あ、と誰かが声を上げた。それで視線をそちらへと向ければ、窓の外、庭園の側に幾つかの人影が見えて、サフィセスがあれ、と疑念を零す。
「あれ、長官じゃないか、黒の」
 言えば周りに居た数人がその彼と同じように窓の外に眼を向ける。覗き込むようにして庭園の方、ゆっくりと歩いて来る三人を見た一人が、黒に金ならと部屋の中に眼を投げた。
「金髪って、西の長官じゃなかったか?」
「長官の色なら、確かに金だが」
 近くに居たロードが答える。薬で抑えたおかげか、魔力酔いも落ち着いてきたらしいベラがその問いの声に不思議そうな顔をして、ソファから立ち上がってそちらの方に近寄って行く。
「なんか遭遇率高くないか、長官」
「だな。そんなに自由にふらふらしてるもんなのか……前はそうでもなかったんだが」
 文句言いたくとも言えなかったからなとロードは零す。言ったのかとサフィセスが緋色の綬をいじくりながら言えば、彼は肩をすくめるだけで窓の外のそれを見やった。遠目に見えたのは三つ、そのうちの一つはこの部屋にいるような黒とは違う、儀礼に則った形のローブを揺らしている。それを認めて、そうして一人が眉根を寄せて身を乗り出した。
「もう二人、って」
「後ろのは藍色、だから、紫旗か。横の……大公、か?」
 誰かが疑問符とともに言った瞬間立て続けに数人が窓に顔を寄せる。まるで積み重なるようにして窓に張り付き庭園を見下ろす下で、更に二人がそこに合流するのが見えた。



「ところで」
 風がないのを幸いと、どこにいくでもなくその場で雑談を重ねていた所で、ちらとどこかに視線をやったアルフェリアが唐突に声を上げる。会話を断ち切るようなそれにフェルが首を傾げた所で、彼は笑みのまま、背後を指差した。
「あれは、良いんですか」
 言う彼の指先は後ろ、斜め上を指している。その先に視線を向けたフェルはアルフェリアの言わんとしている事をそこでようやく理解して肩を跳ね上げた。
「――ッ!!」
「おや」
 眼を見張って硬直した彼女を見てフィエリアルが短く声を上げる。東翼、その窓からの多数の視線。
「とっくに気付いているものかと思いましたよ」
「気付いてたら言ってますし移動してますし気付いてたなら言ってくださいよフィエル長官!」
「あえて無視しているのかと」
「利が無い!」
 フェルがフィエリアルに詰め寄る。ちょうど窓からの視線を遮るような位置のそれには何も言わずに、彼はにっこりと笑んだまま背をかがめて、そして間近から紫を見返した。
「ほら、声を張ると聞こえますよ?」
「きっ、……こえ、ませんよ距離ありますし、窓閉まってますし」
 言いつつその声が急激に萎んでいく。そのまま言葉なく項垂れたフェルの手がフィエリアルの黒いローブを恨めし気に握っているのを見つけて、アルフェリアがふむと腕を組んだ。
「本当に気付いてなかったんですねフェル」
「だ、だって」
「抜け出して来たからそんな事意識もしていないだろうとは思っていましたが」
「隠す為の紗も無いしな」
「大方正規の道を使わずに出てきたんでしょう? 侍従もいないのは珍しい」
 長官三人の立て続けのそれには何も言い返せない。運良く視線を遮る位置を見つけたそのまま動けなくなっているのを見て、息をついたヴァルディアが口を開いた。
「さて、楽しんだところで、戻るか」
「遊んでたんですか!?」
 思わず顔を上げたフェルに、ヴァルディアは振り返って眼を数度瞬いて、そしてにやりと笑って見せた。
「それ以外に何がある?」
「な、ん、」
「ほらほら、『閣下』。ヴァルディアに構ってると疲れますから、早く行きましょう、日も暮れますし」
