軽く扉を叩く。小さく返答があったのを聞いて取っ手を引けば、すぐの場所に据えられたソファには今まさに身体を起こしたばかりらしい一人がいて、それでクロウィルは深く息を吐き出した。
「……なんかもう見慣れてるから良いんだけど、せめて上に何か着ろよ、ガウンとか」
「めんどい」
 まだ昼を少し越えたばかり。日もまだ高いが、丸々一夜どころか昼前までを任務に駆り出されてはそうも言っていられないのだろう。帰って来てからすぐ寝ていたのか夜着に着替えたままの姿で、ふやけたような声で言ってくれたフィレンスには、彼は扉を閉めながら溜息を吐き出した。
「警戒しろよ多少は……協会の中にいる殆どが男だぞ?」
「知ってる。大丈夫だよ用事あっても勝手に開けたり入ってくんのクロウィルくらいだし……」
「入ってくるかもしれないだろ他の奴も」
 語調を強めれば顔を逸らされる。もう一度息をついてからクロウィルは自分が着ていた上着から袖を抜いて半ば投げつけるように座っている彼女に渡す。完全に身構えすらしていないのか、それを受け取るのにも微妙に失敗して顔に袖が当たるのをうるさそうに払いのける、その様子に不意にクロウィルは眉根を寄せた。
「……また大きくなってないか、それ」
「え?」
「黒いの」
 言えばフィレンスは自分の左腕を見やる。肌の上に、覆い尽くすとまでは行かなくともしっかりと形を刻んだ黒い紋章。夜着は袖が短い、胸元も開いているからよく分かる。何か意味のある形や文字を描いているわけでもないそれは、彼女の背から始まって四肢へと広がっている。見上げてきた彼女には首を示せば、ややあってから、ああ、と声が落ちる。
「首か……先に隠れるところに行ってくれないかな、顔に来ると流石に目立つし」
「こっちの事情なんて汲んでくれないだろ、それは」
「だねぇ。刺青にも見えないのが幸いだけど」
 刺青にしては鮮やかな黒。墨かインクかをそのまま垂らして固めたかのようなそれは、たとえ伸びる線の末端、万年筆で描いたかのように細く捩じれた先端でさえ、肌に滲むという事はない。刺青はどの色であっても好まれるものではない、懲罰の証として彫られる事もある、それと混同されないのは有り難いとは、思わないではないが。クロウィルが何も言わないまま少しだけ息を吐き出すようにするのをちらと見やったフィレンスは、それ以上は何も言わずに受け取った上着に袖を通した。それでようやく落ち着く。見慣れているとはいえ、気分の良いものではない。
「……ほんと気をつけろよな……」
「今更だと思うんだけどなぁ」
 話を戻せば即座に返してくる。更に溜息を吐き出す。
「おまえいつかそのまま寝惚けてその格好でふらふらしそうだし」
「そこまでじゃない」
「ちゃんとしてから言え」
「……小姑……」
「握るぞ」
 言い放てばやはり苦い顔で視線を落とす。頭を握るというのはコウハの常套手段だ、常人がやるよりも余程痛い。小さい頃から師団の本部に入り浸っていたフィレンスもそれは身に染みている。何かがある度にユゼは容赦なく子供たちを吊るしていた、フェルですらそれは例外ではない。フィレンスは思い返したそれを溜息で吐き出して、それで改めてクロウィルを見やった。
「で、何か用事?」
「あー……。今から下行って色々済ませてくるけど、ついでがあったらやってくるけど」
 それを確認に来たのだが、一番に目に入ったものがモノだったせいで半ば頭から抜けていた。言われたフィレンスは上向くように視線を投げて、少し悩むように声を漏らしてからやおら立ち上がった。
「私も行く」
「寝なくて良いのか?」
「眼醒めちゃったから。それに、このまま寝てたら夜寝れなさそうだしね」
