まだ昇りきらない朝日を浴びながら、作業の手を止めたセオラスは隣のフェルを見た。
「フェル、こっちから言っといてなんなんだけど……大丈夫なのか?」
「ええ。……流石に素のままだったら死にかけるでしょうけど。術式を私一人で構築するわけではありませんし、長官から召喚魔石貰ってきましたしね」
 セオラスの問いにはそう答えて顔を上げ、フェルはふうと息をついた。周りには巨大な円陣、それを囲んで地面に何か書き込みをしている黒服達。――龍神召喚のための構築陣を書いている最中だ。
 魔法の構築陣は、基本的に術者があらかじめ宝珠にその魔法を覚えさせておく事で、実際の魔法行使の場面で宝珠が構築陣の展開、術式の組み立てや計算式の処理などを手助けしてくれる。しかし龍神を召喚するほどの大きな魔法になるとそれが難しくなる、魔法の内包する情報量が多すぎて宝珠に入りきらないのだ。たとえまっさらな状態の宝珠を使ったとしても、今度は計算式の処理の段階で宝珠が壊れてしまう。
 だから、巨大な魔法、構築陣それ自体が巨大になり計算式がより複雑な魔法を発動する際は、一番複雑な部分のみを覚えさせて、そこに至るまで、そこから先は構築陣の形をもって人の手で記述しなければならない。
 それに加えて、今回は少し特別な方法で龍神を喚ぶことになる。
「多人数ですからね、その分構築陣も大きくなりますし……魔力だけでも全快していれば楽だったんですが」
「……蒼樹の黒服全員の魔力総動員して龍神何回喚べるんだろうな……」
 セオラスはどこか遠い眼で構築陣全体を見渡して言う。ただでさえ広い調練場の一郭を占領し、広がるそれは遠目にも魔法のそれと分かるほどに巨大だ。
 そしてセオラスの呟きの意味を察したフェルは、手に持っていた長杖を消失させ手を組んで伸びをしながら口を開いた。
「教本に載ってる手順なんて、守らない方がいいですよ。余計に疲れるだけですから」
 小さく欠伸を噛み殺し、フェルはセオラスと同じようにその場を見渡す。銀の髪を鬱陶しそうに後ろへと追いやり、後ろ手に手を組んだ。セオラスが眉根を寄せる。
「……それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ、全然。教本だと同じ作業を何回も繰り返して精度を上げようとしてますけど、黒服……蒼樹の魔導師なら精度は問題ないでしょうし。問題があるとすれば魔力が足りるか足りないかですけど、それこそ問題外ですしね。私だって魔力は人よりちょっと多いくらいですけど、詠唱省略したおかげで問題なく召喚できますよ?」
「省略って、どれくらい」
「半分は。だって面倒じゃないですか、全部やるの」
 そう答えて、フェルは再び作業に戻る。手に杖を呼び戻して、その杖の柄で地面の構築陣に更に書き込みをしていく。そのほとんどが古代語による詠唱文だ。省略といっても完全に消せるわけではない、書き込んでいく事で声に出す詠唱を減らす事が出来る。
 セオラスがその作業の様子を覗き込んでいるのも気にせず、フェルは軽く首を傾げて口を開いた。
「全部やろうとしたら、詠唱文覚えられませんしね。全部やろうと思ったら三分は確実にかかりますよあれ。詠唱だけならともかく、普通は構築陣を展開しながらですし、そうなると魔力もいくらあっても枯渇しますって」
「そういうもんなんじゃないのか? だから禁じられてるんだと、俺はそう思うんだけど」
「そういうもんじゃないらしいんですよこれが」
 フェルは答えて、答えながらも古代語を書き連ねていく。そうしながら脳裏に浮かんだのは二年前、時の龍神である架空神を初めて喚び出した時の。
 二年前のその頃、フェルは十二の龍神を喚び、『紫銀』が一体どういうものなのかを聞き自分のやるべきことを見つけようと考えていた。名前の語感から取っ付きやすそうな水の水麗神や木の緑樹神、風の風俊神など半数は終えた後で、残った火の火焔神や氷の蒼氷神達のうち誰が一番接しやすいのだろうかと、子供ながら考えに考え、結果召喚した架空神。
