名前とかあるんです? というフェルの問いに、こぅ、と少々明瞭な答えを返したそれは、コウと呼ばれる事となった。
「……もう少し捻るとか、洒落じゃないけど、こう、さ」
「……私名前考えるの苦手なんですもん」
 黒服、エクサの声に、言い訳にもならない言葉を返して、フェルは宝珠の埋め込まれた腕輪を外した。傷付かないように布でくるんでから箱の中に戻して、余った包帯も手早くまとめてしまっておく。そうしながら、目の前に座って捲った袖を戻すエクサを見やった。
「……なんで医療班の所行かないんです」
「だってあそこの雰囲気苦手なんだもん俺。大体は自分で治せるしさ」
「……熱病か何かに罹っても知りませんよ。治癒魔法も回復魔法も、使うほど耐性の基礎的な所が下がるって、知ってるでしょうに」
 にっと笑って言う彼に、フェルは救急箱の蓋を閉じながら息をついた。深い色の体躯のそれ、コウが、ソファに腰掛けたその膝の上に飛び乗ってくる。
 談話室には待機中や任務から帰還したばかりの白黒が常に十人程度入れ替わり立ち替わりしているが、多少の負傷だからと放置するか、その中でも簡単に魔法に頼る黒服が多いのはどういう事なのか。
「せめて止血布と汎用薬くらいは常備しといた方が良いですよ、手に入れるのも簡単でしょう」
「だけどなぁ……面倒と言うか」
「自分の傷に対して億劫でどうするんですか……」
 箱はテーブルの脇にのけておいて、首をのばして何かを催促する様子のコウの、その頭を撫でる。大きめのポットを手に隣室から戻ってきたフィレンスがそのフェルの隣に座って、皿の上に積んであったクッキーに手を伸ばしながら口を開いた。
「フェルが構うから、それでつけあがるんでしょ」
「ええ?」
「基本、誰も構ってくれないからねぇ」
「はは、確かに」
 続けざまの二人のそれに首を傾げたフェルの、その口には摘み上げたクッキーを入れておいて、フィレンスはもう一つを食む。まだ少し温かいそれを咀嚼して、僅かに眉根を寄せた。焼き過ぎた、と呟くうちに興味を示したらしいコウがテーブルの方へと顔を向けて、催促するように尻尾で黒い袖を叩く。
 苦笑しながらも一つを割り、コウの口元にその半分を持って行くフェルを見ながら、不意にエクサが唸った。気づいたフェルと視線が合うなり彼は口を開く。
「本ッ当に、契約見送るのか? 勿体ないだろ、こんな機会そうそう簡単にあるわけでもないってのに」
「色々あるんですよ。それに、コウと契約する力が私にあるとは思えませんもん」
 『異種』の中でも、竜はかなりの高位だ。それと契約するには当然高位上級精霊と契約する場合と同等の力が魔法使いにも要求される。フェルが過去契約したのは中位下級の精霊達、そしてそこから多少なりとも成長したとは言え、高位上級に手を出せる魔法使いが国を見渡しても少ない中、自分がその中にいるとは考えにくい。
 試してみれば明確にはなるだろうが、契約の失敗は代償が大きすぎる。それはどんな魔法にでも言える事ではあるのだが。
「だからってなぁ……ううむ……」
「だって高位の使い魔って、長官とかそのレベルでようやく、じゃないですか。意志持ちの宝珠より稀少ですよ、そんなのと契約できるくらいの力をたかが十法師、十年程度で身に付けられるわけないじゃないですか」
 苦笑しながらも、悲観はしてませんけど、と付け足して膝の上のそれを撫でやる。膜を張ったような、しかし蝙蝠ほどの不気味さはなく柔らかな甲殻に覆われた翼が揺らめいた。艶のある毛が年月を経て凝り固まったものが、まるで甲殻や鱗のように全身を覆っているから、触れれば指が僅かに沈む。コウは耳に優しい梟のような音で鳴いて、その指先にすり寄り甘噛みする。エクサが横から同じように手を伸ばすと、逃げるようにフィレンスの膝に飛び移って行った。
「あれー……」
「嫌われた?」
 茶化すように言ったフィレンスの腕からよじ上り、白い肩に落ち着く。エクサが参ったと言わんばかりに諸手を上げて、フェルはその様子に小さく笑った。肩に乗っかるのが好きなのかね、とエクサが言えば答えるように尻尾をぱたりぱたりと振る。その頬の辺りを指先でつつきながら、不意にフィレンスがフェルへと視線を向けた。
