「調子は?」
「あまり、だな」
問いかけには、その人は腕組みをしながら答える。ヴァルディアの視線の向かった先、広い訓練場では無数の影が動き回っているのが見えた。
「時期も急だったからな、学生の方も心構えが出来ているとは、中々。実戦もまだ二度しか経験していない中に、これが初めてだという学生もいる。どうやっても万全な状態には持っていけないな」
「そうか……予想はしていたが」
「白黒は、何人?」
「四組で八人の予定だが、場合によってはもう一組必要だろうな。候補だけは出しているが、あるいは白を何人か、で留まるかもしれない」
「黒服は動かせないか、やはり」
「難しいな。絶対数が足りない」
「上位者は、相手をしたのだろう、学長直々に?」
「したはした。具合を確かめる程度に、だが」
人垣の方でどよめきが上がる。あの一団は魔導師過程の集団だ、恐らく誰かが何かに成功したのだろう。緊張や不安を見せていた騎士過程の学生達と違って、こちらは総じて好奇心の方が強いように見える。不安が無いわけでは無いだろうが、だが最大の理由は、恐らくは交戦経験の浅さだろう。
溜め息を吐き出したヴァルディアに向かって、横の男性は腕組みのままで横目を向ける。面白がるような、だが明確に迷惑だと言わんばかりの色も浮かべた眼には、長官も渋々といった様子でそれを見返した。
「……私の責任か?」
「上の決定だとは聞いている。だが、私の直属の上司はお前になるからな、自然お前に文句も向く」
「やめてくれ、……これでも抵抗はしたんだ」
「最終的に署名をしたのはお前だがな」
「オルエ」
「学生に死者を出したくないんだ、教師としても大人としても」
彼が言った途端、ヴァルディアが眉根を寄せる。羽織った外套の襟元を寄せるように肩を寄せながら背後の壁に寄りかかり、どこか投げやりに言葉を吐き出した。
「分かってる、そう思っていなかったらそもそも学院にという話ももっと早くに出していたし、魔法院やら軍やらに言われたそれに拒否も抵抗もしなかった」
それには、今度はオルエと呼ばれたその男性が沈黙する。少しの間、学生達がそれぞれに訓練を始めるのだろう、訓練場のあちこちに散っていくのを見ながら、溜め息を吐き出した。
「……そうだな。お前がこんな馬鹿をするようには思えない」
「学院の運営で失敗出来るほど肝が据わってるわけじゃないからな」
「拗ねるな、悪かった」
「拗ねてない」
「分かりやすい嘘を」
オルエが苦笑する。しながら学生の方へと眼を向け直して、そうして息を吐いた。
「……出来る限り、白黒の数は欲しい。後は色だな、学生の中には金も銀も居る」
「問題ない。魔導師に銀がいる、危険があれば私が入る」
「なら、有り難い。本物の『異種』との戦闘を経験出来るのは、学院の中だけでは中々難しいからな……協会の白黒が引率してくれるのであれば良いのだが」
「一般の白や黒では教師役は達せないだろう」
「セオラスやエクサは?」
「あれは規格外だ、私も教師を出来る気はしない。……学生の参加者に、変更は無いんだな?」
「無いな。剣士三十五、魔法使いが十五の合計五十だ。一覧を届けさせただろう」
「ああ。……ああ、名簿を見てエレッセアが驚いていたな」
ヴァルディアが言って、それにはオルエは面白そうに笑う。それが耳に入ったのか学生の何人かの視線が向くのが分かって、彼は軽く手を払うだけでその学生達には集中しろと言いながら、どこか別の方向へと視線を投げた。
「知り合いが協会に入ると、目的が具体的に見えるようになるのも多いようでな。元々が優秀な連中だ、上位に並んで、いい具合だぞ」
「珍しく最高学年で揃っていないと思った。……良い着火材になったようだな」
「ああ」
ざわりと風が動く。眼を上げたヴァルディアをオルエは見やって、そしてどこか感心したような表情を見せた。
「使い魔か? 珍しいな、熱心じゃないか」
「中々、逃げると後が怖いようになってきてな……息抜きが出来ない。むしろ私が任務に出たいくらいだ」
「相手していくか。訓練としても上々な方なんだが、学院にしてみれば」
「人間相手は加減が必要だから苦手なんだが」
「出来ないだけだろう、手加減が?」
「そうとも言う」
