視線を向ければそれに気付いたのは向こうも同じようで、少し遠くの生け垣の合間から怪訝そうな顔がこちらを向く。すぐにクロウィルが虚空を見やればそれで結界が崩れ落ちて、そして彼はそのまま四阿の方へと歩を進めた。
「何をしてるんだ?」
「息抜きです。長官こそ会議どうしたんです?」
「終わった。今はリアファイドから逃げている」
 儀礼の何も無い会話。クロウィルだけが軽く頭を下げたが、ヴァルディアは目礼を返すだけ。元から遠慮も何もない間柄だから、監視の眼がなければこんなものだ。それに何を言うでもなく、フェルは肩にかけられたクロークを押さえて彼を見上げればそのまま、と短く言われて、素直にそれに従う。晴れているとはいえ、外套も何もなしでは流石に寒い。暑く重さのあるそれは今は有難かった。立ち上がりながら苦笑する。
「リア先生、ヴァルディア様には逃げられてフィレンスには会えなくて、がっかりしてるでしょうね」
「一度くらいは会わせておいてくれ、全部が全部こっちに来て、このままじゃ身が保たない」
「善処します」
 四阿のたった二、三の段を降りる。そのフェルを見たヴァルディアは、そのまま先導するように生け垣の方へと足を向ける。何を言うでもなくそのあとに付いて、クロウィルは隠形しないままその後ろに付く。それを見やってヴァルディアが問いかけた。
「フィレンスはいないのか」
「四六時中、は、名目ですから」
「交代制、な」
「そうとも言いますね」
 後ろからの訂正の声にはしれっと返す。ヴァルディアは苦労する、とだけ零して、クロウィルは苦笑した。フェルは僅かに眼を細める。
「……冗談ですって」
「ここで言う事か」
「だって他に誰もいませんし、それを言うんだったらこの会話自体ができませんし」
「それもそうだが。多少は弁えてもらわないと私が叱責される」
「そうしたら許したという事で。感触のみの付き合いでもなし、第二もそれで免除してますし」
「……それこそ濫用なんじゃないのか」
「友人に命令しか出来ない環境しかなかったらもっと早くに逃げ出してますよ」
 何を今更と言わんばかりにフェルは言う。ヴァルディアはただ、向けていた眼を前方へと戻しただけだった。
 フェルも特別何も言わずにそのまま生け垣の切れ目へと向かう。少し眼を上げれば東翼が大きく目に入って、息を吐く。見透かされているような気がした。少し考える。
「……ヴァルディア様って」
 口を開けば、視線で返って来る。そのままフェルは軽く首を傾げるようにして問いかけた。
「子供好きです?」
 その問いには、彼は数度瞬いた。途切れた生け垣から出、庭園から東翼へと向かいながら視線を前へと戻して、そうしてから答える。
「……面倒くさくない子供はな」
「……なんです、それ」
「お前が面倒くさい部類だと遠回しに言った」
「遠回しにした意味なくないですか!?」
 僅かの距離を詰めて横並びに並ぶ。ヴァルディアは視線を向けすらしなかった。
「聞かれたから正直に言っただけだが」
「せめてもう少し飾るとか」
「手がかかる、とでも言えば良いか?」
 何も変わってないと、フェルは不満げに呟いた。敷き詰められた石畳から整えられた芝生へと地面の感触が変わる。建物の中に入るには外回廊の方に回らなくてはならない。そちらへと向かいながら、その途中に不意に白黒が眼に入って、あれと声を上げた。視線の先のその人が笑む。
「また逃げ出したんですか、フェル」
 フィエルのそれに声を詰める。あるフェリアが苦笑して、そしてヴァルディアを見やった。
「探しました」
「見えているものは全て片付けてきた筈なんだが」
「一つ故意に無視して逃げたでしょう貴方」
 ち、と軽い舌打ちとともにヴァルディアは顔を背けた。思わず苦笑したフェルがアルフェリアに問いかける。
「リアファイド様は?」
「御父上に呼び出されて、会議の後すぐに南翼の方へ向かわれました。じきに戻るかと。……それより」
「もし私が逃げ出していたなら、彼が静かにしている道理が無いですよ」
 背後の一人を振り仰ぐ。クロウィルは何も言わずに二人の長官に対して礼を取り、二人もすぐにそれに返す。では、とフィエルがやわらかく口を開いた。
「今は休憩中、ですか」
「報告待ち、です」
「なるほど。ではその間、遊んでいきますか」
「……大丈夫、です?」
「こちらは。大方、今日出来るものは終わらせてしまいましたよ」
 この短期間で大量の物事が動く反面、純を待たなければ動けない事も多い。無理に動かせば齟齬が出るから、大人しく待った方が最終的には早く終わる事の方が多い。神殿だろうと対外的な案件のほとんどがそうだ、協会とその暇が重なる事は少ないが。