 ついてく、と重ねるように行ってそのまま中二階へと上がって行く。なら待つかと入れ替わりにソファに腰を下ろしたクロウィルは、不意に、いつも通り片付けられたテーブルの上で、珍しく開かれたままになっている便箋を見つけて疑問符を浮かべた。手を伸ばしてそれを拾い上げる。中に書かれていたのは丁寧な文字が数行だけ。 『街の方の被害は大きいが、人の被害はそれほどではないと報告を受けている。詳細まではまだ判明していないが、波こそ去っているのだから、後は兄様に任せなさい。
 会期中の事で良かった。君が戻ってきていたら、また無理をしていただろうからね。知らせが遠く遅くで君が不安に思うのも分かるが、己の役目に忠実に。
 詳しい事が分かり次第すぐ報せる。こまめに確認するよう。   フェスティ』
 ――二番目の兄からか。最後の署名を見て思う。
 東の街の様子は、この街では噂になってすらいないようだった。こちらから何かをと思っても難しいだろう、ただでさえ中央を挟んで国の対岸、しかも東には今は、報せを送ったとしてもそれを受け取れるだけのものもないだろうから。ばさりと音がするのには目も向けずに手を頭の上に伸ばして、そこに上着が降ってきた。
「……勝手に読むし」
「お互い様だろ」
 上から降ってきた声には受け取った上着を横に置きながら素っ気なく言い返す。元からこうやって互いの部屋に入ることも多いから、本当に見られたくないものは隠すものだ、批難する台詞も実際は気まずさからだろう。テーブルの上に眼をやれば、手紙の類はこれの他にはない。もう一度文面に眼を戻せば、その頭に書かれた日付は二日前、二月九日のもの。
「……フェスティさんは?」
「軍の半分連れて街の外に演習出てたみたい。お蔭で『異種』が街に到達する前に察知できた、って事らしいけど」
「将軍だっけ、今」
「軍団長は父様だけどね。……怪我してないとは書いてないから、きっと何人かは大変な事になってるだろうけど。嘘は書かないけど、良くない事はいつも隠すからさ、フェス兄さんは」
 確認なんて行けないし、とは、布の擦れる音とともに落ちる。言えば許されるかもしれないが、行ってどうするというところで足踏みする気持ちもあるのだろう。あるいはそれを見越してのこの手紙なのかもしれないが。
 大きく息を吐き出す音。クロウィルはもう一度、短い手紙に眼を落として、それを元の位置に戻してから立ち上がった。
「先行ってる。大丈夫そうなら来いよ」
「……ありがと」



 その白い塔の足元について脚を止めてみると、見上げる背は思ったよりも高い。協会から真東に抜ける大通りに面した巨大な両開きの扉が大きく口を広げているのが見えて、フェルは瞬きながらそれを見つめていた。エクサがそれを見て、倣うように塔を見上げる。
「……何か気になるのか?」
「いえ、そういうんじゃないんですけど……協会の書庫塔の時も、ちょっと思ったんですけど」
 そこで、言う彼女の、今は紅く色の変わっている両眼が二人を向く。手は塔を指差した。
「……少し揺らしたら崩れそう、って、ちょっと思いません?」
 一拍の間、そして呵々と笑い声を上げたセオラスがその背を軽く叩いて、フェルは眼を瞬いてその彼とエクサとを交互に見上げる、結局何も言わないまま脚を踏み出した二人のすぐ後ろにくっついて、そうしながらフェルはほんの少しだけ眉根を寄せた。
「……私変な事言いました……?」
「変というか、なぁ」
「馬鹿にしてるわけではないから、気にしなくて良い。セオラスも面白いものが極端にはまりやすいだけだしな」
「……面白いもの」
「この場合は微笑ましいの方だけどなー」
 顔は向けないままのセオラスが言って、それには釈然としないながらも、だが何をどう言ったら良いのかの見当もつかずに結局無言のままになる。塔の大きく開かれたまま固定された扉を潜れば、中は灯りも極端に少なく、薄暗い中で木の床が軋んだ音を立てる。眼に入った空間は、どこかの屋敷のホールか何かか、あるいはそれ以上の大きさがあるようだがと見回していると、不意に十歩進んだところに手摺らしきものがあるのを見つけて首を傾げた。
