どこか浮き足立ったような空気に苦笑した。控えの部屋にある古びた化粧台の小さな鏡の前を占領して、様々な色の髪をきっちりと頭布の中に纏めてしまおうと苦心するのは厨房場の侍女達だ。扉をくぐって一番に見えたそこに、苦笑しながらも、ぱん、と手を叩けば全員が慌てて振り返る。さらに苦笑の色を強めて彼女は言った。
「ほら、気持ちは分かるけど、準備が先ですよ。年に二度しかいらっしゃらない大事なお客様なんですから、失礼の無いように、万全に整えておかなくてはね」
 この雰囲気になってしまうのは仕方が無い事だけれども、とは口には出さずにそう言えば、彼女達も苦笑ではーいと素直に答えて、口々に見つかっちゃったと言い合いながら厨房に駆け込んで行く。その中で最後尾に居た一人が、不意に見送る彼女に見て言いにくそうに口を開いた。
「あの……厨房長、作業を全て終えたら、一度着替えてきても良いでしょうか……?」
 侍女のお仕着せを押さえながら彼女は言って、ついで気まずそうに視線を落とす。言われた彼女、厨房の全てを預かる初老の厨房長は、それにはふ、と笑みを浮かべた。
「あなたのお兄様は南にいらっしゃるそうね。今日こちらにいらしたの?」
「いえ、それはまだ……」
 言いよどむそれに更に微笑ましい気持ちが大きくなって、その彼女の肩に手を触れる。見上げてきたそれに微笑みかけた。
「先に確認しておいでなさいな。もし手紙を書くのなら紙とペンを貸してあげますから、今日の最後の仕込みを終えたら私の部屋にいらっしゃい。字は書ける?」
「あ、はい!」
「それなら、大仕度までまだ時間はあるから、始まるまでには戻ってくるように。……外殿門の衛兵さん達もしばらくは優しいはずだから、事情を話して通してもらいなさい」
 言えば彼女は深く頭を下げて、そしてすぐに身を翻して回廊に駆けて行く。それを見送ってから閉じかけたままの扉ををみて苦笑し、手を伸ばしてそれを閉じてからやれやれと袖をまくり、厨房に向かった。
 今日からしばらくのこの数日は、この王宮の端においても普段とは全く違うのだ。



 純白の衣に、より白い糸で雪の紋章を織り込んだ衣装を磨き上げられた石に滑らせ、足早に過ぎ去る数人を見やって、彼はおやと声を上げた。
「『雪の神官』の方々が西翼にいらっしゃるとは珍しい……蒼の方の到着でしょうか」
「か、ね。てことはフェルもだな」
 視線をそちらに向けて行った黒いローブの初老の男性に、白に金と深紅の刺繍が施された騎士の衣装の青年がつられたようにそちらを見やり、言う。その後ろに居たもう一人、灰と緑の刺繍の同じ騎士の装いの三人目が、ほんの僅かに心配そうに眉根を寄せた。
「閣下も、怪我などされていなければ良いのですが……」
「んー、まあ、こうなった以上無傷では済んでないだろうけど……」
 ちら、と周囲に目を滑らせる。自分たちの他に人影も気配もない事を何度目か確認して、そうしてから不安げな彼に向かって肩をすくめてみせた。
「命に関わるような事にはなってないだろ、多分」
「なら、それで良いのですが……どうにも、落ち着きませんね」
「大丈夫ですよ、西の事ですから。何なら後で問いつめる時間を設けましょう、ヴァルディアも一緒にね」
 ローブの彼の言葉に、残る二人は顔を見合わせる。片方が苦笑し片方が面白そうに笑った所で、さ、と黒の彼は二人を促した。
「行きましょうか、お待たせするわけにはいきませんからね」



 陣を使った蒼樹から王宮までの移動は、いつも使っているような距離の比ではないせいか、やけに長く感じられた。
 僅かにつんのめるような感覚とともに両足が堅い地面の感触を掴む。思わず軽くたたらを踏んで視線を落とした先、磨き上げられた石畳に彫り込まれた構築陣が急速に光を失って行く中で、ヴァルディアは深く息をついた。振り返って白黒の頭数を確認していると、そこに歩み寄る音。
「ようこそおいで下さいました、ヴァルディア殿」
 聞こえた声に視線を向ければ、紫色の組紐の飾り帯を肩にかけたローブ姿の白髪の老人。真っ白な長い髭の奥でにっこりと笑んだその人に、ああ、とヴァルディアは仄かに笑みを返した。
「出迎えが老師直々では、後が怖いな」
「譴責を恐れるようなお方でもありますまいに」
