「蒼樹に護衛付けたって?」
「蒼樹にっつーか、あそこの長官にな」
 詰問する調子の声に、煙草の煙を吐き出し、答える。報告書に眼を通しながら、大きく広げた地図の中から対応する場所を見つけ出して朱を引いた。それを繰り返しながら溜め息をついていると、問いかけてきた彼は横に並んで地図を見下ろしながら器用に煙草を攫っていく。
「屋内禁煙な。で、他の三方にはつけないんですか団長」
「必要ない」
「理由」
「陛下がそう判断なされた」
「……俺、そろそろあんたらの決定を疑問視し始めて良いですかね、団長」
「既にそうだろうが」
 遠慮も逡巡も無く言い合う。そうしているうちに朱を引き終えて、全体を見下ろせば中央以外のほぼ全域が真っ赤に塗られていた。万年筆を持ったまま頭に手をやる。どうすっかねぇこれは、そう呟いたのを無視して椅子を引き、腰を下ろしして灰皿に煙草を押し付ける。地図を眺める団長はそれに言及する事は無く、火が消えたのを確認してからラウルはその彼を見上げた。
「説明できないような事なら、無理にはききませんけど」
「いいや、そういう理由ではないぞ? だが、お前に話して良いかどうかが、今の所わからん」
「どういう方向の意味かは聞いても?」
「信頼していないという訳じゃあない。お前の考えやら、思考やら、そういうのを鑑みて、だな」
「……他の奴らには。ユールは知ってるみたいだし」
 進んで行ってたみたいだけど、とは視線をどこかに投げて呟く。ユールが常の任務以外に背負い込む事自体が珍しいのに、それが自分からとなれば多少は疑問にも思うものだと言外に零せば、ユゼは口元をさすりながら言った。
「あいつは自分で気づいただけだよ、かなり手札は揃ってるからな。あいつは頭脳戦もできる上に行動も早いから、むしろ自分から手札揃えに行ってたけど。お前はそういうの苦手だろ」
 言いながら、ユゼは手に持っていた報告書を後ろ手に渡す。受け取って、しかし読みはせずにそのまま背もたれに寄り掛かった。暖炉がついていないのか妙に寒いのを、ローブの上に羽織ったクロークを寄せてやり過ごす。そうしながらラウルは呟いた。
「……俺、あの界隈苦手なんですよ」
「正体見えないからだろ」
 即答が上から降ってくる。項垂れた。
「分かってんならさぁ……」
「なに、気になるんなら調べて来い。どうせしばらくの間、本隊は動けないからな」
 言うそれに再びユゼを見上げれば、そこでようやく彼の視線が地図から外される。報告書、と促されて一番上のそれを見やれば魔法院の文字。内容は活動領域の制限。眉根を寄せれば肩をすくめる仕草が見えた
「明らかに越権と濫用だからな、陛下と大公に上奏って形で抗議はしてる。だけどすぐに会議だろ、その間この話は進められない。……やっぱり気付くのが遅れたな、内通者が中枢にまでいるとは」
「……だから、先に蒼樹に護衛付けたのか?」
「そういうこったな。それに関して後手に回るわけにはいかない、敵に取られたら負けの駒な上、ある意味フェルと同等以上の価値がある。あの長官には長官でいてもらわないとな……さすがに本隊を動かす時間は無かったが」
「……そこまで重要かよ、あの長官」
「ああ。……なんだ、まだ気付いてなかったか、とっくだから嫌ってんのかと思ったら」
「……何に」
 眉根を寄せて聞き返せば、団長は面白いと言わんばかりに口の端をつり上げて笑う。手を伸ばしてラウルの手から報告書を抜き取った。
「あいつの色」



 硬直したその背中から、鋼色の頭が銀の髪を押しのけて顔を出し小さく鳴き声を上げた。小首を傾げたそれを見咎めた彼女が、まあ、と驚いた風に口元を押さえる。とりあえず、とフィレンスが彼女に席を勧めて、ついでフェルの肩を軽く叩いた。
「そういう訳だから、ちょっと結界張らせてもらうね、フェル」
