クウェリスは既に席を外していた。エルシャリスの時に特化した魔法はもう必要無くなっていやから、今のうちにと任務の準備に向かったらしい。入れ替わりにフィレンスがその椅子に腰を落ち着けていた。フェルは解除し終えた陣の細かな部分までを確認する為に、ずっと冷たい床に膝をついて鋼を見続けている。
『……ちょっと休憩した方が良くない?』
 脇から聞こえた声に色違いがそちらを見れば、今はもう役目を終えたのか動力も通っていない様子の機構の隙間から『妖精』達が顔をのぞかせていた。声を上げたのは、『妖精』の中でも一番目にする事の多いテティらしかった。フィレンスはその言葉には苦笑する。
「集中しちゃってるからね、変に声かけてもだし……時間かかってるのはそうだけど」
『えーでももう昼なるし……エーフェも、抑え役やるって言っといて、向こう付き合っちゃってて時間気にしてないし』
 有言不実行じゃないか、と言いたげなそれにはフィレンスもこの広い空間の中心へと再び眼を向ける。首の後ろで髪を括った銀の後ろ姿から少し離れた場所には紅桃の彼が立っている。時々には参考の為と開かれた本を示して何事かを言い交わしている様子もあるが、恐らくは多分に離れられないだけなのだろう。
『心配なのはわかるんだけどさー……』
「どっちが心配?」
『……あたしは両方。エーフェは、分かんない。あんまり他の魔法使いと仲良くしないから』
「そうなんだ?」
『あたし達の事隠さなきゃいけないから。そういうので気を回したりっていうの面倒なんだってさ』
 言う『妖精』を見やる。小さい体でも声は人のそれと遜色無く耳に届く。机に突っ伏すように機構の上に顎を乗せて両腕を真っ直ぐ伸ばして泳がせながらも顔は工学師の方向を向いていて、その表情には言葉そのままの意味以上には何も無かった。
『あたし達もエーフェとか、エーフェと仲いい魔法使い以外とはあんまり仲良くしたくないし、出来ると思えないしで、楽で良いんだけど』
「騎士だけど私」
『う、え。……えーでも禁忌破りって色々と例外じゃない? ってゆっか自分で言うのこの流れで』
「ちょっとは疎外感がねえ」
 やはり魔法使い達の専門には、どうしてもついてはいけない。いくら禁忌破りでも精通するには程遠く、仕方が無いと言っても段階は既に魔導師の独壇場だ。門外漢が半端に手を出す事そのものが難しい。
「クロウィルもさ?」
『あー。でもこの前グレイとかフィスとかと話したりしてたし、なんかあいつも例外っていうか』
「……何やってんのあいつ」
『……情報収集?』
 何の。フィレンスの色違いが怪訝そうな色を浮かべるのを見てか、テティが機構の中を覗き込んで呼びかける声。答えて新しく三つの顔が隙間から出て来た。いずれも初めて見る『妖精』達。
「……ほんとに沢山居るね?」
『全部合わせて今んとこ百と七ってとこっスねぇ』
 茶の色一色のその声にはフィレンスはそんなに、と思いながら工学師を見やる。茶の笑う声。
『今回使ったあの大勢のをっていうのは最近の三十くらいの奴からなんで、最初の方は別のやり方スね』
「あ、そうなんだ?」
『仲間が増えて来てようやく出来るようになった、って言ってた。理論は最初からあったんだって。あたし結構最初のほうだったけど、その頃はほんと力技だったんだよねえ、色々イーライなんて先輩に力づくで押し付けられてたもん。……じゃ、なくって。えーとね、こっちの茶っこいのがフィス。地属性の中位上級相当』
『どもっスー』
 茶のそれ、フィスは両手をばたばたと降ってみせる。テティとイーライの二つでも明白だったが、『妖精』のそれは一つひとつが違った姿を持っている。精霊達はその多くが似た気質に似た姿を持つが、『妖精』達にはそのような共通項は見当たらなかった。
『そっちの青っぽいのがグレイで、赤いのがローク。こっちの二人は上位下級相当』
『どうも。何の話?』
『クロにも前に沢山話したけど』
「うわ既に仲良さげ」
 さすがに愛称で呼ばれているのは想定外だ。フィレンスや部下達が揶揄ってそう呼ぶのには、彼はいつも良い反応を返してくれるのだが。
「……ええと。私も、気になる事はあるんだけどさ」
『俺らの分かる事で、言って良い事なら何でも。エーフェにも許可貰ってるし』
「……もしかしてそう言うのもやっぱり確認取らないとまずかったりするやつ?」