 やはり落ち着かないからと握らせてもらっていたエクサの袖を離してそこに近付いて行くと、丁度胸元あたりまでの高さのあるしっかりとした柵のようだ。足元の床がその柵の向こう側で途切れているのに気付いて柵から身を乗り出して覗き込めば、深い巨大な穴が真っ直ぐ下へと伸びていた。改めて周囲を見渡せば、どうやらこの穴をぐるりと覆うように木の床と手摺が設置されているようだ。幅の広い空中回廊の様にも思える。穴はここで終わりというわけでもないらしく、見上げれば真っ暗な塔の上部まで貫いている様子だった。
「落ちるなよ」
「大丈夫ですよ。ここから行くんです?」
「人間は階段でな」
エクサの声に返して問いかければ、彼は大きな扉から少し奥へと進んだところの壁あたりを指し示す。眼で追った先には別に柵で囲われた一角。どうやら下に伸びる階段があるらしい。しかし下りる段に脚を踏み入れるにも鎖がそこを閉鎖してしまっている。首を傾げる。何かあったのかと思っている、その背後から声。
「塔から入るの初めてか?」
 唐突に掛けられた聞き覚えの無いそれに、驚いたのをなんとかあまり表に出さないようにと苦心しながら声の方へと振り返る。身体が勝手に強張ってしまってとっさに何も言葉が出て来ないのを見てか、声を掛けてきたその男性が不思議そうな表情を浮かべたところで、エクサが数歩そこに距離を詰めて口を開いた。
「別な小さい村から来たばかりでな、人慣れしてないんだ。悪いな」
「ああ、そっか、成程な。こっちこそ悪いな、びっくりさせちまったか」
 助け舟には感謝しつつ、すぐに声が戻って来るでもないから言うその人には首を振ってみせる。大丈夫だからと言わんばかりに軽く頭を小突いてきたエクサのコートの端を握った。兄妹かという問いかけにはエクサが即座に単なる目付けだと返して、男性はそれにも不思議そうな顔をしたが、すぐに持ち直してフェルに眼を向け、口を開く。
「折角ここまで来たのに悪いな、来た時があんまり良くなかったか。今もう階段は封鎖するから、作業終わるまで待っててくれな」
「あ、いえ、……何かあったんです……?」
「下から荷物上げるってんで、ちょっと難儀しててな」
 にもつ、と小さく繰り返す。見てみるかと手招かれ、それでエクサを見上げれば軽く背を押し出されて、フェルは柵に沿って広い空間の奥へと向かう男性の後を追った。その合間によくよく見てみると、同じように地下の街へと向かう為か、暗がりの中で何人もの人が談笑している。こっちだと呼びかけられてそこに小走りに向かうと、男性は手摺の先を指差した。見やれば、巨大な鎖が三本、遥か上から真っ暗な穴の下まで垂れ下がっている。
「昇降機だな。この鎖が穴の下まで行ってて、そこで台と繋がってる。その台の上に、人が抱えて運んだりするのが難しいのを乗せて、鎖を巻き上げて下から上に運ぶんだ。逆もあるな、大きなものになれば他の出入り口じゃ無理な場合もある」
「ここが、一番大きな入り口です?」
「こういう大仕掛けがあるのもここだけだな。多少良いところに住んでる人達なんかは、自分の家から真っ直ぐ下りられるように階段があったりするらしいけど、やっぱり大きいものの運搬になるとこっちだ。行商人なんかもだな」
 他は街の外の人間は使えないから、と彼は手摺から身を乗り出して穴の下を覗き込む。フェルもそれに倣って覗き込んで、不意にあれ、と呟いた。すぐにその男性も眉根を寄せて小さく声を零す。下の方から、何か木を蹴る音が幾つも反響して響いているのが聞こえた。
「変だな。下の階段は、もう閉めたと思うんだが……」
「……なんで、階段使えなくするんです?」
「一時的な閉鎖な。やっぱり重いものを上下するのに事故が無いわけじゃない、何年か前に落下事故があってな、そんときに階段に居た人も巻き添えになったから、そういうのが無いように、って」
