「何やら騒がしいと思えば、中央には似合わない白に黒か」
 先に口火を切ったのは向こうの一段、その先頭の男。エクサやフィオナたちが何事かという顔をしている、その前に立ったロードが僅かに眉根を寄せた。
「さて、騒いでるのはどっちだか。随分と朝早くから群れてたみたいだが、軍も暇だな、出迎えを頼んだ覚えはないぞ」
 それを聞いて頭に手をやり深く溜め息をついたのはロイで、何となく察した顔をしたのは残りの三人だった。だからわざわざ彼女が様子見などと称して顔を見せたのかと思っていると、足を止めた相手がさらに応じる声。
「軍に動きがないことは良い事だろう。四六時中喧しく走り回らなければならない地方の連中に較べて、私には義務と責任があるからな」
「ご苦労様だな。腕が鈍るのを隠すのも大変なわけだ」
「手助けが欲しいのであれば頭を下げれば良いものを、協会が渋るおかげだとは思わないか? こちらには準備があるというのに」
「確かにお前らが浪費しているものが浮けば貧困層も多少は救われるだろうな。身を粉にするとはよく言ったもんだ」
 応酬の中で赤衣の彼の顔色が緩やかに変わっていく。隠しきれない明らかな怒気をはらんだそれを見やって、視線はそのまま、フィオナがごくごく小さく傍らのロイにささやきかけた。
「早いうちに切り上げた方が?」
「最善はそれだよな」
 小声の返答にふむと考える。まだ周囲にはそれらしき気配は感じられないが、東翼を背にしているのは今はこちらだ。する必要もないだろうと思って意識もしていなかったが、見やれば、紅軍の彼はともかく、その後ろの数人の中には既に剣に手を伸ばそうとしている様子も見て取れる。ここは遮蔽が多い、すぐに逃亡さえすれば特定は難しくなると踏んでいるのだろう、おそらくそれは事実だが。
「……下賎の身はどこであろうと変わらないか、王に仕える騎士に対する敬意もないとは」
「敬意に足る点が見当たらないという現状には気付かないらしい。道理だな」
 興味がないとばかりにエクサが毒づき、早々に薬草へと目を向ける。ロードもそれに肩をすくめて紅の数人に背を向けて、視線だけで行こう、と他の面々を促した。既に歩き出していたエクサを追ったロードにフィオナが続き、エレッセアがそれに続いたのを見てからロイが溜め息を吐き出し、踵を返す。整えられた緑の芝生を踏む音に混じって何か微かな音が聞こえて、それで視線だけで振り返った。
「止めとけ」
 一言だけ、剣の白刃を僅かに晒したそれを見て言う。先頭に立つ騎士の従者なのだろう、柄を握ったその彼がちらと先頭の男を見やるが当人は気付かないまま。目を細めて、そして吐き捨てるように言い放った。
「兵器が」
「その兵器に用があるのが大公らしいんでな、お生憎様」
 聞こえたのだろう、間髪入れずにロードが返す。流石にと思ってその背中に声を投げようとした瞬間、視界に何かが掠めるのを見て思わず腕を伸ばした。
「レッセ避けろ!」
「な、にっ!?」
 振り返りかけた肩を押す、遅れて腕に叩き付ける衝撃に痛覚が軋む痛みを訴えて思わず顔を歪めた。鞘に納められたままの剣、刀身の重量を考えれば十分すぎる。至近に舌打ちの音、狙ったのはやはり女か。
「何、してっ」
 唐突なそれに一瞬眼を見開いたエレッセアが、しかし即座に剣を抜こうとするのを後ろ手に腕を掴んで制止する。後ろのロードが動こうとしたのを見てか剣を振り落とした従者は即座に距離を空ける。制止した腕を逆に掴まれて、熱を持つような鈍痛を訴える左腕は目線より下に降ろして眼を向ければ細められた黄色の瞳。
「なんで、」
「駄目だ、ここじゃ正当防衛が理由にならない」
「が、流石に当たれば死にかねないような行動起こされて黙ってるってのも、性には合わないな」
 エクサが冷めた声を落とす。ロイは息をつく。乗るなよ魔導師、とは声には出さずにいておいて、表情を削ぎ落としたロードを見やった。
「……長官に迷惑かかるだろ」
「……まあ、そうなるな。制服は覚えた、なら後で然るべき処置があるだろ」
「……告げ口か」
「己の責は己の罪。あるいは主君に被せるか? ……フィオナ、見えてる」