『んー、ていうか。俺らもエーフェの事は守りたいんスよね』
 色違いが瞬く。不思議そうな、怪訝そうなその表情には、青、グレイが声を上げた。
『俺達みたいな『妖精』は、まだ正式に認められてないし、非公式でも知られてない。エーフェが『妖精』を扱う事で嫌疑を掛けられるのは、知られたらもう避けられないんだ。規則も破ってるし法にも触れてて、だから罪にも問われる。そういうのを少しでも軽減したい、というのは、俺達の相違だし、一番の奴の望みでもある』
「……一番の奴、って?」
『それは秘密』
 その返答にはフィレンスは苦笑を浮かべた。守る事と隠す事が時に同義になるとは、既に身に沁みて馴染んだものだ。だからそれ以上を穿鑿する事も無く、代わりに『妖精』達を見渡す。
「じゃあ、何なら教えてくれる?」
『これからフェルがする事については、フィレンスも知りたいんじゃない?』
 テティが返してくれたそれには胸中で有り難いと零した。魔導師が魔法を作る場に居合わせた事は一度としてなかった、だから工学師と魔導師の二人で想定の共有がなされているのだろうその部分に関しては、始まるまでは解らないか、ややもすれば終わった後ですら解らないままかもしれないと思っていたのは事実だ。理解の必要があるのかどうかも判らないでも、知らなければ判断のしようも無い。
「……構築を直す、っていうのは、わかるんだけどさ」
 数式の齟齬を修正する、文章の欠けを補い、正す。そういった事と似たようなものだとは何となくでも分かる。それが完全でない魔法が、時に『異種』を生むのだとも。
「その後の。対話、とか、対面とか」
『魔法の自我との話し合いの事?』
「そう。なんか、よくわからないんだけど」
 魔法を扱う禁忌破りとは言っても、知識については魔法使いの水準からは大きく劣る。魔法使役や発動に関わる感覚においては言うまでもなく、まして魔導師と呼ばれるまでに攻撃魔法に精通する黒服の領域に触れられるでもない。
「魔法の自我、っていうのと、顔を合わせた事も、私たぶん無いんだよね」
『あー。ちょっと難しいあたりの話』
 本当はそういう話は姉さんが良いんだけどとテティが周りを見渡すようにするのには、他の『妖精』達も口々に何かを言い合う。それと見合って紅黒は頬を掻いた。
『まあ今居ないなら仕方ないか。えーと、魔法の自我との対面、ね』
「眼に見えるものなの、って?」
『眼には直接は見えないから、見える所に行く感じ、かな。魔法にしてみれば来てくれる、なんだけど』
『俺達は元は魔法の自我だから、憶えがあるんだけど』
 言いながらグレイの小さな身体が機構から浮き上がり、すぐ近くまで飛来したそれをフィレンスが手のひらに迎える。途端に椅子に腰掛けたその周囲に燐光が姿を現した。
『人間にしてみれば魔法は理論で、数字と文字の集合だし、その認識は少しも間違ってない』
 燐光が集まって線を描く。よくよく見てみればその線は全てが数式で描かれていた。
『でもその数字やら数式やら定理、文字っていうのは、魔法の自我にしてみれば家みたいなもんだ。例えばこういう数式は、構築としてはその魔法の威力とか効果の大小を決めるけど、俺達が自由に動ける大きさでもある』
『面積決めてるようなもんスね』
 数式による線を指差して言うグレイに、フィスが合間に挟み込む。フィレンスが頷けば、燐光は更に量を増やして、線に合うように何らかの文字のようなものが浮かび上がった。
『定理ってのは、その数式で決まった範囲の中に、俺らみたいな自我を作る。構築的には魔法の効果を決める所だ、属性は門だから、追尾するとか発動点が使役者と同じ地点なのか別なのかとか』
『家の見取り図も一緒に作ってる感じっス。下手な人は玄関作るの忘れてそのまんま暴発させたりするっス』
「うーん分かり易いんだけどなんか微妙」
 主にフィスの噛み砕き方が。言いたい事は分かったのか『妖精』達は小さく笑って、当のフィスはまるで人間がするように肩を竦めてみせた。グレイの小さい身体も手のひらでほんの少し揺れて、そういえば感触は全く変わらないなどと思っているその間に光の文字は更に増えていく。描かれているのは、構築陣のそれ。
『数式で土地、定理で家とそこに住む人。次が文字で、文字は古代語が主だ。数字と定理でも足りない部分を補っていく』
