そこはかとなく場内が騒がしい。いつもはサロンからの楽しげな談笑の声や音楽が聞こえてくる以外には、静かに回廊を歩く足音くらいしか聞こえることのないはずの南翼では、今日になって陽が昇ってからというものメイドたちが慌ただしく行き来を繰り返していた。いつもと違うのはそれだけではなく、紅の騎士の装いに剣を携えた人影もちらほら見えることに気付いて、そして彼は槍を肩に担ぎながら息をつく。
「この時期は面倒なんだよな、門の警備」
「面倒でも何でも、それが俺達の仕事だよ。確かに賑やかになるのは警備上いただけないが」
 面倒を起こすような連中でもあるまい、とは東の方に視線を投げて呟く。むしろと言いたげに向けられた視線の先に赤い人影がいくつも見えて、そして彼は足を止めて息をついた。
「……ま、何もなけりゃいいけどな」
 言えば肩を軽く叩かれる。それに促されて、回廊を進んでいく。王宮の中心に背を向けて、向かうのは南翼の最南端。
 王宮は大きく内外の二つに区分され、その内側がさらに東西南北の四方に分けられる。南翼は唯一外から内へと入る門があり、内は登城した貴族や他国からの使節、来賓などが通される棟で形成されているが、常日頃から人の多いここは他と比較しても賑わいはひとしおだろう。だがその南翼に入るためには外殿から内殿へと渡る回廊を必ず通らなければならず、その警備は外殿に詰める剣士や魔法使い達が担当している。時間を問わず、閉門後の夜半もずっと回廊を見張り続ける、単純とはいえ重要な役割。
「……でも騒がしいっていや、神殿も中々だったな」
「ああ、雪騎士か」
 同意を浮かべた彼がわずかに視線を遠くする。交代の時間を前に一度神殿に寄ったが、確かに雪の紋章を戴く騎士たちが、まるで王宮の中の空気に当てられたかのようにどこかそわそわと落ち着かない様子だったのを思い返す。
「……でもまあ、わからんでもないがな。最近ずっと、閣下のお渡りもなかったし」
「でもこんなんで慌ててたり、らしくなくないか、神殿」
「まあ神殿らしさをどこに求めるかだな。それよりも俺は、大公目当てでくる貴族様方の相手するのが今からでも面倒だよ、相棒」
「……お前、その貴族嫌い、いい加減直した方が良いぞ……」
 いえば彼は肩をすくめてみせる。視線を前方に戻しながら溜め息をつくと、少し向こうにはちょうど登城の何人かの対応に追われている同僚の数人が見えた。



 魔法院の長官に直々に案内された先の部屋の扉を開けば、中には既に数人の白服に黒服がいた。先頭で扉を開いたロイが一度足を止めるのを見てか、一人が口を開く。
「失礼、先に到着していたもので」
 声を上げたのは男性、くすんだ青い瞳の初老の黒服。濃い紫の髪を肩の上で一つに結んで、膝の上に畳んだ黒い上衣の上に本を開いたそれにああ、と声をこぼした。
「いや、こっちは今しがたついたばかりで……」
「どうぞ中へ、入ってくださいな、私たちだけでは広すぎて」
 女性が一人、黒服がそう言うのを聞いて、じゃあと部屋の中に入っていく。整えられたそこは広く、テーブルとソファが何組か、何かしらの本が詰まった本棚がある。どことなく蒼樹の談話室に雰囲気は近いが、如何せん調度の一つ一つがどことなく威圧を放っている感が否めない。どうするかと思っていると、最初に声を上げた男性が僅かに首を傾けるのが視界の端に写り込んだ。眼鏡が僅かに光を反射する。
「そちらは、西の?」
「ああ、蒼樹から連れてこられた」
 部屋に入る前に渡され、胸元に垂らした蒼の珠のついた綬を示しながら答える。文官のものじゃないのかという声には剣や力を振るうことがなければ同じようなものだと答えた老人を思い返していると、その彼はやんわりと笑みを浮かべた。
「では同じようなものですね。こちらは北の紫樹から、同じくここへ」
「ああ、なるほど」
 言い合いながら苦笑して、ロイは言う彼の近くの一人掛けに腰掛ける。少し離れた場所にいた北の女性に手招かれた西の女性陣がそこによっていくのを見ながら、息をついた。
