「……文句あるなら言って下さい」
 フェルは真っ向から彼女に言った。フィレンスは息をついて、歩を進めて紫の瞳を見返す。
「……馬鹿」
「他には?」
 ようやく放たれた言葉に、しかしフェルは更に先を促す。フィレンスはすぐに視線を外した。
「頑固。それだけ」
「それだけを言うために私達が作業をしてた間ずっと森の中にいたんですかあなた」
「ん、いや、寝てた。やっぱり居住棟にいるよりも気が楽だしね、寒いけど」
 その言葉にフェルはしばらく沈黙した。その間にフィレンスが目元を擦るのを見て、納得したようにフェルは彼女に問いかける。
「……もしかして起きたばっかりですか?」
「うん、ついさっき目が覚めて、なんとなくこっち覗いてみたら黒いのが散ってたから、じゃあこれは文句を言いに行こうと思って」
 言ったフィレンスが口元を覆って欠伸を噛み殺す。明らかに眠気が抜けきっていないその様子を見てフェルは思いっきり脱力し、それを横で見ていたセオラスは、自分自身の眼が丸く見開かれているのに気付いた。
 何だか良く分からないが、すごく驚いているのが自分でも分かる。そうセオラスが頭の中で思っていると、不意にフィレンスは構築陣に眼をやりその形と文言を確かめ、途端に苦い表情を浮かべる。セオラスを一瞥して、そして口を開いた。
「多人数で詠唱する必要性はどこに? フェルなら一人で喚べるでしょ」
「だって私、今龍神召喚の対価払えるだけの余剰ありませんもん」
「術式主が一番消耗する、だったら同じ事」
「そこで長官からふんだくった召喚魔石です。これを使えば一人は確実に対価から逃げられますから」
「でも誰かが暴発起こした途端その人に使いかねないフェルでした。馬鹿?」
「二度言わないで下さい。あなただって夜に長官と大喧嘩するんでしょう、どっちが馬鹿でしょうねこの短絡思考が」
 瞬間、フィレンスが苦虫を噛み潰した上にしっかりと味わってしまったかのような顔をする。腕を組み、視線をどこか別の方へと落とす。
「クロウィル……口止めしておいたのに」
「しっかり聞きました。本当にやる気ですか? 相手あの人ですよ、冗談でなく死にますよ?」
「分かってる、向こうが提示した条件だから拒否できない、それだけだよ。……緑樹神だろ、召喚したあたりで来る。少し話したいから、よろしく頼む」
「頼まれても、って感じですよ。だって緑樹神あなたの事嫌いですもん」
 セオラスが僅かに瞠目する。言われたフィレンスは肩をすくめて、そのまま踵を返した。フェルはそれを見送って溜め息をつき、そしてセオラスがその白い背を凝視しているのを見て苦笑を浮かべた。
「……人間の能力の最高限度って、生まれる瞬間に決まるらしいんです」
 え、とセオラスが声を漏らす。いきなりの話題の転換についていけず、しかしフェルは言葉を途切れさせる事無く、言葉を続けた。
「もちろん、最初からその限度の全てを使っているわけではなくて……何か新しい事ができるようになるためだとか、それを進歩させていくために、少しずつ余剰が減って行く……その余裕が足りない場合は、既にあったものを切り捨てなくちゃいけないんです。フィレンスはその中でも、人間にとっては特に大切なものを……龍神でさえ躊躇うようなものを簡単に切り捨てた。だから、龍神や精霊達の一部からもの凄い反感を買ってるんですよ。……反感というより、嫌っているというよりも、納得できない苛立たしさって、龍神様達は言ってましたけどね」
「……フェルは」
 セオラスのその声に、フェルは彼を見る。彼は言葉を選ぶためか少し視線を彷徨わせて、そしてフェルを見て眉根を寄せた。
「フェルは、全部知ってるのか?」
「……全部じゃ、ありませんけどね」
 言いながらフェルはフィレンスの去った方へと視線を向ける。彼女の姿は既に見えないが、しかし彼女がいたその場所を見やり、そしてやるせないと言わんばかりの表情を象る。
「たぶん、ですが……たぶん、全てを知っているのは本人だけです。ヴァルディア様も、紫旗師団の団長も、団員も、もちろん私も。誰も全ては知らないでしょうね」
 言った瞬間、銀の髪に瞳が遮られる。俯いて短く息を吐いたフェルは、そこに背を向けて構築陣へと向き直り、作業を続けた。
「それでも、得たものと失ったもの、それくらいは知っています。だから何も知らない人たちが、ただ言葉の上面だけを見て判断して、行動するのを見て、苛つく。……ただそれだけですよ、私の場合は」