 ほほ、と柔らかい笑い声を上げて、老人ははてと長官の背後を見やる。物珍しげに周囲を見渡していた白黒達がその頃にようやく老人に気付いたようで、その中に埋もれていたフェルが小走りに駆け寄りながら声を上げた。
「老師!」
「ああ、フェル様」
 嬉しげなその声に老人も答えて、そして両手を差し出して出迎える。それを握り返したフェルは嬉しそうに目を細めて、それを見やった老人も相好を崩した。
「お帰りなさいませ、フェル様。お元気なご様子で、何よりでございます」
「ただ今戻りました、先生」
 そう交わす、その横でそれを見ていたヴァルディアの袖が一人がつつく。視線をくれた彼に問いかけたのは、女性の白服。
「あの、どういう方です……?」
「ああ、……」
 言いかけて、ヴァルディアは一度その老人を見やる。何かを考えるような間をおいてから、今度は片足を引いて半身で振り返り、気になっているのだろう数人に向けて口を開いた。
「魔法院の長官のキレークト老師だ、私も中々逆らえない相手だな」
 そのさらりとしたその返答には黒服達がぎょっとした顔をする。聞こえていたのか、気付いた当の本人はほほとやはり柔らかく笑う。見れば後ろには数人の神官も控えていた。
「なに、老人が古巣に居着いているだけで、なあにもしてはおりませぬよ。ただ時折若者に苦言を呈しては、煙たがられるだけでございます」
「煙たがるなんて」
「フェル様は素直であらせられますからのう。そちらの長官は、さてどうでしょうか」
「忠告には従う事にしている」
「そこに至るまでが、随分と長い気が致しますな」
「進言が多いだけだ、代案が多く生まれるのは良い事だろうと思っているが」
 答えながらヴァルディアはわざとらしく視線をあらぬ方に投げる。そうしておいてから、そうだと目を戻したのはフェルの方。
「お前はどうする」
「あ、と、神殿に戻って準備をしてから、雪騎士を動かして陛下に挨拶に行って護衛師団の本部で引き継ぎをしないとなので、ちょっと定刻ぎりぎりになりそうです。あと一時間、ないくらいですね」
「わかった、ではまた後でだな。……逃げるなよ」
 最後の、まるで釘を刺すような一言に白黒達は疑問符を浮かべる。どこからか忍び笑いが微かに聞こえて、そういえばと何人かが周囲を見渡した所で、ほんの少し固い声音の声が答えた。
「……貴方に言われたくないです」
 言った、その姿が急激に薄れる。何かに振り向いたような仕草を最後に完全に見えなくなったのは、おそらくは護衛師団のそれだろう。神官たちもそれを見届けてそれぞれに無言のまま頭を下げてから足早に立ち去るのを見送ってから、更に数秒の間を置いて、そして振り返ったのはキレークトで溜め息をついたのはヴァルディアだった。気付いた老人が小さく笑う。細められた瞳のくすんだ緑が、僅かに鋭さを増す。
「さあ、色々と言いたい事は山積みではありますが、貴方には後ほど、蒼の方」
「わかってる。……覚悟はしてきた」
「なればよろしい。執政には関わらぬというしきたりでは、今回は語れますまい。……さて、それはまた別に致しましょう。では改めまして」
 視線が改められて、老人は白黒の九人に向き直る。その時には既に元の笑みを取り戻して、そして右の肩にかけられた紫の綬を左手で押さえて、彼は軽く腰を折った。
「陛下より魔法院を預かっております、キレークト=レファールでございます。蒼樹の方々にはお初にお目にかかります」
 丁寧なその所作に、所属者達もそれぞれが最高礼を返す。魔法院の長官となれば、執政に関わる事はできないもののその地位は宰相に次ぎ、影響力も相当なものになる。それらを見やったキレークトはやんわりと笑みを浮かべた。
「何かと息苦しい場所ではありますが、どうぞ気をお楽にしてお過ごしください。何度かこちらへいらした方もいらっしゃるかと思いますが、極力変わりのないようはからってございます。皆様のお世話はいつの時も、大公閣下のご好意により神殿でもって頂いてはおりますが、何かありましたら些細な事でも、侍女や神官、赤か紫、黄の綬の者にお声かけください。魔法院の者達でございます故」
 綬、と言いながら自身の肩にかけられた組紐の飾り帯を示す。王宮の文官は衣装とはまた別に、この綬でもって所属と官位を示す。綬を持たないのは軍属か登城の貴族達、あるいは神官か王族に限定される。