言い合う間に寄りかかっていた壁から背を離す。そのまま訓練場からは離れる方向に足を向けて歩き出す。オルエもそれを送る事はせず、どうやら構築を開いて何かを言い合っているらしき一団を見つけてそちらへと距離を詰めた。
分かり易い、と、不意にそう思った。並んだ模様はどれも明確な意味を見出せるものばかりで、意味の憶測すら難しいものは見当たらない。唯一、一番上の中心を囲んだ、絵を描いた一本の線の他には、その上下の一つずつも、重なって奥に見える別の層にも、真っ直ぐな線以外のものが何一つとして見えない事だけが不思議だったが、何となく予想はついていた。
一息、置く。改めてその模様をじっと見詰めた。どうやら一筆で描き出されたそれは四つの場面に分かれているようで、家の側で手をつないだ親子、右へと核を回転させれば親子は腰を屈めて地面に手を伸ばしているようだった。更に右には四角の籠のような、曲線の塊を親が抱えて、子供はそれに両腕を伸ばしている。また右へ、最後の四分の一の部分を見やれば今度は最初の一つに見えた家だけがぽつんと立っている。
分かり易いと、フェルはもう一度思った。この核があの竜なのであれば、こうして浮かび上がる模様が人と家と、その生活を描いているのも、何となくその理由も分かるような気がする。コウは、人間に対しての攻撃性は持ち合わせていないようだった。むしろ人懐こく、友好的な。
わからないのは、解き方だった。意味を考えるべきなのか、あるいは無視するべきなのか、そこからして分からない。思いながら一巡りした視線が最初の、二人の傍に立つ家を捕らえて、そして違和感に眼が止まる。家を描いた一本の線は行ったり来たりを繰り返しながら、扉と窓もその囲いの中に描き出している。左に回転させた隣、人の姿の無い家の模様。比べればすぐに分かった、四番目のその場面には、最初のそれにあったはずの扉も窓も無い。
ただ核の表面、滑らかな硝子の表面に触れただけの指を滑らせた。四番目、形だけのその模様に触れる。ほんの少し力を込めるように、欠片ばかりの魔力を指先に集めて、ゆっくりと、壊さないように流し込む。
途端に鋼色が動いた。家を描いた線が波立ち、伸びる。伸びたそのまま最初の絵と同じ扉と窓とを描いて、描かれた窓のそこにぼんやりと光が灯るのを見て、フェルは、ああ、と、そう小さく声を漏らした。変化はすぐ上、何の形も現さず揺れさえしなかった一つの線にも及ぶ。さざめいたそれは人と家の絵の上に丸い円と三日月の形を描いて、まるで水の上に浮かんでいるかのようにふわふわと揺れ動いている。今度はすぐに分かった。真円の一つに触れる。そのまま珠を回転させて真横へと動かしていって、二つ目、地面に手を伸ばす二人の絵の真上で指を離せば、その円は鋼色の囲いを失って金色に煌めき始める。三日月は窓から光の漏れる屋根の上に据えれば、真円とは真逆にその形が全て鋼の色に覆われる。ほぼ同時に一番下の線がうごめくのが見えて、また新しい形を描き出していく。尖った、槍の穂先のような形の群れ。折り重なるようになったそれは草に見えた、なら畑の事だろうか。一面に繁茂したそれは、だがすぐ上に広がる絵とは食い違う。三つ目の場面、親子は収穫したのだろう作物を腕に抱えているように見えた。だからとその下の草に触れて魔力をゆっくりと流し込めば、途端に大きく茂ったそれは刈り取られたかのようにざんばらな姿に変わっていく。その変化が終わると同時に浮かんでいた三本の一筆の絵はふんわりと白い光を帯びて、そして硝子の珠のような姿をした核からゆったりと浮かび上がる。浮かんだ鋼色の三本はそのまま空中で形を変え何か別の形を描いて、フェルが腰を下ろしたそのすぐ傍に音も無く、真っ直ぐに突立った。垂直の、棒だろうか、それに何か紐か布のようなものが括り付けられているらしい。身に感じる風は無いのに布はゆっくりとひらひら宙に泳いでいる。
これもイーライの時とは違う、あの妖精の核は、解いた模様は核からは離れても、必ずその周囲に浮かんでいた。こうして核から離れて別の場所に形を描き出すというのは、だがこうして核を開いていく後継を見るのはこれで二度目でしかない。自分が見た事が無いだけなのかもしれないと、そう思いながら、フェルは手元の珠に眼を戻した。