 フェルの指先が空を走り、描かれた紋章が構築陣に吸い込まれて行く。それを見届けて指を鳴らすと構築陣が光を放ち、地面に描かれたそれが姿を変える。空中に浮かんだ方は空気に溶けるように消え、フェルはそれを見て溜め息をついた。
「黒服に対する説明は、うまくいけばこれで終わるとして……白服の方は一体どうする気なんでしょうね」
「……それってさっき言ってたあれか?」
「みたいですね、あの様子だと。……白服に限らず騎士って戒律とか誓約とかを一番に考えるじゃないですか、黒服より頑固なんですよね。で、私が見る限り、国王軍より協会の白服の方がより頑固なんです、意外な事に。軍はこことは真逆……」
 言いかけたフェルの視線が逸れる。背に大剣を背負った白服が、巨大すぎる構築陣に顔を引きつらせながらこちらに歩いて来た。
「クロウィル、どうしました?」
「いや、暇だったから来ただけ。……協会も、少し混乱してるみたいだな。長官はともかくとして、その下か……任務の振り分けもできてない」
 言いながらクロウィルは居住棟の奥、主棟を見上げる。そしてすぐにセオラスを見て、そして彼は胡乱げに眼を細めてみせる。セオラスは遠い眼をして、そしてそのクロウィルの方に手を置いた。
「……お前も子供だよなぁ十九歳……」
「五月蝿い黙れ外見詐欺。もれなく所属者全員に実年齢バラすぞ」
「はは、それは勘弁」
 クロウィルに乱雑に手を振って追い払われ、両手を小さく挙げた黒服が苦笑を浮かべて言う。だが少しも困った様子は見せず、疑問に思ったフェルがセオラスを見上げた。気付いたセオラスと視線が合って、フェルは少し考え、首を傾げる。
「セオラスさんって、何歳なんですか?」
「そうだなー、フェルよりかは上だけど、紫樹の長官よりは下かなー」
 フェルは反応に困ってクロウィルを見た。クロウィルは呆れたような顔をしただけで、どうしようかと思いながら記憶を掘り起こし、そして三度ほど反復をして確信を得てからフェルは口を開いた。
「……紫樹長官って、確か今年で御歳百七十……」
 紫樹長官フィエルアルは長命で有名なホルア族の出自、ホルアは平均三百年を生きる。長命種族をまとめてエイレスと呼ぶが、そのエイレスの中でも中々に長い時間を生きる種族だ。そしてフィエリアルは現在百七十を生きる、ホルアにとってはまだ青年、だったはず。
 ――引き合いに出されても困る。
 セオラスはそのフェルの反応を見てにやりと笑い、銀の頭をぐしゃりと撫でてから踵を返す。その途中でクロウィルの肩を叩いて、それを再び手で追い払ったクロウィルは苦い顔をしてみせた。彼はそのまま居住棟へと歩いて行く。
「……今のって冗談ですか?」
 そのセオラスが去るのを見ながら、フェルは傍らのクロウィルにそう問いかけた。クロウィルは少し考えながら、フェルの髪を整えつつ唸る。
「……さて、俺から言っても良い事なのやら。本部に行けば白服と黒服の大体の情報は見られるけどな、そこまでするのはどうかと思うぞ?」
 確かにそうだが、ともう一度セオラスの背に視線を向ける。気になるものは気になるのだ、そう思って、そしてフェルははたとクロウィルを見上げた。
「どうした?」
「クロウィル、オーレンさん知りませんか?」
 瞬間、クロウィルは果てしなく遠い眼をした。フェルがその反応に首を傾げるのを見て溜め息をつき、それでも足らずに片手で顔を覆って緩く頭を振り、そして嘆息した。
「……気付いてないって怖いなぁ……」
「……クロウィル?」
「オーレンなら、さっき幽鬼みたいな青い顔して第二調練場……旧調練場に入って行くのに出くわしたぞ。声かけたらいつもよりも機嫌悪かったみたいで、もの凄い剣呑な眼で睨まれたから、たぶん夜まで寝るつもりだろうけど」
 それを聞いてフェルは眼を瞬いた。彼の話を聞く度に第二調練場が出てくるので、結構というかかなり気になっていたのだが。
「……オーレンさん、自分の部屋はどうしたんですか?」
「近くに人間の気配がすると眠れない、だと。もう相当長い間ずっと第二調練場を占拠して自分の場所にしてるな。ヴァルディア様はともかく、官吏達も何も言わないし、あそこはもう古いってんで誰も文句言わないし」
 クロウィルは言いながら肩をすくめる。そして再び巨大な構築陣に眼をやり、息をついた。
「で、今度は誰だ?」
