白いシャツとロングスカートに上着を着込んで、その上からコートを羽織った姿で門の外に急ぐと、三人は既にそこで待っていた。
「お待たせしました」
「お、きた」
「焦らなくて良いぞ」
 セオラスとエクサが言って、しかしそのエクサがあれ、と声を上げて眼を瞬かせる。すぐ傍で立ち止まったフェルはなんとなく髪を押さえた。
「えっと、……おかしい、です……?」
 濃い染め粉を使って青味を混ぜた髪を、いつもと分け目を変えて大きな三つ編みに結ったそれ。これをやっていたから時間がかかってしまったのだが、瞳の色もいつものように色を変えてあるし、これで紫銀と分かることは無いとは思うのだが。エクサはいや、と一言置いてから、その瞳を指し示した。
「眼。変えてるのか」
「あ、はい。長官に教えてもらって、それで」
 瞳の色の事だろう。魔法薬で変えているのだと言えば、エクサは不思議そうな顔をして背の方、ヴァルディアを見やる。門番の衛兵と何かを話しているのだろう彼は、それに気付いてか視線をこちらへと向けた。
「どうした?」
「長官は本当に妙な魔法まで知ってるな、と」
 訊かれたそれにはエクサが即座に返す。ヴァルディアはそれの意味を一瞬取りかねたのかほんの少しの疑念を浮かべて、そしてフェルに気付いて納得したように声を漏らした。
「ああ……好奇心を発揮した結果、だな、どれも」
「命色を左右できる方法があるとか、普通は思わないよな」
「左右しているわけではない、見かけを変えているだけだ」
 言った彼の問うような視線には、フェルは大丈夫です、と頷いて見せる。ではと長官は衛兵を一瞥して、そうしてから黒服三人を見やった。
「行くか」



 護衛は付かなかった。蒼樹の街ならそうそう妙な事も起こらないだろうという判断だそうだ。入れ替わるようにして帰ってきたフィレンスが、「長官とセオラスが一緒ならスフェリウスとかいても意味ないねぇ」と言い放ち、そのスフェリウスが不貞寝したのが本当の所だが。
 蒼樹の街は広い。中心に位置する協会から街の一番端、常時展開されている結界の外までは歩いて一時間程度だが、キレナシシャスの中では四番目に大きな街だ。大きな丘の頂上の協会を中央に、街自体は緩やかな坂の上に建造されている。鉱業と牧畜の盛んな、西の首都。
 その街は全体に渡っておおまかな区分けがなされていて、その中の南五区は街の中でも一番大きな市場を擁する区画だ。様々な店が並ぶ大通りが中央を貫いていることもあって、昼前や夕食時には人で溢れ返る事も多い。
「普通なら、魔法関連のものを扱う店は市場から離れた別の場所に纏められている事が多いのだがな」
「そうなんです?」
 そして昼前、まさに人通りの激しい盛りの中を、人の波を器用に避けながら歩いていくヴァルディアの声に、フェルは首を傾げる。流石に長官は住人たちにも顔が割れているのか、あちこちから声が掛けられるのを上手くやり過ごしていた。フェルは人の多さに圧倒されながらも、気遣ってなのかゆっくりと進んでくれる三人の背に隠れるようにして、それでなんとか取り残されずについて行けていた。
「前任の長官が無関心で、気付いたら上手くやっていたから私も放置しているだけだがな。他の街では離れた場所に集められたり隔離されたり、様々だ。やはり偏見が強い」
 人の波は掻き分けるよりもすり抜けた方が効率が良いらしい。上手く肩がぶつかるのを避ける三人を見ながらそう思う。一旦人を避ける為に距離を開けたセオラスが、すぐに距離を詰めて横に並んだ。
「いるんだよな、魔法具が暴走するんじゃないかって要らん心配する奴が。そういう奴が苦情訴えたりで割食うんだ」
「ここは昔から魔法使いが多いおかげか、気安いんだがな」
 肩越しに視線を向けたエクサが続けて言って、ヴァルディアは首肯する。
「魔法具の暴発事件もそうそう簡単には起こらない、一年我慢しろと言っておけば半年後には自分が苦情を出したことも忘れている、人間はいい具合に出来ているものだな」
