一口に魔法使いと言っても、そこには様々な種類がある。その中でも特に特殊なものの一つが、『魔法工学師』だ。
 魔法工学師は、その名の通り、魔法に関連する品々を作る技術を持つ魔法使いの事を指す。魔法具の中でも簡単なもの、魔法発動を助ける魔石などは魔導師にも作れはするが、アミュレットやそれ以上に複雑な機構を持つ宝珠ともなると、他の魔法使いでは手に負えない部分がある。それを手掛けるのが魔法工学師の仕事だ。
「宝珠って、色々計算式とか演算式とか色んなものが詰まってますけど、それをこうやって宝石みたいな形に保っているのは工学師の特殊な技術のおかげなんです」
「……そうなんだ? 私てっきり宝石に色々詰めてるのかと思ってたんだけど」
「そうすると宝石の種類の数が一気に跳ね上がりますよ」
 暗がりの中で肩ごしに振り返って、僅かに困ったような笑みを浮かべてフェルは言う。さて、と呟いて周囲をぐるりと見渡した。精霊がいない分、残留する魔力を追うのは容易い。しかし先程から残っている行使の跡を見る限り、恐らく追う『異種』は片付けられているのではとも思うのだが。
「その技術って言うのは、口伝とかそういうものじゃなくて、生まれつき備わっているものなんだそうです。しかもそれを持っている人が魔法を使えるかどうかも別問題で、魔法の適正が全くない場合はその技術も宝の持ち腐れ……」
「……もしかしてものすごく数少ない?」
「ええ。今この国で登録されてるのも、多分、二百人いないんじゃないでしょうか。十二法師より数少ないと思いますよ」
 全部伝聞なんですけど、と付け足して言う。名の知れた魔法使いの事は、知識として知ってはいるが、その中でも工学師は少なかった。
 その能力もさることながら、特に彼等の戦いは独特だ。常に魔法具の材料、触媒となるものを持ち歩き、それに魔法を込め、解放する形で魔法を行使する。構築陣もいらない、詠唱も最低限で済む特別な魔法。確か魔力の消費も桁違いに少なかったはずだ。魔導師にとっては、『作る』過程さえ無ければその技術は喉から手が出る程の価値があるものなのだが、特にフェルにとってはその一つの過程がネックになっただろう。魔法使いであるにも関わらず、珍しく工学師でなくて良かったと思う。
「それで、その工学師がこんな所に迷い込んだと。何のため?」
「そこまでは……普通に迷い込んだとか、あとは別の穴から落ちたとか、そんなんじゃないでしょうか」
「……真冬に街の外出歩くかなぁ……正気の人間ならしないと思うけど」
「魔法使いに正気の人がいるんですかねぇ」
 ごくごく自然に諸刃の言葉を吐いて、フェルは迷わず歩を進める。途中、不意にどこかからその気配を感じて、視線を向けた。廃墟の群れの向こう、壁があるのか。その更に奥。
 振り返る。大まかに視線を合わせて、そして首を傾げた。
「……フィレンス、流石にここの内部の構造までは……」
「知ってるよ?」
 さらりと返された。地図見たことあるもん、と言う彼女に、フェルは暗闇の中でと負い眼をしてみせた。
「……ほんとにどこ行っても大丈夫な気がしますよ。この向こう、最短ルートは分かります?」
 言いながら暗闇の奥を指差した彼女に、フィレンスは少しの間無言で周囲を見渡す。そうして頷いて、そしてフェルを見返した。
「できるだけ、高く……距離も跳べるような魔法ってある? なら早いけど」
「あります。先導してもらえます?」
「了解」
 フィレンスが答えるより早く、控えめな構築陣が浮かび上がった。ふわりと風が渦巻いて二人をそれぞれ覆い、しかしすぐに消え去る。それが収まってからフェルがフィレンスの示すように彼女の肩に掴まると、フィレンスはその背を支えるように腕を回して、そして唐突に地を蹴った。
 瞬間、収まったはずの風が舞い上がる。跳躍した二人の身体を押し上げるようにして支えて、一気に廃墟の屋根に辿り着いたフィレンスはすぐさまもう一度跳躍した。今度は更に高く。
「フェル、予想は?」
「高位、『そこそこ』よりは手強いかもですね」
「紅鬼より、は当然か……やだなぁ、暗い所で戦いたくないよ?」
「ええ……フィレンスいなかったら私死にますよ……それに、まぁ道理でしょう、こんな暗闇の中にずっといたら、」