 ローブを掴んだ先のフィエリアルが言い、その彼に肩を押されて仕方なく足を踏み出す。確かに日が落ちれば酷く冷え込むだろうからその言葉自体には異論は無いのだが、やはり釈然としない。しないまま東翼に入る扉へ通じる外廊に向かうのに、何も言わずについていく。その途中に逆にこちらに向かって来る二つを見て、先頭のヴァルディアが意外そうな声を上げアルフェリアがおやと声を零した。それで気付いたフェルが眼を上げれば、思わず喜色の声が上がる。
「公爵様!?」
「久しく、大公」
 深紅の髪を緩く纏めたその男性は、リアファイドの後ろに立ったまま僅かに笑みを浮かべて応える。駆け寄った小さいそれを迎えて伸ばされた手をやんわりと握り、彼はまるで子供にするようにその頭を撫でやった。
「珍しく神殿の奥から出て来る季節だと思って、挨拶にと思ってな。何事も無いようで安心した」
「有り難うございます。ラシエナにも、助けてもらっていますから、なんとか」
「娘が役立っているようで何より。なにかと噂は聞くのだが、不穏なものが多くてな」
 彼のいうそれには、誤摩化すように曖昧な笑みを浮かべるしか無い。和やかな様子のその二人を見て、リアファイドは軽く肩をすくめて見せた。
「でれっでれ」
「孫みたいなものでしょうからねぇ」
 アルフェリアも小さく笑みの色を零す。ヴァルディアはそれらを一度見やって、そして未だに貴族の装いを解かないままに戻ってきた東の彼に眼を向けた。
「リア」
「何?」
「何があった」
 問うよりも問い質すといった声。ヴァルディアのそれに疑問符を浮かべた北と南と大公を見て、そうしてアイラーン公爵は軽く息を吐いてみせた。もう一度、銀の頭を撫でやりながら、その彼女に口を開く。
「……挨拶に、と、思っていたのだが、日を改めた方が良いようでな。妻を迎えに来たのが本当だ」
 間近の男性が零したその言葉には更に疑念と、同時に沸き起こった、何か騒がしい感覚にリアファイドを見やる。ヴァルディアの言葉に一人だけ眼を瞬いてみせた彼は、溜息とともに朱金の髪を掻き混ぜて視線を逸らした。
「……お前そういう技能どこで身に付けてんの?」
「人を騙すのが生業でな。それでなくとも三年は一緒に居た、嫌でも分かる。何があった」
 ほんの少しの軽口の後にもう一度同じ問いが重ねられて、それでリアファイドは観念したように息を吐いた。上着の中から一枚の紙を取り出す。皺の入った羊皮紙は小さい。新しい声に呼びかけられてフェルが振り返った先に、手に何かを携えたレゼリスが、常に無く息を乱して外廊からこちらへと向かって来る姿が見えた。
「あんまり不安を振りまきたくないんだが、そうもいってられないだろうからな」
 一気に硬くなった声音。まさかと彼を見上げる。朱の間に垣間見えた翠はひどく苦々しげに細められていた。無造作に示された、一文。
「――『異種』の波だ。緋樹が襲撃された」



 『異種』は時折、唐突に、通常では考えられない程の大群を成して街を飲み込む。人の集まる巨大な街はその標的になりやすい、人が多くいればいる程『異種』の餌が多い事になるからだ。
 東の長官と所属者は、夜の内に陣によって協会へと戻っていった。現状は何事も無くと報された他の三方も、院と、より中枢の判断で、予定よりも早い帰還となる事が翌朝には伝えられた。
「中枢って、どこだ?」
「魔法院より上、の言い換えだろ?」
 ベラの疑念にはロードが答える。少しして、ああ、と納得の声が落ちた。
 采配の為にか白黒の面前にも現れた大公は、侍従達に指示を下した後に『赴く』と言っていた。恐らくそういう事だろう。ベラがこめかみを押さえながら、さっさと出れるのは有り難いけどと独りごちる肩を軽く叩いてやる。薬でなんとか酔いは収まっても、重い違和感は抜けないらしい。これは騎士には分からない事だから、気遣いも難しいのだが。
