「ごめん、ちょっと強引だったよね」
 塔の足元のすぐ近くで手を引くシュネリアが足を止めて言うのには、フェルは眼を瞬かせた。彼女は困ったように笑う。
「ちょっと話題が……話題っていうか、事件の話するとなると、色々、こう」
 言いながら、シュネリアは帽子と布飾りの下から肩に流れる水色の髪を指先でいじるようにしながら言葉を濁す。その言葉が先に続かないのを見て、フェルの荷物を抱える腕が僅かに強張る。紅の視線が落ちた。
「あ、えっと……その、邪魔、でした……?」
「ああいやそうじゃなくてね!?」
 部外者だからと零せばそれは即座に否定される。シュネリアの手がばたばたと左右に振られて、言葉を探すようにええと、と彼女は視線を上向けた。
「なん、て、いうか。ええと。えーっと……蒼樹というか、この街だと犯罪の種類って幾つかに分けられてるのね」
「あ、はい、さっきは四種って……」
 店で聞いた時は、そう聞いたように思う。言えば紺は頷いて、塔のすぐ脇に整えられた花壇の方を指差して手招く。今は緑の葉がちらほら見えるだけの植え込みの、煉瓦のそれに腰掛けながらシュネリアは片手の指を一つ立てる。
「一種が一番罪の重い犯罪。凶悪犯罪、とかって言われるのは大体これかな、人身売買とか兵装密売とか、不法な魔法の密造とか。これは本当なら警備隊じゃなくて軍の管轄なんだけど、この街は軍がいないから私達がやる事になるかな」
 立てた人差し指をもう片方の手でつつきながら丁寧に説明してくれるのを、すぐ隣に同じように座って聞く。軍が配備されていないのは、この街と周辺の領域は協会の直轄で、そこを領地とする領主が存在しないからだ。協会長官は、軍を持つだけの権限を持たない。二本目、中指が立てられた。
「二種は故意の過失。二番目に重い罪。そうやろうと思って他人を傷付けて大怪我させたりとか、その中でも被害が大きいのは二種の括り。腕とか脚とかなくしちゃったり、麻痺とかの障害が残ったりしちゃうとこれかな。あ、あと、強盗とかも二種。財産の強奪はその後の生存の可否に直結するから、そういう意味じゃ身体は一番の財産だし」
「……殺人とかは、違うんです?」
「人殺しは三種なんだよね」
 問いかければ、彼女は苦笑。薬指が上向いた。
「殺人とか、他人の命そのものを危険に晒すような……強制的な奴隷支配とか、監禁とかも三種。故意の過失よりは、対応の優先度は低いかな」
「そう、なんです?」
「ちょっと、言うと酷いかもだけど。死んじゃったらそれまでだから」
 紺を見上げる。水色の髪は丁寧に結い上げられて、帽子の下から背に垂れたそれもきちんと纏められている。沈むように眼が落ちるのを見てかシュネリアの手が伸びて青銀を撫でた。
「これから先、生きていくのに問題が残る、っていう方が、個人には辛いのね。殺されたってなると、悲しいのはそうだけど、比べるとやっぱり障害とか、不随とかを引き起こすようなのの方が、悪質だ、って言うしか無いから」
 そう言われれば、そうなのかもしれない。老いならともかく、唐突に、他人からの悪意で自由を奪われ制限される方が苦しいのは、わかる。ただそうなると余計に、他人を傷つけるよりは殺してしまった方がと、そう考える人間が現れるのではないか。落ちた視線の先でそう小さく、疑念にも似た何かが浮かぶ、それを察したのかシュネリアはでも、と言葉を続けた。
「殺人の場合には、周囲の人間にとっては大事な財産を壊されたとか盗まれたとか、そんな方向の見方もあるから、三種だけって事はあんまり無いかな」
「……重なったりするんです?」
「重なる……そう、だね、該当するのは全部適用、だね。責任能力の有無にもよるけど、でも大体、これもあれもですごい大変な事になる」