「ウィナ様です。せっかく朝から準備ができたので、長くこちらにいられる方を、と思って黒服達を誘導尋問っぽく誘導してみました」
 クロウィルが僅かに眉根を寄せるのを見て、フェルはああ、と口を開く。
「この季節になると、特に水麗神と蒼氷神は忙しくなるらしいんです。冬はあちこちで雪が降ったり、気候の変動で雨が降ったりしますから。あと、火焔神は、色々な所で火が使われたりの関係で、やっぱり忙しいんですね。長くいられるっていうのは、この時期仕事が少なくて暇だから、ですね」
「季節によってか……面倒だな」
「そうでもないですよ、慣れちゃえば全然気になりませんし。魔法使いにとっては当然の事ですしね」
 本当は、同じく季節によって大気中の氣のバランスも変動して行くため、冬の場合は木と雷の属性を使うのは言ってしまえば自殺行為なのだが、クロウィルは気付いていないようだし、言った途端強制的にとめられかねないので言わなかったフェルである。
「で、フェルは休まないのか? 疲れてるだろ、あんな事あった直後なのに」
「えーと……私がこの魔法の術式主なので、離れられないんです。召喚魔法を知っていても成功した人がいなかったので、仕方ないんですけどね」
「黒服に押し付けろよ、相手が言って来たんだろ?」
「そしたらウィナ様問答無用で全員の魔力根こそぎ盗って行きますよ、代償と銘打って。私は紫銀である分、楽ですけど……術式主にしてしまえばその人が禁忌破りとして死んでしまいますし、暴発も悪くすると死亡の可能性もありますしね」
 さすがにそれはまずいかなーと思って。言うフェルの言葉を聞いてクロウィルは無言で腕を組んだ。フェルはごくごく自然に眼を逸らせる。
「……なんとなくそうじゃないかとは思ってたけど、フェル、死ぬ可能性のある魔法に黒服巻き込んでるのか?」
「言い出したのは黒服ですもん。むしろ私は巻き込まれた側です、言い出した方がその可能性を知らなかったでは済まされませんし、もしもそんな事になったのなら死んでおいた方がましですよ」
「なんで」
「周囲の被る被害がその分軽減されますから」
 悪びれもせずにフェルは言う。クロウィルは息をついて、その頭を軽く叩いた。



 既視感を覚えて視線を上げる。自然とそれが向かった先は主棟。
 一瞬だけだが妙に気にかかる。目を向けたまま起き上がろうと肘をついた瞬間、鈍い痛みが走った。
「っ……た……」
 つい悪態が口をついて出そうになって、フィレンスはそれを飲み込み頭を振る。起き上がって鈍痛を訴える右腕を押さえれば、蝕むような感覚。昨夜の一件で斬られた傷だ。溜め息をついて手を離して、視線を町へと向ける。協会を中心に、円状に広がっていく街並み。
「……うん、まさかこんな所にいるとは誰も思わないだろうな……」
 一人呟く。フィレンスが座っているのは調練場などがある東棟の、その青い屋根の上だった。見下ろせば巨大な構築陣が垣間見え、そうでなくとも発動されればすぐに分かる場所。
 時間は七時あたりだろうか。懐中時計を取り出す気にもなれず、まだ朝の光を放つ太陽の下で大きく息をついた。蒼樹の街は次第にざわめき始めている。
「あと一時間……どうしよう、逃げるか」
「何からだ?」
 その声に振り向くと、立っていたのは外套を羽織った長官。フィレンスはあからさまに嫌な顔をした。
「……よりによって長官か……」
「何がだ。……こんな目立つ所にいて見つからないとでも思っているのか?」
「大概の白服は上なんて見ない、大概の黒服は見ても興味が無ければすぐに忘れる。居住棟にいると所属者の皆々様の精神衛生上とってもよろしくないようなのでここにいるだけ、居住棟からなら見えないしな。……何か?」
 屋根に座ったまま適当に言って返し、ようやく彼を見上げて問うと、ヴァルディアは僅かに眉をひそめた。
「お前、回復魔法は使えないのか?」
 言ったヴァルディアが空中に何かしらの文字列を描く。空中に姿をとどめたそれは、揺らめいたと思った瞬間強く輝き、一瞬のそれに呼応するように燐光がフィレンスの腕を覆う。フィレンスは苦い表情を浮かべてそれを見て、そして視線を街へと投げた。
「……私は弱点を言いふらして殺されたがるような自殺願望者ではない」
「面白くもない冗談だな、当然の代償だろうが。それを隠しているからこそ、ここまで反発が強まったのだろう」
「言う長官こそ、知らなかったと見える」
