結界を張られた、内部からの干渉を防ぐもの。空高くまで覆われては風で逃げおおせる事もできない__
「ああ……そういえば君、魔法使いになったんだってね。てっきりあの副団長が……ああ、今はもう団長だね、彼が許さないと思ったけど」
 その結界を築いた男が言う。手に持った杖を見てか、あるいは黒い服を見てか、それよりも。
「……あなたは……」
「ユーディス=ディシェン。知ってるかな、十二年前に王立の研究所を一つ潰しちゃってね。以来こうしてふらふらしてるんだけれど」
 手に持った白い杖を軽くもてあそびながら、男、ユーディスは言う。凍った水面を無防備に踏み締めてゆっくりと歩を進め、そうして依然剣を向けたままのフィレンスに視線を向けた。
「それでだけど。今日僕がここに来たのは君に挨拶に来たわけじゃないんだ。だからそれ、降ろしてくれないかな」
「……過去自分が何をしたのかを振り返って言う台詞だな、それは」
 それ、と白刃を視線で示した彼に、フィレンスはただそう静かに返す。男は薄く笑みを浮かべた。
「罰を受けろと言うなら、聞くけれど」
 言った男はその場で足を止める。体の向きを変えて真横を向き、今度はそのまま、やはりゆっくりと足を踏み出す。
「それを罪にしたのは一体誰だい? それに相当する罰を定めたのは? それらは全て、所詮人が人の上に立つ故の産物だ。等価交換とは言うけれど、僕はそれなりのものを君らに還元してるんだよ?」
「残念ながら信用に足る材料がない」
「それは君に、既に僕に対する不信が植え付けられてるからだろうね。確かに僕は親切なたちではないけれど、だからといって自分のやり方を曲げる理由にはならない」
 言い終えると同時に足が止まる。向き直った鉛色の瞳は、フィレンスを見返した。
「ま、僕は自分の罪科をどうこうするつもりなんて毛の先ほどもないからね。それを護衛師団がどう判断しようと僕は気にしないし、関係のない事だ。僕を縛るものではない」
 ひゅ、と鋭い音と共に白い杖が空を切る。握り直されたそれは次第に形を変えた。緑の宝珠を中心に、それを取り巻く籠か鎖か、精緻な形を象るもの。代わりとばかりに取り出された一冊の本が片手の掌の上でひとりでに開き、ページが繰られていく。
 そして男は、眼を細めて口角を吊り上げた。
「どうせ人の生なんて一人称、他人から見れば三人称の異次元だ。ならばより客観性のある第三者に判断を乞おうじゃないか、第二部隊の隊長殿。__君の後ろのその人とかに、ね」
 気付いた時には、鋭い槍その物と化した氷が浮かんでいた。
 考えるよりも早く炎を喚び出す。白い姿は既に遠く、男に向かって放った剣が空を切る瞬間だった。眼を凝らす。杖から変形した、宝珠を覆うもの。あれは一体。
 本、魔術書を使う魔法行使の方法もあるにはある。だがそれは戦闘で使えるようなものではない。たとえ宝珠が傍にあるからと言っても、少しでも離れていれば、最低でも体の一部が触れていない状態では宝珠は魔法を魔法として認識しないはずだ。
 だが宝珠を使わない魔法行使は構築陣を伴わない。一瞬でも構築陣が垣間見る事ができれば対策はいくらでも立てられる、しかしそれもなければ。フィレンスもそれを察し、だが剣を防ぐ為に築かれた結界もすぐさま破り更に距離をつめる。剣を防ぐ結界は魔法に、魔法を防ぐ結界は剣に弱い、それは周知の事。
 不意に男が笑った。眼前で剣を振るうフィレンスのその一挙一動を観察するかのような、純粋な楽しみが全面に浮かんだ笑み。
「……君らには興味が尽きないよ、六年前からずっとね」
 言う男の体を風が包み、とん、と軽い跳躍で大きく距離を開ける。それに合わせたように数歩後退したフィレンスが、立ち止まって静かに背後に声を投げた。
「……フェル、ごめん。手伝って」
 言われて、フェルは杖を強く握る。少しの距離を埋めて、小さく呟いた。
「……ごめんなさい、フィレンス……」
「いいの。決めたのは私だから。……啖呵切って早々、このザマだけどね……」
