炎が渦巻く。触れた雪が白い煙のような水蒸気となって霧散し、その中に目を凝らす。軽く手を振ると風が噴煙を押し流して、その中に白い姿が見えて息をついた。他に気配がない事を確認して、むうと唸る。
「なんというか……なんとも薄味ですね」
「これが普通なんだよ」
 フェルが杖を片手に辺りを見渡して、フィレンスが剣を鞘に戻しながら苦笑した。
 あの騒動から明けた翌日。何事もなかったかのように手渡された任務は『異種』の討伐と周辺地の浄化で、考えていたような妨害もなくすんなりと事は運んでいる。
 中位『異種』である『結花』、『晶歌』の討伐だ。露核と同程度にランク付けされている結花は、雪がある場所にしか現れないと言う特性で知られている。つまりは冬のキレナシシャスならどこにでもどれだけでも現れると言う事だ。事実この時期は大量発生で知られる厄介者である。
 雪と完全に同化し、気付かず通りかかった人間を捕らえて凍らせ、氣を奪って砕いて殺す。晶歌は生息する場所が少々特殊な、こちらも主に冬に行動する『異種』だ。
 フェルは紅く変じた瞳で再び周囲を見渡した。雪国の名に相応しく深く降り積もった雪の、その上をゆっくりと歩いていく。靴が僅かにしか沈まないのは魔法の応用で、フィレンスもアミュレットで同じ魔法の効果を受けている。補助魔法の類だから彼女は外の仕掛けに頼るしかない。
 といっても世間一般でもこの魔法はよく知られたものだし、少々値は張るがアミュレットを買ってしまえば半永久的にその効果を享受できる。この国では馬車でさえもが雪の上を走るのだ。
 今回の任務も、雪の中から現れた何かに二頭立ての馬車を牽く馬が襲われ、動くに動けずにいるうちに一頭が完全に雪の中に引きずり込まれてしまった、という隊商の訴えからだった。荷も大事だが命あっての物種と、商人は残った馬で、仲間の操る他の馬車とともにすぐさまその場を離れて引き返したのだと言う。街を出発した矢先の事で、襲われた馬車はひとまずそのままにして引き返したのは賢い。残れば被害は拡大していただろうし、先に進めばどうなっていたか。
「とりあえず雪の上に看板出てるから、街道を見失わなくていいのはいいけどね」
 雪の上をゆっくり歩きながら、フィレンスは言う。その視線の先には、白い景色の中でぽつんと立っている茶色い看板。
 キレナシシャスの、秋から春の初めに掛けての名物は、街道の至る所で配置される異様に背の高い看板だ。雪が積もっても道が分かるようにと言う配慮からの物で、雪の重さで折れたりしないように頑丈に作られている上に傾斜のきつい屋根までついている。人の背丈を超える程雪が積もったとしても、それより高く作られている看板が埋もれる事は少なかった。連日吹雪けばそれも変わってくるが、ありがたい事に昨日は一日晴れ、昨夜は吹雪いたとはいえ陽が上がればそれも収まり、冬にしては暖かい日和だ。
「結花も、人が多い場所を狙うでしょうから……隊商が通ろうとした事で、集まっていてくれるとやりやすいんですけどね」
「探すの面倒だしねー」
 炎でつついてみたのだが、反応はなかった。やはり商人達が襲われたと言う場所に向かうのが良いと判断して、二人は街道に沿って歩きはじめる。脇に立つ看板は今はフェルの目線よりも下にあって、『ヴァン・フェスラ』が背後、『リリール・フィス』が前方にある事を左右の矢印が表している。前者は蒼樹の街、後者はリリールの町の意味で、協会からそう遠くない代わりに面倒な任務だった。
 街や町、村は国土のあちこちに点在している。国土のほぼ中心には王宮があり、それを取り巻くように首都が広がっているが、それ以外の街は各々の領主の主城の周りに発展するものだし、そこから離れれば離れるだけ集落の規模は必然的に小さくなる。それでもキレナシシャスのあちこちにばらばらに位置する集落は全体として見ても物の流れは澱みなく、それが国民の辛い冬の生活をも支えている。でなければ比較的食料に乏しく、交換するものがなければ役に立たない鉱石や宝石に恵まれた西の街は、とっくの昔に壊滅しているだろう。
 つまりは、隊商がひとつ動けなくなるだけで、雪に閉ざされた町は簡単に消えてしまうと言う事だ。一日二日ならともかくも、長く続けば続く程その被害はふくれあがる。一年の中で最も厳しく、最も危険の増す冬であろうと多くの商人達が奔走するのは、そういった理由もある。
「官吏の人たちも、動き出すの早かったみたいですしね」