 言うが早いや既に他人を拒絶する結界が部屋全体に張り巡らされる。フェルはそれを感じながら、横を通り過ぎようとしたフィレンスのクロークを掴んだ。何かと振り返った彼女に体ごと顔を向ける。見上げて、眼を細めた。
「……何やってんですか紫旗師団」
 冷めた声が落ちる。胡乱な眼を向けられてフィレンスも眉根を寄せた。
「私に言わないでよ。団長のやってる事なんだし」
「貴女、発言力で言えば五番目ではありませんでしたか、ラシエナ・シュオリス」
「人の事言えた立場じゃありませんからねリジェヴァンティ大公閣下」
「二人とも、喧嘩しないのよ」
 冷めた批難をし合うそこに声が落ちて、フェルは溜め息をついてからソファに座り直した。クロウィルが我関せずの様子でテーブルの上のものを纏めている様子に卑怯者、と胸の底で八つ当たりをしておく。視線を上げれば、変わらず部屋の様子を物珍しげに眺めているその人もそれに気付いて、そしてにこりと笑んだ。
「本当に久しぶりね、フェル」
「……お久しぶりです、陛下……」
 思わず項垂れる。その様子を見てかあらあらと声を上げるのに更に脱力した。__キレナシシャスの国主、スィナル。
 肩に身を乗り出したコウが顔を覗き込んで来るのを片手で撫でて、そして深く息を吐き出す。背を正して正対する、服装はもうこの際仕方が無いと割り切った。
「次回が無いように願いますが、もしあるのであれば前触れを頂きたいです。……今回も、そうして頂ければ」
「驚かせたかったんだもの。びっくりしたでしょう?」
 言う笑みが無邪気そのものでしかない事にフェルはなんと言ったら良いのか分からずに額に手を当てた。頭痛がする気がする。陛下、この国の頂点に君臨する女王は、チョーカーから揺れる王たる証の国紋を押さえながら小さく笑うだけ。
「安心してちょうだいな、ちゃんと理由あっての事だから。勿論、フェルや、ヴァルディアに久々に会いたかったという事もあるのだけれど」
「私も長官も、今はこちらの協会に属していますから、そう簡単には。長官は、何度かそちらへと聞きましたが」
「私もそうだって聞くんだけれど、私の所に来てはくれないの。幼馴染みと同じようなものなのに、素っ気ないとは思わない?」
「……あの長官ですから……」
 僅かに眼を逸らす。義理には全く興味もないと言わんばかりの彼は、特に貴族達には慇懃無礼で通っている。それを好ましいと取る人物も居るにはいるが、大多数の反応は言わずもがなだろう。スィナルもそれを分かって、それでいてフェルの小さな声には軽やかに笑った。
「でも彼も貴女も、出て行ったきり、本当に中々中央に帰って来てくれないんだもの」
「それこそ理由あっての事ですから。会いに来て頂けるのはありがたい事ですが、せめてユゼをお連れ下さい、陛下」
「ユゼには、別の仕事を任せてきたの。彼でなくでも、三席達がいてくれるから、私は大丈夫」
 言いながらスィナルが振り向いた先で、わずかに藍色の陰が揺らめく。いくつかあるそれを見やって、そういう問題でもありませんけれど、と呟けば、影武者も残してきたからと返ってくる。
「フェルこそ、最初は護衛のラシエナたちを協会に入れるなんて、私は反対したのだけれどね」
「私のこれは、想定されていたようですから。陛下は、私自身の時は一言も仰らなかったじゃないですか」
「親が子に命令する権限を持つのなんて、ほんの少しの時だけだもの」
 テーブルに置かれた紅茶をわずかに口に含んで、変わらず柔らかい表情のまま彼女は言う。
「この関係が義理であろうとね。公私混同はしないつもり、だから私は王として命令はしても、親として束縛するつもりは無いわ。大公が国にいるという事実を守るために王宮に鎖じ込めるなんていうのは、王として魅力を感じなかった。それだけの事」
 手元に視線を落とす。一つ息をついて眼を伏せた。
「……事実、ここに来ても中央や国境の外で何が起こっているとも聞きませんからね」
