ひとまず瞳の色を変えた事で、フィレンスは察したようだった。
 すぐにそこに向かって、扉を押し開く。肩の上のコウが小さく鳴いて、フェルとフィレンスもその中の様子に何度か目を瞬かせた。
 屋内調練場は、大きな物は大人数の乱戦も行える程の広さを持つ物もあれば、書斎のような広さしかないものもある。指定された場所は後者に近く、魔法の構築を組み立てていくのに充分な、居室にしては広いという程度の場所。
 その部屋いっぱいに、開いた本が浮かんでいるという風景は、中々に壮観だった。
「……ああ、早いな」
「あれ、長官」
 横から聞こえた声にフィレンスが顔をのぞかせ、壁に寄り掛かってこちらを見やった長官を見て疑問符を浮かべる。中にと示されて足を踏み入れて、すれすれの距離を滑るように漂っていく一冊にぶつからないように注意しながら、フェルは彼の方へと歩み寄った。
「これって、何なんです……?」
「準備中、のようだな。……先に用を済ませようと思って来たのだが、失敗だったか……」
「聞こえてんぞー」
 浮遊する本は緩やかに大きな円を描いているようだった。その奥、視線の通らない物陰になっている方から聞こえて来たその声に、ヴァルディアは嘆息する。
「なら早くしてくれ、こっちは時間が限られてるんだ」
「時間かかるって先に言っただろうが」
 呆れたような声音が奥から響く。それにもう一度長官が息を吐き出すのを見て、フェルはフィレンスと目を見交わした。そうしている間にもやり取りが耳に入って来る。
「だから会期中に呼んだんだろうが」
「北から一日で来るとか無理だかんな?」
「道草にかかる時間など計算できるか」
「余裕があるって大事だぜー?」
「余裕の前借りは自分の首を絞めるがな」
「あーまぁ、確かにな」
 宙を滑っていた本が、その苦笑するような声とともに光を纏う。そのまま何かの数式、構築陣がそのページから溢れ出して、本は文字を吹き上げながらゆっくりと床に落ちていく。開いたままのその上に球形の陣を描いた無数のそれが広がる風景に、フェルは思わず声を上げて、コウが小さくきゅると鳴く、再び男性の声。
「よっし、成功……ディア、実測値取れたぞ」
「そう呼ぶな」
 呼びかけられてようやく壁から背を離したヴァルディアが、言い返しながらフェルには目で奥を示してみせ、自分もそちらへと足を向けた。それを追うようにして、床に横たわって陣を描き出したままの本の間をすり抜けていくと、部屋の中心に絨毯が敷かれて本や資料、何か大きな箱のような物が並べられているのが見えた。ちょうどその中央に腰を下ろして座っていたその人が、手に分厚く紙の束を持ちながら振り返る。
「めっちゃくちゃ良い値。流石協会は立地が良いな、精霊の機嫌も良いし。そっちの二人は、ちょっと座って待っててくれ、先にこっち終わらせっから」
「え、と、はい」
 長い桃色の髪を適当に縛ったその人の紅の眼が前触れも無くこちらを向いて、それで適当に空いた場所を指し示されて大人しくそれに従う。広い調練場なのに空気が暖かいのは魔法の効果だろうかと思っていると、その間に彼の横に膝をついたヴァルディアは、浮かび上がった円形の陣を覗き込んでいた。それをみやって、フェルは僅かに眉根を寄せる。どこかで見たような形のもの、鈍色の箱のようなそれは、歴史書の中にひっそりと記録されているもの。
「……機械装置……?」
「結果は?」
「ひとまずは安定してる、許容はあんまり変わらないけど」
 呟きに覆い被さるようなヴァルディアの問いに、彼は紙を捲りながら答える。周囲の、何重にも円を描いて並べられた本を見やった長官に対して、浮かんだ円陣をつついた。
「振れ幅が小さくなるだけでも儲け物って感じだな、やっぱり構築の時点で難解すぎる」
「……総量からしても、個人で発動できる程容易くもないか」
