蒼樹協会、執務室。扉を開いて一歩中に入ったクロウィルは、そこに立っていた先客を見てあれ、と呟いた。
「……なんでここにユールが?」
 一見ドレスのような、裾の長い藍色の衣装を身に纏い、身の丈よりも長い細身の片刃の長剣__太刀を背負った人物。その人は長い髪を揺らして振り返り、そして紅唇を釣り上げ片腕を上げてみせた。
「よ、クロウィル。白服着てっと何か別人みたい />な」
 護衛師団第八部隊隊長、ユール・リフィティア。そのユールと、何故か項垂れているヴァルディアとを見比べて、そしてクロウィルはその長官に向かって口を開いた。
「長官、 疲れ様です」
「本当にな……」
「おいおい、どういう意味だクロウィル? 女を蔑ろにすっと後が怖いぞ?」
「自分で言うか。しかもお前……」
 言いかけ、しかしクロウィルはその続きを溜め息として吐き出す。それを合図にしたかのようにユールは長官に向き直り、一転、表情に鋭さが現れた。
「……と、簡単に言えば危険な状態です。一般の町街に未だ被害が出ていないとは言え、各地の『巣』に高位『異種』が集結しているのは紛れもない事実。護衛師団の第八、俺の部隊は北方と西方が担当ですが、六十四人大隊を総動員させてもまだ手が回らない……協会の方にも協力していただきたい」
 ユールのそれを聞きながら、ヴァルディアは彼が差し出した資料に目を落としている。ユールが言い終えて返答を待つ間の沈黙、そしてそれを経て、長官は口元に手を当てた。
「……まずいな」
「は?」
 視線を全く別の方向へそらせて彼は呟き、それに対して聞き返したユールは眉根を寄せた。ヴァルディアは全く問題でもないような顔でその人を見上げて、そして言う。
「もう少し早く報せてくれると良かったんだが。……今まさにフェルとフィレンスがその『巣』とやらにいる」
「「…………はあ!?」」
 クロウィルとユールの声が被る。ヴァルディアは手に持った資料を机に広げ、その横に広がる地図の一点を万年筆の先で突いた。
「今日の朝言い渡した任務の場所だ。資料を見る限り、ここも『巣』だそうだが……」
 クロウィルはその地図と机の上の資料、調書であろうそれをざっと見て、そして驚愕に目を見開く。ユールはヴァルディアの指し示した場所、その地名を見て記憶をたどりながら口を開いた。
「ファスティア……周囲の町には別の隊から警戒に行ってるはずだけど『巣』には討伐に入らせてない……というか何で紫銀が!」
「……フェルは、今は蒼樹の黒服だ。私の部下である以上その任務を全うするのが目的、護衛師団の指図は__」
「長官、ちょっとストップ」
 ヴァルディアの言葉を遮り、クロウィルはユールを見る。見返してきたその頭を、彼は何の予告もなく殴り飛ばした。
「ッ、!?」
 ユールの身体が大きく傾ぎ、倒れる寸前たたらを踏んでなんとか転倒は逃れる。頭を押さえて状況が飲み込めていない顔でユールはクロウィルを見返し、そしてクロウィルは全く悪びれていない顔で、あ、と呟いた。
「ごめん、手加減したんだけど。ヅラ落ちたか?」
 ヴァルディアとクラリスが小さく、え、と零した。
 見ればユールの長かった髪は短くなり、床には同色の長い髪が散らばっている。そして当の本人は、殴られた側頭部を押さえ、落ちたウィッグを見下ろして、そしてクロウィルをじとりと睨み付けた。
「……どうしてくれる。自分の馬鹿力くらい自覚してろってんだこの阿呆コウハ族」
「二十歳にもなって女装してる奴に言われてもなぁ……」
 そのやり取りを横で聞いていたヴァルディアが無言で額に手を当て、項垂れる。何で関わる藍服は皆が皆こんなに個性的なのだろうか。ユールの反論が聞こえた。
「似合うから良いだろ、別に。俺は着たい服を着たい時に着るんだよ、そこに性別が関与する余地はない!」
「力説すんな! ったく……それよりも、フェルのことは団長から言われてんだろ」
 言うと、彼は目を細める。カツラを拾い上げながら、舌打ちを響かせた。
