禍楽を追って走るが、足元の悪い森の中でそう思うように疾走できるはずもなくフェルは内心舌打ちしたい気持ちになった。並より体力はある方だが並と比べればの話だ、魔法使いの中では体力的にかなり下の方に位置するのではないだろうか。
「もっと体力つけておくんでしたね……」
 息が切れ、森の奥へと姿を消す過楽を見ながら足を止める。すぐさま紡いだ魔法をそのうちの一匹に飛ばし、フェルは膝に手を当てて深く息をついた。探知魔法だ、これで居場所が分かる。
「……というか最初からやっておけば良かったんじゃ……」
 荒く喘ぐような呼吸を整えながら、その合間に誰とはなしに呟く。瞬間的に自分の判断の至らさなさに頭を抱えたくなったが、すぐに気を取り直す。息を整える為にゆっくり息を吸って一旦止め、ゆっくりと吐き出して、そして魔法の気配を辿る為に歩き始めた。
 探知魔法と言ってもその居場所や状態が完璧に把握できるわけではない。せいぜいそこにいるのではないかと言う方角が分かる程度だ、近付けばその分正確にはなるが、それでも完全にはほど遠い。
「そう言う面は不便と言うか……まあ仕方のないことですけど」
 戦闘に特化した魔法は、特化している分様々な形に改変されて現在の形となったものが多い。あるいはその為だけに作り出されもする。しかしそれは、攻撃魔法や補助、結界魔法が改変しやすく作り易い魔法だと言う事も示している。
 逆にそれ以外の魔法は、一度成立してしまえばその後改変されることはまずない。今の探知魔法にしてもそうだ、改変のしようがないと言った方がより正しい。何かの特別な効果を利用する為に、できる限りを尽くして作られた魔法、それよりも良いものを作ろうとしてもできない方が多い。それは誰であってもそうだ。作り手の智識が足りずに効果が不完全になることはほとんどない、魔法を一から構築し成立させ扱えるようなら智識が足りないと言うことはない。魔法を作れる時点で膨大な智識を必要とする、空で構築できるのなら、尚更。
 フェルも一応は魔法構築もできるが、一応でしか無い。自分では言いたく無いから一応と言わないだけで、下地となる魔法があり、その理論を利用し転用してやりくりしているだけだ。そうやって作った魔法の方が圧倒的に多い。全てを一から構築し、成功した魔法は一つだけ、十法師の法師試験の時に課題として提出した傀儡生成の調合法だけだ。
 魔法は日常生活に近付くほどに硬質になる。灯を灯す程度なら多少練習すれば誰でもできるが、それは全て決まり決まった手順を踏んで行う低位の魔法だからだ。丁寧な説明書があれば簡単に理解できる、そういう魔法もある。だが全てが決まってしまっているのなら網の目をくぐり裏をかくことも難しい、そう言う事だ。
 歩きながら、周囲に視線を巡らせる。先程の戦闘から、どこか違和感が拭えない。どこかで感じた事があるような感覚を覚えて、フェルは僅かに眉根を寄せた。
 瞬間、遠くで魔法の爆ぜる音。考えるよりも速く駆け出した。探知魔法が消えた、その場所は近い。最後に感じたその場所へと走り、太い幹の樹の横をすり抜けた瞬間、視界の端に白いものがかすめた。
 視線を向ける。向けた先にあったのは、禍楽の屍骸。
「、ッ!」
 思わず足を止める。しかしそれ以外に何ができるわけでもなく、フェルはただそれを見やった。
 おかしい。『異種』の屍骸は残る事がないのだ、倒れればそのまま砕けて消える。それは『異種』の中でも特に異質な禍楽でろうと同じ事、しかし。
「……やっと、だな」
 唐突に背後から響く声。とっさに手に杖を喚んだフェルが振り返った、そこに。
 ただ当然のように立っていたのは、白い豪奢なローブを身に付けた、真紅の瞳と髪の男。一見すれば女にも見える中世的な顔立ちのその人は、疑念の表情を浮かべたフェルを見て息をついた。
「フェルリナード、か。ようやくここまで来たな」
 問いと言うより、確認の声。更に意味の通らない言葉を投げかけられて、フェルは我知らずのうちに杖を握る手に力を込めた。今瞳は紅くなっている、それなのに何故『フェルリナード』だと分かったのか、疑問と疑いが同時にわき起こる。