 遊ぶ、と言っても許されるのは雑談程度だが、それでも普段ならその相手すら中々いない事が常なのだから、フィエルの問いは有り難い。そう思いながら、笑みを浮かべて頷いた。



「アイラーンの手法には頭を抱えますよ」
 その声に、リアファイドは不思議そうな顔をして傍らの男性を見やった。エジャルエーレ侯カティアルは、何かを面白がるような笑みを浮かべたままそれを見返す。
「元部下が蒼樹にいると、つい先日知りまして。様々な話を聞きました」
「はは、愚妹が色んな所に迷惑をかけているようで申し訳ない。あれでも優秀なもので」
「紫旗の騎士に何を言えるわけでもありますまい。ですが不思議がっておりましたよ、協会でラシエナ殿は偽名を使っているとか」
 カティアルは回廊の先へと視線を向け直して言った。リアファイドは、ああ、と呟いて、一度口を噤む。エジャルエーレの元部下という人物は知らないが、あの妹は家名で付き合いを決めるような殊勝な所は持ち合わせていないはずだ。ならようやく明かしたのかと、何となく微笑ましい気分になる。東へと眼をやりながら、リアファイドは口を開いた。
「偽名というより、通称ですね。あれが禁忌を破る前に、あれの師が与えたそうで」
「ああ、だから聞き覚えが無かったのか……」
 彼は何故か残念そうに呟く。リアファイドはそれを聞いて苦笑した。カティアルはアイラーンの人間に恩を売っておきたかったのだろう、部下が蒼樹にいる事にもアイラーンが蒼樹にいる事にも気付けなかった事は、彼にとっては惜しいはずだ。
 元より、それを避ける為に通称を使っているのも理由の一つではあるのだが。
「禁忌破りとも伝わって来なかったから、知らぬ騎士かとばかり」
「……噂は、卿の所にも?」
「勿論。蒼樹に面白い騎士がいるとだけ。あとは周囲のやっかみだろうと無視をしていましたが。長官殿の所にも?」
「いやいや。国の真反対には中々」
「ふむ。……ですが何故、蒼樹の中でも気付く者がいなかったのだろうとは、不思議ではありますが」
 問いかけるような視線が横から流れて来る。リアファイドはそれを見返す事は無く、かわりに背に手を組んだ。
「情報を消す事は難しいですが、上塗りする事は容易いもので」
「……ほう?」
「何の前触れも無く禁忌破りがとなれば、感づく者が現れても不思議ではありませんが、その前に色々な憶測と噂を流させまして。十三階梯の女騎士、しかも協会に入る以前の経歴については知られておらず、入ってみたら個行動を好む上に禁忌破りでもあった。……名と伝え方が違うだけで別人にも成り得る」
 嘘は含まれていない。事実を形容する言葉を変えただけだ。王宮を東へと進みながらのそれに、カティアルはしかし釈然としない顔を作る。
「……名告りくらいは、するのでは?」
「『フィレンス』に対する印象が確立された後なら、家名の力も薄くなる。……まあ、あとは」
 そこでようやく侯爵へと眼を向ける。リアファイドは彼と目が合うなり、にやりと笑った。
「少しばかり、魔法で」
「……やはりか」
「アイラーンの護衛師団と言えば禁忌破りのラシエナが一番有名ですからね。弟は既に離籍しているからそこは誤摩化しようが無い。やはり近くに魔法の良い使い手がいると助かります」
「レナも巻き込んでいると?」
「持つべきものは友人、と」
 ヴァルディアの方か。納得の色を浮かべて言った彼も苦笑を浮かべて笑っている。蒼樹が外に対して閉鎖的なのも一因だ、軍や他三方の協会との交流があれば隠し通す事は出来なかったに違いない。だからこそ、二重の意味で緋樹は駄目だったのだが。
「……しかし本当に、見事に隠されていたか。レナが行く前までは、王宮でも良く見かけたものだったが」
「いきなり姿を消したでは、こちらで別の噂が立ちかねない。ただの紫旗なら長期にわたって不在でも構わないが、役目が役目ではそれも叶わない」
「護衛、ですからな。しかしまあ……思い切った事を」
「本人の選択にどうこう言うつもりはありません。本人の自由であり本人の責任に、血縁であろうと他人が口を挟めるわけもなし」
「言う割には溺愛されているようだが」
「それはそれこれはこれ」
 軽く肩をすくめて言い返す。唯一の妹なのだから何が悪いと言わんばかりのその様子にカティアルは小さく笑うしか無い。このアイラーンの嫡男とその妹である令嬢の二人の間柄は、貴族の間では良く知れた事だ。