「あ、そうだ、フェル、クロウィル見なかった?」
「そういうのってあなたが把握してないと駄目なんじゃないんですかフィレンス」
「ええ……いちいち全員の動向把握してるのは流石に面倒じゃない?」
「いや面倒とかそういう話じゃないような気がしますけど……」
「だってあいつ仕事無い時は何してるんだか、私も良くは」
 言いかけたフィレンスが視線を上げる。その様子にエクサが眼を向ける。
「どうした?」
「んー」
 その問いかけには適当に返し、指で摘んだクッキーを口に入れ、咀嚼して嚥下したあと一人頷く。フェルはその視線の先にある談話室の扉を振り返り、何かと首を傾げた。それとほぼ同時に扉が開いて、顔を覗かせたのはヴァルディア。
「……またやっているのか?」
 その声で黒服の一団がようやく気付く。一人が紙の束を振り翳して声を上げた。
「あ、長官ー、高位魔法の構築陣縮小ってどうやりゃ良いんです?」
「構築の効率の問題、あとは魔力勝負だな」
 後ろ手に扉を閉じ、黒い集団の方へと歩み寄って来て宙を泳いだその紙の束を受け取って軽く眼を通しながらヴァルディアはのたまう。黒服達の間で構築をしていたらしいと見てフェルが立ち上がり、その輪の中に入って行った。
「何作ってるんです?」
「この季節だからな、氷の高位中級。構築苦手なんだよ、フェルできるか?」
「一応人並みには、ですけど」
 答えたフェルが長官の方を見れば、彼は受け取ったそれのページを繰りながら口を開いた。
「私も『得意』では無いな。最近は必要にかられる事も無い」
「あれ、意外」
「攻撃特化なものでな。苦手でもないが……この四連の記述は無駄だ、消せ」
「ええ!?」
 突き返され、示された計算式にまたわらわらと黒服が群がる。ああでもないこうでもないと言い合う中で、一人、ルエンが声を上げた。
「こういうの得意なのってファスタルくらいじゃないか、あいつ工学師だろ確か」
「あ、駄目。あいつ今ちょうど長期任務」
「げ。調整頼もうと思ってたのに」
「紋章くらいなら編めますけど、それで何とかなる程度です?」
「わからん」
 構築式に眼を落としていたフェルがうめいたルエンを見やって問いかければ、彼はやけにきっぱりと言い放った。視線を遠くしたフェルに、彼は肩をすくめる。
「それこそ工学師に聞けって、俺ただの魔導師だしそういう組み立て苦手なの。それに序列式って紋章と相性悪いんじゃなかったか?」
「物によりますね、属性考えれば抵抗も減らせるはずですけど。街に調整できる人っていないんですか?」
「いるけどたっかいのなんのって。黒服って搾取されやすいからな」
「痛むような使い方をするからだろう」
「いやそうはいっても……連続で三つもデカイ任務渡されりゃ誰でも酷使すると思うんですけどね」
 口を挟んだヴァルディアには視線を向けもせず、やや固く刺のある口調でそう返す。返された方はまるで動じずに更に返した。
「勉強になったろう」
「……おかげさまで」
 ルエンの横に来たエクサが、やめとけ、と苦笑いで彼の肩を叩く。フェルはその様子に小さく笑って、そして改めて広げられた構築式を見下ろした。考え込んでいるその様子に、エクサが声を掛ける。
「フェルは、自分で魔法作ったりする方なのか?」
「ん、と、ちょっとやったりしてます。登録してないので、まだ私しか使えないんですけど」
「どんな?」
「九式の結界とか、傀儡式とか……攻撃魔法は得意じゃないんです、補助とかの別系統の方が作りやすくて」
「傀儡式? それ傀儡師の領域じゃ?」
「結構楽しいですよ」
 エクサの問いに、少しずれた返答をフェルは返す。魔導師の中で錬金術や召喚術に手を出すものは多くても、傀儡式はさほど知られた魔法でも無いせいか、それを身につけようとする魔法使いも少ない。傀儡は確立されてから日も浅い系統だからだ。フェルは机の上を見渡して白紙の紙を一枚と、誰のものかも分からない万年筆を取り上げ、手の平程度の大きさの構築陣を描きながら口を開いた。