「そうだね。何回か部屋覗いた事あったけど、ものすごい大量の情報がひっきりなしに飛び交ってたよ。白黒に任務回す前に必要な情報集めたりとか、ものすごい早いから」
「……隊商が襲われたのって、いつの話なんですか?」
「聞いてないけど、昨日の真夜中とかじゃない?」
 協会に舞い込む依頼は多い。その中で白黒が担当する任務に値すると判断されるものもまた多く、結果それを遂行する戦闘要員が酷使される。今回も結花と晶歌は別件だし、周辺地の浄化も別の話だ。一応新人がいるからと気遣った結果らしいが、中位の、どれだけいるかも分からない『異種』討伐の任務を二つとおまけを付けて、それで本当に配慮していると言うのだろうか。
 フェルがそう呟くと、横を歩くフィレンスは目を瞬いた。
「高位三種を五体ずつ、とかやったよ?」
「……それはあなたが例外なだけでしょう」
「そうかなぁ……とにかく、数多いのは仕方のない事だからさ。それに今の内だよ、そのうちほんとに鬼か悪魔かと思う日が来るから」
「ってことはフィレンスはもう思ったんですか」
「思いましたとも。魔法使う事前提で編成組まれたりとかね」
 今度はフェルが目を瞬き、フィレンスを見上げる。気付いた彼女は、もう大丈夫だよ、と軽く苦笑してみせた。それを聞いて視線は戻したが。
 王宮や神殿、護衛師団の覆いの中から出て初めて、考える事や思い悩む事の多さを思い知った。今まで自分がどれほど危険から守られて、平穏に生きて来たのか。
 とにかく協会に入って一番に思ったのは、簡単に、意識しない間に相手の傷を抉るような言動をしていないかと言う事だ。どこまでが聞いても良い所なのか、どこからが踏み込んではいけない場所なのか、その距離感が上手く掴めない。
「……私って随分正直に生きてたんですねー……」
「何、いきなり」
「いえ、ちょっと自分の性格矯正しようかと」
「だったらまず寝起きのあれをなんとかして」
 フィレンスは間髪入れずに言った。フェルはあははとわざとらしく笑って視線を泳がせる。
 だってあれはどうしようもない。ずっと幸せに眠っていたのにいきなり騒音やら何やらで叩き起こされれば機嫌だって急落する。そしてフェルは敬語の他にはあれしか喋り方を知らない。口調を意識して変えていくのは想像以上に難しい上に、何故かどことなく気恥ずかしくなるのだからいただけない。
「この前の、白服達と話した時。……あれ、私がその場離れなければそのまま白服に突っかかる気だったんでしょ」
「……ふふ」
「笑わない」
 ごつ、と拳が側頭部を襲う。あまり痛くなかった。
 あの時もフェルは大変気持ち良く眠っていた。元より身体が睡眠を欲していたのだから当然だ。が、それでも目が覚めたのはフィレンスの殺気が原因だった。睡眠中の無防備なところにあれを感じたのだから、冷水を浴びせかけられて目が覚めたに等しい。なんでこっちまで向ける、と思った。どうしてそうなったのか、とは考えなかった。
 激しく抗議したかったが、どうやら白服達と話をしているらしいと分かってやめた。話の腰を折るのも本意ではないのでしばらく会話を聞いていたら、どうやら白服やら黒服との会話が原因らしいと気付いて、そこで凄まじく自己中心的な怒りの目標が移った。もともと勝てもしないフィレンスに突っかかっても無意味だし、そのつもりもなかったからこれ幸いと乱入しようと思ったらクロウィルがいたので、警告のつもりで魔法を使ったら思ったよりも強力なのが出て来てしまっただけなのだ。出したからにはと思って半分演技でやり過ごした。
 で、それは既にフィレンスにはばれていたらしい。勿論フィレンスがその場にいればとめてくれるだろうから喧嘩を売る気満々だったのだが、彼女は「手を出さずに」と釘を刺して姿を消したため強行手段にも出れなかった。フィレンスには怒られたくないフェルである。
「まあ、良いじゃないですか。あの場にいた人には全員、一応の説明しましたし」
「それで納得できるないような事じゃ……というか納得するような事なのかって前提がね?」
「じゃあ受け入れて下さい」
 フェルはきっぱりと言い切る。フィレンスは溜め息をついた。それを視界の端に、フェルは表情を変えずにゆっくり歩を進め続ける。
 __一つくらいは逃げ道が欲しいのが、本心だ。それは完全に自分の我侭だけれど。
 風が吹いて、足下に細かな雪が舞い上がる。襟元を押さえてそれをやり過ごそうとして、不意に髪を引かれる感覚がして足を止める。