 準備ができ次第と、白黒はやはり広間に集まっている。どことなく神官達も慌ただしい雰囲気だが、昨日程の騒がしさは無い。どさくさの中でいつの間にか何処かに消えていたコウも朝にはフィオナが抱えていた。聞けば「もらった」と言うから、師団の誰かに頼まれたのだろう。
「……というか、なんかぐったりしてない?」
 後ろから顔をのぞかせたエレッセアが鋼色の頬をつつくと、潰れたような鳴き声が返ってくる。仕草だけでなく声も表現が豊かな竜だ。一見そうとは見えないけれど。
 抵抗が無いのを良い事にフィオナの腕の中のそれを両手で撫で回す様子を眺めて、ベラが遠い眼をしながら仲良いなお前らと呟く。もふもふだからと理由なのかなんなのかを口にするフィオナに苦笑して、そうしてエクサは広間を見渡した。北の白黒も、先に神官に連れられていったから、ここに残っているのはあと西と南だけだ。白樹の面々はこの急な状況にも、どこかほのぼのとした、言ってしまえば緊張感の無い様子を貫いている。慌てれば良いわけでもないのだが、何処か落ち着かないような心地もそれを見ているだけで削がれるような気もして、それ自体も釈然としないような、引っかかるような焦燥がある。何事かが起きているのは東なのだから、そもそも西の自分達の手が届く範囲では無いのだが。『異種』の波であるとは伝えられている、その程度が分からないでも、不安があるのは明確だ。
 随分と人の減った広間で暫く無言のままでいると、唐突に扉の開く音。部屋中の眼が集まってそこで、取っ手に手を掛けたまま半身で部屋に足を踏み入れた金の眼が白黒を捉えた。
「時間だ」
「了解」
 一番に答えたエクサが立ち上がる。立て続けにバラバラと立ち上がって回廊へと扉を潜る西の九人から眼を離したヴァルディアは、そのまま白樹の十人へと金を向けて声を続けた。
「少し予定が変わった。南も一緒に」
「……こちらの長官は?」
 警戒するでも無い、純粋な調子の問い。ヴァルディアは戸の外のどこかを示した。
「先に陣の方に。道なりに説明する」
「分かりました。行こうか」
 言ったその一人の呼びかけで南の面々も立ち上がる。広間を後にしてどこかへと向かう、その先頭に立ったヴァルディアは、足を進める最中にちらと肩越しに振り返った。
「白樹長官は神官と最終調整の最中だから、決まった部分だけ伝える。今後の協会全体の動きについてだが、多少面倒な事になる。合同、とは名称の上ではなっているが、四方それぞれで同じような案件に当たる事になる」
「合同任務、と?」
「少し変わった形にはなるが。合同というよりは、むしろ同一だが……その事については長官から」
「了解しました」
 南の一人、先程も促す声を上げた黒の声に、ヴァルディアは頷き返す。
 階段を下りて、東翼から南翼へと続く回廊を渡る。途中すれ違った神官達が礼のみを残して足早に去っていくのを横目に見送りながら、警備の詰める門を越える。神殿の領域ではない場所に足を踏み入れるのはこれで二度目になる。やはり人気のない場所を、心持ち足早に進んでいく。先導する彼は流石にここに慣れた様子で、迷う事無くどこかの棟の中庭に辿り着いた。辿って来た道を一人がちらと振り返った。
「……やっぱり入り組んでるよな、ここ」
「だな。もっと整ってるかと思ってたけど」
「入り組ませてるんだ。迷わず移動できるようになるまで相当かかる」
「長官は?」
「精霊に聞いた」
 反則、と誰かが呟いた。魔法が全て封じられる王宮とはいえ、生来から精霊を見る眼を持ったものは問題なくそれを見る事ができ、会話ができる。精霊眼と呼ばれるそれを持つ人は少なくないが、持たない魔法使いには羨ましいものだ。感覚だけで精霊達の機嫌を見るのは、中々に骨が折れる。