「ね、そういう事。だって閉じ込めた所で大人しくしているような子じゃないんだもの、日頃のお仕事も含めて、やりたいって言ってる事が民衆の為になるのであれば私が止める理由も無いわ」
 フェルの肩から降りたコウが足元に座り込んで見上げてくるのを見て、スィナルは手を伸ばしてその頭を撫でる。珍しく逃げずにそのまま撫でられたコウは小さく鳴いてからフェルの膝に戻ってきて、丸くなって眼を閉じた。首筋を撫でてやるのを見てか口元に手を添えてふふ、と小さく笑む。
「ヴァルディアから聞いたわ、その子が竜の子?」
「はい。名前はまだ分かりませんが、最近は一緒に」
「仲がいいのなら良い事だわ。心強いわね」
 よろしくね、とスィナルが声をかければ尻尾がぱたりと上下する。その様子に揃って小さく笑ってから、はたとフェルは顔を上げた。
「……それで、陛下は何故こちらに?」
「あらいけない。そうそう、今日はフェルに頼みたい事があるの」
 言った彼女が紅茶のカップを戻して、そして僅かに視線が逸れる。それとほぼ同時にフェルの目の前に現れたのは数枚の羊皮紙で、受け取る最中にとん、と肩を軽く叩かれる。ほんの小さなそれに少し嬉しい気持ちを覚えつつ、肝心の羊皮紙に書かれた文章を見やればそのすべてがただの書き付けだった。
「……これは……?」
「お願いしたい事に関係のある内容。言ってしまえば、フェルやフェルの護衛が中央から出るままにしておいてよかったかもしれないわ。……最近の魔法院の動きがおかしいという事は、聞いているかしら」
 それを聞いて僅かに眼をひそめる。魔法院、魔法統制統御院は国内に留まらず、隣国、大陸内に存在する魔法と『異種』の因果関係を明らかにする事を目的とした研究機関だ。キレナシシャスでも魔法使いの重鎮が多く在籍する、軍や協会としても無視できない影響力を持つ場所。その名を挙げられて、フェルは書類に眼を通しながら苦笑した。
「中央が手薄になっているとは、薄々感じていましたが」
「耳が痛いわね。その影響もあるかもしれないわ。それは最近の魔法院の動きを観察した結果。あとは収支ね。今年分の研究予算は既に決定しているのだけれど、年が明けてから一月足らずでその三割近くが消えているの。まずそれが一つ。もう一つは、管轄外の魔法の出入り」
 言いながら、スィナルは耳飾りの片方を外す。そこに垂れた真珠の一粒を慣れた手つきで外して、差し出されたそれをフェルは手のひらに転がした。微細な魔法の気配、おそらくは簡易宝珠の一つ。
「まだ魔法院に登録されていない魔法は、確認されているだけでも千を超えるわ。それでもそのほとんどは情報として魔法院に存在する……今回、そうですらない魔法が検知されたわ。それはその中の一つ」
 参考になるかもしれないと思って、と彼女は言う。フェルは受け取ったそれを見やって、そして黒服の袖の中に手を入れて宝珠を取り出した。宝珠に真珠を触れさせるとその二つがほのかに燐光を放つ。それを見てフェルは眼を細めた。
「……調べられそうではあります。ただ、私が入り込める部分も限界がありますから、その部分は多少の時間を頂ければと」
「頼もしいわね。……すぐに会議があるから、これから魔法院も動きづらくなるはずだけれど、その分守りに入るかもしれない。こちらもなかなか大々的には動けないわ。会議が終われば、できる限り私の方でも戸口は広げさせるけれど、足りない部分もあるかもしれない。なんせあそこは治外法権だから。おかげで師団も動かせなくなってしまって」
「団が? どうして」
 頬に手を当てて嘆息するその台詞に、思わずその彼女の背後を見やれば僅かに風景が歪んで藍色の衣装の男性が現れる。第一部隊の三席、リクシェは困ったように笑って口を開いた。
「どうやら派手に動きすぎたようです。院からお叱りを頂きました」
「お叱り、って……」
 できないはずじゃと国王を見れば、悩ましげな表情で眼を伏せた女王は小さく息をついてみせた。
