「フェル、フィレンス」
「あ、と、はい」
 視界に、数日前に一度見たきりの風景を捉えたと思う、その直後の呼びかけに長官を見やれば、彼は既に別の方向へと視線を動かしていた。背後に気配が現れて、見やれば藍色が二人。クロウィルの肩の上に居たコウが飛び乗ってくるのを受け止める間に続く声が耳に入った。
「セオラスとクロウィルもだ。エレッセア、相方が待機しているから後で連れて来い」
「うえ。らじゃー」
 唐突な指示に察したエレッセアが一言呻いて、短い返答を残して駆けていく。古い言葉を知っているとフェルが何となく感心している間に、ヴァルディアは脱いだ正装の上着をクラリスに押し付けながらもう一人を呼び止めた。
「エクサ、お前もだ」
「だろうと思った。でも俺は、今は一人ですが」
「近いうちに戻ってくる事になっている、安心しろ。……五人、急がなくても良いが、昼頃には談話室で待機」
 了解と幾つかの返答。フェルは少し考えるように視線を落として、すぐに藍色の二人から離れて出迎えたクラリスと何か声を交わしているヴァルディアの方へと駆け寄った。気付いた彼が眼を向けてくるのに、ほんの少し背伸びして顔を寄せるようにして見上げ、小声で囁きかける。
「もしかしてっていうか」
「……ああ」
 問いかけに入る前に肯定。押し付けられた彼のローブを腕に抱えたクラリスが視界の端で眼鏡を押さえるふりをするのを見てフェルは思わず引きつった笑みを浮かべる。まさかと言いたげなそれに、襟元を緩めながらヴァルディアは口の端を吊って笑った。
「言っただろう、『これがお前の査定だ』と」



 どうして談話室なのかと言えば、長官とその副官、該当する七人の合計九人を収容するには、執務室では若干手狭だったからだ。部屋自体はそうではなくとも、机の回りに密集するとどうもそういっていられない。
「むしろ、この数って任務にしては壮観だと思うんだよね」
 ソファに腰掛け、脚の間の座面に手をつき背を丸めるようにしていたエレッセアが、同じようにテーブルを囲んでソファや一人掛けに並んだ面々を見やり、ぽつりと呟く。隣に座っていた黒服が軽くその背を叩いて言外に正せと言いながら、控えめな抗議の声をものともせずに、ふむと唸った。
「この場に揃っただけでも七人か。エクサの相方を含めて八人……確かに滅多に無い大規模な具合だな」
「ゼルフィアは、多人数はやった事あるんだっけ」
 その人数分と余計に一つの紅茶を用意して、慣れた様子で各々の手元へと渡しながらフィレンスがその彼に問いかける。彼は淡い桃色の花が咲く髪が肩から滑り落ちそうになるのを背に払いながら、それを受け取った。
「いや、あまり。ついでに言えばレッセも」
「はい! あんまないです!」
 大体いっつも一人か二人か三人かでしたと、やけに歯切れ良く彼女は宣言する。すぐに元通りの、暇を飽かしたと言わんばかりの姿勢に戻ってしまうが、それが特に不満やそれに類するものではないとわかりきっているからこそ、ゼルフィアはもう一度その背を叩いてやる。やはり抗議の声が横から聞こえてくるのを右から左にそのまま受け流して、立方体の砂糖を一つ沈めてからカップに口をつけた。髪に咲いた花が、僅かに上向くようにして花弁を広げる。その合間にどこからか一片が舞って、そのまま黒いローブに触れると同時に消えていいった。
 エレッセア・クーシェ=ギッティアの相方、任務での行動を共にするゼルフィア=ルクィアは、幻と華の種族の人間だ。長い新緑の色の髪の合間、どこからか細い蔦が伸び絡まり合いながら垂れ、季節を問わずに葉と花をつける。散っていく花の殆どは幻花だが、眼に見えて咲いたそれは本物の花と何ら変わるところはない。特に希少種族とも呼ばれないルクィアだが、街中で見かけるというものでもなかった。
「……まぁ、あんましないというか、むしろ割と自信無いというか、ね」
「だな」
「でも二人とも中々難度高いのやってるんでしょ?」
「ははは……第一線の人に言われると照れるっす」
 給仕を終えてフェルの横に座ったフィレンスが言えば、困ったような顔でそう返される。フィレンスは苦笑を浮かべてから、濃い色の水面を見下ろしたままのフェルを見やった。少し考えてから、カップを持ち上げるのに合わせてセオラスの方を見やる。気付いてか彼は遠い眼をしてみせた。
「……フェルさー」
「え、あ、はい?」
 何でもないように声をかければ、それで弾かれたように顔を上げる。セオラスは数度目を瞬かせてみせた。
「疲れてるか?」
「あ、と……ちょっと、気が抜けちゃって」
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。急なのが立て続けだったので、気が追いついてないのかもです」