「おや」
 紅のその声には、ロードは思っていたよりも穏やかな言葉を返していく。そうしてから視線を外して無言のもう一人に声をかければ、彼女はわざとらしく声を上げて指先の透明の鋼糸を手繰り、袖口に仕舞い込む。騎士が暗器かという誰かの声には、彼女は元のように穏やかに笑ってみせた。
「人に向ける剣が私たちの力ではありませんから」
「それだから四方の白は異端と呼ばれるのだろう、戒律すら忘れたか」
「お前らに戒律云々と言われたくはないが、なるほど、国王軍というのは国民殺しを推奨しているわけか。益々気に喰わんな」
「……単純な身分の差すらも解らないというのなら、それを教えてやるのも貴族の義務だろう」
「言う自分が属する騎士の階級すら覚えられないのであれば、戒律を自分の好きなように解釈するのも頷けますね」
 唐突に全く別の方向からの響いたその声に、ロイは思わず眼を見開いて振り向いた。髪を緩く結っただけの一人が立っていて、そして紫がこちらを一瞥するのを見、反射的にその人に向かって頭を垂れその場に膝をつく。背後の数人がそれに倣う気配、驚愕の声。
「な、閣下……!?」
「さて、神殿の領域に私が居る事がそれほど珍しい事でしょうか」
 男の声に彼女は淡々と返す。足元の土と道を作る石を踏む音、地面を見つめる影の落ちた視界に何かが掠めたような気がして、そして思いもしないほど近くから声が落ちた。
「立ちなさい、西の。少なくとも神殿の招いた客人、礼を強要する気はない」
 間違いなく彼女の声、だが聴き慣れているはずの声音が違う。穏やかさはあるのに、どこか冷めたような静かな声。――命令に対する無言不服従は不敬、どうすると思っていると背後から声が上がった。
「不義を犯さぬも臣民の礼、どうかこのまま、閣下」
 エクサのそれを聞いた少女は僅かに眼を細める。しかし何を言うでもなくそれには背を向けて、そして逃げ出すにも逃げ出せない、見るからに青褪めた顔の紅い数人を見やる。二歩、進み出た。
「騎士の戒律には多々ありますが……それらの暗唱は叙勲の儀にあり必須だったと記憶していますが、貴方達には経過と共に薄れる程度の重さしか無かったと見受けますね」
「閣下、我等は――」
「他に階級を説く割にはその不敬を敢えて演じるとは、フォルトールの子弟の品位もたかが知れる」
 声から穏やかさが抜けていくのを、耳に感じる。自分自身の手足の末端から、肌の表面から、冷たい空気が染み込んでいくような感覚。姿勢も視線もそのままなのに、力だけが意識の外に逃げていく。大の男、しかも剣を携える騎士を見上げる自分は、色さえ変えてしまえばさぞ滑稽に見えるだろうと、まるで他人事に思って。
「誰が、神殿の主たる私の前で、立礼もなく赦すと言った」
 途端に青ざめた顔が地面に伏せられる。それを眼を細めて見下ろす。視線を下に向けるだけではまだ高い、それほど低く垂らされたそれを見やって、そして紫銀は胸の内に歎息した。
 ――なんて、馬鹿馬鹿しい。
「主より騎士の叙勲を受けた者は、その生まれの出自がどうであれ、全てを廃し準貴族として全ての人民に奉仕する特別な任を負う。それを全うする限り、名を返上しない限り、騎士はどのような場であろうと騎士である……その戒めを忘れ去るような者が、神殿の領域に踏み入るか」
 返答はない。声すら出せないのだろう、思っているのは己の保身か。沈黙の中で背の後ろに、一人の気配が現れる。耳元に呼び掛ける穏やかな聞き慣れた声、舌打ちしたくなるのを押さえて眼を伏せた、閉じた視界に陰が落ちる。イースの声。
「去りなさい。後にあなた方も再びここに来るでしょう。己の行いを振り返る事もできないほどの子供でもなし、これ以上閣下の手を煩わせる前に、去って、主に伝えなさい。閣下は一度の機会を下さった、無碍にはしないよう、己の口で伝えなさい」
 藍色、師団のその声にも返答はなく、ただ即座に立ち上がって去って行く、それが少し遠くになってから、フェルは息を吐き出した。
「……ラルヴァール、ジルファ」
《御意》
《了解しました》
