交錯する。鈍色の鎖が、急に重さを増した。何かが聞こえる、二人の声。
「フェル、動け!」
 叱咤の声に我に返る。瀕死の『露核』の姿を眼前にして、だがこれほどの至近距離で何ができる。なけなしの思考が判断を下し半歩足を退く。だがそれで避けられるわけでもない。妙にゆっくりと流れる景色をただ眼を見開いて見ていると、刹那白いものがそれを遮り強い衝撃とともに体が投げ出された。
「何してる、馬鹿!」
 フィレンスの声。冷たい地面の上で受け身をとって、それでも勢いは殺しきれずよろけながら地面に手をついて跳ね起きる。呼吸が止まっていた事に今更気付き、喉から空気が抜けて行くのを感じながら手に杖を喚んだ。後退したフィレンスの紅い瞳が細められる。
「死にたいのなら余所でやれ」
「っ、……すみません」
 は、と短い息を吐く。手首にかけられた三重の鎖に触れて、視線は敵に向けたままそれを握った。力を込めた途端、弾かれる。__外せない。無理矢理切る事もできるはずなのに、何かに守られているのかそれができない。触れる事は自体は何ともないのに、断とうと思うと弾かれた。
 『鋼を磨けば銀になる』、何故あの時気が付かなかった。長官は分かっていたのか、だとすると彼は一体。
 フィレンスが手を止めたフェルを見やり、そして視線は敵へと向けて問いかける。
「……どうした、端から見ても荒れてるよ」
「意趣返しですか。……ちょっと、長官の策にはまってます。意味が分かりません」
「長官の?」
 頷く。だがそれ以上続ける間を置かず襲いかかる露核をフィレンスは避け、フェルは結界を築いてそれを弾きそのまま距離をとった。その流れのまま手に炎を喚び、杖を打ち払う。
「『紅炎の其の六、空に挑む者“フィツェリア・ディス”!』」
 金属を打ち鳴らしたかのような甲高い音と共に放たれた炎が二体の露核を包み込む。ひしゃげた叫び声が響くのを聞きながら、ほとんど何も意識しないままフェルは陣を展開した。巨大な円陣が姿を現し、間を置かず強い光に満ちる。
「『重ねて請う! 天を舞う者の翼花開き、虚空を覆いて星穿つ! 来れ流麗の響き、“リフューレ・アスィア”!』」
 暴風が駆け抜け銀色の髪が舞い上がる。まだ『異種』に絡み付いて離れなかったままの炎が風を受けて一層燃え上がり、飛び散った水が瞬間的に蒸発していく。大きく羽ばたいてそれを振り払った露核が何度目か水に刃を放つのを見て、フィレンスが地面を蹴り透明な体を貫いた。そして突如空襲に飛び上がったのは無数の炎の槍。
「『偉大なる王の慈悲、闇を廃する光の使徒よ! 滅せ“ルフェリアス・エン・コーゼア”!』」
 ひび割れた『露核』の体を貫き、炎の槍が水面に『異種』を縫い止める。貫かれた瞬間硬直し、痙攣するように震えた『露核』はそのまま硝子が弾けるように砕け散り、半ば実体を持たない破片が降り注いだ。
 それを見届けたフェルが詰めていた息を一気に吐き出す。まるで全力疾走でもした後のように息切れた呼吸を無理に喉で押さえ込み、しかし足らずに胸元に手を押し当てる。無理矢理呼気を整える。耳の奥の鼓動がうるさい。
 一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。残った最後の露核を真正面から見据えて、浮遊するそれが放った礫を結界で弾いて雷を呼び起こす。放ったそれに怯んだ露核が大きく後退し、追った剣が深く抉り降った槍が半透明の体を地面へ縫い付けた。
 距離を取ったフィレンスは軽く息をつく。すぐ傍のフェルに横目を向けると、視線の合った途端に逸らされる。
「……端的に?」
「ほんとに意味分かんないんです」
 再び手首を飾る華奢な鎖に触れる。本来身に付けない色__紫銀は本来魔法使いには向かないと言われる。元々が銀と紫、拮抗する色同士で反発し合い、安定しないからだ。そこに銀が入れば、一気に崩れる。だから銀を身に付ける事は極力避けているのだが。
「……どうしてこんな事になったんだか。露核ってもっと小さかったと記憶してるんだけど」
