮かぶ。走るうちに『異種』の包囲は薄くなっていた。背後から追ってくる異形は全てラルヴァールが切り伏せスフェリウスが氷の刃で貫いていく。それを背中で感じながら、クロウィルはフィレンスにちらと視線を向けた。
「……フィレンス」
「ああ、分かってる」
 言う彼女の声は揺るぎない。雑魚を一閃で叩き伏した彼女は、刀身の露を払い、そして僅かに眉根を寄せた。
「そう簡単にはやらせない……私達の重みを舐めてもらっちゃ困るからね。正攻法すら投げ打つよ、隙があるなら取り返す」
「大丈夫か?」
「ああ。……同じ事で三度も倒れてたまるか。私の馬鹿みたいに高い自尊心、知ってるでしょ?」
 フィレンスは言いながら、どこからか布で包んだ小さな何かを投げて寄越す。クロウィルはそれを空中で捕え、怪訝そうな顔をしながらも服の中へと滑り込ませた。温存しておけと彼女の片手が閃くのには感謝しつつ、そして呟くように言う。
「二度ある事は三度あると言う……自覚してるんだったら世話無いな、……了解、隊長」
 その姿が薄れて消える。フィレンスは同時に視線の先の異形の腹の下へ滑り込み、灰褐色のそれを斬り裂き血を浴びる事も無く走り抜けた。全て流れるような動作の中でやってのけ、しかし本来の力は出していない。隊長の任を負う所以――圧倒的な剣。生きて来た年月に釣り合わないそれをもって、彼女は異形を斬り伏せる。
 そしてそのフィレンスが唐突に眼を細めた。飛び込むようにして襲いかかって来た敵を両断して、そして腕で背後の二人を制する。察した二人が攻撃の手を止めて、フィレンスとラルヴァールが幾つも伸びる別れ道のうちの一つに滑り込んだ。
 最後のスフェリウスが構築陣を刻み、彼がその道に足を踏み入れると同時に発動されたのは結界魔法。道を完全に塞ぐように三重に張り巡らされたそれに真正面からぶつかり、『異種』が潰れた醜悪な鳴き声を上げる。更に地響きが起こり地面から突き出た岩盤が道を完全に塞いだ。
「これで入って来れないだろーな、っと」
 スフェリウスが呑気に言う。ラルヴァールが腕を組んだ。
「逆に、俺たちも戻れなくなったんじゃないのか?」
「出る時は無理矢理外に道通すから必要ないってー。だから俺が来たんだって」
 ラルヴァールの視線を受け、フィレンスは無言で首肯する。外でジルファが展開している構築陣に、ここから無理矢理道を繋げて扉を開く。だから時間的制約が付きまとう、ゆっくりしてはいられない。
 視線を更に奥へと向ければ、今までとは違い天井も高く広い空間、奥の岩盤には鍾乳洞のような狭い道がある。どこからか流れる水は赤いものを含んで濁っていたが、しかしそれが半ばで透明な清流に戻っていく。何かしらの魔法的な要素がここには満ちているのか、だとしたら。
 洞窟の中、水分を多く含んでいるせいか重く感じる空気の中、唐突に紛れ込んだ気配。フィレンスは眼を細め、そしてゆっくりと歩を進める。そうしながら剣の刀身に浮かぶ露を払い、その色違いの瞳を細めた。
「……あと十一分。二人共先へ」
 二人の視線が集まるのを感じて、フィレンスは息をつく。手に持った剣を示して、そして口を開いた。
「自分で片を付ける。迷惑かける、すまない」
「……遅れんなよ」
「ああ」
 短く答えたフィレンスの横を通り過ぎ、二人の姿が薄れて消える。視線の先の男はそれを見送り、そして眼が合った。
「……この国の法どころではないぞ」
「世界を敵に回す、か? 神に恨まれるとしても関係ない」
 言い放つ声に迷いは無い。フィレンスはそれを聞いて、そして眼を伏した。
「戻れなくなるぞ、このままでは」
「今更牢に戻ったとしても、大罪人には変わりない」
 それなら、と彼は剣を握る。
 紫銀に手を出せば極刑。それは誰であろうと変わらない。言う彼のそれに視線を上げ、そしてフィレンスはもう一振りの剣を抜き払った。二つの剣を同時に握った彼女に眉根を寄せてみせる彼に、ふ、と息をついた。
