何も言えなくなったのは、その場の全員がそうだった。その沈黙の中、やはりフィレンスの声だけが落ちる。
「要求されたわけじゃない、私から差し出した。さすがに躊躇うくらいはしたが、決めてしまえば吹っ切れたからな。元から求めていた物が大きかった……大きすぎたから、それが妥当だと思ったんだ。思ったからこそ差し出した。……色々と無理を言って、魔法以外にも得たものがあったから、対価としては妥当だろう。あと十五年『も』人としていられる、それならと、そう思った。今でもそうだ。猶予は長くはないが、短くもない」
 命を差し出す事になるかもしれないと、最初はそうも思った。だが神々が求めたのは、意志と覚悟の証としての代償、そして選択すら許された。だから自分にとって代えられないもので代える事のできないものを助ける力を求めた。これ以上の同等は無いとすら、言ってみせた。
「実際、考えるよりも軽い代償だ。魔法使いが正規の手順を踏まず、許可を得なかっただけで死以上の代償を課せられると言うのに、私はまだ生きているからな。期限付きの命だが」
「……どうして、そこまで……」
「……良く聞かれる。見ていれば分かると思っていたんだが、聞かれるという事はまだ不十分、か」
 一人の白服が思わず上げた声に、フィレンスは苦笑混じりに言った。白服では決して使わなかった双剣と、意識して極端に回数を抑えていたのだろう魔法。それらを手段として用いるのは、藍色の衣裳を身に纏った時だけだ。
 藍色は護衛師団。禁忌を破ったのも蒼樹に入る前。皆まで言わずとも、答えは分かりきっていた。
「自己犠牲は騎士の特性のようだな。協会の所属者は民衆に、護衛師団はその対象に命をかける。『死を恐れても決して退くな、剣を持って死ね』……学校、学院では必ず叩き込まれる」
 それを聞いた白服、そして黒服達が眼を見交わす。確かに騎士と魔法使いを比べれば、その行動ですら対照的だ。魔法使いが理性で動くのだとすれば、騎士は感情そのものの強さで行動する。
「……それと同じだ。片目が見えず、寿命が削られて手に入る力が不完全だろうと、私はそれで構わなかった。魔法使いが一生を捧げて手に入れて行くのだろう魔法の力を、私はそのまま完全な形で手に入れようとしたのだから、当然だ」
 なげうつ事で手に入るものがあるのだと、その時に初めて知った。
「三年前に禁忌を破った時には、団で騎士としての叙任を終えたばかりで、ただでさえ不安定ではあったが……今はそっちよりも、こっちの方が問題だな」
 フィレンスが自嘲のような表情を浮かべて、所属者達は気まずそうに視線を交わす。
 長官との一戦は、主に二つの印象を与えるに留まった。圧倒と、不信感。後者がより強くなった者もいる。ここにいるのは、前者が勝り、且つ疑念を抱いたごく少数だろう。
 刃の鳴る音が静かに落ちる。白い刀身の剣を鞘から引き抜き、磨き上げられたその姿に眼を落とした。
「……確かに私は禁忌破りだ。しかし、だからといって私が騎士である事に変わりはないし、それは誰が何を言おうと同じ事。誇れる事は何も無い、だが蔑まれるいわれも無い。私は私として禁忌破りの道を選んだ、それは誰にも、否定はさせない。もし私が騎士に相応しくないと言うのなら」
 空を切る音。次の瞬間突き立てられた白刃、鋭い音が耳朶を打つ。静かだった空気が、唐突に、ざわりと揺れた。
「まず私に勝ってからにしてもらおうか。剣でも魔法でも、証拠を見せろと言うのなら受けて立つ。私は命を賭けてるんだ……甘く見てもらっては困る」
 誰も動かない。声すら、出せなかった。本能が警鐘を鳴らすほどの、一瞬とは言え生々しい感覚。それだけで人を制する圧力と、何よりも殺気が、まだその残滓を引きずっていた。
 ――たとえそれが無かった所で、一体何が言える。この強い意志と、危うさに対して、どんな言葉で向かえば良い。
