はい、と手渡されたそれを受け取って、フェルは眼を瞬かせた。硝子のような、両手で覆えるかどうかといった大きさのそれには、表面には薄く黄色の紋が浮かんでいる。周囲の灯りに透かしてみれば、珠の内側にも同じような紋様で作られた膜が何重にも重なっているのが分かった。首を傾げているうちに、エーフェが言う。
「それな、『異種』の構築陣」
「……え?」
「正確に言えば再現なんだけど。俺が妖精にした奴のひとつ。『異種』を妖精にする時にどうするかって、魔法を使ってまず『異種』の中に入るわけなんだが、そこでまずやるのが『異種』の核、構築陣で作られた核を見つけて外殻を解除する事」
 言われて、もう一度それを見下ろした。核、耳に良く残っている言葉の一つ。
 ――対『異種』戦闘では、敵である『異種』の核を破壊する事が求められる。
 『異種』の核は人間の心臓に相当する機能を持つものだと言われる機構だ。魔法生物の血は完全に純粋な氣の凝結したものである事が多いが、それを生み出すのが核だ。『異種』の身体を作り出し留めているのも、この核だと言われる。
「『異種』の構築陣は構築が変質して、自然発生した結界のそれみたいに難解になってる。それを式と定理と文字に戻す作業が必要なわけだな」
「は、分かるんですけど……」
 言いつつ、もう一度それを見やる。片手の上で角度を変えて見てみれば、非常に手の込んだ細工物にも見える。全く構築のそれや構築陣に見えないそれは、確かに魔力を保有している風でもあるのだが。
 丸いそれを見下ろしたまま沈黙したフェルを見やり、フィレンスはエーフェを見やる。彼はフェルの様子には苦笑しながら、その彼女を見返した。
「魔法構築ってやった事あるか?」
「ほとんどを先人にやってもらったけど、一応」
 先人、とは丸い紋様の塊を見つめている一人を指差す。なるほど、と返したエーフェは積んであった山の中から一冊を引き抜いて、開きながらフィレンスを手招く。距離を詰めれば、開いたそれを向きを直して絨毯に置いて、そのページを示された。
「教科書魔法のほうのレグェルな。大概の魔導師は中身作り替えてるんだけど、ここに書いてあるのは一般にまず教えられる方」
 魔法の構築は画一された手順が決まっている。左の端に振られた番号の一には、『門の定理』と総称されるものの一つ。その次には数字列と計算式が延々と書き連ねられている。
「細かい説明は省くけど。構築は基本的に、門の定理から始まって、グラスィア……つまり魔力だな、それを操作する式があって、そのあとに定理で魔法の姿形を求めて、そのあとに文字で細部を整えて、最後に名付けをする。校正とかもあるにはあるんだけどそれは別として、そこまでは?」
「大丈夫」
「よし。でだ、『異種』のこの構築っていうのは必ずどこかが壊れてて、壊れたそこを補う為に全体が変質して暗号化されてる。構築が全部万端だったとしても発動の段階でトチれば構築不全で失敗したのと同じで数カ所壊れたりするから、やっぱり同じだな。構築が自分で変質できないような、所謂低位の魔法をいくら失敗しても『異種』はできないのに対して、構築自体が力を持ちやすい中位以上の魔法は失敗すれば『異種』になりやすい。ならなかった場合が構築の変質が起きなかった場合だな、魔法を故意に強制解除したり中断したりする時なんかは、『異種』にならないように構築を壊さず失敗する方法とも言えるわけだけど、それは分かるか?」
「構築って言葉が飽和し始めてるけど、一応」
「ああ、まあ、頑張ってくれ。構築の話だからな。で、『異種』の構築は壊れてる上に変質して暗号化されてるわけなんだが、それを上手い具合に直してやれれば、ああなるわけだな」
 ああ、とは、妖精のひとつであるテティを指差して言う。指された方は、今は絨毯の上にコウと並んでで膝を抱えて座り込み、珠を両手に持ってずっと見つめているフェルを見上げていた。