「……他のところは、まだ来てないのか」
「そのようですね、既にこちらには到着しているとは思いますが」
 その言葉に視線を向ければ、東と南の長官はお見かけしましたから、と返ってくる。ならそろそろかと思いながら部屋の中を見渡してみれば、二つの協会の白黒は、綬があるとはいえそれが見えなければ見分けるのも難しい。これがあと二倍近くに増えるのかと思っていると不意に膝の上の本を閉じた彼が立ち上がる。立つと思ったよりも上背があって、そしてほのかに笑みを浮かべたまま部屋の奥を見やった。
「何か出しましょうか、何かしらあると思いますから」
 上衣をソファの上に置いてのそれに止める間もなく彼は本棚の合間へと向かい、その最中に通りかかった一人の肩をつついて、その彼女を引き連れてそのまま奥へと消えていった。何だろうかと胸中に思っていると、すぐ近くのソファにフィオナが腰掛け、そして少し困ったように笑った。
「やっぱり、何度か来ている人は慣れていますね」
「俺は、初めてだけどな」
「そうですか? 堂々としていらっしゃいますけど」
「いやいや、蒼樹今年入ったばっかりだし。そっちは?」
「私も初めてです。確かセオラスさんとロードさんが、何回目かと言っていましたが」
 どちらも各々好きなようにやっている、とその二人を遠目にしながら彼女が言ったのに苦笑を浮かべていると、不意に扉の外に何かを感じた。フィオナもそうなのか二人そろってそちらの方を見やると、少しばかりの間があって、そして開いたと同時に僅かに冷たい風が流れ込み目が合ったのは白服。
「……どーも」
「……おう」
 なんだろう、何となく気まずい。思いながらのその応酬にフィオナが小さく笑いながら中へと促せば、それで入ってきた彼らは赤い珠の綬。東が緋色だったかと思っていると、その一団の一番後ろに、ここに来る道すがらに見たばかりの一人がいた。最後尾の一人が振り返って扉の取っ手に手を掛けながら何かを言う。
「長官、それじゃ」
「ああ、大人しくしてろよ。お前らが何か起こすと怒られんの、俺だし」
 距離がさほど開いていないせいか、聞こえたそれにああやっぱりあの人長官なのか、という思いが浮かんでくる。更に言う黒服の声。
「それあんたが言いますかね」
「おうともさ」
「せめて人探しって名目立てていろんなところに迷惑かけまくるとかはしないでくださいよ、そんな妙なのが東の長官だって知れたら白黒の方が居たたまれなくなるんで」
 視線を向ければ向けた先の彼女も同じことを思ったのか向けてきた眼と眼が合い、扉の向こうからの会話を聞きながらどことなく感じた脱力に息を吐いた。
「安心しろ、もう遅い」
「……よくこれで人が減りませんよね」
「人望だろ、紛う事なく」
「はいはい言ってないで会議の方行ってくださいよ暇だとか子供ですか」
「えーせめて正直者って言えよ」
「どこが」
 最後はどこか吐き捨てるように静かに言い放った黒服が反論の声を聞かず問答無用で扉を閉める。流石にそれ以上食いついてくることがないと分かったところで息をついて振り返ったその黒服と目が合った。相手はどこか面食らったように眼を瞬かせて、一転少し気恥ずかしそうに気まずそうに眉尻を下げる。
「……ええと、失礼」
「あー、いや、苦労してんのな……」
 言えばその黒は遠い眼で視線を落とし、泳がせる。やっぱり長官にでもなるとどこかおかしくないといけないような何かがあるんじゃないかとぼんやりとした不安を感じていると、その彼は緩く頭を振って、一転ロイたちの綬を見やった。
「……そっちは西の?」
「ああ。北の人たちもいる。あとは南だけだな」
 言いながらもう一度部屋を見渡せば、既に東の面々も北と西の中に紛れ込んでいる。そろそろ把握するのめんどくさくなってきたな、とつぶやいている近くにその東の彼も腰を落ち着けて、そして息をついた。
「まったく……」
「……なんか大変そうだな、東」
「ん、ああ、まあな……毎回ここに来ると妙に元気というかむしろうざったいというか……サフィセス=タロン、東の黒」
