構築陣の中でジルファが小さく呻く。ラカナクが長剣を手に眉をひそめた。
「まさか扉を開いた瞬間にこっちに溢れてくるとはな……ジルファ、被害は」
「無いわけじゃないから少ないって言っときますけど、それ以上に死にそうなんですって」
ジルファは乱れそうになる呼吸を無理に整えながら答える。呼気は流れ、流れが乱れれば魔法が揺れる。魔法が揺れれば、中へ向かった仲間達が出て来れなくなる。
「僕魔力少ないんですからその分考えて行動してくれませんかね、隊長とか副隊長とか特に」
「確かに遅い……」
ラカナクはそう呟き、飛びかかってくる『異種』を両断する。その勢いのまま群がって来た異形を切り捨て、距離を置いたまま動かない他の一団を見据えて剣を構えた。
ここまで遅いのはおかしい。猶予十五分のうち既に十二分が過ぎている。予期していなかった交戦があったのか、しかしその可能性は低い。ラカナクがそう思うのと同時、唐突にジルファが視線を上げ、声を上げた。
「ラーク先輩そいつら頼んだ!」
「簡単に言うな」
言いながらもラカナクは手にした剣を翻し、そして地面を蹴る。同時に動き出した『異種』のほとんどを一閃で両断する。扉から次々に溢れ出してくる『異種』はジルファと彼の構築陣を狙うが、しかし近付けすらしなかった。
その構築陣が突然強い光を放ち、そして『異種』の溢れ出す扉とは別の場所に光の筋が浮かぶ。一番に出て来たのはクロウィル、そしてスフェリウスとラルヴァールがそれに続き、ラカナクはクロウィルの腕の中にフェルがいる事を確認し、そして声を上げた。
「ジルファ、閉じろ!」
「隊長は!?」
「あいつなら何があっても大丈夫だ、知ってるだろうが!」
ラカナクのその言葉の意味にジルファが顔を歪め、そして次の瞬間には扉が完全に消え失せる。
扉から出て来たばかりのクロウィルはそれを見て苦い表情を浮かべ、腕の中のフェルをその場に降ろす。すぐにスフェリウスとジルファが駆け寄り二人分の構築陣が広がり、そうしながら口を開いたのはジルファ。
「スフェ先輩、中の猶予は」
「後一分、無いだろうな、っと……フェル、何があった?」
スフェリウスのその問いに、しかしフェルは自分自身の胸元を握り締め弱々しく頭を振った。スフェリウスはそれ以上何も言わず、構築陣を展開したままそのフェルの手を握る。
瞬間手首に黒い紋章が走り、その場に充満していた魔力が集束する。フェルが詰めていた息を吐き出し、倒れかけたその身体をクロウィルが支えジルファがその紋章に強化を施す。魔力がこれ以上溢れる事が無いように押さえる、封印の一種。フェルはその紋章に眼を落とし、静かに眼を閉じた。
「……毎回の、事ながら……すっごいきついです……」
「ごめん、ありがとう。おかげで犯人のほとんどは捕まるはずだ、……今すぐにでもな」
最後の一言には氷の冷たさ。言ったクロウィルが片腕でフェルを抱き抱え、空いた右腕で背負った大剣を振り抜く。ゆっくりと上げられた瞳が、鋭いものを帯びた。
「……スフェ、フェルを守れ。ラカナクとラルヴァールは黒服の相手を」
「僕はどうすりゃ良いですかね、副隊長」
「消耗してるんだろうが。……邪魔にならない程度に援護を頼む、……さっさと終わらせるぞ」
ジルファにはそう答え、その場を見渡す。増援の無くなった『異種』を掃討し、そうしてから現れた魔法使いは五、剣を持ったものは三。調べのついていた三人はこの場にはいない、他にもまだいるはずだ。そう判断して、クロウィルは一度フェルを柔らかく抱き締め、そして立ち上がる。同時に藍色の騎士二人が地を蹴った。
「手加減するな、殺す寸前までなら許す!」
「了解」
ジルファが答え、瞬時に紡がれたのは五つの魔法。放たれた雷鞭は黒服を狙って空気を裂き、敵がそれを防ぐと同時に凄まじい光と共に火花が散る。魔法を防いだ黒服のうち一人に迫ったのは巨大な刀身。
瞬時に紡がれた結界を打ち砕いた白い大剣が敵の肩口から脇腹を斬り裂き、手にある長杖、その宝珠を同時に砕く。噴き出すものの一滴も浴びる事無く斬り掛かって来た騎士の剣を弾いた。暗闇の中ローブに隠れた彼らの表情に浮かぶものの正体は分からないまま、クロウィルは巨剣の柄を握り締める。