「……どうして、私の事を?」
 それを聞いてか男は軽く目を見張り、そして深く溜め息をつく。強い癖のある紅い髪を鬱陶しげにかきあげて、そうしながら小さく呟いた。
「覚えてない、か……いや、忘らされてるだけか」
「え……?」
「フェル、どうしてこの国に留まる」
 唐突な問い。フェルが眉根を寄せるのを見て、男は更に息をついた。
「今までこの国がやってきた事は知ってるだろ。それなのにどうしてここに留まる?」
「……どういう事ですか」
「そのままの意味だ」
 言う彼が一歩、足を踏み出す。フェルは無意識に足を引いた。脈絡も無く、不吉だ、と思う。男の身に纏う白いローブ、白は死の色なのに。
「紫銀を飼う国家、それに何の疑問も抱かない国民……何もかもが同じだ、何の進歩もしていなければ、悪化すらしない。悪くなれば崩れて終わるのに、それすらしない往生際の悪さ」
「…………あなたは、誰ですか。どうしてそんな事を」
 男はそれに対しては軽く息をついただけで、答えないまま足を踏み出す。たった数歩のうち、フェルが距離を置く間もないほど素早くすぐ近くまでに近付いて、そして彼はフェルの銀の髪の一房に指を絡めた。足を引くにも引けなくなったフェルに、男は気怠そうに口を開く。
「キレナシシャスの歴史は、知ってるな」
「……?」
「なら、こういえば分かるか……俺は、言うなればお前の先輩だ」
 フェルはそれを聞いて眉をひそめる。一瞬その意味を取りかねて__そして、ゆるゆると訪れた驚愕に瞠目した。
「……そんな、とうの昔に、亡くなったと……」
「一度は死んでる、確実にな。あのまま生きてたらさすがにバケモノだろ。……俺自身はもうとっくの昔に忘れてたけど、お前が二十七代目の紫銀なら、俺は二十六代目だ。ジュスリエス・フォン=アーヴィ」
 言って、真紅の髪と瞳のその男は、少し考える風に視線を横に投げて、そして再びフェルを見て、言った。
「……ジュセって言った方が、分かりやすいか?」



 遥か昔に、この国に現れた紫銀は少年。史実書には書かれていなくとも、少し調べれば容易に分かるほど、彼は『常の』紫銀とは異なっていた。短すぎるほど短い髪。鏡を覗く事すら稀で。
 それが示すのは、紫銀に対する憎悪。自身に対するそれだったと、ほぼ全てがそう述べている。しかし彼もまた、常の紫銀がそうであるように、唐突に姿を消した。『怒られそうだからそろそろ行く』と、不可解な言葉を残して、たった一人でどこかへと向かい、そして二度と帰って来なかった。慣例通り三十年が経って、正式に葬儀が行われたのが、おおよそ二千年前の事で。
 __紫銀は死なない。だが人間である以上、寿命は存在しそれを覆す事は出来ない。
「まあ、今はもう『紫銀』じゃ無いけどな。見ての通り、通り名も『真紅』だ」
 __だがそれも、人間であればの、仮定の話。
「どうやら紫銀の中でも火に近い紫銀だったらしくてな。ほんと転生してまで紫銀だったら生まれた瞬間首括って死のうかと考えたけど」
 あっけからんと言ってみせる彼に、フェルは何も言えないままだった。驚きも度を超えると何も感じなくなるのかと、間違った感想を抱く。そのフェルを見て、彼も眼を瞬き、きまりが悪そうに真紅の髪をかき混ぜた。
「……と、やっぱ驚くよな。でもフェル、俺が元紫銀ってのは本当だ、嘘じゃない。ついでに言うしもう気付いてると思うけど、人間ですら無い。それは分かるな?」
「……え、と……はい」
 問い掛けられて、完全に停止していた思考がようやく回り始め、フェルは小さくそれだけを答える。感じたのは途轍も無い気まずさだ。彼はフェルのそれを聞いて察したのか、苦笑を浮かべた。
「で、さっきの応酬は無かった事にする。いいな? 俺が話しかけた時のお前の反応は、ありゃ当たり前だ。不敬とか気にすんな。むしろ喜んで寄って来たりしたら俺が逃げるぞ……ともかく」
 言って髪を弄くっていた手を離し、かわりとばかりにぱす、と頭に手が置かれる。見上げると、彼はに、と笑んだ。