「ああ、よろしく。ロイ・シュベリア=ツィクスだ」
「フィオナ・カトレットです。東の長官はここに着く前にもお見かけしたのですが、楽しい方ですね」
「そう言ってもらえると救われるな。西の事は、東でもよく聞くが」
「……そうか?」
「噂程度だけどな」
 国の真反対に蒼樹のどんな話がどのように伝わっているのだろうかと思いつつも、それ以上は問うのも何となく気が引けて、ファレアは窓の外の景色に目を向ける。この二階の窓からは他の建物が少し距離を置いて見えて、やはり屋根の上や樹木の上には雪がちらほら見えた。
「……ここは、雪が少ないですね」
「除去魔法が至る所に張り巡らされているのと、上空にも似た魔法で王宮も王都も覆い尽くしているので、降る量も少なく、降ったあともすぐに解けるのですよ」
 今までと全く別な方向から聞こえてきたその声に顔を向ければ、先ほどの初老の彼が茶器を載せたトレイを手に戻ってくる。一通り揃っていましたよと言いながらテーブルの上にそれを並べるのを手伝いながらちらと見れば、他のテーブルも同じようにして紅茶の湯気が立っていた。ソファに戻った彼がサフィセスを見やる。
「東の方もいらしたのですね」
「つい先ほど。……そちらも変わりなく」
 サフィセスのそれに彼は眼鏡の奥でにこりと笑みを浮かべる。熱いそれをゆっくりと口に含んで飲み下しているうちに、また扉の外の廊下が俄に騒がしくなる。扉を開いて入ってきたのはやはり白黒で、東とは打って変わってすぐに部屋の中に入ってきた十人ほどの人影はすぐに風景の中に溶け込んでいく。落ち着いているなあと思いながら、各々が雑談したり窓の外を眺めていたりするのをぼんやりと見渡していると、紅茶に一息ついた東の彼がそういえば、と声を上げた。
「そっちの西の二人は、初めてか、ここ」
「ええ。そちらは、何度か?」
「俺はこれで四回目くらい。連続ではないけど」
 やはりどこでも何度目かの人間がいるらしい。ロイはそれに素直に納得しかけて、不意にあがってきた疑問をそのまま口にした。
「……これ、この人数集められるのって何か理由あるのか?」
「んー……あるのかね」
 返ってきたきたそれに眉根を寄せる。横でそれを聞いていたフィオナが首を傾げた。
「ないんです?」
「さあ?」
 こっちには分からなくてもあっちにはあるのかもしれないしな、と彼は曖昧に言う。そのまま自然と会話が収束して行くのをそのままに、無言で紅茶を口に運んでいると、不意に部屋の隅で声が上がった。幾つかの人影が大きな窓の方へと寄って行くのをロイは見やり、呟く。
「……賑やかだな」
「ですねぇ。なんでしょうね」
 答えたフィオナが立ち上がる。少し見てきますねと一言断ってからそちらの方に近寄って行くと、本を片手に抱えていたエレッセアが気付いて小さく手を振ってきた。その横に行けば、彼女は窓の外を指差す。
「なんだか、色んな人が集まってるみたい」
「いろんな?」
「赤い制服の……」
 言いながら彼女は指先の風景に視線を向ける。つられてそちらに顔を向ければ、広く開けた景色の奥に白い回廊が小さく見えた。そしてこの東翼に背を向けるようにして、赤い人影がその回廊を遠目にしている様子が広がる。
「……赤い制服は、国王軍か」
「だな。なんでここにいるのかは謎だけど」
 横で誰かが言う。人の間に紛れていたセオラスに気づいたエレッセアがその黒い袖を引っ張ると、振り返った彼はそこでようやく周囲の人垣に気付いた様子で、若干驚いたような様子で隙間を縫ってこちらへと近づいてきた。彼が何かを言うより早く、問いかけたのはフィオナ。
「これ、何かあったんです?」
「ああ、いや、ちょっとな。経験者が警戒してるだけ」
「経験者」
「何度かこの時期ここにきた事がある輩。……協会と国王軍って仲悪いんだよ」
 少し困ったように窓の外を見やり、彼は言う。どういう事かと聞くより早くにセオラスは部屋のどこかへと向かっていって、引き止めるでもなくそれを見送る。窓の外には、相変わらず赤い人影。