「どうして魔法に戻らないのかってのはまだ検証できてないんだけど。手順としてはまず、『異種』の外殻、眼に見えてる姿だな、それを解除する。解除っていうのは核を中心にして展開されている魔力の結合による外殻の形成をちゃんとした手順で緩くして外すって事だな。解除したまま時間を止めて、緩くなった外殻の中から核を探すわけなんだが、実は今作ってるこの魔法でできるのはそこまでだ」
 本から顔を上げたエーフェは、この空間いっぱいに並べられた無数の球状の構築陣を見やる。全てで一つの構築として機能するそれは、通常見られるような魔法とか明らかに性質の違うものだ。
「……本当の所、最初の目的はそれだけだったんだけどな。核を壊せば『異種』は死ぬ、その手段を確実に完全にって話だったんだけど。好奇心は猫も殺すってか」
「やっちゃった、と」
「やっちゃったんだよなぁこれが。てなもんで、その後は術者頼みなわけだ。核を見つけて暗号化を解いた後は、壊れているとはいえ普通の陣に戻る。もう『異種』になってるから壊れてる『異種』の構築陣を開いた所で『異種』にはならない。そうすれば普通の魔法を作るときと同じで、壊れてる所を探して校正して、それが終われば魔法の中に入って自我と対面して、本人と話して名前を探してくれば終わり。構築の中に名前が明記されないのが難点になるけど、俺が今まで百以上やって来てそこで詰まったり詰んだりした事はそんなにないから、多分大丈夫だとは思うけど」
「多分?」
「確証はない。実例が少なすぎるし、場合によっても変わるからな。まだ一般論も作れない、やった事あるのが俺だけだから。実例を作ろうにもこの魔法自体が宝珠を大量に使う。工学師にしかできない。……今のところはな」
 言ううちに、彼の眼は再び部屋中に広がるそれに向いていた。言葉が消えてから一つだけ息を吐き出して、紅は白服を見やる。
「だから作った張本人が支援する。実験でもあり実践だ、蒼樹の黒服が竜を相手にしてこの魔法を使って成功できるなら、一般の魔導師やら魔法使いにも望みは出てくる。危険は可能な限り排除して、どうしても駄目なら俺がやるなり処理するなりする。紫銀殺しにきたわけじゃないからな」
 最後のそれには、苦笑したのはフィレンスの方だった。詳細をと言った意味は伝わっていたらしい。なら、と、未だに珠を見つめて微動だにしないフェルを横目に口を開いた。
「預けても?」
「そのつもり。多分、熱中しちゃってるから、部屋戻って寝るとか何か飲むとか食べるとか失念してるだろうし、その辺も面倒見とく。同じ魔導師だし、加減はわかってるから」
 もう一度、フェルの方を見やる。見つめていたそれに指先で触れて何かをしているように見える。完全にこちらのことは意識の外なのだろう、ちらとこちらを向いた蒼い眼には苦笑していると、唐突にエーフェの背後で無言を貫いていたヴァルディアが声を上げた。
「半分以下、四千」
「ざんねーん俺三千二百」
 紙の束から顔を上げたらしいヴァルディアが振り返らないまま絨毯の上に横倒しに倒れる。フィレンスがその様子に眼を瞬かせている間に、くそと呟く声が聞こえて、エーフェが笑ってそちらを見やった。
「お前ほんとに構築苦手だよなぁ」
「五月蝿い」
「目標は二千以下。宝珠一個につき五個を同時発動してってのを合計で百二十だからなー」
「分かってる」
 どこか不貞腐れたような返しに、エーフェはそれ以上は言わずに視線を戻して、フィレンスが長官の背を見ているのに気付いてにやと笑った。
「お勉強中。俺こいつの師匠だから」
 後から飛んできた拳が背を殴る。察したフィレンスがああ、と小さく声を漏らせば、桃色の髪を揺らして彼は笑う。
「元々、北の学院で同じ組だったんだけどな。俺と、クウェリスと、リアファイドとこいつで四人」
「……兄さん?」