「細かい作法などはお気になさらず、宰相殿も大臣方もその事に関してはとやかく言いますまい。ただ、王宮の人間には好きにやらせてやって頂けると助かります、彼らは破れば罰を受けますからの」
 それには白黒は首肯で返答する。それに頷き返したキレークトがいくつかの細々とした事柄を伝えて、そして一度言葉を切る。ちらと長官を見上げてから、その目をゆっくりと伏せた。
「……さて、皆様には特別にお伝えしなければならない事が一つありますの」
「……紫銀の事、か」
「左様」
 一人の声には短く肯定を返す。老人は髭を押さえながら言った。
「紫銀、フェルリナード様……こちらでは大公閣下とお呼び申し上げる。リジェヴァンティ公フェルリナード・ラツェル・シャスティル=キレナシシャス様は、系譜の上では女王陛下の第一子、王女殿下にあらせられます」
 その老人の言葉に、数人がほんの僅か表情を変える。気付いたのか、老人は苦笑を浮かべた。
「勿論、ご本人は是とも否とも申されてはおりませんよ」
「まあ、そうだろうな。あの性格だ」
 呟きにしてははっきりと声を上げたのはエクサだ。横に居たセオラスが然りと頷くのをロイが叩くのを見て、キレークトは楽しげに笑い声を上げる。
「いやはや、フェル様はよく馴染まれておりますかの」
「馴染んでるっていうか巻き込んでるし巻き込まれてるだろ」
 答えたのはセオラスで、それに苦笑を浮かべたのは白服のフィオナだ。彼女は口元に手をやりながら笑みを浮かべた。
「セオラスさんの場合は、巻き込んでる方だと思いますけれどね」
「え」
「あ、私見ですよ」
「え、私見だからって良い話かこれ?」
「二人とも話聞こう話」
 言い合う二人の後ろから突いて小声で言ったのはフィオナと同じく白服の女性、エレッセアで、キレークトはそのやり取りと、周囲の慣れた雰囲気にほほ、と笑う。
「いやいや、構いません。実はこうして白や黒の方とお話しするのは随分と久々でして。今回は全ての協会を出迎えておりますが、西は随分と和やかですな、ヴァルディア殿」
「……私のせいか?」
「一助はありましょう、無いとは言わせませんぞ。……言っておかなくてはならない事はあったのですが、必要は無いようですな」
 それには流石に全員が頷くやら肩をすくめるやらの反応を返す。キレークトは嬉しげに微笑んで、そしてそうだ、と声を上げた。
「全てに関して、では不都合があるやもしれません。フェル様もあのようなご気性ですから、何かと理由を付けて様子見に行かれる事もあるかと思われますが……」
「……え、何、神殿ってそんなに警備甘いのか?」
「甘いというよりはかなり厳しい方なのですが何故か潜り抜けてしまわれるのです」
 それを聞いて、白黒九人はそれぞれに目を見交わして最終的にヴァルディアにその視線が集中する。向けられた彼は眉根を寄せた。
「……何だ」
「いえ、別に」
 視線を外したエレッセアがほんのりと笑みを浮かべて即答する。キレークトは小さく笑いながら続けた。
「そのようなものですから、話題に出す時や、もしフェル様を大公としてではなくお見かけした時には、『レナ』と」
「レナ?」
「フェルが王宮内で扮装して追っ手をからかって遊ぶ時に名乗る偽名だ。大体が侍女か神官か魔法院だが……どこで服を入手しているのやら」
「謎は尽きませんなぁ。ああ、もし神官や神殿騎士達が右往左往していたら、おそらくフェル様の逃亡でありましょう、余裕がありましたらお手をお貸し頂ければ」
 言うキレークトは和やかに笑っている。なんか危機感無いなと一人がごく小さく呟いた。聞こえなかったのか聞いていなかったのか聞かなかったのか、それには何の反応も返さず老師はではこちらへ、と一方を示す。陣の書かれた部屋にある扉は一つきりで、老師の先導でそこを潜れば緩やかな上りの階段。それを上ればようやく太陽の光が見えて、出たのは硝子の天窓の、四阿にも似た場所。中庭に出ると、その背後で地下へと続く階段が跡形も無く消え去った。
「警備の一環でございますな。協会がもし何者かにより陥落しても、そこから直接王都を襲撃する事のできぬように」
「逆も無い、か。厳重だな」