 開口一番に怒られたことはたぶん一生忘れないだろう。
 予想だにしていなかった。まさか召喚の魔法それ自体に文句を付けられるとは思っていなかったのだ。遅いだとか効率が悪いだとか、よくよく考えてみればこちらの消耗を考えての言葉だったような気もするのだが、いかんせんその時は龍神どころか魔法自体に慣れていなかった。おかげでものすごく怖かった記憶がある、魔法を間違えたかとも思った。
「……まあ結果として教えてもらったのが簡単なやつなんですけどね……」
 その上、架空神で吹っ切れたフェルが次に召喚した闇王、闇の龍神曰く、しばらく微妙に口数が少なかったらしい。気にしていたのだろうかと思うと同時、セオラスがフェルの呟きに顔を上げた。
「ん、何だ?」
「架空神を召喚した時のこと思い出しまして」
「……フェル、龍神全員召喚したことあるのか?」
「一応は、ですね」
 やはりさらりと答えて、それでも手は止まらない。
「ほとんどの方は一回しか会ってません。二回以上会ってるのが、水麗神と蒼氷神と闇王と……だけ、ですね。召喚したのは十五回、これで十六回目です」
 しばらく作業を中断していたセオラスはそれに遠い眼をして、そして無言のまま作業を再開した。
 龍神は、その名の通り正真正銘の『神』――人間が関わってはならないとされる存在。一般の民衆や騎士に比べれば垣根が低いと言われている魔法使いだが、それでもそれを定めているのは大綱、天の理だ。『紫銀』ならば許されるかもしれない、それでも確実ではないその範囲に、たかが黒服が足を踏み入れて無事でいられる保証はない。
 フェルが黒服を全員この魔法に巻き込んだ、その真意は分からない。黒服と言葉を交わしても表情にそれは現れず、それを不思議に思いながらもセオラスは黙々と構築陣を書き続けた。
 ――憤りなのか諦観なのか、それとも仕返しの意味なのか。それでも分かればいいのだが。そうセオラスが思っていると、不意に隣でフェルが声を上げた。
 視線を向けると、フェルが居住棟の方向を見ている。それを追って、セオラスも小さく声を上げた。
 教会敷地内に広がる演習場である森の、その樹にもたれ掛かってこちらを見ている白服。他の騎士に比べれば細身、そして琥珀を溶かし込んだような金の髪。遠目にもそれと分かるその人は、小さく溜め息をついたようだった。
 フェルは杖の柄を地面に突き立て、空いたもう片方の手を文句があるなら言ってみろと言わんばかりに腰に当てる。視線の先のフィレンスは眼を細めてこちらを見ただけで、すぐに踵を返して森の中へと消えた。それを見送ったフェルが、白い姿が見えなくなって数拍後、突然喉元に手をやり苦々しい表情で視線を彷徨わせた。セオラスが口元に手を当てる。
「何だか……いつもと様子違ったな。疲れてるのか?」
「たぶん違うと思いますよー……」
「じゃあ何だ……?」
 フェルは無言のままさらに視線を泳がせる。僅かな静寂を経て、そしてセオラスは納得したと言わんばかりに声を上げた。
「ああ、怒ってるのか。……あいつが怒るって相当なんじゃないのか、何にだ?」
「あははー。……クロウィル、説得しておいてって言ったのに……」
 フェルは乾いた声で笑って、そして一転拗ねたように呟く。セオラスはそれを聞いて何故か驚いたように眼を瞬き、そして微かに笑みを浮かべるとフェルの頭をくしゃりと撫でた。
「……?」
「フェルのその敬語、素じゃないだろ」
 何かと見上げるフェルに、セオラスは笑みを浮かべたまま屈み囁くように言う。途端言葉に詰まったフェルを見て、短くははっ、と笑って、曲げていた背を伸ばした。
「うん、やっぱりな」
「……なんですか」
「いや、クロウィルとかと話してるの聞いてるとな、やっぱりちょっと雰囲気違うんだよ。十六だっけ、もう少し崩してもいいんじゃないか?」
「癖なんですもん」
 言って顔を背けたフェルの、その頬がほんの僅かに赤みを帯びている。それを見つけて彼がもう一度その頭を撫でれば、フェルはやんわりとそれを振り払い、髪を整えながら口を開いた。