 頭を振る。確かにそれで良いと言ったのは彼女だが、元々護衛は一人にしてほしいと無理を言ったのはフェル自身だ。自分の力に自惚れていたわけではない、力不足である事など自分が一番良く分かっている。だが結果として護衛師団に甘える事になってしまうのではないかと、それが怖かったのに。
「__ごめんなさい……」
「フェルのせいじゃない。それ以上言ったら殴るよ」
 言い放って、フィレンスが軽く宙を一閃する。フェルはその言葉に笑みを浮かべようとして、結局変に歪んだ表情を浮かべるに留まった。
 振り切るように視線を上げる。両手に握っていた杖を右手だけで支えて、左手を伸ばして小さく唱えれば、華奢な腕輪二つがそこに現れた。白と金の小さな宝珠が淡く光を放つ。
「……『栄光』、『凱歌』、お願いします」
 滅多に使う事のない宝珠達。そしてそれを見たユーディスが一層楽しげに笑みを深めた。
「……一つ、話をしようか。君たちの知らない話を」
 浮かび上がった燐光、魔力そのものの光。フェルの眼がそれを認識した時には、傍らの白い姿は霞み一瞬後には半円の軌跡が男を薙いでいた。瞬時に紡いだ結界がフィレンスを包み込み、広範囲へと降り注いだ氷槍の殺到を防ぐ。自分へと降り掛かるそれは炎で相殺して、フェルは新たな方向へと視線を向ける。すとん、と氷河の上に降り立った男は、背後に宝珠を従えながら尚も言葉を連ねていく。
「元々、紫銀と言うものは天と人との過ちから生まれた存在だ。銀と紫、相反する二つの色を背負わされたのは、祝福であると同時に一種の刻印。絶対に神々の眼から逃れられないようにするための、印なんだよ」
 紅蓮の波濤。対抗する為に組み上げた魔法は風、相手の力そのものを巻き込んで無理に操り、フェルはそれを広く展開させ襲いかからせる。だが手応えはなく、炎の奥から金属が弾かれる音が響くだけ。炎の消え去ったそこには白い姿だけが立っている。
「祝福とは与えられる力。剣か魔法か、選ぶ事はできないが、本人は自覚する事なくそのどちらかを手に取る。そして自然とその道を極めるんだよ、常人の遥かに上を。名実共に『天賦の才』、そんな風に呼ばれながらね」
 ご、と低い音がして大地が揺れる。岩の氷柱が足下から襲いかかるのを樹と風とで受け流し、しかし立て続けに襲いかかる雷鞭には素早く離脱し避ける事しかできなかった。フィレンスの剣は瞬時に現れた鈍色の楯に阻まれ、次の瞬間には刃を持つ鞭と化したそれが襲いかかりやむなく後退する。魔法具、あれが剣に変じていたのか。退いたフィレンスに襲いかかった風の矢は結界が防いだが、全てをとどめた直後にはひびが走って崩れ落ちた。男の声は変わらず響く。
「徒人にも『天才』がいるとは言え、紫銀の才能とやらは人のそれとは一線を画している。それは周知の事実ではある、しかし今の人間はそれ以上を考えない。それは何故なのかとは問わない。それはいつの時代も『人間』に対しては秘され、黙され、決して伝えられなかったからこそだ。問おうとすら思わないんだよ、それが当然だと思っている」
 どこか忌々しげに最後を言い切り、男が放ったのは雷。青いそれを結界で防ぎ、フィレンスが切り掛かるのを男が防ぐそこに間髪入れずに魔法で作り出した鋼鉄の槍を殺到させるが、質量の概念を無視して大きく展開した楯がそれすら弾く。そしてすぐさま反撃へと移ったその魔法具の刃がフィレンスの体を掠め、赤いものが僅かに散る。
「ではその問いを問う事に意味があるのか。無ければ『問う』という行動の範疇にある必要は無い。それすら分からない、理解しない、あるいは知りもしないからこそ、今までこの毒にしかならない常識が通用していたわけだけれど……それを今、敢えて問うなら、一体どのような返答を得る事ができるのか?」
 男の言葉は既に独白に近い。しかしそのようでいて、何かが違う。まるで何か他人からの伝言を伝えるのに、わざわざ婉曲な言い回しをするような、そんなもどかしさに似た隔たりを感じる。
 それでも魔法は途切れない。詠唱、構築陣すら行わずに放たれるそれを防ぎ、時に受け流しながら反撃を仕掛けてもそれは一切通用しないままに打ち消されていく。時には反撃の隙がないほどに立て続けに襲いかかる。男の初手が放たれてから、完全な守勢だった。