「はああああッ!!」
気魄とともに振り下ろされた剣は、それを防ごうとした長剣とともに使い手の肩に突き立ちそれを砕く。押し潰されたような悲鳴が夜陰に響き渡り、クロウィルは眉根を寄せた。聞き覚えのある、声。
「何でこんな事を……ッ!」
こみ上げてくるものは何なのか、それを押しのけて襲いかかる魔法を避けた。ラルヴァールが唐突に声を上げる。
「イース! 来たか!」
「遅くなっちゃってごめんなさい!」
答えたのは女性の声。視線を向ければ長官の元へとやっていた筈の一人が姿を現し、そしてその腕を飾る腕輪が光を放った。
「協会の中で潜んでた不穏分子のほとんどは片付けた! 後はここにいるのとしつっこく隠れ回ってる奴らだけよ! 『我らの頭上、夜を渡り輝ける月輪よ! 冠する負の名を今こそ名乗れ、“アルトゥス・ヴィア・レン”!』」
展開された巨大な構築陣、地面から突き出た影の刃がフードを纏う八人を襲い、貫かれた二人が地面に倒れる。この場所全体を覆った結界はその中のものが外に出られないようにしたものだ、相手は逃げる事は出来ない。あとは、捕縛するだけ。
しかしそのイースの魔法の威力にクロウィルが眉根を寄せる、超高位魔法、それを人に向かって放った彼女に向かって声を上げた。
「言っとくけど、殺すなよイース、情報源だ!」
「分かってるわよ副隊長! これでも殺さない程度には手加減してんのよ! この怒りを押さえ込んでるあたしを誉めてほしいくらいだわ全く!」
言う彼女は素早くその場に眼を走らせ、そして微かに顔を歪める。クロウィルはそれに気付いても何も言わず、襲いかかる魔法をやり過ごして黒服に斬り掛かった。他の黒服が回復魔法を展開するがラルヴァールによって阻まれ、それを横目で見ると同時に敵の剣がスフェリウスの展開した結界、彼とフェルを覆うそれに肉薄する。数は二。
振り下ろされるのは刀身、魔法を防ぐ結界は物理的な衝撃にはひどく脆い。結界を破られる事を予期したスフェリウスがフェルを抱き締めるように庇い――
迫る二つの剣の、しかし一つは大剣に砕かれ、一つは二振りの剣に弾き飛ばされた。
「ッ、貴様ッ!!」
敵の一人が呻くように言う。それを色違いの瞳で見て、その人はにやりと笑った。
「中々に大変な状況か?」
言う彼女は手にした双剣を閃かせ驚愕からか動きの鈍くなった敵の側頭部を剣の柄で強かに殴りつけて昏倒させ、そしてやけにぞんざいな所作で剣を構える。その隣に立つクロウィルが絶句している間にラルヴァールが声を上げた。
「遅い! 何して遊んでた!!」
「首謀者とやらと楽しく語らって来た。遅れたのは詫びる」
言ったフィレンスはちらりと視線を地面へと向ける。そこに倒れているのは濃緑の元白服。ついでクロウィルに視線を向け、向けられた方ははっとしたように眼を見開き、そして怒鳴った。
「ッ、美味しい所ばっかりかっさらうな!」
「はは、呪うなら運命を呪え」
笑みを浮かべて答え、そして一転その表情に険が宿る。空気を裂く剣が鈍く煌めいた。次の瞬間展開されたのは円が何重にも折り重なった構築陣。
「『清冽なるもの十の使徒よ、我が命に従え! 我らが敵を討ち滅ぼす、“オルト・エン・ディス”!』」
放たれたのは光。それを見たイースが腕を伸ばし、花開くように広がったのは円陣。
「『彼の者を守護せん、汝が相対せし者を縛せ! 光を従えよ闇の眷属、“ロスティーア・ロドス”!』」
フィレンスの放った光に黒い影が纏わりつく。それは瞬きの間も置かずに距離を置こうとした白服達の動きを封じ、逃れた黒服もラカナク達によって意識を奪われていく。
それを見て、フィレンスは構えていた剣を降ろした。
「……私が師団だと明言しないで正解、だったな、今回は」
フィレンスが呟く。敵が少しでも動揺してくれたから良かった。これで二度と使えない手になってしまったが。
全ての敵が倒れたのを見てクロウィルは剣を降ろし、そしてすぐさまそれを背負い直して背後のフェルのすぐ近くに膝をつく。声をかければ反応する、その様子に一応は安堵の息を漏らした。
それを横目で確認したフィレンスが指示を飛ばす。