 それこそ殺人なら、殺人とは別に器物損壊もあり、強盗が目的であったのならそれも加味される。殺した方法も裁量を左右するし、殺そうと思って殺したのか、あるいは意図せずなのか、偶然なのかでも変わる。
「でも一番酷いのは人身売買かなぁやっぱり……人間としての尊厳の剥奪とか、命色を商品にして値段付けて売るのは認可受けて管理されてなければそれだけで重罪だし、拉致は人間的な活動を制限されることになるから二種扱いだし、大体そういうので取り引きされた人の末路も目に見えてるし……」
「末路?」
「……うん、ちょっとどころでなく悲惨かな……」
 紺の視線は言葉とともに何処かへと泳いで流れていってしまう。目に見えている、という事も重要なのだろうかとフェルは首を傾けた。どんな事になるのかは、想像はつかないが、良い事で無いということはわかる。護衛達にも拉致されるような事には絶対になるなと言われているから、そんなものなのだろう。
 断ち切るように立て直したシュネリアが次に小指を立てる。四つ目。
「で、四種。ちょっと言葉にするのが難しいんだけど、この分類は無形の傷害、って言われてるのね」
「……無形」
「無形」
「……えっ?」
「わかりにくいよね、言われても」
 苦笑。例えば、と言いながら、彼女は自分の眼を指差した。紺、深い色。
「私小さい時、これのおかげで色々言われたりしたんだよね、紺は藍色の一つだからって」
「夜の闇の色……」
「そうそう。……あ、そうか、黒服だからそういうの詳しいよね」  言われたそれには頷く。今はいつものように黒を身に付けていないから分かりにくいだろうとは思いながら、店にいた面々から想像はつくのだろう。フェル自身、自分が魔法使いに見えるとは思っていない。
「……色の問題、なんです?」
「と、いうか……そういうのって、言われるとちょっと嫌だったりするでしょ? 自分で選んだわけでもないし、性別とか、顔立ちとか、家柄とかさ。私は眼の事で何かいわれても、ちょっと、って思うくらいだけど、銀の人なんていつも言われてたりするし、そういうので傷つくって事あると思うんだよね」
 眼を落とす。銀を持つ人間は少ない。思い起こしても、今日一日の内に銀は見なかった。稀少価値もある、強い色。それだけなら金や紫とも同じでも、銀の意味はそれらとは真逆だ。その銀に次ぐ藍色も、容易に言葉は極まるだろうに、彼女は自分の色の話にはそれ以上触れなかった。
「色だけじゃなくて体の特徴とかで何か言われたりとか、そういう、実際にこれ、って手に取れるわけじゃないけど、っていうのが四種。悪口とかも行き過ぎると侮辱になって、侮辱罪は四種だねぇ」
「……そういうのが、起こってるんです?」
「起こってるんだよね、残念な事に。最近のは、特に被害者に女性が多くて、……なんていうか……女性の身体的特徴っていうか尊厳の侵掠っていうか侵奪っていうか……」
 途端、再びその言葉が濁っていく。フェルはその様子に疑問符を浮かべた。シュネリアは酷く迷うように眉根を寄せて一度眼を伏せて、そうしてから再び紅の方を見やる。
「とにかく話聞いてるだけで嫌な話題なのね、結構。それでちょっと、こう」
「……気分が悪くなる?」
「そうそう、そんな感じ。たぶんヴァルディア様も似たように思ってたんじゃないかな」
 眼を瞬く。間を置かずにその視線を横の方へと流した。内心あの人が気にするだろうかという疑念は浮かんだが、言葉にはしなかった。シュネリアがええと、と声をこぼすのを合図に眼を上げれば、彼女は帽子の据わりを直しながら口を開いた。
「その事は措いとこう、そういう話しにきたんじゃないし! ええと、ああ私シュネリアって言うんだけど……って、これは言ったっけ」
「はい、と、上で。……あ、えと、フェル、です」
「よろしくね、フェルちゃん」