 反応がないのを見て、フィレンスはようやく剣を引き鞘に納める。沈黙が落ち、しかし重く苦しいそれを一番に断ち切ったのは、顔を上げた白服の一人。
「……何故、今まで言わなかった?」
「……私自身、今でも色々な所から攻撃を受けていて、基本的には師団と頭老院くらいしか信用できない。蒼樹に入った時は、それが一番ひどかった。初めて所属者と顔を合わせた時に、ああ駄目だな、と思ったんだ」
 正直に言ってしまえば、恐かったのだ。十七だったというのもある、今ほど立ち回りも上手くはなかった。だから距離を置いて、関わり合わないようにして来た。
「協会に入った理由は?」
「師団と蒼樹は特に結びつきが強い。それに、知られてはいないが、協会には師団から数人の戦力を提供するのが通例になっていてな。本来は禁じられていたんだが……最近は戦死者が多くなって、容認されている。どころか推奨、だな」
「じゃあ……」
「ここにも、私達以外の団員が白服、あるいは黒服として行動している。公表はされないが、それは私やクロウィルが中々有名人だからだな」
 言いながら浮かべる顔にはやはり自嘲。そうして、彼女は軽く息をついた。
「言ってしまえば、ここに来たのも、白服になったのも、望んだ事ではない。その上……どことなく、隙を見せれば殺されそうな雰囲気だったからな」
 今でこそ、多少和らいで来た方だが、と続ける。言ったフィレンスの手は剣の柄に触れたままだった。恐らく本人も、もう意識していないだろう。協会の中では、たとえ自分の部屋であろうと気を抜く事ができないと言う状況が、彼女にとっては日常だった。
「私から避けていただけだ。所属者を責める気はない、責められるわけでもないしな」
「……護衛師団の一部は、違う様だが」
 白服の一人が言って、フィレンスは眼を瞬いた。ふい、と虚空を見上げて、おもむろに眉根を寄せる。
「……イース、何した」
《な、なんでそこで一番最初にあたしなのよ! ラークでしょ、やったの!》
「長官に喧嘩売った話は聞いた、既に山のように仕事を渡して制裁済みだ、今頃本部で書類に埋もれて泣いてる」
 うわ、と誰かが呟いた。魔法使いならともかく、騎士に書類仕事はきつい。
「それにそう何度も重ねて馬鹿やるほど馬鹿じゃない、何より昨日のあの場にはいなかった」
《クロウィルは!?》
「あいつがやったのなら一番分からないな、私よりここの白服をやって長いんだ、何かやらかす前に解決する。スフェは蒼樹に興味が無い、ラルヴァールは怒っている事を表に出さないし、ジルファは表に出しても状況を考えて手は出さない。……イース、何をした?」
 二度目の問いを重ねて、どこからとも無く響いていた声が押し黙る。フィレンスが溜め息をついて左手を上向かせ、虚空に突き出す。少し間があって、その掌に鈴蘭を象った真鍮の首飾りが忽然と現れた。
「団の対外関係も考えろ、最後には除席するぞ。三日」
《……了解、隊長》
 それは恐らく謹慎の意味だろう。たかが三日ではあるが、騎士団や魔術師団に所属する者にとってはたった一日であっても相当な痛手となる。フィレンスは受け取ったそれを上着の中へと仕舞って、着崩していたそれを軽く直す。その拍子に鈴蘭と龍が揺れるのが垣間見えた。
 白黒のうち、何人かが眼を見開き、数人が先ほどの会話に合点がいったと納得の表情を見せた。紫旗、護衛師団だという事は瞬く間に協会の中に広まったが、どの部隊のどの位置にいるのかは分からないままだったのだ。恐らくはクロウィルの所属する隊の隊長なのだろうと、その間で推測した所属者達の思考がそこで停止する。しなかったのは、先にその事実を知っていた一人だけだった。
「……厳しいんだな」
「良く言われるが、これでも団の中では優しい隊長で通ってる。一回二回の失敗で除隊にはしないからな。三度目の正直でしくじるよう奴は、最初から第二の椅子には座らせない」