 追って、そう言外に告げれば二人の声と共に僅かに藍色が霞んで去って行くのが分かる。それが消えるのを確認して数秒、視界にイースの顔が入り込んでようやく我に返った。苦笑して、そしてわざと大きく息をついて振り返る。頭を垂れたままの彼らを見やって、腕を組んだ。
「……何やってんですか」
 それを聞いてか、困ったような様子でフィオナが顔を上げる。少し、と視線を向けた先はロード。
「喧嘩早いのがいまして」
「見りゃわかります。……もう良いですよ、立ってください。東翼からも一時的に見えないようにしてますから」
 言えば、それで蒼樹の面々が立ち上がる。他の協会の白黒が混じっていなくて良かったと思いながらロイがそれを見渡す最中、左腕を掴まれて何かと視線を向ければフェルが白い袖を掴んでいた。
「……フェル?」
 無言のまま、掴んだそこに陣が浮かぶ。ぎょっとしてその背後の師団を見やれば笑みが返されて、その間に光は消え失せている。掴まれたそこから鈍い痛みが消え失せているのを感じて、ええとと思う。
「……悪い」
「ほんと、ですっ」
 強い調子の語尾と共に治癒されたばかりのそこを強かに叩かれてロイは僅かに声を漏らして眼を見張った。フェルはすぐに手を離して、そして気まずそうな一人に詰め寄る。
「ロードさん」
 間近でのそれに、流石にロードは目線を外す。言い訳するように、口を開いた。
「……悪い。売られたんで、買った」
「私は、賑やかなのは好きですけど、五月蝿いのは嫌いですよ」
 神殿の主の言葉は素っ気なく、そして容赦無い。それに対してロードが苦い調子で気を付けると返せば、それを聞いて彼女も溜め息をついた。整えられた花壇の奥、庭園の中心へと向かいながら、こっちに、と白黒を促す。それに大人しく従いながら、未だに腑に落ちない様子のエレッセアが彼女のすぐ後ろに進み出る。
「フェルさん、さっきのって」
「……すみません、いくら追い払っても、戻ってきてしまって」
「え、いや、それもあるんだけど……」
「紅軍は、協会が嫌いなんです。白黒が、紅の独壇場を奪ったから」
 唐突なそれにエレッセアは閉口する。視線を向けた先のロイとロードはそれに肩を竦めたり視線をどこかに投げるだけの反応しか返さず、フェルは軽く息をついた。
「軍が、そう思っているだけです。実際には軍が協会の邪魔をしている事の方が多い。上層部は協会どころか師団まで敵対視してますからね」
 円形を象って並んだ、今は緑の花壇の間を進んでいく。生け垣の中を慣れた様子で進んで、そして左右真反対に分かれた小道のうち、右手側の道を五人に示した。
「これを真っ直ぐいくと、東翼の裏口のすぐ近くに出ます。赤いのも中々居ない所ですから」
 言外に、そろそろまた集まって来ると彼女は告げる。エクサが髪を掻き混ぜた。
「……悪いな、ほんと」
「こちらこそ、すみません、流石に国王軍を全部追い出すのは難しくて。……さっきの事で、会議中に妙な事を考える人はもう近寄らないとは思うんですが」
「……本当に、なんでそんなに仲悪いんだ?」
 エクサの問いに、困ったように視線を泳がせたのはロイで、力なく笑ったのはフェルだった。前者が溜め息とともに口を開く。
「……国王軍って、今じゃもうほとんどやる事ないんだよ」
「領地の哨戒とか、『異種』被害の喰い止めとかあるだろ?」
「いや、そういう事じゃない。功績を挙げられないんだ、戦う相手が居ないから」
「……?」
「……キレナシシャスが永世中立を宣言してから、今年で四十八年ですね」
 フェルが疑問符を浮かべる数人を見て、そしてロイの言葉を継ぐようにして言う。永世中立、『大陸の覇権を争う軍事行動からは一切の手を引く』という、前代国王が即位とともに発した宣言。
「当時最前線で隣国と争っていた騎士達が、その頃を懐かしんで、その意識が今にも継がれてしまっているんです」
「上が言うから、下に染み込む?」
「そう、ですね。完全な縦割りですし、妄信も多いんです」
 繋がりとして強いのは有り難いんですけど、と、フィオナの声にフェルは答える。庭園の方を見やった。