「そ。アイラーンの長兄、嫡男だってのに士官学校行かずに協会学院来た馬鹿な。で、学校出たあとに、一時期俺も蒼樹にいてな。そこで俺がこいつに魔法構築とか実践魔法とか教えてたの。工学師ってのもあって俺の方が色々上手くてな、以来俺が師匠でこいつが弟子、上下とかは全っ然気にしてないけどな」
「へぇ……」
 長官に師匠がいるというのはそうだろうと思っていたが、こうして顔を合わせると妙な心地だ。ヴァルディアは横になったまま沈黙している。
 気まずいのだろうとは流石に察しがついたから、そのままにしておいて、それでと声をあげようとした瞬間にばちりと何かが爆ぜる音、空気を揺らす程ではないが耳に刺さるそれに反射的に振り返れば、眼を見開いたフェルが絨毯の上に転がった珠を凝視していた。ばち、と、珠が小さい雷を発する音。
「……ど、どした?」
「……弾かれた」
 驚いたとは少し違うのか、フィレンスの問いかけにはフェルは珠を見下ろしたまま短く答えた。ああ、とエーフェがそれを見やり、手を伸ばす。
「間違ったんだな。こいつ雷だから気短いんだ、ほいもう一回」
 珠を拾い上げて手の上に戻してやると、フェルはすぐにまたそれに没頭していく。エーフェは魔導師だなぁと呟いてフィレンスに眼を戻した。
「痛くはないと思うぞ、人間に対する攻撃は禁止してるし」
「……いや、それもあるんだけど」
 何かこの調子だと不味い気がする。何がとは言わないが。エーフェはその微妙な表情を浮かべたフィレンスには不思議そうな顔をして、だが何も言わずに自分の背後、横になったままの金の頭を軽く叩いた。
「『長官』、仕事しろ」
「……」
「構築やりたきゃ仕事片付けてからな。出禁すんぞ」
 ち、と低い舌打ちが聞こえた、一つの魔法のとはいえ既に此処は研究所のようなものだ、出入りができなくなるのは魔導師には辛いだろう。いくら場所が協会の中とはいえ支配権はエーフェにあるから、彼の許可がなければ立ち入る事もできなくなる。魔法の教導ならともかく、開発の場ともなれば秘密主義が徹底されるものだ。
 そこまで思って、はたと顔を上げる。ん、と声を上げたエーフェに、フィレンスは自分を指差してみせた。
「……私は良いの?」
「……んあ?」
「見ちゃっても」
 指を周囲の構築の方に向ける。一応魔法の知識もある方だけどと付け加えれば彼は少しだけ迷うような間を置いてから、でも、と口を開いた。
「まあ……あー、まあ、良いんでないかね。流用なんてできないだろ、曲がりなりにも騎士なんだし」
「流す先もないだろうしな……」
「……いつまで落ち込んでんだよお前は」
 まだ横になったままのヴァルディアの声にエーフェが言えば、それには溜息が返される音。少しの間を置いてむくりと起き上がった彼は、そのまま紙の束を纏めながら背を向けたまま言った。
「師団の魔導師さえ入れてくれなければ良い。一応は機密だ、まだどこにも届け出ていないからな」
「……届け出してない魔法って実用不可じゃなかったっけ」
「実験、だからな、これは。実用じゃないってことで」
「……流石に、それは」
「無理は承知の上。いくら重犯罪でもバレなきゃ罪にはならないし。密告すれば連座だぜ?」
 膝の上に頬杖をついたエーフェが、金と銀を交互に指差しながら言う。そういう事かと苦い顔で眼を逸らせば彼がにししと笑う声。仕方ないと、息をついた。
「先に言ってくれれば……」
「悪い、外堀と罠とをやっておかないと安心できないたちなんだ」
「フェルは?」
「魔導師は魔導師なりの不文律ってのがあるからな。それに、没頭してたんならそんな事にも気回らないだろ、一朝一夕にできるもんでもないからなアレ」
 その言葉にはずっと俯いて珠に向き合っている一人を見やる。今はゆっくりと紋章を指先でなぞっているように見えるが、何をしているのかはわからなかった。説明も何もなしにあれだけを渡されて、それで解読の糸口を見つけているようだから魔法使いは解らない。