「式と定理だけでは不十分?」
『だな、自我の無い魔法は文字列でしかない、文字列からは『異種』は生まれな……あれ、作った事はあるんじゃなかったか?』
 フィレンスは無言のままで指を調練場の中央へと向けた。床の巨大な陣をつぶさに見て回る黒い姿。グレイは、ああ、と笑ったようだった。見上げてくるのを見返す。僅かに揶揄うような色。
『出来るようになっといた方が色々楽だぞ、あんたの魔法も不満があるみたいでは無いけど』
「……そう?」
『話は出来ないけど、様子は分かる。別物だけど同じだからな。で、文字なんだけど、これは定理で形になった自我と、自我の周囲に、自我の為の環境を作るものだな。魔導師はこの文字の部分を基に詠唱を組み立てる』
 浮かんだ線が重なっていく。急激に見慣れた形に近づいていく様子を見渡しているうちに、テティが声を上げるのが耳に入った。
『魔法の自我は、その構築の中に居る事になるのよね』
「居る、の?」
『居る事になってる、だな。いや、居るんだけど、その居るっていうのは人間が居るような『居る』じゃない、ってのが正しいか』
 少し考えた後に、フィレンスは素直に首を傾げてみせた。待つようにしていたグレイが口元に手を当てて考え込むのを見てか、赤いもうひとつ、ロークがフィレンスを見やる。
『あんた、本読むか』
「……読む、けど」
『どんなのだ? 論文とかか』
「いや、必要があれば硬いのも読むけど、普段は小説なり伝記なり、かな。それが?」
『そういうのと同じ。文字の上では存在してても、実際に人間が小説の中の人間と顔を合わせる事はできないだろ』
「まあ、そう、かな」
 舞台であればそれを演じた人物と会う事も出来るだろうが、それは演者としてに限られる。まして小説、文字の中のそれは、実際の姿形も判らない。いくら詳細に説明されていたとしてもそれは実在する訳でもないし、絵にでもしなければ共通の姿を思い描く事すら出来ない。
「……ん、あれ、じゃあどう会うの」
『魔法は本みたいな無生物じゃないからな、かといって生きてる訳でもないけど』
「……端的に」
『魔法の効果は自我ありき。自我が使役者に従って魔法の効果を生み出してる。その自我に対して使役者が与えるのは?』
「魔力」
 それしか無い。そうと即座に返したフィレンスに問いかけたグレイはにまりと笑んで、横からロークが言葉を継いだ。
『魔力は全ての生物が持ってる。逆説的には、魔力を持つものは生物だ。与えられたとしてもそれを運用できるのであれば魔法の一つの生物で、その生物であるところの自我は構築陣の中に居る』
『構築陣の中には自我の為の世界があるから、つまり』
「……その中に入る?」
『そういうこと』
「できるの?」
『できるから魔導師、だな』
 単なる魔法使いじゃ難しい、と、グレイが視線を黒へと向ける。魔法を作る必要に駆られるのは、多くは最前線で戦闘行為に従事する魔導師だ。魔法使いという言葉が指し示すのは、その人が魔法を扱う人物だという事でしかない。作られた魔法を扱う事だけなら、それこそ多少の才能さえあれば誰にでも出来る事だ。
「……じゃあ私多分無理だよね」
『さあ? 騎士って、称号で魔力の回路封じられてるだけだろ? 返上すれば回路は元に戻るって聞いたし、そうすればもしかしたらかなり優秀かもしれないぞ』
「それ確かめるのに色々棄てないとじゃない、それ?」
『まあなぁ』
 グレイは笑う。周囲にはまだ形を残したままの燐光がゆったりと回転している。不意に気になって青を見下ろした。
「この構築陣は?」
『俺が作ったやつ。まだ未完だけど』
「……え?」
『『妖精』だって知識さえあれば魔法も作れる。俺はデータベース……あー、えっと、図書館役っていうか、エーフェが色々歩き回るのに持っていけない本とか知識とかの集積と保守担当で、だから構築についても知ってる』
「……知ってれば作れる?」
 古い言葉を使うのは、言う通りに知識の管理を行っているからだろうか。音を知っていても意味がわからないそれを使うのは、蒼樹ではセオラスか、セオラスにつられたエレッセアくらいだと思いながら、フィレンスは改めて周囲の構築陣へと眼をやった。燐光は白く、それでも描かれた文字は明確に読み取る事が出来る。問いには少しの沈黙の後に、手のひらの上で重さが動くのと同時の声。