 言いかけて、フェルは軽く眼を見張る。不意に周囲を見渡す、そこに浮かぶのは辺りをぼんやりと照らす燐光だけだ。落下し、また跳躍しながらフィレンスが声だけを向けて来た。
「どうした?」
「……いえ、憶測です」
「可能性が高いなら言っといてね、遭遇してからの驚愕の事実とか嫌だから」
「遭遇する前に断定できれば良いんですけど」
 空中で言い合いながら、妙な圧迫を感じて、それで次の着地点はかなり天井に近い場所だと言う事に気付いた。ならされていない土の上に立って、そしてフィレンスはそこに立ち止まって一度息をつく。
「……多分、ここがこの街の中心、だね。最初はこれは壁で、天井を支える一番大きな柱だった。切り崩して土地を広げようとしたけどその前に移住して行った、って感じかな」
 そんなものなのか、と思ってそれを聞き終えて、そしてフェルは黒一色の街を見下ろす。少し待てば、今度は何かが盛大に崩れる音が遠くから聞こえた。
「……いるね。戦ってる……」
「ですね……フィレンス、ちょっとここで待っててくれます?」
「え、何で?」
「遭難者を助けてきます。フィレンスのその格好、少しでも光があれば格好の的ですもん」
 言われて、ああ、とフィレンスはクロークを持ち上げた。確かに白一色なのだから、的にはなりそうなものだが。
「……ならフェル、髪は?」
「隠せますから」
 即答したフェルはコートのフードを被って、長い髪も全てコートの下に隠す。仕方なくフィレンスが肩をすくめるのとフェルが空中に手を伸ばすのは同時だった。
「『来れ知恵の翼、音無く舞う者』」
 淡い構築陣が一度だけ輝いて、そして羽ばたきの音がわずかに響く。現れたのは巨大な黒い鳥、鴉のようでもあり梟のようなそれの背に、フェルは迷わず乗った。起こった風に圧されるように燐光は立ち消え、それを確認した彼女が首筋を軽く叩くと、鳥はそのまま翼を広げて音も無く滑空した。最中に聞こえた音の方へまっすぐに飛んで行く、その背に腰掛ける形のフェルは、不安定な体勢にも迷わず杖を握った左手を真横へと伸ばした。
「『我は請う、煌々たる輝きを持つ者、黄金を冠とし銀を膝下に据える王者よ! 我らが頭上にその写し身を、大いなる寵愛の訪れを我らに!』」
 爆発音。近い。煙を避けた鳥が大きく旋回するのに柔らかい羽毛を、それが抜けないように注意しながらも握って転落を避け、詠唱を続けた。
「『響け鈴の音、偉大なる“リィカ”! “オフェルズ・エティア”の鐘!』」
 瞬間、高い天井に巨大な構築陣が浮かんだ。球の形を為したそれは激しい光を放って、その光に眼を眇め、しかし地上で照らされた一つの人影を見逃さなかった。慌てて腕で顔をかばったらしいその人へ、鳥は滑空する。
 最中に垣間見えたのは巨大な、巨木のような腕を振り回して忌々しげに疑似太陽を見上げる『異種』の姿。しかしそれに視線を向けすらせず、フェルは鳥の背からそのまま腕を伸ばした。
 反射的にだろう、中途半端に宙を泳いだ腕を半ば無理矢理掴んで、そして瞬間肩にかかった重さを無視してそれを強く握る。鳥はそのまま、地上を掠めて飛んでいただとは思えないほど素早く高度を上げる。フェルは小さな構築陣を描いて、そしてその瞬間軽くなったそれを思いきって鳥の背の上に引き上げた。
「う、おあっ!?」
 妙に間の抜けた声を上げたその人はそのままにしておいて、鳥の首をもう一度叩けば、察したようにすい、と素早く方向を変える。足下で咆哮が上がる。太陽の光に焼かれているそれを見れば、おそらくは空気をつかむ事に長けた大きな翼と牙を備えた巨大な口、四本の脚。
 竜、と小さく声を零す。体勢を立て直したもう一人が、『異種』を見下ろすそのフェルを見た。
「……あんた、誰?」
 フェルは無言で黒い服の裾を持ち上げて示す。なるほど、と彼が呟いたのを合図にしたように、疑似太陽の光が消え去った。



「……帰って来た?」
 聞けば、はい、と答える声。答えた彼の肩に一羽の鷹が止まっている事、そしてその脚に括りつけられた紙がそのままになっているのを見て、ヴァルディアは息をついた。
「姿が見当たらなかったのか、あるいは予定地から離れたのか……」
「恐らく後者だろうな。あいつらの事だ、また自分から面倒事に首を突っ込んだに違いない」
「……ずいぶん気安く言われますね。あの二人に関して、こんなに早く『絶対』が聞けるとは思っていませんでした。長官あのタイプ苦手でしょう?」