「今の俺として、自己紹介しとくな。ジュエラシェーゼ・シャナクァーア、呼び名はそのまんまジュセだ。火の主ヴィディウスの息子にして『賢者』、真紅の者」
「……え?」
「ヴィディウス、は分かるよな? 俺のとーさんだけど。炎の龍神」
「……え、は、ええ?」
「俺もどーしてこうなったか知らねーけど、気付いたらそうだったんだ。細かい事知りたいだろうけど、説明できなくてごめんな」
 言いながらぐりぐりと銀色の頭をかいぐり、ジュセは笑う。フェルは毒気が抜かれたような顔で彼を見ていた。
 なんだろう、驚いている間に色々と主導権を握られるがまま話に流されている。というか龍神達にあった独特の雰囲気が存在しない。『賢者』って確か、『漆黒の大賢者』の補佐のはず、かなり高位の神のはず。__どうして、紫銀とは言え人間の前に、前触れも無くひょこひょこと現れられたんだ。
 フェルが無言の下でぐるぐると似たような事を延々と考え続けているのを察したのか、ジュセは肩をすくめてみせた。その仕草も妙に人間臭くて、余計違和感が募る。
「で、今日は特に用事もないんだ。近くを通りかかったんで見に来てみただけ、これからまた会う事もあるだろーし、よろしくな、フェル」
「あ、の、えっと、……ジュエラシェーゼ、様……?」
 フェルが言った瞬間、ジュセの手がとまる。かいぐりしたせいでぼさぼさになった髪を丁寧に整えて一息入れて、そして彼はフェルの両頬をむに、と摘んだ。
「ジュ・セ」
 フェルが目を見開くと同時に彼が言う。唐突なそれになんと反応したら良いのか分からないままただ眼を白黒させていると、ジュセは長身を屈めてフェルと目線を合わせた。そして真紅の瞳で紫の双眸を射抜く。たがそれでも、威圧は無かった。
「ジュ・セ」
 再びそれだけを言い、フェルの反応を待つように沈黙する。フェルは彼の言わんとしている事にようやく気付き、しかし逡巡しながら、彼のその手に自分にそれを軽く重ねた。察した彼がフェルの両頬から手を離し、そしてフェルは気まずそうに一歩下がって、それでようやく口を開いた。
「……え、と、……ジュセ、様……?」
「……まあ妥協してやろう。まあ俺はお前が素の口調でも全然平気な方だし?」
 それにフェルは文字通り飛び上がり、そして硬直した。見上げるとジュセは面白いものを見るかのような視線をフェルに寄越し、そして次の瞬間破顔する。
「はは、緊張すんなって。実際カミサマなんて下界に出て来れる機会を虎視眈々と狙ってる脱獄犯みたいなもんだぜ? ああ、出て来れてない時点で脱獄犯じゃないか、まあいいとして。質問、あるか?」
 再び唐突な問いを投げかけられて、フェルは瞬いた。唐突すぎて、とっさに出て来ない。
「……え、っと……今、の方が、良いでしょうか……?」
「あー、うーん……実は『大賢者』の眼ぇ盗んで行動してるんでな、そんなに時間無いんだ。あいつ気紛れで短気だから、ばれたらちょっと……」
「……いいんですか、それ」
「いや、まずい。すんごくまずい」
 言った彼は、しかしからりと笑みを見せる。本当にまずいと思っているのかと問えばそんな事は無いだろうが、さすがに聞く勇気はなかった。
「ま、考えといてくれれば、今度あった時にでも」
「……あの、最初のは……」
 話を切り上げようとしたジュセに、今度はフェルが問い掛ける。彼はそれを聞いて、改めてフェルに眼を向けた。瞬間、ついさっきまでの親しみやすさが消え、鋭利なものを感じて思わず足を引く。ジュセはその反応に苦笑を見せた。
「気にすんな、お前が納得してるんだったらそれで良い」
「……でも、ジュセ様は、この国を出て……」
 言いかけたフェルの頭をジュセがまたくしゃりと撫でる。まるでその先の言葉を遮るように、そうして彼は口を開いた。
「俺とお前との違いはそこだな……俺は、当時の宰相には感謝してる、でもこの国は、はっきり言って嫌いだ。お前はこの国が好きだろ? 温厚な王のおかげかもしれない、優しい護衛師団のおかげかもしれない。だから、お前と俺とは違う。……行き着く先も、きっと違う」
「__え?」