「知り合いに、傀儡師がいて。その人に教えてもらったんですけどね」
「へぇ……フェルって顔広いな、今更ながら」
「立場的に、ですね。友達はそうでもないですけど」
「ああ、そっか……」
 うつむいた顔に苦笑を浮かべた様子を見て、エクサは少しばかりばつの悪そうに視線を泳がせる。フェルはその様子に気付いてさらに苦みを増して言う。
「教えてくれた人は、王宮の関係者でも護衛師団の団員でもなんでもない人なんですけどね」
 言って構築陣を描き終えた万年筆を転がし、インクを乾かすために紙を軽く振る。適当にそうしてから四つ折りに折って、その上に手を乗せた。
 小さく何かを呟くように零して、ゆっくりと手を持ち上げる。途端に折り畳まれていた紙がひとりでに折られて形を変え、瞬く間に薄く平べったい人型に立ち上がり自立した。軽く手を掲げたフェルが僅かに指先を動かすと危なげも無く数歩テーブルの上を歩き、ゆっくりと拳を握るにつれて小さく折り畳まれて行く。魔法の気配が消えてフェルが手を下ろしたのを合図に、食い入るようにそれを見ていた黒服たちが息をついた。
「へえ……中々細かい造作も出来るんだな」
「魔法で動かしてるので、実際のバランスとかはあんまり関係ないんです。それらしく見えてれば良いので、例えば……そうですね、きちんと準備さえすれば『私』の複製を造る事もできますよ」
「……複製?」
「複製。知能は材料に左右されるので最終的にどうなるかは分かりませんけど、それなりに魔法も使えて声も記憶も私そのままで。唯一生きていないという事だけ違いますけどね。……大丈夫です、合法ですから」
「お、おう……」
 並んだ微妙な表情を見て付け加えられたのだろう、最後の一言には何とも言えない反応を返して、黒服達は顔を見合わせた。
 どうも想像していたものと違うのだ、この少女は。その想像自体が本人を全く考慮しなかった勝手気侭なものであったとしても、偏見だとは分かっていても、『紫銀』はやはり清廉潔白な生き物だという固定観念が離れない。だからどうしても常に魔導士がある意味堂々と渡り合っているグレーゾーンの存在を明確に口にされれば戸惑いがまず先に出てくるのだ。
 ほとんど唯一そういった反応を返さなかったヴァルディアが首を傾げたフェルを見下ろす。
「準備をすれば、という事は、作った事があるのか」
「何度かありますよ、影武者の代わりにですけど。いつもは他の人に頼んでるんですけど、どうしても無理な時とかは」
「いいのか、それで」
「だって私この若さで死にたくないですもん」
「黒服が言う台詞か?」
「黒服殺すのが仕事じゃないですよね?」
 冷風が吹き抜けたのを感じて談話室の喧噪が僅かに静まる。数秒の硬直、それを破った長官の溜め息にフェルは羊皮紙に向き直る。若干嬉しげなのは見間違いではない筈だろう、それを端で見ていたフィレンスが小さく笑った。
「長官、疲れてるんなら甘いものもあるけど」
「やめておく、あまり得意ではないしな……ついでにフィレンス、今思い出したのだが」
 フィレンスが急に振られたその台詞に眼を瞬かせた。丁度口に含んだ所のものを咀嚼して飲む込む間を置いて更に何事か思案する一拍の後、一切表情も変えないまま彼女は言った。
「すっごく嫌な予感がするからあえて突っ込まずにいたんだけど、もしかして私に用事?」
「さあな。本人に聞け」
 ヴァルディアは言いながら、ぴったりと閉ざされた扉の向こうを指差す。大体の予想のついていたフィレンスは息をついた。立ち上がり、肩に居座るコウを両手で持ち上げて、少し抵抗するように四肢をばたつかせるのを無視してフェルの頭に据える。何かと一度振り返ったフェルが、その拍子に滑り落ちかけたコウの対応に慌てふためいているのをなんとなく和やかな気持ちで見やりつつ、同時にやれやれと思いながらも扉の方にと歩み寄った。