「苦手というか扱いにくいんだ。……片方とは協会以前から付き合いがあった。その周囲に巻き込まれたこともある、前例が多すぎて『絶対』以外に言えなくなってきているだけだ、そろそろ被害者を名乗っても良い」
 言うとその官吏は苦笑する。地図と照らし合わせて割り出しと伝達を急ぎます、と言った彼が執務室を出るのを見送って、しばし無言のまま考える。
「失礼します、ヴァルディア様」
 言ってノックを省略し部屋に戻って来たのは秘書のクラリスだ。腕にいくつもの書類を抱えて、それを机に積み上げる。ヴァルディアは思考を中断してそれを見、そして溜め息をついた。
「内容は?」
「先に護衛師団から打診された関連、中規模の町の周辺での中位の発生が七件です。妥当と思われる組の名簿もございますが」
 手渡してくるそれにざっと目を通す。しかし彼は結局積まれた方の書類を取った。区別がしやすいようにと封筒に入れられたそれを取り出し、机の上に広げる。半ば走り書きの報告書と地図、確認された敵勢力と推測の域を出ないが考慮の必要のある項目が並んだそれに素早く目を通して、ヴァルディアは視線はそのままクラリスに問いかけた。
「新人はどうしている?」
「まだ正式に白黒になっていないのは、あと八人です。白が六に黒が二、組の適正は、私の眼では判断いたしかねますが」
「今まで見た中、大体でいい」
「ではオフィセスとカディア、かと。残りは他に探すか、あるいは個行動が妥当でしょう。二日前までに全ての訓練は終えていますが、どちらも実践の経験に乏しい点が難しいと思います」
「なら経験させるだけだな。後は自分たちでなんとかするだろう……二人を呼んでくれ。あとルエンとコードを」
「あの二人に任せるには難易度が低すぎでは?」
「その代わりに近場三つを渡す。ついでに書記官を三人、色々と所用もある」
「……了解しました」
 流れるようなそのやり取りを終えて、クラリスが扉へと向かう。もう一つを持ち上げたヴァルディアがその彼女を見て、そして頬杖をついて言った。
「お前が前線に復帰すれば早いのだがな」
「冗談じゃありませんよ、『長官様』。止むに止まれずと言うのならまだしも、私は騎士にしては意志薄弱なんですから」
 体をひねるようにして振り返った彼女は苦笑と、その下に僅かな悪戯に似たものを滲ませはっきりと言い切る。騎士、という言葉に長官は視線を書類に戻した。
「意志がないのならどうして十四階梯までいったのやら」
「コレクター気質ですから。ですが一度手に入ってしまうと熱が失せてしまうのです」
 今は秘書の肩書きだけで十分です、と言って、彼女は扉をくぐって回廊に抜ける。
 人の失せた部屋の中でしばらくの間書類に眼を通し、割り当てを考える。前任の長官はこれを全て官吏たちに任せて、それで上手く回っていた。しかしヴァルディアはどの任務をどの所属者に任せるのか、それ自体も自分で決める。官吏が信用ならない云々ではなく、そうでもしないと逆に長官が暇で官吏ばかりが圧迫されるからだ。
 不意にノックの音が落ちる。視線はそのまま入れ、と声を上げ、扉が開いた音に眼を上げれば私服姿の男性。長剣を携えた、白服だ。
「ただ今戻りました、長官」
 言った声は微かに年齢を感じさせる。ヴァルディアはその言葉に眼を瞬いた。入ってくる彼を見返す。
「早いな。五日渡しただろう、まだ三日目だぞ」
「あーもうなんか、やっぱり長い休暇って慣れませんわ。若者らしく娯楽で使い潰すのも性に合わんし、その分早めに切り上げてな」
「……引退を考えろとも言ったはずだが?」
「引退してたまるか、と答えた筈」
 ヴァルディアのそれには即答が返ってくる。眉根を寄せた彼に、白服は笑った。
「なにまだまだ戦える、むしろこれからだ。四十にもなってないんだからな。人手が多いんなら考えたが」
「……協会の白黒の歳の上限も、比べれば近いだろう」
「それを百くらい越してる奴、いるよな。黒服だけど」
 やはり即答が返ってきて小さく舌打ちした。長命種族が要らん事を、などと八つ当たりして視線を戻すと、白服__その中でも蒼樹の最も古参である彼は何かを待つように無言のまま。
 ヴァルディアは息をついた。
「……残るなら他と同等に扱うぞ」
「そうしろって言ってるんだよヴァルディア。先輩の言う事は聞いとけ」