「……残念だよ、とってもね」
 剣の柄、その宝珠が輝いた。



 大の大人が二人並んで歩けるかどうかという狭い洞窟を走り抜ける途中、唐突にスフェリウスが足を止める。気付いたラルヴァールが足を止め、振り向いて眉根を寄せた。
「どうした、何か、」
 言いかけたそれを手で制して、スフェリウスはそのまま片手で頭を押さえた。そして突然、怒号に近い大声を上げる。
「っ、クロウィル、居るか!?」
 その言葉が向けられたのは姿の見えない副隊長、クロウィルは隠形したまま、その様子に眉を顰めた。
《どうした》
「やばい、『あいつ』だ!」
 瞬間、ラルヴァールの顔に驚愕が走る。隠形を解いたクロウィルが視線を洞窟の奥へと向ける。言われてようやく感じた、独特の感覚。魔法使いが纏う魔力の、それが空気に充満している時の妙な息苦しさ。
「まさか……!」
 ラルヴァールが呻く。クロウィルは舌打ちをして、そして走り出した。
「スフェ、場所は!」
「すぐだ、すぐ近く、……ッああ畜生! 先行け!」
「お前は!?」
 走り出したラルヴァールのそれに、スフェリウスはその場に膝をついて頭を振った。ここにまで充満する『他人の魔力』に自分の魔力が引き摺られて、暴れている。先にこれを鎮めなければとスフェリウスはその仕草だけで伝えて、その場に残る。
 先を行くクロウィルが背負った大剣を掴むのを見て、彼は声を上げた。
「どうする、クロウィル!」
「止める! 『あいつ』が出て来たら、それこそ終わりだ!」
 清流を踏み、蹴り上げながら奥へ奥へと走る。脳裏に甦ったのは既に掠れつつあった惨状の記憶。あの時を境に、長い間その兆しは見えなかった。油断していたのも事実、だからか。
 走るうちに空気が重くなっていくような感覚に気付き、クロウィルはその顔に苦いものを混ぜ込んだ。
「……ラル、スフェの所に戻れ」
「どうして!」
「道の確保をしておいて欲しい。仮に『あいつ』が出て来たんなら、最悪この空間ごと扉の向こうに転送しなきゃ行けない、スフェ一人じゃ苦しい」
 それにラルヴァールは逡巡するように眉根を寄せたが、しかしすぐに今までとは真反対の方向へと走り出した。それを音だけで確認したクロウィルは背負った大剣を振り抜き、そのまま走り続ける。聞こえるのは水を散らす音。
 不意に何か別の音が紛れ込み、眉根を寄せる。視線の先に黒いものが見えて、そしてクロウィルは眼を見開いた。紅蓮の翼、悪魔族の証を背負う黒服。
 黒い服は協会所属の魔導師にしか許されないもの。しかし協会に悪魔が所属しているなど聞いた事が無い。彼らは希少種族だ、絶対数が少なく稀少さ故に他種族に狙われ絶滅の危機に瀕していると聞く。人間と悪魔の間には何の確執も無いが、悪魔達は人間の立ち入らない自然を砦として誰にも知られる事無く生きているはずだ。
 水を蹴り立てる音が聞こえてか、視線の先の男が肩越しに振り返り、それを見たクロウィルがとっさに大剣の柄を強く握った。男の顔はフードのに隠れて見えず、その彼は視線を外したかと思うと洞窟の奥へ続く別れ道の一つへと消える。クロウィルは眉を顰め走りながら逡巡した。
 スフェリウスが言っていた道とは別の道に男は消えた。追うべきか。時間は後五分弱、時間の浪費は避けなければ脱出は困難になる、困難になれば、無理矢理穴を開けた事で脆くなったこの空間の崩落に巻き込まれる。そうすれば死は確実だ、自分や部下だけではなく、フェルも。
 クロウィルは僅かな間思考を巡らせ、そしてスフェリウスが言っていた道の位置を頭に叩き込み男の後を追った。あの悪魔が犯人ならフェルの居場所を知っているはずだ。
 その道に入ると同時に曲がりくねった広い通路が眼に入り、男が更にその奥へと進みその黒い姿が見えなくなる。枝分かれの無い道を走りそれを追ううちに足元の水が次第に深くなっている事に気付く。魔力も次第に濃くなっているのが明らかに分かり、クロウィルは眉根を寄せた。魔力が充満した空間では動き難い、魔法使いほどではないにしろ。