「中枢でございますから。お気をつけ下さいませ、王宮の地下は迷宮でございますよ」
 迷い込めばどうなる事か、とキレークトはどこか悪戯めいて言う。迷い込むのも大変そうだとエクサがそこを見渡せば、周囲は雪の気配など全く見えない広い芝生と生け垣の場所、すぐの所に白い柱に日差しと雨を遮る為の屋根が伸びていた。その方を示してこちらです、と先導する老師について静かな回廊を渡る。
「神殿に近い場所を、恒例ながらご用意させて頂いております。会議場にも近い場所ですな」
「……そういえば本当になんで来てんのかわからないな俺たち」
「ご安心くださいませ、皆言います」
 それには苦笑が起こる。そうしながら棟の中に入って行き、細々とした説明を聞きながら数人の侍女や召使いとすれ違い、棟の中と回廊を進んで行く。
 その途中で、不意にヴァルディアが視線を滑らせた。通りかかった回廊の分岐を見やり何かに気づいたようにその足が一瞬止まる、瞬間、
「もーらっ、たあああ!!」
 男の声とともに一行の真横から白い何かがヴァルディアに直撃する、それと見た刹那白黒がとっさに身構えたて、そして即座に畳み掛けるように遠くから別の声が静かなそこに響いた。
「あああああ何やってんですかやめてくださいって絶対やるなってあれほど!! 言ったのに!!」
「いやいやいやいや、今のは油断していた方にも非があるだろって。それに半年ぶりに旧友に会えば突撃したくもなるだろ?」
 駆け寄ってくる足音に答えるのは目の前の白、よく見れば腰に剣を佩いた騎士、白と言う事は白服だろうが、それにしてはクロークにも刺繍が施されているのは珍しい。直撃を受けたヴァルディアはその白の腕が首に回されたまま、半ば全身に覆い被さられている状態のまま咳き込んでいた。一人先導の為に数歩先を歩いていたキレークトが、ヴァルディアに突撃して行ったその白に振り返って、おや、という表情を浮かべる。
「リアファイド殿、先に部屋に案内しませんでしたかな」
 声をかけられて、それでようやくその白は顔を上げたらしかった。見えたのは後ろ頭、赤い髪。
「いや暇だから散策してた。で、そろそろかなーと思って色々待ち伏せしてたんだけど、二カ所外したな。それで三度目の正直ってことで追っかけてきたら大正解」
「連行されるこっちの身にも……っていうかあーもうまたそうやっていつも暴走するから毎回行きずりの神官に悉く小言喰らうんですよ!」
 最初の白が飛び出してきた回廊から、遅れて駆け寄ってきたもう一人も白、しかしこちらは刺繍の色が違った。白黒達はもしやと思って視線を交わしたが、当の本人達が気付かない。灰色に緑の刺繍の方が背を丸めて咳を繰り返しているヴァルディアからもう一人を引き剥がしながら彼の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか、というかむしろなんで真正面から受けちゃったんですか反撃しても良かったと思いますよ今の」
 それに、ようやく呼気の逆流と喉の違和感を押さえ込んだヴァルディアが、潰れたような掠れたような声を押し出した。
「……喉は、卑怯だろう」
「あー声死んでますね……ほらそこの馬鹿御曹司、このレベルの魔法使いの喉潰したら処刑もんですよわかってますか国益損害って次元の話じゃありませんよ」
「んな簡単に潰れねえだろこいつなら。というかちょっと待て、御曹司は認めるけど俺は馬鹿じゃない」
「馬鹿は全員そう言います」
「おう? やるか自称平和主義者の戦闘狂」
「鋏も素材が煙なら使い様も使われ様もありませんね空に消えろこの馬鹿が」
「……喧嘩なら訓練場でやってくれ」
 ヴァルディアの低い声に片方は溜め息をつき片方は肩をすくめる。それでようやく最初の白がずっとタイミングを逃し続け今更反応も出来ない九人に気付いて、あ、という顔をした。そして鷹揚に片手を上げてみせる。
「よ。初対面ばっかだな、西の連中か」
「……はあ……」
「自己紹介くらいしたらどうですか不良貴族……」
「アルお前俺に恨みでもあんのか」
「ねーですよこれっぽっちも。苛立ちならありますけど。どうも、南のアルフェリアです。突然失礼しました」