 先輩、というその一言に、長官はさらに溜め息をついた。数年前まで、黒服として行動していたときには同じ場所にいた彼、白服。今は上下の立場があるが、それを越す気安さはその時からのものだろうか。
「……大体、私はお前が、とあの時散々、」
「でも最終的に選んだのはお前だろうが文句言うな見苦しい」
 第三者がその場にいたら眼を剥くような物言いで彼は言う。何かにつけて所属者からの文句が耐えないヴァルディアではあるが、尊敬されていない訳ではないのだ。だから白黒や官吏たちも、表面がどうであれ長官に対して部下であるという態度を崩さないが、彼の台詞は完全に上からの物。しかしヴァルディアはそれに対しては何の反応も返さず、その上更に食い下がった。
「今からでも譲るぞ」
「いらん。渡されたところで熨斗つけて突っ返すぞ。でなければ異例の空席だ」
「……レティア」
「駄目だ。可愛げもないくせに駄々こねるな」
 言い放たれたそれにヴァルディアが硬直する。しばしの沈黙。
「…………私にそれを求めるのか?」
「求めてねえよ、だからこそだ。というかさりげに本名で呼ぶなよお前。他の奴らが来たらどうする、前の長官がまだいるなんて知れたらそれこそ異例だぞ?」
 前長官。騎士のレティア=ウィレイ。協会から身を引いて間もなく、失踪したとばかり言われていた人物。今ここでこうしていると知っているのは二人だけで、その片方は明らかにふてくされた様子で口を開いた。
「別に良いだろうそうすれば私も晴れてお役御免だ」
 頬杖をついたヴァルディアが、本当にそうなれば良いのに、と言わんばかり視線を流す。白服は顔を引きつらせた。
「たたっ斬るぞテメェ……お前のせいで俺がどんだけ苦労したと思ってやがる」
「頼んでない」
「ああそうだったなこの野郎! 畜生人の心配性を逆手に取ってやりたい放題しやがって!」
「だが協会に残れとは言ってない」
 とうとう声を荒げたそれにヴァルディアが言い返し、それで彼は言葉に詰まった。荒々しく息をついて、腕を組む。
「……確かに、そうだけどよ」
「これでも年功序列は気にする方だ、実年齢を知ってる以上そうなる。それでなくとも実力者が任務中に死亡、などという事になったら事後処理が面倒臭い。他の面々の士気にも関わる」
「そう簡単には死なない筈だけどな」
「例外という物もある。そうでなくとも普通の人間ならそろそろ鈍ってくる頃だ、そうなってきてから考えるのでは遅い」
 憮然と言った長官に、白服は息をつく。組んでいた腕を解いて、執務机の縁に両手を置いて寄りかかった。
「ヴァルディア、お前な」
 言いかけたそこで言葉を止めると、何かと思ったのだろう、ヴァルディアは白服を見る。
 瞬間、彼は手を伸ばしてその金色の頭を掴んだ。
「っ、!?」
 ガッ、という効果音が聞こえてきそうなほど見事に掴まれたヴァルディアが眼を見開く。そしてレティアは、にやりと笑ってその顔を覗き込んだ。
「もーっと、正直に言えば、考えてやらない事もないぞ」
「…………何の事、」
「はいまた嘘ついた。お前嘘つくの下手だなー相も変わらず。間空けすぎ」
「知るか……っ」
「はいはいそれで?」
 強制的に視線を合わされたままのヴァルディアが、ぐ、と言葉に詰まる。そのまま硬直したまま時間が流れていって、唐突にレティアがにやりと笑う。
「残念だったな」
「っ、意味を察しているのならそれで十分だろう……!」
「あーじゃあ分からねえや説明してくんなきゃ理解すらできないなーぁ」
「っ、この……!」
 言いかけたそれを遮るように唐突にノックの音が転がり込む。レティアが慌てて手を離して、ヴァルディアが溜め息をついて適当に髪を撫で付け、入れ、と短く声を上げる。
 扉を開けて顔を覗かせたのは、黒服のロード=アートゥス。その彼は長官の前に立つ彼を見て、そしてああ、と声を上げた。
「もう帰っていたのか、ロード」
「おう、待たせたなアートゥス」
 白服、ロード=エルゼル。前蒼樹長官レティア=ウィレイは、今はそう名を変えて蒼樹に留まっている。




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蒼樹にロードは二人居る。



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