「全員が全員納得してるとでも思ってんのか? 可愛い妹分がわざわざ危険な場所に行って傷作ってくるの黙って見てろってか。冗談じゃねぇ」
「黙って見てろって言ってるんだよ。フェル自身の意志でもある」
「……残念だけどな、俺はそこまでものわかりの良い方じゃないんだよ」
 言う途中、その視線がヴァルディアに注がれる。半ば敵意をはらんだそれを、だがヴァルディアは冷静に受け止めた。
「……少なくとも、私は蒼樹の長官としてあれが戦力になると判断した、だから黒服として認めただけの話だ。そこに何の不正もなければ贔屓をする理由もなし、フェル自身がそうと分かってここに来ている以上紫銀だからといって特別扱いはしない」
「は、どうだか。だったら先の一件だって何故第二の関与を許したんだ? それで得られるものが多かったからだろ? 戦力じゃない、『紫銀』を餌にしたかった。違うか?」
 クロウィルはユールに向けていた視線を、ゆっくりと長官へと向ける。ヴァルディアは依然として表情を崩すことなく、その様子にユールは肩をすくめてみせた。
「……ま、フェルのことは第二に任せっきりだからな。俺の口出すところじゃないし」
「警告程度には受け取っておこう。私は護衛師団に嫌われているようだからな」
「嫌われてると言うより、信用ならない、だけどな、俺としては。お友達としては大歓迎?」
「女装が趣味の友人は要らん」
 賢明な判断だ。クロウィルは即座にそう思いながら、そっと安堵の息をつく。一触即発の空気が消え、充満していた殺気も今はなりを潜めていた。ユールはヴァルディアの言い様にぶつぶつと何か文句を呟きながらウィッグを被り直す。
「さて、一応協力してもらえるみたいだし、帰るか」
「勝手に完結させんなよユール……」
「え、だって団長に何が何でも協力取り付けてこいって言われたんだもんっ」
 可愛らしくてへ、と笑ってみせるユール。ちゃんと可愛らしい女に見える分、クロウィルは強かにその頭を殴り飛ばした。
 倒れていくその姿を視界の端に収めつつ、ヴァルディアは静かに言う。
「……クロウィル、脳震盪を起こさない程度にな」
「ああ、こいつ石頭だから大丈夫。むしろ俺の拳のが痛い」
「おいクロウィル……仮にも隊長にこの仕打ちはなんなんだ……?」
「お前が隊長だってことを一番否定したい俺にそれを言うのか?」
 言ってクロウィルがヴァルディアに視線を向けると、長官は呆れた顔をしながらも頷いて見せた。執務机に手をついて起き上がったユールもそれを見て、ずれたウィッグの据わりを直して、にっ、と笑う。
「……さっすが『蒼樹の長官』、先が見えてるな」
「後々までユゼやらフィレンスやらに文句を言われたくはないからな、一種の保身だ」
「またまたぁ」
 ユールが茶化し、ヴァルディアは何も言わず肩をすくめてみせる。それらを見たクロウィルが息をついて、そして長官に視線を向けた。
「で、いいですか、報告」
 言葉の改まった彼のそれに、ユールが一歩下がる。ヴァルディアもそれを聞いて資料を取り出し、彼を見た。
「ああ、どうだった?」
「紛れもなく新種です。今までとは違い過ぎる、……とてつもなく強い」
 クロウィルのそれにヴァルディアは目を細める。詳しく、と短く先を促す彼に、クロウィルは記憶をたぐり寄せながら口を開いた。
「これは俺の主観になりますが、恐らくは騎士向きの『異種』ですね。魔法のほとんどは弾かれるか吸収されるか反射されてました。通用するのは、氷くらいだったと……黒服の連中は今手当受けてるんで、後で来させますが」
「お前は大丈夫なのか?」
「はは、本気出しましたんで。さすがにびっくりされて、ちょっとな」
 逆に言えば、本気を出さなければならない状況だったと言う事だ。クロウィルは白服の時、その力を意図的に抑えている。協会を軽んじているわけではなく、その力を大衆に知られれば護衛として成り立たなくなる部分が出るからだ。彼は特に自分の力を他人に見せる事を好まないが、それは第二部隊の性格でもある。