「……永世中立で、侵攻されない限り戦争が無いから、功績を挙げられない。軍属の騎士が功績を挙げられないというのは、致命的です。魔導師や医術師は最低階級でも並の騎士よりは上に位置しますから、あまりそういう声も上がりませんが、騎士が騒いでしまうのはそういう理由ですね」
「だからって、なんで協会に」
「『異種』、ですね。今の軍が功績として認めているのは、国民に対して害を成した『異種』の討伐のそれだけです。でも『異種』の被害は人的であれそれ以外であれ、基本的に協会の管轄ですから」
「……協会が出来たのって、建国とほぼ同時だろ? やっかみっていうか、完全な八つ当たりじゃないか」
「だから面倒なんだよ、この問題」
 エクサのそれにはロイが溜め息を混ぜ込み、言う。軍は言うが、事実は違う。もとより『異種』に特化して独自に組織として動き続けてきた協会の領域に踏み込んで来たのは軍の方だ。言っていることに史実の裏付けすらないものを、だが彼らはそれを妄信している。フェルはどうしようもなく、苦笑する。
「言っているのが貴族だけ、という事で、納得してあげてください。彼らは家に生まれついて、家の教えしか知らないんです」
「……家の教え、か。じゃあ平民出身が言わないのは、神殿が史実を教えてるからか?」
「そう言われると、ちょっと苦しいですね」
 即座に、閣下、と後ろから声がかかる。藍色のその人は一言だけしか言わずに、フェルはそれを受けて僅かに視線を落とした。何かを言いかけて、結局沈黙が落ちる。
「……悪い」
 気まずそうにロードが言うのに、フェルは小さく笑う。いくら個人として知った仲でもここではそれ以上が出来ないのか、それでもぎこちなさにはほど遠く、それでいて、それを見る中に違和感は依然として強い。
「蒼樹は、神官達が頑張ったせいで早めに終わってしまって手持ち無沙汰とは思いますが、あとしばらくはお願いします」
「わかった。まあ休暇みたいなもんだし、気長に待ってるよ。長官も仕事漬けみたいだし」
「会いました?」
「会ったというか遭遇したというか。……長官達ってここでも自由人なんだな」
「あれでも多少は我慢してもらってるんですけど……」
 エクサには困ったような色の強い苦笑をして見せる。そうしながら不意にフェルは虚空を一度見上げて、そうしてからもう一度白黒達を見やった。
「すみません、もう行きますね」
「ああ。頑張ってな、仕事」
「はい。ありがとうございます」
 笑んで答える、それに含まれた違和感が和らいでいるのに何処か少しだけ安堵して、ロイはそのまま彼女が示した小道へと脚を向ける。各々が一言声をかけてからそれに続いていくのを見送ってから、フェルはすぐに別の小道に入った。散歩も好きに出来ないと思いながら、視線はそのまま、神殿へと戻る道を進みながら口を開く。
「誰です?」
《魔法院のフィテル老師》
 答えるのは第二部隊の七席、スフェリウスだ。短いそれにフェルはおやとその声を見上げる。
「早いですね、萎縮しているものかと思いましたが……戻ったら、すぐに整えて話します、準備を」
《アイルス老師はまだみたいだけど》
「来ても夜でしょう、今日は院の方が忙しい筈です。重い案件五つくらい投げて院自体の動きを止めましたから」
 言いながら虚空に軽く手を伸ばす。すぐに現れたクロウィルが自身のクロークでその身体を覆って、そして両腕でその身体を抱え上げる。ほぼ同時に隠形で姿を消し去り、生け垣も物ともせずに神殿へと真っ直ぐに向かい始めた。



 ――どうすれば良い。思いながらソファに腰を下ろして口元を押さえる。込み上げてくるものを押さえつけるせいで震える息を注意深く吐き出せば、戻って来た侍従長がそのすぐ傍に膝をついた。
「閣下、水をお持ちしました。……ご気分は如何でしょうか、先に少し寝まれますか」
「……気分は少し、良くなりました。ありがとうレゼリス、大丈夫ですよ」
 言葉と共に差し出されたレモングラスの香りが僅かに立つコップを受け取る。最中に開け放たれた窓が眼に入る、外は橙に染まっていた。吹き込んで来る冷たい空気も今は心地良い。