 そこまでを苦笑しながら言って、何とも言い難い空気を背負った白服達を見渡す。白服は何か言いたげな顔をしていたが言葉が見つからない様子で、しかし一人が唐突に立ち上がった。黒服、確かエクサ。その彼に、自然と視線が集まる。
 彼は無言のままフィレンスへと歩み寄る。僅かに疑念を浮かべる彼女に向かって、その彼が急に手を挙げようとした瞬間、フィレンスの肩がびくりと跳ねた。
 手を挙げかけたエクサが眼を見開く。見返す色違いのそれも見開かれて、右の手は剣の柄を握っていた。半歩後退り、手から力を抜いて、そして彼女は小さく呟く。
「……すまない、驚いた……」
 言う声が、僅かに平静とは違う。エクサは一旦手を降ろして、口を開いた。
「……剣に手が伸びるってことは、相当だな。誰も知らないのか」
 視線が落ちる。剣から完全に手を離して、緩く頭を振った。
「……言って、どうする」
 黒服は名状し難いものを溜め息として吐き出す。自分が言えた事でもないと胸中に呟き、そして今度は、ゆっくりと両手を挙げた。
「今すぐ信用しろとは言わない。ただ、今は殴ったり襲ったりはしない」
「……分かった」
 疑問符を浮かべるフィレンスの返答を待って、彼は手を伸ばした。やはり少し身体を退いた彼女に構わず、掌が赤、右眼を覆って、彼は左手で三本指を立ててみせた。
「ベタだけどな。これは?」
「……三」
 そういう事か、とフィレンスは素直に答える。やはり次は左目が覆われて、視界が黒く染まった。
「……これは?」
 フィレンスは僅かに眉根を寄せる。少し迷ってから、手を伸ばした。
 彷徨った腕が何かに当たって、それを辿る。彼の手に触れて、不器用にその数を数えた。迷いながら、口を開く。
「……二か、三」
「……二だ」
 彼のそう言う声が聞こえて、そして一瞬奇妙な感覚が流れる。その最中に手が離れて、少しぼやけた視界の中で、エクサは苦りきった顔で額に手を当てた。
「……試すような真似してすまない、口実だ。今勝手に記憶見せてもらった、……もういい」
 フィレンスが押し黙る。記憶を見られた事に対して何を言うでもなく、ただ彼に向かって一言呟いた。
「……ごめん」
「いや、……駄目だ、出直す。こんなの一日二日で処理できたら、それこそ馬鹿か気違いだ」
 言ってすぐに踵を返す。そのまままっすぐ扉に手をかけた彼に、黒服が声をかけた。
「一言で表せ」
 エクサの動きが止まる。少しの逡巡を経て、背を向けたまま彼は言った。
「……見りゃ分かる」
 言ってそのまま部屋を出て行く。その場に残った二人の黒服が顔を見合わせて、そしてほぼ同時に立ち上がった。
「……?」
 唐突なそれにフィレンスは不思議そうな表情を浮かべる。それを見て、片方が口を開いた。
「他人の記憶を見れば、その時の追体験をする。完全にな。そこの何を見たのかは知らないが、あいつの今の反応と、緑樹神がお教え下さったもので十分だ」
「……待て、どこを聞いた」
「さてな。……フィレンス、怪我は治癒できたのか」
 あまり意味の通らない理由と急な問いを羅列され、状況を飲み込めないままのフィレンスの眼は自然と左腕を見やる。そして黒服を見れば、無言のままの方が何かを投げて寄越した。空中で捉えたそれを見れば、何かの薬のようだった。
「……一応、医術師の資格も持っている。使え」
 そう言って、彼は部屋を出る。もう一人もそれを追って、扉をくぐる間際にああ、と声を上げて振り返った。
「黒服は大概が談話室にいる、気になる事があれば来ると良い。フェルも一緒にな」
「……ありがとう」
 フィレンスがわけも分からないまま言って、黒服は廊下に消える。白服達も顔を見交わし、どうしたのだろうかと思っていると、不意に新しい気配が現れフィレンスはそちらに視線を向けた。向けた先に現れたのは青い髪に翠の瞳の騎士。
「……何かさっき、殺気がしたんでちょっとやばいかなーと思って急いで来たんだけど、そんな事も無かった……のか? 黒服がことごとく消えてる気がしないでもないけどまさかこんな所でカッとなって人殺しとかし……てないよなフィレンス?」