「で、ですよ。それよりもですね、一番大事なこと忘れてませんかセオラスさん」
「…………」
「龍神って一口にいっても十二人いらっしゃるんですよ。火水雷氷風時土木光闇。聖の太陽神と邪の月神はまた別の魔法になるので問題外として、結局は十人のうち誰を喚ぶかって話なんですけどね」
 セオラスがそれを聞きながら周囲に視線を巡らせる。助け舟を出せそうな人物はその場にはおらず、フェルは眼を細めた。
「……計画性って大切ですよ?」
「すまん、失念してた。フェルは誰がいいと思う?」
 会話が聞こえたのか、作業を続けていた黒服たちがわらわらと集まってくる。フェルはその黒服たちを見回して、杖を腕に抱えて小さく首を傾げた。
「そうですねー……水麗神と風俊神は割と最近会いましたし、蒼氷神はついこの前会ったばっかりですし……架空神はこちらの話を聞いて下さるまで時間かかりますし、轟地神と雷閃神は……初対面だと少しきついですね。私も最初駄目でしたし。そうなると火焔神か緑樹神か光王か闇王か、それくらいです、ね」
「ね、て言われてもな……というより、俺には大綱が本当に存在するのかが疑問に思えてくるぞ、その軽い口調」
「龍神召喚も立派な禁忌破りですよ」
 その言葉にセオラスは一瞬言葉に詰まった。集まって来ていた黒服達も、そろそろと気まずそうに互いを見交わす。フェルは肩をすくめた。
「やった事のない魔法使いの方が少ないと思いますけどね、失敗成功に関わらず」
 龍神の召喚に要求される知識や魔力、そして先天的な感覚や才能というものは他の魔法とは比べ物にもならないほど高次だ。並の魔法使いどころでは話にならない、熟練の魔導師ですらどうなるかも分からない、至難を極める魔法。紫銀だからと言ってもそれは変わらず、そしてフェルの言うように、『禁忌に手を出さない魔法使いはいない』。騎士よりも何よりも、力に貪欲なのは魔法使い達なのだ、自分の限界すら、喰らおうとする。
 フェルは書き終えた構築陣を見る。左手に杖を持ち替え、右手を地面に広がるそれに向かって伸ばすと同時、その構築陣が光を帯び空中に浮かび上がった。
「さてここで皆さんに質問です」
 フェルがどうでもいいような口調で口を開く。全員の視線を受け、しかし怖じもせずにフェルは言った。
「厳格で冷酷だとされる火の神と柔和で温厚だとされる木の神と清冽で正義を尊ぶ光の神。誰に怒られたいですか?」
 その聞き方はどうなのだろう。その場の全員がそう思った。
 フェルとしては、ヒセルスから聞いた龍神同士の争いを避けるため、最近会っていない数人のうち三人を上げてみたのだが、それを知らない黒服達はどうすればいいのかが分からず視線を彷徨わせる。フェルは浮かび上がった構築陣を一瞥し、小さく唸って声を上げた。
「皆さんの魔力の性質を見るに、光王が一番相性がいいかもしれません。ただ、難易度は上がります。召喚魔石を使っても代償から逃れられるのは一人だけ、今回召喚魔石を持っているのは私だけです。当然ながら他人に譲る気はさらさらありませんから、数人は必然的に暴発を起こしますね。次点は光と同一性質を持つ火の神、ヴィディウス様ですが……火焔神は基本的に非常に人間が苦手だそうなので、どうなのかと思うところもあります。緑樹神は、柔和とか温厚とかもうむしろそんな問題じゃないんですが、とりあえず面白い方です、怒ると他の方より数段怖いだけで」
「…………」
「あとはー……例えば、水麗神は気に食わない人を笑顔で文字通り押し流して強制退場させる人ですし、轟地神は純粋に怖いです。雷閃神は喧嘩早いので何か起こると取り返しがつかないでしょうし、蒼氷神は面白いこと好きな反面、こういう事にあまり向いてないって聞きました、風俊神もそうだそうです」
「………………」
「つまるところ、誰を喚んだとしても結果的に皆さんは気まずくなるわけで」
 私は何度も会ってる方々なので別に気にしませんが、というよりも今回怒られるとしても怒声を浴びるのは皆さんなので私は無害で済みそうですから私は誰でも良いですよ?