 四阿の中、普段であれば白い石の面が張られているのだろう床は、今は大きく口を開けて下へと続く階段が見える。ヴァルディアが迷い無くそこへと降りていくのを見て、それに従って下っていくと扉が見えて、その先の薄暗い空間には既に数人の人影。長官が一人と、そのすぐ傍らに小さい一人。床に描かれた陣の更に奥には法衣の三人。
「、大公」
 誰かが上げた声に、その人はすぐに気付いて指先を唇に当てる。紗の下の視線を受けた神官が一人、階段へ繋がる扉を閉じてから、やおらその人は独特の礼を向けた。
「急の支度で詰めておりましたので、そのままお見送りに。昨夜はお騒がせしました」
 各々が慌てて礼を返す間に大公は言う。聞こえたその声に、しかし蒼樹の何人かが僅かに眉根を寄せて、南の面々に見つからないように眼を見交わせる。エクサが改めて大公へと視線を向ける寸前、唐突にその腰あたりに軽い衝撃があって小さい声を落として見やればフードを被った小さい一人が半ば抱きつくようにしてローブを握っていた。
「あ、と?」
「ああ……負傷で前線から離れ実家に戻っていたのが、明日復帰予定なのもついでに持って帰る事になった」
「あー。了解」
 助け舟にはセオラスが苦笑と共に返事を返す。しがみつかれたエクサは、白の長官に呼ばれてそちらへと集まっていく南の白黒の視線が刺さるのを背中に感じながら、それには仕方ないと思って少し背をかがめた。顔を上げたらしいその耳元に小声で問いかける。
「なんだ、やっぱり昨日顔見られたのがまずかったのか?」
「……怒られました……」
 聞き慣れた声で小声が返される。それで『大公』と、その後ろに控えた無言のままの副官を見やれば、恐らく常のものなのだろう笑みを僅かに深くして返される。だからこんなに小さくなっているのかと思っていると、それに、と続ける声が聞こえてそちらに耳を傾ける。
「魔力で、分かってしまう人がいるかもしれないので、くっつかせてください……」
「……俺で良いのか?」
「エクサさんのが、一番大きいので」
 偽装か。なるほどと背を伸ばして、どうしようかと蒼樹の面々の方を見やった。目が合うなりセオラスが真顔で親指を立てるのを見て地獄耳と呆れながらも息をつく。そうしながら、袖にすがるようにしたそれを一息に抱え上げた。
「ッ!?」
「暴れるなよ、落とすぞ」
 まるで子供にするように腕の上に抱え上げられて息を詰めた瞬間、反射で身を引くよりも早く言い退けられたそれでフェルは動くに動けなくなる。落ちるならともかく落とすとは。確かに魔力は頭部、脳や髪や瞳に蓄積されるのが主だから、両者のそれを近づけた方が良いのは事実なのだがと思考が空回りする間に、下ろしてくれと言い出すタイミングを逸して、フェルはそのまま大人しく彼の肩の上に顔を伏せた。比較的近くに居た白樹の白服がその様子に首を傾ける。
「所属、か?」
「ああ。多分西の最年少」
「へえ……」
 耳元で、気まずい、という呟きが落とされる。いつの間にかフィオナが横に立って、フードの下の頭を撫でているのにロイが平和だなぁと他人事にこぼして、それから長官へと声を向けた。
「えーと、それで、今後は?」
「ひとまず協会に戻ってからだな。例によって面倒を持ち帰る事になっているから、数人は覚悟しておくように」
 何人かの呻く声。フェルは更に小さくなるしかない。彼には責める意志はないのだろう、そのつもりがあればこの場でさえいくらでも刺さる言葉を選べるはずだ。
 だからそれをしない事に、何か含意を見そうになる。どうしようもなく息を吐き出せば、見上げて来るフィオナが手を止めて、軽く首を傾げてみせる。それには何でもないと首を振ったところで、南の長官の声が聞こえた。