 相手の魔法のレベルに、少しずつだが、追い付かなくなってきている。
 しかし不意にそれが途切れる。何かと思って視線を向ければ、男はこちらを見返して、笑みはそのままに言い放った。
「問いは一つ。『紫銀が常人ではあり得ない力を持つ理由は』。それに対する答えは単純だ、『そうでないと役目を果たす事ができないから』だよ」
 男が言った瞬間、魔法を繰る手が、僅かに揺らいだ。
 視界に景色が戻ってきた時には眼前に巨大な陣が広がっている。しまったと、そう思う間もなく、生み出された混沌から伸びた無数の腕の一本が舞い上がった銀の髪を掴んだ。眼を、見開く。
「____ッ!!」
 声にならない悲鳴を上げた。腕輪の宝珠が強く輝いて、炎を纏った、いや、炎そのものの姿をした真紅の鳥が現れる。高く鳴いたそれが強く翼を撃ち、思わず頭を抱えて崩れ落ちたフェルに群がるように手を伸ばした生白いそれが、音も立てずに構築陣の中へと逃げ帰った。見ればその全てが左の手を持っていたが、それに気付く余裕はない。
 震える呼気を無理矢理押し付ける。赤く染まった視界が戻らない。たった一瞬触れただけで流れ込んできたものは、精神そのものが捩れ、軋み、壊れるかと思うほどに強い、恐怖。
『……名を呼べ』
 声がして、ゆるゆると視線を上げる。体の震えが止まらない。涙に歪んだ視界には、赤い炎の鳥。
「……栄、光……」
 時を経た宝珠には魂が宿ると言う。そうして姿を得た宝珠は、自分の意志で具現化しその力を振るう。そうして魔法を容易く相殺した『栄光』は重さを感じさせずにフェルの肩へと飛び乗ると、翼を広げて黒い少女を覆った。
『私がお前の許にいる。臆するな』
 言った姿が柔らかい音を立てて燃え上がり、それでようやく小さな安堵が生まれる。赤、炎の本質は邪だが、燃え上がるそれから転じて、浄化の意味を持つ真紅が生まれたとされる。敵の魔法は邪、それを取り除いてくれたのだろう。
 手から転がり落ち、消失した杖を手に呼び戻す。未だ燻っているものは意志ではね除けて視線を上げれば、笑みを浮かべた眼と鉢合わせた。男はやはり目が合うなり口を開く。
「……その様子じゃ、何も分かってないみたいだね。知りたいかい、自分の事?」
「は、誰が。私の事なら私が一番良く分かってますよ」
 即座に言い返す。男は何が楽しいのか、くすくすと口元を押さえて小さく笑いはじめた。訝しむ視線に気付いてか、笑い声を抑えて言った。
「ああ、失礼。そうだね、君が一番知ってるようだ。僕が……いや、僕らが思っていた以上に……」
 言いかけたその姿が霞む。フィレンスが眼を見開いて地を蹴った。向かう先は、ここ。
 手が伸ばされる。男は、もう笑ってはいなかった。
「……君は、何も知らない」
 伸ばされた手をはね除けようとしたのか、宙を泳いだ左手が掴まれる。既に反応が追い付かないまま、男の右手が視界を奪った。勢いのそのまま、足が地面を捕らえ損ねて浮遊感に支配される。衝撃は、何故か無かった。
「『夢現は水鏡、現にあらざるを映さず__』」
 低い詠唱の声。何かを吸い出されるような感覚に、視界を覆った手に爪を立てたが、力の入らない指先に何ができるはずもない。剣が空を切る音、次いでそれを阻む音。男の声。
「言っておくけど気をつけた方が良い。この魔法は、中断すれば対象となった人物の精神が壊れるよ」
 息を呑む音。とうとう腕から力が抜けて、ぱたりと地面に落ちる。そこでようやく、吸い出されているものが意識そのものだと気が付いた。
「『……水鏡は時の針、蘇れ、“リフェラーツァ”』」



 倒れた紫銀を中心に広がった構築陣が、不意に揺らいだ。ユーディスが眼を見張り、そして無理に笑む。そこには焦りが浮かんでいた。
「やっぱりね……想像通りとは言え、こうなるとは……!」
 青い光を集約したはずの構築陣が赤く染まっていく。紫銀の体が触れている部分から、次第に周囲へとそれが広がっていく。唐突に空気がざわりと蠢いて、眼を見開いた。