 冷たいそれをゆっくりと口に含んで、少しの清涼感を喉の奥に押し込んだ。替えた服からはあの強い饐えたような臭いは一切せず、部屋からも可能な限りそれは拭われているが。
「今湯を用意させています、あと少し、ご辛抱ください」
 それには素直に頷いた。瞬きをした瞬間にその景色が蘇る――崩れた腐った肉。思わずまだ感触の残る喉をさすると、その手を止められた。座ったそのすぐ傍に片膝をついて、手を伸ばした雪騎士は目元をそっと歪ませた。
「……チョーカーを持たせましょう。痕が残ってしまっていますから」
「……すみません」
「本当に。もう少しでも頼って頂ければ」
 言われて自嘲するしかなかった。軽く頭を振る。ずっと口元を押さえていた手巾を下ろして、落としていた視線を上げて、フェルは彼を見やった。
「処理はどうなりましたか」
「ご遺体はすぐに棺に納めてあります。キレークト様にはまだお伝えしておりません、他の老師の件を待つべきかと。待機だけはさせておりますが」
「アイルスの結果を見て、判断しましょう」
「はい」
「……フィテルの死因は、調査は、できそうですか」
 言った瞬間にレゼリスの眼に剣呑な色が混ざり込んで、フェルはすぐに視線を落とした。膝の上の手が彼の掌に包まれる。
「……師団を、頼りましょう。閣下が直接ご覧になるものではありません」
「……分かりました。任せます」
 言えば手をあやすように撫でられ、そのまま頭を下げた彼はすぐに立ち上がり背を向けて扉から出て行ってしまう。入れ替わるように入ってきた神官が軽く頭を下げる礼の後に、部屋の隅に香炉を据えた。その濃い香りに僅かに眉根を寄せれば、据えた彼はそれに気づいて小さく笑う。
「多少は強い方が紛れましょう。調香の具合を間違えたという事にしておいてください」
「あまり強いのは苦手です、儀祭司」
「知ってます。我慢してください」
 言うエルディアードはソファに座る彼女のすぐ近くまで歩み寄ってくる。青い髪を耳に掛けて、背を屈めるようにして顔を覗き込む。しばらくそうやって見合ってから、不意に彼は満足したように笑った。
「腐乱死体に襲われたと聞いて来ましたが、思ったより顔色もいいですね。合格です」
「……厳しい」
「祭司長は閣下を始めとする子供たちの教育役ですから、当然です。……レゼリスが随分と思い詰めた顔をしていましたが、何かありましたか」
 言われてフェルは眼を瞬かせて、その反応を見てエルディアードは息をついた。フェルが疑問符を浮かべている間に彼は背を正して、対岸のソファに腰掛ける。
「……言った通り先程戻って来たばかりですが、侍従達から話は聞きました。時間で見れば遅れてしまいましたが、陛下にはほんの少しですがお話の機会を頂き、この件については神殿と、大公に全て委任するとの仰せを預かっています」
 唐突なそれに、しかしフェルは迷わずに頷き返す。根回しにと頼んでいた事が、結果としては後手になってしまったが、承認を得られたのであれば問題ない。
「……次は?」
「……フィテルは『根』を持っていませんでした。侍従が調べてくれたものがありますから、今はそれを参考に動いています。儀祭司は、フィテルの事で、何か分かった事があったら報せてください。些細な事でも」
「調査は侍従が?」
「師団に、任せます。神殿で全て終えるには時間が足りません」
「では地下を空けましょう。紫旗師団の中では難しいでしょうから。遺体の運搬も面倒ですからね……師団の調査は、第二からの要請として動かしてください」
 それにフェルが虚空を見上げれば、短く是と応える声が返って来る。エルディアードは満足げに一度頷いて、そして立ち上がった。
「……これからアイルス、ですか」
「ですね」
「大丈夫ですね?」
「はい」
 短く互いに投げ渡すような応酬、彼はそれで軽く礼だけ残して部屋を出て行く。互い違いに入って来た侍従に促されて、僅かな時間で染み付いた感覚を拭うために立ち上がった。




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