 それを差し引いてもこのリアファイドという男は人懐こさに定評がある。あの取っ付きにくいと評判のヴァルディアと同等以上に立ち回れる貴重な人物であり、ある意味で協会全体の窓口役も買っている。浮き名には縁がないが、それは家を考慮しての事だろう。彼には、貴族の人間によくあるように、幼少の頃からの許嫁がいるから。
「……しかし、ここであれが蒼樹にいると公に知られてしまうとなると、多少は面倒も増える」
 思っている間に、リアファイドはどこか思案するような間を置いて、そう口を開いた。眼を向けてもそれに対する反応はなく、ただそのまま言葉が続いていく。
「あれにも約定があるとはいえ、禁忌のおかげで立ち消えも見えているし……そうなると、別の形で縁を繋ぎたがる連中も増えるかもしれない。貴族の間での騒動が増えるのであればそれの抑えを強化したいと、父は考えているようで」
「……それを私に言って、何か?」
「蒼の土地での代替わりが近々行われるとするのなら、という仮定の話ですよ」
 四大公爵家と、呼ばれる。アイラーンを筆頭とした名家が四、それだけが公爵と呼ばれる。土地、領地の拮抗と争いを避ける為にこれもやはり四方に一つずつとなっているのが現状だ。だが勢力が強く歴史が古いだけの家もある、多くの問題を擁している場合には、『代替わり』が行われる場合も多い。
 カティアルは、リアファイドの台詞には僅かに眼を見張っただけで、すぐに笑みの中にそれを落とし込んだ。苦笑を象る、その中には嗤う色。
「……最近は、妙に耳に五月蝿いものが大量に飛び交っている、一掃したい所ではありますな」
「然り然り。近いうちに当家から使いが行きますでしょう、父の気まぐれに付き合って頂ければ」
「……こんな昼日中の話とも思えないが、覚えておこう」
 誰が聞いているとも知れないが、高位の貴族達が通される棟にはさほど人は多くない。侍女たちがすぐ脇を通り過ぎたとしても、彼女らがそこで聞いた事を誰かに話すような事は無い、報復を恐れるからだ。情報は金になるが、金は命が無ければ無意味にすぎない。それを良く知っている。
 そのまま、暫く無言のまま並んで回廊を進んで、そうして遠目に門が見えた頃に、では、とリアファイドがカティアルを見やった。
「自分はこのまま神殿の方へ。卿は?」
「このまま下がろう、アイラーン公爵に挨拶という大事は無事終えたからな」
「……今日は父の機嫌が良くて助かりました。では」
 見送る事無く、それぞれが別の方向へ足を向ける。そのままリアファイドは東翼へと向かう、その途中で不意に眼に入った人に、お、と短く声を上げた。壁に寄り掛かって腕を組んだ、初老の男性。深紅の髪と瞳。
「好き勝手に言ってくれるな、息子よ」
「多少は脚色した方が面白いかと思って。どうしたんですか父上、こんな出口近くまで一人で」
「お前の気侭さを確認しがてら、神殿にな」
 壁から背を離し、彼は軽く指先だけでついて来い、とリアファイドに示す。大人しくその後ろに従ったリアファイドは、先程とは全く違うまるで緊張感のない表情で首を傾げた。
「閣下に?」
「一応、挨拶くらいはしておくべきと思ってな。このままやり過ごしたら後で二人分の恨み言を聞かねばならん。それは避けたい」
「……とーさん女子には弱いよな……」
「不可解なものは大概が愛でておけば機嫌が直るが、個々の対処法を覚えておかねばならんのが面倒でな。……クライシェにはそうでなくとも難儀するが……」
 後半は目元を押さえながらの呟き。クライシェ、つまりアイラーン公爵夫人は、夫たるアイラーン公オルヴィエスを完全に圧する事の出来る唯一の人物だ。そのどこか疲弊を漂わせる声にリアファイドも眼を泳がせる。父への支配力の強さはそのまま子へ伝わっていた。母に逆らえる兄弟はいない。
「……でも、最初は行かないって言ってたのに」
「ふむ。行きたいと言い出したのはクライシェとルクレスだな。途中までは一緒だったが、先に行かせて私だけ寄り道をしていた」
「珍しいな、母さんが神殿に行くの」
「フェルが怯えるからな、あまり近寄らないようにしているとは言っていたが」
「え、そこなのか理由」
「らしいぞ」
 言うオルヴィエスは仄かに笑みを浮かべている。リアファイドは珍しい、ともう一度呟いて視線を回廊の先へと向け直す。向けた先で見覚えのある色を見て、疑問符を浮かべた。




__________



back   main   next


Copyright (C) 雪見奏 All Rights Reserved.