 部屋の中を見渡して言ったクロウィルのそれを聞いて、フィレンスは眼を瞬く。そして唐突に、ふ、と笑った。
「私がそんなに破壊衝動に満ち溢れて猟奇殺人を起こしそうに見えるのなら、ご期待に応えて大惨状を作り出してやっても良いが?」
 その発言にぎょっとしたのは白服達だ。クロウィルは苦い表情を浮かべた。絶好調だな、と短く言って彼女に三つの封筒を手渡す。フィレンスはそれを受け取り、そのうちの一つを見て眉根を寄せた。クロウィルは肩をすくめて、そして白服達に視線を向ける。
「大変なことになりたくなかったら、早めに戻った方が良いぞ?」
 白服たちはそれを聞いて首を傾げた。一つ目の封筒を開け、その中に入っていた数枚の書類を取り出し眼を通していたフィレンスが、くすりと笑う。
「楽しいことが見たいなら、残っていた方が良いがな」
 更に疑問符を浮かべる白服たち。クロウィルは苦い表情を作ってみせた。
「それ完全に『お前個人にとって楽しい事』だろ……自分一人だけがあの被害を受けないからって、嫌がらせか。団の大概は被害受けてるぞ?」
「まあ、確かに私はこの上なく安全だがな」
 フィレンスは無表情で淡々と言う。書類をめくり、そして口を開いた。
「だが、もう遅い」
 瞬間、クロウィルが上を見上げて眼を見開いたと思った瞬間その姿が掻き消え、そして刹那の間を置かずその残像を漆黒の槍が貫いた。
「……なんだ、外したか。相変わらず逃げ足だけは早い……」
 静かな声が落ちる。降り注いだ黒い槍がはらはらと羽根に変じて散り、消える。フィレンスは再び書類をめくって、やはり淡々と言った。
「おはよう、フェル」
 紫の眼が彼女を見下ろす。フィレンスは視線を上げはせず、睥睨する視線はそのまま白服達を捉えた。心底楽しいと言わんばかりに、酷薄な笑みを象る。
「フィレンス、後ろのは?」
「今一目散に逃げ去った腰抜けはともかく、私の背後の通称人間と呼ばれるものを壊したら、さすがに団長に監禁されるぞ」
「その程度。……第一、神殿が許さんだろう。団も、神殿と王家には弱い」
「私も、その行動に悲しむくらいはするが」
「……なら、やめる」
 その腕に抱えられていた巨大な黒曜の杖が、漆黒の羽となって散る。その羽も床に落ちる前に空気に解けて消え、フィレンスは変わらず書類を確認しつつ口を開く。
「その寝起きの性格の悪さもそろそろ矯正しないとな」
「今はこの方が、色々と便利なんだがな」
「護衛師団の野郎共の口調言動行動その他諸々の影響を受け過ぎてるからな。王宮の行儀作法も完璧になるまで身に付けさせたはずなんだが。せめて寝起きであろうと敬語くらい使え?」
「面倒。それに、今は大公ではない、よって作法その他を守る必要も無い」
「確かにそうなんだが。流石に所属者に手を出すと長官が怖いから、それだけは覚えておいた方が良いぞ」
 それを聞いて、再び紫の眼が白服を見る。見られた方は見事に硬直し、そして少女はにやりと笑ってみせた。
「……肝に銘じておこう」
「それは良かった。……フェル、少し関わる用件があるから、絶対に手は出さずに待っててくれる?」
 フィレンスを見る。彼女はようやく視線を上げて、そして少女は溜め息をついてみせた。
「……つまらん」
「それで結構」
 言った、その姿が空気に解けるようにして消える。それを見送った紫の眼が、不意に所属者達を見て、ただでさえ何も言えなくなっていた白服達は今度は飛び上がった。脳裏に走るのは先ほどの魔法に込められた敵意。クロウィルに向かうものがあれほどなら、白服にはその数倍は軽いだろうと容易に想像が付く。
 紫銀は見るからに戦々恐々とする所属者を見下ろし、口の端を吊り上げてにやりと笑った。




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