『今の所は分からないけど、俺らも魔法生物って分類じゃ人間と同じだし、『異種』の時は魔法も使ってたしな。出来ない事は無いと思う。魔法は知識だ、……知る事さえ出来れば作れる』
 まるで人間のような声。こちらを見上げもしない『妖精』は、強く構築陣を見つめているように見えた。
 フィレンスはただ、それにはその視線を追うように眼を向けただけで何も言いはしなかった。『妖精』は魔法の自我から成るらしいとは、『妖精』達の口振りからは容易に想像のつく事ではあるが。
 少しばかりの沈黙。横合いから溜め息の音が聞こえて、それでいつの間にか落ちていた眼を上げれば長身の魔法使いが立っていた。
「……何してんのお前ら?」
 呆れたようなそれに燐光が描いた構築陣は姿を消して、フィレンスの掌の上に腰を下ろしていたグレイはそのまま飛び上がるようにして金色の髪の上に移動する。重さは感じるのに重くはない、どこか不思議な感覚に感嘆を覚えながら肩をすくめてみせた。
「色々ご教授願ってた。……エーフェ背高いね」
「健康健脚の賜物。あちこち歩いて身体動かしてっとな、逆に止まらないってか。色々って?」
「構築の事とか。『妖精』って色々知ってるねえ」
 言えば、ああ、と声を漏らして彼はグレイを見やる。フィレンスの視線が届かない場所でグレイは渋い顔をしながら両手でふわふわと空中に何かの形を描くような仕草をして、それを見たエーフェは脱力したように肩を落とした。
「……いや、『妖精』は基本的に無知だ。こいつの場合は、俺が意図的に色々教えてるだけ」
「……そうなの?」
『言っただろ図書館役だ、って』
「本持ち歩けない分、こいつの容量が一杯いっぱいになるまで情報としての文字を詰め込んでな」
 言いながらのエーフェの手が伸びて、フィレンスは僅かに肩に力を込める。そのまま何をするでもなく、彼は金の上のグレイを指先で摘まみ上げて自分のローブの胸ポケットへと滑り込ませた。
「おかげでこいつ戦えないんだわ。戦闘能力全部失くして、その分知識やら物語やら詰め込んで、したら魔法作りたいとか言い出すし」
『自衛の手段だからって納得してくれたじゃんか、うちの主様は』
「自衛の為にテティつけてんだろいつも」
 まるで覗き込むように布地の縁から顔を覗かせて見上げるグレイに、使役者は素っ気なく答えて同時に視線は機構を見やる。紅黒、テティはげ、と呻いたようだった。フィレンスは三者を見比べ、首を傾ける。
「……そういうのなんだ?」
「そういうのなんです。ゆるっゆるだけど、一応部隊編成みたいな事になってるな。グレイがアーカイブ、テティとフィスとロークがその護衛」
「…………」
「……情報保管庫」
「ああ」
 あからさまに遠い眼をしてみせたのを見て付け加えるように言ったエーフェに、そこでようやくフィレンスが納得の声を上げる。自然と混ざると意味が分からない。響きはそのまま異国語と変わらないから、古語なのか輸入語なのかも判然としないのだがとは口に出しては言わないまま、代わりに別の方向の疑念を向けた。
「魔法使いって古代語と一緒に古語もやるの?」
「どっちも必須じゃないんだけどなあ。俺アーヴァリィはオフェシスがちょっと出来るだけだし、古語……イグリスはほんと幾つか名詞が混じるくらいだし」
 数間。その後にフィレンスの声。
「……どこから突っ込めば良いかな」
「……悪いこた言わないからお前、一応禁忌破りなんだしもうちょっと魔法勉強しろ? な? 知識面だけでも良いからさ?」
「根が騎士」
「根っから騎士な奴が制約破るか阿呆」
 む、と思ったが、反論できないので大人しく受け入れる。なまじ根っからの騎士が幼少期からすぐ近くに居た事もあって、その差異は自身ですら明確だ。視線を外して膝の上に頬杖を突く。そうして不意に見えた、距離のある先の空間で、不自然に銀と黒が揺れるのが見えた。疑問と小さい声を上げると同時に紫。
 エーフェを呼ぶ声が響く。空間が大きい為か、天井が高すぎ壁が遠すぎる為か、普段通る声はさほども聞こえない。それでも、呼びかけに続いた声とそこに浮かんだ焦燥は明確に耳に届いた。
「違います、これ、魔法じゃない――!!」




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