 不意に思い至って、時計を取り出したファレアがその針の方向を見やれば思っていたよりも時間が経過していて、それに多少の驚きを覚えつつ彼女は小さく声を零した。
「もうそろそろ、十二時ですね」
「もうそんな?」
 エレッセアの問いには首肯して見せて、再び窓の外に視線を向ける。セオラスが言うわりには、赤い制服のそれが集まって騒いでいる訳でも何か話しているでもないのを不思議に思って、彼らの視線の先にある回廊へ目を移せば、不意にそこに何かが見えた。
 少し遠くから、正午を告げる鐘の音が聞こえてくる。その中に僅かに鈴の音が混じるのを聞いて、白い授の黒服が身を乗り出して目を細めた。
「……邪祓いの鈴……?」
「鈴?」
 聞き返した声に彼は頷く。僅かに険しい表情で、それでも答えた。
「神殿の為に特別に作られた魔法具だな、周囲の氣やら魔力やらを半強制的に浄化する。邪氣は浄化しようがないから消滅する……魔法使いがいるってわかってるのに使うか普通」
 彼が大迷惑だといわんばかりに呟くのを聞きながら回廊を見やる。目を凝らしてようやくの距離、白いそこを進む一団。方角からいえば、あの先には神殿があると聞いているが。
「……もしかして、えっと、大公?」
「じゃ、ないかね。この会議って大公も出るのかね、よくもまあこんなに都合よく」
 南の彼は言って溜め息を吐き出し、そのままテーブルの方へと戻っていく。それを見やったエレッセアがもう一度外を見れば、赤い制服の人影もゆっくりと動くそれを見ているのか微動だにしないのが見て取れた。ちらと見やれば同じように窓の外を見やる白黒たちも、小さくしか見えないそれを静かに見つめている。
 本を抱え直して、そのままその場から離れる。正午の鐘にも鈴の音にも変わらずの様子で紅茶を嗜んでいる慣れた西の顔を見つけて小走りにそこへと向かって、すぐ近くに腰を下ろした。小声で囁く。
「……なんていうか……」
「慣れないよなぁ、あれ」
 ロイはふう、と大きく息をついて答える。慣れないというかなんとなく異質なものすら感じるのは、おそらく自分が蒼樹でもどこでもそういった場面に直面したことがないからだろうが、それでもどことなく落ち着かない感覚を覚える。なまじ知っているからだろうかと思いながら、目の前に差し出されたカップを反射的に受け取った。受け取ってから顔を上げれば見た事のない顔。
「あ、と、ありがとうございます」
「いえいえ」
 慌てていった礼の言葉に、初老の男性、黒服の彼は穏やかに笑んで答える。意識していなかったと思いながら、受け取った熱いそれを吹き冷ました。視界には入っていたはずなのだが、目が見逃していたのだろうか、どことなく風景と馴染んでしまっていたのかもしれない、と上目に彼を見る。存在感がない訳ではないがと思って、不意に彼が授を付けていないことに気がついた。首をわずかに傾けたそこで唐突に、その口が動く。
「……大公のお渡りですね」
「え?」
「外のですよ。赤い制服の騎士達が、たくさんいたでしょう」
 言われて、頷き返す。噛んで含むような口調だが、不思議と嫌味は感じない。練れた教師のような雰囲気で、その彼は顔をまだ白黒達のいる方へと向けた。
「閣下がああして、公に神殿からお出になるのはそうあることではありません。今回は会議の為ですが、そうなると、普段王宮に出入りしている国王軍の騎士達が、ようやく閣下を見ることができる格好の機会になる、といったところですね。東翼は神殿に一番近い場所ですから、これでも近くから見れた方なんですよ」
「……随分、詳しいんだな」
「年寄りはそういうもんですよ」
 ロイの驚いたような声には少しおどけてみせる。そうであったとしても、白黒が普段からいろいろな場所を飛び回っているとはいえ主に生きているのは協会だ、そこは中央と繋がっているとはいえ土地で言えば地方、辺境にも近い。それで中央の、表に出てきようのない事まで知っているものだろうか。
「……レッセって、今回初めてだったか」