 槍を振り払おうともがく露核を見ながら言ったフィレンスが示したのは腕で抱える程度の円。しかし目の前のそれは、明らかにひと一人よりも遥かに大きな体を持っていた。フェルもそれを見て軽く顎を引いて肯定する。
「確かにそれくらいだったと思います。他の『異種』の気配もずっとしませんし、もしからしたら食べちゃったのかもしれませんね」
 異形を『異種』と一口に呼んでいるとは言え、その中の種別は様々だ。種別が違えば争いがある。争った結果、力の勝った方が相手の力を得るために『喰う』事もある。そうしていく事で、進化__より強く変貌していく。
 それを茶化して言ったフェルに、フィレンスは何とも言いがたい顔をした。
「……仮にそうだとして、標的が減ったのは嬉しいけどさ」
「とりあえずこれ倒せばさっさとここから逃げられるってことです。ちょっと長官を問い詰めたい事柄もありますし」
 言うと、フィレンスは少し考えるように視線を上向ける。すぐに直して、そして軽く眉根を寄せて口を開いた。
「……何があったのさ?」
「えーっと……罠ですね。何か知識を試されたような気がしてなりませんが」
 言って、息をつく。露核は魔法で作り出された槍をようやく振り払って空中へと舞い上がる。そしてそのまま滑空し襲いかかった先のフィレンスは軌跡から体をずらして避け、フェルは結界を築いて受け流す。その勢いのまま再び空中へと浮かび上がった露核に向かって、フェルは杖を向けた。
「『“レテュアーレ”! 冷酷なる者よ!』」
 放ったのは颶風を纏う炎の矢。硬質な翼のように広がった腕の部分に突き刺さったそれが爆炎を吹き出し、さらに周囲の空気を巻き込んで肥大化する。更にフィレンスが放った風の礫がそこに襲いかかる。焼き尽くす音とともに霧状のものが吹き上がり、しかしより高く羽撃いた露核の元へと瞬時に戻っていく。フィレンスが僅かに目を細めた。左手に長剣を持ち替え、右手に取り出したのは鍔の無い短剣。
「フェル、質問。構築陣を飛ばすのってどうするの?」
「グラスィアを二倍にしてリフェールの値を敵との間の距離ぴったりにした上で感覚を魔法それ自体と同調させればいいんですが、即席でできます?」
 フェルはそれに対して流れるように答え、同時に問いを投げる。それに応えて彼女は僅かに頷き、フィレンスの腕にはめられた腕輪が呼応するように光を帯びた。そして剣の柄にある宝珠にぼんやりと光が灯る。
「多分ね。魔力もらうよ、……『響け、“ラフェリア”!』」
 短く鋭い声とともに投擲された刃が、露核に到達する寸前に構築陣を吹き出す。眼前に広がったそこから放たれた疾風の奔流に水の破片が飛び散り、そこにもう一つの詠唱の声が響いた。
「『ここに在るを我が許へ! 迅雷駆け抜け炎花と成し、灰となりしは地に落ち還る! 終焉の恋歌、恋い焦がれる者“アフェリエーリゼ”!』」
 瞬間天空から赤い雷が迸り炸裂すると同時に炎が舞い上がる。それを見る最中、視界が強く揺らいだ。とっさに杖の柄を地面に突き立てて耐える。息を吐いた。
「……制御利かなくなるなんて、暴発まっしぐらじゃないですか……」
 完全に銀に傾いている。これが長官、あるいは長官にこの鎖を言付けた人物の狙いなら、目的は暗殺だとしか思えない。取り出した魔石を口へ入れて強制的に魔力を回復する。水と聖、一時的にでもバランスが戻れば良い、敵は後一体だけ。
 自然と俯けられていた視線を上げれば、宙を飛ぶ力を失ったのか凍った水面の上で水の槍を四方八方へと放つ。フェルが張った結界でそれをやり過ごしたフィレンスの剣が空を裂いて振り下ろされる。フェルはそれに続くために杖を握り、
 瞬間、不意に視界に入る赤。遠い、だが明確な気配とそれが向かう先を見て、そしてフェルは目を見開く。我知らずに、叫んだ。
「フィレンス、避けて!」
 同時に、いや、一瞬早く放たれたのは無数の氷の刃。剣を振り抜いた直後の不安定な体制で悲鳴に近いそれを聞き、反射的に無理に体をひねって、
 時間差で降り注いだ氷柱の一つが、大腿に突き刺さり、貫通した。
「ッ、!!」
 唐突な衝撃に、とっさに片足で地面を蹴り片手を地面について器用にとんぼを切る。しかし氷柱が降り注いだそこから距離を取った直後に駆け抜けた激痛に、思わずその場に膝をついた。視線を上げる、目を見開いた次の瞬間には反射的に魔法を放っていた。
