咆哮が聞こえて、クロウィルは溜め息をついて大剣を引き抜いた。『異種』がそれで砕けて散って、しかしそれを見ないまま口を開く。
「セオラス、あとどれだけいるんだ?」
「軽く三十かね。あーあ、長官様も嫌な任務回してくれっぜ」
 蔦の絡まり合って、まるで布のように木の枝から垂れ下がるそれを手で追いやりながらセオラスは言った。手にした杖を地面に突き立てて、それに体重を預ける。
「あー、疲れた。クロウィル、どんだけ片付けた?」
「俺は二十。そっちは?」
「十五。ああもう、あと二倍もいやがんのかよ……絶対苛めだこれ。長官が部下苛めしてるぞこれ」
「違うだろ。というか、やってると仮定したとしてもそれはお前の性格の悪さが原因だろ? 長官のせいにすんなよ」
「そうだけどもー」
 認めんのか、そう呟いたクロウィルは大剣を肩に担いで、それで視線を鬱蒼とした森の奥へと投げる。昼、冬の薄い陽の光は森の木々と折り重なるような枝、その葉に遮られ、地上まで満足に届かない。
 その奥から、次々と響く唸り声。セオラスが溜め息をついた。
「団体様ご到着ー。軽く十って所か?」
「いっそ一気に出て来てほしいな……うざったいぞ、いい加減」
「俺を殺す気かクロウィル。こいつら魔法効かないったらありゃしないんだぞ、分かってるだろ?」
「うん、おまえが早く死ねば良いと思ってるから」
「……なあ、機嫌悪いの、俺にじゃなくてあいつらに八つ当たれよ。真顔で言われると流石に怖い」
 言いながらセオラスは森の奥の一団を指差す。クロウィルは肩をすくめて、そして地面を蹴った。



 ふわりと最後に浮遊感を伴って、その巨大な鳥が土の上に降り立つ。フェルはすぐにその背から降り、彼もそれに続いて羽毛に覆われた背を滑り降りた。
「お、っと」
 真っ暗な中で覚束無い着地をして、彼は息をついた。フェルはそのまま鳥の正面に回って、その暗い色の羽毛を撫でて小さく呼びかけ、労っている。
 それを眺める彼に、フィレンスは呆れの混じった苦笑で声を掛けた。
「……で、こんな所で何を?」
「協会のせいだぞ、言っとくけど」
 その声に彼はすぐさまそう返した。フィレンスが怪訝そうな顔をしたのを察したのか、彼は今は暗闇に覆われている、朽ちた街並に視線を投げる。
「先遣隊って言うのか? その連中に頼まれてここの入り口案内したら落ちたんだよ。で、連中は調査終わって一人残って他は帰ってたんだけど、そのあとにあれに襲われたんだ。残った一人がそれで報告に戻ったみたいだけど、俺まで外出たらあれも出てくるかもと思って相手してた」
「……それは、ご苦労様というか……」
「……放置しても良かったと思いますよ、あれ」
「いや、むしろ逃げ切れなかったと言うか」
 巨大鳥を還したフェルが思わず言うと、その方を見て彼は言う。フェルはフードを押さえながらフィレンスの方へと寄って、見れば彼は肩をすくめた。溜め息をついたフィレンスがフェルに視線を向ける。
「フェル、何だった?」
 聞かれて、フェルは言葉に詰まった。不思議そうな顔をする彼女から視線を外し、そのまま泳がせていると、その青年が首を傾げる。
「そういや、俺は今まで見た事無いな、あれ。しょっちゅう辺境歩き回ってるから大概の『異種』は知ってるけど」
「へえ、それで戦えてたんだ」
「まあ一応魔法使いだし、ということで。で、なんなんだ、あれ」
 振られて、フェルは更に口ごもった。
「えーと、なんというか……ものすごーく言い難いんですけど、……『竜』です」
「うっそ……」
「うわぁ……」
 顔を覆ったフィレンスに、既に他人事と言わんばかりにその彼女を見た青年が哀れみの声を上げた。しかしすぐにフィレンスはフェルを見る。