 眉尻を下げ、言う。フィレンスが下手と小さく呟くのが聞き取れなかったのか、フェルはそれには首を傾げるだけだった。両手で支えたカップを見下ろして、小さく一口を含んでゆっくりと飲み下す。
 緋樹が『異種』の大群に襲われた事で、その対応に追われた中央が、最後には完全にそれにかかり切りになり他が全て止まってしまった。魔法院の欠けた老師の席もまだ、候補を並べる段階から先には進んでないだろう。片方を殺害し傀儡に仕立て上げ、片方を核として操っていた犯人の目星すらついていない。恐らくはもう、王宮からも王都からも逃亡してしまっているだろう。
 時間が足らない中での協会の襲撃で、想定していた事の全てが達成されたとは言い難い。どさくさに紛れて、院にこの任務に関わる支援要請を受理させるくらいが限界だった。
 偶然なのかと、そう思考が何度目か問いを吐き出す。間が良すぎる、どれもが。王宮から離れてしまった以上、後は任せてきた侍従やレナからの報告を待つしかないのだが。
 息をつく。紅茶をテーブルに戻して、顔を上げた。改めてその場の白黒を見渡して。
「……というか、クロウィルってセオラスさんとだったんですね」
 前から二人は遠慮がないと思っていたがと、青い二人を見やる。途端片方の翡翠が細められた。
「非常に不本意ながらそういう事になってる」
「またそういう風に言うしさー」
 セオラスがクロウィルの即答に、蒼い髪を掻き混ぜながら青い眼を細める。何かしら思う所でもあるのかとクロウィルを見やれば、彼は珍しく何も言わないまま視線をどこかへとやってしまう。首を傾げればフィレンスの笑う声。
「仲悪いよねぇ」
「悪いわけじゃないんだぞ? 俺はな? できる限り穏便にな?」
「そう思ってる時点で駄目なんじゃ?」
「こいつに言えよ!」
「人の事指差すな」
 冷たい声が刺さってセオラスが顔を両手で覆った。こいつ怖いという呟きにはフェルは苦笑する。この扱いの理由が何かとはわからないが、クロウィルが怒れば怖いというのは身に染みて理解しているから、それ以外の反応ができなかったとも言うのだが。ゼルフィアが息をつく。
「……本当にお前達は、それでよく仲間割れを起こさないな」
「その暇が無いってか」
「暇あったらやるんだな……」
 クロウィルはそのセオラスの暗い声には視線をどこかへと投げてしまう。フェルがちらと隣を見れば、すくめた肩の上で金の髪が跳ねる。エクサが膝の上に両肘を置いた。
「喧嘩する程、とも言うけど」
「やめろよ……心底嫌なんだから」
「でも相性は良いんだろう?」
「相性『は』」
「強調すんなってクロウィル……」
「認めてるだけマシだろ」
「問題を起こしてくれなければそれで良い」
 割り込んだ声に七対が一様にそちらを向く。書類を片腕に抱えて談話室の扉を後ろ手に閉めたヴァルディアは、ちょうど残されていた一人掛けに腰を下ろして口を開いた。
「端的に言う。非常に面倒な任務だ」
「うわ……」
 呻いたエクサに構わず、彼は大きな封筒を四つテーブルの上に滑らせる。目の前に来た一つを取り上げて中を開き、常に無い枚数の多さに眉根を寄せながらもいつものように地形図と任務の概要についてをフェルに渡して、フィレンスは討伐対象となるものが羅列したものに眼を落とし――たった一言、『不明』としか書かれていないそれに、僅かに眼を見開いた。それらの反応も一切を気にも止めず、長官は手元のそれを見やる。
「今回は八人が合同で一つの任務に当たる。内容は指定範囲内に生息する中位上級以上の『異種』の殲滅と、同時同地行動を行う学院学生の補助及び救助」
「……ちょっと待った、今」
 エクサが顔を上げる。一気に険しくなった空気の中で、ゼルフィアが書類をめくる音。
「学生、と聞こえたな。……こちらにもそう記載されているようだが」
「嘘を伝える理由は無いな、言葉の通りだ。現状各地で発生している原因不明の『異種』急増、その対策の為の行動に耐え得るだけの前線人員が乏しい。本来であれば白黒の三十人が必要なものを、学生百に任せて分散させる事になった」
「そんな、無茶な」
「って、学院ってまだ、この時期じゃ最高学年でも実地訓練が何回か、ってとこなはず……」
 戦えるはずがと、エレッセアが六人を見やる。その黄がこちらを向く前に、フェルは文面に眼を落とす振りをしてそれを避けた。決定に関与しているのは自分もそうだ、最善策ではなくとも最適解だと、その場あの全員が納得した上で出した結論ではあっても、それでも追求の眼は怖かった。
 僅かに沈黙が落ちる。息をつく音に少しだけ眼を上げれば、視界の端で黒が動いた。
「なぁ、これ、会議で決まった事なのか」
「ああ」
 セオラスの問いとヴァルディアの即座の首肯。空気が、ほんの少しだけ棘を失って、緩い緊張と戸惑いに変わっていく。問うた彼は頭を掻いた。
「じゃあ完全に数の問題か……あー、決まってんならやるっきゃないな、蒼樹だけじゃないんだろ?」
