「シェリン」
 居住棟に向かう廊下の途中で呼び掛けられて振り返る。足早に近付いてくる長官を見返して、彼女は首を傾げた。
「急な任務かな?」
「いや、違う。急は急だが、先の話だ」
「ああ、……じゃあ、私も準備をしないといけないな」
「そうなる」
 簡単なやり取りの中でシェリンが苦笑混じりに言うそれには、ヴァルディアは肯定を返した。学院との合同任務の事は既に緩やかに所属者には知られている、示唆するような言い回しならそれだろうと容易に想像がつく。それなら、と口元に手を当てたシェリンは、思案するように視線を少し落とした。
「誰とかな……人によって、少し準備を変えたいのだけれど」
「黒は出せない、あと一人か二人、白服にと思っているが」
「指名は?」
「相当人数に警戒されていてな」
「成程、先手打って断られた、と」
「他人の安否を心配するのは相方だけで手一杯だ、と、悉く」
 言うヴァルディアも目線を窓の外に投げ出しながら溜め息混じりに返す。その様子にも少しの笑みを零して、そうしてからシェリンは、じゃあ、と声を向けた。
「フィレンスは居るんだったかな」
「ああ。それが?」
「いや、私は彼女を信頼している、ってだけだよ。元から見立てを疑うつもりは無かったけれどね、『長官』の」
 シェリンのそれには今度は長官は溜め息を吐き出して、だがそれ以上は何も言わない。暫くの沈黙を置いてから、シェリンの眼は改めて金を見やった。
「フィオナかな。二人で動いても良いのなら、と思うけれど」
「……ああ、成程」
「そういう事だね」
「分かった。ならこちらから伝えておく。何日必要だ?」
「魔導師程時間は掛からないよ。私は二日あれば万全かな。フィオナは、少し掛かるかもしれないから、本人に訊いてもらえるかな?」
「分かった」
 答えて、しかしヴァルディアはそのまま沈黙する。シェリンがそれを見返して疑問符を浮かべると同時に、もう一度金が大きく息を吐き出した。
「……一つ打診があるんだが」
「長官の地位なら継がないよ」
 舌打ちが響いた。シェリンは口元を押さえて軽く笑う。
「ようやく四年目じゃないか。あと五年くらいは頑張れるだろう?」
「既に飽きて来てる」
「おや。随分楽しそうに見えるけれどなあ」
 視線を合わせないままの沈黙には変わらずくすくすと小さな笑いを零す。ありありと不満を見せるヴァルディアには、シェリンはそのまま肩をすくめてみせた。
「私が十五階梯になったら、考えるよ。それに今は私よりも長官に相応しい人間がその席に居るからね、私が代わる利点が見えない」
「その人間が次を探しているわけだが」
「それでも、クラリスの方が適役だよ。長官だって、別に白黒から選別する必要は無いんだろう? 騎士か魔導師か、とはなっているけれど」
「史上初の『女の長官』に興味は?」
「あるけど、だったら尚更十五になってからが良いな、十四なんて中途半端じゃないか」
「……女の十五も、今まで一人も居なかったと思うんだが」
「だからだよ。今まで五回試験受けて、全部が全部性別の所為で却下されてるからね、流石に頭に来てるんだ、目にもの見せてやりたいじゃないか」
「好戦的……」
「君ほどじゃないよ、私は仕掛けられた場合に全力で買うだけだから」
「……女の白服は皆そういうものなのか?」
 シェリンは首を傾げてみせた。何度目か息を吐き出したヴァルディアがそれを見やる。
「階梯試験の結果に喧嘩を売る輩が多い」
「……私は私の他には知らないけれど。誰だい?」
「フィレンス」
 迷う事無く返されたそれを聞いて、シェリンは疑問の次にはどこか感心したような色を浮かべる。代わるように疑念を浮かべたヴァルディアに、彼女は今までとは少し違うような、からかうような表情を向けた。
「珍しいね」
「……何が」
「君が他人の事に眼を向けているのは、リアファイド以来だと思ったのだけれど、違ったかな」