「……竜って、たしかかなり高位の『異種』で、かなり知能高いよね? 普通人間なんか襲わないんじゃなかったの?」
「多分こんな所で獲物も無くて、……ものすごく餓えてるんだと思うんです。竜の主食は人ではなく氣、ですから……多分、精霊がいないのもそのせいだと……」
 精霊はその場、場所そのものの氣を司る。象徴と言っても良い。土地の氣を吸い尽くせばその象徴である精霊は消滅し、氣の象徴である精霊の力を全て奪えばその場にある氣を全て奪うと言う事と同じ意味だ。そして、生物が存在しない場所では、氣は急激に減衰する。だからあの竜は精霊を取り込んだ。衰えた氣よりも、氣の大元を喰らった方が早かったのだろう。
「……竜は元々他の生物にも友好的ですから、説得しようと思えばできるかもしれませんけど……」
「でも、魔法使いは狙われやすいってことでしょ、今の状態じゃ」
「やめといた方が良いと思うぞ、魔法効かなかったし」
 二方向から言われてフェルは首をすくめた。だがそれでもとフィレンスを見やると、彼女は一拍の後、息を吐いた。
「……だろうと思ったよ」
「すみません……」
「……じゃあ、ちょっと手伝うか」
 唐突に青年が言う。視線を向けた先で、彼は銀糸と金糸を取り出していた。
「白黒が来たんだったら俺はさっさと逃げるけど、何もしないって言うのもあれだしなー」
「……お人好しが過ぎて損するタイプでしょ、君」
「良く言われる。見捨てて逃げるよりは、良い性格だろ」
 言いながら彼は素晴らしく手際良くその二本の紐を縒り合わせ、編み上げていく。作りあげられていくのは、蛇と太陽の象徴を模した図形。フェルは目を瞬いた。
「……良く何も見ずに作れますね……」
「ま、曲がりなりに工学師として勉強して来たからな、これくらいは普通」
 言いながら余分な部分は切り落とし、切った端も見えないように編み込んでいく。フェルからしてみれば何が起こっているのか全く分からない手際の良さで、最後に彼はそれを掌の中に握り込んだ。
「『……闇、氷雪、纏う者、姿は汝の姿を得て、名を刻む、“ディフィアリア”』」
 ふ、と一瞬だけその手を燐光が包んで、それで青年はフェルの方にその手を伸ばした。反射的に手を出すと、その掌にぽとりとそれが落ちて来る。
「使い方は分かるよな? 名前を呼ぶだけで発動する。闇入れといたからかなり素直になってるはずだけど」
「……本当に工学師なんですね。初めて見ました」
「んな珍しいもん見るみたいに言われてもなー……俺にとっては黒服の方が珍しいしな」
 掌のそれを見てみれば、硬質な銀と金そのものに変化したその紋章が、暗闇の中に沈んで見える。フィレンスが、それで、と彼を見た。
「どうする?」
「俺はこのまま逃げる」
 問いかけには即答。もう十分相手したし太刀打ちできないから、というそれを聞いてフィレンスは苦笑を浮かべて、フェルも小さく笑った。彼は肩をすくめる。
「……あー、と。一応教えとくと、この壁の両端に外に通じる出口がある。外からじゃ分かりづらいんだけどな、横穴になってるから」
「ありがとう、それが分かれば十分。……外、『結花』が大量にいるから気を付けて」
「どうも」
 フィレンスが短く答えると、彼はそのまま背を向けて歩き出す。フェルがフィレンスを見れば、さて、と彼女は呟いた。
「……説得なんて、ほんとにできるの?」
「できる筈、なんですけど。竜は発達し過ぎた『異種』で、ほとんど精霊と同じようなものなんですよ。だから、多分」
「確証はないのね」
「……あるにはあるんですよ、一応」
 『竜』と遭遇したのは、これで二度目だ。一度目の時は森を散策していた時にばったり出くわして、そのまましばらく遊んでもらった記憶がある。個体差はあれどそうやって人間と共存できる『異種』なのだ。敵意を向ければ、高位『異種』に相応しい力で向かってくるというだけで。