「全員捕縛しろ、致命傷の奴は止血だけやってやれ。第七部隊は待機してる、証拠もある状態だ、このまま王宮の牢に更迭する」
「フィレンス、首謀者とやらはどうした」
「逃げられた。魔法使いだ、協会所属じゃない事は確かだな」
言って彼女はようやく振り返る。スフェリウスがそれでようやく結界を解き、フェルを抱えたまま大きく息をついた。
「……た、隊長と副隊長の後ろって気が楽なんだかそうじゃないんだか……」
「スフェ、ごめん無理させた。先に戻って休んで」
呟いた彼の肩に手を置き、フィレンスは静かに言う。スフェリウスは小さく頷き、クロウィルがフェルを抱き上げると同時に彼の姿が消えた。見届けてから、フィレンスは再びその場を見渡す。
「……八人か。ディベアを含めて九人、他にどれだけ隠れているか……イース!」
「協会の中で長官が捕まえてくれたのは五人、あと少なくて五人は隠れてるかもしれないっていうのが共通の見解よ」
名を呼ばれた女性が歩み寄って来ながら答える。彼女は言い終えると同時に、クロウィルの腕の中で身じろぎすらしないフェルの、その銀の髪を撫でた。
「ごめんなさい、無理させちゃったわね……」
紫の瞳が薄く開き、乱れたままの息で大丈夫、と無理に笑いながらフェルが呟く。イースがその瞳を掌で覆い、燐光が立ち上ると同時にその身体から力が抜けていった。クロウィルが意識を手放したその身体を抱き締め、そしてイースに問い掛けた。
「……何があったか、憶測で良い、分かるか」
「確証はないけど……随分急いで、フェルの魔力を根こそぎ奪おうとしたんだわ、魔力の乖離が起こっても、いつもならここまで消耗するなんて事は無いもの、だからこその協力、なんだし。……『あいつ』が出て来れる範囲じゃ、ないから、それは平気」
「それならいい。良くはないけど……すぐに回復するな?」
「ええ」
短く答えたイースが不意に視線を逸らす。その視線の先に藍色の衣裳を纏った数人、護衛師団第七部隊の仲間を認めて、クロウィルはごくごく小さく息をついた。
協会の中で捕縛されたのは十九人。所属者達にはあえて説明はされていないが、恐らく何があったのかは、皆既に把握しているだろう。
「さて、と……残る問題は一つ、か」
椅子に腰掛けたフィレンスが呟く。寝台に横たわるフェルの銀の髪に触れながら、彼女は溜め息をついた。その横に立ったヴァルディアが腕を組む。
「二つだろう? 首謀者は雲隠れの真っ最中だ」
「……特徴的な事は何一つ見当たらなかった。その男は二度目が限度だ、と言ってそれ以外は何も言わなかった上、私とまだ息のあったディベアをあの空間の外に放り出して消えた。何故私達を助けるような真似をしたのかは分からない」
「今この現状では探す事すら出来ない、か……」
「それに加えて、……長官、本気でやるのか?」
「冗談で言うと思ったか? 白服達は騎士の禁忌破りを、ただ単純に魔法の力を得るためのものだとは思っていない。何が裏があるのだろうと勘ぐっている。お前の場合は、その禁忌破りのおかげで優遇されているようにも見えるから反発を受けるのだろうな。勿論規律を破ったという事に対してもだが」
ヴァルディアは言いながら、珍しく自らの腰に佩いた剣を見下ろした。いつもは長官と言う役職柄、今では剣を手にする事も稀にはなったが。
騎士ではなく、剣士ならば魔法を使おうと何の咎めも無い。騎士のそれが禁じられているのは理由があっての事だ。そしてそれは、大衆には知られる事の無いもの。史実を紐解けばその糸口を掴めるだろうが、大衆はその事すら知らない。そして現代に生きるその証人は、自らを語らず人々の風評に全てを任せている。
言えば良いものを、それでも逡巡するのはその根底にある理由のせいだろうか。
「……私はお前が何故禁忌を破るまでに至ったか、その理由は知らないがな、それを放置しておくほどお人好しではない」
ヴァルディアは言って、そして組んだ腕を解いて踵を返した。その姿が見えなくなる寸前、彼は肩越しに言う。
「準備ができたら私の所に来い。始めれば嫌が応にも人は集まってくるだろうからな」
「了解」
フィレンスが溜め息混じりに、しかし明確な返答を返すと同時にヴァルディアは部屋から出ていく。