 気付いた数人の何気ない視線を感じながら気付かない振りをして、回廊に繋がるその取っ手に手をかける。半ばまでひらいて外を覗く込むようにして、そして小さくあれ、と声を上げた。
「……フェル!」
「あ、はい、なんです?」
 すぐに振り返り、少し言葉に力を込めて呼べば紫の瞳がこちらを向く。フィレンスは片手で回廊を指差しながら言った。
「ちょっと外すから、気が済んだら部屋来てくれる?」
「はーい、了解です」
「いってらー」
 フェルに続いてエクサが気の無い声を上げて送り出す。フェルは何だろうと疑問に思いつつ、長い銀の髪に邪魔されつつも何が何でも肩に落ちつこうとするコウの様子に苦笑を浮かべた。竜だと言えば驚愕しか無いが、こうしてそのままの姿を見ていれば形の珍しい動物にしか見えない。
「……そういえば食べ物とかも、どうしましょうね?」
 喉のあたりをくすぐってやると眼を細めて小さく鳴く。暖かくもふもふとしているのに柔らかいだけではない、不思議な感触。そのままどうしようかなと考えていると、エクサが少し離れたテーブルの上に積まれ、通りすがりが勝手に摘んでいるおかげで次第に嵩の減っているクッキーを遠目にしながら口を開いた。
「……普通の食べ物で足りるんじゃないかね、この大きさなら。そんな消費もしないだろ」
「んーまあ、この大きさならそうなんですけど……」
「……なにそれ?」
「結構大きくなるんですよね。というかそっちの方が自然体なんです?」
 手を止めて聞いてみると、尻尾でぱしぱしと肩を叩く。どうやら正解らしいと見て、フェルは更に唸った。あの地下街での姿が本当の姿で、今こうしているのは恐らく大幅に力を抑えている状態なのだろう。そうするとどちらを基準に考えるべきなのか。
「……精霊、ってか、使い魔なら、魔法使い側の魔力、だよな」
「そうなるな。契約を交わした段階でそれは自動的に行われる事になる。竜の主食は氣だと言うし、魔力でも問題は無いと思うが」
「……私の魔力って美味しくないと思うんです……」
 言った瞬間、黒服達の視線が集まる。あまりにも一様、そして一斉のその反応にフェルが面食らっている間に視線の交換があちこちで行われ、結果ヴァルディアが転嫁先に選ばれる。察したヴァルディアは溜め息混じりに手に持っていた羊皮紙の束を丸くして握ると、ようやく気付いて振り返った銀色の頭をそれなりの強さではたいた。
「ぅえッ!?」
「今の台詞を街の魔導士に聞かれてみろ、総力を挙げて呪い殺されるぞ」
「え、えっ?」
「自分が精霊に好かれる要因のうちの一つもまともに理解出来ていないのかこの頭は?」
 思わず頭を両手でガードしたフェルに構わず、その上から立て続けに何度も殴る。フェルは椅子の上で出来る限りそれから逃げつつ声を上げた。
「ちょっ、あのっ、長官それ結構痛いんですがっ」
「適度に痛い力加減で狙ってやっているからな」
 本の背やカドでやらないだけ温情だと言いながらもヴァルディアは手を止めずに息をついた。下から聞こえてくる抗議の声の種類が打ち止めに入った辺りでようやくそれを止めると、僅かに涙の浮いた眼が非難がましく見上げてくる。長官がそれを黙殺するうちにエクサが遠い眼をして言った。
「……フェルはあれだな、上は十分知りすぎてるのに、下は全く知らないよな」
「……した?」
「魔導士的ヒエラルキーの下、底辺の方。やっぱ英才教育の弊害とか?」
「だろうな、師団の輩は容赦がない。底辺にいるのだと叩き込んでから上を見せつけるからな」
「長官が言うんなら相当だな……ならあれだ、学校とか」
「あー学校は上下関係そのまんま出るからな。社交性とかグループとかも関わってくるっちゃくるけど」
「魔導士に限定しなくても魔法使いって大抵エグイよな。普通に学校とかで闇討ちあるって聞いたけど」
「げ、俺師匠から独立したからそれ知らない。怖いな学生」
「あれ、師匠の家でも色々無かったか? 俺も師匠について勉強したけど、兄弟子が卒業するまでなっかなか酷かったぞ?」
「そういうのも結構聞くよな。学校も色々あるぞー、精霊に好かれるのと人間に好かれるのと、その割合って反比例するからな」