 途端に金の眼が泳いで落ちて行くのを見て、今度こそ声を上げて笑う。シェリンはそのままヴァルディアの片腕を叩いた。手を伸ばせば簡単に届く距離。
「良い事だと思うよ、私はね」
「煩い」
 振り払いもせずに短く答えた金は完全に伏せられている。観念した、という顔だが、それでも素直ではない言葉に彼女は更に、にや、と笑ってみせる。
「事実アイラーンの人間は魅力があるからねえ。私は最近まで家名の事も忘れていたけれどね」
「違う」
「何が? 家名の所為じゃ無いって事なら、尚の事だと思うけれど?」
「…………」
「昔から嘘がつけないよねえ、君は」
「煩い」
「隙を見せるからだよ」
「お前が見つけるのが上手いだけだ」
「勿論じゃないか、何年の付き合いだと思ってるんだい?」
「……」
「七年だよ」
「知ってる。覚えてる。……嫌な奴に引っかかった」
「おかげで覚えただろう、女の扱い方も手の引き方も?」
「だから嫌な奴だと言っている」
「光栄だね」
「褒めてないからな」
「だから光栄だって言ってるんだよ」
「……皮肉屋」
「君に言われたくはないね、それ」
「もう良い。フィオナに伝えてくる」
「宜しく頼んだよ」
「言われなくとも」
 流れるような会話の最後には金が逸らされて、そのままヴァルディアは北棟へと廊下を辿りはじめる。北棟は屋内調練場が主だが、その周囲には白服が武具や防具の手入れに使うようなものが雑多に用意された部屋がある。剣の手入れであれば大概が自室で行っている様子ではあるが、手入れで済まない事も多い所為か、その部屋が無人だった試しはほとんど無い。
 増してそこに入り浸っている数人が目当てなら、個人の部屋に出向くよりも余程確実だ。だから迷わずそこへと足を向けて、そして扉を押し開いて見えた人影に声を向けた。
「今度は何を作ってるんだ」
「飛び道具です。回収するのをどうしようかと、色々に試行錯誤しておりまして」
 簡素な椅子に腰掛けて、いつも身に付けている筈のクロークも今はどこかにおいているのだろうフィオナは唐突な問いにもにこりと笑みで返す。その向かいに広い作業台を挟んで座っていたクロウィルが、眼を瞬く。
「……長官ここで見るの初めてな気がする」
「あまり用もないからな、さして来るような事も無い。フィオナ、任務の通達だ、口頭で悪いが」
「おや。……もしかして例の?」
「察しが良くて助かる。シェリンには先に伝えたが」
「そうしたら断るわけにはいきませんねえ」
 一つに編んで肩の上に垂らした三つ編みを揺らしながら柔らかく笑い、そうしながら答える彼女には頷いて返す。短剣に何か仕掛けを付ける作業の途中なのだろうクロウィルは手を止めて、椅子の上からその長官を見上げた。
「人員変更?」
「いや、増えただけだ。シェリンとフィオナの二人だな、順次伝達するが」
「了解。セオラスは見かけたら伝えておく」
「助かる。……そっちは何をしてるんだ」
 ヴァルディアが問いを向ければ、クロウィルは手に持っていたそれの刀身部分を軽く押さえるようにしながら鞘を差し出してくれる。一見して普通の短剣と代わらないそれを受け取って、だが柄を握った手に別の感触を覚えて、よくよく見てみればそこに細い糸が這っていた。まじまじと見やる。もう片方の手でなぞって指先で掬い上げれば、透明に限りなく近い、硬い糸。
「鋼糸か?」
「楽器に使われているものを、少し弄りまして。色んな仕掛けの試作中です」
「巻き取りが上手くいかないんだよなぁ……」
「……そもそも騎士が使うものなのか、鋼糸は」
「ふふ」
 フィオナは口元に手を当てて柔らかく笑む。クロウィルは作業台の上に雑多に並べられた歯車のうちから一つを摘まみ上げながら声を返した。
「俺は最初ここ来たら何かやってる人が居ただけだしな……」