「……期限が面倒な事になっているから、フェルは休暇の扱いにする。その間は単独だ」
「了解」
 唐突な話題転換にはすぐに眼を戻して頷き返す。ヴァルディアは束は手に持ったまま、一度溜息を吐き出してから振り返った。
「コウはお前に付ける。ここは永続魔法の影響で魔力が常に補給されて枯渇する事がない、側にいたら危険だからな」
 それは、とコウの方に眼を向ければ、聞こえていたのが視線をこちらに向けて小さく鳴く。そうしてから腰を上げてほとほとと寄って来て、フィレンスの膝の上に乗ろうとするのは苦笑して抱え上げた。了承の意味だろうそれにはヴァルディアは頷いて、そしてフィレンスを改めて見やった。
「単独中は他の組との場合があるかもしれないが」
「了解、気にしない」
「なら良い。フェルの事はエーフェに任せる」
「あいさー。あ、でも俺この部屋から中々離れられないから、何かあったら手伝い頼むかも。ちょっとだけなら妖精達に任せられるけど、術者がいないと中々な」
「……展開したまま?」
「これ発動すんのに二日掛かるんだよ。実時間で二日。四十八時間弱。俺今徹夜二日ぶっ続けの後だから割と眠い」
 全然見えない、とは、小さく呟くだけになった。再び爆ぜる音、からんと音を立てて珠はテティが拾い上げてくれて、それでまた作業に戻って行く。その一連の動作を確認してからエーフェとヴァルディアの方を見れば、二人は一度眼を見合わせて、そして紅い眼がテティを見やって手招く。気付いて飛来した小さい妖精は、そのまま身体を丸めたかと思うと、そのすぐ後には絨毯の上に紅い紋章の走る珠が転がっていた。無造作にそれを拾い上げたエーフェが、これは、と小声で言う。少し寄って、まるで内緒話のようにそれに耳を傾けた。
「例の暗号化された、ってやつだな。紋章の形になってるのは、多分妖精になっちゃう理由の一つなんだろうけど。これをだな、解除するわけなんだが」
「……どうやって?」
「この紋章を……」
 言いながら彼は紋章に指先で触れる。紅いそれが、反応するように虹色に変わる。彼はそのまま紋章の幾つかの部分に触れて、虹色に変わった部分がくるりと回って紋章の形が変わり紋章の全体が組み変わる。白く光を纏った一番外側の曲線が浮き上がって何かの文字列に変化し、ゆったりと円を描いて滑るのを、眼を瞬いて見やった。
「こうやって、文字列に戻してくわけだ」
「…………えっと?」
「どうやってっていうのは勘。俺は、テティのは全部覚えてるから良いけど、どうしてかってのはまだ解明できてないな」
 文字列が紋章に戻って行く。元の通りの珠の姿に戻ったと見た瞬間、光を弾いて妖精の小さな姿に変わる。自由に変わる事ができるのかと思って、ならあの一つはよく承けてくれたなと何となく思って眼を向ければ、フェルの手元では二つの文字列が白く輝いて円を描いている様子だった。飲み込み速いなぁとエーフェが呟く。
「……ま、そんな感じで。とりあえず俺は寝るけど」
「…………」
「お前は仕事戻れよ『長官』」
「わかってる、出資してるのに関われないのは悪夢だからな。フィレンス、お前は明日の朝に」
 頷き返せば、それで彼は立ち上がってすぐに扉の方に向かう。流石に執務室を空けすぎれば仕事が滞るだろう、見送ってから、周囲を見渡した。
「……何か必要なものは、あったりする?」
「……あー……うーん、毛布とかあると嬉しいけど。給湯室は併設されてるらしいから、あとは時々あの没頭してるの連れ出して休憩させてやってくれな」
 指先は黒を示す。苦笑して、そうしてから立ち上がった。
「食事とかは運ぶよ」
「……悪い。助かる」
 失念していたらしいそれにはもう一度笑って、銀の頭は一度撫でておく。反応がないのはそのままにしておいて、そうしてから扉へと向かった。




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