「ッ、フェル!」
「やめろ、呼ぶな!」
 背後で叫んだ女騎士の声にユーディスは怒鳴り返す。思わず口を噤んだ彼女には構わず、彼は地面に手をついてそこから直接魔力を注ぎ込む。が、予想に違わず赤の浸食は止まらない。ここまでか、と彼が脳裏に呟いた時、不意に腕に何かが触れた。視線を向ける。
 紫銀の両目を覆った自分の左手。そして袖に包まれた腕を掴む、白い手。
唇が何かを囁く。それの意味する所を瞬時に理解した彼が、とっさに手を離してその場から離れようとした瞬間、白い手が強くそれを掴んで引き止め、それを見たユーディスは自嘲の表情を見せた。
「これは、さすがに……死んだかな?」
 虚勢の軽口、それを言い終えるよりもやや早く、深紅が魔法を覆い尽くす。その瞬間に視界を満たしたのは鈍色の光。
「フェル!」
 フィレンスが叫ぶ。砕けた結界を越えて走り、妙に暗い光の中に立つ黒い姿に手を伸ばす。腕を掴んだ瞬間、その肩が跳ね上がった。
 振り返った瞳がどこか虚ろに見上げる。フィレンスが血の気の無い頬に手をあてると、ゆっくりとそこに色が戻った。
「……フィレンス……?」
「それ以外に何がある」
 小さい呟きに即座に言って返した。フェルはそれを咀嚼するように視線を落とし、その最中に頭を手で押さえる。ぐら、と体が揺れて、フィレンスは慌ててそれを支えるが、そのまま力が抜けたのか崩れ落ちるように座り込んでしまう。
「なん、フェル!?」
 フェルは銀糸の髪をかきむしるようにして頭を押さえて、俯いたまま途切れ途切れにうめく。なにが、と声を上げるよりも早く、離れた場所で声が響いた。
「……失敗だよ」
 杖の姿に戻した宝珠に体重をかけて立ち上がりながらユーディスが言う。肩を押さえて眉根を寄せ、赤く染まった掌を見て溜め息をついた。そしてフィレンスを見る。
「……どういう事だ」
「どうもこうも、君が呼んだからさ。戻ってきたんだよ、彼女の意識がね」
「…………」
「……僕らには彼女の記憶が必要、だったんだけどね」
 鋭い視線を向けるフィレンスに、ユーディスは片方の肩をすくめるだけだ。そして不意に結界の外を見やり、息をつく。
「……負けたか……使い魔なら足留めできるだけで十分だけど」
「あんたも人使い荒いわよねー」
 独り言のように言ったユーディスのそれに、応えるように声が落ちる。フィレンスがその声の方、空を見上げれば、赤い姿。同じように見上げたユーディスが、気安くそれに声をかけた。
「やあリィシャ。先に行っててくれと言ったはずだけど?」
「そしたら向こうで回収してこいって言われて二回連続とんぼ返りよ。死ねば良いのにって思うわ、まったく」
 銀色の杖の柄に乗り、宙を浮遊するそれは女性。つばの大きな帽子を目深に被り、装飾過多気味な真っ赤なスーツドレスを身に付けたその人は、溜め息混じりに言って大地に降り立つ。横目でユーディスを一度睨み付けてから数歩進み出て、丁寧に腰を折った。
「初めまして、隊長殿。あたしはリィシャ、不承ながらこいつの仲間よ」
 こいつ、と言いながらユーディスを面倒くさそうに指差す。一度息をついて、彼女は言った。
「今回の事はあたしから謝罪するわ、被害を与えてしまって申し訳ない。それと、別に私達は敵対してるわけじゃない、って事を伝えておくわね、言い訳っぽいけど」
「……それは、」
「言葉の通りよ」
 言いかけたフィレンスを遮り、女、リィシャは言い切る。ユーディスは口出しはせずにその様子をただ見ている様子で、フィレンスはフェルを抱えながら眉根を寄せた。
「……言葉の通り。別に敵対しているわけでもない、でも、だからといって不干渉ではない。攻撃されたら仕返すわ。邪魔になりそうなら排除もする。協力してくれると言うのなら、あたし達も協力は惜しまない」
「……信用ならない。大罪人が集まって、何を企んでいる」
「……信用しろとも、言わないわ。あなた達の常識を引っくり返せるほどの言葉をあたしは持たないもの。大昔にあたしが大量虐殺を繰り返し、ユーディスが研究施設を文字通り跡形も無く消滅させたのも、それも事実。ただ一つ訂正する事があるとすれば、あたし達は何も企んでなどいないと言う事」