「さっきも、私の事は見えていたはずなのに攻撃はしてきませんでしたし……魔法も使えるはずなので、できなかったわけではないと思うんですけど」
 フィレンスは僅かに眉根を寄せて、暗闇の奥を見やる。納得しきれていない表情で、しかし息をついてからフェルを見た。
「任せるよ。フェルのが詳しいからね、そういうのは」
「ありがとうございます」
 明らかにほっとした表情でフェルが言うのに苦笑する。元々からフェルは、『異種』を討伐する事に躊躇いは無い方だったが、そのかわり進んで害をなさない『異種』に関しては刺激しないようにしてきている。それは黒服になる以前、成り行きで『異種』と遭遇する事が多かった頃からずっとそうだ。人によっては甘いと、そう言うが。
 フィレンスも好き好んで殲滅しようとは考えていない。互いの領分を侵さなければ良いと思っている。そう言った考え方は、軍にはあまり歓迎されないものだが。
「……ま、協会と軍は別物だしね……」
「……?」
「長官も文句は言わないだろうから、て」
 小さな呟きに首を傾げたフェルに、フィレンスは違う言葉を返す。フェルはそれにも疑念を浮かべたが、しかしすぐに視線を暗闇へと投じた。少しの間、考える。
「……フィレンス、ついてこれます?」
「頑張るよ、ちょっと遅れるかもしれないけど」
 問いかければすぐに答えが帰って来て、フェルは笑みを返す。思い出したようにフードを落として、そして右手を軽く掲げた。
「『鋭利な翼、我が風よ』」
 瞬間、全ての感覚が掠れるように遠のく。ただ前へ、と思う意識だけがぶれたそれらを先導するように宙を駆けて、そして次の瞬間には土を踏み締める感覚。視線を上げると暗闇と、その奥にあるものが動く気配。
 右手を掲げて、ぼんやりとした光を喚ぶ。相手を照らすのではなく、こちらの姿が分かれば良い。
 喚んだ光が空中を漂ってどこかへと流れていく。唐突にそれがふつりと消えて、フェルは即座に跳び退った。少し遅れて牙を打ち付ける音。更に薄く燐光を喚べば、ぼんやりとその輪郭が見えた。磨いた鋼の色の体躯、瞳は澄んだ蒼。四肢と翼を持つ、完成した『竜』の姿。
 咆哮が響いた。頭上から轟くそれに半歩足を引きかけて、なんとかその場に踏み止まる。ぎらぎらとした双眸を見返す。鋭い爪を備えた前肢が既に朽ちた石畳をゆっくりと砕いて、そして飛びかかって来るのを地面を蹴って避ける。
 地響きと揺れに数歩よろめいたがすぐに体勢を立て直し、そして視線は外さない。フィレンスがすぐ近く、竜の向こうにいるのが僅かに見えたが、竜はそちらには見向きもしなかった。__魔法使いを標的として求めている、だとすれば。
 低く咆哮するそれの周囲に、突如として無数の円陣が浮かび上がる。襲い掛かる影の刃をとっさに結界を築いて防ぎ、立て続けに振り落とされた鈎爪を何とか避けきった。押し潰された結界が音を立てて砕けるのを視界の端に、視線そのものは蒼い双眸を見つめる。
 地響きとともに竜はゆっくりとフェルの周りを移動する。距離を詰めるわけではなく、様子を見るかのように。こちらが先の魔法使いでないと言う事に気付いたのか、あるいは攻撃をしてこない事で不審を覚えたのか。
 低く唸り声を上げるそれと無言のまま向き合う。竜が一歩踏み出す毎に地面が鳴動するが、それに身体が揺れないようにとだけ気をつけて、そしてフェルは燐光のまとわりつく右手を、ゆっくりと差し出した。僅かに勢いを強めて光を、氣を喚び起こす。そして、息を吸い込んだ。
「『__Eriion, Asshx.』」