硝子質の核は、どうやら一つ下の層に描かれていた三つの線が表層に浮き上がって来て、また新しい絵を象っている様子だった。
息を深く吸い込む。ゆっくりと再び、その模様を眼で追いかけた。
始まったんだな、と、背後からそう声が聞こえてエーフェが振り返れば、立っていたのは白い制服だった。
「任務終わったのか?」
「夜間だったから、帰って来てそのまま来た。……大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も、そうする為に俺達が居るわけだしなあ」
魔導師が魔導師相手にするには手厚すぎる方だと続ければ、クロウィルは不思議そうな顔をしてみせた。エーフェが適当に手を振って見せるのには素直に彼から目を離して、翠は遠く、構築陣の合間に見える銀に向く。
「……危険は出来るだけ、とは、聞いてるけど」
「大丈夫よ、クロウィル。何かあったら私とエーフェがいるから、貴方が手を出さなくても」
「不安なんだよ、分かるだろ?」
「フェルが不安? それとも、今やっている事かしら」
「両方。フェルは魔法の事になると周り見えなくなるし、成功するかもわからない魔法だし……」
クウェリスが腰かけた椅子の後ろでクロウィルは腕を組む。この広い屋内調練場の、中央からは離れた円形の空間の際だが、それでも冷たい石の壁からは少しの距離がある。居住棟と同じように温風を吹き込んで空気を暖めているとは言っても、広いこの場所の端に巣食った冷気までが緩和できるわけではない。じっと立っているだけでは寒いと、ほんの少し身震いする。
「先に何か言ってくれれば心構えも出来たのに、急すぎる」
「あってもなくても同じよ、心構えなんて。それに、今は師団の管理下では無いでしょう、あの子も」
「管理じゃない」
「同じ事じゃないかしら?」
嫌味かよとクロウィルが零すのには、クウェリスは苦笑を返す。エーフェはその会話を聞いてか溜め息をついた。
「でも、外野にしてみれば色々と不便なんだぜ、紫旗が紫銀を抱き込んでると。図書館所属の魔導師なんて研究してなんぼなのに、紫銀の事には少しも触れない」
「王立研究所の二の舞を作りたくないのがこっちの都合」
「あれだってお前らの管理不足じゃねえか」
返答の無い事にクウェリスが再び小さく笑う。うっすらと刻印の浮いた顔がすぐ後ろを向いた。
「貴方や、貴方の隊長を責めても何にもならない事は分かってるわ。先王と先代の団長と、あとは王宮の関係者の決めた事だってちゃんと分かってる」
「……なら俺に当たんなよ……」
「紫旗で一番近いのが貴方だから、ね。聞き流して頂戴、一度声にしてしまったら、二回も三回も言わないのが魔導師だから」
なら最初から言わなければ何かを思う事もないのにと、息を吐き出した。扉の開く音、眼をやれば金色。
「始まったと聞いたから様子見に来たが……」
「あら、ディア。なんだか久しぶりね」
「全くだな。……どうだ?」
「順調だよ、今のところはな」
こちらへと歩を進めるヴァルディアの問いには、エーフェが変わらず銀に眼を向けたまま答える。ヴァルディアは追うようにそちらを一瞥して、そうしてからクロウィルを見やった。
「お前は?」
「俺も様子見。今日はフィレンスが遠方だからって任された」
「成程」
一言だけ返して、彼はもう一度床に座り込んで手を動かしているらしいその背に視線を投げかけた。仕事の場でなければ言葉遣いもそのままである事には、この長官は何ら一言も言った事が無い。気にしていないのか、あるいは改まった空気が嫌いなのか。王宮で出会した時もそんな様子を見せていたから恐らくはそのどちらでもあるのだろうが。
「……特に何もなければ良いが」
「お前もお前で心配性っていうか。何、そんな気になるの部下の事」
「何か面倒を起こしたら王宮から直々に怒られるのは私だろうからな、可能性は出来る限り排除したい」
「その為に自分自身で出てくるって?」
「他人に任せるよりも確実だからな」
「そうかい」
エーフェとの間で投げ渡し合うような会話、嫌味の見えないそれにクロウィルがクウェリスを見やれば、察したのか彼女はにこりと笑った。