 言ったリィシャが手に持った杖を消し去る。更に数歩前へと歩を進めて、フィレンスの剣の間合いに入り、足を止めた。
「あなたは『事実』を知らないわ。勿論あたし達が知っているわけでもない。あたし達の目的はそれ。『事実』を探し出す事」
「それが何故紫銀を狙う事と繋がる? 支離滅裂だ」
「そう聞こえるでしょうね。理由があっての事だけれど、……言っても多分信じないわ。だから言わない。あなたはその紫銀に入れ込み過ぎてるもの。……もう一度言っておくわ。敵対するつもりはない、でもあなたや紫銀がこちらに害をなすつもりなら、あたし達はそれを無力化する。……意味、通じたわね?」
 フィレンスは沈黙を返す。短く浅い呼吸を繰り返し、微かに声を漏らすフェルにリィシャは一度視線を向けて、傾いてもいない帽子の据わりを直した。
「……忠告しとくわ。いくら今は犯罪の為に動いていないからと言って、力が衰えたわけではないわ。たった三人に殺されるほど、あたし達は弱くない」
 それを聞いて、フィレンスは胸中に舌打ちを落とす。少し遅れてユーディスの結界が崩れ落ちて、現れたのは三人の藍色だ。太刀を手にしたユールが、フィレンスとフェル、二人の方へと歩を進める。
「……よお、久しぶりだなそこの二人。リィシャ・エラベラとユーディス・ディシェンが一緒に行動するなんて、明日世界中に槍でも降らせる気か?」
 それを聞いて、体の内側が一気に凍ってしまったかのような感覚に陥ったのはフィレンスだ。言っている内容こそは軽いものの、その声は冷えきっている。常日頃の彼からは想像も付かないほど、殺気の込められた声。
 リィシャはユールが一歩踏み出す毎に下がっていく。途中で杖を呼び出して、とん、と地面を蹴ってその上に飛び乗った。杖は宙に留まり、さながら絵本の一場面のようにふわりと浮く。
「聞いてたでしょ、戦いにきたんじゃないわ。あたし個人としては是非戦って肉塊にしてみたい人だけど、お仕事中は我慢しないと」
「とんだ仕事みたいだなあ、おい。お前達、まっさか俺の妹分これだけいじめておいて、無傷で帰れると思ってないよな?」
 ユールは一度フィレンスの肩を、まるで緊張するなと言わんばかりに叩いてから更に歩を進める。それを見ていたユーディスが、ふむ、と口元に手を当てた。
「僕は無傷じゃないから免除だね。リィシャ、後宜しく」
 言ったその手に瞬時に魔力が集まる。次の瞬間にはその姿は空気に溶けはじめ、振り返ったリィシャが帽子の下で眼を見開いた。
「え、ちょっ、待ちなさいよ!?」
「主にお前だこのアホがッ!!」
 二人の声が重なる。だが言い終える前に彼の姿は消え、ユールが大きく舌打ちを響かせた。視線はリィシャの方へ向く。リィシャは言葉に詰まったように視線を逸らした。
「……連帯責任って言葉、知ってるか?」
「……連帯責任とるような間柄じゃないから、あたしも失礼するわっ!」
「逃がすかッ!」
 急に上空へと舞い上がったその姿に、ユールは短剣を幾つも立て続けに投擲する。大半は避けられたが、そのうちの一つが帽子のつばを掠めて、彼女は悲鳴を上げた。
「やだ、そんなーっ! お気に入りの帽子なのに!」
「うっさい黙れ! 魔法使いなら直せんだろうが! っつーか言っとくけど、お前洋服の趣味悪い! 眼ぇ痛くなんだろうがこの危険色! 赤は部分に使うからこそ映えるんだッ!」
「男に言われたかないわよこの女装趣味! 絶対殺す! 絶対殺してシチューにして喰ってやる!」
 その台詞を最後に、リィシャは高空へと舞い上がる。ユールは忌々しげにそれを見送って、そして溜め息をついた。振り返り、そしてフィレンスを見る。
「なあ、そう思うよな?」
「……うん、そうだねー」
 フィレンスの返答が激しく棒読みだったのは言うまでもない。




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