「へぇ……」
「魔法使いには暮らしやすい街になっている、お陰で協会の方にも幾らか恩恵はあるな。私設の警備隊が優秀だ」
 言った長官は人の波の奥、どこかにか視線を向ける。それを追いかけても無数の人に遮られてよく見えない。何かあるのかと思っているうちに、横のセオラスの声。
「いろいろ根回ししてるもんなー」
「基本は何も手出しはしていない。面倒だからな」
「放置できるって判断するまでは随分手厚いみたいだけど?」
 返されたそれにはヴァルディアは無言のままで、それにセオラスは面白そうに笑ってエクサは苦笑する。それに対してなのか溜め息を吐き出す様子を見て、フェルは目を瞬かせる。
 少しだけ考える為の間を置いて、その楽しげな様子のまま周囲の方へと目を向けたセオラスに顔を向けた。
「結構、気になってたんですけど」
「ん、何だ?」
「セオラスさんとエクサさんって、ヴァルディア様と結構昔からの知り合いなんですか?」
 二人とも慣れてるみたいだしと、そう付け加えるように言う。
 途端目の前の長官の背中が動きを止め殆ど無かった距離が急に詰まって軽く追突する。むえ、と変な声が出たのを慌てて隠すようにしながら距離を開き直して見上げれば、ほぼ同時に頭の上に一人の手が乗った。
「そうか、フェル……気付いたか……気付いてしまったか……」
「う、え?」
 変に芝居がかってセオラスが頭を撫でながら言う。染め粉を拭わない程度のそれと台詞とに疑問符を幾つか浮かべるだけの間もなく彼は続ける。
「気付いてしまったのなら仕方が無い、ここでバラし――」
「セオラス、聞いたところによれば革靴は相当痛いらしいが、経験してみる気があると見えるな」
 かつ、と爪先が煉瓦舗装の地面を叩く音。セオラスはすぐさま手を離して目を逸らす。エクサの小さく笑う声で三人は歩き出して、フェルはそれに慌ててついていく。 「でも、知り合いなんですよね」
「……一応、そうなる。エクサは同期だ」
 同期。その響きが意味に繋がるまでに少しの時間が必要だった。見上げれば彼は肩を竦める。
「十年、あと少しで十一年だな。天才が同期のお陰で苦労した」
「えと、協会に入って十年、です?」
「ああ」
「長くないです……?」
 普通なら、協会には五年以上いればいい方で、それ以上となると白や黒を返上して市井に戻る事が多いと聞いている。学院や学校の教師になる者も自分の研究に没頭する者も街の警備隊の指導に携わる者もいるが、十年も同じ協会にいるというのは、それこそ長官くらいなものだ。言えば彼はまた肩を竦めてみせて、代わりに口を開いたのはセオラスだった。
「居心地いいんだよなぁ蒼樹、前々から。他の協会に比べて、長く居座ってるのも割と多いんじゃないか、俺だって次の春で十三年目だし」
「……えっ?」
「ロードいるだろう、騎士の方の。あいつが最古参だ、十五年は越えているらしいが」
 歩を進めながらの器用な会話の、その中身が信じられずにフェルは何度も目を瞬かせる。確かに、記録を見たり話を聞いているよりも、年嵩の所属者が多いような気はしていたが。
 どんな場所でも主戦力として数えられる者は二十後半から三十前半が多い。十代が幼いとしても、四十代が最前線というのは、対『異種』戦闘を目的とする白黒にしては。
「……まぁ、十年どころか六年以上残っている奴の方が珍しいが。大部分は三年以下だろうし、入れ替えも多い」
「新人が多い分抜けてるもんなー。長官が抜いてるっていうのもあると思うけど」
「死者を増やして事後処理が面倒になるのを全力で避けているだけだ。お前達は黒服だから長く使えて都合がいい」
 ちらと向けられた視線には三人は一様に眉根を寄せた。
「都合って」
「お陰で水準も下がらないしな。十二法師は使い勝手も良いから助かる」
 そこまで言って、長官は大きく息を吐き出す。少しだけ歩調が早くなったのに引き離されないように歩幅を広げた。