「今じゃ一蓮托生ですよ。……やっぱり強度は落ちますねえ」
「中に機構入れる時点で、それはな。柄に使う材料の強度と、あとは空洞をどう補強するか……木は割れるし、金属は歪むし、併用すると合わないし」
「どっちにしろ鋼糸に負けて摩耗もするし……難しいですねえ。実用するにはまだ遠いのは、最初から見えていた事ですけど」
「カイトが何か良い案持ってたら良いんだけど」
 言った翠が見上げてくる。見返したヴァルディアは息を吐き出した。
「現状の報告内容では、あと一週間は確実にかかる」
「あーじゃあ間に合わないな……長期出るのと出ないのって差があり過ぎるんじゃ?」
「高位任務に堪えられる人員は出来る限りすぐに動けるようにしておきたいからな。自然偏りも出る。……この前、街の工場で悲鳴を上げさせたと聞いたが」
「上げさせたっていうか、持ち込んだら悲鳴が聞こえただけ」
 鑢を持ち上げながらのそれには仕方が無いとほんの少し視線を泳がせるだけにとどめる。この部屋に常駐する数人の手柄で白服の装備が充足している面もある。工場もこの白服達が持ち込む案件を嫌がりはしないから、止めさせる意味も無かった。
「……ああ、そうだ、何日必要だ?」
「私は、さほどは。直近の二日か三日か……設計図はもう引いてありますから、あとは届けるだけですし、そうなると練習時間が多ければ嬉しいというところで。他の事情があれば合わせます、でも出来れば続きで三日欲しいとは」
「調整する。明日は朝に」
「了解しました」
「クロウィル、そっちは明日は単独になる、そのように準備をしておけ」
 ヴァルディアが眼を移して言えば、鑢で歯車を磨いていたクロウィルが驚いたと言わんばかりの表情で長官を見上げる。僅かに首を傾げるような仕草。
「……セオラスは?」
「学会に呼び出されたらしい、……あれでも一応十二だからな、研究義務がある」
「うわ、黒呼び出すとか迷惑極まりない……」
「迷惑を考えてくれるようなところなら良かったんだが」
 魔法学に関わる組織はどこもかしこもが魔法第一で人間の事など考えない。自分自身の事すら考えないような部分もあるのだから他人の事など尚更だろう、盲目具合はもうそれで仕方が無いところでもあるのだが。
 部屋の奥から呼ぶ声が響いて、手に持っていた二つを置いてクロウィルはそちらへと向かって行く。何となくそれを見送っている間にフィオナの紅が金を見上げた。
「最近、よく見かけますね」
「……何がだ?」
「執務室に居るか居ないか、が常だったと」
「色々面倒な案件が多くてな、歩いていた方が気が紛れる。正直な事を言えば任務に行きたい」
「珍しい事を仰る。外でなら、誰かしらが訓練してますよ」
「人相手は苦手でな。『異種』相手なら全力で暴れても文句が来ないから良い」
「それは」
 確かに、と言った様子で柔く笑った彼女もそのまま作業に戻って行く。あとは部屋に戻る前に何かやっておく事はあったかと考えているうちに、不意に耳元に小さい風が抜けて行った。それを合図に踵を返して廊下に出る、向かう先は、先程は単に通り過ぎるだけだった主棟、自分がいつも居る部屋の真下の扉。ノックもせずに押し開く。
「少し出る、戻ったらすぐ渡れるか」
「担当が奥に、今は手が離せない様子ですが」
 言えばすぐ近くの一人が椅子から立ち上がりながら言う。頷き返しながら彼へと向かって言った。
「調整してくれ」
「分かりました。クラリスには?」
「伝えてある。情報室には無理を掛けるが」
「半日くらいでしたら、なんとか。それ以上になりそうな時はお報せください」
「ならないとは思うが、しない保証は出来ないな」
「長官……」
 呆れたようなそれを聞きながら踵を返す。そのまますぐ近くの階段を上がって部屋に戻る。扉を潜れば目録に何かを書き込んでいたらしいクラリスが顔を上げた。
「向かわれますか?」
「ああ。少し時間はかかるが」