「剣士は知らないけど魔法使いは大体どこでもそんな感じだよなー……渦巻く嫉妬と策謀の嵐。学校出の魔法使いが性格悪いのって大概そのせいなんじゃないかってな。……フェルついて来れてるか?」
 瞬く間に広がっていった会話についていけず、眼を白黒させていた元凶にルエンが声を振る。フェルは一気に聞こえて来たそれらを飲み込もうとする間を置いて、そして結局ぎこちなく無意味に拳を握って開いてする。
「……ええと……」
 その反応に盛り上がっていた黒服達が一気に息を吐き出した。中で空笑いを上げたのはエクサで、手を伸ばして銀の頭をぐしゃりと撫でる。
「……俺こういう所は想像通りだなって前から思ってたよ」
「安心しろエクサ、大体皆同じ事思ってる」
「え、っと」
「まあ、あれだ。恵まれてるよお前さんは」
 撫でられてからの軽く叩くようにされて、フェルは全く話について行けないまま、その肩の上でコウが欠伸をする。それらを俯瞰する長官が僅かに眼を伏せて思案顔をしたあとに、もう一度そのフェルの頭を叩いた。痛、と思わず声を上げたそれに構わず言い放つ。
「一ヶ月くらい学院に放り込むか」
「えっ!?」
「お、良いかも。揉まれて来い、魔法使いの通過儀礼だしな」
「あの話聞いてから行きたいとか思う人がいるとでも!?」
「いるんじゃね、稀には」
「人を勝手にその特例に仕立てないで下さい……!」
 言い返せば別の方向からまたからかうような声が飛んでくる。その応酬を一歩引いた所から眺めながら、ヴァルディアは小さく息をついた。
 他人からの好意や悪意というものに、疎いのかも知れない。命を狙われる事には慣れ、醒めた反応すら返すのに、話に聞いただけの嫉妬や害意には全くその片鱗すら見せる事は無い。あるいは個人として他人から何かしらの感情を向けられるという事自体に、おそらくはまだ感覚が追いついていないのだろう。
 肩書きが大きすぎた。幼少からそれが自然に背負わされている状態で、それがどのような種類の影響を及ぼすのかは想像に難くない。
「……とりあえずは、話だけでも存分に聞いておけ、フェル。魔法使いなら誰しもが通る道だ」
 言えば乗り気でない表情をありありと浮かべた彼女を横目に置いておいて、ヴァルディアはそのまま扉へと向かう。回廊を右に出て歩き始めてすぐ、気配を感じて振り返った。
 振り返った先の人影は、気安い様子で片手を上げた。
「おう、終わったよ」
 燭台に照らし出されたのは藍色の服を身にまとった男性。火のついていない煙草をくわえたまま、彼は言う。ヴァルディアはその彼を見て深く溜め息をついた。
「……文句の一つも言いたい気分だ」
 途端面食らったような顔をした彼が数歩の距離にまで近付いてくるのを待って、そうして執務室へと向かう。すぐに隣に並んだ彼が横目をくれた。
「なんだ、その割には快諾したじゃないか」
「その事じゃない。……もういい」
「なに、上手くやってんだろ? 当面、心配は無いと思うがなぁ」
「……」
「拗ねんなよ」
「何の話だ。とうとう耄碌したのかユゼ?」
「……言うじゃねえか」
「いつも通りだろう。それで、どうなった」
 金の瞳が向いたのを見て、壮年の彼は僅かに浮かんだ笑みを消した。既に暗い回廊の先を見やり、口を開く。
「第二は、全員残す。あんな事があった後だからな、いつ何があるか分かったもんじゃないが……しかし師団を総動員しても人手が足りんから四協会を回ってるわけだ、国王軍はいつも通り当てにはならんしな」
「毎度の事ながら厄介事ばかり抱えているな」
「長官に言われたかないけどな、まあそれが役目だ。……まずい事になってるからな」
「……そんなに面倒が一気に来たのか」
 見えた扉の取っ手に手を掛け、ヴァルディアは中に入るとすぐの長椅子に腰掛ける。あとに続いて入って来たユゼがそれに苦笑しながら奥、向かいに腰をかけて、そして口を開いた。




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