「俺は逃げたんだよ、自分から。紫銀が嫌いだったから。エシャルの力を借りて、天秤を捨てて炎になった。きっとお前は違う、投げ出したりはしない……いや、出来ない筈だ。俺の知ってるお前ならな」
 頭を撫でていた手が、唐突に左手首を掴む。そこに巻かれた銀の鎖、それを掴み、強く引き寄せる。急なそれにフェルが眼を見開くよりも早く体勢を崩しかけ、ジュセはその刹那にフェルの耳元に何かを囁いた。そしてフェルが聞き返す間もなく手を離しそのまま素早く数歩距離を置く。
「ま、何か気になることがあれば、近いうち大賢者と一緒に行くからその時にでも」
「え、え?」
「それと、お前の一番近い奴に、いい加減にしとかないとそろそろ黒いのキレるぞー、って伝えてくれ。__ちぃ!」
 今のは、と言いかけた言葉が突如襲いかかった暴風に攫われる。ジュセが森の中に呼びかけたその瞬間、現れたのは白い獅子__
「じゃ、仕事頑張れよ、フェル」
 叩き付けるような風からとっさに顔を庇った腕、その間から何とか見た時には、白い姿は消えていた。
 驚きのあまり眼を見開いたまま、呆然と風が通り過ぎるのを感じる。数十秒の後、ようやくゆっくりと思考が回転を再開した。
 突然現れた賢者。何だかよくわからない、言ってしまえば身の無い話をして、唐突に消えて行った。ちぃっていうのは、一瞬見えた白い獅子の事なのか、何だか全然小さくなかったけど。むしろすごく大きかったけど。
 とりあえず、誰か。
「……誰か、説明してくれ……」
 頭を抱えたくなった。



 全ての気配が途絶えたのを感じて、彼はほんの僅かに口の端を吊り上げた。これくらいで倒れられたのでは、後の策に影響が出る。
「まあ、片方は……異様に早かった気もするけれど」
 一瞬で片を付けられてしまった。あるいはそれくらいの力はあると、こちらに見せたかったのか。子供らしい考えも持っているのだなと思うと、小さな笑いが口から零れた。
「まったく、『ツェツァ』とは思えないね……」
《……ユーディス様》
 その声に、彼は目を細める。そのまま樹の幹に背を預けて目を閉じ、報告を促した。
「帰って来たかい。それで?」
《どうやら、どこかで遮断されているようでございます。天界へは、彼の気配は伝わっておりません》
「遮断? そんな事が出来るのは、……いや、クセルならできるのか」
 いないのではと言いかけ、しかし脳裏に浮かんだのは一人の男。自分と同じ色を持つ、計り知れない力を持つ者。答える声もやはりそれを肯定する。
《可能か否かと言えば、恐らくは。しかしあの方の魔力でもありませんでした》
「どうせ他にも配下やら何やらを作っているに違いないよ、僕達も使われているだけだろうしね」
《……》
「……なんだい、事実を言った、それだけだよ?」
《最近、皮肉を仰る事が多くなりました。何をお考えなのです》
 その言葉に彼は低く笑う。うっすらと開かれた瞳は、しかし冷たく無機質に問いを放った。
「僕の配下である君が、気にする必要のある事だと?」
《……出過ぎた事を。申し訳ございません》
「まあ、別にどうでもいいけどね。それで、漆黒は今頃どうしてるんだい?」
《様々な場所を巡っているようです。賢者も同道しているとの事、途中で一旦離れたようですが……》
「賢者がどうしているかは分からないんだね」
《申し訳ありません》
「いいよ、賢者には興味ないから。こっちに迷惑をかけてくれさえしなければ、僕が排除する理由もない」
 それこそ、誰が誰を殺そうと、策に影響がないのなら自分がそれをとめるいわれもないが。そう思って、再び眼を閉じた。息をつく、楽しげに。
「ああ、楽しいねぇ、ファーレ。彼等が動けば動くほど、僕にとっては優位に働く」
《……》
「そのうち自分で自分の張った蜘蛛の巣に、なんて、どれだけ滑稽な展開だろうねぇ……駒は後一つ、引き金は……」
 瞼をゆっくりと持ち上げる。見下ろした先、雪に覆われた枝葉の、その下には。
「宿主が貶められ危機に陥れば、君だって出て来ざるを得ないだろうね……『ツェツァ』」




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