「ね、大丈夫よ」
「……分かった。暇がある時は様子見に来るけど、そうじゃない時は任せる」
「あら、でもやっぱり来るのね」
「駄目だって言われてないしな」
「言わないわ。あんな事言われちゃったら、言えないもの」
口をつぐんだクロウィルにヴァルディアが眼を向ける。翠は無言のままで眼を逸らし、それを見やった金は面白そうに笑みを作った。
「若いな」
「長官……」
「さて、私は戻る。エーフェ」
「わーってるっての」
楽しげな声の呼び掛けには呼ばれた方もにし、と笑いながら答える。それにヴァルディアが踵を返すよりも一瞬早く、エーフェはそこでようやく顔を上げた。
「あーでもひとつだけ確認、あの娘っ子魔法構築大丈夫か?」
「拝樹試験に不足があるという進言なら聞く」
「……悪い、そうだったな……」
あの試験鬼だろ、とは、工学師の独り言に落ち着く。クロウィルはそれに疑問符を浮かべて、気付いたエーフェは肩をすくめてみせた。
「拝樹の第二試験。白と黒とで別の課題だったろ?」
「第二試験は、騎士は確か一般人の護衛演習だったけど。一般人って言われてたのは実際は黒服だったけどな」
「あーまあ一般人危険に晒すのは協会じゃないしな。魔導師はその間騎士の試験の間魔法作らされててな、幾つかの条件を満たす攻撃魔法をひとつ作るって試験だったんだけど。期間が一ヶ月とちょっとくらい」
「……前に、魔法ひとつ作るのに半年はかかるって聞いた気がするんだけど、俺」
「そうなんだよなあ」
「……長官?」
「……私も試験はやらされた側だぞ」
ヴァルディアが眼を細めて言うのには、ここでは唯一、一人だけの騎士が青い髪をかき混ぜるようにして眉根を寄せた。
「……意味わっかんないな、黒服って」
「『黒』だからな、当然だ」
お前も来いと言ったヴァルディアはそのまま背を向ける。クロウィルは溜め息だけでそれに従って、二人を見送ったエーフェはそのまま再び紫銀へと眼を戻す。いつの間にか、地面に突き立てられた棒の数は増えて、黒い衣裳のその周囲を取り囲んでいた。
「……なあ」
「なあに?」
「あれの意味、分かってんのかな」
視線の先には鋼色の線で出来た棒とそれに絡み付いた布、それが無数に突き立った風景の中に小さい姿は座り込んでいる。問いにはしばらく沈黙があった。
「……さあ。どうかしら」
「お前あいつの記憶見たんだろ?」
「見てはいないわ、取り出して書き留めて、翻訳しただけだもの」
「ってことは読んだんだろ」
「意識の内にはあったわね」
「……あのさあ」
「私から魔法以外の情報を引き出そうなんて、まだ早いわ、エーフェ」
ち、と短く舌打ちの音が聞こえて、それでクウェリスは口元を押さえて苦笑した。帽子の据わりを正して、そしてフェルが座っているのだろう方向へと顔を向ける。眼は見えていなくとも、使い魔達が全てを教えてくれる。布を絡めた一本の、真っ直ぐな木片。その下にはきっととりどりの色の石が砕かれて埋められているはずだ。
少なくともあの核が生み出したあの形は、その風景が魔法そのものに刻み付けられている事を指し示しているのだろう。それを解いて姿を映し出させるあの魔導師がそれを知っていようといまいと、既にそうなってしまっている。
「……街の風景だったよ」
「そう……」
眼を閉じる。はなから見えてもいない視界を閉じる。エーフェは溜め息を吐き出した。
「攻撃魔法なんかが竜になれるわけないからな……そこまでは流石に察してないみたいだけど」
「魔導師、だもの。攻撃魔法が基準になってしまっても、何もおかしい事ではないわ」
視界を開く。眼は開けないまま、どうしてか見えているとしか言えない感覚に満たされた視界の中でそれを見る。鋼色は、静かに黒を取り囲んでいた。
「……悔しかったのかもしれないわね」
紅色は動かず、応えもしなかった。灰色もそのまま口を噤む。
あれは死者の場所だ。肉体を燃やした灰を川に流してしまった後、残った命石を砕いて埋めて、二度と人の眼に触れる事の無いようにと収めた場所。泳ぐのは白い布、白は死の色。
――死は伝染する。
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