 真っ白の長髪に緑の瞳の彼は、後半は九人の方を向いて言う。目礼を返せば少し申し訳無さげに微笑む。ローブを適当に正したヴァルディアがようやく立ち直って、それでようやく白黒の方を見てその緑白の彼を示して口を開いた。
「……南の白樹の長官だ。アルフェリア・ローディア=オティシン殿」
 やっぱり、という顔をしたのが大半。じゃあ、と視線が動いたのに気付いたのか、腕を組んだ赤髪に緑の瞳の彼は、ああ、と声を上げる。よく見れば短めに整えられた彼の髪は毛先に向かうにつれて色が抜け、金へのグラデーションに染まっていた。
「俺は東な。リアファイド・レイディア=アイラーン、北の御仁は挨拶回り中……って、俺の紹介は無しか、ディア」
「私は人外の友人を持った覚えは無い」
「俺人間以外になった覚えないんだけど?」
 言われたヴァルディアが珍しく、おや、といった風の表情を浮かべて彼を見やる。無言のまま疑問符を浮かべたリアファイドに手を伸ばしたヴァルディアは、何の前触れも遠慮もなくその前髪を強く握った。
「っ、ちょっ待った待った髪はアウトだろ待て待て待て痛い痛い痛い!!」
「等価だろう。ついでに言っとくがヒントは七年前、学院、クウェリス」
「ああああああいつ人の事自分から触りたいって言っといて人の髪の毛ニワトリみたいだとか抜かしやがったよなくっそあいつどこ言った両断してやる放せディア!!」
「珍しい、ニワトリが三歩以上記憶を保っているとはな」
 は、とどこか嘲笑するように笑ってヴァルディアは手を離す。握られた場所を押さえて悶絶するリアファイドを放置し、ヴァルディアは始終にこやかに笑みを浮かべていたキレークトを見やった。
「……すまない老師、騒がしいから先に行く。あいつらの案内を頼みたい」
 あいつら、とは既に傍観体制に入りつつあった白黒達の事だ。呼びかけられた老人はにこりと笑んだ。
「元よりそのつもりですよ、ヴァルディア殿。にぎやかなのは宜しい事ですが、あまりに、ですと神官に目を付けられましょう。お気をつけて」
「それはそこのニワトリに叩き込んでおいてくれると助かるな。アルフェリア、行こう」
 長官の片方を手招いて、赤い方には視線もくれずにヴァルディアは歩き出す。刹那の逡巡もなくその後を追いながら、アルフェリアは背後のそれを肩越しに指差した。
「放置してっていいんですかねアレ」
「そのうち飼い主が回収する、放っとけ」
 言い合う二人の姿は回廊の一つに消えて行く。相当痛かったのか足音も遠ざかってから顔を上げた最後の一人に、キレークトはふ、と笑んだ。
「リアファイド殿、もう少し大人に」
 額のあたりを掌で押さえた彼はそれにむっとしたような表情を作るが、それもすぐに消えて行く。二人を追いかけるように足を踏み出して、そして思い出したように白黒を振り返った。
「と、そうだ、お前らラシエナ……じゃない、フィレンスって知ってるか?」
「え? ああ、西に居るが……」
「今回こっちには来てるか、あいつ」
 それにはおそらく、としか答えられない。だがフェルが来ている以上はそうなのだろうと思ってきているはずだと答えれば、彼はふむ、と視線をどこかに投げる。
「届かなかったかね……まあいいか、ありがとな」
 言って、小走りに回廊に消える。見送ったうちの一人、黒服のベラが腰に手を当てた。
「……今気付いたんだけどさ」
「何に?」
「今の長官、リアファイド……称号は聞きそびれたけど、アイラーンって言ってなかったか?」
 彼女のそれにほぼ全員が疑問符を浮かべて、唯一ロイが、ああ、という顔をした。少し遅れてフィオナがあ、と声を上げる。そこに視線が集まって、彼女は何故すぐに気付かなかったのだろうと苦笑した。
「アイラーン。……フィレンスの姓ではなかったでしょうか」
 そこでほぼ全員があ、という顔をした。視線が向かった先の老人は、やはりというかにこりと笑みを浮かべて答える。
「まさしくですな。リアファイド殿は、正しくはリアファイド・レイディア・フォク・ファツェルテ=アイラーン侯爵、アイラーン公爵家の嫡男で、ラシエナ・シュオリス・リジェル・ディア=アイラーン女伯の兄君にあたります」
 頭が痛くなりそうだ、と誰かが呟いた。




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