 言いながら机の後ろのコート掛けから外套と、横目で見やった窓の外が白いのを見て白いマフラーを握った。
「……まあ久々だからな、拒絶はされないだろう」
「最近は『彼女』のところにも、中々行く時間もありませんでしたから。何かお持ちしましょうか?」
「いや、調達してくる」
 外套に袖を通しながら言えば、クラリスはわかりました、とすぐに答える。至急の案件が無い事を眼で確認しながら、ヴァルディアはそこに更に声を向けた。
「間の事は任せる、妙な事も起こりはしないだろうが」
「了解致しました。まだ雪が降っておりますから、お気を付けて」
「ああ」
 外套を羽織って腕にマフラーを持っただけの格好で、潜ったばかりの扉を廊下へと出て階段を下る。合間に耳元に風。
『間に合いますでしょうか』
 次いですぐに聴こえた使い魔の声に横目を向ける。すぐに戻して、階段を駆け下りながら答えた。
「さてな。もう伝わっているとも思うが、一応説明には行った方がいいだろう」
『わたくし達も一度お目見えしたいとは思うのですが、やはり難しいのでしょうか』
「難しいな、私ですらそう簡単には会えない相手だ」
 階段を下りた先、広いエントランスを突っ切って外へ出る。協会を囲う城塞の、開かれた鉄の門へと向かう石の道を足早にしながら、首元にマフラーを巻いて息をついた。
「この街の最重要機密だからな、構築魔法の在処は」
 ちらと見上げた空は白い。降りしきる雪も、『彼女』によってその勢いは減じている。
 あの調練場で事が起こったその事で、揺らぐようなものではないとは思っていても、やはり向かわなければならないと思うのは、恐らく確実に杞憂なのだろうが。



 鋼の突き立つ範囲は随分と広くなっている。二四〇の魔法に囲まれた中央にはあの竜が姿を顕してもまた少しの余裕の残る空間があったのに、その空白も残り少なくなっている。
 一つとして同じものは無かった。鋼の線が象った地面に突き立つ棒も布も、傾いているものや真っ直ぐのもの、布が破けているものも解けて落ちてしまっているものもある。何となく分かって来ていた、この核に浮かんだ人数と同じ数だけ、これが周囲に現れる。最初の親子が二つだったように。
 核は少しずつだが姿を変えていた。形が変わったわけではないが、最初は両手で包めば指先が触れるくらいだったのに、今では両手で支えるように持たなければ取り落としてしまいそうになる。新しい層が浮かび上がるたびに徐々に大きくなっているのだろう。きっと手から離れてしまえば、その瞬間に宙に浮き上がるのだろうとは思っても、それでも落としてしまうのだけは嫌で今では膝の上に置いてしまっている。  触れた指先に魔力を流し込む。鋼の線が浮かび上がって新しく三つの形を描いて同じように周囲に突き立って、そして手元の核は表面に一つの線が浮かんで揺れた。瞬く間に形を描く。その下、核の内部にはもう他の線は無い。
 なんとなく、最後なのだろうとは分かった。目を上げて周囲を見渡す。鋼で象られたそれは、幾つあるのかも判然としない。この景色にもきっと意味はあるのだろう。  眼を戻す。浮かび上がった模様は、今までのものよりも緻密だった。ローブを頭から被り髭を蓄えた老人が地面に杖を立てている場面が一番に目に入る。そのすぐ右には家の中で机の前に腰掛けた姿。更に大きな板か布かを広げた前に立った姿があって、その次にはまた机の前に戻り、次には老人の姿はなく、恐らくは男性だろう数人が現れ、それもすぐ次の時には消えている。更に次へと眼をやれば、最後、最初に見えた場面に繋がるはずの場所は、ただ地面がある他には何も浮かんでいなかった。