「去年入ったばっかだもん。ロイたちの、一回前の試験。夏の」
 前回のこのときはまだ正式に任命されてなかったから、と熱い紅茶に難儀しながらエレッセアは言う。そうか、と答えて視線を巡らせて、不意に違和感を覚えた。
 自然に視線が動きかけるとほぼ同時に北の彼が再び立ち上がる。その動作に気を取られて目をやると彼は小さく笑んでからどこかへと歩を進め、途中に通りかかった紫の白の肩をつついて何事かを囁きかけるそれを見やる。いくつか声を交わした彼はそのまま、また本棚の合間に消えていった。
 エレッセアがなんだろう、と疑問符を浮かべるのには、同じような眼でそれを見送る。空になった椅子を見やって、そこでようやく彼が黒い上着も持っていったという事に気付いた。なんとなく察しがついて、それを否定しきれないという事実に溜め息をついた。
「……馴らされてんなぁ……」
「え? なにに?」
「……非常識に?」
 疑問系で答えれば彼女は疑問を通り越した怪訝な色を眼に浮かべた。確信もなにもないから仕方ないと適当に手を振って返していると、何度目か扉が開いた。視線をやって、あれ、と声が漏れる。
 入ってきたのは紫に青の裾の長い衣装、金の飾り帯に白い珠の編み込まれた綬を垂らし、髪を完全に覆い隠し目元に影を作る長い頭布は神官に特有のものだ。その場に似つかわしく無いそれに一斉に視線が向いたのを感じてか、その神官はゆったりと丁寧に腰を折る。それが彼らに特有の、胸に手を重ねて身体を僅かに沈めて顔を俯ける、敬意を示す礼だとはこの中のどれだけが知っている事か。一切の言葉がないその所作を見るうちに、その神官は迷いなく部屋の中程まで進んで、そこでソファに腰掛けた一人の耳許に何かを囁いたらしかった。
 白の綬を下げた白服の方は一度自分自身を指差して、神官がそれに頷き返すのをみて立ち上がる。部屋にいるほぼ半分近くの視線を浴びながら、彼は静かに扉に向かう神官に連れられて、そのまま廊へと出て行ってしまう。気配が遠くなるのを感じ取りながら、ロイは僅かに眉根を寄せた。
「……なんか穏やかな拉致に見えるんだが」
「白黒が大人しく拉致られるとはあんまり思えないけど」
「いや、神殿が白黒拉致ってどうするんだよ」
 そっからだろ、と言いながら空いていた席に腰掛けたのはロードだ。ここは扉に近いせいか奥に比べると人の密度が薄く、比較的空席も目立つ。その奥の方から此方に移動してきた彼に、なにしてたんだと問えば、交遊を深めてた、との返答。エレッセアが、もう随分飲みやすくなった紅茶を口にしながらその彼をみやった。
「ロードは、何度か来てるんだよね」
「まあな、都合上仕方なく連行されたとも言うけど」
「なんか知らない?」
 先ほどの事かこの部屋の様子を指しての事か、あるいは両方での意味かのその問いかけには彼は肩を竦める。どこか追及するような視線が後に続いたが、それには疑問の様子が返ってきて、彼女は一応はそれで納得しておく事にした。カップを置いて、本を開いてその中身に没頭していく。切り替えの早さに感心しながら、ロードは呟く。
「……まあ、問題ではないだろ、多分」
「ってことはあるんだな、何か」
 小さな呟きに小声を投げれば批難の視線が横合いから飛んでくる。ロイがロードのそれに何の反応もせずにいると溜め息の音と、不自然でないように繕った小声。
「聞いてるなよ」
「なら聞こえるように言うな」
「え、なに?」
「ロイが苛めてくるんで抗議してた」
「苛めって……」
 肘掛けに頬杖をつく。問いかけるような目線には気にするなと適当に手を振っておく。彼女は腑に落ちない様子で再び文字を追いかけ始めた。
 一気に静かになった部屋の中に、何度目か何とも言わずに視線を投げる。不意に思い至って時計を取り出してみてみれば、針は既に十二を通り越して遠くまで走っていた。




__________



back   main   next


Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.