 その影響もあるのかいつもよりもずっと早くに息が切れて来た頃、再び黒服が視界に入った。クロウィルは十分な距離を取って足を止め、男は今度は動こうとはせずただ背を向けたまま、フードの下の視線をクロウィルに向ける。しかしすぐにそれは外され、その足元へと向けられた。男が無言のまま屈み、黒衣に包まれた腕を伸ばす。
 その手の先に、青に照らされた銀。クロウィルが眼を見開き、見えた紫の瞳が驚愕を浮かべた。
「フェル!?」
「クロウィル、ッ」
 その場に座り込んでいたフェルが立ち上がり、しかし足を踏み出す前によろめき倒れかけた所を悪魔の男が支える。男はフェルが体勢を立て直すとすぐにその手を離し、駆けてくるフェルをクロウィルは片腕で抱き抱えた。同時に大剣を片手で構え、その男へと向ける。
「フェル、怪我は」
 男に視線を向けたまま問うと、フェルは頭を振る。それに小さく安堵して、そしてクロウィルは視線の先の男を見据えた、男はゆっくりと振り返ると、クロウィルの大剣を一瞥し、そして口を開いた。
「……急いだ方が良い。じき、崩れる」
 その言葉にクロウィルが眉根を寄せる。どこかで聞いた声に、しかし構えを解く事はせずに静かに問い掛けた。
「……お前は?」
「協会所属だ、この件には加担したが紫銀の敵ではない。その事だけは言っておく……首謀者は、お前達では捕まえる事は出来ないだろう。早く戻った方が良い」
 言った男はクロウィルが声を上げる前に踵を返し、その姿が空気に溶けるようにして消える。それを最後まで見て、クロウィルはようやく剣を降ろした。
「なんだ……フェル、あいつは……?」
「分からない、です……でも、助けて、くれて……」
 言いかけたフェルが小さく呻き、身体に纏わりつく空気がその重さを増し、フェルが藍色の服を強く掴んで喘ぐように短く息を吐き出す。そのまま崩れかけた身体を支えて、そしてクロウィルは背後を振り返る。後三分、あるか。
「フェル、耐えられるか」
「っ、……すみません、分からな……」
 魔力が、魔法使いの制御から完全に離れる現象。本来なら多少の倦怠感だけで実害は無いが、しかしフェルは違う。『あいつ』が現れる、前触れ。
 クロウィルは大剣を背負い直し、フェルの身体を抱え上げる。悩んでいる暇はない、残った時間は三分弱。
「行くぞ、時間が無い」
 フェルの返答は待たずに走り出す。変わらない様子で流れる水を蹴り立て、その最中に口を開いた。
「何があった?」
「……ずっと、気を失っていて……何があったのか、も、よくは……」
 言うフェルの頭に手を置き、それ以上の言葉を遮る。水音に紛れてどこからか地響きが響き、クロウィルは眉根を寄せた。この空間が崩れた場合、中にいる人間は全て死ぬ。魔法で作られた空間だ、その中に閉じ込められているに等しい状態では崩落に巻き込まれない方がおかしい。
 スフェリウス達が扉を開いていてくれたとしても、それが使えるかどうかは怪しい。ぎりぎり、間に合うか。
 考えながらも走るうちに、青い風景の中に深い色のそれが見えた。クロウィルの声が響く。
「スフェ!」
「遅い、クロウィル! 崩壊始まってんぞ!」
「知るか!」
 振り返りこちらを見た瞬間のスフェリウスの怒号にクロウィルは叫び返し、そしてその場にいる人数を見て顔を歪ませる。スフェリウスはクロウィルが口を開く前に言った。
「フィレンスを待ってる余裕は無い。俺たちが死ぬぞ」
「分かってる」
 扉のすぐ脇に立ち、クロウィルは洞窟の奥を見やる。しかしすぐに視線を外しスフェリウスを見た。
「扉は、大丈夫なのか?」
「ジルファが手伝ってくれてる、まだ安定してる方だ」
 そう言いながらも彼の顔は苦渋に満ちている。クロウィルは迷う事無く、フェルを強く抱いて扉をくぐった。




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