「『万物に在る者、“レツェンド”!』」
 詠唱の言葉がすぐ真横を駆け抜けた暴風に掻き消される。ついで視界に映ったのは燐光、フェルが駆け膝をついたままの彼女の傍に座り込んで白い服を掴んだ。
「傷は」
 問う声が震えないように押し付けて、フェルは聞きながらも治癒魔法を展開する。フィレンスは何も言わずにその頭をぐしゃりと撫でて、貫かれた傷が完全に治癒するのも待たずに立ち上がった。最中に掴んだ剣の柄を、握り直す。
 『異種』の攻撃ではない、明らかに人間が使う魔法。そしてそれが放たれた方向は、流れる川の上流、微かに見える泉の更に奥。
「……フィレンス」
「いい、大丈夫。……下がって」
 剣先が向けられた先を不審に思い声を上げかけたフェルに、フィレンスは静ただかにそう言う。彼女の見据える先へ視線を向けかけ、不意に視界の端で『露核』が動いた。
 反射的に杖を掴んだフェルの、その杖をフィレンスが掴んで無理矢理制止する。驚愕しながらもそれを見返す間もなく肉薄した露核の半透明の体が迫り、
 刹那構築された不可視の壁が、寸前でその全てを阻んだ。
「……え……?」
「『__全ての光、風は散り』」
 唐突に響く声。フィレンスがその声が聞こえた方、川を挟んだ対岸へと剣を向ける。彼女の声では無い、__男。
「『花は蕾へ、闇出づる。“アセススィア”、安らかなる者よ』」
 大きく張り巡らされた結界がゆらりと揺らめく。揺らいだと思った瞬間、それは急激に形を変え『露核』を覆い尽くす球へと変貌した。
「異種の知能も、ここ止まりか……」
 詠唱と同じ声が響く。フィレンスが杖から手を離し、フェルの腕を掴んで半ば無理矢理立ち上がらせて自信の背中へと隠すように移動させた。状況が飲み込めないまま、しかし漠然とした不安が徐々に降り積もる。
 氷に覆われた川の、その向こうの樹の影から何かが動く。杖の先で灌木を押さえながらゆっくりと姿を現したのは、銀の。
「やあ、護衛師団の……今は第二部隊の隊長殿か。それにかの名高き紫銀様。ご機嫌如何かな?」
 まるで親しい友人であるかのような言葉と同時に、銀の髪が揺れる。二十歳を超えてしばらくと言った風貌に、複雑な飾り刺繍のされたローブを簡単に羽織って手に杖を持つ姿は、どう見ても魔法使いだ。そしてその魔法使いの言葉に腕を掴んだままのフィレンスの手に僅かに力がこもる。見上げ、垣間見えただけの赤い瞳からは、何も読み取る事はできなかった。
「……最悪、だな。さんざ団長が殺そうと探しまわっていた相手が目の前に現れて、それで喜ぶのはユールかラウルか、それくらいだ」
「そういう点では君は普通だからね」
 言いながら男は歩を進める。反対にフィレンスはゆっくりと距離を置くように足を引き、状況が飲み込めないままのフェルもそれに従った。眼を向けてもフィレンスは振り返らない。男も、フィレンスは面識が、それも敵として顔を合わせた事がある様子ではあるが、今のこの魔法使いからはそれは微塵にも感じられない。
 その困惑の様子を見てか、男が足を止める。意外だと言わんばかりの表情を浮かべて、口を開いた。
「おや、覚えていないのかな。そうそう昔の事でもないと思うのだけれど」
 言った相手はフェルだ。声をかけられたフェルは、以前困惑したまま、しかし何故か自然と足を引いた。良くない予感がする。それも、途轍もなく、悪い予感が。
「そうなると色々厄介な事になるんだけれど、本当に覚えていないのならたいしたものだ。あれは……」
「黙れ」
 男が言いかけた言葉をフィレンスが断ち切る。男が驚いたように彼女を見て、相対するフィレンスが剣を強く握った。
「……その引き金も、全てお前が仕組んだ事だろうが」
「……人聞きの悪い事を言ってくれる。仮に僕が全てを仕組んでいたとしたら、こんな治らないような傷、受けたりはしないさ」
 言って男は右の袖を捲ってみせる。そこにあるのは深く抉れた傷痕。それを見る男の顔には何の感慨も無く、それが異様な雰囲気を醸し出す。