 場面は八、核の球が大きくなって行くにつれて場面の数が多くなっていたのはそうだったから、不思議には思わない。だが別の事が気にかかる。今までずっと一貫して単純な図形だったのに、この一連は同じように一本の線から描き出されているのに比べるまでもなく詳細に描き込まれている。一目でその人物が老人だという事も、描かれているその場面が家の中である事もわかる。 
 緻密なそれを前にして、何をすれば良いのかがわからなかった。絵に触れる。確かに何かの繋がりはあるはずだ、この八つの場面の中には。何かが欠けているはずだとは、今まで解いてきたものから考えてもそうなのに、だが何が欠けているのかが分からない。ここまでは、多少考える必要があっても単純だった。物の受け渡しで手に持っていた物自体が欠けていたり、家畜の世話の風景に道具が欠けていたり。――だがどうしてか、既視感が拭えない。ぼんやりと浮かぶものはあるのに、それ以上が分からない。
 顔を上げる。一つ大きく息を吐く。もう一度ゆっくりと模様、絵を追いかける。昨日から始めたこれも今日の朝から再開して既に相当な時間が経っている、ここまで開くのにもかなりかかっているから、今更何か手違いを起こしたくないのが本心なのだが。
 意識して、呼吸を深く、それを何度か繰り返す。解らない事は無い、些細な部分を見落としている。単純な一つが解れば次が見えるはずだと、変わらず一本の線から描き出された緻密な場面を辿っていく。大きく空いたそこで分けられるはずだ、だから老人が杖を立てたそこが始まりのはず。どこからやっても変わらないのかもしれないが、これがもし時系列の順であるなら過去のことは前提になっていく。順を追った方がわかりやすく、追いやすいのだとはもうわかっていた。だから最初なのだろう、それを注視する。地面に杖を突いているのは、脚が悪いからだろうか。
 思いながら見るうちに、杖、不意にそれが眼に止まった。真っ直ぐな、それは他のどの場面にも現れなかったはずだ。支えの為ならどんな時でもそうするはず、その為で無いのなら。
 ――魔法使いだと、分かった瞬間に手が止まった。比べるまでもなく細かく書き込まれた八つの場面、魔法使い。今までの全てが人と街の風景。
 自然、引き結んでいた唇から力を抜いて、息を吐き出した。指を滑らせる。杖の突いた先、地面を示す線に触れて今までと同じように魔力を注ぎ込む。反発も何も無く染みたそれに反応して、杖の突き立てられた一帯が光を帯びた。つられるようにその右側、一つ飛ばした三つ目の場面で何かが新たに描き出される。黒い線が動いたそれは老人の前にある四角の中に縁を描いた。理解が確信に変わって、息が詰まりそうになるのを意識して平静の通りに呼吸を繰り返す。
 竜は『異種』の一種だと、忘れていたわけではなかった。それでもこうして眼にしてしまうのは、どれだけの回数を重ねれば慣れてしまえるのだろうと、そう思わずにはいられない。
 『異種』、いつかは魔法だったそれは、過去を見せようとしている。魔法使い、魔導師が魔法を作ったその時の風景を。新たに浮かんだ円をなぞれば細かな模様が浮かび上がって、また一つ飛ばした五つ目の場面では、並んだ男性達の足元が光を放っていて、それに触れて魔力を流し込めば光は線になって並んだ身体の上に被さる。次、男性達が失せた屋内、取り残された机の上と下には小さな生き物が現れて。四本足、耳と尾のある生き物。二つに触れて同じようにしてやれば、一本線で描かれていたそれが初めて、線から切り離されて、光を放つ床へと飛び込んでいく。
 眼は自然と、一本線だけが引かれた八つ目に向いていた。そこにも新しいものが浮かび上がる事は、容易に想像がついたから、もう疑念も浮かばなかった。
 ――何も無くなった更地の上。翼と長い耳、長い尾を持つ、小さな姿。意識が浮かばせた躊躇いも振り切るように手は動いて、触れた瞬間に広がった。




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