 クロウィルはフィレンスのように他の所属者と隔絶しているわけでもなく、逆に良い意味で上手くなじんでいる方だから余計に衝撃だったのだろう。
 だがそれが彼の実力を現している。蒼樹の中でも実力を持つ者だけに手渡した任務、その中でクロウィルだけが負傷もせず疲労もせずに帰還している。
 だからこそクロウィルを向かわせたヴァルディアだったが、口に出しはしない。
 他の細々とした情報を全て頭に入れて、ヴァルディアは頷く。
「分かった。速急に対策を立てる必要があるな……クラリス」
「緋樹に鷹を、ですね」
「ああ。心の底から嫌だが、あいつの力がいる。白樹と紫樹にもだ、あるいは集まらないと意味が無いかもしれない……私は王宮に行く」
「了解致しました、では補佐にそのように伝えます」
 クラリスはヴァルディアから幾つか書類を受け取って、そのまま回廊へと消える。ユールが外套を手に取ったヴァルディアを見た。
「今行ったら大臣とか宰相とかに腹黒い笑みで歓迎されるんじゃないか?」
「慣れている。そんな事を気にしている様ではここの長官なんてやっていられないからな」
 ユールは無言を返す。少し考えるように視線をそよがせて、うん、と頷くと、彼は軽く首を傾げて再び口を開いた。
「ヴァルディア長官殿、面と向かって悪口を投げつけられたり陰口叩かれたりしたら、どう対処する?」
「笑顔と皮肉は最大の武器だが?」
 ふ、と笑ってみせるヴァルディアに、問い掛けた本人は、げ、と潰れた声を上げた。
「……マジかよ」
「何なら団長に確認してみろ。あいつは全部知ってるからな……さて、クロウィル」
「え、はい?」
 二人の会話に全くついていけなかったクロウィルが、唐突に名を呼ばれて長官を見る。ヴァルディアは机の上から書類を手に取って、そしてそれをクロウィルに突き出した。
「次の任務だ」
 一拍。
 そして肩を落としたクロウィルは、渋々とそれを受け取った。



 詳細が聞きたいから来い、とユールに言って、クロウィルは執務室を出た。ユールは、本当はフィレンスに見せるのが先なんだけどな、と言いつつも手に持った資料を手渡す。
「俺のとこの小隊が、三日前に王都周辺の森に巡回に入った時に壊滅した。それが始まりだな」
「壊滅……って、お前のとこの隊員って上位ばっかりのはずじゃ……」
「そう、だから不審に思って俺自ら調べに行ったら、高位『異種』ばっかりが大量に蠢いてた、と。更に調べてみたらそれが国中で起こってて、他国でもそうらしい。俺の隊、大隊三隊の合わせて総員百九十二人……小隊が一つ潰れたから百八十六人か。それを中隊で動かしてもキレナシシャスの全ては手が回らない。だから各長官にこうやって協力を仰ぎに来たわけだ」
 ユールが隊長を務める第八部隊は警邏隊と呼ばれる。護衛師団の中では王都の護衛という役目を持ち、その延長で各地の手に負えない高位『異種』の討伐も行う。そのため、国王の護衛を行う第一部隊とほぼ同等の力を持つ隊員が約二百名も集まる、巨大な隊だ。
 その隊長が自ら蒼樹に着たという事は、それだけ蒼樹が師団の中で高い評価を得ていると言う事だろう。しかし、だからと言って喜べる状態ではない。今のこの状況は__
「……フィレンスには?」
「俺が伝えに行く、団長から別件も預かってるしな。お前はフィレンスから命令があるまで待機」
「分かった」
 眼を通し終えた書類をユールに突き返し、クロウィルは短く言う。そして唐突に、ああ、と声を上げた。
「さっき長官と話してたの、なんだったんだ?」
「んー、アレか? 恐らく俺以外にあの会話でそうと分かる奴はいないから、気にするだけ無駄だ」
「……言わないつもりなら最初からそう言ったらどうなんだ?」
「俺がそんなに素直な性格してると思ってんのか?」
 即答。クロウィルは溜め息をつき、だがそれ以上は何も言わなかった。それを見てユールは笑う。
「あはは、いい加減学習しろよなクロウィル。数年とはいえ俺とお前とじゃ生きてる年数違うんだからな、その分考えろって」