 そうフェルはのたまった。顔には出ていないが、やはりすんなりとは行かないようだ。少し考えたセオラスが黒服達を見渡して、そして溜め息をつく。
「……発動の面で一番安全なのは?」
 彼が言ったのを聞いて、フェルも小さく息をつく。その意味するところを察したセオラスがどこか気まずそうな顔をするのに肩をすくめてみせて、そしてフェルは小さく唸る。
「そうですねー……龍神召喚は例外なく必ず死にそうになる魔法なんですけど、それでもこの魔力と人数なら、緑樹神が一番安全って言えばそうでしょうね。ただ今は真冬ですから……皆さんは大丈夫ですか?」
 冬は木氣が弱まる季節だ。つまり魔法使いの体に蓄積されている魔力も、木氣の量が少ないそれになっている。無理をすれば暴発は確実だろう。暴発は体内に蓄積される気の均衡が崩れた時に起こる現象で、一番消耗されていた氣が一気に対外に放出される。それが起これば最悪死亡の可能性もある。
 魔法は諸刃。一歩間違えれば全てが自分に返ってくる。
「冬に木氣が強まるのは……」
「朝の、八時から十一時だ。午後は一気に落ちる」
 フェルの声に一人が続ける。それに頷いて、フェルは懐中時計を取り出し針の向きを確かめる。六時を少し越え、十分といったところか。
「あと二時間、ありますね。それで良いのなら構築陣の整理は私の方で済ませておきます」
「手伝う事はあるか?」
「構築陣を作るのだけで十分ですよ、あとは皆さんそれぞれ魔力をできる限り回復しておいて下さい」
 一人の声に笑みを浮かべて答え、フェルは構築陣に向けた右手を独特の形に握る。指を鳴らす音が響いて、ただ空中に浮かんでいただけのそれがゆっくりと動き出す。杖を握り直し、では、と黒服達を見た。
「二時間後に始めましょうか」



 黒服達がそれぞれに散っていくのを見送り、セオラスはその場に残っていた。フェルが構築陣の手直しをしていくのを眺めながら、時折その周囲を飛び交う精霊達を見る。梟の姿をした時の精霊が来た時にはさすがに驚いたが、フェル自身は慣れたもので、少し手を止めて首元を撫でてやり、すぐに作業に戻る。
「……フェル、好かれてるな」
 こちらには一瞥もくれない精霊達を見やり、セオラスは何となく言う。フェルは一段落ついたのか手を止め、足下の狐の姿をしたそれを撫でた。
「よく言われるんですけどね、好かれていると言うより……私が精霊好きなんですよ」
 蝶の姿をした木の精霊が銀の髪を飾るように羽を休める。フェルはそれを視界の端に見て、そしてセオラスに視線を向けた。
「セオラスさん、魔法使わずに精霊見えるんですね」
「ま、な。フェルもだろ。……お前はいつから見えてたんだ? 俺は魔法習いはじめてからだけど」
「私は、気付いたら見えてました。それがきっかけで魔法を習いはじめて、ですね。魔力があるというよりは魔法に対する適応力が高い方のようで」
 魔法使いは幼い頃からその才能を顕現するものが多い。ある者は息をするのと同じように焔を喚び水を喚び、ある者は精霊を見る。両者とも物心付く以前に魔法の力を扱うが、前者は特に生まれついた魔力が多く既にそれを扱う術を知り、後者は自身を魔法に会わせる事ができる事を示す。前者が圧倒的に多いが、それは魔導師に向いているのが前者だからだ。魔法を使い続けるには魔法に呑まれない方法を知る事も重要であり、魔法に合わせられる、合わせてしまう場合は、魔法の行使によって精神を磨耗し廃人となってしまう事も少なくない。
「おかげで小さい頃は、精霊は見えるのに魔法が一切使えない、まるで見鬼のような状態でした。今じゃようやく並の魔導師になって来れてますが」
「黒服なんだから並じゃないだろ、既に。……失敗したりしないのか?」
 後半は構築陣に視線をやり、セオラスは問いかける。フェルもその眼を追ってその意味を察し、そして苦笑とともに息をついた。
「龍神召喚を最初からできるほどじゃありませんよ。最初は失敗ばっかりでした。……一番最初は水麗神の召喚で、六回失敗してます。魔力が足りなくて、暴発を起こしてばっかりで」
「へえ、意外だな」
 セオラスが言うと、フェルは小さく溜め息をついた。構築陣から視線を外し、彼を見て肩をすくめる。