 それなりに気を遣って伸ばして来た髪は、今ではもう腰を越える。看板にでも引っかかってしまったのか、そう思って、しかし振り返る寸前に手に持つ杖を強く握りそちらを向くと同時に強かに薙ぎ払った。水を弾いた時のような、重く弾けるような感触と負荷が腕にかかって、しかし質量の小さいそれは魔法使いの非力でも簡単に飛ばされていく。
「フェル」
 既に剣を抜いたフィレンスが背を合わせるように一歩下がった。フェルはそのまま杖を構える。視線の先、氷の翼を持つ姿。人間の姿を模したような。
「どうしてこう、『異種』って人間の格好を真似したがるんでしょうね」
「二足歩行よりも四足歩行の方が速いのにねぇ」
 絶対効率悪い、と呟くフェルにフィレンスは苦笑とともにそう返す。フェルは現れた『異種』、結花を見据えて、そして冷たい空気を肺に落とし込んだ。
「『唸れ息吹の子、怒り讃えし紅蓮の者!』」
 背を向けていたフィレンスが素晴らしい勢いで遠ざかる。それを感覚だけで把握して、そして雪の白さに負けず輝く構築陣が視界の下方に映った。結花がふわりと浮かび上がり、羽ばたく瞬間に氷塊が宙に形を結んだ。
「『彼方より来たりて従え、北の災禍を討ち滅ぼせ! “リファエ・コーディア”!』」
 蒼氷の水晶は貫くために飛来するよりも早く炎に飲まれ、結花もまた赤い中に飲み込まれていく。フェルは続けて詠唱を響かせた。
「『彼の者真に至りて虚を得し者、響け“ツァフェリア・リエ”の詩!』」
 詠唱の語尾は轟音に掻き消される。雪の地面が灼熱の赤に染まり劫火が一時その場を支配する中を、フェルは一旦手をとめて見やった。
 手応えがあったのは二体。背後のフィレンスが一旦剣を引き、大きく後退してすぐ隣へと立った。視線が向かうのは真反対。
「二体ですね」
「こっちは三」
 負けた。なんだかちょっと悔しいと思いつつも、フェルは周囲を見渡す。仲間の異変に気付いてか次々と雪の中から顔を出す結花の、その数は、少なく見ても十五以上。
「……これ、馬車も無事じゃすまないかもね」
「馬車の中を調べて、『生きている動物』を見つけようとする程度の知能はありますからねー、嫌な事に」
 『異種』のランク分けは、主にその知能の程度による。稀に知能が全く無いとしか思えないのに上位に名を連ねる、ほとんど暴力的としか言い様のない力を持つ例外もいたりするのだが、例外は例外だ。それが主流だったら人間はとうに滅んでいる。
 『結花』は中位。人間で言う八歳程度の知能はあるとされている。つまりは。
「逃げられる前に何とかしないと、ですね」
 力の差が歴然としていれば、いくら好戦的な『異種』であろうと逃走することはある。むしろ十分に考えられる事だ。それが起こる前に片を付けなければ、逃げる敵を追いかけ続けるはめになる。
 今回の任務は『散らす』事が目的だから、掃討はしなくて良いのだが、それでも一度視界に入った敵を見過ごすのはいかがなものかと思ってしまう。
 フェルは一旦息を吐き、思考をそこでとどめる。考えるのは後、と口に出さずに呟いて、そして杖を掲げた。
「『宿る者、彼方より来たりて力に依る者“リガーディス”!』」
 詠唱と同時に、杖の上部、装飾が施されたそこを囲むように文様が浮かび上がる。帯状のそれが一際輝くのを合図に柄をまっすぐ雪に突き立てた瞬間、雪の地面が激しく揺れ広範囲に渡って炎が噴き上げた。
 その中を白い姿が走る。怯んだ一瞬に貫いて一閃、返す刃で肉薄するものを叩き伏してフィレンスは一旦下がる。周囲の様子を見れば、咆哮する白い獅子が宙を駆け次々と結花を噛み砕き、硝子が砕けるようにして『異種』は無に返っていった。
「剣はあれだね、近付かなきゃいけないのが難点なんだよね」
「騎士が何言ってるんですかっ」
 のんびりと構えてそれを眺めるフィレンスが言えば、そのすぐ脇を駆けた獅子が最後の一体を牙で裂く。悠々と雪を踏み締めて主の元へ帰ってきた獅子を、フェルは腰を屈めて撫で、労う。低く鳴いた獅子はそれでふわりと溶けるようにして消えた。
 手に杖を呼び戻してぐるりと見渡せば、周囲には結花の姿は既にない。中位程度なら、対策さえしっかりしていればすぐに片付くのだが。
「……やっぱり何かあるんじゃないかと思ってしまうあたり、昨日のが抜けてないと言うか……」
「気にし過ぎ」
 小さく眉根を寄せれば、苦笑とともにフィレンスが言う。息をついて改めて看板を見て、矢印が示す方向へ歩いていく。