 なってる筈なんだけどなぁ、と、その彼は不思議そうな顔をする。フェルは乗り出していた身体を少し引き戻して、そうして包みを抱え直しながらコートの上から宝珠をそっと押さえた。念の為と、どんな場所でも持ち歩いているのだが。
 あまりそういう事態には陥って欲しくないと思いながらその音を耳で追っている間に、その中に別なものが聞こえてくる。人の声のようなと思ったところで、暗い中に沈んで見える階段に、何かが動いているのが見えた。ひらひらと、布のような。首を傾げるよりも早く反響を伴う叫び声。
「ッ、ああああごめんでも間に合った開けてええ!!」
「……またお前らか!!」
 横の男性が僅かの間のあとに声に怒鳴り返す。それに肩を跳ねさせたフェルに気付いて、その彼は慌てたように声を上げた。
「おあ、ああ、すまん」
「あ、いえ」
 ちょっと、と一言置いてから彼は階段の方へと駆けていく。他の誰かが外した鎖の間から何人かの姿が出てくるのを見てか彼が声を上げるのが聞こえた。
「お前らなぁ、何かあったら俺の責任なんだろうが!」
「で、でも、間に合、ったし」
 先頭の一人が膝に手を当ててぜい、と喘ぎながら答える。少し遅れて上がってきたらしい後の二人はそんな様子は無く、暗いこの塔の中でも大きな門扉に近いせいか比較的明るいそこで、一人があはは、と笑うのが見えた。濃い緑の髪を掻き混ぜる。
「いやあ、下で準備始めるって所に居合わせちゃって」
「居合わせちゃって、じゃねぇよ。何してんだ」
「いや、首謀者はこっちの死にかけてる人だから」
 緑の人が指差した先では先頭の一人が完全に俯いて未だに整わない息を押さえ付けている。一度大きく息を吐き出してから顔を上げた。金の髪に橙の瞳、この季節なのに額を拭う仕草を見せているのはと疑念が浮かぶのに答えるように彼女は大きな呼吸を繰り返しながら口を開いた。
「昇降機、動かすって聞いたから。走ってきた」
「……無理してんじゃねぇよ魔法使い」
 離れた所で会話を聞いていたフェルが眼を瞬く。また別の所にいたらしいエクサが脇に来て、そしてその三人を指差して示した。
「学院の学生。制服着てるだろう」
 言われてみれば、三人とも揃いの白いコートに袖を通していて、その下も揃いの臙脂の服を着ているのが解る。折り返しのあるぴんとした襟にタイをまで付けているのは、街の人間にしては珍しい。臙脂は成長を促す色だ、学生が身につけるには丁度の色なのかもしれないとそれを眼に認めてから、フェルは指を伸ばしたエクサを見上げた。
「学院、って、制服そんなに厳しい、っていうか……」
 エクサは一度疑問符を浮かべて、しかしすぐに察してああ、と声を上げた。もう一度三人の方を見やり、ふむと腕を組む。
「いや、常に着用してなければいけないというわけではないな。多分、抜け出してきたか時間中の休み貰えたのか……講義中のはずだけどな、この時間は。シェラエ!」
 呼びかけてそちらへと向かって脚を踏み出す、それに気付いて彼を見た金髪の彼女があからさまにげ、という表情を浮かべたのが垣間見えて首を傾げる。エクサが向かう合間に肩越しにこちらを振り返ったのに慌ててその後を追ってその袖を掴んで、そうして改めて眼を向ければ三人は小声で何かを言い交わしていた。
「え、誰」
「……臨時講師」
「……え、魔導師課程?」
「うん」
「え、それって黒……」
「堂々と小声で情報共有してるな。学内上位が三人揃ってサボリか?」
 三人の会話を断ち切るようなエクサのそれに、残りの二人もまさか、という顔で彼を見やる。三人の前に立っていた彼にはエクサがその場を預るように断って、それで彼は大きく息をついたようだった。
「まあ、実害はないから、良いけどよ。命懸かってるんだから、あんまりぎりぎりなことするなよ」
「言っておく」