「よく言われます。……勘違いも良くされますが、私、最初から魔法使えたわけじゃないんですよ」
「……え?」
「護衛師団の団長……今の団長ですね、に、魔法を教えてもらいはじめたのが八歳、それ以前は精霊と話す事しかできませんでした。十一になるまで、攻撃魔法なんて一つも使えなかったんですよ」
「……っ、嘘だろ!?」
「本当ですよ」
 通常、魔法使いの資質を持つ子供は意識しなくともその力を使うものなのだ。それによってその子が生来の魔法使いであると知る事ができる。そしてそういった子供達は、大概十を迎える前に初級攻撃魔法の一つや二つは扱えるものなのだ。それが十一までできなかったのは、遅すぎる部類に入る。
「だから苦労しました。魔法が安定して来たのも、ここに入る試験が始まる数ヶ月前ですし。今でこそちゃんと使える魔法も増えてきましたけど、小さい頃からちゃんと修行なりをして来た人に太刀打ちできるかと聞かれたら否でしょうね。やってる時間が違いますから」
「……参考までに。今使える攻撃魔法の数は?」
「そんなには。せいぜい、百か百五十か、それくらいですよ。……蒼樹の黒服が保有する魔法の数って、平均で五百越えるんですね、この前初めて知りました」
 圧倒的な数の差をさらりと言って、フェルは作業を再開する。セオラスは地面に座ったまま思案した。何故か、どこか落ち着かないような感覚を覚えて、どうにもその正体がつかめないまま漫然と持て余し、そしてフェルが作業をするのを眺めるうちに唐突に気が付いた。
 焦燥か、そう小声で呟く。フェルには聞こえなかったのか、彼女はただ黙々と修正を続けている。
 フェル自身が言うには、彼女はまだ蒼樹の水準には達していない。しかしそれでもフェルはこの蒼樹で黒服なのだ。長官、ヴァルディアは実力主義で知られている、力の無い者を蒼樹に入れないし、入れたとしても所属としては認めず黒服には任命しないだろう。
 その中で、同期の魔法使い達を抜いて黒服となった、その要因の一つはやはり絶対的な魔法の感覚だろう。勘、と言っても良い。フェルは保有する魔法の数こそ少ないと言うが、しかしその一つ一つが洗練されている。数が少ないからこそ、その精度を上げようとしたのだろう、それが見事に功を奏していた。
「……天は二物を与えた……」
「三物もらってるのが長官ですよ。何ですかあの人、本当に人間ですか」
 セオラスの呟きに、今度はきちんと聞こえたのだろう、フェルが間髪入れずに返してくれた。二物を与えられた事に関しては何も言わず、否定しないあたりはフェルらしさといったところか。素直とも言うし、返して言えば性格が悪い。しかし魔法使いの大半がもっと程度の酷い連中ばかりだと知っているからこそ、セオラスはそれについて何も言わない。
「……あ、そうだ」
 そう思っていると急にフェルが声を上げた。何かと思うとフェルは振り返り、首を傾げる。
「オーレンさん、見ませんでしたか?」
「オーレン? この時間帯ならどっか暗い所に閉じこもって寝てるか任務に出てるか……さっき黒服集めてる時には見なかったな、どうかしたか?」
「……いえ、少し聞きたい事があっただけですから」
 フェルは言って、構築陣に顔を向ける。そうしながら、セオラスには見えないように息をつき、眉根を寄せた。
 できるかぎり、護衛師団に見つからずに、確かめたい事がある。
 フィレンスやクロウィルには、何故かとっさに嘘を言ってしまったが――オーレンが何を知っているのかは分からない、だがもしそれが、自分の過去に繋がるのなら。そして彼の真意と、もう一人の紫銀の居場所を。
 洞窟の中のあの文言が捏造だとは思えない。関係のない第三者が書いたのならともかく、古代語が思念を封じ込める言葉である以上、嘘は簡単には残す事はできない。文字としてそれを残すのであれば、尚更。
 紫旗師団の騎士や魔法使い達は総じて勘が鋭い。おそらくすぐに誰かが勘付く、可能な限りその前に。
 そう思ってもう一度息をついたところに、不意に馴れた気配を感じて視線を上げる。手を止めて振り返ると、少し離れた所に立っていたのはやはり、フィレンスだった。




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