 それにしてもと、フェルは今は紅くなっているはずの眼を左右へと向ける。本当に人が多い。気を抜けばすぐに誰かと肩をぶつけてしまいそうになる。今は長官達の後をついて行くだけだからまだいいが、これを一人で歩くのは流石に気が引けた。
「……フェル?」
 微塵も収まる気配のないうねりを見ている最中にすぐ前からヴァルディアの声が降ってきて、それに何かと彼を見上げる。彼の眼が下の方、腕を見下ろしていることに気づいて視線を追えば、いつの間にか、自分の手が彼の袖を握っていた。
「、あ、す、すみません」
 慌てて離す。縋るものが無くなって所在なく彷徨った両手を握り合わせて降ろした。気まずさに顔を俯けたフェルに、ヴァルディアはそれを見て、そして少しの間を置いて口を開いた。
「……その方が良いならそうしていろ、気にしない」
 顔を上げたフェルが眼を瞬く。視線はすでに外されていた。そのままなんとなくエクサの方を見上げれば、良いんじゃないかと返された。ならと、躊躇いながらももう一度その袖を握る。振り払うわけでもなく先導してくれるのにほっとして息をついて、それでようやく自分が緊張していたのだと分かった。セオラスが歩きながらだというのに器用に顔を覗き込んでくる。
「フェル、こういうとこ苦手か?」
「苦手、というか……あんまり、遭遇したことなくて」
 こうして、思い思いの方向へと歩いていく大量の人間が、それなのに滞る事もなく流れていく場に出くわした事は、一度か二度か、あるかないか。
 渦中に立てば群衆が一つの生き物のようにも見える。大きな動きがあるかと思っても、次の瞬間にはばらばらに散るように動いて行く様が物珍しくもあるが、腰が引けるのも事実だ。
「んー、そう、か。まあ無理にでも慣れなきゃいけないってもんでもないしなーこれは。時間帯考えれば避けられるし」
 あともう少しだしな、と続けるそれに、道の向こうに視線を向ける。人の波に遮られて奥は見えなかったが、左右に何かの店の庇が並んでいるのと、北の方には時計台の屋根が少しだけ見えた。後は家屋の壁と無数の人、空の青だけ。
 不意に握った袖の先が方向を僅かに変える。左に逸れるようにして波をくぐり抜けて、そうすると庇のない、珍しく大きな硝子の嵌った扉の建物が見えた。硝子は高価だ、一般家屋の窓にもあるものだが、くすまないよう割れないようにと大事に使う。
 その扉が近くなって、ヴァルディアは立ち止まってフェルの頭に手を置く。見上げるフェルをそのままに彼はエクサを見た。
「任せた」
「任された。様子見か?」
「ああ、色々声をかけられたからな、何かあったのかもしれない。ついでに何か強奪してくる、セオラス」
「うぃっす。じゃな、また後で」
 セオラスが軽く言って手を振り、そのまま二人は踵を返して人混みの中へと戻って行ってしまう。見送る間も無く紛れて見分けがつかなくなってしまったのを見やるフェルに、エクサが口を開いた。
「フェル、入ろう」
「あ、はい」
 すぐに駆け寄る。エクサが扉を押せばからからと乾いた音の鈴が鳴って、明るく暖かいその中へと入って行く。背中で扉が閉まり切る前に奥から声が聞こえて、そしてすぐに一人の男性がカウンターに現れた。
「はいはい、いらっしゃい。……って、何だ、お前か」
 斜陽の色の髪に藍色の瞳の、壮年の男性。最初こそ愛想良く言った彼はエクサを見るなり一気にその姿勢を崩して、エクサはそれに呆れたような顔で、それでも小さく笑う。
「仮にも客にその態度か? 今日は紹介も兼ねてだぞ」
 言いながらその彼に軽く背を押されて、フェルは一気にぶり返してきた緊張をなんとかやり過ごそうとして失敗し、ぎこちなく会釈するだけにとどまった。男性はにやりと笑う。
「なんだ、新手付きか。よーこそ」
「お前は、いい加減どうにかした方が良いぞ、それは」
 新手と形容されたフェルはどう答えたらいいかわからない。エクサを見上げれば、ほら、と軽く背を叩かれた。男性は煙管を咥える。
「で、そっちの嬢ちゃんの探し物は?」
「え、っと……調合の触媒、なんですけど」