 難解な響きを、声にして放つ。低い唸りが一層低くなって、しかし荒さが若干和らいだ。重い音を伴って前肢を踏み出したそれが、首を伸ばして牙の並んだ顎を開いた。フェルは反射的に退きかけた腕と身体を制止して、むしろ更に手を近付けていく。左手に持った紋章を仕舞って、刺激しないように同じように掲げて燐光を喚んだ。
 口元に触れた燐光が瞬時にその光を失っていく。そのまま先程とは比べ物にならない程静かに牙が噛み合されて、フェルはほぅ、と安堵の息をついた。魔力ではない純粋な氣を喚び起こすと、再びそれを空気ごと飲み下す。
「……大丈夫?」
 すぐ傍まで近寄り、聞いて来たフィレンスのそれにフェルは竜を見やった。
「もう、平気です。少し怪我をしたのと、やっぱりこんな所にずっといたせいで気が立っていたのかもしれません」
 何度も氣を取り込む動作を繰り返すそれを、言いながらようやくつぶさに見る事が出来た。巨大な体躯。暗闇の中ではよく見えないが、全身を甲殻のような鱗のような、しかし柔らかな羽毛のようなもので覆われている。
 しばらくそうしていると、不意にそれが高く首をもたげた。そのまま一声鳴き、そしてまた首を降ろして、見上げるフェルの掌に額を擦り付ける。目を瞬いたフェルが、恐る恐るそれを撫でると、蒼い瞳が閉じられた。
「……懐かれた?」
「……多分」
 フィレンスの問いには一言しか返せず、そのままするすると、まるで質の良い毛氈のような毛並みを撫でていると、それは今度は小さく一声鳴く。
 その様子を見て、息をついたフィレンスはフェルを見やった。視線が合って、それで口を開く。
「……これで平気、なの?」
「……恐らくは」
 確証はないまま、そう返す。敵意は既に感じられないから、いきなり喰われるという心配はさほどしなくても良いとは思うのだが。
「あとは、ここからどうするか、なんですけど」
 いくら人間や他の生物に対して友好的であるとは言え、竜は『異種』だ。しかも高位も高位、時に超のつく高位とまで称されるのだから、本当に戦うような事にならなくて良かったと思う所なのだが、問題はそれだけではない。
「……ここにいたら、多分また同じ事になるよね?」
「それ、なんですよね……とにかくここから出ないとなんですけど、この人が外に出れるかどうか……」
 首元を撫でてやりながらフェルはその竜を見上げた。成人男性の背丈の二倍以上、三倍近くはあるのではないかと思われるそれは、どう考えても出口を越えられるとは思えない。どうしたものかと考えていると、フィレンスが、そういえば、と声を上げた。
「さっきさ、古代語で何か話しかけてたけど、あれ意味あるの?」
「……ああ、あれは……精霊と似たようなものなら、通じるかな、と思って。確証はなかったです。でも、多分通じてるんじゃないかなと思います」
 そこまで言って、フェルは声を上げた。すかさず古代語でここから外へ出る道がある事、そこから外に出る為には少し問題がある事など訴えかけると、その竜はゆっくりと瞬いた。
 次の瞬間、唐突にその鋼色の体躯が淡い光を帯びて、驚いたフェルが腕を引くのと同時にそれが歪む。暗闇に慣れた眼にはそれすら眩しく、手で目元を隠すようにして眼を眇めると、不意に足下に柔らかい感触。
 そこに眼を落として、何度も瞬きを繰り返す。ようやくぼんやりと見えた所で、胸元に軽い感触があって、慌ててそれを抱える。もぞもぞと動いたそれの全体がようやく見えるようになって、フェルは眼を瞬いた。
「……小さく、なれるんですね……」
 恐らく言葉の意味は分かっていないだろうが、腕に抱えるのにちょうどいい大きさに縮んだそれは、くぉん、と応えるように鳴いた。




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