「仕組んでいるのだとしたら、そうだな……」
 思案するように虚空に投げられた鉛色の視線を、そう言って滑らせる。眼が合った瞬間、形容しがたい感覚が走り抜けるのを感じてフェルは眼を見開いた。
「君の後ろに居るその子の、『本当の紫銀』なんじゃないかな」
 男が軽く手を挙げる。その次の動作を見るよりも早く全身が浮遊感で支配され、まるで絵の具を擦ったかのように景色が伸びた。
 右肩と右腕に衝撃が走って、とっさに瞑った眼を開けて初めて視界が横倒しになっている事に気付いた。手から離れた杖が消える。地面に手をついて顔を上げ反射的に振り返る、フィレンスの声。
「ユールが来てる、行け!」
 銀髪の男の手にはいつの間にか剣。噛み合ったままの白刃をフィレンスが弾き返し、素直に距離を取った男がフィレンスの言葉に口の端を跳ね上げた。
「さすが護衛師団、情報が早い。しかしその情報が君まで回っていないとは、君、完全に囮としてしか使われていないね?」
「…………」
 男の言葉には何も言わず、フィレンスは自分からは仕掛けずその場に留まる。立ち上がったフェルは消えてしまった杖を手に呼び直して、しかしどうすればいいのか考えあぐねたまま立ち尽くしている。それを一瞥した男のその手に持った剣が変化した。細身の剣から、白い杖へ。
「ま、僕が用があるのは隊長殿じゃないからね。『エフェリアの風、万里を覆いし時……』」
 構築陣が広がる。それを見たフィレンスが再び声を上げた。
「フェル、行け!」
「でも!」
「まんまと逃がすとでも思ってるのかい、『__“ツェツィル”、楯よ阻め!』」
 三人の声が交錯する。一人が迷った刹那、景色さえも遮る壁が形成され周囲を覆い尽くした。



 魔力の奔流を感じて見上げれば、空まで覆い尽くす結界。
「くそ、やられた……っ!」
「大方予想はついていましたが……まさかここまで見事に踊らされるとは」
 ユールが太刀を背に戻し、ディストが眼鏡を軽く押し上げる。ただ呆れだけを明確に示したディストにユールは眉根を寄せた。
「……お前な」
「なんです。……だいたい、私はあの娘が嫌いなんですよ。意志だけが立派、多少励ましてやろうと思えば意味を履き違える。やってられません」
「お前のは愛情表現がズレてるだけだこのサディスト。それにお前嫌いなら視界にすら入れないだろーが、嘘つくな」
「私に素直になれと言うより、あの娘に私のやり方を覚えさせた方が早いでしょう。……言われる前に言っておきますが、良心の呵責なんて殊勝なものは、私は持ち合わせていませんから、あなた方の言う慈愛とかいうお優しい気遣いも私は持ち合わせていません」
「……だろうよ、真性」
「褒め言葉ですね。……それより、早くも新手ですよ」
 行ったディストと彼の視線を追ったユールの周囲には、戦いの痕。情報にはかすりもしなかった『異種』の大群が、ここには溢れている。
「……あ、あの、隊長、副隊長……」
 声を上げたのは、隅の方で挙動不審に当たりを見渡していた女性。大きな帽子で目元まで覆い隠した彼女は、細い手でそれを少しだけ押し上げて二人を見た。振り返った二人がそれぞれ反応を返す。
「ん? 何だー、フォルティ」
「手短になさい」
「あ、で、では簡単に……あの結界の中で、一つ異様に、膨れ上がっている魔力が……」
 瞬間、ユールが舌打ちを響かせディストが低く詠唱をはじめる。その反応にびくりと震えたフォルティを見て、ユールは太刀の柄に手をかけながら口を開く。
「フォルティ、護衛師団入ったの何年前だ?」
「へ? あ、四年、前、ですが……」
「じゃあ知らねーか……」
 ユールはそう呟いて、ディストに横目を向ける。気付いた彼も頷いて、頷き返したユールが太刀を抜いた。
「ま、気にすんな。いつもの事だ、多分」
「え? あの、しかし……」
「気ーにーしーなーいー。それよりほら、手応えのある新手さんがお出ましだぞ」
 その言葉に後もう二人の表情に険が宿る。その視線の先、現れたのは精霊__使い魔。




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