「最低でも、平均の魔導師で三人。五人だと安心、って感じだな。今はここの永続魔法のおかげだけど、外出たら俺でも無理だ。お前でもどうかは分からないな、ユゼなら、まあ、可能性はあるかも」
「一般的な構築にどうやって落とし込むかだな」
「ですなぁ。ここでなら何ら問題はないんだよな、妙な定理のぶつけ方をしているわけでもないし、グラスィアの式で無理をしているわけでもない。でもまさか協会の中に『異種』入れるわけにもいかないし」
 フェルとフィレンスが顔を見合わせる。二人の方は気付かなかったのか、そのまま何かを言い交わして、ヴァルディアが紙の束を受け取って背を向けて腰を下ろした所で、ようやく円形の画面を消し去った彼がこちらを向いた。
 ――桃色の髪と紅い瞳。珍しい組合せだと、何となく思う。
「おまたせ、と。悪いな、調整ついでに色々調べてた」
「いえ。……開発、ですか?」
「そ。こいつに出資してもらってな、割と重要な手札になるはずの魔法の実証中」
 その言葉にはフェルは目を瞬いた。長官が他人の研究に出資しているとは。
 見ている限り、ヴァルディアは与えられているはずの研究資金を使っているような節はなかったし、それをできるだけの暇もないだろうとは思うのだが、何となくその行動は意外に映る。思いながらも、口にするのは別の事。
「……装置を使う程大きな魔法は、初めて見ました」
「大丈夫だ、機械じゃない」
 何でもないように言えば、即座に否定が返ってくる。彼の傍らに置かれているそれ、鉄の色をした箱。世界中から、大昔に廃されたはずのもの。
「証拠に、精霊も普通にしてるだろ。機能は似せて作ってるけど、魔術機構だ、精霊とか自然を食い潰すようなものじゃない。燃料は俺の魔力だしな」
「なら、良いんですけど……」
 機械は世界を潰す。創世から存在したはずの魔力が一度絶えたのは、機械の台頭があったからだ。それは今となってはあまり人には知られていないが。魔法が世界に浸透している以上、古く広く使われていた機械が再び姿を現す事はないだろうが、あえてそれを作り出そうという人がいないわけではない。
「……気になるか?」
「……やっぱり、少しは」
 言えば、彼はふむと腕を組む。少し考えるようにしてから、彼は紅の瞳を傍らの装置、その向こうへとやった。
「テティ、出て来れるか」
『ちょーっと大変だけど』
 応えたのは少女の声、だがそれにフェルは疑問符を浮かべた。どこかくぐもったような、折り重なって響く声は、精霊のそれに似ているが。フィレンスに視線を向ければどこか不思議そうな顔で見返されて、それで怪訝に思う。フィレンスは、他人に魔法を掛けてもらわなければ、精霊の姿も声も認識する事ができないはずだ。コウがフェルの肩から降りて来て、その膝の上で僅かに羽根を膨らませるのを何故かと両手で抱える間に、男性が声を掛けたその先に何かが浮かび上がった。
『グレイが受けてくれたよ、大丈夫だってさ』
 言いながら宙を舞って飛来する、人によく似た小さな姿の、淡く光を纏ったもの。だが精霊ではない、このような姿をした精霊は言葉を持たないはずだと思ううちに小さいそれがフェルを見咎めて、そして目を見開いた。
『っ、うっそ初めて見た!!』
「!?」
 叫ぶような声、小さいそれがすぐさま男性の側からこちらへと飛んできて手が急に頬に触れる。ぶつかってしまいそうな程の間近で紅色の目が輝いているのが見えた瞬間、腕の中のものが大きく動いて唐突に迫ったそれが唐突にぶれて視界の外へとはじき出された。
「、え、」
『った、いわね何すんのよ名無し!!』
 右から少女の声、腕の中のコウが身を乗り出して低く唸るのを慌てて抱え上げれば、まるで威嚇するかのように鋭く吠える。その鋼色の前肢に強く殴られるようにされたのだろう小さいそれは、絨毯から再び元のように浮かび上がってそのコウに向かって口を開いた。