 無表情のまま言えば、ヴァルディアは深く溜め息をつく。その彼が背後に腰を下ろしたのを見もせず、フィレンスは続けた。
「一戦交える前に、言っておこうと思う。確かに私は回復魔法が使えない。治癒魔法もそうだし、補助系統の魔法も全て使えない。できるのは攻撃魔法と召喚魔法、それだけだ」
「それを私に言ってどうする?」
「そうだな……出血多量で死にたくはない、という事だけかな。白服達が気付いてくれれば良いが……」
 一旦言葉を切る。少し考えて、何度目か息をついた。
「……いや、気付いても、魔法の戦術に慣れていない騎士がその意味に気付く可能性は低いか……」
 手に触れたのは一振りの剣。それを見下ろして、剣帯から鞘ごとそれを引き抜く。柄の部分に眼をやれば、師から受け継いだ宝珠が眩しい光を弾く。
 指でそれを撫でてやれば、赤いそれはほんの僅か、細かく震えた。
「……黒服とは、機会さえあればうまくやって行けそうなんだけどね……」
 呟く。ヴァルディアはフィレンスの背に視線を向け、しかしすぐに眼をそらす。彼はそのまま、ゆっくりと口を開いた。
「白服達、か」
「そう。……これなら大人しく軍に収まってた方が良かったな……」
「国王軍の騎士達は説得してあるのか。妙に好かれているようだが」
「説得はしてない。何故か一方的に慕われてる」
 それを聞いて、そしてヴァルディアは唇の端に笑みを刻んだ。立ち上がり、羽織っていた外套から腕を引き抜き、背を向けたままのフィレンンスにそれを投げてから口を開いた。
「なら、何とかなるかもな」
「……え?」
 振り返り、頭から被せられた外套と彼とを交互に見たフィレンスが疑念の声を上げる。ヴァルディアはその彼女を見て、言った。
「お前、師団に入った直後に国王軍と一戦やらかしたらしいな」
「……誰から聞いた」
「団長からだ。加えて、禁忌を破った直後も一戦やらかしたらしいな、しかもどこかの軍の副将軍三人と」
「…………要領を得ない。だから?」
「今やろうとしている事と何か違いでもあるか? 頭の固い奴らには衝撃を与えるしかあるまい、それもかなり強烈な方法で」
「それが長官と大喧嘩を繰り広げる事とどうして繋がるのか、それが私には分からないな」
「……お前はあの小さいのと違って、随分と嘘が好きなようだな」
 溜め息を吐き出す。魔法使いめ。ヴァルディアはそのまま言葉を連ねた。
「お前自身は、どうするつもりなんだ?」
 ごくごく簡単な問いかけ。しかしフィレンスは迷うように視線を泳がして、そしてそのまま、小さく言った。
「……私は、騎士だ。魔法使いにはならないし、なれない。それは変わらない」
「そこまで言うのなら、分かっているな」
「分かりたくないな……私は矜持が高いんだ」
「もしそれが本心なら、私は紫旗師団を疑う。……禁忌破りは剣を捨て魔法に逃げた騎士だと思われている。いい加減それを払拭しろ。私もこれ以上誰かさんの愚痴を聞かされたくはない」
「私が愚痴を言う相手は長官ではなかった筈だが」
「お前が言っていたら斬るぞ。……お前の部下と親友とやらだ。お前が思っている以上にお前の周囲の方が騒いでいる、さっさとなんとかする事だな」
 言ってヴァルディアは踵を返す。フィレンスはもう一度溜め息をついて、頭の上から被せられたその外套の袖を持ち上げた。
「これは?」
「晴れているとはいえ冬だ、着てろ」
 どこかぶっきらぼうに言った、その姿が消える。フィレンスはそれを見送ってから外套に眼を落とし、少し考えてから素直にそれに袖を通した。明らかに大きいそれは、既に風にさらされて、冷たい空気をはらんでいた。
「……婉曲。これで最後の手を使わざるを得なくなった、かぁ……」
 持ち上げていた剣を剣帯に戻して、そのまま屋根の緩やかな傾斜に寝転がる。
 きっと、師団達ではない。団長も、相手がヴァルディアだからとそれを言うほど性悪でもない。フェルは教えるにしてもとんでもない交換条件を提示しかねないし、そうなると考えられるのはただ一つ。だがそれも。
「……長官の人脈が、どこまで広いのか、だな……」
 明るい空を見上げて瞳を閉じる。冷たい風が通り過ぎるのを、ただ無言で待った。




__________



back   main   next


Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.