「他の三方も同じような状況だ。被害を出さない為に様々に手を尽くす事で合意している。東は遅れてしまうが……魔法院からの戦術支援やら規制解除も取り付けた。その関係で、フィレンス」
「聞きたくない」
「知るか。お前が魔法を使う事を前提とした八人だ、出し惜しみはするなよ」
 嫌なんだけどなぁという声が書類の奥に隠れてしまう。フェルが横目に丸めた書類の先で肩をつつけば振り払われる。ならただ気まずいだけだろうし自業自得だと、それ以上は何もしない。代わりに長官へと眼を向けた。
「いつ、開始になりますか?」
「今すぐという訳にはいかないが、一ヶ月後とも言えない状況だ。二週間後の新月の日から、二日かけて掃討する。細かい事は書いておいたが……広範囲の『異種』を無理矢理一箇所に集めて結界に封じ込め、標的とする。密度は通常の比ではないだろうな、一歩歩けば新手という状態になりかねない」
「範囲は……半径三キロの円形、か。でも結構広いな……」
 任務の概要には、おおよそとはいえ全ての段取りが書かれている。まず広範囲に影響を及ぼす殲滅術式を大きく円形配置、発動する事で全体の数を減らし、逃げる『異種』を円の中心にある草原と森林に追い込む。結界で捉えたところで更に数を減らし、許容量に達した時点で更に術式を使い、掃討する。任務の主な目的は殲滅とは言え、主眼は数を減らすことだ。『異種』の密度が高すぎる場では、いくら特製の術式とはいえ失敗は免れない。
「これがうまく行けば、少なくとも蒼樹領域の中にある異様な密集地の四割程度には片が付く事になる。学生を使うとは言え八人で四割を潰せれば、あとの半分程度なら常の人員でもなんとかなるだろう」
「長官長官六割は半分ってゆわない」
「……あとは、まぁ」
 無視された、とエレッセアが顔を覆って俯き、隣のゼルフィアがその頭を適当に掻き混ぜるようにして撫でるのを視界の端にしながら、ヴァルディアはどこかの方へと視線を投げた。
「学院の方の目的といえば、座学で舞い上がった意識を叩き落とすといったところだが」
「丁寧に心を折りにいく姿勢……それ学長がやっていいんですか」
 エクサのそれにはヴァルディアは肩をすくめる。顔を上げたクロウィルが、不思議そうな顔でエクサに視線を向けた。
「心なんて折られてもすぐに再生するし大丈夫じゃないか?」
「……え、何だ、護衛師団もそういう教育方針なのか……?」
「団っていうかたぶん学校だと思います、エクサさん」
 フェルが苦笑気味に訂正を入れる。エクサはどことなく渋い顔をして見せた。それを全く気にすることなく、長官はまだ沈んでいる一人に目を向ける。
「エレッセア、この中ではここの学院卒はお前だけだ。内部の事については任せる」
「え、あ、あ。そっか」
 言われて顔を上げた彼女がまるでなんともなかったかのように顔を上げ、声を零す。ほんの少しだけ考えるように視線を他所にやって、しかしすぐに金を見返した。
「任されるとちょっと不安ですけども」
「学生の事になるからな、私では多少扱いにくい。頼む」
「うい、了解」
 返答は素早い。じゃあ、と声を上げたのはやはりまだ若干苦い色を浮かべたエクサで、彼は資料を一つに纏めながら溜息混じりに口を開いた。
「早いうちに学生の方の情報が欲しい」
「明日の朝のうちには詳細含めて決定させる。その関係で私もこれから学院の方に向かうが」
「あ、じゃあ行く。行きます。学院ならまだ知り合いいるし」
 言葉と共に立ち上がって、エレッセアは資料をゼルフィアに押し付けるようにしてそのまま駆け去って行く。その後に向けられた長官の問うような視線には各々が首を振り、それで彼も立ち上がる。
「決定し次第伝える。今日はもう良いが、明日は来い。大規模任務前とはいえ『異種』が湧くのは変わりないからな、十日は働いてもらうぞ」
「げ」
「え」
「うっわマジかよ」
「それで高位複数討伐とか回された日には何起こっても知りませんよ俺」
「起こしてくれるのであればむしろ楽しみだな『優等生』」
 即座に切り返されたクロウィルが背凭れに沈む。彼の自称する平和主義が回り回って苦労性まで行き着いているのはどこでも知られているらしいとそれに苦笑を浮かべるうちに、扉へと足を向けた長官が不意に四つ折りの紙をフィレンスに投げて寄越す。受け取った彼女がたった一枚のそれを広げれば、中には端的な二文。
『屋内第五調練場。二人と例のので来てくれ。』
「……なにこれ」
 フィレンスは横から覗き込むように肩に頭を乗せたフェルに声だけで問いかける。明らかに訝しんでいる様子がありありと伝わってきて、フェルは曖昧に硬い笑いをうっすらと浮かべた。
 説明全部投げるつもりか、あの長官。




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