 気付いてそこでようやく名乗れば、彼女はからりとした笑みを浮かべた。呼ばれたそれに、少し気恥ずかしいような心地がするのを、荷物を抱え直して落ちてきた前髪を直すので誤摩化すようにして、それでも足りなくて小さく笑みのような表情が浮かぶ。シュネリアが横からそれを手伝ってくれて、そして彼女は宙にその指を滑らせた。
「上にもお店は色々あるんだけど、地下にも色んなのがたくさんあるから、知っとくと便利かなって」
 くるりと円を描いたそこに薄氷が円形を象る。その円に沿うように太い輪を三つ。そうしてからその輪の上に十字になるように指を滑らせれば、中央の円だけは残して触れた部分は雪のように崩れて落ちる。
「地下の作りって結構単純で、大通りの位置は上と下とで変わらないのね。協会は上の城壁がそのまま下まで繋がってるから、そこも同じ。上とは違って、自由にその中に入れるけど」
 言いながら伸ばした指先で、二人の目の前、空中に浮かんだ氷の図の中心をつつく。
「地下はそのまま、協会を囲むように丸く作られてるから、真っすぐ四本の大通りと、あとは丸い中通りが三本。それ以外が建物、って感じかな。裏通りとかも沢山通ってるんだけど、慣れてないうちは方向見失いやすいから、大通り辿ってくと良いと思う」
「……この外側は、もう無いんです?」
「他は全部牧場とか、あと畑かな、冬の分の」
 一番外側の輪を指差したフェルに、シュネリアは花壇に腰掛けた自分の背後を指し示す。塔から降りてきて通り抜けたトンネルのような道のあるそこの先、この向こう側の方向がそうなのだろう。となれば自分が向いている方に協会があるのかと思って眼をやっても、低い建物の上には空が見えるだけで、地上から繋がっているのだという協会のそれは見渡したどこにも見えない。どうしてかとフェルが首を傾けたところで、ああ、とシュネリアが声を上げた。
「地下の建物ってみんな、地上と繋がってるから。本当は全部柱みたいにして天井……ていうか、地面か。地面を支えてるのね。井戸とかもそこを通してやってるし、あと小さい出入り口とかもいくつもあるよ、ほんとたくさん。そういう壁にも全部に空を映してるから、向こう側が見えないのはちょっと残念だけどね。歩いてみるとすっごい広いから、遠くの風景が見えたら奇麗かなあとは思うんだけど」
「屋根が無い家がたくさん、ありますけど……」
「雪も雨も降らないからねぇ。屋根じゃなくて屋上を作って、洗濯物干したりとか花育てたりとかしてる、かな」
 町並みを見上げて気付いたそれを口にすれば、問いかけられた方もそれを見上げて答える。そうしてから、あ、と声を上げて、そして浮かばせた図の一カ所を指差した。中央、協会からすぐの南西の区画。
「そうそう、たぶん地下で一番用事が多いと思うんだけど、ここ。大きい市場があって、周りに色んなお店がある所。南一区って呼ばれてたりするけど、普通に市場って呼んでる人もいるかな。普通地下で市場って言えばここ。本とか、布とか」
「……上には、無いんです?」
「本とか布とか?」
「あ、と、はい」
 言葉足らずの部分を問い返されて慌てて頷き返した。そうしてみればシュネリアは何故か嬉しそうな顔をしてみせて、そして立ち上がる。氷の地図を消し去って、どこかを指差した。
「歩きながらにしよっか」



 ここに来るの初めてなら、驚くと思うんだ。言いながらシュネリアはフェルの手を引いて歩き始める。塔の入り口があるのは地図で言えば東の大通りのすぐ下、東二区の北端。地下は建物の密集する三つの輪の中心から、一区、二区、三区と呼ばれるのが常らしいと、やはり言う通り遠くまでは見通せない空を見上げるようにしながら、フェルは彼女のすぐ後ろをくっついて歩いていた。
「上……地上にお店出せるのって、すごいことなんだよね」
 本当言うと、と付け加えるそれに、フェルは首を傾けた。シュネリアは少し上を見上げるようにする。