「今の時期なら風か氷だな、三日後にゃ炎と時だが。作りたいのは?」
「氷と炎と、時と、その先の木の、高位補助、です」
 答えると店主はカウンターの下を探りながらこいこいと手招きする。今度はフェルも素直にカウンターに近寄って行って、店主は取り出した分厚い本を開きながら背の高い椅子を示す。フェルがそれに座ってから、彼は一度紫煙を吐き出した。
「大概どんなもんも置いてあるが、相性もあるかんな。エクサが連れてくるって事は黒服だろうが……おいそこの、協会はそんなに人手足りてねぇのか?」
「足りてないのはそうだが、フェルは実力だよ」
「へぇ、フェルってのか、名前」
 流れるような応酬に圧倒されて、問いには頷くだけにとどまる。それを見て店主は笑った。
「人見知りな嬢ちゃんだ、うちの弟子にもそんくらいの恥じらいがありゃ良いんだが。……さて、選んでもいいが、試しもありだ。試すんなら多少は貰うが」
「オルディムが、相性は良い方なんですが……」
 控えめなフェルのそれに、エクサは眺めていた魔法具から目を離してそちらを見やる。あの店主も態度が悪いだけで変に威圧したりすることはないからすぐに慣れるだろうと、硝子戸の中のアミュレットに目を戻し、ごくごく自然に外の風景を一瞥する。
 ――眼を付けられたか、あるいは注意を引いたか。長官が衛兵から聞いていたのはここ最近で被害が拡大しているという暴漢の話だ。もしかしたら長官と一緒にいることで悪目立ちしたのかもしれない。思いながらもう一度、眼はぎこちない会話を続けている片方へと向けた。やはり、気付いてなどいないのだろう。緊張が勝っているだろうから、仕方が無いと言えばそうなのだが。
「……じゃあ、ヘルディアタイトとカメルアフィードと、あとはカヴァンス輝石だなぁ。東やら南の方で採れるやつでな、こっちじゃ高いんだが。まぁ黒服なんだし落としてってくれな」
 言いながら店主は親指と人差し指で輪を作ってみせ、にやりと笑う。フェルは苦笑を返して、店主はカウンターの下から鍵束を取り出し、そこから鍵を探しながらそれにしても、と口を開く。咥えた煙管がかちかちと音を立てる。
「随分と我侭な魔力だな、良くそれでやっていける」
「生まれつきのものなので……」
「ま、そりゃそうだがな」
 彼は目当ての鍵を幾つか取って、そうしてから立ち上がって壁際の硝子戸の幾つかを開き、その中から箱を取り出す。重ねた三つをそのままカウンターに持って来て、並べたその蓋を開く。一つ一つの大きさは指先の先ほどもない、藍色、鳶色、そして光を受けた部分が虹色に輝く、合わせて三種類の小さな鉱石。知らなければ、宝石の切り出しや研磨で出た欠片とも思うかもしれない。
「藍色のがヘルディアタイト、横のがカメルアフィードだ。ヘルディアはこの色してるが融解には水が良い。カメルアは木と時を混ぜた奴がいいが、比率が面倒だから使う時にはちゃんと添え書き見とけ」
「分かりました」
「カメルアは他の触媒と一緒にしとくと色が濁って使い物にならなくなるから、遮断材使って隔離するか使い切るかだな。輝石の扱いは知ってるだろ」
「大丈夫です」
「よし、じゃあ四十ずつで包むから、ちょっと待ってろ」
 説明と確認のあとにはそう言って、開いた箱の蓋を閉じて抱えてカウンターの奥の扉の向こうへと消える。フェルはなんとなく深く息をついてから、棚の中を眺めているエクサの方を見やった。首を傾げる。
「……エクサさんは、良く来るんです?」
「ここか? ……そうだな、店の店主はああだが、扱ってる品は良いものばかりだしな。本当にちゃんとしたのが欲しい時は、大体ここだな」
 黒服の間では知られている店だと付け加えて、不意に彼は扉の外へと視線を滑らせる。それにフェルが首を傾げれば、その拍子にみえた硝子の向こう側に見慣れた蒼と金が見えた。




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