「ヴァルディア、終わりました」
「なら南を先に。西は急がない、閣下」
「では、南の方を」
 呼びかけに、ずっと部屋の奥で様子を眺めるだけだった大公が応える。陣へと白樹の白黒が足を踏み入れる間に、アルフェリアがヴァルディアと大公に軽く礼を残し、彼も円の中へと入っていく。すぐに描かれていたそれに光が走ってそのまま視界が塗り潰される程の光が溢れる。唐突に起こったそれが唐突に消え去った後には、陣の上は無人となっていた。フィオナがほう、と感嘆するように頬に手を当てた。
「端で見てるとこうなるんですね、初めて見ました」
「あ、そこなんだ反応するの」
「ふふ、少し驚きますよね」
 全員の眼が一様にそちらを向く。あら、と口元を押さえたその人が侍従を振り仰いで、それでようやく塗り固めたような彼の表情が和らいだ。
「もう隠す意味もありませんからね。レナ、ご挨拶を」
「はい、侍従長」
 レナという呼びかけには『大公』が応える。やはりかと思っているうちに軽く肩を叩かれて、それでフェルを下ろしたエクサが再度眼を向ければ、紗を外した下には銀の髪と、黄色の瞳。少女はにこりと笑って胸に手を当て、そして僅かに上体を沈める。
「お初にお目にかかります、蒼樹の方々。フェルリナード=アイクスと申します」
「……影武者、か」
「え、でも名前……」
「閣下と同じ名を戴いております」
 ロードの声とロイの疑念のそれには、ほんの少しはにかんだようにして答える。それを見てロイは眉根を寄せた。既視感と違和感、同時に来たそれに決着のつかないまま、フードを落としたフェルが蒼の面々を見上げた。
「私が蒼樹に居る間は、レナは私の代わりをやってくれてるんです。影武者というか身代わりというか……」
「フェルが急にいなくなるとなって、大変だったんですよ、ここしばらくは」
 ドレスを揺らしながら、黄色の視線の彼女は数歩の距離の所まで近づいて来る。それにはフェルが、でも、と眼を向けた。
「楽しんでるでしょう、レナ」
「勿論です、滅多にありませんからこんな好機」
「好機です?」
「です。レゼリスをいくら弄っても怒られませんからね」
「少しくらいは遠慮というものを学習して欲しいです、悪い噂は私のになるんですよ?」
「でもフェルも楽しんでるでしょう?」
「ぼちぼちですね」
「そうです?」
「そうです」
「そんなもんですか」
「そんなもんですよ」
 端で二人の会話を聞いていたフィオナとロイが顔を見合わせる。ロードがどことなく難しそうな表情を浮かべて腕を組み、ベラが眉根を寄せた。気付いたのか『レナ』が小さく笑う、その仕草を見て、それでようやくエクサがああ、と声を上げた。
「……良く、似てるな」
「似せている、ですね。喋り方も仕草も表情も。だからフェルとはもっと時間をかけて話しておきたかったのですが、今回は時間切れですね」
「なんかもう十分な気もしますけどね」
「そんな事ありませんよ、私は魔法もまだ使えませんからね」
「……すみませんでした」
「はい、反省して下さい」
 にっこりと笑って言う。フェルはそっと視線を外した。
 元々この少女はフェルよりも押しの強い、自分の意志を通す事の得意な人だ。相違と言えばそれくらいで、それは彼女が選択して残したままの唯一のものだ。真似る事に特化したのは、影である為に特化した結果でもある。大公であるフェルよりも、彼女は神殿に縛り付けられる。
「……それで、準備は?」
「調整を行っております、すぐに終えるかと」
 断ち切るような長官の声には侍従長が答える。見上げたレナが首を傾げた。
「事情は分かってますが、急ぐんですね、長官様」
「急を要するからな」
「今度こそ一度は騙せるかと思っていたんですけども、やっぱり駄目でしたね」