「地下まで来れる人って、この街の人か、塔を通って来た人だけで、街の外から来た人はまず地下があるってことをあんまり知らないんだよね。地下街がある街ってそんなにないし、ここってぱっと見てどこから地下に入れるか分からないでしょ?」
「です、ね……塔がって、知ってれば、でしょうけど」
「あの塔も、外から入ってくる時は東からじゃないとあんまり見えないしねえ。そんなだから街の外の人が地下に来るってあんまりなくて、逆に上のお店とかに良く寄ってくれるのね。魔法具とか、鉱石とか宝石みたいな装飾品とかは、この街有名だから」
 それには頷く。土地が悪く穀物を育てるには向かないこの街でも、だが貧困や食糧に困窮するような話は聞いた事が無い。備蓄を備えた貴族邸も多く、協会にも有事の際の蓄えがあるとは、王宮でも何度か聞いていた話だが、それよりも顕著なのは物流の激しさだろう。蒼樹の街は、王都に次いで収入が多いと言われている。それは税収という意味ではなく、街に流れ込んでくる金銭の量や品の価値が高いという事だ。それと同等の物がこの街に集まり、人々に求められている。
「だから上のお店って、半分くらいは外の人向けなの。野菜とかお肉とかの、食べ物関連は下に降ろすのに時間がかかると美味しくなくなっちゃうから、上の事が多いけど、それ以外は特に外向けって感じが強いかな。師匠の店もそう、お客のほとんどは街の外の人だから」
「そう、なんです?」
「そうなんです。師匠が凝り性で完璧主義だから、品質だけは良くってねー対応はあんなだけど」
 黒服の人も良く来てくれるかな、と、子供を引き連れた何人かとすれ違いながらシュネリアは言う。フェルは少し眼を落として、そうしてから改めてその彼女を見上げた。
「シュネリアさんは、何か作って置いてたりするんです?」
「するよー。既製品はほとんど私かな、師匠は受注生産しかしないから。宝珠とか、そういうのを受けてる時は、ほとんど開店休業みたいになっちゃうけどね。師匠中々工学の方教えてくれないから、手伝いもできないし」
 眼を瞬く。首を傾けると、それだけで分かったのだろうか、シュネリアはそのフェルの方を見やって、にへ、と笑った。
「一応、才能はある、らしい」
「……すごい」
「んーでも良く分からないんだよねえ。全然教わってないし、それっぽい事はできるんだけど」
「ぽい?」
「絵の具とか顔料とか、染め粉とか、そういう色付けるやつから魔法を作れる、くらい。魔法って言ってもこれっていう効果も無いんだけど」
「……結構すごい事じゃないです?」
「なのかなあ、だといいな。小さい時から絵描いたりすると、動いたりしたんだよねえ」
「……うご?」
「うご。樹描くと苗木ができたし、水溜り描くと本当に水浸しになったりね。部屋の中で火噴かした時は流石に怒られたなー」
「だ、大丈夫だったんです?」
「平気平気、ちょっと火傷したくらい。それで、きっかけっていうか、街の人に魔法教えて貰えたんだよね」
 そんな事があるのか。言いながら十字に交叉する道の左を示した彼女についてその角を曲がる。シュネリアはその道を示す。
「東一区と二区の間の道。少し歩けば、すぐ見えるよ」
「市場、ですよね」
「それもあるけど、もう一つね、初めてなら驚くと思う」
 フェルは眼を瞬いた。魔法に覆われた地下の街、それだけでも相当なのに他にもあるのか。空のように見える天井を見上げる。土の茶色などどこにも見えない、綺麗な空色。本物より近いような気がするのは天井の低さの所為だろう、そう思いながらも道を進んで、シュネリアが示した少し大きな十字路を右に折れて。
 そして見えた新しい蒼に、思わず眼を見開いた。




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