視線を上げて窓の外を見上げる。そろそろ朝が来る、東の空は白んでいた。大きな窓から見えるのは、街の南の地区とそこを覆う空、そして緑に覆われた大地。
「……フェル?」
窓から視線を外し、寝台に沈み眠っているフェルに小さく呼びかける。真夜中にイースが掛けた魔法の効果がまだ残っているのか、身じろぎ一つせず緩やかな呼吸を繰り返している。
囮として手伝ってもらったのは今回が初めてではない。しかし今までとは比べ物にならないほど、異常に魔力の消耗が激しかった。相手が魔法使いだと言う事は予想されていた事だ、だがまさか異次元結界を作り出しその中に他人を引きずり込めるほどの力を持つ魔導師がいるという事態は想定外だった。結果その中で何事かが起こった。危機というほどではなかったが。
本来なら何があったのかを聞きすぐにでも動くべきだが、しかしそれ以前にフェルの回復を優先したい。
無理はさせられない。元々無茶をしやすい性格が、こうして師団に関わる事で助長されている節もある。それを利用しているのも事実なのだが。本人に抵抗する術があるからこそであっても、利用している事は変わらない。
不意に背後に一つの気配が現れる。予想はしていたそれには振り返る事無く、フィレンスはフェルの顔にかかる前髪を払ってやりながら口を開いた。
「どうだった、クロウィル」
「駄目だ、犯人達は軍部に引き渡された」
フィレンスの背に歩み寄りながら、クロウィルはそう答える。フィレンスは大きく息をついた。やはりそうか。足を組み、その上に頬杖をついた。
「手柄の横取り、これで十三回目だよね」
フィレンスは別に手柄が欲しいわけではない。しかし相手、軍部が手柄欲しさに証拠、今この場合では証人である犯人達を全て軍部に引き渡すように命令を下せば、こちらが動く事が出来なくなる。軍部よりも護衛師団の方が命令は上位だが、相手の面子を潰すわけにもいかず、結局は易々と事が運ぶ事も無くなってしまう。
「そろそろ師団に口出しすんのやめろって警告入れておくべきだと思う?」
「お前の警告は半殺しだろ……団の立場が悪くなるからやめてくれ」
「相手によってはやり方変えるよ。あのいけ好かない司令が食いつきそうなネタをバラまいても良い」
「いけ好かないってな……一応相手公爵だぞ」
クロウィルは溜め息をついた。椅子に腰掛けたフィレンスのすぐ横に立ち、フェルの顔を見下ろす。元々白い顔が、更に青さを帯びていた。
「……フェルは?」
「今は、大丈夫。『あいつ』も、絶対に出て来られないように長官に封印してもらった。フェルが目覚めれば自動で解ける」
『あいつ』と言う言葉にクロウィルは苦い顔をした。脳裏に浮かんだのは赤だ。
「……長官は、知ってるのか?」
「みたいだね、イースも言ってたよ。どこから知ったのかはともかく、これで押さえられるのならそれ以上は無い。……必ずどこかで、第二の人員は入れ替えになるからね」
その言葉にクロウィルは沈黙する。当然の事だ、守られるべき『紫銀』がいるのであれば守るべきものがいる。守るべきもの達は、命を捨てなくてはならない者達だ。
「……長官のやつはどうするんだ? というかよくそんな条件飲んだな……」
「今夜行く。飲まなきゃ動いてくれそうになかったしね」
言った彼女が立ち上がる。色違いの瞳がクロウィルを見た。
「……少し、休んでくる。分かってるとは思うけど万一の場合は殺すよ?」
「そこまで無謀じゃないって毎回言ってるだろ……そんなに信用ないか、俺」
クロウィルのそれには苦笑を返し、フィレンスは踵を返す。それを最後まで見送らずにクロウィルは彼女の腰掛けていた椅子に座った。そして手を伸ばし、寝台の上に広がる銀色の髪に触れる。
さらさらと音を立てそうな、繊細で柔らかい感触。色自体は硬質な光を弾く銀だが、どこか暖かみを帯びているのが普段から不思議でならなかった。
いくらかそうしている内に、フェルが小さく身じろぎする。寝返りをうってまた静かに呼吸を繰り返すのを見る。
クロウィルはずり落ちた毛布と細い肩を見て、そしてゆっくりと手を伸ばした。
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