 もし隊商が襲われたと言うのが昨日の話なら、馬車は雪に埋もれてしまっているかもしれない。その事をちゃんと聞いてくるべきだった、と軽く反省しつつ、辺りを見渡しながら進んでいく。
「フェル、氷のに聞いたりした方が早くない?」
「早いは早いんですけどね、精霊と話すのって案外魔力喰うんですよ」
 精霊にも種類がある。自然界でその『場』のバランスを整えるために留まるもの、勝手気ままに放浪するもの、自然界の現象によってのみ現れるもの。留まるものは、例えば本に宿る文字の精霊のフィオーネであったり、先の件でわずかに声を交わした森の精霊であったりなのだが、彼らは比較的簡単に声を交わす事ができるのだ。一番人間と近い場所で生きているから、と言われているが、とにかく彼らと比べるとその他の精霊は難しい。声を交わすだけでも、軽い召喚のような手順を踏まなければならないのだ。
「でもフェルっていっつも精霊まみれって言われてるんじゃ?」
「まみれてませんよ。こちらが見ている分、相手からも見られているのでそうなっちゃうってだけです」
 見ればフィレンスは首を傾げている。フェルはええと、と一言置いて、そして言った。
「放浪してる精霊は大体、素質のある人にはその姿が見えるんですけど、それって精霊からも見られてるってことなんですね。精霊の見てる世界は人間の見る世界とは違う、という仮説、ですが。とにかく精霊が見える人にしか精霊は寄らないんですけど、そうすると放浪する精霊達の『休憩場所』がすごく限られてくるんですよ」
 実際精霊からそのように聞いた訳ではないから、正確な事は言えないが、とにかく魔法力学や神学ではそういう事になっている。魔力を持ち、精霊を『視る』素質のある者しか、精霊は視る事はできないのだと。だからその素質がある人に一時羽を休め、長居はせずに飛び立っていく。
「本当に寄っていく程度ですから、話なんてできませんし。で、話を本題に戻しますけど、雪の精霊は確かに氷の眷属で、私はどっちかって言うと氷との相性はいい方なんですが、『雪の』は自然現象によってのみ現れる精霊なんですね。そうすると、まず人間と関わり合う事がありません」
 彼らは『神に近い』精霊だとされる。天の命令によって自然現象を起こしているとも言われるのはそのせいだが、それは精霊の分類上そうなった訳ではなく、魔法的な証拠が出揃った故の結論だ。彼らは揃って高位の精霊で、滅多な事では姿を現しさえしない。声が聞こえれば僥倖で、姿が見えれば奇跡だ。今現在もフェルの視界に雪の精霊は見えないし、聞く事ができる声も風や光のもの。
「つまり、やろうと思えばできますがその後使い物に以下略」
「……フェルって魔力無い方なの?」
「……あるんですよ、蒼樹の平均以上には。でも色々調整中なので出力が不安定なんです」
 フィレンスの問いには苦いものと共に返答を返す。というよりも、フェル自身もどうしてこんなに早く魔力が枯渇するのかがわからない。限界まで削って削った値を自身で設定し、それを守っているはずなのに、いつの間にか計算が狂っている。
「それって守れてないって事なんじゃないの?」
「いえ、一回全部量りながらやった事あるんですよ? 蒼樹に入る前でしたけど、でもそれでも基準値を超えたりはしてないんです。それなのに明らかに最大回数に満たないまま魔力が無くなっていって、仕方ないから体感で覚えろと団長が」
 それはつまり匙を投げたという事ではなかろうか。
「……で、素直にそれを実践している訳なのね?」
「他に方法……は、あるとは思うんですけど。団長が言ってた事なので」
 フィレンスは溜め息を吐き出した。疑え、妄信するなと言いたいが、それで懐疑主義になられても困るので言いにくい。素直なのか何なのか、とにかくフェルは護衛師団を真っ向から全面的に信頼し信用している。
 それ自体は嬉しいのだが、何が問題かといえば、彼女の『常識』の生成がうまくいっていないのではという懸念だ。残念ながら護衛師団は常識的とは言い難い。
「……フィレンス?」
「……お姉さんは心配です」
「は?」
「いや、何でも」
 即座にものすごく胡乱な目で見られたので撤回する。この手の冗談は冗談として通じるのになぁ、と思いながら歩を進めた。




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