 男性は軽く手を振って手摺の方へと駆け戻っていく。それを見送る金髪の、シェラエと呼ばれた彼女はフェルを一度見て不思議そうな色を表情の中に混ぜ込んだが、すぐにエクサへと眼を戻した。
「外出許可は貰ってます、準備して来いと、教授達が」
「次の訓練のか。講義は、免除か?」
「補講期間で、暇な時間が多いんです。自分達は先に全部満取ってるので」
 緑の彼が青い瞳を向けて答える。もう一人が蒼い髪を揺らしながら頷いて、そうしてシェラエが続きを継いだ。
「でも一応授業日だから制服で、って、寮長が。……エクサさんこそ」
「俺は今日は仕事は休みだからな」
「ああ、それで……」
 三対の眼が急に向いて、フェルは面食らって眼を瞬く。思わずエクサを見上げて、袖を握った手に力が篭る。それで視線を戻せば学生達は再び何かを囁き合っているようだった。その様子を見てエクサが眉根を寄せて、そして橙の瞳と青の瞳がその彼を見た。ほぼ同時に口の横に両手を当てて、ほぼ同時に息を吸い込む。二重の声。
「十六歳以下は犯ざ」
 平手が即座に閃いて乾いた打撃音が連続して二回鳴り響く。額を押さえて悶絶した二人を放置して、容赦なくその手を空中にひらひらと泳がせながら、そういえばとエクサはフェルを見下ろした。
「今幾つなんだ、訊いた事無かったが」
「え、と、あの、ごめんなさい十六です……」
「……真に受けなくていいからな、フェル」
 な、と念押しされながら頭をゆっくり撫でられる。微妙な気持ちで眼を逸らした。  三人の方を見やれば、残った一人があとの二人が悶絶しているのにあたふたしている。それでも早く立ち直った青緑の彼が、涙眼ながらも、でも、と声を上げた。
「兄妹、では、ないですよね」
 離れ過ぎだと言いたいのだろうとは流石にわかって、それでもやはり言葉が出て来ない。迷ってもう一度エクサを見上げれば、彼も少し迷うような素振りを見せた。それを見てなのか、蒼い髪に茶色の瞳のもう一人がえ、と声を零した。
「もしかして本当に真面目な方の犯罪臭」
「違うと言ってる。フェル、言っても大丈夫か、結局知られるとは思うが」
 言われて、少しの間を置いてフェルはあ、と声を落とした。エクサは三人に向けて上位と言っていたし、三人は訓練の準備をと言っていた。ここで隠した所で、という事だろう、任務の時には学生達と共に行動する事になるだろうから。そこまでを思ってひとまず彼には頷き返して、えっと、と口ごもる。それを見てエクサがもう一度、今は青味を帯びた銀を軽く叩くように撫でた。
「お前らが協会に入れば先輩、だな、フェルの方が」
 彼が三人に向けて言う。即座に三対がこちらを向いたのが見えて逃げるように眼を落とした。僅かの間。
「……黒服?」
「そうなるな」
「十六で?」
「魔導師に齢が関係ないのはお前もよく知ってるだろ」
 頭上で手早いやり取りが流れていく。それを聞きながら窺うように眼を上げれば、橙にも青にも茶にもただ純粋に驚きが浮かんでいるだけで、それに何故か安堵が浮かんだ。一人が手持ち無沙汰と言いたげに片手をひらと泳がせて、そうしてからフェルとエクサを見やった。
「ええと、二人とも訓練の時って」
「行く。俺たちにしては任務だけどな」
「あ、じゃあ、ええと。クライア=オルトールです。こっちがサシェル=フィトラエス」
 青緑の彼が自分を指して言い、中々声を上げないもう一人を示して言う。橙の瞳の彼女もそれに続いてフェルを見やった。
「ハシェラエット=トリ=カラッド、です。三人で訓練参加する事になってるので、よろしくお願いします」
「あ、よ、よろしくお願いします」
 軽く頭を下げてのそれに慌てて礼を返す。硬くならなくてもと背を軽く叩かれるのに気まずい気持ちを押さえ込もうとしていると、その後ろ、遠くから甲高い笛の音が聴こえた。




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