『別に良いじゃないちょっとくらい! あんたの主でもな……契約してないじゃない! そんなで分けてもらってんのなんていっくらあたし達より精霊に近いからって好き勝手、低級連呼するようなら潰すわよ名無し!!』
 小さいそれはコウが吠える鋭いそれに応えるように言葉を連ねて行く。フェルがそれに目を白黒させているのを見てか、男性はからりと笑った。
「あははーやっぱ仲悪いなぁ『異種』同士って」
「……はい!?」
『笑ってないでよエーフェ! こいつむかつくったら、だから低級じゃないって言ってんでしょうが!!』
「え、あの、ちょっと待ってくださ、コウ落ち着いて下さい私なんともありませんから」
 尚も噛み付くように小さいそれに向かって吠えるコウを宥めるように胸に抱え込む。牙を向いて唸り声を上げるのは止まらないまま、しかし激しい聲が収まったのにはほっとしながら男性を見やれば、彼は明らかに楽しんでいる風な笑みを浮かべていた。少し迷ってから、口を開く。
「え、と……あの、どういう事、です……?」
「まぁ、順を追ってな。テティ、こっち」
 ここ、と彼は指先で、自分のすぐ脇の絨毯を軽く叩いて示す。呼びかけに小さいそれは一度コウに向かって思いっきり舌を出してみせてから、宙を滑ってそこにぺたんと座った。男性が、さて、とフェルを見やる。
「仕切り直しな。エィフィエ・ラツィ=テルフェンシェだ、魔法工学師をしてる。エーフェで良い」
 手を差し出される。やはり少し迷ってから、片手を伸ばして握り返した。えっと、と口ごもりながら答える。
「フェル、です」
「フェルリナード、だろ」
「あ、はい。……長官から?」
「ん、聞いた。色の事もな」
 なんだか最近色んな人に情報を漏らされている気がする。協会に所属し多数の人間と知り合っている時点で手遅れの感もあるのだが、それについては対処がされているから、仮に噂になったとしても『紅銀の』魔導師になるはずだ。目を、顔を隠した銀髪のと言えば、大方の人間はそれを連想するものだし、魔法薬の他にもそう見えるよう紋章も組んでいるから。
 そっちは、と目を向けられたフィレンスも軽い名告りと共に握手を交わす。次に彼が、それでと目を向けたのは、例の小さいそれだった。
「こっちのがテティ。テティル・クト・フィオレーン。元『異種』」
『どもっすー』
 片手をひらりと掲げて宙を泳がせ、小さいそれが言う。フェルが振り返ってフィレンスを見やれば、明らかに追いつくのを諦めた顔でごめん、と返って来た。その諦めに色をありありと浮かべた様子に思わず眉尻が下がったのを見てか、男性、エーフェは面白そうに笑った。
「まあ、信じられないだろうな、パッと見て精霊ですらないし」
「ええと……」
「正直にな」
「……はい」
 何だろう、何故か言い淀んでしまう。後ろで苦笑の気配、軽く背を叩かれて気まずいと視線を泳がせる間にフィレンスの声が聞こえた。
「詳しい説明をお聞きしても?」
「そのつもり。あと、俺固いの嫌いだから口調崩していいぞ、年は上だけど年功とかもないし、その方が喋りやすいだろ」
「わかった。ほらフェル」
「う……」
 促されて目を上げる。ほぼ抱き締めるようにしたコウはやはり低く喉を鳴らしていて、テティと呼ばれたそれもじっとりとコウを睨みつけていた。エーフェもそれに気付いてかテティを見やる。
「何だって?」
『すっごい、自尊心の塊みたいな奴よコレ。あたしこんなのの手伝いすんのやだ』
「お前も人の勝手に触ったりするからだろ」
 言われたそれがむぅと頬を膨らませる。喧嘩するなよと釘を刺してから、エーフェはフェルを見やった。
「クウェリスは軽く説明したって言ってたけどあいつの事だからちゃんと話してないだろうし、最初っからな。俺とヴァルディアで今作ってんのは、『異種』を魔法に戻す魔法だ」