「たった三年だろ……」
「その三年、俺は人に言えない悩みを抱いて苦しみに耐えて生きていた……っ」
「信用できるかこの道化」
「道化で結構。人を楽しませそれ以上に自分自身が楽しむのが俺の人生だ!」
 駄目だこいつ。クロウィルは瞬間的にそう思った。
「さてっと、俺はそろそろフィレンスの所に向かうとして……クロウィル」
「なんだ?」
「さっきのな、俺が長官に聞いた質問、機会があればフェルに聞いてみろ。面白いぞー」
「……何が?」
「それはフェルの答えを聞いてからのお楽しみ。俺はもう聞いた事あるけどな、じゃ」
 軽い調子で言って、ユールが背を向けたと思った瞬間その姿が消える。クロウィルはすぐに視線を前へと戻して、軽く首を傾げた。
 フェルに同じ質問をして、何が面白いのか。
 そう思いながら歩いていると、唐突に声が聞こえた。
《……クロウィル》
「……ラルヴァール? どうした?」
《俺たち、フェルの所に行った方が良いか》
 歩きながらのその問いに、しかしクロウィルは即答が出来ない。息をついて、そして口を開いた。
「駄目だ」
《どうして。こういう時の為に俺たちは……》
「フェルは今は黒服だ、フェル自身がフィレンス以外を付けないと言ってる。黒服を着て行動する以上、遭遇する敵は協会の管轄内で処理すべき事……わかってるだろ?」
《いいのか、それで?》
「俺は、理解はしている」
 それこそ、本当の意味で納得はしていないが。
 言外にそう告げて、クロウィルは溜め息をついた。ラルヴァールは釈然としない様子で更に言う。
《『異種』が自然状態で一所に集まるなんてない、縄張り意識の塊みたいな連中だろ? 裏で誰が糸を引いているとも限らない、その時は__》
「隊長が片をつける、それだけだ」
 ラルヴァールのそれを遮るようにクロウィルは言い放ち、それ以上の問いの一切を振り切るように足早に回廊を進み、自室に戻る。そのまま背の大剣を降ろして、ソファに腰掛けて手入れの為の道具に手を伸ばした。
 鞣し革で刀身を拭いながら、溜め息をつく。第二の隊員たちは無力感を感じているだろう。全員がラルヴァールのように思っているに違いない、だがそれは何があっても許可できない。
 そもそも紫銀に護衛が必要なのかと、フェルがそう疑問に思っている。協会の中では何も言わなかったが、教会の敷地から黒服として出る段階で、フェルは自分でそれを言っていた。護衛は最低限、通常時はフィレンスのみ、と。
 クロウィルも例外ではない。そしてフィレンスが一人でフェルに付いている今、隊員たちを抑えなければならないのは副隊長であるクロウィルだ。
「……なーんかな……」
「やるせないってか」
 唐突に聞こえた声にクロウィルは深く項垂れた。顔を上げるのも嫌になる、この声。
「……なあユール、どうでもいいからもう帰ってくれないか?」
「一つ伝え忘れた事があって戻って来たんだよ。いやぁ、青春だねぇ。王宮に行くたびにいたいけな女の子を何人も食い物にしてる男と同一人物だとは思えないな」
「喰い物にはしてねぇよ、ちゃんと断ってる」
「女泣かせには変わりないな、いつか恨まれるぞ? まあ、恋敵が紫銀じゃ手の出しようもないか」
 沈黙が落ちる。深く息をつく音は、クロウィルのものだ。
「……お前はそんなに俺を惨めな気分にさせたいんだな?」
「ああ失礼、まだ『恋』なんて感情理解できてないもんな、フェルは」
 ユールはにやにやと笑いながら言い放つ。クロウィルは溜め息をついて頭を振り、剣の手入れに戻った。手を動かしながら、口を開く。
「で、伝え忘れた事って、何だ?」
「団長からの、伝言」
 言うユールの表情に険しいものが滲む。顔を上げてそれを見て眉根を寄せたクロウィルに、ユールはごく短いその『伝言』を口にする。
 それを聞き終わらないうちに、クロウィルは眼を見開いた。




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