「精霊を見れば分かる」
「……つまらない……」
 拗ねたような呟きにはフェルとレゼリスが揃って苦笑して、当のヴァルディアは何の反応も返さない。それを見たレナは両腕を伸ばしてフェルに抱きついた。
「フェルは良いですよねー、ヴァルディア様と同じ所で一緒にいて」
「同じ所なのはそうですけど一緒ではないですよレナ」
「でもほぼ毎日会えるんでしょう?」
「まあ、そうですけど」
「一日だけ入れ替わりません?」
「それやったら際限なく引き延ばすでしょう貴方」
「だってぇ」
 黄色が黒いローブの肩に沈む。面々の問いかけの眼には、お察しですとだけ紫が言えば、それで理解したらしい数人の眼が長官へと向いた。向いた先の当人は早々に話題から逃げ去り侍従長と何かを話し合っている様子だった。フェルは抱きつく彼女の背を軽く叩いてやる。
「頑張って下さいレナ、一応今のところは誰に対してもああですからあの人」
「開始地点から動く事すらできないこの絶望を全人類に振り撒きたいです」
「世界を極寒にしないで下さいね、それやると私の仕事が増えるので」
「……」
「必然的に貴方の仕事も増えますよ」
「……ままならない……」
「そんなもんですよ」
「そんなもんなんでしょうねぇ……」
 溜息と同時に離れていく。フェルが小さく笑いながら、仕方ないといった様子で自分より少し高い眼を覗き込んでいるのを見ながら、それとなく群から離れたセオラスが、長官の隣に立って腕を突いた。視線が僅かに向くのを気配だけで察して、それで口を開く。
「つれないんじゃないの」
「囃すな。気を遣う必要も感じない」
「だからってこう、もう少しはよー?」
「相手もこれで楽しんでいるのだから良いだろう別に」
 ちらと影の少女を見やる。いつの間にか白黒も会話に巻き込まれていた。和やかな雰囲気なのを少し遠目に、若いなぁと思いながら眺める。確かに、影の少女は演じる事自体を楽しんでいる風でもあるが。
「でもそれだけかねぇ」
「どちらにせよ興味ない」
「ひっで」
 小さいやり取りを交わしながら、しかしセオラスは面白げに笑う。横で聞こえていたのだろうレゼリスが何も言わないのを良い事に、そのまま何の手を出すでもなく白黒の群の中に平然と戻っていく。それで何事も無く会話に混ざっていくのを流石だと思いながら見ていると、不意に侍従長が口を開いた。
「……彼女は負けず嫌いですから、お気をつけ下さい」
「……それは、どちらがだ?」
 眼を向けて問い返せば、彼は笑みで返して来る。ヴァルディアは深く息を吐き出した。言葉にするつもりが無いのであれば半端に言うなと、そう言ってやろうかと思っていると、黙々と作業を続けていたらしき神官がその彼に耳打ちするのが見えて、それでようやくかと陣を見やる。では、という声が横から聞こえた。
「『閣下』」
「……神官の優秀さを多少は恨みます」
 レゼリスの呼びかけに天を仰いで言ったのは影の方で、白黒もその台詞で陣の準備が整った事に気付いてか部屋の中心の円陣へと視線が集まった。一歩引いた『大公』が、その彼らに片手で示す。
「お待たせ致しました、西の方々」
「ああ……では、お騒がせした、御前失礼する」
 ロードが言葉と共に丁寧に頭を下げるのに他も続いて、多少気安い数人が間際に小さく手を振るのを、大公は笑みで受ける。長官を含めた全員が淡く光を放ち始めたその上へと足を踏み入れるのを最後まで見届けて、そうして彼女は最後にもう一度、神殿大公としての礼を静かに象った。
「ご武運を……どうか、ご無事で」
 視界がゆっくりと、白い光で塗り潰される。




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