「……できるんです?」
「んにゃ、できてない」
 思いっきり眉根を寄せれば、エーフェはやはり笑う。そうしながらテティを示した。
「『異種』としての、人間に対する無差別な攻撃性を取り払って、元の魔法の性質を取り戻すって所まではほぼ完成してる。だけどどうしても、精霊様の、になっちゃうんだよな」
『ちなみに自分でもはっきりそうだって分かってるから、そこは断言できるよ』
 言葉を継いでテティが言う。自分の小さい姿の、髪は黒く、眼が赤いのを指し示した。
『あたしは精霊じゃないし、エーフェに名前を呼んでもらってからは『異種』じゃない。かといって純粋な魔法でもないし、勿論人間でもないし。でも自我はあるっぽい?』
 最後は首を傾けてみせ、テティはエーフェを見やった。頷いてから彼は装置、文献にも資料、記録としてしか残されていない機械にも見えるその筺を指差した。
「あれを動かしてんのも全部、テティと同じ元『異種』の奴ら。便宜上『妖精』って俺らは呼んでる。能動的に魔法を使えるから精霊を使い魔にした場合とさほど変わらない。大元の魔法によって力の強弱はあるから、保持できる量も上下するな。テティは俺が改変してるから強化はされてるんだけど、最初、『異種』になる前はレグェルと同程度だったみたいだな」
『使い手が作る間に間違えてて、それでなっちゃったんだよねぇ』
 レグェル、と魔導師が呼ぶのは"レグェルナースィス"、中位中級の攻撃魔法の中でも特に、魔導師の中ではその力量に計るに適切と言われているひとつだ。それと同程度の魔法を作る事ができるかどうかは、また別の判断基準として機能するか。
「恐らく黒服程度の力はなかったんだろうな。わりと基礎の部分が、だったし」
『言っても、その人もう死んじゃってるみたいだしなぁ』
「え」
 思わず声が溢れる。テティがえへ、と笑うのを見てエーフェに視線を移せば、彼は肩をすくめた。
「だからこういう魔法作ってるわけ。万人が使える所まで落とし込めれば、『禍楽』が発生した瞬間に対処ができるだろ。黒服は、言い方は悪いけど事後の対処しかできないわけだし」
「それは、そうですけど」
「それが良いとか悪いとかじゃなく、な。現状として対『異種』戦闘が張れる白黒と紫旗はこの国にとっては生命線なんだ、本来そうしなきゃいけないはずの軍は全く機能してないからな。ただそうやって、特定の人間をずっと矢面に立たせんのはどーなのよって動きもあるわけだ。俺とかあいつとかな」
 あいつ、とは言いながら後ろに座ったヴァルディアを指差す。反応のないままの長官の様子には、仕方ないなと笑ってから、エーフェは傍らのそれに視線を落として、その黒い頭を叩くように撫でた。
「ま、そんなところで、今は色々な種類の『異種』に対してこの魔法を使ってみて、魔法に戻せないかとか、『異種』に対する理解とかを深めてる所。で、その竜に繋がるんだけど」
 言われてコウを見やれば、今は落ち着いた様子で蒼い瞳をエーフェに向けている。一度こちらを見上げたそれはすぐに外されて、テティを見やったコウが小さく鳴くのを聞いて、小さい方が紅い瞳を瞬かせた。
『あれ、結構乗り気』
「お、マジか。いやー俺もそろそろ超高位『異種』でやりたかったんだよなー」
「え、待っ、実験台……!?」
「安定してるとはいえ未完成の魔法ぶつけるって時点でお察しだよな。本人はやる気らしいし」
 思わずもう一度腕の中を見下ろせば、鋼色のそれはこちらを見上げて尾で軽く膝を叩いてくる。これは了承や期待の時の反応だと、それは今までの事で分かっていたから、尚更不安になる。それでエーフェの方を見やれば彼はどこからか丸い珠を取り出していた。




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