「そう、堂々と越権してくれちゃって、流石の私も困っちゃったわ。でも正規の訴えだから、一蹴すれば今度は王権の濫用だってこっちが弾劾される。だから今師団は護衛目的以外に動かせないの。ごめんなさいね」
 言うそれにフェルは頭を抱える。となれば、神殿に誓願が送られてきた件も、護衛師団が動けなくなったおかげでしばらくは凍結されるだろう。そうなればその分が回されてくるのは協会だ。厳密に言えば、協会の所属者のなかでも白と黒。
 おかげで納得できたが、と思いながら息をついた。もう一度藍色の彼を見やる。
「国内の『異種』の件はどうなりましたか」
「団のみの情報ですが、現段階では例年の二倍近くにまで増大しております。団の下位を動員して主要な街の警護と警備の無い町や村を守らせてはおりますが、こちらも数がいるとはいえ全ては不可能な上、被害数の上昇を抑える事はできておりません。今回の魔法院からの件で、そのほとんどは王宮に帰還せざるを得ない状況にあります」
「ユゼからも、その話で上奏があるはずよ。時間もぎりぎりだから、会議中に間に合えば、という所だけれど」
 聞きながら、フェルは手にした書類に眼を落とす。僅かの沈黙、そして後ろ手にそれを背後に控えたフィレンスに渡してから口を開いた。
「……できる限り早く、護衛師団で確認できる『異種』の被害の、種別と数の記録を神殿に、人的被害の有無にかかわらず全てを。可能なら昨年以前の過去の分も頼みます。もし紋章士や神官に止められるようでしたら私の名前を出しても構いません、諮問の一つだと。明日からは私もしばらくは向こうですから、先に言い含めてはおきますが」
「畏まりました」
「陛下、さすがに職務の関連ですぐには難しいかと思いますが、日常から素行に問題があると思われる神官数名の罷免要請をお届けします。刑罰については慣例に従って陛下にお任せを」
「ええ、公正な判断を心がけるわ」
 答えた彼女はにっこりと笑みを浮かべている。それぞれの後ろに立ったリクシェとフィレンスが僅かに視線を交わして、方や苦笑し方や嘆息するのに気付いたフェルが首を傾げるのと同時、さて、とスィナルが立ち上がる。
「お茶をありがとうね、フェル、ラシエナ」
「もう、発たれますか?」
「ええ。北にはもう行ってきたのだけれど、すぐにまた南に行かなきゃいけないから。あそこには公の用事があるから、今ごろは影武者の子が王都を出たあたり。会議が始まるまでには帰っている予定だから、それは安心して頂戴」
 言いながらスィナルは手を伸ばしてフェルの頭を撫でる。少し気まずそうにしながらも拒否の様子が無いのをみて彼女は小さく笑った。
「じゃあ、こっちの仕事も頑張って、フェル。また会議の時……と言っても、もう明日だけれど。そこで会いましょう?」
「はい。陛下も、道中お気をつけて」
「ええ、ありがとう。……そうそう、大公としての謁見の希望もたくさん来ているみたいだから、少しでも考えてあげてちょうだいね」
 言われた途端にフェルは苦い顔をして眼を逸らす。更にそれを撫でて、そうしたスィナルがリクシェから受け取ったブレスレットを着ければ瞬く間にその姿が消え失せる。僅かに間を置いて部屋を覆っていた結界が解かれたのを感じてからしばらくして、フェルはふむ、と腕を組んだ。少し考え込むような間。
「……どうした?」
 いつの間にか姿を消していたクロウィルが、隠形を解いてそれに問いかける。問いかけられたフェルは彼を振り仰いで、そして僅かに首を傾げた。
「穏便に団長を殴る為にはどうしたら良いと思います?」
「やめとけ」
 駄目かー、と呟く。クロウィルとフィレンスは眼を見交わして、そしてあきれたように息をついた。




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